2016年1月31日日曜日

帰国後

朝6時の帰国後、11時から父同様にお世話になった岩崎亮太郎さんの七回忌のご奉公をさせていただきました。

終わってから、財団法人100万人のクラッシックライブの理事会&評議員会へ。

並みいる素晴らしい方々に恐縮しつつ、この素晴らしい活動の、何らかのお手伝いが出来ればばと願うばかかりでした。

今日の日曜日は1日早い月始総講を奉修させていただきました。

その後、4月の門祖会併せて日博上人の御50回忌の会議。

そして、東京浅草は清雄寺までお伺いして、4月にご唱導いただく小山ご講尊に重ねてお出ましをお願い申し上げました。

夕方、下北沢にある友人のところへ息子を連れて行きました。

息子。

最近は髪の毛が気になるようです。

いろいろ、あります。

昨日、次男坊がケガをしました。

自転車のスポークに足を挟まれて、救急車で運ばれたとの連絡。

4センチほど切っていましたが、アキレス腱や神経にはギリギリで届いていないということ。

おはからいです。

帰国後、すでにいろいろなことがあります。

でも、とにかく、ありがたい。

明日から2月。

また、よろしくお願いいたします。

2016年1月30日土曜日

世界遺産でお助行

無事に日本まで戻って参りました。

いま、横浜へ向かっています。

フライト前に、学校建設ではエンジニアとして活躍してくれたスニル君の家にお助行に行きました。

スニル君の家は、世界遺産のパシュパティナートの中にあります(汗)。

実は、代々パシュパティナートでお坊さんをしている家系で、10年に一度順番が回ってくるのだそうです。

昨年、インドのモディ首相がパシュパティナートを訪れた際にも式典で花々の入った水桶を渡したとか。

パシュパティナートはシヴァ神を祀る寺院です。

スニル君も、ヒンドゥー、ラマ教、仏教などの宗教知識が豊富ですが、今では常に懐中御本尊を身に付け、最も献身的なメンバーの一人になっています。

奥さんは妊娠6ヶ月で、自分の家も改修中ですが、家族の皆さんがHBSの支援活動のために送り出してくださっていました。

2ヶ月間で1回しか家で寝ていないと言っていました。

お父さんやお母さん、奥さんにお礼の気持ちを伝えました。

パシュパティナートの見える屋上で、家族一同に御題目をお唱えしました。

とにかく、無事に戻って来れてよかったです。

清行師は、5日に帰国する予定で、まだネパールでのご奉公を続けています。

引き続き、ご祈願をよろしくお願いいたします。

本当に、ありがとうございます。

2016年1月29日金曜日

世界初のHBS学校

レスポンスが遅く申し訳ありません。

昨夜、無事にカトマンズまで帰ってきました。

HBSとして海外初となる学校が完成いたしました。

電波のない村の中で過ごしていたため、メールが90通、LINEは30通、Facebookが80と、深夜まで返信させていただこうと頑張りましたが、ウトウトしてしまいました。

