2009年9月30日水曜日

無事にお助行が終わりました。

本当にありがたい。お助行が無事に終わりました。シンガポールでのご奉公も無事に終わり、今からご供養をいただいて、空港に向かいます。

孤軍奮闘。シンガポールでのお教化に

 昨日の早朝スリランカを発ち、シンガポールに到着。そこからホテルへ。シンガポールでは週末にF1が行われていたとのこと。大混雑で、ホテルには到着したがチェックインできず(汗)。クタクタだったが、ロビーでずっと待つことに。参った。
 ようやくチェックインできたのが5時近く。既にシンガポール在住の本門佛立宗のご信者さんとのお約束の時間になっていた。少しお待たせして申し訳なかった。
 今回、何としてもシンガポールに寄らせていただこうとスリランカから1泊の計画を立てた。シンガポールに住んでおられる方からメールをいただき、何とかシンガポールの方をお教化したいということで、お力になれたらと立ち寄ったのだった。
 オーチャード通りに面したビルのカフェでシンガポールで英語教師をしているジェットさんとお会いした。聞いてみると、以前は仏教徒だったが今はクリスチャンとのこと。なぜクリスチャンになったのかというと、救急車で運ばれるほどのひどい喘息を患っていたのだが、ある時友人からキリスト教の教会を紹介され、そこに通うようになってから喘息が改善したという。それから、その教会に通うようになったとのこと。
 まず、彼が信仰していたという仏教団体について聞いてみた。残念ながら私はその仏教団体を知らなかった。そこで、どのような経典を信奉していたかと聞いてみると、よく分からない。ダイヤモンド・スートラやハート・スートラという。さらに聞いてみると、それは中国系の仏教団体で、経典というか、釈尊の「経典」ではなく、違う古代の仏教研究者(名前は知らなかったが)が書いた「教典」だという。
 私は、法華経について説明した。私たちは法華経、ロータス・スートラ、サッダルマ・プンダリーキャ・スートラという経典を信奉しているということ。駆け足だったが、簡単に法華経について説明。この法華経は、特定の国が信奉しているだけではなく、仏教徒であればその存在を無視することは出来ないほど貴重で、尊ばれている経典であること。それは、釈尊最晩年に説かれた経典であり、そこにはあらゆる釈尊の教説が説き明かされていること。そして、その経典の中で、釈尊はご自身のルーツについて明らかにされ、プリモーディアル(根源的)な「久遠本仏」という存在を明らかにされ、そのプリモーディアル・ブッダから、特に末法という時代に特定して、プリモーディアルな御弟子さんに尊い「ダルマ(法)」を届けるように委託されたことを説明。そして、その御弟子は、約750年前に極東の島国、日本に誕生されたこと。
 なぜ、その人こそ法華経の中で釈尊に委託された人物であると特定できたのかというと、それは法華経の中に説かれているとおりの「法難」に遭遇したから。その法難を乗り越えて、彼自身もプリモーディアルな存在であることを自覚され、私たちに「ナムミョウホウレンゲキョウ」というマントラ、ダルマ、ダルマカヤを、届けてくださったことを説明。ここではだいぶ省略。
 もし、事業を起こすか、借金を返すかするために、投資を求めようとしたとする。しかし、同じお金でも、銀行から借りるのと、ヤミ金から借りるのでは、同じお金に違いはないが、その後の結果が異なる。「ベネフィット(利益)」というものも、それぞれの宗教が語るが、本物の宗教、真実の仏教からいただく「御利益」と、そうでないものとの違いがある。
 私がイスラエルに行ったこと。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、一つのバイブルから誕生していること。この3宗教のルーツにある旧約聖書の、ヨシュア(英語圏ではジョシュア)記、あるいはヨブ記について。私は、信仰というものを尊重した上で、こうした宗教には危険なDNAがあると思っているし、その3宗教に対して「仏教」という立場から、しっかりと教えを説いていかなければならないと思っていると伝えた。
 そして、この「ナムミョウホウレンゲキョウ」を唱えることによって、どれほど自分の心、身体、家族、過去、現在、未来が変わっていくか。もし、このシンガポール在住の方の家に行って、20分御題目をお唱えしていただけば、その帰り道から、何かが変わることを実感できると思うとお伝えした。
 夕食をいただきながらのお話なので、どこまで伝わったか分からないが、シンガポールで孤軍奮闘お教化をしようと頑張っておられる方のお力になれたらなら嬉しい。
 これから、その方のお宅に伺って一座のお助行を勤め、23時過ぎのフライトで日本に向かう。1日の7時半に成田に到着する予定で、そのまま横浜に戻り、10時からの月始総講を勤めさせていただく予定。

2009年9月29日火曜日

小さなハサミ

これからシンガポール行きの飛行機に乗ります。濃い内容のスリランカご奉公で、振り返るとおはからいばかりだったと気づきます。

いま、セキュリティを通過したけど、いつも気になる小さなハサミの残骸。どう考えても鼻毛切りにしかならない小さなハサミも没収されてる。なんでかなぁ。テロリストなら、もう少し違うんじゃないかなぁと。

そんなことより、飛行機に乗ります。

空港に着くかな?

4時にセンターを出発して、真っ暗な中を空港に向かっています。

アベイさんが車で送ってくれていますが、ファンベルトなのか何なのか分かりませんが、エンジンの中からバタバタ、カチャカチャ、ボンボンと、すごいノイズがしてます。アベイさんは大丈夫と言ってるのですが、どう考えても相当深刻な音です。空港まで着くかな?心配です。

しかし、この車は「広宣流布カー」と呼ばれ、30万キロを超えて走っている強者です。メーターのほとんどが壊れていて当たり前のスリランカですから、きっと30万キロは遥かに超えてます。よくこれで走るなぁと思うほど、すごい状態です。

大丈夫みたいです。大丈夫とアベイさんが言ってますから。いま、さらにノイズは大きくなっていますが。ありがたい。

サウジアラビアでのお教化

 スリランカでのご奉公が終わろうとしている。あと、4時間後にはセンターを出発して空港に向かう。いつものとおり、ギリギリまでご奉公が続いた。思考停止…。いま、ボーッとしてしまう自分を奮い起こして、荷物を詰め込んでいた。
 左の写真は、アヌラダープラで宿泊したホテルの屋上から撮影したアベヤギリヤ大塔と、その手前にあるジェータワナ・ラーマヤと呼ばれる大塔。紀元前1世紀に建立されたアベヤギリヤと紀元3世紀に建立されたジェータワナと、その偉容は見る者を圧倒する。現在まで残っている高さが70メートル。原型は122メートルあったというのだから驚かずにはいれない。本当に、スリランカという国にはインドで消えてしまった「仏教」がそのまま冷凍されて守られてきたような気持ちになる。最も印象的な一枚だと思って、載せてみた。
 最終日となった今日も、一分一秒を惜しんでご奉公させていただいた。日本大使館、ホテルでの面会、御奉安のご奉公、お助行、お塔婆の浄書、法要、御本尊の授与式、お数珠の贈呈式、突然の口唱会、ミーティングしながらの夕食…。
 夕方、お塔婆の浄書が終わるのを待って、すぐに法要を営ませていただいた。お塔婆を建立することの意味についてお看経の後でお話しさせていただいた。また、ここで、日本からお預かりしてきたお数珠の贈呈式を行った。詳しく、その意味、その気持ちをお伝えし、全国の方が、どのような気持ちでスリランカに送ってくださったか、それをどのように受け止めるべきかを考えていただけるように、ディリーパから詳しく説明をしてもらった。北海道の本現寺さまから届けられたものだと思うが、お数珠を納めた箱にかわいいイラストが書いてあり、それを見せながらご披露させていただいた。
 今日の法要の後。アベイさんから特別にお願いがあった。これから海外で護持させていただく御弘通御本尊を前にして、御導師に一座の口唱会をしていただきたい、と若い夫婦が言っているということだった。事情をお聞きして、すぐに急遽口唱会をさせていただこうということになった。
 二人は11月に結婚する予定だが、彼は単身赴任で長くサウジアラビアに住んでいる。先日帰国したのだが、また仕事のためにサウジに行く。驚いたことに、彼は心の底からこのご信心に随喜して、何と赴任先のサウジアラビアで3戸のお教化を成就したというのだ。そして、これから御弘通御本尊を護持して、サウジに行き、みんなで口唱会を行い、ご弘通に気張るのだと言ってくれていた。本当に感激した。ありがたい。このシンプルな喜び。そこから、いとも簡単に、御題目が広がっていく。
 彼との再会を約束して、みんなで熱烈なお看経をさせていただいた。さて、荷物を整理して、少し仮眠。で、空港に向かう。5時20分までに空港に入らなければ。

