2022年12月24日土曜日
戦争は終わる。あなたが願えば。
2022年7月19日火曜日
シニョリーア広場(Piazza della Signoria)から
2022年3月21日月曜日
令和4年3月21日 春季総回向 ご住職「かつも妙 まけるも妙の いくさして ころしたものも またしぬる妙」
2011年4月1日金曜日
班長さんへの手紙 平成23年4月1日
数え切れない方々が亡くなり、家を失い、避難生活を余儀なくされています。豊かで穏やかな生活を、一瞬にして奪われた方々。原発事故は国家的、世界的な大問題となり、誰もがこの大災害の被災者であることを突きつけました。日本経済は大きく変わり、それは全ての日本人の生き方、暮らし方を一変させるに違いありません。
今回の大災害で、日本人は本来持つべき輪が失われていたこと、最も必要であったことに気づきました。不幸の後に気づくのは哀しい。しかし、それでもいい。
御教歌
「世の中をうらむはおろかかひもなし 苦楽はおのが 報ひ也けり」
2011年1月1日土曜日
『ここに、仏教があります』
狂気の中で生まれる宗教や信仰があるように、多くの場合、思想とは、ある種の緊張状態、反逆や反骨の中から誕生します。
二つの時代の誕生には、壮絶な産みの苦しみが伴いました。前者には日本人同士の殺し合い、暗殺の連鎖、戊辰(ぼしん)戦争がありました。後者では凄惨(せいさん)極まりない世界大戦、全国民が決定的な災禍を味わった敗戦がありました。これら壮絶な出来事を数行で語り尽くすには、失われた命が重すぎて出来ません。しかし、この二つの時代の思想は、誕生の経緯に決定的な影響を受けて成立しています。
明治維新は、その内実は「尊皇(そんのう)攘夷(じょうい)」という、ある種の「宗教」を原動力とした革命でした。それは維新後の政策を見れば明らかです。
この「尊皇攘夷」という思想は、「宋(そう)」という特殊な事情を抱えた中国の王朝に誕生した学問体系で、後には朱子学(しゅしがく)となって江戸幕府の正学となりました。宋は、女真族(じょしんぞく)の侵略とそれに内通する家臣らによって危機的な状況に陥り、臣下の道義を説く大義名分(たいぎめいぶん)論、尊皇(そんのう)論や攘夷(じょうい)論を発展させました。「夷(い)」とは「女真族」を指していました。
日本は天平飛鳥(てんぴょうあすか)の時代から独特の精神思想文化を培っていました。しかし、この朱子学は鎌倉幕府が誕生した頃に来日し、その底流で生き続け、江戸期には国学と結びついて日本の思想を一変させます。「神仏(しんぶつ)」は「神儒(しんじゅ)」となり、「国学(こくがく)」は「神道(しんとう)」となってゆきました。過激に変容した思想は、幕末期の人々が信奉するものとなりました。
明治新政府は、頑迷な「攘夷」については早々に破棄しましたが、残された「尊皇」「神道」については国家として実現してゆきます。
半蔵が信じた平田篤胤の国学は、儒教や仏教と習合した当時の神道を批判し、独善的で排他的な復古神道を唱えました。膨大な著書の多くは、実際は奇っ怪(き かい)で、滑稽(こっけい)な内容ですが、江戸末期の飽和した社会の中、ついに人々が信奉する思想にまでなってしまいました。極端な思想は後期水戸学と合体し、庶民層にまで爆発的な普及を遂げ、倒幕の原動力となりました。
慶応四年三月、復古神道は神仏判然(はんぜん)(分離)令として政府の政策となり、日本史上類を見ない廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という破壊運動に発展。この短期間に、日本の国宝級の文化財の約半数が破壊されたといいます。
維新を主導した薩摩では、藩主島津家の菩提寺までが廃寺となり、鹿児島から仏教寺院は一掃され、土佐藩でも高知市内の寺院を壊滅させました。これが行われたのは明治元年から僅か数年のことです。
開導聖人や坂本龍馬らが唱えた仏教による日本の平穏は、維新後の七十七年間は公に語られることがなく、むしろ隠されていました。
そして、敗戦後の日本は、全体主義に辟易(へきえき)した国民の多くが宗教を怖れ、共産主義に惹かれ、資本主義に没頭して、その心は今なお漂流したままとなっています。
二つの時代に呪縛され、多くの人が本当の日本人の誇りを知りません。天下の乱れも心の乱れも、仏教によって取り除くべきです。ここに、仏教があります。いま、生きたお寺が仏教を再興します。
