2008年9月30日火曜日

ブラック・マンデー

 既に、ニューヨーク・タイムズは「2008年のブラック・マンデー」と名付けている。

 今日、月曜日(日本時間で火曜日の未明)、米下院で金融安定化法案が否決されたことを受けて、市場は期待を裏切られた。過去最大の下げ幅で取り引きは終了し、バブルが崩壊したことを改めて印象づけた。短期金融市場は機能不全に陥っている。
 かといって、あまり不穏な、暗いことを書きたくない。前回ここに掲載した「備えあれば憂いなし」で書いたが、こうなっては仕方ない。来るべき事態に備えて、危機もチャンスに変えて欲しいと願う。
 それにしても、ブッシュ政権とは最後まで仕事の目的や内容の掴めない政権だった。大学卒業後、ほんのわずかな期間を親族の石油会社で過ごし、下院議員に出馬して落選。大統領の父親の権威を背にオイル会社を経営していたが、その経営に頓挫して政界に進出。保守的なテキサス州の知事として政治活動をはじめたが、既にこの頃から彼自身も保守的キリスト教徒としての政策を進めた。大統領になってからも、私は彼が宗教的に保守的な政治を進めてきたと感じている。政権末期には対話を重んじる政策も見え隠れしたが、基本的には米国的な正義を強い続けた。前後の見境もなく突き進む政策やどこか軽い姿勢に、極端な福音主義の多くが信じる世紀末思想やハルマゲドンを待望する思想が彼らの中にあるのではないかと思えてならなかった。最後まで、世界や米国民に危機感を煽るが、政権には危機感が感じられないと思えるのだった。
 残すところ約1ヶ月で大統領選挙が行われる。最後の最後までブッシュ政権には迷惑させられたと思う人々が多いだろう。彼は飾り物であり、周囲が利権や政治的信条を実現するために彼を利用したというレポートもあるから、ブッシュ氏本人だけに責任を押しつけるわけにはいかないかもしれない。しかし、世界大恐慌を防ぐ一つの切り札・対策に対して、ブッシュ政権への不信感が働いて否決されたことは疑いない。共和・民主の両党に合意があったにもかかわらず、国民の信が得られないと判断して多くの反対票が投じられた。つまり、この金融危機、いや経済危機は、これまでの政権8年間のツケが一気に回り、対策にまで影響を与えているといえる。
 先物取引が始まり、一時原油が記録的に高騰し、しかし石油関連企業は史上最高益を上げた。世界的なパワー・シフトが起こりながら、近視眼的な対策しか講じられず、目先の利益に走り続けたという感がある。今日という日が、ニューヨーク・タイムズが報じたように本当の「ブラック・マンデー」になってしまうのか、今後の対策や動向によるが、何とか危機をチャンスに変えて欲しいと思う。

2008年9月28日日曜日

スラム街でのご奉公 (動画)

 ブラジルの吉川くん(吉川師の弟さん)から、ブラジルの貧民街でご奉公してくださった時の模様を知らせるメールが届いた。そこには、右に載せた記念写真と、You Tubeにアップした動画のアドレスが添付されていた。

 アドレスをたどってみると、活き活きと、ブラジルでご奉公してくれているひろし君の姿が。斉藤御導師や御講師、吉川さんご家族やお教化子たちの手によって、8月の青少年の一座で、お参詣者が持ち寄ってくださったおもちゃが、確かに厳しい環境で育っている子どもたちの手に渡っている様子が、克明にレポートされていた。本当に、ありがたい。

 実は、土曜日の夜、ブラジル教区長である斉藤御導師が横浜妙深寺にお参詣くださった。今回の来日は、ブラジル本門佛立宗の開教100周年にお参詣くださった寺院の一つ一つに御礼されるためということだった。心から恐縮し、その姿勢、そのご奉公に、本当に有難く、頭が下がった。

 夕方、横浜に到着され、妙深寺に一泊してくださった。夜の補講にまでお参詣くださり、翌日の朝参詣でもご挨拶をいただいた。丁寧な御礼のご挨拶と、その後で、やはり先日のひろし君のご奉公に対してのお言葉があった。斉藤御導師ご自身も、あの場所に入ったのは初めてだったという。警察ですら、その地域の「ボス」に「許可」を得なければ入れないということだった。そのくらい危険な場所なのである。

 斉藤御導師は、今回の青少年の一座のご奉公を受けてくださり、ひろし君と一緒に陣頭に立ってご奉公くださった。それは、ひろし君からのメールにもあったとおり、日本に出発する前日のご奉公であったという。大変なスケジュールの中、また危険を顧みず、ご奉公くださった。

 さらに、斉藤御導師は、必ずや、このご奉公を続けて、あの地域に、苦しんでいる子どもたちのために、御題目をお伝えしたい、ご弘通ご奉公に精進させていただきたいと仰っておられた。大変に感動させていただいた。

 まさに、いろいろな御縁がつながって、心と心がつながって、本物のご信心が伝播していく。言葉少なな斉藤御導師は、「こうした本物のご信者さんが、世界に100人欲しいですね」と仰っておられた。「100人」。そう、100人でいい。同感だ。なるほど、そう考えたらいい。今の世界に、100人でも、どんなことがあっても、上行所伝の御題目をお伝えさせていただこう、それしかない、やろう、やろうじゃないか、と声をかけ、励まし、実践する人が、100人でもいたら。斉藤御導師は、ブラジル人の自分でも入ったことがなかった危険な場所に、様々な手だてを作ってご弘通しようとしているひろし君の行動、ご奉公に心打たれ、「自分を反省しました。今まで何やっていたんだ、と思いました」と、妙深寺のご信者さんの前でお話されていた。前夜、「100人でもいたら、もっともっと世界は良くなります。頑張りましょう。世界を変えましょう」と御導師が話しておられた言葉が耳に残っている。

 人数の多少によらず、異体同心はご弘通の基本。お寺の大小を比ぶるはアホ。そのお寺に、どこに出しても恥ずかしくない、本物のご信者さんが何人いるかが勝負、と教えていただく。本当に、お祖師さまの御本意を知り、人間の本業に目覚め、ご弘通を志し、実践する人。艱難辛苦を乗り越えて、苦難や困難に立ち向かい、臆することなく生きる人。徳は人にゆずり、苦労は自分に引き受ける人が、何人いるかが勝負。頭数がいても、本物がいないのでは話にならない。臆してどうする。開導聖人も、「だまされな贋(ニセ)の信者の多き世や」と御教句をお遺しになられている。そうした、本物のご信者さんを、何人育成させていただけるかが、教務のご奉公ですね、と斉藤御導師と語り合った。有難い。さらに、頑張ろう。

 では、You Tubeの動画のリンクを掲載させていただく。 青少年の一座で、おもちゃを持ち寄ってくれた人たちに向けた、斉藤御導師の御礼の言葉から動画は始まる。ぜひ、ご覧いただきたい。