今回のご奉公のことは、まだ、言葉になりません。

今生人界の、確かな思い出となりました。

何度も、涙が出ました。

解決できそうにないこともあり、ひとつひとつ話し合いを重ねて、最後にはサムンドゥラデヴィの村と私たちが一体となりました。

250人を超す生徒たちの笑顔。

仮設の教室から聞こえてくる声。

古いテレビ番組「川口浩探検隊」に出てくるような村のお家へお助行に行き、一夜を過ごしました。

鼻にビアスをした、働き者の女性たち。

三匹の鶏を捌き、お湯につけながら毛を取ります。

双子の子どもたち、ご両親、長男、姪、そして私たち。

夕方6時になると真っ暗になって歩くことが出来ません。

そもそも、お助行も、ご供養と宿泊することを前提に伺うしかありませんでした。

10人全員が、その家の土間の上で寝ました。

私のすぐ隣には15才の美しい少女が寝息を立てていました。

真夜中1時過ぎ、足を突く者がいたので、誰かが起こしていると思ったら子猫でした。

なかなか眠ることは出来ませんでしたが、五つ星のホテルに泊まるよりも一生の思い出となる素晴らしい一夜でした。

テントの中では寝袋に入って休みます。

あまりにも寒いので、みんな昼間の洋服のまま寝ます。

村人の口々から旭の名前が出て、あちこちで名前を呼んでいるのが聞こえました。

旭のために植えた桜は、ほんの少し芽が出ていました。

ミルキーババが、山羊たちが新芽を食べないように、きれいな柵を作ってくれました。

壮絶な支援活動でした。

学校の壁の色は新緑の緑、屋根は空の青。

外壁には金色のラインを入れて、窓枠は茶色です。

教室内はツートンカラーで上は明るい白、下は緑。

棟上御本尊は、校舎の棟の上にご奉安されると思っていましたが、生徒の誰もがいつでも拝見出来るように、外側の壁に特別な檀を設け、みんなが通る校庭に向かってご奉安されました。

支援活動を通じて、ネパールにも、この村にも、どこに出しても恥ずかしくない、純粋なHBSのメンバーが生まれました。

わずか半年のことです。

支援活動に参加した全員、特に最初から体当たりのご奉公を重ねてきたコレイア清行師のご信心の賜物です。

誰もが、心を震わせて、喜んでご奉公してくれました。

この国で、ネパール人によるボランティアが行われました。

「これまで、このようなことがあっただろうか。これまで、このような人たちがいただろうか。私は、それを知らない。この国は変わることが出来る。HBSの活動によって、私たちは多くを学んだのだ。この村を、この地域で、この国で、最も素晴らしい村にしようではないか。このことを、ここだけではなく、ネパール全国に広めようではないか。」

