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2022年12月24日土曜日

戦争は終わる。あなたが願えば。

今夜はクリスマスイブ。クリスマスソングといえばこちら。

ジョン・レノンの代表作の一つ、John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choirによる“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”です。

オノ・ヨーコさんご本人が付けた映像はこちらです。衝撃的な映像です。それぞれ確認してご覧ください。

人間の愚かさを痛感しながら過ごす夜です。

「我々が歴史を勉強すると我々が歴史から学んでいないことが分かる」ヘーゲル

「人間が歴史から学んだことは歴史から何も学んでないということだ」チャーチル

極寒のウクライナで震える人びと、戦争と紛争、差別や搾取、理不尽な理由で理不尽に扱われ、過酷な環境に置かれて苦悩している全ての人びとを想い、祈ります。

人間が成長しますように。
人間の価値観が少しでも上昇しますように。
人びとが妄想や幻想から抜け出しますように。
人びとに悟りの光が現れますように。

戦争は終わる。あなたが願えば。

Namu Myo Ho Ren Ge Kyo 

ヨーコさんがこの映像を付けた意味を受け止めましょう。

“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”
https://youtu.be/yN4Uu0OlmTg

2022年7月19日火曜日

シニョリーア広場(Piazza della Signoria)から

ありがとうございます。
イタリア出張、最終日の朝を迎えました。
7月13日、妙深寺の夏期参詣初日の夜に出発しましたから、一週間が過ぎようとしています。
ダニエレ良誓師も出張中でお会いできませんでしたが、やはり車を3時間ほど走らせて、香風寺フィレンツェ別院のあるこの街に参りました。
歴史を知ること、歴史から学ぶこと、たくさんあります。そして、フィールドワーク、つまりその場所に行って、そこに立ち、その景色を見て、その空気を吸い、そこで想いを巡らせることが、とても大切だと思っています。
帰国準備、PCR検査、アプリのインストールや登録や誓約などもありましが、今回も、とても有意義なご奉公、時間を過ごしました。
出張中、寝る間も惜しいので、毎朝早起きして、いろいろな動画を撮りました。
ありがとうございます。
長松清潤拝、

2022年3月21日月曜日

令和4年3月21日 春季総回向 ご住職「かつも妙 まけるも妙の いくさして ころしたものも またしぬる妙」

令和4年3月21日 春季総回向 御法門
御教歌
「かつも妙 まけるも妙の いくさして ころしたものも またしぬる妙」てこのかたま・扇全15巻141頁

繰り返す戦争と私たちのご奉公について。

お書き添え「東山霊山に石のしるし建たる戦死の武者弔ひのうたよめと人のいひけるに」

2011年4月1日金曜日

班長さんへの手紙 平成23年4月1日

ありがとうございます。
東北関東大震災が発生してから二十日が過ぎました。桜の開花の声を聞くようになっても、被災地では厳しい寒さが続いています。
千年に一度の大災害と言われています。覚悟していたとはいえ、まさに末法万年の中で最も厳しい時代に直面していることを痛感しました。巨大地震だけではなく、最大二十三.六メートルの大津波が人々や家々を呑み込みました。さらに、福島第一原子力発電所の原子炉が制御不能に陥り、炉心溶融から放射性物質の拡散を続けるという負の連鎖が今なお続いています。

数え切れない方々が亡くなり、家を失い、避難生活を余儀なくされています。豊かで穏やかな生活を、一瞬にして奪われた方々。原発事故は国家的、世界的な大問題となり、誰もがこの大災害の被災者であることを突きつけました。日本経済は大きく変わり、それは全ての日本人の生き方、暮らし方を一変させるに違いありません。

私は「日本人は強い」「日本人の団結力は素晴らしい」という言葉を聞いて嬉しく思いますが、果たしてそうだろうかという疑問も浮かびます。つい先日まで無縁社会を危惧し、親の遺骨を捨てる者が続出し、介護放棄された高齢者、孤独死や自殺率の増加が懸念されていた日本です。経済でも政治でも、行き詰まりと迷走や錯綜が続き、社会の生命がギリギリの状態であることを感じていたのではないでしょうか。
未だその傷痕は被災地に残っていると感じます。行政を過信してはいけません。人と人のつながり、絆が大切だったのです。行政だけを頼りにしていても必要な物資が届くか分からない。日頃からどのような輪を持って生きているか。考えるべきです。「一人でも生きていける」という考え方は、これ以上ない大きな慢心なのです。

今回の大災害で、日本人は本来持つべき輪が失われていたこと、最も必要であったことに気づきました。不幸の後に気づくのは哀しい。しかし、それでもいい。

御教歌
「世の中をうらむはおろかかひもなし 苦楽はおのが 報ひ也けり」

原発事故に関しては天災よりも人災の懸念があると言います。残念ながら原発を推進してきた政治も勢力も、豊かな生活を享受しつつ認めてきた全国民の問題です。人を批判するのは簡単ですが、自分に非があることを受け容れなければなりません。「知らなかった」というだけでは「無智宗」というより「浅識」という謗法になります。
全世界が被災者となった今回の大災害には、人類全体が受け止めるべき「サイン」「メッセージ」が隠されていると確信しています。今回の出来事から何を学ぶべきか、これは私の生涯を通じて一人でも多くの人にお伝えしていきたいと思っています。
妙深寺のご信者の皆さまにお願いです。不安定な時代となりました。今まで以上にご信心を改良して、堅固にしてください。「火不能焼」「水不能漂」の御文のとおり、地震や火事や津波にも、放射性物質からも、必ずお守りいただけるのが妙不可思議の御題目です。自分だけではなく、こうした時代となったからこそ、お互いにご信心の大切さを語り合い、励まし合ってください。口唱行、お助行、御講参詣に励みましょう。中途半端なご信心では、もうダメなのです。
私は、命を削り、捨てても、みなさんの先頭に立ってご奉公させていただきたいと思っております。生きたお寺の真骨頂、苦難の時代だからこそ、人を救い続ける、佛立寺院の真価を発揮したいと思います。みなさま、どうか、お力をお借しください。

2011年1月1日土曜日

『ここに、仏教があります』

世は混乱の闇の中にあります。暗中模索(あんちゅうもさく)、疑心暗鬼(ぎしんあんき)。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)して、真と偽、正義と不正義を雑乱させています。このままでいいと思っている人はいないのですから、何とか、世の闇、心の闇から抜け出さなければなりません。

明治維新後の日本は大きく二つの時代に分けることが出来ます。一つは一八六八年の明治維新から昭和二十年(一九四五年)の敗戦までの七十七年間です。そして、もう一つは敗戦から平成二十三年(二〇一一年)の今に至るまでの七十年弱の期間です。この二つの時代を踏まえて、日本や日本人を捉え直さなければ次の時代の扉は開かないと思います。
前者は、明治維新後に誕生した国家神道の時代でした。そして、後者は連合国によって再出発した戦後の日本です。それは、戦中の全体主義によって傷ついた人々が復興を遂げてゆく時代でした。
ここで近代思想史を詳述しようとは思いません。しかし、二つの時代の特徴が、今の日本や日本人を作り出しました。

狂気の中で生まれる宗教や信仰があるように、多くの場合、思想とは、ある種の緊張状態、反逆や反骨の中から誕生します。

二つの時代の誕生には、壮絶な産みの苦しみが伴いました。前者には日本人同士の殺し合い、暗殺の連鎖、戊辰(ぼしん)戦争がありました。後者では凄惨(せいさん)極まりない世界大戦、全国民が決定的な災禍を味わった敗戦がありました。これら壮絶な出来事を数行で語り尽くすには、失われた命が重すぎて出来ません。しかし、この二つの時代の思想は、誕生の経緯に決定的な影響を受けて成立しています。

明治維新は、その内実は「尊皇(そんのう)攘夷(じょうい)」という、ある種の「宗教」を原動力とした革命でした。それは維新後の政策を見れば明らかです。

この「尊皇攘夷」という思想は、「宋(そう)」という特殊な事情を抱えた中国の王朝に誕生した学問体系で、後には朱子学(しゅしがく)となって江戸幕府の正学となりました。宋は、女真族(じょしんぞく)の侵略とそれに内通する家臣らによって危機的な状況に陥り、臣下の道義を説く大義名分(たいぎめいぶん)論、尊皇(そんのう)論や攘夷(じょうい)論を発展させました。「夷(い)」とは「女真族」を指していました。

日本は天平飛鳥(てんぴょうあすか)の時代から独特の精神思想文化を培っていました。しかし、この朱子学は鎌倉幕府が誕生した頃に来日し、その底流で生き続け、江戸期には国学と結びついて日本の思想を一変させます。「神仏(しんぶつ)」は「神儒(しんじゅ)」となり、「国学(こくがく)」は「神道(しんとう)」となってゆきました。過激に変容した思想は、幕末期の人々が信奉するものとなりました。
明治新政府は、頑迷な「攘夷」については早々に破棄しましたが、残された「尊皇」「神道」については国家として実現してゆきます。

 「木曾路(きそじ)はすべて山の中である」

この書き出しで有名な島崎藤村の「夜明け前」は、父をモデルとした小説で、信州木曾の馬籠宿(まごめじゅく)を舞台に、尊皇攘夷にかけた主人公、青山半蔵(あおやまはんぞう)の希望と絶望が描かれています。
半蔵は平田(ひらた)篤胤(あつたね)が唱えた国学を学び、今こそ日本人は日本古来の価値観を取り戻し、日本の自然に根ざした生活をすべきである、と王政復古に夢を懸けます。しかし、明治の世に翻弄され、家族からも周囲からも孤立し、最後には政府にも幻滅し、牢の中で狂死します。その不幸は言語を絶します。

半蔵が信じた平田篤胤の国学は、儒教や仏教と習合した当時の神道を批判し、独善的で排他的な復古神道を唱えました。膨大な著書の多くは、実際は奇っ怪(き  かい)で、滑稽(こっけい)な内容ですが、江戸末期の飽和した社会の中、ついに人々が信奉する思想にまでなってしまいました。極端な思想は後期水戸学と合体し、庶民層にまで爆発的な普及を遂げ、倒幕の原動力となりました。