涙のご回向

 急に涼しくなってきた。
 土曜日は、東北新幹線に乗って遠方のご奉公。駅に降りると横浜で感じていた以上の涼しさ、寒さまで感じた。秋はいい。秋は、空がとてもきれいだ。空気が澄んでいて、何ともいえない気持ちになる。
 来着を待ってくださっていたお宅は、天保年間から続く土地の名士で、藩政まで支えて名字帯刀を許された御家系で、当主は代々近在にある臨済宗の檀家総代を務めておられたという。しかし、その日ご回向をさせていただく方の代で、本門佛立宗のご信心をはじめられた。
 19才の時、事故をきっかけに体調を崩した。医者が手を離すほど永く続く重篤な病状を嘆き、生きていくことに絶望しておられたのだろう。ワラをも縋る気持ちでキリスト教に入信したが進展なく、さらに神仏に縋りたいと大滝不動尊に頼るも病状は好転しなかった。精神的に、生きていく気力も失い欠けていた時、ある方から本門佛立宗のご信心を薦められた。累代の檀家総代を務めるほどであったのだから、当然ながらご両親は猛反対した。しかし、本人の決心は固く、ご祈願を開始され、ほどなく現証の御利益を感得、そのご信心は生涯に亘る確信に満ちたものになった。
 そう、一生涯、こうしていただかれた現証の御利益、日々に感得する御利益を忘れず、この御題目を一人でも多くの苦悩する方々にお届けしようと、まさに菩薩としてご奉公くださった方。そのご家族からお招きをいただき、ご回向の一座を勤めさせていただいた。ご回向の席、今では家族親族の中にもご信心されていない方も多く、そうした方もいるので一言お話をいただきたいということで、させていただいた。
 私は、ご本人のご信心に対する思いを、少しでも分かっていただきたいとお話させていただいた。「なぜ、代々のお寺から離れてまで、このご信心をされたのでしょうか」「キリスト教、不動尊と、いろいろと試みて信心してみて、この御題目こそと思われた事実、その思いを、知ることが何よりのご回向と思います」とお話しした。
 このご信心、代を経て先代を想えば、「父さんは変わった信心に入ったものだ」程度に思ってしまうことが何より哀しい。そう思ってしまうのも仕方ないことかもしれないが、そう思って欲しくない。そこには、後代の私たちが想像するに余りある、想像も及ばない、壮絶な人生があり、現証の御利益があり、何とも言えぬ喜びがあり、秘して明かせない使命感があったと思える。これほどの方のご回向の席だからこそ、そのことに思いを馳せたい、と。
 私たちは、「○△鑑定団」のように、家に眠ったお宝の本当の価値を知らしめたい。価値のないものを大切にし、価値あるものを蔑ろにしていては勿体ないのだから。壺、掛け軸、書、額、贋物もあれば、本物もある。鑑定に見ていただいて、一喜一憂する姿を見て楽しむテレビ番組はいいが、ご信心に照らせば同じこともいえる。この御本尊、生きてまします御本尊、本門佛立宗のご信心は、言葉にすることも出来ないほど有難いもの。その一点、ご回向の席で知っていただきたい、と。
 しかし、最後に、ご家族・ご親戚に、深く頭を下げた。「また、今ひとつ、この場を借りて、みなさまに申し上げ、ご理解をいただきたいと思います。もしかすると、先代がこのご信心に励まれていたことで、ご家族の皆さんは淋しい思いをされたかもしれません。お父さんはお寺に行ったきり。なんで?淋しい、と。その点、私も幼い頃はそう思っていました。お寺にお父さんやお母さんを取られているような気持ちがしていました。しかし、皆さん、お父さんのお心を、どうか考えてください。ご家族には淋しい思いをさせたかもしれませんが、皆さんが知らない、たくさんの人たちが、きっとお父さんに助けられた、支えてもらった、病室にお供水を届けていただいた、お助行してくださった、感謝している、今あるのは、あの人のお陰、とまで頭を下げ、感謝しておられるはずです。お父さんは、御題目で自分が助けていただいた以上、いま苦しんでいる人を、放っておけなかった。苦しんだり、悩んだりしている人がいたら、どこにでも駆けつけていかれた。どうか、そのことを、ご理解いただきたいのです。それほど、このご信心は尊い。淋しい思いをさせてしまったかもしれません。しかし、どうか、今となって、ご理解していただきたい。そして、このご信心を、しっかりと受け継いでいただきたい」とお話しした。
 葬式仏教でも、法事を勤めるだけの宗旨でもない。そのお布施で生活するお坊さんでもない。生きている方、遺された方に、御仏の教えをお伝えしなければならない。その、生きた仏教に、お父さんは、言い方は悪いが、惚れて、心酔して、ご奉公くださったことを。
 涙、涙のご挨拶、ご回向となった。生前、本当に、かの方は、雪が降り積もる中でも、長グツを履いて病気の方のために歩きに歩いて、ご奉公されたという。苦しんでいる方、ご病気の方のために、ずっとご奉公されていたと。確かに、反発していた時期もあったが、いま、父の、その想いが、少し分かるようになったのです、と。涙、涙。
 有難いご奉公だった。

2008年9月26日金曜日

横浜とJazz

 今日は横浜で修学塾。神奈川県、静岡県下の御講師らが参集して、勉強させていただく会合である。

 会場は、横浜の中の横浜、開講記念会館。こんな素敵な場所をお借りして、大切な授業が行われている。有難い。

 この赤煉瓦づくりの開港記念会館は、大正6年に横浜の開港50周年を記念して市民の寄附金により創建された横浜を代表する建造物。国の重要文化財でもある。

 何と言っても、そのシンボルは「時計台」。36メートルの通称・ジャックの塔。明治末の焼失、関東大震災での倒壊や火災などを乗り越えて、復旧創建当時の姿を今に残してくれている。内部は公共施設として講堂や会議室を安価で提供してくれている。私たちもその恩恵に預かっているというわけだ。

 今日の授業は宗学。宗学とは本門佛立宗の教義の根幹を学ばせていただく科目で、極めて大切な授業だ。なかなか、日頃から拝見しておかなければ忘れてしまっている特殊な言葉も多く、農道を走っていて突然高速道路に紛れ込んでしまったかのような感覚になる。フルスロットルになるまでに時間が掛かる(汗)。しかし、コツコツと、有難く、文字面だけではなく、信心として血肉になるように、実際の行動・菩薩行へと昇華できるように、腹にしみ込ませてゆくように、学ばせていただかなければならない。

 とはいえ、ボーッとした頭で昼食へ。テクテクと横浜の中心街を歩く。先日、この近くを歩いていて驚いた、Jazzバーばかりがある交差点に立った。この前、この交差点の近くにあるお蕎麦屋さんで昼食をいただいたのだが、その角にある大きなジャズライブバーや小さなジャズのお店がたくさんあるのに驚いていた。40年近く横浜に住んでいるのに、こうした場所に来ることもない。なるほど、横浜は深い。

 最近、聴いている音楽といえばゆっくりとしたJazzが多い。今年の4月、ブラジルを訪れた際に学校で音楽を教えておられる先生から本場のボサノバを教えていただき、CDまでプレゼントしていただいた。昼間聴いていると元気が出て、夜聴いているとしっとりする。同じ曲なのに色々な顔を見せてくれる。

 音楽はいい。個人的には、しっとりと、シンプルなものが好きなようだ。チェット・ベイカーなど、独特な感触の声とトランペットを聴いていると、何ともいえないゆるやかな気持ちになる。ダイアン・リーブスの歌、特にMistyも好きな曲。俗っぽい話で申し訳ないが、真面目に勉強しつつ、こんなことを考えて歩いていた。