2010年8月3日火曜日
慰問演奏
私たちは、一人ご病気の人が家にいたら、家族全員が同じ病気だと思ってご奉公しなさい、と教えられるのです。自他彼此の心なく、自分や他人という境界線を低くしてするのがご奉公だと教えていただきますが、それが実践できている人は少ないものです。でも、これは難しいことです。
年金受給者への管理を担当する方々が記者会見をしておられましたが、申し訳ない言い方を率直にすれば、その発言内容、態度、緊張感、危機感を含めて、いかにも無能そうに見えました。彼らは、社会を健全に保つことに情熱を感じているでしょうか。
「一人信心でよしと思ふは、給銀メ当の実意なき臣下と云もの也。かやうの人々なれば不忠もの也。法に取りては大謗法となりて、仏祖の冥加にはずれたる人とならん事、疑ひなし。慎み給ふべし」隆師年譜(下)
全国で同じ案件がないかチェックすると同時に、その背後にある一人ひとりの心の問題、社会問題を発見し、何とかしてゆかなければらないと思います。
2010年7月9日金曜日
甘すぎる本人確認です、憚りながら
そして、帰り道に少しコーヒーを飲んで帰ってきました。何となく、選挙と投票に限定して、この国を案じていました。
何度目かの期日前投票ですが、なぜ、こんなに本人確認が甘いのか、毎回不安に思います。そんな気持ちを、今回は直接聞いてみました。
投票所の入り口で案内してくださっている女性に、「本人確認はしなくていいのですか?」と聞いてみると、「ええ、大丈夫ですよ(笑顔)。裏側に書いていただくだけでいいんです(笑)」と。
その裏側とは、名前と生年月日と住所を書くだけ。後は、何にもなし、です。
「いや、でも、これだけだと不正できてしまうのでは?」と言うと、キョトンとして「え?」と。今回は、ずっと疑問に思っていたので、投票所の中の監視員の方にもお聞きいただいて、「いえ、そんな不正を行う人はいないと思いますが、怖い団体や宗教団体は悪用する可能性があると思います」と言いました。すると、案内の女性から「こわーい」と答えられたので、ガクッとして、それ以上は突っ込まず、投票しました。
さて、みなさんはどう思いますか?別のウェブサイトを見てみると、本人確認のずさんさを指摘する声が溢れています。国民から溢れているのに、10年ほど前に緩和されたというのだから驚きですね。本当に、ブッシュが大統領に選ばれた時の選管が糾弾されていましたが、当然。いくら人間が見たいものしか見ないと言っても、あの時は現実に少し気づいたのでしょう。民主主義って、どこで担保されているのか分からない、危うい幻想的なシステムだということに。
期日前投票。投票日当日も危ないけど、名前と住所を確認して、パソコンで紹介して終わり。宣誓書を書いた人物と登録されている本人かの確認なんてしない。もし他人が、自分の代わりに勝手に不在者投票を行おうとしたら、その人物の氏名と住所と生年月日を調べておけば、簡単に「成り代わる」ことができてしまうシステムなのです。以前は、身分証明書の提示が義務づけられていたそうですが、それが1998年か、1999年に緩和された(涙)。
躍起になって票を集めようとする団体が、ギリギリのところで、こういう「穴」を利用しないとも限りません。というか、そういう「穴」を事前にふさぐのが立法府の使命。シートベルトやら何やら、法律が次々に作られていくのに、選挙や投票という民主主義の根幹を為すシステムについては、「穴」を用意してくれているなんて。
『憚りながら』言わせていただくと、公明党の党首が富士宮で元気に演説している姿が映っていましたが、よくここでできるなぁと、逆に感心してしまいました。大相撲の野球賭博どころか、ここまで暴力団との結びつきを暴力団の元組長本人から暴露されているのに(涙)。『憚りながら』、すごいと思いました。
ま、とにかく、一人ひとりがしっかりするしかない。つまり、投票に行くことです。個人、個人が。一人、一人が。
2010年6月25日金曜日
『憚りながら』
『憚りながら』。すごい本ですね。純粋な方々もいると思いますので、その方の未来を考えると恐ろしく、哀れです。しかし、そう言っているだけでは済みません。何とか、一人でも多くの方々に、目を覚ましていただかなければなりません。