学校長が、声をうわずらせながら、力強く話した言葉に、心から感激しました。

村中に響く上行菩薩所伝の御題目。

ダイバーシティ。

人びとの顔も、文化も、宗教や信仰も、すべてが雑多に混ざり合った、多様性の象徴のようなこの国で、私たちがいただいているご信心の普遍性について思い知りました。

その全てにおいて、適合する、通用する、受け入れられる、理にかなっているのは、万法具足の妙法です。

私たち自身も、気づいていないかも知れません。

このネパールに、ご奉公の機会を与えていただいた全てに、心から感謝いたします。

まだまだ、序章のようなものです。

これから、さらに前に進みます。

朝夕、ご飯を食べる前にも、みんなが「南無妙法蓮華経」と御題目を唱えしています。

「私はこれで救われたのです」

「私はドラッグで人生の15年間を失いました。しかし、私は南無妙法蓮華経に出会って変われたのです」

「御題目を唱えたら天気が変わったのです」

「このマントラは宇宙や自然と繋がっています」

みんな現証の御利益に感激し、熱く語ってくれます。

シンプルな修行、奥深い教理。

私たちはまだ頭でっかちなのかもしれません。

もっと純粋にならなければ、ご弘通は出来ないということに気づきます。

思いもよらなかったことですが、大地震の支援活動を通じて、このネパールで、スリランカ、インド、ブラジル、そして日本が一つとなり、新しい時代のご弘通が始まりました。

振り返ってみると、私たちはいただいている尊い教えの可能性を、その10%も引き出していないのではないかと思います。

悠久の時間の中で、多様な宗教や文化の中で、三国伝灯、蓮隆扇、受け継がれ、育まれてきた真実の仏教のスゴさを痛感しました。

川口浩探検隊ではないですが、秘境の地で何かを見つけたのではなく、自分自身を、私たちのご信心の素晴らしさを再発見したということなのかもしれません。

気づき直すこと。

宝物に。

学校の理事会と向き合い、いろいろな話をしました。

彼らは自ら「アキラ・オバラ」の名前を永遠にこの村に刻むための提案をしてくれました。

「これでは5年で忘れられてしまう」

「これでは10年だろう」

その話を聞いていて、涙が出たのです。

僕たちは小さな小さなボランティア団体で、もう予算もないのに、彼ら自身がそうして話し合ってくれていました。

また、歴史的なご奉公になったのではないかと思い、旭の霊前にも胸を張って報告できます。

おぼっちゃまの僕にとっては、また苦しい、厳しい体験でしたが(笑)、歴史が動いたように思えて、すべてが今生人界の思い出です。

カトマンズの夜が明けました。

また、ゆっくり書きます。

お昼のフライトの前に、一軒お助行に伺って、空港に向かいます。

2016年1月25日月曜日

ブッダ・エアー

日の出の時間を教えてもらっていたのですが、その時間を過ぎても太陽が姿を現しませんでした。

ネパール人のビノットが、「ネパールでは太陽もネパール時間で遅れるんです(笑)」と冗談を言い、笑いました。

ネパールの空港はそこが空港とは思えないほど雑然としています。

恐るべきは国内線のBaggage Claim、手荷物の引き取り場所です。

カトマンズのトリプバン国際空港の国内線。

飛行機から降機するとバスに乗り、バスから降ろされるところがすでに雑然とした空港の外です。

そこに、そのまま手荷物を積んだトラクターが来て、空港の外で自分の手荷物を受け取ります。

このグチャグチャな感じがいいですね。

空港の外まで出されて、手荷物を受け取る感じ。

これでもちゃんと物事が回っているのがすごい。

航空会社・ブッダエアーも飛んでいるのだし。

しかし、太陽まで遅れるくらいですから、当然のように飛行機も遅れます。

Wi-Fiがあるところを探して、原稿を日本に送ったりしていました。

実は、昨夜の間にサムンドゥラデヴィ村までたどり着くことは出来ませんでした。

これからHBSのバナーや仏丸のモニュメントを取りに行き、買い出しをして向かうことになりました。

ディペッシュのお父さまにもお会いします。

前回のお礼をお伝えしたいと思います。

そう、ポカラのPURNA YOGA RETREATは、僕が最初に訪れた日本人だということでした。

あんなに素敵な場所なのに。

これから、たくさん日本人のお客さまが来ると思いますと答えました。

2016年1月24日日曜日

PURNA YOGA RETREAT

今日はこれからヌワコットのサムンドゥラデヴィ村に向かいます。

オフィスまで来ると共有のWi-Fiがあるのでメールの送受信が出来ますが、サムンドゥラデヴィに入るとそのような設備はなくなります。

昼間は作業をし、夜は寝袋に泊まりながら、予定どおり校舎が完成するまでみんなで頑張ります。

私たちが宿泊したプルナ・ヨガ・リトリート(PURNA YOGA RETREAT)は、7年前に新設されたばかりの美しい施設です。

湖畔を見下ろすホール、きれいな庭、お部屋もきれいでした。

ヨガの先生たちは英語のみのレッスンですが、マネージャーのマノーハラ氏は日本語検定二級だそうです。

「もう忘れてしまいました」と言っておられましたが、とても優しい。

ポカラという、ネパールの中でも美しく穏やかな街。

カトマンズと違って、空気も水も、すごくきれいです。

センターが山の上にあるからかもしれませんが、水道の水も全然大丈夫。

レッスンは、朝のプログラム、昼のプログラム、夜のプログラムを自由に選ぶことが出来て、追加料金などはないそうです。

食事もすべて含まれていて、それぞれ特別な「Yogic Breakfast, Lunch, Dinner」だそうです。

デンマークから来たカップルの方々と会いましたが、どっぷり、たっぷり、堪能しておられたようです。

きっと、日本のヨガの先生や生徒の方々も、大好きになると思います。

わずかな時間ではありましたが、貴重な経験となりました。

良潤師と同じ部屋で寝ました。

ここで、ヨガについての知見はもちろんのこと、根本の修行、「御題目口唱」の「インストラクション」について、深い気づきをいただいたと話をしていました。

ヨガの先生が言っていたことは、やはり全く通底するところだったからです。

「マントラを唱えることはユニバースと一体になるためである。」

「上手や下手は関係なく、自分の気持ちを込めて唱えればいい。」

「気取らず、心を解放して、声を出してみてください。」

彼らは約18種類のマントラを用いていると言っていました。

私たちはただ一つ、最もパワフルなマントラを、御本尊に向かってお唱えします。

この時代のインストラクションに、大きなヒントをいただきました。

来月からのレッスンがとっても楽しみです。

最近、妙深寺コロンボ別院でもご信者さまの中にヨガの先生がおられ、1週間に2回、ヨガの教室をしているそうです。

その方が学んだ先生は、スリランカの中で有名なヨガの大先生です。

先日、その大先生が新聞に「このマントラを唱えると運が良くなる。健康になる。ヨガの目的を達成させるマントラです。そのマントラは『ナムミョウホウレンゲキョウ』と言います。家で唱えてみなさい。」という記事を書いていたというのです。