2008年9月24日水曜日

ブラジルのスラム街へ

 ブラジルのひろし君からメールが来た。

 有難いことに、ひろし君は第2回 青少年の一座 東京シンポジウムの際に、「ブラジルのスラム街におもちゃを送ろう」と呼びかけ持ち寄ってくれたおもちゃを配ってくれるというご奉公をしてくださった。アメリカ、ブラジルと、お仕事での出張ではあったが、いつも現地のお寺にお参詣し、特に今回はブラジルの斉藤御導師と共に青少年の一座で集まった私たちの温かい気持ちを届けてくれたのだった。

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清潤師さま

ありがとうございます。本日は、日教寺の朝参詣に行かせて頂きました。私の3人の教化子も一緒です。そしてクリスも・・・。そこで、吉川さんの息子の友人の方をお教化させていただきました。彼は2ヶ月ほど前から、お寺に来ていたのですが、どうしても決心がつかなかったそうです。いろいろとお話をさせて頂いた結果、気持ちよく入信してくれました。斉藤お導師も吉川さん親子も大変喜んでいただけました。本当にありがたいです。

 そして、そのあとおもちゃ配りをさせて頂きました。本当にありがたかったのは、斉藤お導師が本日、日本に出発する日であるにもかかわらず、同行していただき、最初に訪れた保育所(スラム街の子供たちの一部を昼の間、ボランティアで預かっている)まで、ご本尊をおたもち下さり、みんなで(20名くらいの子供たち)お題目をお唱えさせていただいたことです。また、子供たちは、おもちゃに関して本当に本当に大喜びをしてくれました。ありがたく嬉しくて(決して可愛そうではなく)涙が出ました。本当に良かったです。

 その後本物のスラム街に警察の方たちと行ったのですが、想像を絶するくらいひどいところでした。知らなかったのですが、保育所にいる子供たちは同じところに住んでいるとは言え、昼間の間は保育所で勉強や食事が出来るので、実は、すごく恵まれている方だったのです。

 なぜなら警察が関係している保育所ということで、大半の親が嫌がってこどもを行かせず、1日中、麻薬や暴力、犯罪の真っ只中で、生きなければいけない子供たちが、まだまだ、そこには数百人もいたからです。警察の車5台(10数名の警察官のみなさん)と斉藤お導師をはじめとして教務さんが3名、そして私の教化子3名にクリス、吉川さんのお母さんと息子の全員で行かせて頂きましたが、斉藤お導師をはじめ、地元の方々が誰も今までスラム街に入ってことがなかったことから、その事情がつかめず、全員びっくりして、ここではご本尊をおかけしてお題目口唱ができませんでした。

 なにしろ、ここでもおもちゃを配らせていただいたのですが、とにかく無秩序で子供たちが車に殺到し、たいへんな騒ぎだったのです。ただ、救いは、それでも子供たちは日本からのおもちゃに目を輝かせ、大変に喜んでくれたことです。全部、拾った木を集めて作られた家は、狭く暗く日も差さず不衛生で、本当に悲しい場所でした。それでも子供たちだけでなく大人も、みんな人なつこい人たちでした。そして本当に今日一日で、たくさんの人たちと握手をさせて頂きました。

 私は、教化子プラス吉川さんの息子プラスクリスに、「ここに、いくらお金を持ってきたとしても、家をきれいにしたとしても彼らの生活は変わらないし、苦しみは変えられない。彼らを救えるのは本物の仏教、お題目しかない。だから絶対に、ここにいる人たちだけではなく苦しんでいる人たちにもっともっと、お題目をお伝えしていこう」と話して、みんな気持ちを、一つにし改めてご信心に燃えました!ありがたい!

 そして、斉藤お導師と必ず、ここに戻ってきてお題目を、ここの皆さんに(子供だけではなく)お伝えしましょう、とお約束をさせて頂きました。なので、次もおもちゃを持って再びブラジルに来て、今度はスラム街の子供たちにお題目をお伝えさせていただきます。そのときは、是非ご住職とご一緒させていただきたいです!日水上人が生きていらっしゃったら、お一人でも、このスラム街に入っていかれ、ご弘通をなさったと想像し、また燃えてきました!

 さらに、あらためて青少年のみんなの気持ち、海を越えた思いやりの気持ちに本当に感動しました。実際は青少年のみんなの力なのに、代表してこのような場所にこさせていただいたことは、申し訳なく、ありがたく、もったいなく本当に言葉がありません。

 でも子供たちには、みんなの気持ちが絶対に伝わりました。本当に大喜びをしてくれたのです。 本当に本当に、いろいろなことを教えていただきました。ありがた過ぎます。死んでもがんばります!

 今日の模様は、ビデオで撮ったので、またお見せできます。みなさんにも是非、ご披露させていただきたいです。ご住職にも心から御礼が言いたいです。本当にありがとうございます。また現薫師、信仰師、ケンジ、多大なるご奉公、本当にありがとうございました。

 最後になりましたが、青少年の一座のスタッフのみなさんへのご披露は、どのようにさせていただいたら良いか教えていただけますと幸甚です。、ここに書いてあるようなことを、そのままお伝えさせていただいても宜しいのでしょうか?では、引き続きがんばります!

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 上記のようなメールをいただいた。本当に、本当に、いろいろな協力を得て、同悲同苦の菩薩行、和光同塵、教弥実位弥下の実践。机上の空論など、何の意味がない。仏教は実践、絶え間ない菩薩行の行動ということを、痛感する。若者たちの思いが、ブラジルのスラム街に届いた。御仏の教え、お祖師さまの大慈大悲、御題目の光が、苦しむ人々の心に届いた。

 帰国を待っています。

2008年9月22日月曜日

明日は秋季総回向

 明日はお彼岸。今日は朝から秋季総回向の準備ご奉公をさせていただいた。大勢の方々にお参詣・ご出仕をいただいて、明日のお参詣の準備をさせていただいた。
 幼いお子さんが殺害された福岡での残忍な殺害事件は、母親が容疑者として逮捕されるという衝撃的な報道がされた。最悪の結末。思わぬこともなかったが、母親を最初から疑うことなど通常の頭ではできない。ただ、最近のおぞましい事件を見ていると、そんな疑いも浮かんでしまっていた。そして、最悪の結果。
 亡き霊を弔う、先祖に手を合わす。そういう習慣を、狂行に走る人々は持っているだろうか。持っていれば、凄惨な殺人事件は起きないのではないか。お彼岸という誰もが回向を意識する日を前に、そう思う。
 明日、10時から妙深寺では秋季総回向が奉修される。

かわいいモンスター

 ダディー、ダディーと、呼ぶ。なかなか、かわいくなってきた。
 米国の友人が「子どもってのは、生まれてくる前はエイリアンで、生まれてきたらモンスターだ」と言っていたが、そのとおり。さらに、次男はすごい。眼に力があって、我が子ながら親も驚く。こいつは、ヤンチャになるなぁという実感が、ますます募ってくる。
 以前にも書いたが、私も相当にヤンチャをして親を困らせたのだから仕方がないと思うが、次男のきかん気、甘え方など、こりゃ俺を上回ってモンスターだ。
 子どもを巻き込んだ事件が続く。何とも言葉がない。言葉が出てこない。子どもたち、そしてご両親やご家族の心痛、どれほどか想像もつかない。
 ALSのご病気の方の御祈願を、毎朝させていただくようになり、あのALSというご病気で苦しんでいる方のお気持ちを察するだけで、御祈願しながら背筋が凍る。それを看護するご家族のご心痛も。「同悲同苦」とは簡単ではない。出来るものではない。しかし、御宝前で、御題目をお唱えさせていただきながら、恐ろしいまでの苦しみを味わっている方々のご心境に、どこまで達しているか。達していないであろう。申し訳なく思う。子どもたちの事件、我が子を愛でながらも、我が子を失った方々の哀しみや怒りを思う。
 せめて、人間の狂気によって起こる不幸な事件が起こらない世を築くためにも、御仏の教え、お祖師さまの教えをお伝えするという使命を、奮い起こさなければならないと思う。