選挙となれば800万票を集めるという団体の実態です。暴力団やこうした闇の活動によって、これだけの票を積み重ねてきたと考えれば、国家の危機です。
お祖師さま(日蓮聖人)は御妙判。
「かゝる日蓮を用ひぬるとも、あしくうやま(敬)はば国亡ぶべし。」
政治力や資金力を利用して、海外にも広く布教している団体ですから、もはや「悪く敬ったら、国が亡ぶ」では済みません。「世界が亡ぶ」ことになりかねない。
この本には、暴力が溢れていますから気分を悪くされる方もおられると思いますが、『憚りながら』、一読して世界中に伝えるべきことがあると思います。
圧力のために書店から消えているとも聞きますが、是非お読みいただきたいと思います。佛立とは、全く異なる価値観です。amazonで、買うのがいいかもしれません。
それにしても、暴力団の元組長だけではなく、過去の公明党委員長らが次々に告発本を出しているのは異常な事態です。矢野 絢也氏の著書「黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録」なども、壮絶な内容です。
世界各地に信徒を擁する宗教団体です。法華経とお祖師さまの教えをいただき、御題目を唱える宗旨です。「悪しく敬って」いることに、ほとんどの信徒が気づいていません。
その実態を知り、私たちの為すべきことにも気づかなければなりません。
御教歌
「わが店のはやらぬ故によその邪魔 むだに暮して棒を折る也」
2010年6月6日日曜日
開導聖人エピソード 天皇、三条公、高崎、
詩ハからうた故ニ和國の風俗ニハあハぬやらん これも かのつからの事なりかし 御花押 一等
其後予カ書画帖を見せたることあり
一昨年東京御歌御師匠宅 高崎氏へ歌一葉
2010年4月6日火曜日
Be True Buddhist, Be Bodhisattva !!
一方、私が個人的に思い返すのは、ウィリアム・スミス・クラーク博士の話です。北海道の札幌の観光名所である時計台は、札幌農学校の演武場として建てられたものです。その札幌農学校の初代教頭がクラーク博士でした。宣教師ではなかったのですがキリスト教を講義していたといいますから仏教徒とは全く立場が異なりますが、教育者としての彼は短い在任期間の中で大きな評価を得ています。
規則は大事、制度も大切。でも、スピリット、気概、イズムが、しっかり受け継げているか。受け継がれるように、考えているか。何も育たない不毛地帯に、立派な規則の本だけが転がっているということのないようにしなければなりません。2010年3月21日日曜日
本化桜の開花と評議委員会
午後は13時半から評議委員会を開催させていただきました。妙深寺が、宗教法人法に則って正常に運営されているかを評議していただく会議です。先住時代から「ガラス張り運営」だと評価と安心を得てきましたが、年々不備な点を改善して充実した議論を重ねられるようになってきました。社会情勢が圧倒的に変化しています。超少子高齢化、政治の流動化、一億総中流社会と呼ばれた時代から格差社会へ、終身雇用の崩壊と非正規雇用の増加、デフレ経済から超インフレ経済に移行する予兆も、所得の減少、ワーキングプアと呼ばれる人々の増加など、恐ろしい兆候も多々あります。「下り坂社会を生きる」というテーマが、当然のように語られる時代です。頭と発想を、切り替えなければなりません。
妙深寺で考えれば、「弘通」という二文字の、「弘」は「弘める人、その機能」と、「通」では「所属する全員にご信心を通わせる人やその機能」が、まだまだご奉公が不十分です。すべて住職に責任があります。機が熟して、次の段階を迎えるまでは、もうしばらくの辛抱だと思っています。それまでは、貝のように、静かに、ご弘通の「人」を、自分の身体を使ってお育てしておきたいと思います。
この会議システムを使えば、ご奉公の気持ちがあっても会議に出席できないという人が利用できます。妙深寺の大半の青壮年層の職場は東京。通勤に片道1時間は必要です。会社を定時に退社できる人も少ないご時世で、この会議システムを利用して、東京にいても、会社や自宅でも、ご奉公に出仕できるようになりました。もちろん、身体を使った本番のご奉公では、インターネットでは済まされませんが(汗)。とにかく、ありがたいシステムが完成・完備されました(お寺がボロだけど。とにかく、人づくりのためです)。2010年1月27日水曜日
