2022年11月24日木曜日
CEATEC 2022 第18回 JEITAデザインフォーラム「不確実な未来に備え、社会へ貢献するデザインのチカラとは」
2022年4月14日木曜日
2011年10月6日木曜日
スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ(再掲)
スティーブ・ジョブズ氏は、世界中の誰もが尊敬してやまないリーダーの一人。アップル社の創設者、世界を変えたパーソナルコンピューターの開発者の一人である。現代の最前線で生き、時代をリードしてきた彼が語った言葉は、実に説得力があり、世代を超えて人々の心に響くと思う。
特に、ここに紹介するスピーチは、永らく人々に語り継がれてきたほど感動的なもので、私自身も数年前に友人たちにメールして語り合ったことがある。2005年6月12日に行われた米国スタンフォード大学の卒業式でスティーブ・ジョブス氏が行った祝賀スピーチ。彼自身の人生を率直に振り返る彼のスタンス、飾らない生き方と、そこで気づいた軋轢や反省も含めて、聞く者、読む者を感動させる。
中高年はもちろん、オタクやアキバ系と言われる人たちも、デジタル世代も、彼の功績には文句はないはずだ。i podの開発者、世界的なムーブメントの立役者。世界初のフルCGのアニメーション映画「トイ・ストーリー」を発表したピクサーを率いた。もうじき6才になる私の長男も「トイ・ストーリー」の大ファンだ。近年における彼の影響力の大きさは桁外れだ。時代をリードするカリスマと言っていいと思う。
その彼のスピーチ。それは誰の心にも響く内容だ。これから社会に飛び出そうとしている卒業生に語った言葉だから、読む人の心にはやる気や希望が湧いてくる。また、もしいま逆境に陥っている人が聞いたとしても、心に希望が湧いてくるに違いない。
私は、このスピーチは、人生観、死生観など、非常に仏教的であると感じている。彼自身がスピーチの中で、「自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること」と言っていることからも分かる。時代の最先端をいく起業家・実業家の彼は、西欧的な考え方にとらわれているのではなく、非常に東洋的な考え方を持つ人間だということが分かる。彼のスピーチから、仏教的な「カルマ」「因果」という視座を持っているということを感じる。「信じることの大切さ」「点」と「点」は、結果的に後で必ず報われる、と。
ただ、「下手が名人のマネをするな」という言葉がある。彼は自分の直感のままに生きろと言っているが、その大前提は責任を果たすことであり、自己満足の、欲の世界に閉じこもるということではない。彼はその生い立ちから、本来的に「不屈の闘志」や「世界をより良く変えていく希望」を持っていたように思える。決して、自己満足の世界で完結せよと言っているのではない。スピーチを紹介する前に、無粋は承知の上で指摘しておきたくなる。仏教では、先述したように三毒の影響を受ける感情のままに生きる危険性を説いているから。「感情」と「サイン」や「直感」は違う。スティーブのように稀なる天才的な人はいいが、「信」のない多くの人は迷いを深めることもあるから。無粋だが、許してほしい。
私も、いつも「Stay hungry, stay foolish」と、息のある間は生きるべきだと思ってる。変な世間の常識に縛られていることよりも、大切なことがあるから。とにかく、何を感じるかは読む人に任せた方がいい。私は、ここから学ぶことがたくさんあると思う。いつか、彼にも本当の仏教を伝えられたらな。世界中の人が救われるために。宿世の果報ある天才だけではなく。
スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(日本語訳)
ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。
最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。
こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。
2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。
3つ目は、死に関するお話です。
私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが"NO"の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだとしたら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
スチュアートと彼のチームはこの"The Whole Earth Catalogue"の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
Stay hungry, stay foolish.