2008年9月20日土曜日

ウェブ会議システムの活用

 ウェブで会議が出来るとは、本当に便利なものだ。昔の人がこの状況を見たら、どれほど驚かれるだろう。
 私たちは幸せである。遠い国にいる人とも電話で話が出来るし、コンピューターとインターネットを活用すれば顔を見ながら話が出来るのだから。個人的にはウィンドウズやヤフーのメッセンジャーやスカイプなどを使っているが他にも様々なサービスが用意されていて、便利さを実感できる。
 平成が始まった頃、ポケベルですら珍しい時代だった。1993年に「ポケベルが鳴らなくて」というドラマと主題歌がヒットしていた。最初は数字だけだったのだが、プッシュ番号を組み合わせると文章が作れる機能が現れた。電話ボックスから文字表を片手に電話している人を見たものだ。1995年以降、携帯電話の料金が下がり爆発的な普及を遂げた。あの当時、お弁当箱のような携帯電話を持っている人は大変なお金持ちの方々で、私たちが持つなど夢の夢だった。今、高校生や中学生、小学生までが携帯電話を持っている時代を迎えて、本当に恐ろしいほど急速な社会の変化・進化に、ただただ驚くばかりである。
 だから、コンピューターとインターネットを使い、カメラとマイクをセットして、遠い国や地域の人とテレビ会議が出来ることは、本当に幸せなことだと思う。遠くにいる子どもの顔を見ることが出来るし、会議や相談も出来るのだから。
 先日も書いたが、長男と次男もインターネットを使って更新。次男は「にーに、にーに」と呼んでお兄ちゃんの顔を眺めていた。この年齢だと声だけではなかなかコミュニケーションできないと思うのだが、大好きなお兄ちゃんの顔を見ることができて興奮していた。
 現在、定例となっているウェブ会議としてブラジルとの会議がある。ブラジルとのウェブ会議が功を奏して、ブラジル本門佛立宗開教100周年のご奉公は円滑に進んだ。その後も、地球上で日本から最も遠い地域である南米のブラジルと更新し、ウェブ会議を開催して検討している。さらに、来月からは北米のL.A.ともウェブ会議が開催される予定だ。こうしてコミュニケーションの機会が増えることは、具体的なご奉公を進める上でも、ご信心的な相互の向上や改良を促し、育む意味でも有難いことだと思う。
 さらに、来年の8月23日に迎える第3回 青少年の一座 九州シンポジウムの会議も、京都と福岡、熊本の3つの拠点を結んでウェブ会議を開催している。交通費の削減はもちろん、その経費(浄財)を一座の奉修費に活用することもできるのだから、こうしたシステムは有難い。宗門予算の相当な比率が会議開催のための交通費だが、積極的にこうしたシステムを活用していければ有難いと思う。大至急、その整備をすべきだと思う。
 人間にとってコミュニケーションは大切なもの。会議もデジタルだけで済むものではない。デジタルを活用し、人間くさいアナログを切り捨てるわけにはいかない。デジタルを駆使したウェブ会議で全て事足りるのではなく、三ヶ月に一度か、年に数回、少なくとも一回は、会議を構成する主要な人は実際に顔を合わせる必要があるだろう。しかし、いずれにしても、ウェブを使ったコミュニケーションの方法を最大限活用して、ご奉公に活かすことが出来れば大幅な経費の削減になるし、議長の能力が求められるから会議も逆に円滑に進むかも知れない。

2008年9月17日水曜日

備えあれば憂い無し

 一昨日の夕、かねてから救済策について注目を集めていたリーマン・ブラザースが、結果として破綻するという報道が世界を駆けめぐった。
 このブログでも何度か経済問題について触れてきた。私は専門家でもないし、今に至るまで株の取引もしたことがない。しかし、ご信者さんの生活を知り、そして皆さんが生きている社会の動向、特に世界経済の動向について学び、敏感な視線を向けておかなければならないと思っている。幸い、ご信者の中に専門家の方が多く、日々に学ばせていただいている。
 とにかく、日本の国家予算に匹敵する資産規模を持つ米国有数の証券会社が破綻した。この事実は、私たちにとって、覚悟を持たなければ生きてゆけないような、本格的に厳しい時代がスタートしたことを知らせる警鐘のように思える。
 証券会社が破綻すれば、生命保険会社が破綻する。そして、次は銀行の破綻。米国の問題ではなく、間違いなく日本はこの大混乱の中心に位置している。証券会社、生保、銀行の動向に中止しなければならない。リーマン・ブラザースの破綻、メリルリンチをバンク・オブ・アメリカが買収。サブプライム問題に端を発した米国経済の大混乱は、すでに世界中を巻き込んでいる。続けざまに、AIGに対しては一転して政府からの救済策が発表され、9兆円にも上る公的資金の投入を決定した。市場は好感しているようだが、厳しく、困難な時代が慌ただしく始まってしまったことを肝に銘じなければならないだろう。
 恐ろしい勢いでドルが刷られている。専門家でなくても、今後ドルが下落していくことは間違いない。円高が進行するに違いなく、輸出産業は厳しい舵取りを迫られる。もちろん、円高そのものが悪ではなく、その状況から活路やビジネス・チャンスを見出さなければならないだろう。しかしながら、自動車やエレクトロニクス関連企業など、日本経済を支える現在の基幹産業、その傘下である中小企業、特にそこで働く方々は直接的にこの混乱の波をかぶることになってしまう。これから約2年、未曾有のパラダイム・シフトが起こる可能性がある。
 それにしても、いまの銀行は銀行本来の役割を果たせていない。庶民が銀行にお金を預けていることにも意味を見いだせない。今の銀行は、産業も興さず、支えず、預かっている人々に還元することもできない。たんす貯金を投資に回せと言ってきた経済学者たちは、いったい何を人々に期待し、与えたかったのだろう。私たちの生活に、暗闇、不透明さが増している。
 末法の娑婆世界と教えていただいているのだから、そのことを痛感しなければならないのだろう。天災・人災が相次いでいるとはいえ、これまでが幸せすぎたのだろうか。三災七難、盛んに起こるという状況を、私たちは経験しなければならないのだろうか。経済的な困窮、関東など大都市に起こるといわれる大地震、新型インフルエンザの大流行など、恐ろしい事態が近づきつつあるのだろうか。
 いずれにしても、今回の世界規模の金融危機は、住宅ローンを抱えている世代の方々など、いま幼い子どもを抱えたり、社会の中枢を支える世代に厳しい選択、生活、精神状態を強いると思う。だからこそ、ここで警鐘を鳴らし、本当に、大波に備えて、ご信心を励まして、人間の本業に目覚めて、生きてゆかなければならないと思う。
 備えあれば憂い無し。末法悪世は、もとより承知の上。アリとキリギリスではないが、しっかりと地に足付けて、それでも挫けずに、ふさぎこまずに、前向きに歩を進めていただきたい。暗い話ではない。チャンスを探すべきだ。そう、混乱の時にこそ、実はチャンスもあるのだから。

