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2009年1月15日木曜日

悪夢

 京都でのご奉公。

 ニュースで流れるガザの惨状。どんな理由があっても、現在のイスラエルを擁護することは出来ない。この地球上で、軍事的に最も強大な国家の一つが、手作りのロケット砲しか持てない、経済的にも閉鎖された(彼らは200以上のトンネルを掘って武器を密輸しているといわれるが)まだ国家でもない自治政府と地域を攻撃している。もう、止めてくれ。理屈はいいから。これを見ていたら、頭が変になっていく。

 私たち以上に、アラブの同胞たちが女性や子供が殺されていくのを見過ごせないと泣いているだろう。彼らは報復を誓って団結する。悪夢が頭に浮かぶ。戦争を最大の景気対策と思っている人たちもいる。もう、世界戦争の直前だと思ってしまう。その悪夢とは。

 たまらず、シリアかレバノンがイスラエルを攻撃する。それぞれ、世論に押されて、イスラエルがどれほど巨大な軍事力を持っているか知った上で、捨て身の攻撃を行わざるを得なくなる。イスラエルは、総力を挙げて報復する。最初に攻撃をしかけた国はイスラエルによってその攻撃の数百倍の代償を払わされる。徹底的な攻撃と壊滅的な状況。そこに至ってイランなど沈黙していた国々が参戦し、さらに中立的な立場を取っていたアラブ諸国も参戦したらどうなるか。アメリカ、英国はイスラエルを支持、アラブを非難。日本はイスラエルへの支持を表明(アメリカ追従)。フランス調停。調停不発。世界大戦へ。