ご清聴ありがとうございました。
2011年4月4日月曜日
無限や永遠に関する仕事 【孫正義氏】
孫正義氏が東日本大震災で被災した地域に個人で100億円の義援・支援金を寄付すると発表した。ソフトバンクも企業として10億円以上を寄付するという。さらに、孫氏は今年から引退するまで個人の報酬をすべて寄付すると発表した。被災された子どもたちが18才になるまでは支援を続けなければならない、長期戦になるのだ、と。2011年4月1日金曜日
班長さんへの手紙 平成23年4月1日
数え切れない方々が亡くなり、家を失い、避難生活を余儀なくされています。豊かで穏やかな生活を、一瞬にして奪われた方々。原発事故は国家的、世界的な大問題となり、誰もがこの大災害の被災者であることを突きつけました。日本経済は大きく変わり、それは全ての日本人の生き方、暮らし方を一変させるに違いありません。
今回の大災害で、日本人は本来持つべき輪が失われていたこと、最も必要であったことに気づきました。不幸の後に気づくのは哀しい。しかし、それでもいい。
御教歌
「世の中をうらむはおろかかひもなし 苦楽はおのが 報ひ也けり」
2011年2月24日木曜日
サバイブ
2011年1月27日木曜日
ガンバロウ
先日、ある青年に昔からの先輩や仲間を紹介しようと声をかけさせていただき、平日というのにお時間をいただきました。匆匆たるメンバーで、日本の経済やメディア、ファッションや様々な流れを担い、作っておられるすごい方々だと、あらためて痛感しました。その方々が、ご家族と共に、妙深寺にお参詣くださっている。それが、どれほど、ありがたいか。ここまで、つながってきている、ほんとうに、何とも言えない、ありがたさ、あたたかさが、こみ上げてきました。
裏も表もなく、自分のすべてを見てきた、古くからの友人たちがお教化になり、いま、みんなで一緒にご信心、ご奉公できていることこそが、私自身の今日までの人生と信心を証明する、最高最大、うれしいことだと思っています。「教務として」「住職として」の前に、自分の友人たちにご信心をお伝えできるようでなければ、まずそのご信心はニセ物だと思いますから。幼なじみ、小学校時代、中学時代、高校時代、大学時代、スポーツの仲間、ビジネスの中で出会った方々。本当に、いま、みんなに感謝です。恩返ししないと。自分のできることを、精一杯しないと。2011年1月22日土曜日
ブラジル本門佛立宗 (演劇)"御仏の大慈悲" "Compaixão de Buda"1/5 – 14.11.10
昨年11月、ブラジル本門佛立宗が開催した「佛立祭」の映像が届きました。特に、この中で上演された「御仏の大慈悲 "Compaixão de Buda"」の映像です。
メールをくださった吉川淳省師によると、全員サンパウロ日教寺の青年会員だそうです。99%は初めて舞台に立ち、6ヶ月間の練習を重ねて、日教寺体育館満席(1000人)の前で立派に演技を行いました。すごい。
このYou Tubeへは淳省師のお父さまがアップロードし、日本語の字幕は野崎清翔師が徹夜で付けてくれたそうです。
素晴らしいですね、ブラジル本門佛立宗。約7年前、佛立研究所からIT活用についての論文を発表させていただきましたが、ほぼ、日本側では進んでいません。ウェブページの活用も、メールや映像配信についても。「開化第一」はどこに?ブラジルに見習いたい。大きさではなく志の問題だと思います。
2011年1月15日土曜日
世界ゲーム革命
世界ゲーム革命、いや、人類ゲーム革命が、起きていると言われています。これは、決して遠い世界の話ではありません。圧倒的なパワーで、世界を変えており、ビジネスの話ではなく、人間そのものを変えています。
何度か書いたことがありますが、私は大学で教育学を専攻していました。あまり勉強したと言えませんが、教育学上、「家庭用ゲーム機」の存在がどれだけ重要視されているかについてはよく覚えています。
確かに、個々人が楽しむ「ゲーム」から、個々人が参加する「映画」が生まれ、そのゲームと映画からマーチャンダイズと呼ばれる関連グッズの商品群が生まれてくるというのは自然です。「参加」というキーワードは、極めて近代的です。そして、参加することによって感情移入は異常なほど高まります。子どもから大人まで、もう、これに太刀打ちできるコンテンツ・ビジネスはないと思われるほど、すごいパワーを持って迫ってくるように思います。いま、人々は孤独を深めています。今ほど、人間が孤独になった時代はありません。