2008年9月15日月曜日

中秋の名月

 昨夜は、中秋の名月。本当に、見事なお月さまだった。
 朝6時半から12時まで、一万遍口唱会が行われ、本当に本堂いっぱい大勢のお参詣者をいただいて、ビンビンと背中にみなさんの御題目の声の響きを感じながら、気持ちよく御題目をお唱えさせていただくことが出来た。本当に、有難かった。
 同時に、第二本堂では「本門佛立宗妙深寺教養会・秋のコンサート― 第二本堂建立2 0 周年―」と題して、それぞれ実力のある演奏家が集まってみんなを楽しませてくださった。
 タイトルにもあるとおり、妙深寺の第二本堂は建設20年。これは、主催者である先生が気づいてくださってプログラムに載せられたのだが、またまたビックリした。というのは、先住日爽上人は、第二本堂の内部を様々な可能性を想定して設計されたと聞いており、葬儀から結婚式、特に音響に配慮してコンサートが出来るようにと考えられていたからだった。
 しかし、私たちの実力のなさなのか想像力や行動力のなさからなのか、なかなかコンサートとして第二本堂を活用することは出来なかった(先住が自ら一度企画されて行われたと思うが)。先住がお亡くなりになってから、こうして日の目を見ることが出来、しかもそれが20周年という記念すべき年だったと聞いて、本当に有難く思った。61名の参加者をいただいて、第二本堂は聴衆でいっぱい。ありがたいなぁ。
 14時から御講があり、私は参加できなかったのだが、御講ではお席主のご夫妻からとても大切なお話をお聞きすることができた。16時をまわって帰山した。そして、中秋の名月。ありがたかった。

2008年9月13日土曜日

スリランカへの団参

 スリランカへの団参。来月の16日から出発して、開教10周年の大法要を営み、24日に帰国する。私は、先発のご奉公として、14日からご奉公に出発する予定だ。
 全国からの団参者は約80名を超えた。しかし、申し込みをいただいたのだが、今後渡航参詣を断念される方が増えるかも知れない。
 宗門としても旅行会社としても、現在未だテロが起きている国でもあり、外務省から「渡航の是非を検討してください」との渡航情報が出ていることから、再度一人一人に渡航するか否かの確認を取るための書類を送らせていただいた。書類だけを見ると、確かに怖くなってしまってお参詣を躊躇される方がおられるかもしれない。それは、一人一人の決断であり、考えていただければと思う。
 考えてみれば、10年前に福岡御導師が行かれた際は、テロが最も激しかった時であった。空港でもテロ騒ぎがあり、飛行機が途中で引き返すこともあったという。そこに、上行所伝の御題目が伝わり、ご信心をされる方々が増えてきた。あれから10年、教線は南部から中部、北部にまで広がり、自分の住む国で起きているテロという蛮行を目の当たりにしながら、国家の安穏と世界の平和を願ってご信心される人々が増えてきたのである。
 今年の4月末、青年会の会長であるディリーパくんにインタビューをした。青少年の一座でも放映したのだが、一部を編集した。彼は19歳で、スリランカでトップクラスの学校、ロイヤルカレッジのアドバンスクラスの学生であると共に、同時に日々ご弘通ご奉公に励んでいる。
 彼からもらった日本の青年たちへのメッセージがある。
「スリランカでは今、内戦状態が続いています。僕は今の世界にとって一番大事なことは『平和』だと思っています。私たちは御法さま、御題目を通じて、世界の平和を実現すべきだろうと思います。世界中に御題目を弘めることは僕たちの義務で、御題目が弘まることで僕たちも助かり、世界の平和を確立させるのだと思います。ありがとうございます」
 素晴らしい内容である。テロの頻発する国に、実際に住んでいる佛立信徒がいる。そして、同じ御題目をお唱えし、世界の平和を祈っている人々がいる。そこに、応援をする形で、私たち日本の佛立信徒が応援参詣をさせていただこうとしている。「渡航の是非」といわれれば、「行ってあげたい」「行ってあげるべきだ」という気持ちになる。「進退極まる」とは、こういうことをいうのかもしれないが、ここで得られるものははかりしれないと思う。
 こうしたことを書くことも憚れる。渡航の是非を検討するのは、あくまでも一人一人なのだから。ただ、当然ながら私は行かせていただくし、現地でも細心の安全をはかりながら私たちの到着を待っている人たちがいるのは事実である。美しい国である。その大自然は、野生の象が群れをなして暮らし、その美しさには目を見張る。本当に、テロが起こるのはごく稀で、人々は安全に、人なつっこく暮らしている。ご信者方一人一人がご選択いただくことは当然だが、妙深寺の教務はご奉公に行かせていただきたいと思っている。
 如説修行抄に「況滅度後の大難の三類甚しかるべしと。然るに我弟子等が中にも兼て聴聞せしかども、大小の難来る時は今始めて驚き、肝を消して信心を破りぬ」とまでいかないとしても、教務としてはここで「肝を消す」わけにもいかない。
 詳細に外務省の危険情報を調べてみると、地図上ではコロンボ市以外では、私たちが訪れる地域は「十分注意してください」という情報で、コロンボ市内に「渡航の是非を検討してください」とある。コロンボ市内では、主に民間のバスを狙ったものが多く、政府機関の建物などを狙ったテロもある。しかし、私たちは不特定多数の人々を乗せる民間のバスは利用しないし、政府機関の建物にも立ち寄る予定はない。法要の会場だがこの場所がテロに狙われる可能性は極めて小さい。
 しかし、私たちが考えを巡らせても、テロリストたちの行動を読むことはできない。確かに、危険な国であることは間違いない。団参者の安全を最大限確保し、その上でご奉公させていただく。事実、今朝連絡があり、この旅行者からの情報をいただいて、妙深寺のお年を召した方が今回の団参を断念された。そのご判断も妥当であるといえる。
 とにかく、一人一人の決断でいい。いま、最終の確認作業を進めている。また、このような状況だが、「我こそは」という方があれば、ぜひ参加いただきたいと個人的には思っているところだ。
 「スリランカ団参へのおさそい」という素晴らしい文章を先生のブログ「本門佛立宗ファンサイト」に載せてくださっているので、ぜひ読んでみていただきたいと思う。その他のページにも、とても示唆に富んだ文章が寄せられている。勉強になります。

2008年9月11日木曜日

7年目の9.11

 日本時間の今夜、米国・ニューヨークで起きた同時多発テロから7年目を迎えた。

 あの夜、確かキッチンでニュースを観ていたと思う。先住がご遷化してから時間が経っておらず、手探りのご奉公を必死に続けていた頃だった。

 衝撃的な映像だった。私たちが観ていたのは、ウェザーニュース用の定点カメラだったと思うが、それでも黒煙に包まれるニューヨーク、そして、あの街の象徴だったワールド・トレード・センターの燃え上がる映像は身を震えさせた。




 私は、すぐに友人たちに電話をした。訳も分からず、とにかく電話した。家族は揃っていたが、これから一体どうなるんだろう、覚悟しなきゃいけない時代が来た、というようなことを、横目でテレビを観ながら話していたと思う。

 全世界の人の現前で、あの事態を見せしめることがテロリストたちの思惑だったに違いない。ある意味で、その意図は達成されてしまった。私たちは、恐ろしい時代の幕開けを、あの映像から思い知り、そして事実、恐ろしい時代の幕は切って落とされたのだった。