2009年9月28日月曜日

スリランカのお塔婆

今はスリランカ時間の17時。これからセンターに於いて総回向を奉修させていただきます。

先ほど、ワリワッタ家への御本尊奉安のご奉公に伺っていました。若いご夫婦でした。幸せになろうと約束して結婚したのですが、身体の不調に苦しみ、仕事もうまくいかなくなり、悲しい日々が続いていたとのこと。そこに、インドゥラーニ女史が訪ねてきて、「あなた、何か苦しいことはない?」と言われ、自分が抱えてきたものを話しました。インドゥラーニ女史も、まだHBSに入信して6ヶ月。そんな初心の人が、この話を聞いてすぐにセンターへのお参詣を勧めました。そして、今日こうして御本尊の奉安。

お金が無くて、昼食のご供養が出来ないかもしれないと、若い妻であるタヌージャは心配だったといいます。でも、この「almsgiving(布施・供養)」だけは、何としてもさせていただきたいと決意して、今日を迎えたということでした。アベイさんも、そんな状態だからこそ功徳が積めるようにさせてもらいなさいとお話ししていたそうです。今日のお昼のご供養。ありがたくて、本当に、心が震えました。どうか、幸せになって欲しいです。

今は、御塔婆を浄書させていただいて、これから総回向です。

月曜日

今朝は、朝のお看経からスタート。大きな御講の次の日、月曜日ですが、朝からたくさんのお参詣とご奉公をいただきました。朝のご供養はタリンドゥのお母さんから。キリホディが、とても美味しかった。

9時半に出発。10時から日本大使館を訪問。その後、ホテルに移動してロビーで二組のご信者さんと面会や相談。また時間オーバー。急いでセンターに戻って、ご本尊とお戒壇をお供して、今は新しいメンバーの家に向かっています。今日、ご本尊を奉安させていただくことができるのを心から喜んでおられて、お昼のご供養を用意していただいているとのこと。ありがたいですね。目が回るようなスケジュールで、貴重な嬉しいご奉公。難しい話もありますから。とにかく、愚痴を言ってもはじまらない、まずは、明るく、楽しく、ご奉公させていただこうと、身をもって伝えなければならないと思っています。HBSらしいご奉公とは何か、伝えたいです。

いま、急ブレーキ!また、ぶつかりそうになったぁ。スリランカの運転は、本当にすごい。オチオチしてられません。油断できない。ありがたい。

2009年9月27日日曜日

タミルの挨拶 「ワナッカム」

 難民キャンプとは、如何なるものか。ここに、何度か「想像を絶していた」と書いたのは誇張ではない。70000世帯のテントが立ち並ぶ光景は、本当に言葉を失った。
 戦争地域を車で走りながら、何度か検問を抜けて、道路のアスファルトも剥げてくると、両側にテントが見えてきた。行けども行けども、テントが立ち並ぶ。そして、鉄条網に洗濯物を干す人や、子どもたちが遊んでいる姿も見えてきた。
 現在、287000人が暮らす難民キャンプ。世界でも最大規模ではなかろうか。渡航前は「セクター2」と行っていたキャンプの正式名は「セッティクラム(Settikulam)」というエリアらしい。今日、ドクター・ゴタムネに聞いてみたら、このようなキャンプが大きく分けて3ヶ所があるらしい。ゴタムネは永くスリランカ軍で働いているドクター。実態に詳しかった。
 実際、これらの難民キャンプに外国人が入るのは極めて難しい。海外からの義援金(Donation)はコロンボの事務所に一括してまとめられる。それを、救済事業ということでコロンボの政府主導で行っているとのこと。私たちは、アマル氏やその他の協力を得て、こうした直接的な支援活動を行えることになった。とにかく、深い御縁のあるスリランカで、本門佛立宗として、まごころのご奉公をさせていただきたいという主旨で、日本全国の多くの方々から志をお預かりし、お届けするミッション、プログラムが組まれた。
 最初のチェックポイントはマダワッチという名。いま、キャンプの中に同居しているLTTEの構成員と支持者、その家族について説明を受けた。「マハーウィル」という意味は、「ヒーローの家族」という意味だという。この戦争で命を落としたことを、民族のための「ヒーロー」としていて、その「家族」であることを賞賛している。分離独立のために命を捧げた人、その家族と呼ばれる人々が、この難民キャンプには住んでいる。言葉は同じでもパレスチナのそれとは事情は異なるが。
 なぜ、外国人を難民キャンプに入れないのか。そこには重要な理由があるという。海外の支援団体が難民キャンプの解放を求めていて、そのNGOやNPOがLTTEの「マハーウィル」側に「支援物資」と言いながらトランシーバーや携帯電話などを持ち込んでいたという。そのマハーウィルは、キャンプ内で活発に活動しており、先日も「シンハラ人の血でプラバカラン議長の銅像を造りましょう」とポスターを貼っていた。
 外国人のあるグループは、積極的にLTTEを支援している。これは極めて難しい問題で、「人道的支援」がこの状況下でどこまで当てはまるのか考えねばならない。30年ちかく、教育も受けられず、学校にも行かせてもらえず、極端な思想だけを植え付けられた子どもたちや青年たちがいる。この人たちに、どう接していくことが妥当であり、効果的なのか。彼らの人道を、本当の意味で守る道は、どのようなものか。
 外国人支援者がビデオを撮り、英国で発表したという。その影響を知り、スリランカ政府はナーバスになっている。政府がタミル人を刑務所のようなところに押し込んでいる、と一方的な報道が為されたという。ユダヤ人を押し込めたゲットー、強制収容所のような劣悪な環境下にタミル人を押し込んでいると、映像を使いながら説明したらしい。「冗談じゃない」とスリランカ政府の人はいう。数十年間も血を流して、しかも、先方は、勝つためならば惜しみなく自分に従う市民を殺し、洗脳を行っていた地域と人々。これから、先が見えなくなる。気が遠くなるような問題に直面しているのがスリランカではないか。「人道」という言葉で片付けられない、「人間」というものの存在そのものが問い直されているような気がする。そこに生きる人々、双方に、私たちは、何をもたらすことができるか。
 スリランカ政府は、出来る限りのサポートをしているという。コロンボでも貧困にあえいでいる人もいる。このタミル人の地域だけ苦しんでいるわけではない。それなのに、こうして難民キャンプを設けて、彼らに一般的な教育の機会を与えることなどに努力している。そのことを理解して欲しいという。
 このキャンプにテラワダの僧侶はいない。「なぜいないのか」と聞いた。「いや、いないのだ」という答え。タミルには仏教は説けなくても、シンハラの兵士たちには説いたらどうか?いや、タミルにこそ仏教を説くべきではないか。仏教国で起きている内戦なのだから、その僧侶には責任があると思う。しかし、彼らはそれをしない。上座部仏教だからである。日本で、上座部仏教に興味を持っている人は、こういう現実を知った方がいい。限界がある。越えられない。口当たり、耳当たりの良いことを並べても、結局は真新しいだけで、真実や普遍性がないということになる。そこに耐えるのが、本門佛立宗の、真実の仏教だと思う。テラワダとマハヤナ、上座部仏教と大乗仏教の違いを思い知る。やはり、本門佛立宗だ。
 しかし、キリスト教は、こういう場所では元気というか、威力を発揮する。活動は活発。何が彼らをかき立てているか、今度ゆっくりと書きたいが、それでも、目立つ。タミルは20%はキリスト教だと聞くが、そうなのだなぁ。とにかく、ここで、セッションを行った。
 タミルの言葉では、「こんにちわ」を「ワナッカム」と言う。一生懸命に覚えて、最初は2歳~5歳までの子どもたちが待ってくれている場所に向かった。ここで、今回のおまけのように購入させていただいたおもちゃを、お渡しすることになっている。それぞれ、ご主人が、この難民キャンプを抜け出すために、志願して職業訓練のプログラムに申し込んだ人たちである。奥さまも前向きなのだろう。子どもたちを見ていると、何とも言えない気持ちになり、涙が溢れてくる。
 その後、会場を移して、その職業訓練校で学んでいる人たちのクラスを廻った。黒板にローマ字で御題目を書き、それをタミル語にしてもらった。少しだけ練習すると、みんなで御題目をお唱えできるようになった。メモを取ってくれている人もたくさんいた。スピーチでは、いろいろなことをお話ししたが、それも次回に譲る。
 本当に、ありがたかった。