 いやな夢、悪夢だ。

2008年11月14日金曜日

聖墳墓教会での事件

 唐突だが、2003年11月に私は一人でイスラエルに渡航した。
 どうしてイスラエルに向かったかといえば、同時多発テロ後の世界で明らかになったように、世界に巨大な影響力を持ち続ける宗教の本質を知りたいと思ったからである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレムに行き、それらの宗教を育んだ空気、信仰する人々、教えを肌で感じようとしたからであった。
 とにかく、当時「渡航禁止勧告」の出ていたイスラエルに行くしかないと思っていた。寺院を預かる住職としては間違っていたかも知れない。しかし、テロや紛争が激化しつつあり、「文明の衝突」を掲げて宗教対立が煽られていた9.11後の世界にあって、仏教徒が感じるべき矛盾は何かを知りたかった。
 テルアビブの空港で、飛行機のタラップから降りると、私一人が止められた。「何しに来た」というわけである。その場で名刺を取り出し、さまざまな言い訳をしながら入国許可をしてくれるように依頼した。既に乗客を乗せたバスは出ていた。別の車で入国管理のデスクに行き、また同じ質問。どうなることか、さすがに心配だった。入国できるのか、できないか。必死に説明して、ようやく入国を許可していただいた。しかし、若い兵士たちの緊張感が伝わり、それを察知して私の肌に鳥肌が立った。
 とにかく、空港近くでレンタカーを借り、一人でテルアビブのホテルへ。ホテルで一泊して、翌日にはガリラヤ湖、ナザレ、ゴラン高原へと足早に回った。その翌日、私はテルアビブを離れて、エルサレム市に入った。ホテルにチェックインしたのは夜だった。
 次の日の朝、緊張して朝早く目が覚めた。今でも、その時、バルコニーを開けて、夜明けのエルサレム旧市街を撮影しながら自分でレポートしている映像が残っている。朝食を食べて、旧市街に入り、ダビデの塔から塀の上を歩き、オリーブ山を見下ろした。アル・アクサー寺院が見えて、嘆きの壁に肉薄した。そして、その後、イエスが磔刑にかけられたゴルゴダの丘の跡に作られたという、聖墳墓教会へと向かい、中に入った。
 なぜ、このタイミングでこんなことを書いたかといえば、聖墳墓教会のニュースを久しぶりに見たからである。2003年当時、エルサレムはテロの恐怖に怯えていた。テルアビブではバス・ターミナルで大きな自爆テロが起きた直後だった。最近になって、小康状態を保っていたガザでの紛争。しかし、先日イスラエル軍がハマスを攻撃したことで再燃しそうである。エルサレムではテロが久しく起きていないと思っていたが、なんと今度は聖墳墓教会の内部でキリスト教徒同士が殴り合いの喧嘩をしたという。宗教対立、問題の深さをあらためて思うとともに、内部の映像を見て懐かしく思った。
 エルサレムの聖墳墓教会は、キリスト教各派、ギリシャ正教やアルメニア正教のほか、ローマ・カトリック、エジプト・コプト、エチオピア正教、シリア正教などの共同管理となっている。その権限をめぐる対立は数千年来続いている。11月9日、アルメニア使徒教会とギリシャ正教会の聖職者(!)の間で乱闘が起き、多数のけが人、逮捕者まで出たという。これらの所有権や境界線などは、実に微妙なもので、解決の目処など誰も立てられそうにない。修復や増強工事すら出来ず、崩壊の危険すらあるという。
 教会の入り口から右の上がゴルゴダの丘とされている段であり、イエスの祭壇、向かって右側にマリアの像があった。入り口の正面にはイエスが横たえられたという石版があり、左の奥にイエスの墓がある。その内部は大理石で出来ているのだが、数え切れないほどの人によって踏み、削られ、小さな鉢のように反っていた。墳墓の入り口に立つ管理者(どちらの教会派か、権限を持つ人なのかも分からないが)に許可をもらって内部の写真も撮影させていただいたが、今回は掲載しないでおく。
 ゴルゴダの場所そのものに諸説があり、違う場所を指示する会派もあるし、学術発表もある。いずれにしても、中世にはエルサレム巡礼ツアーが商業的に発展し、イエスがかけられた十字架が発見されたとか、聖遺物としてさまざまなものが売られるようになっていたので、真偽を問えばきりがない。とにかく、私も訪れた聖墳墓教会、キリスト教徒が同じく敬う場所に於いて、キリスト教徒同士が殴り合いをするというニュースに、とても驚かされた。
 明日、明後日と、高祖会。「立正安国」をテーマとさせていただいて奉修させていただくが、今という時代だからこそ、1つの聖書から生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教ではなく、仏教。その仏教の中でも、お祖師さまが立正安国論で判じられたように、御仏の御本意を説かれた法華経の教え、上行所伝の御題目を立てて、世界の平和・安定を確立したい。