 今朝、妙深寺ではYaccoさんが同時多発テロの犠牲者に対してご回向をしてくださっていた。お参詣の方々も同じ気持ちで御題目をお唱えになったと思う。もちろん、7年前の今夜、あのニューヨークで起きたテロの犠牲者のみならず、あのテロによってヒステリックに行われた対テロ戦争、政権浮揚をも狙ったかのようなブッシュ政権が推し進めた「不朽の自由作戦」と、偽の衛生写真を見せつつ突き進んだイラク戦争など、あの夜を起点として起きた紛争とテロ、戦争による膨大な犠牲者の方々の霊を、心から悼んだ。

 精神的な病いではないが、「オール・オア・ナッシング」の選択肢を狭められた状態で、進められた戦争。日本も、「国益」と称して追従することを余儀なくされた。余儀なくされたといえば語弊があるかもしれない。当時の小泉首相の判断は、国民の得知らぬ米国との密約を察するに余りある迅速な対応だった。「国益」ということは、あの戦争によって犠牲となった全ての人々と、その後の世界に対して私たちには責任があるということである。「自分の利益」によってあの戦争を肯定していることになるのだから。私も含めて、である。恐ろしいことだ。

 米国同時多発テロの衝撃は、あの夜に限定されたものではなかった。あの夜、犠牲になった方々だけが犠牲になったのではなかった。あの夜を皮切りとして、テロリストたちの意図したところに引きずり込まれた米国との戦闘、攻撃、テロリストの反撃、テロ、報復によって、世界中の人々、特に犠牲となった非戦闘員である子どもたちや女性たちが相次いでいる。先日のアフガニスタンで命を落とされたNPOの方も、7年前の夜から始まった一連の紛争による犠牲者であるかもしれない。

 こうした一連の出来事を経済的な理屈が後押しする。いま、イラクでは石油企業が跋扈し、その利権を西欧諸国が競って獲得しようとしのぎを削っている。ロシアなど、石油燃料資源を国際政治の強力な武器として活用しようとしている強国が誕生している時代にあって、中東、特に膨大な原油を埋蔵するといわれるイラクを安定化させることは責務であったという声も絶えない。テロによって不安定化すれば、日本のライフラインである安全な航路を確保できないという事実もある。だから、現在に至るまで、あの夜から始まった戦争は肯定され、支援すべきだという理屈だ。

 政治の責任は重い。そして、その政治は、突き詰めれば国民一人一人の責任となる。しかし、情報は国民にとって非常に限られている。私たちは、限られた情報の中で選択を強いられ、そうであるがために立場を保留しながら、無為に時間を過ごしてしまう。今でも続く紛争は、深い傷を人々に残しながら、同じようにこれからも大きな代償を強いてくると思う。

 私は、同時多発テロで攻撃を受けたとされるペンタゴンを見て、複雑な心境になった。去年もワシントンに訪れたが、テロ後に初めて訪れたのはブッディスト・トランス・アメリカの収録の約4年前だった。私には、このペンタゴンに対して本当に攻撃があったのかどうかは分からない。陰謀説などを唱える本が何冊も出版されている。私もそれらを読んだ。限りなくクロに近いが、何とも確証には至らない。これも、ブッディスト・トランス・アメリカで訪れたダラス、あの場所で起こったケネディー大統領の暗殺事件と同じように真相は闇の中なのだろうか。

 ワシントンのホワイトハウスの前に、年老いた女性がいる。映画「華氏911」のラストにも登場した女性である。彼女は、過去何十年も世界最強の超大国であるアメリカの元首、ホワイトハウスの前に野営して反戦・非暴力を訴えている。確か、彼女は国連に勤めていたはずだ。反核運動に身を投じ、彼女のテントの前には広島や長崎で被害を受けた子どもたちの写真も並べられていた。なんという勇気、行動だろう。

 1981年、全てを捨てて彼女はこの場所に居座ろうと決めた。本当のところ、彼女の心に何が起きたのかは分からない。しかし、猛烈な焦燥感、正義感、危機感によって、彼女は世界最強国家の元首に対して直接行動をすることを決めた。

 アメリカの多くの人たちは、「彼女が居座ることを許しているアメリカこそ、やはり民主的なのだ」と言うかもしれない。確かに、ロシアや中国では一夜で退去させられているかもしれない。しかし、彼女も同じだ。何度も退去を命じられたが、不屈の精神で戻ってきた。アメリカの民主主義は、単に矛先をかわすだけのためにあるのではないはず。

 私には、彼女を気が狂っていると言い切る気持ちはない。彼女の行動に対して敬意を抱いている。今年、彼女にはカステラの差し入れを持って行った。ワシントンの街並みは凍てついていた頃だったので、とても喜んでくれていた。30年近くあの場所にいて、反戦・反核を訴え続けてきた彼女の、使命感と行動力が私にあるだろうか。常に、反省させられる。評論家にはなりたくない。私も、2003年11月、イスラエルに向かった。あの当時、行動しなければいてもたってもいられなかった。あの紛争の近くに身を置き、愚かな人間の行為を学びたいと思った(しかし、相次ぐ渡航者の拉致や誘拐、殺害事件を見聞きすると、今でこそそれらが無謀であることも学習したが)。

 私は、当然ながら、本門佛立宗の僧侶として、こうした一連の事件の背後に宗教的背景を見出していた。「文明の衝突」というつもりはない。どうしても単純化できない。しかし、イスラエルに渡航しながら、過去から現在に至る大きな歴史の流れの中の、カルマとしての憎悪の連鎖、そして近・現代に於ける中東にまつわる歴史、アメリカの政治を左右している宗教団体やユダヤロビーについても学ばせてもらった。

 そして、エルサレムの城壁の上で、気が遠くなるほど複雑に絡み合った糸をほどくためには、同じ時間がかかると考えた。つまり、3000年か、5000年か、と。ただ、私たちには御仏の教えがある。とにかく、真実の仏教が、一人一人の心を通じて広まってゆく必要がある、伝えていく必要がある、と確信した。それは、政治的な活動では叶うはずが無く、現在まで続く海外弘通と、それと連動した国内での佛立信心再発見、ご弘通ご奉公でなければ達成できないと思ってきた。とこで結びつくのかと思われる人もいると思うが、私の中ではつながっている。

 ワシントンからフィラデルフィアを経由してニューヨークへ。ひろし君と一緒に訪れたグランド・ゼロ。あの同時多発テロの起きた現場で、御題目をお唱えさせていただき、短い時間だったが御本尊をお掛けし、正装し、一座を勤めさせていただいた。ほんの、わずかな時間、しかし、私にとっては、深い、深い、重い、重い、大切な時間だった。あの時、様々なことを願い、そして誓った。あの日の夜、ニューヨークのホテルで泣いた。

 グランド・ゼロから近い教会に、犠牲者の遺族たちが捧げたモニュメントやメッセージを飾っている教会がある。私たちは、そこを訪れ、それらを目にした。突然の悲劇に、癒えない深い傷を背負ったご家族の悲鳴が伝わってきた。しかし、同時に、それらは、あの日以来続く悲劇の先にいる家族と同じ、癒えない傷である。

 自分の家族を想いながら、突如として愛する人と別れなければならない苦しみを想像した。無論、第二次世界大戦の東京や横浜等で行われたで大空襲や広島・長崎の原爆による犠牲者やそのご家族をも想い返す。妙深寺にも、多くの犠牲者のご家族がおられ、そのご回向も毎月させていただいている。