日曜日のOKO、無事終了

 今日は日曜日。スリランカのセンターに於いて、それぞれ2席の御講を奉修。特に、午前中の御講ミーティングは400名を上回るお参詣者で、ガレージや中庭にもイスとスクリーンを用意してご奉公させていただいた。ここまで溢れかえったというのは初めてのようで、スリランカの北部のヌワラ・エリア、南部のゴール、マータラ、カタラガマなど、様々な地域から参集してくださった。

 遠くからのお参詣というので驚いたのは、昨日の夕方に寄らせていただいて、一座の口唱会を行ったマドゥカンダ・ワラニアのダラダービハーラからも多くのHBSのメンバーがお参詣していた。聞いてみると、あの時間から電車に飛び乗ってコロンボを目指したのだという。この御講のために。私たちも車で帰ってきてベッドに入ったのが2時を過ぎていたのだが、それ以上に過酷な状況でお参詣してくださっていたとは(汗)。ありがたいなぁ(涙)。
 コロンボのセンター、御講の朝となると、お助行に通った方々の顔が見れてうれしい。朝のご供養もサーダニーが作ってくれたのだという。彼女自身が申し出て、今日は大切な試験だというのに、「試験のため御講にお参詣できないのですが、せめてご供養をと思いまして」と言っておられた。本当に有難いなぁ。サーダニーのことはブログでも書いたことがあるが、ゴールの親会場の御戒壇を、お父さまのご回向のために建立御有志された女性である。ご主人はスキューバダイビングのインストラクターで、この前は紅海からメールをくれた。それぞれ、とても献身的なご信者さん。
 9時半からの御講席。開始前に、センターの中の、ありとあらゆる場所に人が座っておられた。青年会のディリーパやカスン、デュランが用意してくれて、今日はマイクとスピーカー、薄型テレビ、ガレージや中庭にもイスが配置されていた。子どもたちは、外に座るように言われていたのかな?大勢の子どもたちが、いっぱいお参詣してくれていた。

 今回、小野山師にスピーチをしていただきたいと思い、彼に準備をしてくれるように頼んでいた。是非、こうした機会に、この御講で、こうしたご信者さんを前にして、お話をしていただきたいと思っていた。前回、清顕にもさせたのだが、本当に有難いご奉公になる。だから、今回は是非とも小野山師にしていただきたいと思っていた。
 素晴らしいスピーチだった。英語も、本当に上手で、ビックリした。やはり、人は、場所と機会によって成長してゆくのだ。慣れが一番怖い。「みんな自分を知っている人たち」という中では、成長することが極めて難しい。リスクはあるが、外に出てご奉公させていただく中で、いろいろなことを身につけ、改良し、成長していける。批判があるかもしれないが、出て行くしかない。今回、小野山師に来てもらって、本当によかったと思う。ちょっと無理矢理誘ったかな(汗)。
 小野山師は、8年前の草創期に福岡御導師の随行でスリランカを度々訪れ、ご奉公されていた。彼を知っているメンバーも多い。津波支援の時にも、清康師や清顕(当時は隆二くん)と一緒に、スリランカご奉公の先輩として活動くださった。今回、5年ぶりのスリランカ。彼は、以前のスリランカを知っている一人として、感激を言葉にしてくれていた。当時は親会場もなかった。それが、今では、こんなに大勢のお参詣があり、素晴らしい親会場も建立できた。本当に素晴らしい、と。彼の言葉によって、ご弘通が本当に進展したことを実感した。それにしても、英語、うまかった(汗)。

 その後、今回の御講ミーティングの御法門。シニア・メンバーからのリクエストもあり、今回は少し厳しい御法門となった。というのは、理論的な御法門でも、エモーショナルなものでもなく、信心をする者の気をつけねばならぬ点、戒め、などについて。難しいことだ。
 スリランカの方々は、本当に速やかに現証の御利益を感得する。昨日のセッションでも、そうだったのだが、初老の女性が「御本尊を奉安していただいてから、もう家の中がベネフィットで溢れている」と語り、青年が「ご信心をして半年ですが、信じられないような御利益をいただいて驚いています」と語る。それぞれ立ち上がって発表してくれるほどだ。
 それはそれで有難い。しかし、「その後」について説いて欲しいというのだ。御利益が早いが、その後しっかり続くように、どっちの方向に行ったら良いのか、しっかりと教えてください、というものだった。いろいろな角度からお話をさせていただいた。ここで、今は書けないけど。とにかく、本当に有難い御講席だった。
 2席とも、無事に御講が終了し、センターに帰ってきました。クタクタです。ちょっと、ボロボロです。30分の夕方のお看経も終わりました。これから、夕食。ミランダさんやご奉公者全員で一緒に食べます。本当に、有難いことです。

センターに戻れましたぁ

 いま、スリランカ時間で1時10分。北部でのご奉公からセンターに戻ってきました。今回、インターネットが引けたので、ここでブログの更新ができます。
 一日を振り返って、すべてが当初の目的どおり達成できたこと、帰着後すぐに御宝前に御礼させていただきました。
 70000世帯が住むキャンプは、本当に想像を絶した光景であり、現実でした。テントが延々と並んでいること。まずこれに驚きました。スリランカ人でも入ることはできない、ましてや外国人など不可能といわれていながら、今回は多くの方の協力を得て、ご奉公が進められました。皆さまから送っていただいた義援金は、しっかりと彼らの手に、生活に、お届けすることができました。そして、これも当初からお話ししているとおり、みんなでお看経することが出来ました。
 詳しくは、また書きます。少し寝ないと。明日、9時半と14時から御講です。