慶応四年三月、復古神道は神仏判然(はんぜん)(分離)令として政府の政策となり、日本史上類を見ない廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という破壊運動に発展。この短期間に、日本の国宝級の文化財の約半数が破壊されたといいます。

維新を主導した薩摩では、藩主島津家の菩提寺までが廃寺となり、鹿児島から仏教寺院は一掃され、土佐藩でも高知市内の寺院を壊滅させました。これが行われたのは明治元年から僅か数年のことです。

 坂本龍馬を持ち上げて明治維新を美化しようとしても、実際には龍馬とは思想も宗教も異なる面々が乱暴に宗教国家を作り上げた、というのが明治維新の真相です。

平田派国学という完全に偏った復古神道を政策化したのは、権力の座に就いた岩倉具視(いわくらともみ)等の背後に取り憑いた薩摩諏訪神社の神職・井上石見(いのうえいわみ)、大国隆正(おおくにたかまさ)や福羽美静(ふくばびせい)、岩倉邸に仮寓(かぐう)した祐筆の国学者・玉松操(たままつみさを)、余生を岩倉邸で過ごした日吉大社の祠司・樹下茂国(じゅげしげくに)などで、最高権力者と共に「神国・日本」の国づくりに腐心しました。

幕府の下、権力に取り込まれて腐敗していた仏教僧にも非があり、屈辱を味わってきた神職の怒りの背景にも多くの理由がありました。しかし、日本の不幸は、こうして始まってしまった国家神道政策が、危険な遺伝子となって人々の心の中にくすぶり、最終的には全国民を地獄のような戦火の中に導いたことです。

明治の闇に光を当てなければ、日本人の未来も世界も見えません。
平田(ひらた)篤胤(あつたね)は、本居宣長(もとおりのりなが)の弟子を自称しましたが、生前の彼は宣長に会ったこともありません。ただ、夢の中で師弟の契りを交わしたと妄想を強弁しました。種々雑多な宗教や学問の断片から独善の著書を重ね、ついに狂気の心酔者らは日本を偏狭な方向に導いたのです。日本の不幸は倒錯者を信じたことから始まりました。今の教祖にも似た者がいます。
開導聖人の国学の師である城戸(きど)千楯(ちたて)は宣長(のりなが)の直弟子で、平田批判の急先鋒でした。開導聖人(かいどうしょうにん)はこの城戸(きど)門下四百人の中から選ばれて千草(ちぐさ)家での講義を勤められたほどでした。徹頭徹尾、平田派国学と異なるお立場にありました。

開導聖人や坂本龍馬らが唱えた仏教による日本の平穏は、維新後の七十七年間は公に語られることがなく、むしろ隠されていました。

そして、敗戦後の日本は、全体主義に辟易(へきえき)した国民の多くが宗教を怖れ、共産主義に惹かれ、資本主義に没頭して、その心は今なお漂流したままとなっています。

二つの時代に呪縛され、多くの人が本当の日本人の誇りを知りません。天下の乱れも心の乱れも、仏教によって取り除くべきです。ここに、仏教があります。いま、生きたお寺が仏教を再興します。

2010年8月3日火曜日

慰問演奏

 書きたいことがあるのに書けないのは歯がゆいです。
 まず、書きたいことというのは、妙深寺の近くにある特別養護施設・羽沢の家に妙深寺のコーラス部と長野教区の篠原さんが慰問演奏に行ってくださったこと。なかなか、今の妙深寺は、お寺としての福祉活動が出来ていません。しかし、こうして、各教養部が協力して、自発的な活動をしてくださっています。ありがたいことです。
 篠原さんは、マウスオルガンの演奏をしてくださいました。篠原さんは、これまでもお年を召した方や身体に障害を抱えておられる方への演奏活動をしてこられました。特に、篠原さんは「何かをしてあげる」ということではなく、こちらから「学ばせていただく」という姿勢で一貫しておられます。いつも、こちらが勉強させていただいています。
 介護を受けなければならない人に演奏を聴いていただくのと同時に、介護をしているご家族への心と心の交流をしておられる。なかなか、佛立教務でも、佛立信徒でも、できることではありません。

 私たちは、一人ご病気の人が家にいたら、家族全員が同じ病気だと思ってご奉公しなさい、と教えられるのです。自他彼此の心なく、自分や他人という境界線を低くしてするのがご奉公だと教えていただきますが、それが実践できている人は少ないものです。でも、これは難しいことです。
 ほとんどの人が、境界線を引いて壁を高くしておかないと自分が守れないと思っている人ばかりです。
 自他彼此の心をなくして、向き合うこと。本当に、難しいことなのです。それを、篠原さんはしてこられたし、こういう慰問を通じて学ばせていただくことが出来ます。
 先日来、100才を越える方がどこにいるか分からないなどと報道されています。情けない話です。年金を不正受給していた問題は明らかな犯罪ですから司法にお任せしますが、親の消息が分からないと堂々と公言する子どもやコメントを避ける報道番組に違和感を感じます。親子です。「知らない」で済むことではありません。言語道断の事態。たとえば篠原さんのご両親を想う気持ちに比してこの当事者を考えると、その気持ちに天地雲泥の差があり、胸が締め付けられるような気持ちになります。「恩」や「愛」について。
 ご高齢の方の人権にも関係しますから不用意な発言は出来ませんが、110才前後の方が自分で引っ越しをしていくなどとは、明らかに考えにくいです。芸能人の事件や「長野サリン」事件などは、いらぬ詮索を繰り返してきたのに、これほど重要な事件に対してなぜか「のんびり」しているように感じます。

 年金受給者への管理を担当する方々が記者会見をしておられましたが、申し訳ない言い方を率直にすれば、その発言内容、態度、緊張感、危機感を含めて、いかにも無能そうに見えました。彼らは、社会を健全に保つことに情熱を感じているでしょうか。

 「一人信心でよしと思ふは、給銀メ当の実意なき臣下と云もの也。かやうの人々なれば不忠もの也。法に取りては大謗法となりて、仏祖の冥加にはずれたる人とならん事、疑ひなし。慎み給ふべし」隆師年譜(下)

 全国で同じ案件がないかチェックすると同時に、その背後にある一人ひとりの心の問題、社会問題を発見し、何とかしてゆかなければらないと思います。

2010年7月9日金曜日

甘すぎる本人確認です、憚りながら

 期日前投票に行ってきました。

 そして、帰り道に少しコーヒーを飲んで帰ってきました。何となく、選挙と投票に限定して、この国を案じていました。

 何度目かの期日前投票ですが、なぜ、こんなに本人確認が甘いのか、毎回不安に思います。そんな気持ちを、今回は直接聞いてみました。

 投票所の入り口で案内してくださっている女性に、「本人確認はしなくていいのですか?」と聞いてみると、「ええ、大丈夫ですよ(笑顔)。裏側に書いていただくだけでいいんです(笑)」と。

 その裏側とは、名前と生年月日と住所を書くだけ。後は、何にもなし、です。

 「いや、でも、これだけだと不正できてしまうのでは?」と言うと、キョトンとして「え?」と。今回は、ずっと疑問に思っていたので、投票所の中の監視員の方にもお聞きいただいて、「いえ、そんな不正を行う人はいないと思いますが、怖い団体や宗教団体は悪用する可能性があると思います」と言いました。すると、案内の女性から「こわーい」と答えられたので、ガクッとして、それ以上は突っ込まず、投票しました。

 さて、みなさんはどう思いますか?別のウェブサイトを見てみると、本人確認のずさんさを指摘する声が溢れています。国民から溢れているのに、10年ほど前に緩和されたというのだから驚きですね。本当に、ブッシュが大統領に選ばれた時の選管が糾弾されていましたが、当然。いくら人間が見たいものしか見ないと言っても、あの時は現実に少し気づいたのでしょう。民主主義って、どこで担保されているのか分からない、危うい幻想的なシステムだということに。

 期日前投票。投票日当日も危ないけど、名前と住所を確認して、パソコンで紹介して終わり。宣誓書を書いた人物と登録されている本人かの確認なんてしない。もし他人が、自分の代わりに勝手に不在者投票を行おうとしたら、その人物の氏名と住所と生年月日を調べておけば、簡単に「成り代わる」ことができてしまうシステムなのです。以前は、身分証明書の提示が義務づけられていたそうですが、それが1998年か、1999年に緩和された(涙)。

 躍起になって票を集めようとする団体が、ギリギリのところで、こういう「穴」を利用しないとも限りません。というか、そういう「穴」を事前にふさぐのが立法府の使命。シートベルトやら何やら、法律が次々に作られていくのに、選挙や投票という民主主義の根幹を為すシステムについては、「穴」を用意してくれているなんて。

 『憚りながら』言わせていただくと、公明党の党首が富士宮で元気に演説している姿が映っていましたが、よくここでできるなぁと、逆に感心してしまいました。大相撲の野球賭博どころか、ここまで暴力団との結びつきを暴力団の元組長本人から暴露されているのに(涙)。『憚りながら』、すごいと思いました。

 ま、とにかく、一人ひとりがしっかりするしかない。つまり、投票に行くことです。個人、個人が。一人、一人が。

2010年6月25日金曜日

『憚りながら』

『憚りながら』。すごい本ですね。

巨大宗教団体、政治団体。その実態を、闇の世界から明らかにしています。裏側を知り尽くした本人からの赤裸々な告白。証人喚問まで要求しているのですから、否定のしようがありません。

純粋な方々もいると思いますので、その方の未来を考えると恐ろしく、哀れです。しかし、そう言っているだけでは済みません。何とか、一人でも多くの方々に、目を覚ましていただかなければなりません。