 しかし、この場所の出来事は、現在も進行している戦争の、ある起点であり、その戦争の一端を我が国も担い、未来に対する責任を負っていることを思い起こさなければならないのだと想う。

 文章がまとまらないが、明日は龍ノ口の御法難の日である。来年は立正安国論上奏750年。私たちが感じなければならないこと、やらなければならないことが、たくさんあると思う。もっともっと、私たちも行動しなければならないのではないか。自分のためだけに動いていると、結局は自分たちを追い込んでしまうことになる。他を想い、そして自分の出来ることを考えるべきだ。

 「Think Globally, Act locally」

 先生がブログで書いていた言葉を思い返していた。今日、いろいろな想いを抱いて、これからのご奉公のことを考えていた。

信心という行動

 人生には数多くの幸せや宝物があるように思うけれど、心の中に芽生えた「信」以上の宝物はない。逆に、「信」をもたない人ほど不幸な人はいない。
 「三証」という定規がある。三つの「証明」を持たなければ信じるに値しないという宗教選択のための定規で、「道理証」「文証」「現証」の三つの証明を備えていなければ本物の仏教とはいえないと教えていただく。
 「道理証」とは、その宗教が道理からして外れていないかという点。多額のお金を払わなければ救われないとか、教祖が神仏の化身とか、高額な戒名料や塔婆料なども道理に合わない。ごく普通に考えて、「どうやらおかしい」というのは、信仰の対象ではなく、正しい宗教、仏教とはいえないというのである。少し考えただけでも、ほとんどの新興宗教や葬式仏教は、最初の「道理証」で除外されてしまう。
 第二の「文証」とは、どれほど聞こえの良いことを説いていても、経文に裏付けがなければならないという点。時代や人心に配慮した聞こえの良い話を作っても、仏説でなければ一面を捉えた自説だ。それは当然仏教ではなく、普遍性を持たない。近年に多い新々宗教はこれである。
 最後の「現証」とは、その教えを実践して、どのような「結果」が出るかという点。第一と第二の証明を備えながら、実践してみても結果が出ないのでは意味がない。私たち人間が抱える課題の全てが、実践することでどのようになるか。どのような結果が出るか。御法の尊いことを現前で実感する、証明いただくのが「現証」である。
 お祖師さま(日蓮聖人)は、
「日蓮佛法をこゝろみるに道理と証文とにはすぎず。又、道理証文よりも現証にはすぎず」
とお諭しになられている。
 三証の中で、道理理と文証とは欠かせない証明だが、最後にある「現証」こそ欠かせない、有難い、尊い証明である、と。
 現証の御利益が最も大切である。上行所伝の御題目をいただいて、ご信心させていただくようになり、悩みが晴れる、事業が発展する、仕事や人間関係が上手に回り出す。病が癒え、良い御縁をいただき、穏やかになり、爽やかにもなり、軽やかになる。こうした「現証の御利益」を日々夜々に聴聞して、感得できるのが真実の仏教である。
 しかし、その「現証の御利益」の中で、他に比べようもないほど尊いものが、「あなたの心にご信心が起きた」ということなのですよ、と教えていただく。
 ご信心で御利益をいただけた、御利益でご信心が起きた。どちらが先にせよ、正しい信仰が起きたことが、最高最上の御利益なのだ。この意味は何よりも深い。
 うつ病を患っている方々の中に、このことを顕著に感じる例がある。心のエネルギーが抜け落ちた状態、「信じる心」「信じられる人、モノ」がなくなり、何事も選択できなくなる。自分すら信じられなくなり、徐々に選択肢が狭まってしまう。「オール・オア・ナッシング」の状態になり、仕事を辞めるしかない、離婚するしかない、死ぬしかない、と思い込んでしまうという。
 たくさんの方々のお話を聞き、ご奉公を重ねる中で確信するのは、心の病の特効薬は「信心」であるということだ。
 人間は、「信じる」ことで生きていける。「信」という心の働きが、人生を心豊かなものにする。もし、この「信」が失われると心はバラバラになる。何も出来なくなる。
 信じなくても良いものを信じていると、些細な出来事をきっかけにして「信」は脆くも崩れ去ってしまう。三証が備わることもなく、次々に移り変わる対象を心の柱としていたなら、柱が倒れてしまうことも起こり得るだろう。
 だから、人間が信じるに値する法華経本門の教え、「御法」を信じていただきたいと思うのだが、心の病を患っている方に対して、「信じる心を持とう」と言っても、無理な話で、簡単にできるものではない。
 いくら「信じる心」が大切でも、「信じなさい」と言われて「信」という心の機能が働き出すならば苦労はしない。時間を費やしても、信じなさいと強要しても、「信」は起こらないだろう。それが心の病の特効薬としても、である。
 私たちのご信心、本物の仏教は、ここでも有難い。
「信とは行なり、行とは口唱なり」。
 「信じる」とは心の中の働きだが、それは同時に「行い」「アクション」でなければならない、と。行動の中にこそ「信」があり、その「信」の「行動」が「口唱」なのである。信を失い、心の中の悪循環を繰り返してしまう方々に、「信」を取り戻していただく具体的、実践的な方法が、「南無妙法蓮華経と御題目を唱え重ねること」という「行動」「アクション」なのである。
 素直正直に、色や味を加えず、御本尊の御前に座って、御題目を共にお唱えする。ただお唱えする。できるのならば、思いをご祈願に代えて御宝前に言上させていただければいい。少しずつ、少しずつ、心の中に信が蘇ってくる。しかも、その「信」は、世にたとえようもない宝である。他に比類することもない本当に信じるに値するものなのである。私たちの人生の中で、これほどの幸せはない。
 御教歌に、
「信心のおこるばかりの御利益は 世にたとへなきたから也けり」
とある。
 個人の欲望を満たすためだけに御題目の御力があるのではない。病気治しの信心ではないと教えていただくのは、ここである。全てのご奉公、菩薩行の行き着く先に、「正しい信」を起こさしめて、その人に最高最上の宝を手渡し、真の幸せに導くという目的がある。「正しい信心」が起きなければ、その人は未だ闇の中にいる。何才であろうと、臨終の際にいようと、「信」を持てたか否かこそが大切なのである。
 真実の仏教の帰結とは、「信」の一字であり、その「信」は御題目口唱の一行、「アクション」「行動」であると教えていただく。事実、この信心という行動こそが、不安定さを増す末法という社会で、戒律や禅定という修行では成果も得られないほど過酷に生きる人々にとって有効な修行であることは疑いない。神経内科の療法や、自律神経失調症の治療法より有効であることは間違いないが、これは単なる理屈や理論ではない。
 信心とは行動であることを知り、御題目口唱、お参詣、ご奉公にと前向きに実践することが大切。行動の伴わない仏教はない。

『妙深寺報』 9月号

 連日、9月の御講が続いている。

 御講は佛立宗の命ともいわれるもので、各ご家庭では教区のみなさんのご奉公をいただいて準備を進めてくださり、導師を迎えられる。

 今年から、10時、12時、14時という開始時間で横浜各地を廻っていく。移動時間は10分から30分程度で、各ご家庭には多くのお参詣者が集い、奉修導師の到着を待つ。

 妙深寺報の9月号は、8月に奉修された鈴江御導師の特別御講の特集である。また、夏期参詣と特別御講の際にお話してくださった方々の記事も掲載されている。今回も読み応えがある。

 中でも、お父さまの病気と青少年の一座を通じて様々なことを感じ、お計らいをいただいたと語ってくれた森山くんのお話は目頭が熱くなる。素敵な青年だなぁと、佛立信心をいただいている青年の感性の素晴らしさ、優しさ、思いやり、感謝の気持ちに頭の下がる思いがした。むしろ、こうしたお話を聞いていると私の方が日々の自分を反省する気持ちになる。

 裏表紙は、青少年の一座のスナップを集めたもの。綺麗に整えてくださり、有難い。もう、夏も終わりに近づき、横浜には涼やかな風も吹いているから、あの暑さの中で奉修された「青少年の一座」も遠い日の出来事のように感じられるが。

 現在、鋭意DVDを制作中。一人でも多くの方に、あの日の模様と感動が伝わるようにと思って頑張って編集作業を進めてくれている。

 青少年の一座は、まだ終わることなく続いている。九州では第3回の準備が進んでいるし、第2回の実行委員会でも一緒にご奉公した方々との絆を大切にして、お助行の輪を広げてくれている。

2008年9月9日火曜日

事故米?汚染米?