2007年10月23日火曜日

ベツレヘムの写真

 ついでに、写真をアップしてみる。ご奉公に追われて、私自身も写真を見返す時間がないので、こういう機会に見返していた。「星に願いを」からずいぶん話が飛んでいるようだが。
 この写真は、ベツレヘムの「聖誕教会」と呼ばれる教会の入り口。もう少しマシなカメラを持って行けばよかった。
 この写真の真ん中、小さな穴のような部分が入り口である。ここは屈み込まないと入れない。後でも述べるが、何度も何度も改築を繰り返し、ついには要塞化して、敵に攻め込まれないように入り口を狭くしたのだった。すごい、それが教会なんて。これが砂漠の宗教の緊張状態、現実なのだ。
 中の写真もあるのだが、特に見せられるようなものはない。コンスタンティヌスのお母さん、ヘレナが熱心なキリスト教徒で、ローマ皇帝である息子を最初のキリスト教徒にしたのは有名だが、このヘレナがパレスチナに聖地を求めて活動した。中世以降になると、ヴェネチアなどが聖地巡礼をビジネスにするようになり、様々な「聖地グッズ」が販売されるようになる。「聖遺物」のことについてはイスラエル渡航記でも書いたが、イエスが磔にされた十字架まで展示されていたというのだからちょっと笑ってしまう。パレスチナの民が商売熱心というか、何というか。少し考えてみたら分かるのだが、ローマから訪れた巡礼者は、あまりに興奮し、感激して、その十字架に噛みついて、「聖遺物」として削り取ったというエピソードまである。だから、十字架には歯形がたくさんついていたと言うくらいだ。
 この右の写真は、その聖誕教会を振り返ったところ。隣のモスクで午後の祈りを捧げている男性たち。パレスチナ人のムスリム。ここが大変な戦場となったことなど想像もつかないくらい、穏やかに祈りを捧げていた。
 2002年4月、イスラエル軍はベツレヘムに侵攻した。4月2日の夜から、イエス・キリストの生誕地とされる聖誕教会に、武装したパレスチナ人やベツレヘム知事、住民約200人が逃げ込み、イスラエル軍が包囲する状態が続いていた。このニュースを覚えている人は少ないだろう。私がベツレヘムを訪れる1年半前のことだった。
 この教会は、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌスが建設したといわれている。6世紀に改築されるが、特にその後の十字軍時代(11~13世紀)には要塞化された。そのキリスト教の教会に、イスラム教徒であるパレスチナ人がユダヤ教徒であるイスラエルからの攻撃を避けるために籠城したのである。皮肉というか、何というか、複雑極まりない。
 2002年4月4日、ベツレヘムの聖誕教会周辺では爆発があり、イスラエル軍による銃撃が続いた。私が訪れた頃は穏やかなものだったが、上掲のニュース写真を見ても分かるとおり、教会上空に照明弾と銃弾が打ち込まれており、まさに戦争状態だった場所だ。

イスラエルに触れたので、

 イスラエルに触れたので、ちょっと思い出していた。
 イスラエルに行ったのは2003年11月16日から22日までのことだった。どうしてもユダヤ、キリスト、イスラムという三大宗教の聖地なる場所を自分の眼で見て、肌で感じて、物申したいと思ったからだ。
 あの頃、テレビの報道で、日本の仏教界や僧侶らがカトリックの僧侶らとイタリアのアッシジに集まり、『平和』のための集会を開いて植樹をしているのを見た。「なんて呑気なことをしているのだろう」と単純に思ってしまった。
 その頃の私はニューヨークのテロやアフガニスタン、イラクで始まった戦争と宗教のおぞましい関係や背景について心から憂えていたし、その下で傷つく家族、特に子どもたちのことを毎日毎夜考えていた。
 平和について宗教や思想の垣根を越えて語り合うことは必要だろう。しかし、あの1つのバイブルを基にして派生した3つの宗教同士の相克や憎悪の連鎖を知らずして、全く異なるアプローチが出来るはずの『仏教』が、単純に「お互いに仲良くしましょう」と言っているようでたまらなくなったのだ。「為すべきことは違うだろう」という思いがずっとあった。
 もちろん、だからといって私のような行動をすることは馬鹿げていると思う。しかし、この世界の惨状の中で、私たち仏教徒が守られた壁の中で平和や教えを語ったりするだけで良いのか、という思いは今も同じだ。そんな坊主と一緒にされたくない。
 すでに、私がイスラエルに行った時の模様は『イスラエル渡航記』として妙深寺報とHBS NETWORKに連載させていただいた。いま読み返すと文章が稚拙で、これまた恥ずかしいが、読んでいただければと思う。これも途中になっているので、あの旅を思い返しながら書き足さないといけない。
 一人旅が大好きで、これも困ったもの。家族からは呆れられている。もう一度、あの場所、この場所に行きたい、と思っている。
 前の文章で書いたコバンの写真を探したので、載せてみた。いい男。エルサレムの旧市街から東、遠くに死海が見える丘の上でタクシーを止めて写真を撮った。実は、イスラエルで私はレンタカーで移動していた。このコバンと会って、ベツレヘムに行ったのは最終日だった。まったく時間の無い旅だったので。
 だから、丘の上に車を停めて、タクシーからレンタカーに乗り換えて、急いで空港に向かった。もう一度、コバンにも会いたいなぁ。誰かに似てるんだけど、思い出せないんだなぁ。