バーチャルの世界とリアルな世界。夢とうつつ(現実)。境界が失われて人が、狭い世界、閉じた世界に閉じこもり、現実世界での人との関係を断ち、その中から経験的に学ぶことを軽視してゆくことに危うさや脆さを感じます。
人間は、70年前後の人生だとしたら、23年間は寝ていることになります。同じように、23年間は仕事や勉強に費やされていると考えられます。そして、約9年間は何かを食べてる。いや、約9年間はテレビの前に座り、同じく9年間はパソコンの前に座り、さらに9年間は携帯電話を眺めているだけかもしれません。こうして計算してゆくと、私たちの限られた命が、何に使われているか、実は、どれだけ時間が貴重かが分かります。
欧米が進めている、リアリティを追求した「戦争参加型ゲーム」の普及は、それこそ人類に何をもたらすか。脳にどんな影響を与えるか。語るべくもありません。
いま、スタジオ・ジブリとゲームクリエイターが結びついて、壮大な「二ノ国」という「ソフト」が開発されているようです。ジブリ映画が、ついにゲームと結びつく。その果てに何があるか、まだ、分かりません。平和があるか、教育があるか、さらなる現実逃避の、閉じた世界への誘惑が待ち受けているのか。
この分野での活躍を期待します。そして、私たち仏教徒も、この世界の動向を注視して、そして、人々の生き方、生きるべき道について、その使命を再考します。
2011年1月6日木曜日
班長さんへの手紙 平成23年1月「役中テキスト」
もう一つ、一年間、忘れずに覚えておいていただきたい言葉があります。
私たちは、この言葉を、
「○○○○。それにつけても、教化折伏」
と考えてゆくことが大切だと思うのです。
と口癖のように言い合うことが大切です。悪いことをするために助けてくださったのではないのですから、これが御本意です。 こうした気持ちとご信心で過ごせたら、御利益に溢れた一年になることは間違いありません。朝夕のお看経を誓い、すべての感謝をお教化とお折伏の菩薩行に結びます。一人でも多くの方が実践したなら、必ず報恩ご奉公は成就します。
この一年を良くするか悪くするかは、自分次第だと思い、お互いに精進いたしましょう。
2011年1月1日土曜日
妙深寺報 平成23年1月号
つくづく、私たちは右肩下がりの『下り坂社会』を生きていると痛感します。大学を卒業したのが平成4年(1992年)でした。バブルが崩壊した後の社会。「失われた10年(lost decade)」として知られています。バブル崩壊後、1990年代の日本が政治的にも経済的にも改革に対しても停滞した時代に社会に出たことになります。
その世代の方々は、「右肩上がり」の社会の中で、人生の多くを過ごしてこられました。日本という国家も、人々も、宗門も、この時代に於いて成し遂げたもの、得られたもの、挙げられた成果があります。その恩恵の中に今があります。
しかし、追い風を受けた為された施策には無駄も多く、追い風を受けていたからこそ成功した、何とか成果が上がった、という側面があることは忘れてはいけません。時代は厳しく変化しているのです。
そうした施策について、実は全く理解できません。社会的な面でもそうですが、ご奉公の上で浄財を投じる大きな事業についても、宗務員として施策に従ってご奉公を進める外ありませんが、実際には違和感を抱きながらご奉公することになります。「下り坂社会」で生きる私たちの感覚からは想像もつかない「緩いこと」が多いです。
とにかく、今年は、様々な分野で大きな分水嶺を迎えるでしょう。
若者だけが愚かで浅慮だと批判することは出来ません。むしろ「あほの長生き娑婆ふさげ」という御指南の意味を掘り下げるべきです。将来に問題を先送りする施策、浅はかで拙速な施策に、年齢や地位は関係ない。もっと、こうしたことが客観的に論じられるべきでしょう。