2009年9月26日土曜日

コロンボに向けて出発

難民キャンプから、近隣の寺院に寄って短いセッションを行いました。これほどの奥地ですが、30人近くの人が御題目を唱えて待っていてくれました。

そこからアヌラダープラまで戻り、ホテルで着替えて、いまようやくコロンボに向けて出発しました。19時。ここから6時間くらいかかります。無事にコロンボに着けたら、何時でもいい感じです。夜中の、スリランカの交通事情は、本当に怖いですから。

とにかく、今日という一日、特にキャンプでのご奉公が無事に終わり、みなさまの義援金をお届けする責任が果たせたので、もうほっこりしています。

ありがとうございます。

テント

インターネットがあれば、写真を載せますが、とりあえず携帯メールにて。

70000世帯分のテント。想像を絶しました。井戸、下水溝、全て。男性も女性も子どもたちも、ここに生きています。あえて、言葉がありません。

子どもたち

子どもたちです。見送ってくれました。

難民キャンプ

ご心配をいただきましたが、無事に難民キャンプへ支援物資をお届けし、同時に御題目のセッション、一座を勤めさせていただくことが出来ました。想像を絶しました。70000世帯が、一ヶ所、一地域でテント生活をしているすごさ。本当に、大変な課題を抱えています。ただ、みんな、ノートにメモをとりながらスピーチを聞き、御題目をタミル語で書いて、みんなで唱えてくれました。究極のエンカレッジ、エンパワーメントですね、と責任者の方に言っていただいた。ここで、瞑想や坐禅をして、心を平和にと勧めても、難しい理屈を並べても、この生活を余儀なくされていれ人に届くでしょうか。本当に、ユニバーサルで、最も苦しんでいる人を救うご信心だと、再認識させていただきました。

今は、このエリアから、とりあえず出ます。

100%、LTTEが支配していた地域

100%、LTTEが支配していた地域まできました。アスファルトが、途切れ途切れで、先に進むのが大変になります。民家でも土嚢が積んであり、急な攻撃に備えているようです。

実は、ここまでは、現地のガマゲさんも誰も入ったことがないとのこと。

検閲にて

メールが復旧したので送信します。検閲は、コロンボの市内でも、イスラエルからパレスチナ自治区に入る時でも受けてきて、慣れているというのは変ですが、あまり驚くこともないのですが、さすがに厳しいです。特別の雰囲気です。

検問、検問、検問

今から難民キャンプに入ります。アヌラダープラから北へ北へ。綺麗に装丁した福岡御導師のメッセージを持ち、大御本尊を抱いて、目指します。シンハラの挨拶は「アユボワン」だけど、タミルの挨拶は「ワナッカム」。挨拶ひとつで、大変な誤解も生むし、共感が得られないこともある。兵士にはシンハラ語で、難民の方々にはタミル語で、と言われましたが。

いま、一つ目の検問。車の下から荷物の中身まで、詳しく調べます。他の支援団体の車もあります。また、メールが通じなくなったので、ブログに送信できません。

シンハラとタミルの軍事境界線まで来ました。ここにスリランカ軍のキャンプがあり、この中で検閲を受けます。基地内は当たり前ですが撮影禁止。テロの標的にならないように。まだまだ臨戦態勢のように感じます。明らかに組織的な戦闘は終結したはずですが。

これから内戦中には軍事境界線とされていたラインを超えて、マナという地域に向けて走ります。

アベヤギリヤ

 この場所は特別な場所。世界遺産、アヌラダープラにあるアベヤギリヤ大塔。スリランカに紀元前1世紀から12世紀まで栄えた大乗仏教の総本山である。既に法華経の経典が遺跡から発見されており、仏教史を新たにするような発掘と研究が続けられている。

 コロンボから離れて難民キャンプを訪れる前の中継地として、やはりアヌラダープラが選ばれていた。明日のための書類を手にして道を急いだが、アヌラダープラには日が暮れる頃の到着となってしまった。荷物を下ろして、一座の口唱会を行うためにアベヤギリヤ・ダゴバ(大塔)に向かった。

 圧巻。夜の闇に浮かぶ姿。そして、天には幻想的な巨大なダゴバに降り注ぐかのように星が出ていた。三日月もこれを照らす。懐中御本尊を安置させていただいて口唱会を行ったが、何ともいえない気持ちになる。紀元前にワッタガーミニ・アバヤ王によって創設された当時は110メートルあったというのだから巨大さが分かるというもの。廃墟のように見えるが、今でも十分その偉容を誇っている。アベヤギリヤの住職とは三度目となる再会。突然の来訪と口唱会だったのだが、「部屋の中にいたら御題目の声が聞こえたので出てきたらあなただった。全て開けて待っていた」と言ってくれた。本当に、ありがたい。今後も、この大塔の研究と修復を含めて、ご協力をお願いした。

 既に夜も遅くなっていて、明日が本番。視察をしてくれていたとはいえ、現地のメンバーも難民キャンプの中までは入れていないらしい。それはそうだ。政府の関係者ですら入ることが難しい場所。ガマゲさんの会社は週に2回キャンプに水を供給しているらしいが、それでもキャンプ内部には入っていないという。どんなことになるかは、明日、明日。とにかく、精一杯、ご奉公させていただきます。

2009年9月25日金曜日

書類

厳戒態勢の地域を通るための書類。アマル会長の尽力によって、無事に通行証をいただきに来ました。何もなければ外国人は検問で止められて入れません。現在の大統領の弟さんの直筆サインが通行証となります。

オフィスでそのサインと書類を待っている間に、責任者の方とディスカッション。瞑想と口唱の違いについて、ブッダと日蓮聖人の関係、悟りについてなど。

楽しい。前向きな質問で、こちらもワクワクする。

北部へ出発

 インターネット、開通!親会場にワイヤレスLANが。よかった、これで日本のご奉公も少し出来る。
 でも、もう出発の時間。ちょっとオーバーしている。これから北部に向かう。明日、難民キャンプに入ることになるが、通常ここに外国人が入ることを政府が厳しく管理している。普通では入れない地域。ここに入れるように手配してくれたのは、やはりアマルさん。スリランカの政府系団体で、青少年育成事業をする全国組織の会長をされている。御本尊を奉安し、ご信心をしっかりされており、私もご自宅にもオフィスにも伺って、お助行させていただいた。
 本当に、アマルさんに感謝だ。これから、アマル氏のオフィスに寄って、そこから北部へ向かう。まず、アヌラダープラに向かってゆく。

スリランカの朝は

無事にセンターに到着し、御礼のお看経をいただいて少しスケジュールの打ち合わせをして眠りました。2時くらいまで荷物を片付けたりしていて、あまり眠れなかったけど…。

朝は6時半から朝参詣。ありがたいことに、遠くからお参詣の方々がいます。また、朝の私たちの御供養のために、今朝はウィッカラマシンハさんの奥さんがご奉公してくださっています。彼女のご主人は心臓病を患っていて、日本でもご祈願していました。今朝も、朝のお看経の中で言上させていただいたところでした。交代でご奉公くださり、日本でも海外でも、いつも婦人会の方々にお給仕していただいていることを痛感します。