未来宅急便
10年前に出した宅急便が昨日届いたということです。小さかったご長男の宗之くんが書いたものや作ったもの、お祖母さまやお母さんが書いたお手紙が届くなんて、あまりに素敵です。
宗之くん、感激しただろうなぁ。照れていたかなぁ。それでも、なにか、あったかいものが心に生まれたんじゃないかなぁ。園美さんは、素晴らしいお母さんですね。
時間は、素晴らしい薬です。時間は、素晴らしい先生にもなります。取り戻せないから、時間は、圧倒的な力を持って、私たちに教えてくれることがあります。
最近、人間とは、つくづく、「今」が、見えないものだ、と思います。「今」とは、感情や立場や状況によって影響を受け、左右され、情報も限られていて、「真実」や「真理」「真相」が見えなくなるものです。時間が経たなければ、「真実」は見えません。それこそ、人間の、最も愚かで、哀れなことだと思います。私たちが、「仏」と最も遠くなってしまうのは、こうしたことが理由ではないでしょうか。
今、政治の世界で大変な騒動が起きていますが、誰にも真実や真相が分かりません。真実を明らかにするはずの検察も、政治的な意図が見え隠れして、情けなくなります。小沢一郎氏も、断片的な説明に終始していますから、何らかの問題があったに違いありません。
しかし、今回の騒動で、「国民の知る権利」を果たそうとする記者の存在やその取材が、真相を明らかにするどころか、世論を操作するためだけに機能しているようで、また情けなくなります。「記者クラブ」というシステムの悪弊か、過熱する視聴率競争の結果でしょうか。明らかに、取材ではなく、意図的な情報のリーク、つまりメディアを使った世論の操作が、平然と、公然と、行われているようです。なぜでしょうか。
小沢氏をかばうつもりなど毛頭ありません。彼に限らず、今はまだ、政治がそれほどクリーンに行われているとは思えません。しかし、こうした政争や権力闘争の中で、政治的な意図によって、「今」を操作しようとする、操作しようとするだけではなく操作できてしまうこの国に、危機感を持つのです。恐ろしいし、愚かで、情けない。今回の騒動は、日本という国の断末魔のように感じます。
新聞は、また信じられないレベルまで堕ちてしまいました。テレビは言うに及びません。報道番組は観るに耐えない。メディアシンジケートの悪循環、巨大化した複合メディア企業の政治的な偏りは一層顕著です。そこから配信される情報は劣化し、信じるに値もしない。情けない限りです。
「ブッシュの戦争」で経験した悪夢のようなメディア戦略や世論操作で、誰もが気づき、反省したと思っていましたが、違うのでしょうか。「小泉劇場」のように、またヒステリーか一時的な熱狂か、幕末の「ええじゃないか」と踊り狂う不安に満ちた民衆のように、一方に走り出しかねないと心配です。
「今」を見ようと思っても見えない。見えないようにしている、いや、政治的な意図によって、あるいはメディアのマネジメントにある人、資金や権力を持つ人や団体の、思想や信条によって、一方しか見せなくする。こうしたことによって、私たちは混乱を深めます。もちろん、見なくてもいいこと、知らなくてもいいこともあります。しかし、メディアの立場、国家権力とメディアの関係において、こうした意図的な操作があるとしたら、本当に不幸なことです。「狂人走、不狂人走」となるのも容易になります。
国家の繁栄と人々の幸せを希求するのは誰しも同じです。しかし、そこに保守と呼ばれる方々や団体、右翼の方々も、社会主義と呼ばれる方々も、左翼の方々もいます。在日と呼ばれる方々もいます。日本は、いま、大きく二極化しながら闘争を激化させているのでしょうか。その裏舞台は分かりません。しかし、表舞台で、正々堂々と議論を重ねていただきたい。意図的な情報のリーク、世論の操作なと、暗澹たる気持ちになります。こうしたことが国民の精神を蝕んでいると思います。
いずれにしても、つくづく、私たちには「今」を見る力が欠落していると痛感します。テレビに出ているコメンテーターも、雇われの身。何かを期待しても無理なように思います。本当のジャーナリストは、独立系メディアの中にしかいないのではないか。記者クラブから追放されたり、省庁出入り禁止措置を受ければ取材できませんが、本当のジャーナリズムを追求するなら覚悟しなければならないのではないかと思います。