いずれにしても、未来の幸福のために、今年はそれぞれが自分の眼で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で、自分の信心で、判断すべき時でしょう。誰かのせいにして済む時代ではないのです。そういう余裕ある時代は終わったのです。
分水嶺にある覚悟を。本気でいきましょう。
2010年12月21日火曜日
「怠薬」と「断薬」
心の病について、佛立教務として書きたいと思います。私は、統合失調症やうつ病、自律神経失調症の方々へのご奉公を重ねさせていただき、この中で、たくさんのご利益を見て、本人同様に、私も感激し、本当に嬉しく、有難い体験をしてきました。
ただ、この中で感じたことや体験的にお伝えしていることがあるので、「罪障」や「障礙」というご信心の用語や難しい理論を使わずに、少し書いておきたいと思います。
特に、今回は、「怠薬」と「断薬」の危険性について書きます。
こうした心の病気には、お医者さんで様々なお薬が出ます。この「お薬」を飲むということは病気の症状があるということで、出来るならば「お薬」を飲まないようにできれば一番です。お医者さまにも、「薬を出すのが仕事」と「薬を減らすのが仕事」という2つのタイプがおられます。というか、その一方ではなく、その両方を医療の目的とするのが本当のお医者さまです。
特に、抗うつ剤や安定剤や眠剤は、とてもだるくなるお薬です。病気を持っておられる方でも、このお薬のもたらす作用と精神的な安心感に依存する方と、このお薬を忌み嫌う方に大きく分かれます。これは、どちらも正しくありません。
ご信心では、精神的な病気に限りませんが、こうした強いお薬を、できる限り減らして、自分自身に与えられた免疫や大自然の理をもって生きてゆけるようになるのが目標です。御題目という薬と同列に医学的な薬を並べて考えたり、そうした比べ方をして御題目を軽んじたりすることは御利益の妨げです。しかし、「宗教と科学はあざなえる縄の如し」「信仰と医療はあざなえる縄の如し」と言うように、この両方を、丁寧に結んでご奉公させていただかなければなりません。極端から極端は、下手が名人の真似をするようなもので、結果的に現証の御利益も、ご弘通のご奉公も叶いません。
その上で、お医者さまからいただいたお薬を飲み、それをお医者さまと相談しながら、症状を見て、しっかりと先生の言うことを聞いて、減らしていくことができれば道は開けてゆきます。そうした病院や先生と出会うことも、大切です。心の病は、身体の癌や重篤な病気と同じくらい、恐ろしい病気です。簡単に済ます、ということは出来ません。
しかし、問題なのは、「心」に闇を抱えているということは、「疑い」に心が支配されている場合が多く、自分自身で正確に、客観的に判断する能力が、本人から奪われている場合が多いことです。つまり、そのお医者さまが、「いいのか」「悪いのか」を、客観的に判断することが出来ません。そして、多くの場合、自分自身で、「このお医者さんは駄目だ」「分かっていない」と決めてつけてしまいます。もちろん、先ほど書いたように、本当に強い薬を出すだけのお医者さまもいて、違う病院を探した方がいいこともあります。しかし、この病気の場合、本人だけで決められるものではないのです。こうして、次から次へと、「信じられる先生に出会えない」と言い続けて、病院を巡っている方が多くいます。
お医者さまも、まず、信頼関係を作る努力をされており、その苦心は窺えます。きついことを言わず、理解を深めようと努力してくださいます。しかし、圧倒的に患者さんが多く、本人が転院したり、違う病院に行き始めれば、それ以上は何もできません。こんな風に、悪循環が続いてしまいます。だからこそ、ここで、ご家族や、私たちのようなお寺の住職や教務が寄り添って、ご奉公させていただくことになるのです。
一生懸命に治療してある程度まで来ると、多くの人は「よくなったから薬を止めてみたい」と考えます。たしかに、薬が強いですから、飲んだら身体がだるくなるのです。本人が一番知っています。そして、その薬を止めたらシャキッとする。だから勝手に止めてしまう。そして、バラバラ、ドタドタ、ドカン、と来て、元に戻ってしまう。これが「怠薬」や「断薬」の怖さです。