今回のスリランカは小野山淳鷲師と兼子清顕師が一緒です。怖いものはありません。ありがたいです。

2009年9月24日木曜日

モルジブのマーレ

日本から10時間くらいかな。ようやくモルジブのマーレに到着しました。日本人は、ほとんど降りてしまいました。

これから1時間くらいして、モルジブで保養した人たちを乗せてコロンボへ向けて離陸するはず。機内にカンヅメ。出てはいけないらしい。そのかわり機内で携帯使い放題。みなさん、電話したり、メールみたりしてます。

とにかく、あと少し。

ナイロビの蜂

 寝てしまった(汗)。不覚にも。子どもと一緒に出てしまった。まだ、何の準備も出来ていないのに。

 明日、13時20分のフライト。最近、日本からスリランカへのフライトは乗り継ぎが悪くなってしまって、どうしても上手に組めない。バンコクやシンガポールで10時間も待ったりする。あるいは、香港などに「各駅停車」のように経由していくものとか。今回は、トラベルサライの方が考えに考えてくださって、スリランカ航空を選んだ。マーレ経由で、長時間ギューギュー詰めになるが仕方ない。また、マーレ(モルジブ)で日本からの観光客がどっさり下りる。そして、僕たちは機内に取り残され、殺虫剤のようなものをまかれる(笑)。ま、どうでもいいけど。

 とにかく、準備しよう。御法門は、やっと秋季総回向の御法門が出来たところだから、そんなに早く頭が切り替えられない。難民キャンプで会う子どもたちやご家族は、全員タミル人ということだったが、仏教のことをどのように思っているのか知りたい。タミル対シンハラという構図は、ヒンドゥー教徒対仏教徒という構図として捉えられる。そこで、私が行き、お話をする。彼らの心に届くように、お話ししたい。

 先日、「ナイロビの蜂」という映画を見た。素晴らしい、というか、とても心に残った。事前になんの広告も案内も見ていなかったので、映画がはじまった最初はドキドキして、なにか、現代っぽい男女関係を描いたものかなぁ、とガッカリしていたのだが、そうではなかった。なんとも言えない気持ちになった。頑張ろう。







2009年9月23日水曜日

平成21年度 秋季総回向

 今日は、シルバーウィークだからなのか、例年以上のお参詣をいただき、素晴らしい晴天の下で、本当に盛大に秋季総回向が奉修された。お参詣が増えているということに、本当に感謝、感謝。有難いことだと思う。ご供養が足りなくなり、ご迷惑をお掛けしたとのこと。緊急対策の乾麺と、さらに緊急用の「おふきん」のご供養をお渡しさせていただいたということ。ありがとうございました。 
 本日の秋季総回向での御教歌、
 「あひがたきみのりにあひていさみなく 身の幸ひといふもおぼえず」
 また、妙深寺報に掲載させていただくことになると思うが、この「開化要談」という重要ご指南書にお示しの御教歌をいただいて、ご回向の大切さと、私たち佛立信者が思い抱かなければならないご回向やご信心への思いについて説かせていただいた。
 日本独自の行事であるお彼岸。今から1203年前、大同元年(806年)を起源とする説が有力。日本後記によれば、憤死した早良親王のために諸国の国分寺の僧に命じて全国的な法要を行ったことからお彼岸の行事が普及したといわれている。以来、1203年間、日本人は、春分の日や秋分の日を特別な日として、ご回向の法要を営んできた。これは、本当に尊い日本人の特質であり、守っていくべき文化、営み、行事であると思う。
 一般的に考えても、先祖に手を合わせ、思いを馳せることが有難いこと。生きている者が亡くなった者に対して功徳を送り、あるいは「霊よ鎮まれ」と願うことは、現代の私たちこそ必要な行いだと思う。日本人の心に染みついた大切な行事。
 しかし、古いからいい、習慣だからいいというわけにはいかない。幕末の江戸、お彼岸に限らず、逮夜や施餓鬼、回向や葬式など、仏事はたくさんおこなわれていた。しかし、檀家制度によって多くの僧侶は法を説かず、回向や供養の目的は薄れ、行事は形骸化してゆく。坊さんの、生活のための行事。それに対して疑問もなく、ただ、流されていく。
 それにたいして、水際を立てて、折り目けじめをつけて、本当の仏教で、本当の回向をしよう、そうでなければならぬ、とするのが、開導聖人の御意。それを、受け継いでいるのが、私たちでなければならない、と。もし、一般論として、「回向は大切です」「供養しましょう」と説くだけならば、半分にも満たない。本当に、ご回向になり、功徳になり、御利益をいただく道は何かを説かせていただかなければならず、その「水際」、その「境界」を、お参詣のお一人お一人にも、ぜひ知っていただきたい。その上で、人間として大切な、「先祖に手を合わす」「亡くなった方を想う」という尊いアクションを、起こしていただきたいと思う。「何でもいい」ではないのが、佛立信心。
 開導聖人の御指南。
「両祖の御抄御指南によりて、当家正流を水際たてて結び弘めたる本門佛立講也。これ当講興起の来由なり」本門佛立講興起の来由
 昔、「違いが分かる男の~」というCMのコピーがあったが、本当に「違い」を分かっていただきたい。
 「今は逮夜、施餓鬼、回向、葬式も、第三の教相、御題目、口唱に限る事也。
問、日蓮が法門は第三の法門也。世間の学者、夢にも知らざる法門也と仰せらるると、御抄を出して、拝見せさせ給ひしかども、どうも疑ひ、はれ難く候。此の御抄に、疑ひを起こさば、堕獄はもとより、現に御利益も、頂かれず候。わかり易く、御指南、給はるべく候。
答、ごもっともに候。我も、已前は、さやうに存じて、どうも、当世の御能化方の仰らるるように、題目口唱より、一経読誦の方、はるかに、功徳の勝るると存じ候ところが、大いなる習ひ損じにて候也。そは、御開山の御指南にて、さわりとかわり候也。
今の時は、上行所伝の御題目の五字ばかりより、下種の法とては、更に無く候。口唱信行より、外に利益を蒙る道は、更に無く候。これ如来の御使より、外に知る人無く候。かく心得て、口唱するが、第三の法門にて候也」
 それにしても、御法門は、ライブで聴聞いただきたいと思う。ここには、書ききれない。寺報ではまとめていただけるけど、妙深寺の、あの本堂の中で、同じ時間を共有しながら、聴聞していただきたいと思う。秋季総回向のお参詣、ご奉公、ありがとうございました。

「演技性人格障害」「自己愛性人格障害」

 現在、直面しているご奉公で、多くの方からご連絡をいただき、いろいろな御講師やご信者の方々と繰り返し取り組んでいるのが、「演技性人格障害(Histrionic Personality Disorder)」や「自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)」なるもの。
 見極めることが非常に難しい面もあるが、現代では一方的に増加傾向にあると言われ、それぞれ「宗教に走ることが多々ある」などと不本意なレッテルを貼られているために、私たちはこうした状況と、真剣に向き合う必要があると思う。

 様々なサイトで簡単に調べることができるが、主だったことを書いてみると。

 アメリカ精神医学会が作成した「精神障害の統計・診断マニュアル」によると、演技性人格障害の診断基準は以下のようなもの。

 演技性人格障害は、『不安定な対人関係と衝動的な行動』を特徴とする人格障害のクラスターB群に分類される。アメリカの疫学的調査によると、演技性人格障害の発症率は人口の1.0~3.0%と見られている。演技性人格障害(Histrionic Personality Disorder)の診断基準では、過度に情緒的で、度を越して人の注意を引こうとする行動の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)で診断される。