 汚染米の報道。昨日に引き続き、こんな話。人の口に入る食品の信頼が崩れるような事件。経営者のモラル欠落、競争の激化、縦割り行政、司法の盲点などなど、挙げれば切りがない。背に腹は代えられないとうそぶくこともできるが、子どもたちの食べるスナック菓子にも、お年寄りの食べるおせんべいにも、お酒にまで、毒性の強い物質が入った「汚染米」と呼ばれるものが使われていたとは。

 それについて、誰に頼ったら良いのか分からないし、対応が見えてこないのが、もっと恐ろしい。誰が誰を守っているのかな?政治、悪いですね。

2008年9月8日月曜日

どうなってるの?

 夕食でニュースを見ていて、 気持ちが良くなることがない。いっそのこと、ニュースなんて観ない方が良いのではないかと思ってしまう。寝付きも悪くなる。

 ジャーナリズムの問題も語られている。時間が経てば社会には腐敗がつきものだから仕方がないと言われればそれまでだが、各界と報道機関が密着して、社会部がスクープを取り上げても政治部がそれを取り下げさせるなど、異常な状態が続いているというのである。こうした癒着はメディアで仕事をしていれば容易に想像がつくが、何とも情けない。

 今夜は「鹿児島産うなぎ」と表した商品が産地偽装していて、それをニュース番組が購入し、検査機関に持って行って、偽装が明らかになったというもの。それを取材し商品を購入したのが神奈川県というのだから、地元である。なるほど、産地偽装の問題も身近な問題として受け取ることが出来て有難い。

 報道番組では、厚生労働省にもその商品と検査結果を持ち込んだ。食品Gメンなる方々(名前だけ非常に権威があるように思う。確かに、これは連邦捜査局/FBIの捜査官、「Government men」という言葉の略なのだから)が出てきて、「これは怪しいですねぇ」と言うのみ。そこからはレポーターが偽装が発覚した会社の会長に突撃インタビューを行って、理不尽な回答を得て終了。何とも、またイヤな気持ちになる報道だった。

 この国には、政府があるのか、その政治・行政を支える官は機能しているのかと、恐ろしく不安に思うし、憤りを感じるのが普通だろう。誰が守るのだろう、誰が取り締まるのだろう、この事態を。JAS法の問題点をコメンテーターか解説者が述べていたが、それを是正し、改正していくのが政治家の責務なのである。それを忘れて、何の存在意義があるのだろう。

 本当に、情けない。総裁選挙などで惑わされている場合ではない。株式会社・自民党、株式会社・民主党など、そのレベルの低い話に付き合っていたら仕方ない。本物の政治家がいないものだろうか。既得権益の代表者として仕事をしている小粒な御用聞きのようなことでは、国家の運営は出来ないのではないだろうか。人々の関心を引く消費者庁などを作って、また膨大な経費を浪費するよりも、現在の法の盲点をあぶり出し、社会に内包する問題点を改善するために既存の省庁に本来あるべき仕事をさせることが政治家の勤めではないのか。

 あぁ、今日は夕食後も、ニュースを観ていたがためにイライラしてしまった。こんなことではいけないな。ニュース、観ない方がいいかしら。いや、国民として放置していて良いわけがないな、こういう問題は。

2008年9月7日日曜日

エンタの仏様

 久しぶりの投稿。今日は敬老会。盛大な開催。妙深寺では「長寿御礼御講」と題して奉修させていただいている。教養会の方々の一致団結・異体同心のご奉公によって、本当に盛大に開催された。お参詣いただいたお年寄りの方々も大いに楽しんでくださったと思う。
 楽しい出し物がたくさんあって、演芸、歌など、楽しませていただいた。妙現寺から上杉さんと4人のチームが参加してくださって、大盛り上がりだった。教務部も、短い時間でよくやってくれたようだ。今年は、エド・清従と、ジョイマン・清顕、アントキノ猪木・清康などなど、やってくれたらしい(笑)。キャンプの時に「エンタの仏様」と題して出し物をやったのだが、教務部のパフォーマンスが定例化してしまった(笑)。あとでビデオ観よっと。私は、少しシリアスな面会があり、そちらでお話をさせていただいていたので中座してしまった。ご奉公者の方々、本当にありがとうございました。
 夕方から、また雷雨。もう壮絶である。地震計も誤作動したと報じていたが、当たり前だろう。ドーン、ドドーンと、地鳴りを上げてカミナリが落ちている。インターネットは結局ずっと普通だった。京都に行っている間にプロバイダから新しいターミナルが届いていて、昨夜やっとつながったばかりなのに。
 パソコンを電源から引き抜いて、しばし待機。窓の外でピカっとカミナリが光っていた。少し落ち着いたと思ったら、回線が通じない。一時的なものでよかったが、やはりカミナリの影響でインターネットが普通になっていた。このまま、天候不順が激しくなれば、文明社会は脆くも崩れ去るのだろうか。いや、簡単に崩れ去るだろう。なんとかしないと。政治の無責任さには辟易して、期待や希望も失いそうだが。
 いやいや、頑張らねば。ありがたーい!と声に出して、明日も教区御講三席。頑張ろう!

2008年9月2日火曜日

カミナリ

 連日のカミナリで、インターネットがつながらなくなってしまった。ブログの更新もできずに9月に突入。いよいよ、年の瀬に充実感を得るために最も大切な9月のスタート。いろいろな点を見つめ直して、ご奉公させていただかなければ。
 週末には敬老松風会、14日には一万遍口唱会、秋季総回向もある。それぞれに、弘通部が例年にはないご奉公を用意してくれていて、それを前向きに受け取ってくだされば、また功徳の積めるご奉公になる。ありがたい。
 それにしても、ゲリラ雷雨と呼ばれる豪雨やカミナリは恐ろしい。浸水被害に遭われたご家庭も多く、亡くなった方もおられるのだから、よほど警戒していなければ文明社会といっても脆く危険なことを痛感する。
 災害対策を、お寺でもしっかりとさせていただかなければならないと思う。

利害と損得だけじゃダメ

3年前、2015年9月26日に書いた文章。 何を思っていたんだろう。 写真は飯田の師匠の畑で撮った写真でした。 太陽の光を浴びる秋の花。 自然に比べて人間界の難しさや人間の愚かさを感じていたのかな。 「利害と損得。 利害と損得が定規なら信も義もない。 ...