2007年10月22日月曜日

音楽について

 音楽は人を魅了する。簡単に国境や言語、人種の壁を超えて、人々に感銘を与える。
 若い頃、というか10年前くらいに先輩と話をしていたら、その先輩は「来世は歌手になりたいなぁ」と言っていた。何故かと聞くと、上記のような理由だった。私も本当にそのとおりだと思ったものだ。
 私たちの「唱題行」というのは、ある意味で「歌手」に当たるかも知れないと、Yaccoさんから教えていただいたように思う。Yaccoさんが、はじめて本堂に入った頃だっただろうか、本堂の中を「クラブ」のように感じたというし、導師や教務を「DJ」のように感じたというのだから。少々驚いたが、Yaccoさんらしい。
 仏教には、大別して「瞑想(Meditation)」と「口唱・詠唱(Chanting)」という修行がある。「瞑想」が止まって行う個人の修行だとすれば、「口唱行」は五感をフルに使い、一人ではなく多くの人と共に行うもの。一緒に唱えることを指すのだが、聞いても良し、口ずさんでも良し、というわけだ。とにかく全員で五感を使い、みんなで声を合わせて唱える修行は、簡単に「一つ」になれる全員参加型の修行なのだから有難い。
 現実、海外でご奉公をさせていただくようになって、「ナムミョウホウレンゲキョウ」とマントラを唱えることは、簡単に国や言語や人種の壁、理屈や理論を超えて、誰もが出来、誰もが魅了されると知った。自分で唱えることによって、何かを実感・体感できるということが最大の魅力だろう。難しい歌詞ならば覚えるのに大変なのと同じように、口唱(詠唱)行とはいえ難解な経典であれば実感することは叶わないのだから。久遠から届けられたユニバーサル・ラングエッジである『歌詞』とリズム、ビート、とも言えるわけだ。
 しかし、最近の私といえば、少々時計を逆に回して、「歌」の魅力を痛感している。思い起こせば、若い頃は何度かライブをやらせてもらい、歌ったものだ(恥ずかしい)。神奈川県下の寺院から大勢の若者が集って開催された大キャンプでも、トラックを改造して野外ステージを作り、そこで2度も、ライブをさせていただいたことがある。あの時も、先代のご住職が「やってみろ」という一言で練習を開始し、本番を迎えた。
 さらに、京都でも2度、ライブハウスを借りてステージに立ったことがあった。いま考えると恥ずかしくて仕方がないが、若気の至りで、アベちゃんの指揮の下でさせてもらった。恥ずかしい(笑)。祇園の八坂神社に近いライブハウスだったが、正確な場所は覚えていない。
 いま、ネッド・ワシントンの書いた『The nearness of you』という曲が素晴らしいと教えてもらって、毎日口ずさむようになった。このネッドという人は『When You Wish upon a Star(星に願いを)』という誰もが知っている曲の歌詞も書いている。そう、ディズニー映画『ピノキオ』の主題歌としてジミニー・クリケット(コオロギ)が歌っていた名曲だ。『御宝前に願いを』だったらもっとよかったが、日本語訳も素敵だし、私も昔から大好きな曲だった。
 実際にはジミニーを演じたクリフ・エドワーズが歌っていたらしい。その年のアカデミー賞の歌曲賞を獲得し、その後も「映画史における偉大な歌 百選」の第7位(ディズニー関連作品では最高位)に入っているということだ。
 この『星に願いを』は1940年に書かれた。そして、同じ年に発表されたのが『The nearness of you』だった。ニコール・ヘンリーが歌うこの曲が一番素敵だと思うが、またあらためて『音楽』の素晴らしさを思い起こすことが出来た。今年の年末の「教講納会」でご披露できたらいいなぁ。今年は新事務局、特に第二弘通部の方々の出席もあるだろうから気合いが入る(笑)。また、Jazzyな曲が歌えるようになったら山村御導師や恭代さんにも自慢できるし。
 ついでだから、ネッドが書いたこの曲の歌詞を載せておこう。
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『The nearness of you』
It's not the pale moon that excites me
That thrills and delights me,