選挙となれば800万票を集めるという団体の実態です。暴力団やこうした闇の活動によって、これだけの票を積み重ねてきたと考えれば、国家の危機です。

お祖師さま(日蓮聖人)は御妙判。
「かゝる日蓮を用ひぬるとも、あしくうやま(敬)はば国亡ぶべし。」

政治力や資金力を利用して、海外にも広く布教している団体ですから、もはや「悪く敬ったら、国が亡ぶ」では済みません。「世界が亡ぶ」ことになりかねない。

この本には、暴力が溢れていますから気分を悪くされる方もおられると思いますが、『憚りながら』、一読して世界中に伝えるべきことがあると思います。

圧力のために書店から消えているとも聞きますが、是非お読みいただきたいと思います。佛立とは、全く異なる価値観です。amazonで、買うのがいいかもしれません。

それにしても、暴力団の元組長だけではなく、過去の公明党委員長らが次々に告発本を出しているのは異常な事態です。矢野 絢也氏の著書「黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録」なども、壮絶な内容です。

世界各地に信徒を擁する宗教団体です。法華経とお祖師さまの教えをいただき、御題目を唱える宗旨です。「悪しく敬って」いることに、ほとんどの信徒が気づいていません。

その実態を知り、私たちの為すべきことにも気づかなければなりません。

御教歌
「わが店のはやらぬ故によその邪魔 むだに暮して棒を折る也」

2010年6月6日日曜日

開導聖人エピソード 天皇、三条公、高崎、

コレハ狂哥也

「さむさニハ風雅をすてゝおき巨達 ねなからみるも雪ハゆきなり」國重

「四方の海なみも謐けく治まれる 我君の代ハ濁りなくして」京都府警部 岡信則
  └明治十六年の春

 當世ハかようのことか流行と申てある人かたれり

 詩ハからうた故ニ和國の風俗ニハあハぬやらん これも かのつからの事なりかし 御花押 一等

 去年警部明田ぬしのたのみニて 「草かくれ」のうた 画賛 一紙をおくれり 岡信則ぬしのたのみニて露分 もみのうた 画賛一紙をおくれり

 去年大津多羅尾清車ぬしの引ニて志賀縣々領小手田ぬしへ短冊三葉

 其後予カ書画帖を見せたることあり

 一昨年東京御歌御師匠宅 高崎氏へ歌一葉

 同人いはく 三条公ノ方々予か短冊三四葉アリ外ニ求メ得す 六七首を得て書写せしめ當今門人の手習ノ手本とせりと

 天皇ニ清風か短冊天覧ニ入テ御手習ノ手本トス

 天皇ノ下ハク かバかりむつかしき書ハなしとて宮中御ならひ也 をかしき事也と香谷方へ高崎義正来りてはなしと云々 玉田来て語る云々 玉田いはくオヂサンあまり澤山 さうニおかきなさるなといへり 清風曰「わしハ機嫌次第でゴザルト申たり」

2010年4月6日火曜日

Be True Buddhist, Be Bodhisattva !!

 本門佛立宗にも、いろいろな規則があります。一人や二人で何かをやっているということではないので、いろいろな規則を作らなければなりません。これは、当然なことです。
 つまり、ご弘通が発展し、それをまとめる「組織」を動かそうとすれば、規則や制度は不可欠になります。ご信心の世界でも、これがつきまとうのですね。手塚治虫氏の「ブッダ」には、ブッダとダイヴァダッタの対立の根源に、宗教と組織というテーマで描かれています…。
 社会一般、あらゆる国や組織で考えれば当然の話です。人を動かすにも、モノやお金を動かすのも、そこに「ルール」が無ければ、誰かの類推や思いつきで執行されてしまいます。特定の人に権力が集中するのは仕方ないにしても、賢者がトップであり続ける保証はありません。
 最善・妥当な行政が行われるようにルールを設け、腐敗を防ぐ。愚かなリーダーに権力が移れば、国や組織が滅びてしまう。
 盛衰が繰り返されてきた人類の歴史を振り返れば、如何に繁栄をもたらすか、その繁栄をいかに持続させるか、そして、衰退をいかに遅れさせるか、という戦いが、人類の歴史であるとも感じます。敢えて「衰退を遅れさせる」と書いたのは、残念ながら衰退しない国や組織はない。故に、可能な限り「衰退」や「滅亡」を「遅れさせる」ために、様々な挑戦を行う。その一つの方法が、規則や制度づくりとなります。
 ルールは必要。憲法と言い、制度や規則と言い、永らく適正な運営や執行が行われていくように、夢を託すかのように、そういうものを作ることに精を出す。年を取ればとるほど、そういう気持ちになるでしょうね。これは当然であり、大切なことでもあると思います。とりあえず。
 本門佛立宗にも「宗制」というものがあり、規則もあります。これは、本当に大切なものです。今も、この改正が議論されていて、ご奉公が進められているようです。こうしたご奉公で、未来に向かって宗門が発展してゆくことを切に望んでいます。
 一方、私が個人的に思い返すのは、ウィリアム・スミス・クラーク博士の話です。北海道の札幌の観光名所である時計台は、札幌農学校の演武場として建てられたものです。その札幌農学校の初代教頭がクラーク博士でした。宣教師ではなかったのですがキリスト教を講義していたといいますから仏教徒とは全く立場が異なりますが、教育者としての彼は短い在任期間の中で大きな評価を得ています。
 特に、彼の遺した有名な言葉「Boys Be Ambitious(少年よ、大志を抱け!)」 は、全国に知られています。
 その有名な言葉を残したクラーク博士は、もう一つ、有名な言葉を残しています。私は、その言葉と、その言葉の裏側にある思想が大好きです。とても、とても、大切なことだと思います。私は大学で教育学を学びました(スポーツばっかりやっていて留年しましたが、それでも一応教育学科卒です)。その中でも、彼が若者たちに何を学び、何を伝えたかったか、それを知り、感動したのでした。
 クラーク博士が札幌農学校に教頭として赴任した際、当局は既に仮学校以来の規則を作っており、それをクラ-ク博士に示したといいます。すると、クラ-ク博士は、即座にこのような細々とした規則で生徒を縛っては 「人間」をつくることはできないと言い、そして、言い放ったのが「Be Gentleman(ビー・ジェントルマン:紳士たれ!)という一語で十分だ!」と断言したのでした。 生徒は、自らの良心に従って自らを律することのできる紳士であるべきだ、という意味だと思います。そのことを生徒に期待する、というのでした。
 あの、札幌の時計台がテレビに映ったりする度に、この言葉を思い出しますし、「規則や制度の改正」とか「改革」ということを見聞きする度に、この言葉を思い出します。
 札幌農学校の話だけではなく、私たちにとっても、この言葉の意味をかみしめたいと思います。それが、このタイトルにも書いた「Be Buddhist(仏教徒たれ!)」だったり、「Be Bodhisattva (菩薩たれ)」だと思うのです。そして、何よりも私が思うのは、「佛立教務たれ!」「佛立信徒たれ!」です。
 まず、これを胸に抱かなければダメだと思います。佛立教務や信徒としてのスピリット。「これこそが佛立である」「これこそが佛立教務である」というものを知りもせず、求めもしていないのであれば、何を知っていても、何ができていてもダメだと思います。特に、指導者層にある教務は、ダメでしょう。しかし、現実には、規則や制度ばかりが生まれて、「Be True Buddhist」「Be Bodhisattva」という本門佛立宗の教講にしか持てない誇りを見失って、周辺でウロウロしてやいないか、と心配になります。
 規則は大事、制度も大切。でも、スピリット、気概、イズムが、しっかり受け継げているか。受け継がれるように、考えているか。何も育たない不毛地帯に、立派な規則の本だけが転がっているということのないようにしなければなりません。
 太宰治は「大人とは、裏切られた青年の姿である」と言っています。もっと、コアな部分、核心を大切にしないと。ネガティブな方ばかりを見て、幻滅していても仕方ない。青年に期待して、人間に希望を持って、細々とした制度で云々するのではなく、「佛立信徒たれ!」「佛立教務たれ!」と声高らかに謳いたい。人間として、最高の生き方だと、自信を持って体現して見せたい。そうしたことを、国内のご弘通が厳しい状態であることを自覚した上で、宗門の諸機関や教育機関は動かなければならないと思うのですが…。
 いろいろと慌ただしく走り回ってご奉公させていただきながら、いろいろなことを見聞きし、そんなことを考えています。何が佛立で、何が佛立でないか。開導聖人が好かれる生き方、スタイル、考え方、人間性、ご奉公の仕方は、何か、どんなものか。考えなければなりません。思考せよ!それが大切だと思います。
 「佛立たれ」。こうしたことを考えておかないと、いつの間にやら、自分が「月明」になったり、開導聖人が学林に入られた際、馬鹿にしたり、イジメを行った学僧になっていたりする。昔、「あんな奴にだけはなりたくない」と思っていた人間に、自分がいつの間にかなっているなんて、イヤなことですから。
 素晴らしい教育者が残した言葉のように、佛立らしさを考えて、Be Buddhist, Be Bodhisattvaと言い、「佛立信徒たれ!という一語で十分だ」と言いたい気持ち。忘れてはならないことだと思います。

2010年3月21日日曜日

本化桜の開花と評議委員会

 無事に春季総回向が奉修されました。本当に、素晴らしい、あたたかい日となりました。ありがとうございます。
 昨夜は、台風のような大嵐でした。私は結局御法門の勉強が朝までかかってしまい、4時過ぎの猛烈な雨と風、そしてカミナリの音を聞いていました。
 ブラインドがあっても、カミナリの閃光がピカッと光り、その後はゴロゴロ、ゴロゴロと続きます。あまりにもすごい閃光で、思わずデータを保存しておかないと落雷でせっかくのデータが消されてしまうのではないかと、ビクビクしながら朝を迎えました。
 ところが、平成22年度の春季総回向が開始される頃には、あの雨と猛烈な風は消えていて、本当に穏やかな春を感じる日となりました。12時の時点で910名のお参詣者との報告がありました。お会式のようです。ありがとうございます。
 午後は13時半から評議委員会を開催させていただきました。妙深寺が、宗教法人法に則って正常に運営されているかを評議していただく会議です。先住時代から「ガラス張り運営」だと評価と安心を得てきましたが、年々不備な点を改善して充実した議論を重ねられるようになってきました。