つまり、私たちは、時間が経たなければ、真実が分からないと思うのです。「いつか、真実は明らかになる」とは、こうした意味ではないでしょうか。
過去ばかり見ているのは良くありませんが、そこから見渡せば、きっと真実が見えてきます。「今」だけで生きている人は、どこか薄くなります。「今」を、どうにかして誤魔化しても、必ず真実は明らかになる、明らかになってしまうことを知らなければなりません。
開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひにあらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌をお遺しくださっていますし、日聞上人は「置いて見よ」とお示しです。一度、置いてからでないと、分からないことがあります。いろいろな物事を、「置いてから見てごらんなさい」と教えてくださっています。「御利益は三年経って振り返れ」とも言います。「今」は、分からない。まだ、分からないことがある、と。
未来宅急便、いいですね。僕も、子どもたちに手紙とプレゼントを送っておこうかな。大切なことを伝えたいし。自分に何かあって、10年後にこの世にいなくなっていても、未来宅急便が父親から届くなんて、本当に素敵です。ご信心のことやご奉公のことを教えたいし、父の思いを伝えておきたい。未来宅急便なら、伝えられるし、伝わりそうです。
妙深寺にも、未来宅急便を送ってみたいです。どこまでご弘通が進みましたか?異体同心でご奉公できていますか?とか。でも、僕がいなくなって次のご住職がご奉公されていたら、ちょっとご迷惑かもしれません(汗)。そんなことを、園美さんの掲示板を読んで考えさせていただきました。
とにかく、「未来からの眼」、「過去からの真実」を意識して、「今」を、精一杯、生きてゆきたいものです。未来の人に、誤魔化しはきかないでしょうから。宗門のご弘通が衰えていれば、未来の人から、「あの時代は暗黒の時代」と言われたり、今はおだてられていても「暗黒の時代の教務さん」と責任を問われるかもしれません。未来が楽しみです(笑)。
未来宅急便、本当に素敵です。私は、今から約20年前、開導聖人100回御遠忌の時、「未来へのメッセージを残そう!」という企画で、父が書いてくれた小さな石のプレートを大切にしています。
そこには、「息子よ、頼むぞ!未来に輝く佛立のために」と書いてありました。大切な、父からの未来宅急便です。そこに書かれた父からのメッセージを胸に刻んで、生きていきたいです。
さて、今度は私から息子たちへのメッセージ。何を書こうかな。
2009年12月24日木曜日
クリスマスイブの待合室
今日は、朝参詣が終わった後、すぐに横須賀まで走りました。目の前に横須賀港が広がると、巨大な潜水艦が3隻停泊していました。いつもよりも1隻多い。年末だからなのか、大きな艦船がたくさん並んでいました。あ、世間はクリスマスイブだからかな。
世の中、こんなに浮かれてるのに、クリスマスだとか、正月だとか、それらを祝っているのに、一向に愚かな戦争は終わらないじゃないか、なにがクリスマスだ、なにが正月だ、傷ついている子どもたちを見よ、嘆き悲しんでいる家族を見よ、苦悩する人々を見よ、これでもか、これでもか、これでもか、と、目を背けたくなるような映像が続くのでした。私には、これが彼らによる一流の皮肉、メッセージだと思います。2009年10月16日金曜日
難民キャンプの映像
映像の最初の部分、約2分間。あえて、車窓からの映像を残してもらった。延々と続くテント。その規模の大きさを観ていただきたくて。難民キャンプ内でのご奉公を10分にまとめることはとても難しいし、頑張っても17分だった。それを10分にまとめた。最初の部分はカットする対象なのだが、それでも観ていただきたいと思った。
現在、スリランカには3つの巨大な難民キャンプがある。今回私たちが訪れたのは「Settikulam」と呼ばれる難民キャンプ。ここに7万世帯が生活している。スリランカ全土で約28万人のタミル人が難民キャンプ内での生活を余儀なくされているという。
難民キャンプには通常、外国人はおろかスリランカ人も入ることができないという。「支援者ならば入れるだろう」と考えるところだが、そうではない。度重なる検閲を受けなければ、UNICEFやWHOやUNHCRの車両とも行き違ったが、そうした団体のスタッフでも入ることが難しい。支援金はコロンボでのみ受け付けられ、支援物資もスリランカ政府によって管理・運用されているとのこと。