そういうことを、何度も何度も見てきました。もちろん、お看経とご信心があれば、いつか薬も止められる。でも、薬が止められるほど、固くて、強いご信心を持てたかどうか、教務も本当にチェックしなければならないのです。先ほど書いたように、下手が名人の真似をしてケガをしたら大変です。私は、こうしたご奉公の中で寄り添いながら、本当に、こうした状態から、完全に良くなっていく方々を見てきました。御題目があって、しっかり指導をいただけば、必ずよくなります。勝手にしていたら駄目。
お助行は、御題目の「怠薬」や「断薬」が起きないようにする最高のご奉公です。こうしたご病気の方に限らず、末法の私たちは全員が病気を抱えているようなもので、御題目の「怠薬」や「断薬」を常に起こしています。お看経も、なかなか一人ではできません。言うまでもなく、お看経は心のお薬です。しかし、やはり、みんな薬は好きじゃない。一人では出来ない。一人ではしない。
それを、自分の家までお講師やご信者さんが来てくださり、横に座ってお薬を飲ませてくださる。こんなに有難いことはありません。
御題目やお助行も、病気のお薬も、自分勝手な「怠薬」や「断薬」は、本当によくありません。三毒の病気も、不安も、薬が切れて出てくる、元に戻る。だから、自分で決めて止めてはいけません。飲みにくいかもしれないけど飲んでくださいね、一人で飲めないなら、隣に行って飲めるようにしてあげます。それがお助行。
2010年12月4日土曜日
佛立祭の映像!!
これからのご弘通を考える上で、とても大切だと思います。日本の私たちも、こういう姿勢と明るさでご弘通に臨みたいですね。日本ですると、宗教への偏見や新宗教の奇怪な行動からか上手に受け止めてくれないし、なにか外に出るとしても「悲痛な覚悟」などが前面に出て暗い(笑)。暗くなる。
でも、そうじゃないですね。ブラジルの明るさ、宗教が当たり前に身近にある文化、その中で「仏教」を紹介するという気概。「Buddhismo primordial」とは、「根本の仏教」という意味で、本門佛立宗を標榜するタイトルです。
すごいな。やりましたね。
Monges Primordiais(Kyoujyu Pires) - Festival Primordial - HBS do Brasil
そして、何と言っても歌が良い!!元シンガーソングライターのピレス教樹師が作った歌です。海外青年協力隊でブラジルに渡った雪菜ちゃんが出会い、お教化して、そして得度したご主人。まさに、雪菜ちゃんはすごい。苦しいこともあると思いますが、ご祈願の通りに人生を歩んでいるのだから。
久しぶりに、元気になりました。さすが、ブラジル。
2010年11月17日水曜日
ブラジルのメールから、思うことを長々と
清翔拝、」
ブラジル本門佛立宗が開催した「佛立祭」、完全に、その目的を達成していますね。すごい。参加者2日間で2400名とは、素晴らしい。コレイア教区長を先頭に、本当にピタッと同じ方向を見て、ご奉公が進んでいるのを感じます(日本も見習わないと、置いてかれますぞ!)。ご弘通ごっこ、評論家きどり、ブリッ子の信心には辟易です(汗)。「志が低すぎる!」と悲憤したくなる時があるし(涙)。負けていられません。
私は、一応の原稿のリミットが25日にとなり、それまでに重要なご奉公も山積していますが、没入したいと思っています。実は、今週末は本山宥清寺で「本山奉仕会」というご奉公があります。今回は、全国から最小菩薩行単位である「班長さん」の代表者にお集まりいただいて開催されます。結構、朝から晩までびっしり張り付くご奉公で大変。当初、スリランカに出張する予定を立てており、この本山奉仕会は欠仕のご許可をいただきました。スリランカへの出張は事情があって中止となり、この期間に妙深寺での重要不可欠なご奉公をさせていただくこととなりました。申し訳ありませんが、本当に過密スケジュールで甲乙の付けられないご奉公の連続。となると、代わりのいない妙深寺住職というご奉公を優先しなければならなくなる(涙)。淳鷲師と一緒に応接間の床で寝たかったんですが、本当に申し訳ないです。
2010年10月29日金曜日
最高の温泉 志賀高原・一望閣
しかし、この一望閣は違うのです。お風呂場に入った瞬間、「これだー!」と叫びたくなるほどでした。決して、最新のリゾートホテルなどではないけど、だからこそ「本物の温泉」と感じました。豊富な湯量で循環などは一切せず、汲み上げた温泉に湧水をそのまま入れて温度調整をしているということで、完全100%天然だということ。