 社会情勢が圧倒的に変化しています。超少子高齢化、政治の流動化、一億総中流社会と呼ばれた時代から格差社会へ、終身雇用の崩壊と非正規雇用の増加、デフレ経済から超インフレ経済に移行する予兆も、所得の減少、ワーキングプアと呼ばれる人々の増加など、恐ろしい兆候も多々あります。「下り坂社会を生きる」というテーマが、当然のように語られる時代です。頭と発想を、切り替えなければなりません。
 人も、生活も、社会も悪くなっていくという悪循環を断ち切り、この不安定な時代に「法城」を護持し、その使命を果たしてゆくために、ご信者みなさまのご協力をいただいて、ご奉公を進めています。お寺としてのランニングコスト(経費)を削減しつつ、ご弘通のためのご奉公は分厚くする。「そんなことができるの?」と思われるかもしれませんが、確実に出来ます、出来るはずです。
 「御法さまのもの」「尊い御志」という「浄財」は、社会的な背景と自坊のご弘通の状況を冷徹に考えれば考えるほど、さらに貴重極まりないものであることを痛感します。私は、外見は非常に明るく楽観的に見えるかもしれませんが、とても、とてーも、シビアで、ネクラで(笑)、悲観的過ぎる面もあるんです(笑)。
 妙深寺で考えれば、「弘通」という二文字の、「弘」は「弘める人、その機能」と、「通」では「所属する全員にご信心を通わせる人やその機能」が、まだまだご奉公が不十分です。すべて住職に責任があります。機が熟して、次の段階を迎えるまでは、もうしばらくの辛抱だと思っています。それまでは、貝のように、静かに、ご弘通の「人」を、自分の身体を使ってお育てしておきたいと思います。
 つまり、妙深寺は、評議委員会の議題を見ても、予算案や決算書を見ても、ジッとしています。評議委員会の議事録は宗教法人法に則って、神奈川県庁と税務署に報告の義務がありますが、大きな事業がありません。「コピーのリース料が10分の1になりました」「ガソリン代が安くなってよかったです」とか、そういう話。横浜市から隣地を借りて、その代金も予算に入りましたが、同時に地下鉄の看板広告を止めたりして、プラスマイナスゼロ、とか。
 しかし、今回の評議委員会で最も大切なことが2点。それは、インターネット・通信インフラの整備と、将来を見据えたソーシャル・ビジネスへの準備が本格的に始まったということです。
 古い本堂でも、とにかくインターネット・通信環境を充実させて、全世界・全地域・末寺や親会場とのネットワークを敷設できました。遠隔地のご信者さんが御法門聴聞でご信心増進できる環境。妙深寺では毎朝御法門がある。その御法門を、とにかく聴聞していただきたい。お参詣くださる大切さは変わりはありませんが、お年寄りで外出しにくくなっても、遠方で一人でも、さみしい思いはさせない。将来は、病院の枕元でも、PHSさえ用意すれば妙深寺の本堂でお助行している姿が映るはずです。病院でも、さみしい思いはさせない。
 この会議システムを使えば、ご奉公の気持ちがあっても会議に出席できないという人が利用できます。妙深寺の大半の青壮年層の職場は東京。通勤に片道1時間は必要です。会社を定時に退社できる人も少ないご時世で、この会議システムを利用して、東京にいても、会社や自宅でも、ご奉公に出仕できるようになりました。もちろん、身体を使った本番のご奉公では、インターネットでは済まされませんが(汗)。とにかく、ありがたいシステムが完成・完備されました(お寺がボロだけど。とにかく、人づくりのためです)。
 本堂の24時間配信システムと、ガラスの間の会議システムは、どれほど喜ばれているか分かりません。国内だけではなく、シンガポールとも、ずっとつながれる。本当に、感謝されています。その素晴らしい機器とシステム。総工費数百万円もしたのですが、今回、石田さんが、御有志してくださることになり、今日の評議委員会で発表されました(涙)。本当に、なんと申し上げて良いか。言葉が見つかりません。わがままばかりを言って、急がせたり、仕様を変えてくれとか安くしてくれとか、無理なお願いばかりをしていたのに、最後の最後になって、石田さんからの御有志としていただくとは。本当に、言葉がありません。ただ、ひたすら、ありがとうございます。
 もう一つ、将来を見据えたソーシャル・ビジネスへの準備というのは、やはり、この「下り坂社会」の中で、お寺が果たすべき機能、本来お寺にしかできない役割や使命を追及してゆこうというプロジェクトです。特に、「食」や「教育」について考えて、佛立プリンシプルの下で、しっかりと推進してゆきたいと考えています。まだまだ、準備段階ですが、見えてきました。ムハマド・ユヌス氏のように、しっかりと社会の一人一人を見据えて、実現可能で、一回の寄付などで終わらず、半永久的に人々の生きる支えになり得るように、進めてゆきたいです。妙深寺を母胎として、こうした理念を持った人や社会的な動きが飛び立ってゆけばと夢を抱きます。
 ムスリムの発想ではなく、仏教徒がもたらす真のソーシャル・ビジネスの姿が見てみたいと思うのです。
 今は、そういうご奉公。評議委員会でも、最後のご挨拶でこのようなことをお話ししました。これから、さらに社会状況が悪化するかもしれませんし、日本国の経済的な沈下、人々の暮らしの不安定さはますかもしれませんが、だからこそ、「ご信心をしていてよかった」と思えるように、その中心にある妙深寺を護持・発展させてゆきたいと思います。細心の注意を払いつつ。
 本化の桜が咲きました。4月4日まで散らないで。いや、「散りますと花のいふのを聞いて飲め(御教句)」ですね。
 ありがとうございます。

2010年1月27日水曜日

未来宅急便

園美さんの掲示板に、「未来宅急便」なるもののことが書かれていました。私は、そんな素敵なサービスがあることを知りませんでした。

10年前に出した宅急便が昨日届いたということです。小さかったご長男の宗之くんが書いたものや作ったもの、お祖母さまやお母さんが書いたお手紙が届くなんて、あまりに素敵です。

宗之くん、感激しただろうなぁ。照れていたかなぁ。それでも、なにか、あったかいものが心に生まれたんじゃないかなぁ。園美さんは、素晴らしいお母さんですね。

時間は、素晴らしい薬です。時間は、素晴らしい先生にもなります。取り戻せないから、時間は、圧倒的な力を持って、私たちに教えてくれることがあります。

最近、人間とは、つくづく、「今」が、見えないものだ、と思います。「今」とは、感情や立場や状況によって影響を受け、左右され、情報も限られていて、「真実」や「真理」「真相」が見えなくなるものです。時間が経たなければ、「真実」は見えません。それこそ、人間の、最も愚かで、哀れなことだと思います。私たちが、「仏」と最も遠くなってしまうのは、こうしたことが理由ではないでしょうか。

今、政治の世界で大変な騒動が起きていますが、誰にも真実や真相が分かりません。真実を明らかにするはずの検察も、政治的な意図が見え隠れして、情けなくなります。小沢一郎氏も、断片的な説明に終始していますから、何らかの問題があったに違いありません。

しかし、今回の騒動で、「国民の知る権利」を果たそうとする記者の存在やその取材が、真相を明らかにするどころか、世論を操作するためだけに機能しているようで、また情けなくなります。「記者クラブ」というシステムの悪弊か、過熱する視聴率競争の結果でしょうか。明らかに、取材ではなく、意図的な情報のリーク、つまりメディアを使った世論の操作が、平然と、公然と、行われているようです。なぜでしょうか。

小沢氏をかばうつもりなど毛頭ありません。彼に限らず、今はまだ、政治がそれほどクリーンに行われているとは思えません。しかし、こうした政争や権力闘争の中で、政治的な意図によって、「今」を操作しようとする、操作しようとするだけではなく操作できてしまうこの国に、危機感を持つのです。恐ろしいし、愚かで、情けない。今回の騒動は、日本という国の断末魔のように感じます。

新聞は、また信じられないレベルまで堕ちてしまいました。テレビは言うに及びません。報道番組は観るに耐えない。メディアシンジケートの悪循環、巨大化した複合メディア企業の政治的な偏りは一層顕著です。そこから配信される情報は劣化し、信じるに値もしない。情けない限りです。

「ブッシュの戦争」で経験した悪夢のようなメディア戦略や世論操作で、誰もが気づき、反省したと思っていましたが、違うのでしょうか。「小泉劇場」のように、またヒステリーか一時的な熱狂か、幕末の「ええじゃないか」と踊り狂う不安に満ちた民衆のように、一方に走り出しかねないと心配です。

「今」を見ようと思っても見えない。見えないようにしている、いや、政治的な意図によって、あるいはメディアのマネジメントにある人、資金や権力を持つ人や団体の、思想や信条によって、一方しか見せなくする。こうしたことによって、私たちは混乱を深めます。もちろん、見なくてもいいこと、知らなくてもいいこともあります。しかし、メディアの立場、国家権力とメディアの関係において、こうした意図的な操作があるとしたら、本当に不幸なことです。「狂人走、不狂人走」となるのも容易になります。

国家の繁栄と人々の幸せを希求するのは誰しも同じです。しかし、そこに保守と呼ばれる方々や団体、右翼の方々も、社会主義と呼ばれる方々も、左翼の方々もいます。在日と呼ばれる方々もいます。日本は、いま、大きく二極化しながら闘争を激化させているのでしょうか。その裏舞台は分かりません。しかし、表舞台で、正々堂々と議論を重ねていただきたい。意図的な情報のリーク、世論の操作なと、暗澹たる気持ちになります。こうしたことが国民の精神を蝕んでいると思います。

いずれにしても、つくづく、私たちには「今」を見る力が欠落していると痛感します。テレビに出ているコメンテーターも、雇われの身。何かを期待しても無理なように思います。本当のジャーナリストは、独立系メディアの中にしかいないのではないか。記者クラブから追放されたり、省庁出入り禁止措置を受ければ取材できませんが、本当のジャーナリズムを追求するなら覚悟しなければならないのではないかと思います。