今回、現地信徒の方々のご協力をいただいて、本門佛立宗のみなさま、宗門をはじめ、義援金を送ってくださった方々に代わってご奉公させていただくことができた。本門佛立宗による「スリランカ内戦難民義援金」を、スリランカ本門佛立宗のみんなが、最善の、顔の見える支援、継続的な支援、御題目の下種、ご弘通に繋がる支援を目指して検討し、実現までたどり着いた。
お役中(スリランカ本門佛立宗の役員)の方々は、Naita(National Apprentice & Industrial Training Authority)と交渉し、視察を行って支援方法を決定してくれた。このNaitaの会長、アマル氏は御本尊を護持するご信者である。Naitaは難民キャンプの中で、青少年に職業訓練を行っている。その機関を通じてスリランカHBSとして、机付きの椅子を300脚、子どもたちには50個の玩具セット(ノートとペン等を含む)を寄贈。
おもちゃを渡した後、ごく簡単に、御題目を唱えてくれるように呼びかけさせてもらった。あまりにも小さな子どもたち。歌を歌うように、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えてほしいとお願いした。
次にNaitaで勉強している青年たちが集まる場所へ向かった。すでにHBSにより寄付された椅子に座っており、「昨日まで地べたに座って勉強していたのです」という言葉に、有難さがこみ上げてきた。
難民キャンプで行ったスピーチ。今回、何点か写真を用意した。「富士山」「B29」「横浜大空襲直後の横浜の空撮」「スリランカ信徒が横浜に来た時のランドマークタワー前での記念写真」。話す内容を組み立てる前に、このタミルの人たちが25年以上受けてきた苦しみ、哀しみ、怒りなどを想像した。そして、いま置かれている困難な環境、状況について。彼らは、シンハラ人や政府を憎んでいるだろう。戦争によって愛する人を失った人もいるだろう。ヒンドゥーを信じ、仏教を憎んでいるのだろうか。仏教の僧侶が行って、何を語ればよいか。逡巡と考えながら、スピーチを考えていた。簡単に要約すると、下記のようなお話をさせていただいた。
しかし、約60年前、日本は大きな戦争をしていました。相手はなんと米国、アメリカです。信じられますか?その戦争、第二次世界大戦によって、私たちはすべてを失いました。これが、戦争直後の私の住んでいる街の写真です。ご覧のように、私たちは、この戦争によって、家も、家族も、水道も、学校も、何もかもを失いました。
第二次世界大戦の戦勝国は、戦争に負けた日本に対してペナルティーを求めました。しかし、サンフランシスコで行われた講和会議の中で、スリランカを代表してジャヤワルダナ大統領(当時は違うが)が、『憎しみは憎しみによって休息を得ることはない。慈愛によって休息を得る』というブッダの言葉を用いてスピーチをしました。そして、彼らは日本からのペナルティーを取りやめたのです。
私たちは、このブッダの言葉どおり「憎しみ」や「復讐」にフォーカスせず、「未来」と「自分自身の努力」に眼を向けました。そして、この写真(ランドマークタワー前での記念写真)のように、見事に復興と発展を手にしたのです。
みなさんも同じです。いま、皆さんは苦しい状況にあられると思います。しかし、日本と同じように、あなた方も憎しみや復讐に眼を向けず、未来や自分自身の努力にフォーカスしていただきたい。必ず、あなた方のこの地域、この国も、復興し、発展していくことでしょう。そうすれば、あなたの抱いている夢は実現すると信じます。
その、あなたの努力や夢をサポートするアイデアをお伝えしたいと思います。私は仏教の僧侶です。そのアイデアをお伝えしたいと思います。
日本はアジアの東の果てにあります。その日本は、いわばアジアの「孫」のような存在です。なぜなら、私たちの国はインドや中国の文化の影響を色濃く受けていて、その文化の産物として独自に発展してきたからです。いわば、インドやスリランカはお祖父ちゃん、中国はお父さん、日本は孫なんですね(少々単純化し過ぎているが、導入する意味で用いた表現)。