別院の方が問い合わせると、大先生はいませんでしたが、受付の人が「これはチベットのお坊さんによって顕わされたマントラです。」と答えたそうで、この決定的な間違いがありつつも、そういうこともあるのかと思って苦笑いしていました(笑)。

とにかく、ネパールでお教化になった方々からいただくご縁は、宇宙まで突き抜けるような勢いで、私たちを導いてくれています。

夜遅くまで、スリランカ別院のことや、ネパール、インドのご奉公について、ゆっくり話をすることも出来ました。

アンナプルナとマチャプチュレ

湖畔のポカラから山を登り、山頂のサランコットという村から日の出を見ました。

目の前に聳えるアンナプルナ、標高8000メートルを超えます。

聖なる山として立ち入ることが許されていないマチャプチュレ、その姿から「フィッシュテイル(魚の尾)」とも呼ばれています。

さらにその奥には、この山々の中で最も標高の高いダウラギリ。

距離が遠いので、アンナプルナやマチャプチュレより低く見えます。

立ち昇る太陽に向かい、懐中御本尊を奉安し、御題目をお唱えしました。

深く、ゆっくり、その響きを全身で味わうように。

ネパールらしい、うっすらした雲の中から、真紅の太陽が昇ってきました。

旭を思いました。

本地院信昇日旭信士。

まさに、この法号は、旭のこと、こんな瞬間のこと、法華経本門のご信心で、生命を燦然と輝かせ、昇華する人を表しています。

ネパールでの支援活動、ご弘通ご奉公が、無事に進みますように、ご奉公するみんなの願いが叶いますように祈り、重ねて旭のご回向をさせていただきました。

「最近のお天気では珍しく素晴らしい朝でよかったね」

お看経の場所を借りた老夫の言葉にみんなで感謝しました。

本当に、ありがたいと思います。

ネパールでフルムーンヨガの番外編

今回、私たちはネパールを代表するヨガの先生の一人と会い、これまでインシーで私たちが行ってきたヨガと法華経本門のマントラ・南無妙法蓮華経を唱えるレッスンの融合について、意見交換することが出来ました。

過去12ヶ月間、インシーを舞台に、ヨガの先生方とコラボレーションさせていただいてきました。

それは、満月の日の、特別なレッスンでした。

今年も満月の日にレッスンをしてゆく予定なのですが、この1月だけお休みをさせていただいたのです。

ネパールでの支援活動でご縁をいただいた方々の紹介で、ポカラに来ました。

ポカラは、美しい湖の向こう側にはヒマラヤの山々が現前に広がっていることで有名な街です。

このポカラを代表する専門性の高いヨガのセンター、「プルナ・ヨガ・センター」を訪れ、様々な知見を得ることが出来ました。

Bahakti Yoga(chanting & kirtan)
Dynamic Flow
Hatha Yoga
Asthanga
Kundalini
Vinyasa Yoga
Yoga Nidra