つまり、私たちは、時間が経たなければ、真実が分からないと思うのです。「いつか、真実は明らかになる」とは、こうした意味ではないでしょうか。

過去ばかり見ているのは良くありませんが、そこから見渡せば、きっと真実が見えてきます。「今」だけで生きている人は、どこか薄くなります。「今」を、どうにかして誤魔化しても、必ず真実は明らかになる、明らかになってしまうことを知らなければなりません。

開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひにあらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌をお遺しくださっていますし、日聞上人は「置いて見よ」とお示しです。一度、置いてからでないと、分からないことがあります。いろいろな物事を、「置いてから見てごらんなさい」と教えてくださっています。「御利益は三年経って振り返れ」とも言います。「今」は、分からない。まだ、分からないことがある、と。

未来宅急便、いいですね。僕も、子どもたちに手紙とプレゼントを送っておこうかな。大切なことを伝えたいし。自分に何かあって、10年後にこの世にいなくなっていても、未来宅急便が父親から届くなんて、本当に素敵です。ご信心のことやご奉公のことを教えたいし、父の思いを伝えておきたい。未来宅急便なら、伝えられるし、伝わりそうです。

妙深寺にも、未来宅急便を送ってみたいです。どこまでご弘通が進みましたか?異体同心でご奉公できていますか?とか。でも、僕がいなくなって次のご住職がご奉公されていたら、ちょっとご迷惑かもしれません(汗)。そんなことを、園美さんの掲示板を読んで考えさせていただきました。

とにかく、「未来からの眼」、「過去からの真実」を意識して、「今」を、精一杯、生きてゆきたいものです。未来の人に、誤魔化しはきかないでしょうから。宗門のご弘通が衰えていれば、未来の人から、「あの時代は暗黒の時代」と言われたり、今はおだてられていても「暗黒の時代の教務さん」と責任を問われるかもしれません。未来が楽しみです(笑)。

未来宅急便、本当に素敵です。私は、今から約20年前、開導聖人100回御遠忌の時、「未来へのメッセージを残そう!」という企画で、父が書いてくれた小さな石のプレートを大切にしています。

そこには、「息子よ、頼むぞ!未来に輝く佛立のために」と書いてありました。大切な、父からの未来宅急便です。そこに書かれた父からのメッセージを胸に刻んで、生きていきたいです。

さて、今度は私から息子たちへのメッセージ。何を書こうかな。

2009年12月24日木曜日

クリスマスイブの待合室

 今日は、朝参詣が終わった後、すぐに横須賀まで走りました。目の前に横須賀港が広がると、巨大な潜水艦が3隻停泊していました。いつもよりも1隻多い。年末だからなのか、大きな艦船がたくさん並んでいました。あ、世間はクリスマスイブだからかな。
 今日、横須賀に来たのは病院に行って診察を受けるため。定期的にチェックしなければならない部分があるのですが、忙しさにかまけて3年ぶりになってしまいました。これじゃまずい、と思い、いろいろなことも重なっていますし、予定を探して、今日の診察となりました。
 診ていただくのは先住(父)も診ていただいていた先生で、もう10年以上お世話になっています。いろいろなことがあり、私は心の底から信頼しています。本当に、素晴らしい先生です。
 先住の闘病の際、うちひしがれる私たち家族に対して、懇切丁寧に対応してくださいました。私のご奉公、先生の朝から晩まで患者に向き合う姿、手術の日には10時間近く執刀することあれば、外来で何十人もの人と向き合う、入院中の方々の回診をされる、そんなすごい医師、先生の姿に学ばせていただいている部分があります。
 いつも突然のお願い。勝手な時間になってしまいました。予約してくださった瓜生さん、そして藤田さん、ありがとうございます。
 昔、意識不明の父の看病をしていた頃のこと。床擦れを防ぐクッションを買いに行きました。そうしたグッズが高島屋にあるということで、病院から横浜駅に行ったのです。
 重苦しい病室から一転して、賑やかな高島屋の店内。その一角にある小さなお店。その小さな店内で介護用品を探している私たち。数人、同じように看病に疲れておられるような方々がおられました。賑やかな世の中とのギャップが痛切に感じられて、何故か涙が浮かびました。あの時のこと、その情景、気持ち、忘れられません。いや、忘れないようにしています。
 今日、病院でよかった。仏教徒である私には何の関係もありませんが、世の中は「クリスマスイブ」という賑やかな日だから。だからこそ、病院に行けて良かった。クリスマスイブ、そういう日にも、ここには病気で苦しむ人がいて、それを見守るご家族がいる。体調が悪かったり、病気を抱えていたり、不安だったり、元気がなかったり、心が晴れないであろう多くの方々と一緒に、待ち合い室に並んで座れて、よかったです。
 私は、ジョン・レノンが好きです。彼の才能、曲や声が好きなのは当然のことですが、それ以上に、彼の考え方や生き方に共感しますし、感銘を受けています。
 「レノン・レジェンド」というDVDがあります。オノ・ヨーコさんが映像・監修をされたものですが、この中に、ジョン・レノンのクリスマスソングである「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が収録されています。これが、猛烈な、痛烈な、辛辣な、哀しいほどの皮肉に満ちていて、はじめて観た時、僕は涙が出て仕方がありませんでした。
 その、曲の、綺麗な旋律が流れる直前、彼女と彼は、自分の子どもたちの名前をささやきます。そして、ジョン・レノンのクリスマスソングが始まる。
 しかし、そのクリスマスソングの映像は、冒頭から、キラキラと輝くクリスマスツリーや電飾などを映すのではなく、足を地雷によって吹き飛ばされた少年、戦闘に巻き込まれ、誤爆(そんなものは最初からないと思っていますが。確信的爆撃以外に何があるでしょう)され、死にかけた子どもたち、憎しみに燃えた少年たちの瞳、そのベッドの傍らで途方にくれる父親、民族衣装を着た老人が毛布に包まれ足だけ見えている赤ちゃんの死体を抱きながら震えながらむせび泣いている映像、死体、涙、喧嘩、兵隊、子ども、赤ちゃん、爆弾、硝煙、死体、死体、兵士、埋葬、涙、戦地、別れ、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、戦車、人間、人間、人間…、涙、涙、涙、死体、少年兵、貧困、飢餓、子ども、子ども、と続きます。
 世の中、こんなに浮かれてるのに、クリスマスだとか、正月だとか、それらを祝っているのに、一向に愚かな戦争は終わらないじゃないか、なにがクリスマスだ、なにが正月だ、傷ついている子どもたちを見よ、嘆き悲しんでいる家族を見よ、苦悩する人々を見よ、これでもか、これでもか、これでもか、と、目を背けたくなるような映像が続くのでした。私には、これが彼らによる一流の皮肉、メッセージだと思います。
 誰もが、多くの戦争や紛争が宗教によって引き起こされてきたことを知っています。中でも、私は、イエスが「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは、敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして、 自分の家族の者が敵となる。」と、その聖書の中で明言しているとおり、多くの愚かな紛争が旧約聖書を起源とするユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教によって引き起こされてきたと考えています。
 この聖書の言葉でも明らかなように、特にイエスによって創始されたキリスト教によって、植民地支配や民族間、宗教間の争いが助長されてきたと考えていますし、それは歴史的な、時事的な面でも、事実だと思います。なんといっても、「私が家族に平和をもたらしに来たと思うな。私は家族に争いをもたらしに来た」ということを言っているのですから。
 だからこそ、この曲と、この歌詞、この映像の、何と皮肉に満ちたことか。明らかに、強く、世界に、多くの人々に、何を祝ってるのか、何をやってるのか、何をやらなければならないのか、と再考を促しています。私は、そういう意図があると確信しています。それを考えずに、「メリークリスマス」などと言って乾杯しているのは、愚かの極みではないでしょうか。それで大丈夫でしょうか。おかしくないでしょうか。
 「正しい信を持たないかぎり、この世界が抱えている問題は解決しない。穏やかな、平和な日々が訪れることはない」。これが答えです。仏教の帰結するところ。これが結論です。立正安国論で説き明かされた御意です。「平和ではなく剣をもたらすためにきた」というイエス。その誕生を祝って、今夜はクリスマスをするのですか?是非、このリンクから、あなたも映像を観てもらいたい。もちろん、「メリークリスマス」と曲の中には出てきますが、その深い意図を、考えてみていただきたい。
 私は、今日や明日という「クリスマス」という期間や日を、「仏教再考の日」にしてはどうかと思っています。これを言うと笑う人がいますが、冗談じゃないんです(笑)。「仏教最高の日」でも「仏教再興の日」でも良いのですが、とにかく、今一度、キリスト教と、その宗教、今の世界、紛争、命、人類、人間というようなことを考え、そして、仏教の教えるところを考えていただきたい、仏教の尊さを考えていただきたい、仏教こそ、人類の宝であることを考えていただきたいのです。そういう日に、してはいただけないでしょうか。やはり、冗談に聞こえるかな(汗)。
 自分の病院の後、待ち合わせをして別の病院にお見舞いに行ってきました。やはり、重苦しい病室の中でしたが、意識が混濁しておられる方の手を握り、ご家族と一緒に御題目をお唱えしていると、苦しみも哀しみも、一つになって溶け出し、幸せや喜びに代わっていくのを感じます。最大の不幸も、幸せへと変わる。そうでなければなりません。
 そして、横浜に戻りました。夕方の空の色が、あまりにも綺麗だったので、写真を撮りました。本当に、地球は美しいです。かけがえのない、美しさ、尊さです。ここに、住まわせていただいて、本当にありがたいと思います。私たちの愚かさで、壊すことのないようにしてゆきたいものです。
 本当に、日々に感謝。美しい空、星、人々に、感謝です。
 ありがとうございます。では、PCでも携帯電話でも最近は観れるようになってきましたので、ジョンの曲をお聴きいただきたい。お坊さんが、クリスマスソングを勧めるのは変?謗法?いや、だからこそ、菩薩の誓いを、ご弘通の使命を、噛みしめていただきたい。