難しいことは申しません。ブッダは、未来に向けて努力する私たちに、尊いマントラを残してくださいました。このマントラは、ヒンドゥーの神々も尊敬して止まない、尊い、最もパワフルな、幸せの種が詰まった不思議な呪文です。もし、あなたが努力をし、成功を願っているのなら、このマントラを唱えてください。必ず、このマントラは、あなたを幸せに導いてくれるでしょう。そのパワーが、あなたを支えてゆくでしょう。
この白板に、そのマントラを書いてみます。これです。「Namu Myo ho Ren ge Kyo」。タミル語でも書いてください。さあ、練習しましょう。「ナムミョウホウレンゲキョウ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」。さて、この御本尊、ダルマカヤに向かって、一緒に唱えましょう。私は、ここで皆さまの幸せと成功を祈ります。一緒に、唱えてください。
私たちの父や母も、祖父や祖母も、同じように苦しい戦争を体験しました。愛する人も失いました。生活の苦しみを味わいました。心に怒りや憎しみが湧き起こって当然です。しかし、私たちの両親や両祖父母は、そこに止まらなかった。そうしなかった。未来と、自分たちの努力にフォーカスしてくれた。そして、いま、幸せを手にしています。
どうか、このことを忘れないでいただきたい。そして、その努力が報われるように、今日お教えしたマントラは、必ずあなたを幸福に導きます。パワーを与えてくれるでしょう。どうか、このマントラを唱えて、日々に努力していただきたい。必ず幸せが訪れます。
以上のようなお話をさせていただいた。御題目の唱え方を練習し、予測不能の海外弘通の現場を想定して特に御染筆いただいた大御本尊をお掛けさせていただき、お看経の一座を奉修した。
このHBSの支援活動に対して、スリランカ警察の代表者も絶賛してくださった。また、Naitaの関係者、現場の教師たちも大変に喜んでくれた。また、必ず、この地を訪れ、支援活動を継続していきたい。彼らが、憎しみや怒りのままに生きてゆかないように。もちろん、シンハラ人に対しても、ご信心を伝えてゆくことが欠かせない。継続した支援活動、弘通活動を行ってゆきたい。
2009年7月25日土曜日
ロッコ・ブランディ君からのメッセージ
ロッコ ブランディ(イタリア在住) 34歳です。私はちょうど20歳の時に日蓮聖人の教えに出会い、3年前にイタリアで本門佛立宗に入信させていただきました。御題目口唱と御講に参加させていただいたおかげで現実に向き合う勇気をいただきました。2009年7月21日火曜日
解散しましたね
すでに、今日から京都でのご奉公。雨が激しく降っている。山口県では大雨の被害が出ているようだ。新幹線も運転を見合わせているらしい。
押しの強い人、賢そうな人、しっかり政治的な計算をして喋る人、全く計算なしで喋る人などがいると思うが、とかく「人」で判断すると間違う。「人間性」は、とても大切な要素だが、もっと深いところを見て、判断していかなければならないと思う。2009年7月14日火曜日
夏期参詣が始まった!
13日から夏期参詣が始まった。今年も、一番暑い季節に行われる夏期参詣。毎朝、たくさんのお参詣者と一緒にお看経できるなんて、なんて嬉しいことだろう。
ここまでくると、昨年の9月に解散前提で誕生した麻生政権や自民党や官僚トップらは、合意の上でないにしても、一度民主党に政権を渡すことを前提に「バラマキ」をしたのではないかとさえ思ってしまう。つまり、民主党に政権を譲らざるを得ないことは自明のことで、それならば民主党政権になって、1年弱で世論が沸騰して民主党が政権を投げ出さざるを得なくなるように、時限爆弾をセットしたのではないかとすら疑ってしまう。そのくらい、これまでの政策は、来年には効力を失う、あるいは延命や先延ばしによって様々な指標の悪化は来年度にずれこむ。はたしてどうなるか。
日曜日の夜には野崎家のお通夜のご奉公があり、月曜日には告別式となった。月曜日の朝から夏期参詣がはじまった。この厳しい修行により、おはからいをいただかれる方々が大勢おられるはずだ。月曜日には各教区から上半期のご奉公報告もお聞きした。各教区丁寧にご報告くださった。御正当年でもあり、一つの教区で7~8のお教化が成就したとのご報告が有難かった。2009年7月12日日曜日
立正安国論750年 選挙に行くべし