1. 自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
2. 他者との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または、挑発的な行動によって特徴づけられる。
3. 浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
4. 自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
5. 過度に印象的だが内容のない話し方をする。
6. 自己演技化、芝居がかった態度、誇張した感情表現を示す。
7. 被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
8. 対人関係を実際以上に親密なものとみなす。

 同じく、アメリカ精神医学会のDSM-IVによると「自己愛性人格障害」の特徴を次のように簡単に説明している。

 自分を愛するという行為は健全な心の発達のために必要だが、それが病的に肥大化して自分に対する誇大感を持つようになると、それが「自己愛人格障害」と呼ばれるものになる。この人は、健全な人のように、ありのままの自分を愛することができない。以下、紹介される特徴。

1.ご都合主義的な白昼夢に耽る。
2.自分のことにしか関心がない。
3.高慢で横柄な態度。特別な人間であると思っている。
4.自分は特別な人間にしか理解されないと思っている。
5.冷淡で、他人を利用しようとする。
6.批判に対して過剰に反応する。
7.虚栄心から、嘘をつきやすい。
8.有名人の追っかけ。
9.宗教の熱烈な信者。

 この最後の「宗教の熱烈な信者」というのは心外。「宗教」すら、こうした状況に陥った人には、自己を肯定し、他よりも優越感を得るための「道具」になってしまうということだろうか。

 開導聖人は、慢心を極めて厳しく戒められており、上行所伝の御題目を、名字即=口唱行として唱え重ね、「素直」「正直」な「初心」のご信心をさせていただくことで、絶対に、こうした苦しい人生を送っている方、悪循環に泣いている方(自分では何が悪くて、どうしたらいいのか分からない)をお救いできると教えてくださっている。
 現実、数多くの方が、上行所伝の御題目のご信心によって、この状況から抜け出しておられる。「慢心甚だしければ乱心す」とは御指南だが、逆に素直正直なご信心をさせていただけば、必ずや現証の御利益をいただく。上記の、「演技性人格障害(Histrionic Personality Disorder)」や「自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)」であったとしても。

 私は、最近の精神医学界が人々の人格や症例に対して名前を付けていくだけの行為をしているのには違和感を感じている。そして、それらは名づけるだけで、明確な治療法が確立されないケースばかりだからだ。大枠で、自分を知り、その傾向を見て取るという一助にはなっても、その人が、繰り返している最悪の事態や人生から抜け出すための方法は提示されない。

 よく聞かれる「境界性人格障害」も、対人関係、自己像、感情の不安定、および、著しい衝動性を特長とする人格障害と言われる。以下の5つの項目(あるいはそれ以上)に該当すると定義される。
1.見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力。
2.理想化とこき下ろしの両極端で揺れ動く不安定で激しい対人関係。
3.同一性障害(不安定な自己像または自己感)
4.自己を傷つける可能性のある、衝動的で2つ以上の領域にわたる行為。(浪費、性行為、物質乱用、無謀運転、むちゃ食いなど)
5.自殺の行動やそぶり、脅し、自傷行為の繰り返し。
6.気分反応性の感情不安定性(持続する強い不快気分、いらだち、不安)
7.慢性的な空虚感。
8.不適切で激しい怒りや、怒りの制御困難。
9.一過性、ストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状。
また、現実検討力は高いために共感性がある程度得られることから周囲が巻き込まれやすく、対人関係に過敏で他者の弱みを鋭く察知し突いてくることや、仕事上は非常に優れていて行動的というような状況依存性の達成能力があることもよく指摘される。

 こうして、並び立てても分からないかもしれない。分からなくてもいい。しかし、大切なのは、自分を知ること。そして、立ち向かうこと。病院に行っても、対応に苦慮されるだけである。信心しかない。本当の、信心しかない。そう思えるか、思えないか。全てを武器にして、自己の優位性を保つことを繰り返してきたために、そこに至れないケースが多いが、何としても、そこを厳しいお折伏をいただいて、懺悔改良し、抜け出していくしかない。自分が一番苦しい。その人生では。必ず、お計らいはいただける。

 昨今、この話題ばかり。このご奉公が、今後は本当に増えていくと思う。しかし、佛立信心であれば大丈夫だと、胸を張って言いたい。

2009年9月22日火曜日

日蓮が法門は第三の法門なりの事

日蓮が法門は第三の法門なりの事
 (扇全17巻360頁)

「刀は、つくりより、切るが調法、食物は、器より、中が肝心。人間は形ちより、心が肝心。佛法は、寺の大きなるより、依経が肝心也。されば、好要・勧唱・真清(それぞれ組名)等の、人の貴きには、あらず。佛立講は、上行大士、出世の御本懐、本門の肝心、南無妙法蓮華経の貴く、渡らせ下ふ故也。法貴き故に、人貴し。法貴き故に寺貴しとは是也」
「当今、開花の砌は、何もかも、常にひらけ行故に、明治年間の人間は、中々見えや、かざり、では、食ぬやうに、成行候。かかる時節には、真実の本門経王でなくば、遠国の人民も、信は取難し。故に、圧政は、少しも、うけぬ人気也」
 明日の御法門の研鑽中にて、御指南拝見。この御指南書は、本当に厳しく、今の私たちの胸に突き刺さるが、結びの文に、あらためて心が引き締まる。明後日からスリランカに行くので、「遠国の人民も」とあり、開導聖人の御意に、ただただ敬服し、お祖師さまの「第三の法門」とのことを、胸に刻んで、下種のご奉公を、させていただこうと、誓えた。第三の法門は、生きた御法門。生きて、生きて、ご弘通せずにはおられぬ御法門であることを、あらためて想う。
 ディリーパからメールあり。
「Of course we can conduct a chanting in that place.That place is a youth training school inside the refugee camp.Participants will be the students of that school.And also their parents may be there.All those people are Tamils.They have being living in the war area for a long time.Please let me know if you need any more information.」
 全員タミル人。永らく戦争の中にいた。難民キャンプの中で口唱会は本当に行えるのかという私の問いに、答えてくれた。「もちろん」と。その参加者は、子どもたち、生徒たち、生徒の家族、全員タミル人です、と。私は、何を、どのようにお話しして良いか、悩んで、考えていたので、この開導聖人の御指南にお出値い出来て、有難く思いました。背中を、押していただけます。「そんなの、いつも分かっているだろ」と思われるかもしれませんが、実際そうではないので。ありがたかった。
 難民キャンプでの口唱会、しっかり御題目を、お唱えして、お聴かせして、お伝えして、と思えました。ありがとうございます。

うれしいな、久しぶり

 明日はお彼岸の秋季総回向。今日はご信者の皆さまがお寺に集まり、明日の準備ご奉公が行われていた。

 夕方、ひろし君が新事業をスタートするという方々を連れてお参詣され、面会させていただいた。パワフルな方々で、胸が躍った。それぞれ奥さまやお子さままで連れてお参詣くださり、本当に有難い。ビジネスをする環境としては、まだまだ厳しい社会情勢の中で、人と人との絆を大切にして一歩一歩前に進めていただきたい。事業を一緒にする人たちが、お寺に集まってキックオフするなんて、なんて素敵だろう。最先端の分野での事業だが、必ず道を切り開いてくれると期待している。

 私は、明日の総回向の前に御尊像の御塵払いのご奉公をさせていただいた。本堂では100本祈願中のお看経が続いていて、御題目の御声が響いていた。お看経を背にしながら、お祖師さまへのお給仕。慌ただしい時間が、まるで止まってしまったかのように感じる静謐な時間と空間。何ともいえない気持ちになる。