2009年10月16日金曜日

難民キャンプの映像

 先日、難民キャンプ内でのご奉公の模様をまとめて、You Tubeにアップして観ていただこうと思った。編集が完了したので、ここに再アップしてみる。

 映像の最初の部分、約2分間。あえて、車窓からの映像を残してもらった。延々と続くテント。その規模の大きさを観ていただきたくて。難民キャンプ内でのご奉公を10分にまとめることはとても難しいし、頑張っても17分だった。それを10分にまとめた。最初の部分はカットする対象なのだが、それでも観ていただきたいと思った。

 現在、スリランカには3つの巨大な難民キャンプがある。今回私たちが訪れたのは「Settikulam」と呼ばれる難民キャンプ。ここに7万世帯が生活している。スリランカ全土で約28万人のタミル人が難民キャンプ内での生活を余儀なくされているという。

 難民キャンプには通常、外国人はおろかスリランカ人も入ることができないという。「支援者ならば入れるだろう」と考えるところだが、そうではない。度重なる検閲を受けなければ、UNICEFやWHOやUNHCRの車両とも行き違ったが、そうした団体のスタッフでも入ることが難しい。支援金はコロンボでのみ受け付けられ、支援物資もスリランカ政府によって管理・運用されているとのこと。

 今回、現地信徒の方々のご協力をいただいて、本門佛立宗のみなさま、宗門をはじめ、義援金を送ってくださった方々に代わってご奉公させていただくことができた。本門佛立宗による「スリランカ内戦難民義援金」を、スリランカ本門佛立宗のみんなが、最善の、顔の見える支援、継続的な支援、御題目の下種、ご弘通に繋がる支援を目指して検討し、実現までたどり着いた。

 お役中(スリランカ本門佛立宗の役員)の方々は、Naita(National Apprentice & Industrial Training Authority)と交渉し、視察を行って支援方法を決定してくれた。このNaitaの会長、アマル氏は御本尊を護持するご信者である。Naitaは難民キャンプの中で、青少年に職業訓練を行っている。その機関を通じてスリランカHBSとして、机付きの椅子を300脚、子どもたちには50個の玩具セット(ノートとペン等を含む)を寄贈。

 最初に子どもたちが集まる場所へ向かい、玩具セットを一つ一つ子どもたちに手渡しした。シンハラ人とタミル人は使用する言語が違う。つまり、彼らが話をするのにも通訳を介さなければならない。コロンボ市内ではそのようなことはないのだが、この地域、特にLTTEが支配していた地域となれば言語が異なっている。当然ながら、私も全くはじめて聞く言語で、案内された小屋の中に入って少し戸惑った。

 おもちゃを渡した後、ごく簡単に、御題目を唱えてくれるように呼びかけさせてもらった。あまりにも小さな子どもたち。歌を歌うように、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えてほしいとお願いした。

 次にNaitaで勉強している青年たちが集まる場所へ向かった。すでにHBSにより寄付された椅子に座っており、「昨日まで地べたに座って勉強していたのです」という言葉に、有難さがこみ上げてきた。

 難民キャンプで行ったスピーチ。今回、何点か写真を用意した。「富士山」「B29」「横浜大空襲直後の横浜の空撮」「スリランカ信徒が横浜に来た時のランドマークタワー前での記念写真」。話す内容を組み立てる前に、このタミルの人たちが25年以上受けてきた苦しみ、哀しみ、怒りなどを想像した。そして、いま置かれている困難な環境、状況について。彼らは、シンハラ人や政府を憎んでいるだろう。戦争によって愛する人を失った人もいるだろう。ヒンドゥーを信じ、仏教を憎んでいるのだろうか。仏教の僧侶が行って、何を語ればよいか。逡巡と考えながら、スピーチを考えていた。簡単に要約すると、下記のようなお話をさせていただいた。

 日本から来た仏教僧の長松清潤です。みなさんは、日本を知っていますか?(知らない人も多かった)。これは日本にある富士山の写真です。綺麗な山です。この山に象徴されるように、日本はとても美しい国です。

 しかし、約60年前、日本は大きな戦争をしていました。相手はなんと米国、アメリカです。信じられますか?その戦争、第二次世界大戦によって、私たちはすべてを失いました。これが、戦争直後の私の住んでいる街の写真です。ご覧のように、私たちは、この戦争によって、家も、家族も、水道も、学校も、何もかもを失いました。

 第二次世界大戦の戦勝国は、戦争に負けた日本に対してペナルティーを求めました。しかし、サンフランシスコで行われた講和会議の中で、スリランカを代表してジャヤワルダナ大統領(当時は違うが)が、『憎しみは憎しみによって休息を得ることはない。慈愛によって休息を得る』というブッダの言葉を用いてスピーチをしました。そして、彼らは日本からのペナルティーを取りやめたのです。

 私たちは、このブッダの言葉どおり「憎しみ」や「復讐」にフォーカスせず、「未来」と「自分自身の努力」に眼を向けました。そして、この写真(ランドマークタワー前での記念写真)のように、見事に復興と発展を手にしたのです。

 みなさんも同じです。いま、皆さんは苦しい状況にあられると思います。しかし、日本と同じように、あなた方も憎しみや復讐に眼を向けず、未来や自分自身の努力にフォーカスしていただきたい。必ず、あなた方のこの地域、この国も、復興し、発展していくことでしょう。そうすれば、あなたの抱いている夢は実現すると信じます。

 その、あなたの努力や夢をサポートするアイデアをお伝えしたいと思います。私は仏教の僧侶です。そのアイデアをお伝えしたいと思います。

 日本はアジアの東の果てにあります。その日本は、いわばアジアの「孫」のような存在です。なぜなら、私たちの国はインドや中国の文化の影響を色濃く受けていて、その文化の産物として独自に発展してきたからです。いわば、インドやスリランカはお祖父ちゃん、中国はお父さん、日本は孫なんですね(少々単純化し過ぎているが、導入する意味で用いた表現)。

 ブッダは、インドで生まれました。ブッダはヒンドゥーの文化から生まれたのです。ヒンドゥーがなければブッダは登場しなかったかもしれません。ヒンドゥーが母、ブッダが息子といえます。息子が困っている親をサポートする、助けるのは当然のことだと思います。しかも、ブッダは息子たちの中でも、最も優秀な息子です。本当に、素晴らしい息子なのです。親を助ける、素晴らしい息子です。

 難しいことは申しません。ブッダは、未来に向けて努力する私たちに、尊いマントラを残してくださいました。このマントラは、ヒンドゥーの神々も尊敬して止まない、尊い、最もパワフルな、幸せの種が詰まった不思議な呪文です。もし、あなたが努力をし、成功を願っているのなら、このマントラを唱えてください。必ず、このマントラは、あなたを幸せに導いてくれるでしょう。そのパワーが、あなたを支えてゆくでしょう。

 この白板に、そのマントラを書いてみます。これです。「Namu Myo ho Ren ge Kyo」。タミル語でも書いてください。さあ、練習しましょう。「ナムミョウホウレンゲキョウ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」。さて、この御本尊、ダルマカヤに向かって、一緒に唱えましょう。私は、ここで皆さまの幸せと成功を祈ります。一緒に、唱えてください。

 私たちの父や母も、祖父や祖母も、同じように苦しい戦争を体験しました。愛する人も失いました。生活の苦しみを味わいました。心に怒りや憎しみが湧き起こって当然です。しかし、私たちの両親や両祖父母は、そこに止まらなかった。そうしなかった。未来と、自分たちの努力にフォーカスしてくれた。そして、いま、幸せを手にしています。

 どうか、このことを忘れないでいただきたい。そして、その努力が報われるように、今日お教えしたマントラは、必ずあなたを幸福に導きます。パワーを与えてくれるでしょう。どうか、このマントラを唱えて、日々に努力していただきたい。必ず幸せが訪れます。

 以上のようなお話をさせていただいた。御題目の唱え方を練習し、予測不能の海外弘通の現場を想定して特に御染筆いただいた大御本尊をお掛けさせていただき、お看経の一座を奉修した。

 このHBSの支援活動に対して、スリランカ警察の代表者も絶賛してくださった。また、Naitaの関係者、現場の教師たちも大変に喜んでくれた。また、必ず、この地を訪れ、支援活動を継続していきたい。彼らが、憎しみや怒りのままに生きてゆかないように。もちろん、シンハラ人に対しても、ご信心を伝えてゆくことが欠かせない。継続した支援活動、弘通活動を行ってゆきたい。