Oh no, It's just the nearness of you
It isn't your sweet conversation
That brings this sensation,
Oh no, It's just the nearness of you
When you're in my arms
And I feel you so close to me
All my wildest dreams came true
I need no soft lights to enchant me
If you'll only grant me
The right, To hold you ever so tight
And to feel in the night
The nearness of you.
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 『星に願いを』と同じ作詞家の曲。あらためて、あの名作「ピノキオ」と同じ年に、同じ作詞家によって書かれたこの曲を、「素敵だぁ」と思うのであった。
 ちょっと豆知識を披露すると、実は『When You Wish upon a Star(星に願いを)』は、現在もスウェーデンとノルウェーではクリスマスソングとして歌われている。つまり、その「星」は「星」でも、何と「ベツレヘムの星」について歌っているのだというのだ。
「ベツレヘム」といえば、私も行ったことがある、イエスの生まれたとされる街。ユダヤ教徒にとってもダビデの住んだ街として神聖視されている。
 エルサレムから約8キロ。私はタクシー運転手と交渉して、その街に向かった。コバンというイケメン運転手だったが、彼をエルサレム旧市街の外、オリーブ山のゲッセマネで見つけて、一路ベツレヘムに入ったのだ。いや、一路ではなかった。すでにエルサレム近郊にはイスラエルとパレスチナを分断する「壁」が出来ており、私たちは山の中腹でタクシーを降り、ゴツゴツした山を少し下って、どこからともなく現れた別のタクシーに乗り込んだ。そして、現在はパレスチナ自治区となっている「ベツレヘム」に入った。
 「The nearness of you」は愛を歌った曲だが、『When You Wish upon a Star(星に願いを)』に宗教的意味があることを知る日本人はとても少ない。「クリスマスに起きた奇跡」というようなことをテーマにしているのだから、仕方がないのかもしれないが、こうしたことも頭に入れておくといい。単純な「クリスマス気分」で終わるようなものではない。「人類の心の闇」といわれる世界が、その後ろ側には広がっている。
 なぜなら、私が見たベツレヘムは、夢や希望、愛に満ちたものではなかった。パレスチナ自治区に住み人たちは、ニュースで報道されているイメージとは違う。人々はとても明るい。
 私がイエスの生誕教会(ここで生まれたのではないというのが今や定説だが)の前に立った時、すぐ隣にはイスラム教のモスクがあり、ちょうど午後の礼拝を呼びかける「アザーン」が鳴り響いていた。イスラム教徒たちは、そこにキリスト教徒が聖地と崇める教会があることなど全く関心を払わずに、午後の礼拝のために集まっていた。そして、一部の者たちは観光客相手の商売に精を出していた。
 もちろん、ユダヤ教徒であるイスラエル国家は、パレスチナ自治区であるベツレヘムの包囲と警戒を解いていない。コバンはパレスチナ人の中では数少ないキリスト教徒だと言っていたが、「イスラエルの警察に睨まれたら仕事が出来なくなり、何の理由もなく車も取り上げられて家族が飢えることになる」と言っていた。とにかく、3つの宗教は互いに牽制し合っている。
 そして何より、ベツレヘムの星を見上げているのは、いまや貧しい暮らしを余儀なくされているパレスチナの人たちである。そのことを裕福なキリスト教徒の巡礼者は全く気にもしていないようだったが。

生花か造花か?答えは横浜ラグーン

  9月23日、秋分の日、FMヨコハマ「横浜ラグーン」の放送が出来ました。おかげさまです。ありがとうございます。 今週は番組に届いたお便りにお答えしました。秋田からのお便りも嬉しいです。 職場での人間関係に悩む方、「有能有敵、無能無敵」と心得て、少し心の感度を落としつつ、前向きに...