本当に、入ってみて欲しいです。とにかく。百聞は一見に如かず。なんぼ言うても入ってもらわにゃ分かりもはん。いろいろなホームページで紹介されていますが、やはり、圧倒的に「お湯」が絶賛されています。
青年会や薫化会と合同のスキー(スノーボードもスキー場を選べば出来るそうです)ツアーをしたいのですが、スキーの出来ない方やゲレンデに行けない方、朝と夜に子どもたちの面倒を見てくれるご両親やお祖母ちゃんにとっても、昼間は温泉を楽しんでいただけばいいし。すごくいい。
もう、言うことなしです。お部屋だって、団体ならば550人は収容できるのです。すごいでしょ?全国の青年会のウィンター大会が出来そうです。なんといっても、二階には立派なご宝前さまが(涙)。
夏も林間学校などに利用されているそうです。先日、私も生まれて初めて垣間見た高原。大感激しました。その志賀高原の代表的なハイキングコース、池めぐり、自然探勝コースの起点となる前山リフトに近いとのこと。夏には徒歩2分の場所で「日本一標高の高いところに生息するゲンジボタル」が見られるらしいのです(涙)。子どもに見せたい。
行きたーい。
2010年10月21日木曜日
コンテナ
2010年10月9日土曜日
ジナットの元気な姿
見てください、この元気な姿!!信じられない、すごい!!ジナット、よかったね(涙)。立っているのも、想像つかないよ(涙)。ご両親が、どれほど喜んでおられるか。
有難い!!
スリランカの佛立魂 Vol. 2
Actually I beleive Gohonzon sama protect him. within two months he fully recovered (07.08.2010 - 07.10.2010).
私は、あの朝ジナットを抱っこしていましたが、それについてとても感謝してくれていました。そして、バドラは、この大いなる現証の御利益をもって、ゴールにある病院の担当医や看護士さん2名をお教化されました。
実際に、このジナットの大事故を通じて、お折伏をし、お教化が成就した。私は、この担当医の方に御本尊を授与させていただきました。そして、彼女はこれからも、ご弘通ご奉公、お教化、お折伏のご奉公を続けます、と誓っておられます。すごい、ジナット。本当に、よかった。
生花か造花か?答えは横浜ラグーン
9月23日、秋分の日、FMヨコハマ「横浜ラグーン」の放送が出来ました。おかげさまです。ありがとうございます。 今週は番組に届いたお便りにお答えしました。秋田からのお便りも嬉しいです。 職場での人間関係に悩む方、「有能有敵、無能無敵」と心得て、少し心の感度を落としつつ、前向きに...
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6月が終わった。本当にありがとう。感謝しかない。終わりそうもなかった。でも無事にご奉公させていただくことが出来た。 去年から今に至るまで、人生で最も深く思考した。これまでの人生を振り返り、いくつもの分岐点、愛する人、大切な友人、恩ある方々を想い返し、今まで見たことのない景色が...
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ありがとうございます。 極めて残念なお知らせをしなければなりません。 11月4日未明、小泉博さんが他界されてしまいました。あまりにも突然の別れに言葉が見つかりません。みなさまもご同様のことと思います。受け入れ難いことをお伝えしなければならないことを心苦しく思います。 昨日から...
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多くのお問い合わせをいただいております。お見送りの日時と小泉家の供花についてご披露させていただきます。 本通夜 11月 9日(日)18時~ 告別式 11月10日(月)11時~ 式 場 妙深寺 第二本堂 (11月8日(土)18時から仮通夜を営みます) 【供花 一基 15,...



