2009年7月25日土曜日

ロッコ・ブランディ君からのメッセージ

 青少年の一座に、各国からメッセージが寄せられ、実行委員会の広報部が作成してくださっているウェブに次々紹介されている。ぜひ、ご覧いただきたい。
 ホスト支庁である九州の御導師方をはじめ、ブラジル、スリランカ、韓国、イタリアの佛立青年からのメッセージが並べられている。一つ一つの文章から、何とも言えない彼らの気持ちや情熱、ご信心やご弘通への熱い思いが伝わってくる。
 イタリア本門佛立宗からは、ロッコ氏がメッセージを寄せてくださった。フィレンツェの良誓師から送っていただいたのだが、私がご奉公させていただいた時の記憶では、彼はとても明るい青年。文章を拝見して、こんなに深くご信心を捉えておられたのかと、あらためて感心した。有難い。
 青少年の一座のウェブページを是非ご覧いただきたいと思うが、どうせなのでここでも紹介させていただきたいと思う。
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 ロッコ ブランディ(イタリア在住) 34歳です。私はちょうど20歳の時に日蓮聖人の教えに出会い、3年前にイタリアで本門佛立宗に入信させていただきました。御題目口唱と御講に参加させていただいたおかげで現実に向き合う勇気をいただきました。
 青年時代、人はそれまで味わったことのない様々な問題に直面してゆきます。誰もが困難を乗り越える強さを持ち、それを堪え忍べるとは限りません。そんな時、多くの人は最も簡単な方法として、目の前にある苦しみや困難に背を向け、一瞬の喜びや快楽に、逃避できる場所を探してしまうでしょう。隣に苦しむ人々や問題を抱えた人々がいても無視してしまうこともあります。
 これらは深い罪障です。なぜなら、もし現実を理解することなく、困難から逃げる癖がついてしまえば、幸せになれるチャンスを遠ざけていることになります。人生が私たちにもたらす出来事を認識し、把握することは難しいものです。御仏は、現実を理解する力が欠けているか間違った認識をする“無知(愚癡)”こそ第一の苦しみの原因であると教えておられます。
 しかし、私たちは勇敢に現実を直視できるはずです。そのためには多くの勇気が必要ですが、それもいつもあるとは限りません。ありがたいことに、私たちには御本尊さまがあります。御法さまは、全てをはっきりと見せてくださり、私たちに強さを与え、あらゆる場面でサポートをくださり、私たちを苦しめるものを変え、困難を通じて心を磨き、どうしたら人を助けることができるかを教えてくださいます。
 良誓師から教えていただいたお陰で、私は人生で遭遇する様々な場面に現証の御利益、幸せの種が隠されていることを知りました。勉強や仕事をしっかりする、自らの責任を果たす、信行の実践に努める、私たちの家族や友人を大切にする、私たちの身の回りにある職場や環境、そこにいる全ての人々を大切にする中に、幸せの種があることを体感しました。
 私たちがご信心によって生き方や見方を変えてゆけば、夢は日を追う毎に実現に近づいてゆきます。信行ご奉公をさせていただく人生であれば未来に起こる(現時点では起こっていない)事を案じることもなく、また過去に起こったことを悔やむ事もなく、「現世」をありがたく、感謝して生きていけるのです。若い人たちにとって、信心増進に踏み出す勇気を見出すこと、日々絶えず心から願うこと、人生の中で出会う人々を助けることは大変大切なことです。私たちが“もうこれ以上前には進めない”という困難に遭遇した時、自らの弱さを感じた時こそ、自分考えや我を捨てて御題目を唱えさせていただきましょう。本門佛立宗に関わるすべての方々とともに支え合い、ご本尊にいらっしゃる御仏(御法さま)の御力によって必ず助けてくださいます。
 今日、世界中の人々の暮らしの中で急進的な変化が必要とされていると懸念されています。そうした中、人々は様々なかたちで互いに影響を受けています。しかし、真の安定と恒久性を持った変化とは、政治的な活動や経済政策から生まれて来るものではありません。「世界の平和(Global peace)」とは、外から押し付けられるものではなく、“人間”によってもたらされなければなりません。なぜなら、あらゆる不安の始まりは人間の心の中に存在するからなのです。「世界の平和(Global peace)」は、多くの「個の平和(local peace)」が積み重なってこそ、ゆるぎないものとなります。
 「個の平和(local peace)」とは、真っ直ぐに人生を見つめ、心と魂を磨き、他の人々を大切にして生きる、と決めた一人の人間によってもたらされます。世界中のどこであろうと、そこに法華経(Lotus Sutra)のご信心をされる男女がいて、御題目を唱えていれば、そこに「個の平和」があります。御法(Dharma)が流布によって、尊い光明が世界全体を覆ってゆきます。これこそ人類を救済するために必要な唯一無二の進むべき道です。
◇原文英語によるメッセージ
My name is Rocco Brandi and I’m 34 years old. I met the Buddhism of Nichiren Daibosatsu when I was 20 and 3 years ago I joined HBS Italy.
Thanks to the practice of Odaimoku and the attendance of the Oko-meeting I’ve found the courage to see the reality for what it really is. During the youth-time happen to face up to several problems for the very first time. Not always one feels to be able to deal with the difficulties, to have the strength to get over them and to handle the suffering that they carry on. In this case the simplest way that one can act is to turn the head to the other side, seeking refuge in ephemeral and transient pleasure. Otherwise we ignore the sufferings and the troubles of the people next to us. This is an hard sin, because if we make the habit of escaping from problems, without realizing it, we start to avoid also what could be an opportunity to be happy. We couldn’t be able to recognize and catch the occasions that life offers us.
The Buddha teaches us that the very first cause for suffering is “ignorance”, meaning the lack of knowledge (or wrong knowledge) of reality. But we would be very brave to see reality straight in the eyes, it requires a lot of courage and we not always have it. But luckily we have the Gohonzon that allow us to see clearily and give us strength and support in every occasion and allow us to transform what make us suffer and to forge our souls through difficulties, so we can learn how help other people .
Thanks to the lessons of rev. Ryoseishi I’ve learn that the secret for happiness is TAKE CARE of the various aspects of our life: take care of studies or work; take care of our own responsibilities; take care of our own practice and faith ; take care of our family and friends; take care of the member of our community and the the environment in which we live. If we develop this attitude we’ll be able to build day by day a future where all our dreams will be accomplished. If we learn to take care of life, we’ll be able to fully live the present moment, the “here and now”, with no regret for what happened in the past and without anxiety for what could happen in the future.
It’s very important that young people find the courage and the constancy to realize every day their dreams and to support their friends in their path. When we feel that we can’t go ahead, or we lack of strength, then don’t hesitate to abandon ourselves in the sound of Odaimoku, to take refuge in the arms of the spirit of the Buddha that lay in the Gohonzon and to support each other with the member of our community
In all the world it is warned the need of a radical change in the way of live of people, in the way they interact between them and with the environment. But a change that could be stable and lasting can’t come out from policy or economic choices. Peace can’t be imposed, it must be conquered by every single human being, because first of all darkness lays in the heart of people. “Global peace “ could be stable only if it will be the sum of many “local peace”.
A “local peace” is made by a single person who decide to adopt a straight vision of life, to purify his heart and to take care of the people around him. Everywhere there is a man or woman that embrace the Lotus Sutra and invoke the Odaimoku, there can exist a “local peace”. Through the spread of the Dharma this areas of light (the light of Buddha), will cover the entire globe. This is the only concrete path for the salvation of the humankind.

2009年7月21日火曜日

解散しましたね

 すでに、今日から京都でのご奉公。雨が激しく降っている。山口県では大雨の被害が出ているようだ。新幹線も運転を見合わせているらしい。
 今日は、天候だけではなく、政治の世界、日本という国家も荒れているようだ。いや、荒れているかは分からないが、とにかく衆議院が解散された。これから、「センセイ」は「普通の人」になり、国民が責任を果たすべき時が来る。
 それにしても、解散直前の政治家の方々の動きや発言には、驚いたり、感心したり、「はぁ~」とあきれたり、あまり楽しんではいけないのだろうが、「政治ショー」と言ってもいいくらい次に何が起こるか分からないから注目を集めただろうと思う。ピントのズレた人やら、やや良いこと言っているような人やら、パンチの強い人、トンチの強い人、どっちもない人など、いろいろな御方がおられるのだと、改めて実感した。
 メディアの責任は重大だ。「本当のジャーナリズム」について、私は懐疑的で悲観的だが、メディアが負う責任の重さは変わりない。政治家の方々の発言や街頭インタビュー、コメンテーターの発言など、いろいろなことに対しても、ある程度の指標をもっておかなければ迷ってしまう。右往左往してしまう。
 押しの強い人、賢そうな人、しっかり政治的な計算をして喋る人、全く計算なしで喋る人などがいると思うが、とかく「人」で判断すると間違う。「人間性」は、とても大切な要素だが、もっと深いところを見て、判断していかなければならないと思う。
 私たちのご信心でも、「法面人裏」と「人面法裏」ということがある。「御法」を表にして「人」は後ろに。「人」が表に出て「法」が後ろの時代じゃない。しっかりと、「法」で、いかないと。「自灯明」「法灯明」という御仏の御遺言もある。
 人気のある人が出てくると、全てがチャラになるような部分があるから怖い。そうじゃなくて、今回はもっと冷静に、と思う。私たちは、長い目で、問題の本質を見据えて、これから出てくる「法」を見据えて、選んでいかないと。
 私は、支持政党は全くないが、今の日本にとって必要なのは「変える」「変われる」ということなんじゃないかとは思う。
 とにかく、これから政治的な駆け引きよりも、それぞれの地元で天下分け目の選挙戦が始まる。私たちも、しっかりしなければ。

2009年7月14日火曜日

夏期参詣が始まった!

 13日から夏期参詣が始まった。今年も、一番暑い季節に行われる夏期参詣。毎朝、たくさんのお参詣者と一緒にお看経できるなんて、なんて嬉しいことだろう。
 社会情勢も混沌としている。解散・総選挙の「予告(?)」もあったし、円高と株安が急速に進んでいる。ここにきて、インチキな情報が世界を駆けめぐっている感もある。しっかり、良好な視界を保って、覚悟をして過ごさなければ。政治でも経済でも、一般的には見え隠れするだけだが、今やなりふり構わぬ狂気の沙汰が横行している。インチキどころか、何でもありの様相。いつも言っていることだが、極めて厳しい状況を前提に、備えておかなければならない。
 来年、日本は大インフレに陥る可能性もある。公的資金の注入でゾンビ企業と「土建立国」当時の企業もギリギリの息を吹き返した。せめて、この猶予期間に、経営者らが死にものぐるいで為すべきことをしたならいいが、多くはわずかな延命処置、その日を先延ばしにしただけになっている。やはり、実体(?)経済と雇用の悪化などは、来年本格的になるのではないかと思ってしまう。
 ここまでくると、昨年の9月に解散前提で誕生した麻生政権や自民党や官僚トップらは、合意の上でないにしても、一度民主党に政権を渡すことを前提に「バラマキ」をしたのではないかとさえ思ってしまう。つまり、民主党に政権を譲らざるを得ないことは自明のことで、それならば民主党政権になって、1年弱で世論が沸騰して民主党が政権を投げ出さざるを得なくなるように、時限爆弾をセットしたのではないかとすら疑ってしまう。そのくらい、これまでの政策は、来年には効力を失う、あるいは延命や先延ばしによって様々な指標の悪化は来年度にずれこむ。はたしてどうなるか。
 とにかく、負けるわけにはいかない。誤魔化されるわけにもいかない。悲観的になって気力を失うのではなく、危機感を力に変えて、泥臭くても、コツコツと手を打ち、戦略を練り、立ち向かわなければならない。立正安国論上奏750年の年。こうした混乱や困難を、「今年でよかった」と思えるようにしていただきたい。つまり、お祖師さまの教えによって、これほどまでに事前に危機感を抱かせていただけたこと、それによってフンドシを締め直して何事にも立ち向かえたと言えるようにしなければならないと思う。
 日曜日の夜には野崎家のお通夜のご奉公があり、月曜日には告別式となった。月曜日の朝から夏期参詣がはじまった。この厳しい修行により、おはからいをいただかれる方々が大勢おられるはずだ。月曜日には各教区から上半期のご奉公報告もお聞きした。各教区丁寧にご報告くださった。御正当年でもあり、一つの教区で7~8のお教化が成就したとのご報告が有難かった。
 今朝は、夏期参詣の特別ご奉公として、住職の日程を事務所前に張り出し、個別にフリートークができるようになった。空いている時間を全て書かせていただいて、いろいろなご相談やお話ができる。御正当年だからこそ、ご信者ではない方でもお連れいただきたい。
 とにかく、夏期参詣がはじまった。本気で、挑んでいただきたい。