 青少年の一座以降、参加した戸塚教区の佐藤さんから100本祈願リレーがはじまっている。佐藤さんは9月1日から100本祈願を開始された。今回は本当に厳しかったと仰っておられたが、それでも100本祈願を終える頃にはお教化ができていたのだからスゴイ。そして、佐藤さんに続いて、お教化子のOさんが100本祈願をスタート。このOさんは、まだご信心をされて1年にも満たないのに、今やお看経では他のご信者さんをしのいでしまうくらいすごい方。最大手の広告代理店に勤めておられて忙しいこと極まりないのに、とにかく御題目口唱の妙味を実感し、ずーっとお看経してくださる。本当に、ありがたい。また、上星川教区のKさんも、いつものように透き通るような声で100本気願をされておられた。

 御塵払いを終えて本堂から階下へ。寺務所の前で若いご夫婦にご挨拶をして通り過ぎようとすると、「あれ?」「え?」「あぁー!」と。ヨウコちゃんだ。新婚で、お寺にお参詣して。まぁ、また綺麗になってぇ。ご主人も本当に「いい男」で、結婚の前からヨウコのことを頼んでいる。看護士として活躍しているヨウコ。二人は遠くに住んでいてなかなかお参詣できないが、仲良く暮らししているのが何より。そして、横浜に来たらお参詣。嬉しくて、「ちょっと、写真を撮らせてよ」と言って写メさせてもらった。

 彼女が高校生の頃のことを思い出すと、今の幸せが夢のようだ。辛いこともあったけど、辛いことがあったからこそ、定業能転、つまり、彼女は本当に乗り越えたと思う。大人になったヨウコから丁寧にご挨拶を受けると、なんか気恥ずかしくなるが。久しぶりに会えて、うれしかったよ。しっかりした大人になった。二人で幸せになってください。お参詣、ありがとうございました。

 さ、御法門、御法門。

2009年9月21日月曜日

『生きたお寺がある』

 私たちは戒名料や塔婆料、墓地販売で生計を立てている葬式仏教や既成仏教の寺院ではなく、普通のお寺である。政治活動や法外な寄付を強制する新興宗教でもない。
 難しい議論をするよりも、教義を説明するよりも、この「普通のお寺」「生きたお寺」「本来のお寺」を見ていただきたい、知っていただきたいと思う。私たちが御仏やお祖師さま、門祖聖人、開導聖人、先師上人から受け継ぎ、守り続けてきた「本門佛立宗」のDNAを、このお寺を見ること、そこに集う人と接して、感じていただきたいと思う。口先で言っているだけでないことを、ここで証明する。
 法事の時にだけ行くお寺。お墓があるから行くお寺。盆と彼岸に案内が来るから対応するだけ、というお寺は、本当のお寺ではない。本当のお寺の役割を知らないし、使っていない。本当のお寺、普通のお寺を知らないでいる。
 生活の中にお寺がない。それは何と不自然で、不幸なことだろう。生きた人が集う、信頼できるお寺が身近にある、暮らしの中にあることほど幸せなことはないはずだ。
 24時間、生きた人に教えを説き、その人の力になろうと待機している僧侶がいる。その僧侶と同じように、人々の力になろうと努めているご信者の方々がいる。社会の中で失われていった「信」で結ばれた輪。性別や世代を超え、職業の壁を越えて、御法さまの下で一つになれる輪が存在している。
 地球の果てにいる人とも電話やメールで交信できる社会に生きていても、隣にいる人とすら会話を交わさなくなった世の中。孤独の海にポッカリと浮かんで漂流しているようにも思える。海の向こうに何も見えない。縋るべきものも頼るべきものも浮かんでいない。見えては、消えていく。それでは人間としての価値が見出せない。
 横浜駅の西口近くにあったお寺。大雨になると川が氾濫して本堂が浸水していた妙深寺。昭和十八年に「神奈川妙証教会」から「お寺」となった。増築を重ねていたため、本堂は柱だらけだった。しかし、「生きたお寺」として多くの人が集い、笑い声は絶えたことがない。御題目の声、御法門、ご信者方の笑顔、涙。それぞれの生活の中心にお寺があり、お寺がそれぞれの生活と共にあった。
 誰の人生にも様々な問題がある。相克と葛藤。ご信者であろうと、老いと病、死からは逃れられない。しかし、だからこそ、その人生の傍らに、お寺は必ず必要なのだ。
 今から40年近く前、三ツ沢に移転した妙深寺は発展を続けた。社会は激変し、人々の生活や心も変わっていったが、本門佛立宗のDNAを守り続け、明るい笑顔と真剣なご信心を失うまいとご奉公に努めてきた。
 先日来、90才代の素晴らしいご信者方が立て続けに帰寂され、お見送りした。佛立信者の死とは、単に哀しむべきものではないが、やはり惜別の思いが胸に溢れた。
 神藤利子さんは、横浜で生まれ、横浜で一生を過ごされた。戦後間もない頃に妙深寺のご信者となり多くの方をお教化された。現在の妙深寺にとって欠かせないご信者方である小山さんや瓜生さんも、神藤さんのお教化による。もしも神藤さんがいなければ、こうした方々もおられない。妙深寺が誇る偉大なご信者のお一人だ。
 神藤さんは、90才を過ぎても手押し車を引いて、一人でお参詣されていた。そのお姿は、本物中の本物のご信者の姿だった。私は、少しだけ心配で、見かけるたびに抱き合うようにご挨拶していたが、おちゃめな笑顔で応えてくれる。いつも、周囲を明るくしてくれた。96才で帰寂されたが、お参詣を止めることはなかった。
 その神藤さんにも悩みがあった。それは、子どもたちがしっかりとご信心を受け継いでくれるだろうかというものだった。今年7月の開導会。神藤さんは息子さん二人を連れてお参詣された。実は体調が悪かったとのことで、お寺から病院に直行して入院されたという。
 8月末、帰寂される一週間前、二人の息子さんを家に呼び寄せた。そして、部長さんにも自宅に来るようにお願いされたという。病院から外出してきた96才の神藤さんは、自宅の御本尊の前に息子さんと部長を並べて引き合わせ、しっかりとご信心するように二人を諭した。
 お二人は「御本尊拝受願」を 書かれた。神藤さんは生涯最後のお教化を、念願だったご家族への信行相続で締め括った。息子さん達が入信書を提出するのを見守り、見届けて、その後すぐに、救急車で病院に帰られた。
 一週間後、神藤さんは寂光へとお帰りになられた。まさに、帰寂と胸を張っていえる見事なご信心を最後まで貫かれた。 帰寂の姿も、その通夜告別式の手配の上でも、申し分のない現証の御利益を顕され、ご家族一同が「母親の信心のすごさを感じた」というほど素晴らしい最期だった。
 実は、妙深寺の広報部が昨年の5月に神藤さんにインタビューを行ってくれていた。「生きたお寺」、妙深寺の伝説的な先輩ご信者の声を残しておきたい、という熱意で生まれたご奉公だった。撮影当時95才の神藤さんは、ケラケラと笑って家族に語りかけていた。
 96年を生きた神藤さんの声、事実、真実、愛、希望、思いが、偽りのない映像というストレートな形で飛び込んでくる。私たちはお通夜で、この映像を放映した。
 妙深寺と共に生きた一人の偉大な女性の言葉。ご家族一人一人に語りかける言葉に、導師座で涙が溢れた。 「横浜のおばあちゃんだよ。いつも、元気か?ってお電話くれてありがとう。ありがとうだけどね、妙深寺に参詣しないから、それを、おばあちゃん悩んでるんだよ…。一生懸命、妙深寺に、妙深寺に、お兄ちゃんたちと励まし合って、末永く、妙深寺にいられるよう、御題目を唱えられるよう、ご信心してや」
 優しく微笑みながら、こうしてお話になっていた神藤さん。「信」がなければ何が出来てもダメ、「信」さえあれば、何が無くても大丈夫だという母親の愛、ご信者の確信を伝えたかったのだと思う。それは同時に仏教の核心でもある。
 人は、良いお寺なくして幸せになれないと思う。その良いお寺が「妙深寺」であって欲しいと思う。神藤さんの言葉に、責任の重さを痛感した。本門佛立宗のDNAをしっかりと継承して、正法を護持する、生きたお寺であり続けたい。