私たちは、お祖師さまが、なぜ、文応元年(1260年)、当時に日本の最高権力者だった元執権・北条時頼に提出したのか。今一度ふり返るべきだろう。
大混乱の世相。その混乱の原因、人々が苦悩する原因を、宗教者・仏教者として深く憂慮し、御仏の教えの中に答えを求め、政治と宗教のあるべき姿を訴えた。
お祖師さまは「立正安国論」を提出するにあたって、今後は穏やかな生活など二度と送れないであろうことも弟子や信徒が離反していくであろうことも予測できたはずだ。事実、「怨嫉」と呼ぶ中傷や迫害が相次ぎ、伊豆や佐渡への流罪に遭うお祖師さまを疑って教団は離散してしまう。しかし、予測できたにもかかわらず、お祖師さまは立正安国論を提出された。
そこまでのお祖師さまの覚悟を、感じなければならないと思う。なぜ、と。お祖師さまは苦悩する人々を見過ごして、山林や僧坊の奥に閉じこもるなど絶対に選ばなかったのだから。傷つくこと、誤解されることを恐れず、前に立たれた。発言された。行動された。後ろに、二歩も、三歩も下がって、賢がっていてはダメなのだと思う。
お祖師さまほどの勉強も修行も出来ていない私たち。覚悟も足りない。しかし、その一分をいただいて、せめて選挙には行かなければならないと思う。どの党でも、何でもいい。個人個人で選べばいい。とにかく、選挙に行かなければ話にならないと思う。これは、首尾一貫してブログに書いてきているが。
信心をしていても、ご奉公を一生懸命にしていても、選挙をどうでもいいと思う人を、お祖師さまは誉めてくださるだろうか。新興宗教の人たちは、「選挙こそ」「勝つんだ」とやっている。私たちはそんなことはしないが、でも、せめて、立正安国論の御正当の時、選挙には行くべきだと思う。
2009年4月30日木曜日
タミフルとギリアド・サイエンシズ社か…
世界保健機関(WHO)は、メキシコで159人が死亡し、米国でもメキシコ人の幼児が死亡したほか、ドイツ、オーストラリアなど9ヶ国で感染者が出ていることを受けて、29日、豚インフルエンザ(H1N1型)の世界的大流行(パンデミック)のリスクが差し迫っていると、警戒水準を「フェーズ5」に引き上げた。「フェーズ5」とは「パンデミック」を意味する「フェーズ6」の1つ手前である。
情報が曖昧なまま広がっていくと、復調を見せ始めた経済も大打撃を受けかねない。既にメキシコ政府は、豚インフルエンザの感染拡大を防止するため、5月1~5日までの間、食品、医療、輸送、金融サービスなどを除く経済活動を停止するよう求めている。各国の大手企業が工場などを閉鎖してゆけば、それこそ大きな経済的な損失は回避できなくなる。人命か経済か。いずれにしても、重要な選択を迫られるが、今回は「弱毒性」のH1N1型でよかったと思うしかないし、これがH5N1型であったことを想像すると背筋が寒くなる。正確な情報に従って正確に対応してゆくことしか、今のところ私たちの取る術はない。
カリフォルニア州に本拠を構えるバイオテック企業ギリアド社は、インフルエンザ治療薬として現在世界中から注目されている『タミフル』の特許を所有している。ラムズフェルド国防長官は、ギリアド・サイエンシズ社の株の多くを所有している。1997年からブッシュ政権入閣までの2001年の間、ラムズフェルド国防長官はギリアド社の会長を務めていた。ジョージ・シュルツ元国務長官や前カリフォルニア州知事の妻ピート・ウィルソンもギリアド社役員で多くの株を所有していた。サンフランシスコのシンク・イクイティ・パートナーズ社のアナリスト、アンドリュー・マクドナルド氏は「政界とこれほど繋がりの深いバイオ企業は他に類を見ない」と評している。
世界の人々の命を助ける医薬品企業が責任を果たし、人命を救うのは願っても止まない話で、どれほどの売上を上げようとも良いのだが、こういう政界との結びつき、しかも、近年災いをもたらしてきたであろう人々との癒着が明るみになると、「ホント?」という気持ちが湧き起こってしまう。イラクの時の、人命を軽視した政策や戦略を、見てきたから。まさか、政権を失って、金融危機に際して、「こんな手もあります」では、ないですよね?と聞きたくなってしまう。あ、お坊さんらしくないか。話題が。2009年3月4日水曜日
人の悦多多なれば天に吉瑞
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