2009年7月12日日曜日

立正安国論750年 選挙に行くべし

 7月16日は、立正安国論の750年御正当の日。

 私たちは、お祖師さまが、なぜ、文応元年(1260年)、当時に日本の最高権力者だった元執権・北条時頼に提出したのか。今一度ふり返るべきだろう。

 大混乱の世相。その混乱の原因、人々が苦悩する原因を、宗教者・仏教者として深く憂慮し、御仏の教えの中に答えを求め、政治と宗教のあるべき姿を訴えた。

 お祖師さまは「立正安国論」を提出するにあたって、今後は穏やかな生活など二度と送れないであろうことも弟子や信徒が離反していくであろうことも予測できたはずだ。事実、「怨嫉」と呼ぶ中傷や迫害が相次ぎ、伊豆や佐渡への流罪に遭うお祖師さまを疑って教団は離散してしまう。しかし、予測できたにもかかわらず、お祖師さまは立正安国論を提出された。

 そこまでのお祖師さまの覚悟を、感じなければならないと思う。なぜ、と。お祖師さまは苦悩する人々を見過ごして、山林や僧坊の奥に閉じこもるなど絶対に選ばなかったのだから。傷つくこと、誤解されることを恐れず、前に立たれた。発言された。行動された。後ろに、二歩も、三歩も下がって、賢がっていてはダメなのだと思う。

 お祖師さまほどの勉強も修行も出来ていない私たち。覚悟も足りない。しかし、その一分をいただいて、せめて選挙には行かなければならないと思う。どの党でも、何でもいい。個人個人で選べばいい。とにかく、選挙に行かなければ話にならないと思う。これは、首尾一貫してブログに書いてきているが。

 信心をしていても、ご奉公を一生懸命にしていても、選挙をどうでもいいと思う人を、お祖師さまは誉めてくださるだろうか。新興宗教の人たちは、「選挙こそ」「勝つんだ」とやっている。私たちはそんなことはしないが、でも、せめて、立正安国論の御正当の時、選挙には行くべきだと思う。

2009年4月30日木曜日

タミフルとギリアド・サイエンシズ社か…

 世界保健機関(WHO)は、メキシコで159人が死亡し、米国でもメキシコ人の幼児が死亡したほか、ドイツ、オーストラリアなど9ヶ国で感染者が出ていることを受けて、29日、豚インフルエンザ(H1N1型)の世界的大流行(パンデミック)のリスクが差し迫っていると、警戒水準を「フェーズ5」に引き上げた。「フェーズ5」とは「パンデミック」を意味する「フェーズ6」の1つ手前である。
 今回、世界的大流行の恐ろしさは続くが、豚インフルエンザ(H1N1型)は「弱毒」ということで、鳥インフルエンザ(H5N1型)と比べれば遙かに危険度は低い。パニックを起こさぬよう、正確な情報と正しい予防行動によって「強毒性」の鳥インフルエンザ(H5N1型)の爆発的流行に対する予行演習となるだろうか。金融危機に引き続いて、世界は大きな試練を迎えている。
 ゴールデンウィークを目前に控えている中(既に休暇に入っている人も多いようだが)、旅行者は戸惑うばかりだろう。かのスペイン風邪の時は、これほどまでに人や物資が世界を飛び回り、行き交うことはなかった。時代はグローバルに発展を遂げている。人類の驚異である新型インフルエンザが世界中をあっという間に席捲するシステムは出来上がってしまっている。
 情報が曖昧なまま広がっていくと、復調を見せ始めた経済も大打撃を受けかねない。既にメキシコ政府は、豚インフルエンザの感染拡大を防止するため、5月1~5日までの間、食品、医療、輸送、金融サービスなどを除く経済活動を停止するよう求めている。各国の大手企業が工場などを閉鎖してゆけば、それこそ大きな経済的な損失は回避できなくなる。人命か経済か。いずれにしても、重要な選択を迫られるが、今回は「弱毒性」のH1N1型でよかったと思うしかないし、これがH5N1型であったことを想像すると背筋が寒くなる。正確な情報に従って正確に対応してゆくことしか、今のところ私たちの取る術はない。
 ただ、WHOが、抗インフルエンザ薬「リレンザ」を製造するグラクソ・スミスクラインや「タミフル」を製造するロシュとギリアド・サイエンシズに治療薬の製造拡大を訴えたが、中でも「タミフル」に関してはイヤな人物が頭に浮かんで、興ざめする。というか、今回のパンデミック騒動の裏に、また何か政治的な駆け引きでもあるのではなかろうかと、災いを呼びそうな「チーム」の人たちの顔が浮かぶのだ。
 米CNNの2005年10月31日の報道。その当時も、鳥インフルエンザ大流行の予測が世界中の人々を怯えさせていた。当時のアメリカ大統領は、あの、ジョージ・W・ブッシュ。そして、2006年11月8日の中間選挙で共和党が大敗するまで政権の実質的な権力を一手に担っていたのがラムズフェルド国防長官。この人たち、チェイニー副大統領がハリバートンのCEOを勤めていたのも含めて、世界的な事件となると、必ず関連してビジネスの臭いをさせる。だから、今回のパンデミック騒動も「ホント?」と疑いたくなってしまう。いかんな。
 カリフォルニア州に本拠を構えるバイオテック企業ギリアド社は、インフルエンザ治療薬として現在世界中から注目されている『タミフル』の特許を所有している。ラムズフェルド国防長官は、ギリアド・サイエンシズ社の株の多くを所有している。1997年からブッシュ政権入閣までの2001年の間、ラムズフェルド国防長官はギリアド社の会長を務めていた。ジョージ・シュルツ元国務長官や前カリフォルニア州知事の妻ピート・ウィルソンもギリアド社役員で多くの株を所有していた。
 サンフランシスコのシンク・イクイティ・パートナーズ社のアナリスト、アンドリュー・マクドナルド氏は「政界とこれほど繋がりの深いバイオ企業は他に類を見ない」と評している。
 これまでも、米国政府と日本は、世界最大のタミフル購入者だった。2005年度だけでも、米国防総省は兵士への配給用に5,800万ドル分のタミフルを注文していた。ロシュ社における2004年度のタミフルの売上は2億5800万ドル。それが2005年度になると10億ドルに跳ね上がった。今回、この騒動で、どれほどの売上を記録するのだろう。
 世界の人々の命を助ける医薬品企業が責任を果たし、人命を救うのは願っても止まない話で、どれほどの売上を上げようとも良いのだが、こういう政界との結びつき、しかも、近年災いをもたらしてきたであろう人々との癒着が明るみになると、「ホント?」という気持ちが湧き起こってしまう。イラクの時の、人命を軽視した政策や戦略を、見てきたから。まさか、政権を失って、金融危機に際して、「こんな手もあります」では、ないですよね?と聞きたくなってしまう。あ、お坊さんらしくないか。話題が。
 とにかく、末世の様相。正しく見て、正しく聞き…。正法を護持し、流布するしかない。お看経、してますか?

2009年3月4日水曜日

人の悦多多なれば天に吉瑞

 本日より京都にて宗会。
 関東では雪が降っていたらしい。それほど積もったという報告はないから交通などの影響もなかったのだろうか。遅延されることもなく全国から京都に教講が参集されたから。いずれにしても、宗会は本門佛立宗の議会、最高議決機関である。若輩の私は末席の末席で、議事の進み方を見ながら勉強している最中。「なるほど」「ありがたい」「え?」と、いろいろと感じることも多々ある。とにかく、知っておかないといかん。まだまだ勉強です。
 宗会の最初、全国から参集した宗会議員を前にして御講有の論告。その諭告の冒頭は、非正規雇用の方々が解雇されている金融・経済危機の状況、国内外で迫る危機、人々の不安が現実となってきていることにふれられ、オバマ米国大統領の就任演説でも紹介された説を引用された。この経済危機の原因の一つに「一部の者の強欲と驕り、無責任の結果」と。結局、この危機的な混乱も人の「心」がもたらした。このことを思え。
 お祖師さまは瑞相御書に、「人の悦多多なれば天に吉瑞をあらわし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛なれば天に凶変、地に凶夭出来す」とある、と。
 私たちの心が、天地に影響する。このことを思え、と。立正安国論の御意。
 そのことを、当の佛立教講がどのくらい分かっているか、と仰っておられるようにも聞こえた。厳しいお折伏である。ボーッとしてる場合じゃない。世界は自分である。自分が世界である。一人が変われば世界が変わる。絶対に変わる。心。大切。

ネパール被災地でのご回向の動画

ありがとうございます。 昨日、9月5日(土)、ネパール大規模土石流洪水の被災地に、妙深寺ネパール別院の教務、ご信者、総勢46名が入り、ご回向の一座を奉修させていただきました。昨夜23時に写真や動画が届きました。 つくづく涙が出ました。あれほど大変な大災害に、いち早く妙深寺の...