妙深寺報 9月号

 妙深寺報の9月号について、紹介するのを忘れていた。
 あっという間に時間が経ってしまった。月始総講から京都、京都から戻って牧野さんのお通夜と告別式、敬老松風大会があったり。悪夢のような試験もあり、連日教区御講がはじまっており、龍ノ口の御法難記念日である12日には一万遍口唱会、正法帰入祈願、福岡、京都、横浜。昨日で9月の教区御講が全て終了し、今は京都で結婚式。明日横浜に戻り、秋季総回向、翌日はスリランカへ。寺報を紹介する時間がなかったという言い訳。同情を期待して書いてるかな(汗)?
 それでも、妙深寺の教務部、第二弘通部門の広報部の方々のご奉公によって、これほど素晴らしい『妙深寺報』が出来ていたのである。私など、何もしてない。素晴らしい。今回の寺報では、妙現寺の鈴江日原上人の特別御講での御法門が掲載されている。何度も何度も、拝見し直していただきたいと思う。永久保存版。
 表紙は、グランデ・ファミリア2009の最後に撮影した集合写真。圧巻。400名以上が一同に笑顔で写真に収まっている。すごいなぁ。今年の夏の、神奈川布教区だけの思い出。青少年の一座があって、圧倒されてしまったようにも思うが、神奈川布教区ではこれほどすごいご奉公がされていたのだ。
 裏表紙も、グランデ・ファミリア2009の時の子どもたちの笑顔。永久保存版というにふさわしい、永遠の時間の中の一瞬(この言葉、大好きです)。グランデ君とファミリアちゃんというキャラクターは4年前に生まれたが、今回も大活躍した。福岡の青少年の一座にも飛び入り参加したグランデ君とファミリアちゃん。子どもたちの人気キャラクターになった。及川くんと秦くんに感謝だなぁ。
 こうして、今月も内容の濃い妙深寺報はしっかりと出版されていたのだった。これを無料で配布しているのだから、太っ腹。これは、妙深寺の先代の御住職からの厳命であり、妙深寺信徒のご信心の柱となるように、内容の濃いフリーペーパーとして全信徒に配布しているのである。ありがたい(涙)。
 法灯相続や下種結縁を目指しているので、御有志名や金額などの情報も載せていない。とにかく、若い人や、お寺が何なのか、ご信心が何なのか分からないという人にまで読んでいただきたいと思っている。最近、他寺院の方からも求めていただけたり、御講師方からも「御法門で紹介させていただいている」と言っていただいたり、本当に嬉しい声も聞く。そうして、活用していただけたら本望で、とにかくみんなが元気になるために、やっていきたいと思う。

伝えたい

 今日は、京都で結婚式。もう、京都に移動しています。2日後には横浜 妙深寺の秋季総回向、お彼岸の大きな法要があり、3日後にはスリランカに向けて出発。
 携帯電話からアップする方法を覚えて、そればっかりだとブログの内容が薄くなるかな?いや、「このブログは難しくて写真だけ見てまーす」と聞いたこともあるし、「これでもいいかな」と思ったり。短い長いは、あまり関係ないかな?濃い毎日を送っているので、どうしても書き足りないと思ってしまうし、慌ただしいだけで過ごしてしまうと流しているだけのような気がして。しっかり噛みしめて、ご奉公の意味をまとめて、書いておかないと。
 マキアヴェッリがダンテの詩句を引用して「聴いたことも、考え、そして、まとめることをしないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならない」と紹介している。私も、そう思うなぁ。発想、思いつきの良いだけというのは困る。何とか書き表していかないと。書いているだけ、文章だけ良いこと書いてるというのでも困る。言行一致というか、その双方を、何とか求めたいもの。
 毎月のご奉公の中で、普通で考えたら余計かもしれないけど、このブログや妙深寺報、定期的な映像編集などなど、「伝えたい」ということを紙面やインターネットやDVDを使って実現したいと思ってる。以前は、「ワンソースマルチユース」とか言っていたのだが、その場で終わってしまうことが哀しいから。もっともっと、多くの人に伝えたい、と。もちろん、千載一遇のチャンスである御講席や御総講、お会式や総回向に足を運ぶことが一番。あまり便利になりすぎたり、こちらがサービスし過ぎてしまって、「後でDVDになるから」などと思わせてしまったら、功徳の道をふさいでしまっていることになる。それは本意ではない。こちらの意図は、とにかく「伝えたい」ということ。
 結婚式だが、明日は秋季総回向の準備ご奉公。総回向での御法門もスリランカでの御法門も、それぞれ説かせていただく相手も違うし、ご信心のレベル、求めておられるところも違う。もちろん、言葉も違う。これを、短時間で整理して、勉強して、ご奉公させていただくことは本当に難しい。頭の中がボワーッとなる。しかし、泣き言なんていっていられないし、才能も能力もなくても、ご奉公の機会を与えていただいているのだから、ベストを尽くさないと。
 今日は、お祝いモードで頑張ります。次男、かわいいな。また留守にするけど、待っててね。

2009年9月20日日曜日

御講はこんな感じ

御講のスナップ写真。妙深寺の御講って、こんな感じです。お話しておられるのは篠さん。寒夏の参詣期間に、いつも同じ電車に乗っておられた方に声をかけ、お教化されるほど素晴らしい方なんですよ。その、お教化された方も、今では教化御講の願主となり、お参詣を欠かさない素晴らしいご信者さんになられています。ありがたいですね。

あたたかい御講の風景を載せたくてアップしました。

明日は結婚式

御講が無事に終わりました。午前のお席は、私が20代前半の頃から毎月常回向という毎月特別のお席を立てておられた方。今では二人のお嬢さまが歯科医院を開業されています。立派な先生。大変忙しいお二人ですが、今日は久しぶりに親しくお話できてよかったです。途上国への支援などを考えると、お医者さんってすごいなぁと、あらためて思いました。

午後は、この方も20代前半から一緒にご奉公させていただいた大好きなお祖母さまのお席。かわいいんですよ、みなさん。若い頃の受持教区です。この方のお孫さんは知る人ぞ知る大女優。というか、受持の頃はかわいい普通の女の子だったんですが。でも、やっぱり輝いてたかなぁ。大河ドラマやトレンディドラマでも大活躍しておられます。お祖母さんの応援があるから、これからも活躍するのは間違いないですね。

明日は、結婚式。もう移動中です。

映画『インターステラー』10周年

今日横浜は最終日、映画『インターステラー』の10周年記念IMAX。12月某日、大好きなこの作品を一人で観に行ってきました。 映画『インターステラー』は現代のオペラ。まずハンス・ジマーの音楽が素晴らしい。そして、何といってもこの映画はノーベル物理学賞を受賞したキップ・ステファン・ソ...