昨年までは生徒の皆さまに申し訳ないと思うほど手さぐりではありましたが、ここで聞き、ここで得たものを、私たちの今後のレッスンに生かしてゆきたいと思います。

想像もつかないくらい、大きな可能性があります。

本当に、不思議です。

想像もしていなかったのに、スケジュールがどうなるか分からなかったのに、今夜は満月。

たった一度のお休みとなった1月の満月の夜に、ボウズヨガの番外編をネパールでしているなんて。

ありがたい。

4回目のネパール。

ネパールの滞在は、いつも満月の日と重なっているのも不思議です。

最初にルンビニーを訪れた夜は、一年の中でもブッダが生まれた日、ブッダ・ジャヤンティ、ヴェサックの夜でした。

不思議な巡り合わせこそ、法華経本門の教えをいただく者として、最も有難く、身近なものです。

明日はサムンドゥラデヴィに入りますが、今夜はこちらに泊めていただくことになりました。

満月に照らされて、湖面が輝いています。

2016年1月23日土曜日

順番

カトマンズに無事到着し、清行師や良潤師、シェーカーと合流しました。

また、ネパールのチームとも合流。

日本大使館にもお伺いして、大変お世話になった福澤さまに御礼のご挨拶をさせていただくことも出来ました。

第一回の支援活動に参加してくれた猛者たちでした。

みんな、一様に旭のことに心を痛めていたけれど、それぞれが心の深いところで受け止め、さらに強く、純粋なご信心をつかんでくれたようでした。

ネパールで入信した青年たちの、熱い気持ちに感動します。

特に、ギャヌは、第一回の支援活動で、大雨で進退窮まった時、お看経しかないと言われてみんなで御題目をお唱えした時に、なんと降り続いていた雨が止んだのだ、あれから僕はこのマントラがユニバースとつながっていることを感じ続けているんだ、だからお唱えしているんだ、と熱く語ってくれました。

みんな、本当に立派な、初心の佛立信徒

法華経本門の、一念信解・初随喜の人ですね。

昨夕、合流までの時間を使い、空港からほど近いパシュパティナートに行きました。

長い時間、荼毘に付される人びとを見続けていました。

人間が、燃えてゆきます。

当たり前のことだけど、分かっていないから。

旭が亡くなった後、このネパールで荼毘に付しましょうという提案もありました。

しかし、妙深寺の本堂に連れて帰りたい、一目でもお父さまにご挨拶してもらいたいと決断し、そのようにしました。

そのようにして、よかったと思っています。

また、もう一つの理由は、「ネパールで荼毘に付すのは、日本とは全く異なります。」と福澤さまからアドバイスをいただいたこともありました。

「ご家族にとって、それがいいことならばいいのですが。」

人間は死に、その身体は朽ちて、滅びる。

こんな当たり前のことが、なかなか分からなくなってしまいます。

特に日本では、老いも、病も、死も、日常生活とは少し離れた場所に置かれてしまうから。

施設や、病院や、美しく整備された火葬場の扉の向こう側に。

パシュパティナートでは、毎日50人から60人の人びとが火葬されています。

24時間、絶え間なく火葬が続きます。

万が一、一人の火葬もなかったら、それに代わる人形を荼毘に付すことになっているとのことですが、そんな日はないようです。

ヒンドゥー教徒は、この川がインドのバラーナシを流れるガンジス河に通じていると信じ、ここで荼毘に付し、その遺灰を流せば母なるガンガーへ戻ることが出来ると信じているので、多くの人びと、家族が、ここで荼毘に付すことを求めてくるのだといいます。

川岸に座り、いくつもの炎と、いくつもの煙を、見つめていました。

また、次の人が運ばれてきた。

家族や友人が、故人を悼みながら、遺体の周りを回ります。

そして、口から火をつける。

太陽が沈み、夕闇の中で、口から立ち上る炎。

いつか順番が来る。

自分の番が来る。

都会の真ん中にある、オープンな火葬場。

立ち上る煙。

カトマンズの空を包む白い霧は、この場所から旅立つ人びと、荼毘に付す煙だと言われます。

信仰が、ある。

こうして、人間の有り様を、目をそらさず、目を閉じず、まっすぐに見つめていると、どんな人でも何かが変わるはずです。

「臨終の事を先に習ひて、後に他事を学ぶべし」

お祖師さま、日蓮聖人は、まず自分が「終わりに臨む」ということを習ってから、その後で他のことを勉強しなさいと言われていました。

自分の番のこと。

みんなで、御題目をお唱えしました。

何よりも、こうしてネパールのみんなと御題目をお唱えできたことが嬉しかった。

これまでのご奉公の結果です。

ここで人生を終えた、星の数ほどの、人びとの霊魂へ向けて、これからのご奉公、ネパールでのご弘通を祈り、御題目をお唱えしました。

仏教の創始者、仏陀の生まれた国、ネパール。

ネパール最高の聖地とされるパシュパティナート。

映画「[窓] MADO」の上映会にお越しください🙏

10月2日のFMヨコハマ「横浜ラグーン」は先週に引き続き俳優の西村まさ彦さんをお迎えし、映画『[窓] MADO』の麻王監督にも加わっていただいてお話をお聞きしました。 映画『[窓] MADO』は「横浜・副流煙裁判」と呼ばれた一つの出来事をテーマにしています。原告家族「A家」と被...