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2023年3月12日日曜日

東日本大震災から2ヶ月間の妙深寺の支援活動について

2011年5月11日にYouTubeにアップした動画。東日本大震災の発生から2ヶ月間の妙深寺の支援活動を紹介しています。

妙深寺では東日本大震災の発生直後から支援活動を開始し、3月18日に支援物資をトラックに積載、茨城県水戸市から福島県いわき市を経由し、仙台、気仙沼へとお届けしました。

その後も交代で被災地へ支援物資をお届けし、特に陸前高田との御縁が深まりました。これは鹿島アントラーズの田代選手から小笠原選手の奥さまの実家が被災し、そのご実家に支援物資をお届けしたことから始まります。そのお宅で仮眠させていただくこととなり、サッカー部だった清顕師は小笠原選手のパジャマをお借りしたそうで、大変恐縮、感激したそうです。

陸前高田で初めて炊き出しをさせていただいたのは2011年4月29日。これは高寿園という施設に避難していた500名を超える被災者の方から「あたたかいものを口にできていない」という声を聞いたことに始まります。

妙深寺をあげて炊き出しの準備をしました。炊き出しは炭水化物が多いということも聞き、新鮮な魚介類、お肉、サラダもご用意しました。総勢90名。ゴミ一つ、自分たちの排泄物すら被災地には残さないことを決め、テントのトイレを3つ持って行きました。

みんな、泣きながら焼いていました。博さんがUSMEF(米国食肉輸出連合会)と交渉して大量の食材を確保してくださったことも特筆すべきことでした。妙深寺の参加者は本当に凄かったです。これまでの教養会活動の全てをここで見せてくださいました。さらに、毎日テレビで活躍なさっているヒロミさんも、マグマスパの小泉代表や得平くんも参加してくれました。

おじいさんから「あの津波も想定外だったが、この炊き出しも想定外だった!」という言葉、部活の子どもたちの明るい「ごちそうさまでした!」という声を聞き、みんなで泣きました。

あれから、12年が経ちました。ささやかでしたが、陸前高田で、妙深寺としての第13回忌法要を営むことが出来ました。

胸がいっぱいで、昨夜は泣きました。昨夜、この動画を見直したり、当時の写真を見ていたからです。花粉症もひどいですが、泣いて泣いて目が腫れています。

先ほど、動くお寺で横浜まで戻りました。
本当に、ありがとうございます。

あらためて、心から、去る平成23年3月11日 午後2時46分に発生した東日本大震災、その後の大津波によって命終せられし一切の諸精霊、殊には御縁を結ばせていただいた陸前高田市で亡くなられた全ての方々の安寧を願い、祈ります。

東日本大震災によりて命終せる一切の諸精霊、第13回忌、妙法経力追福作善証大菩提の為。南無妙法蓮華経。

重ねて、東日本大震災によって被災されたすべての方々の苦しみや悩みが取り除かれ、健康にて災難なく、真の復興が遂げられますよう、お願い、お祈り申し上げます。

さらに、行方不明の方々の発見が叶いますように。そして、原発事故の根本的な終息、廃炉作業の完了、余震や今般の新型コロナウイルス感染症の早期収束、トルコ・シリアの大地震、ウクライナで危機に瀕する全ての方々の安寧を、心の奥底から、お祈り申し上げます。

陸前高田の復興と繁栄が実現いたしますように。

これからも、この地球、この世界にあって、甲斐のあるお寺、甲斐のある私たちでありますように、御仏の教えである菩薩行、その実践と実現を心がけます。本来の仏教は宗教宗派の垣根を取り払い、人間性を追求し実現するものであると信じます。

ありがとうございます。
令和5年3月12日
長松清潤拝、

2022年10月5日水曜日

2022年9月 ブラジル教区のマンスリーレポート

ありがとうございます。
本門佛立宗ブラジル教区からのご奉公の報告が届きました。
2022年8月〜9月までのご奉公の様子ですが、イキイキとした活動に心が躍ります。
ブラジル教区のお寺には必ず体育館のような講堂があります。本堂よりも先に講堂を作ると言っても過言ではありません。その場所でご弘通をスタートさせ、縁を結び、そしてお教化がたくさん出来て、本堂を建立するというのです。
行動ではフットボール(サッカー)やフットサル、バザーや季節ごとのお祭りが開催されます。お祭りやバザーだけで1800名もの方々が来られたという報告ですから、すごいです。日本ももっと地域や社会に開かれたご奉公が必要だと感じました。
本当に、ありがたいです。是非、日本でももっともっとお寺をあげてお助行や、下種結縁のご奉公に気張らせていただきましょう。

ありがとうございます。
長松清潤拝、

信教の自由パレード@リオデジャネイロ


ありがとうございます。
本門佛立宗ブラジル教区から届いた信教の自由パレード@リオデジャネイロの模様です。
サンパウロ中央寺院 日教寺所属のビエイラ行運師が代表してご奉公なさいました。素晴らしいご奉公となりました。行運師の立派な姿に感激します。
いつも、ブラジルの佛立教講の前向きなご奉公の姿に励まされます。
私たちも負けてはいられません。もっと胸をはって、世のため、人のために、み仏の教えを世界中にお伝えしたいものです。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

Arigatou gozaimasu.
Monge Vieira Gyouun, Catedoral Budista Nikkyoji, Budismo Primordial HBS do Brasil (Honmon Butsuryu Shu) frequentou a Caminha liberdade religiosa no Rio de Janeiro.
Foi uma grande oportunidade. Ficamos impressionados com a bela aparência de Monge Vieira Gyouun.
Somos sempre encorajados pela atitude positiva dos membros brasileiros da HBS.
Não podemos perder para eles. Gostaríamos de nos orgulhar de divulgar o Dharma e ensinar o budismo ao mundo para a sociedade e as pessoas.
Namu Myo Ho Ren Ge Kyo
Arigatou gozaimasu.

2022年9月4日日曜日

2022年8月 ブラジル教区マンスリーレポート / Resumo de Agosto 2022


ブラジルから送られてきた動画をご紹介します。ブラジルとの月一回のウェブ会議で観せてくださるマンスリーレポートです。
後半には神奈川布教区の慶讃別修法要の模様も入っています。

ブラジル教区の老若男女、みんなで随喜してご奉公くださっている姿がありがたいです。ブラジルの土佐県人会が中心となって開催されている土佐まつりなどの催しもあります。

何より、法灯相続の若い世代がご宝前で明るお顔をしながら合掌している姿が印象的です。日本も負けていられません。

「アイ・アム・ブッディスト!」

もっともっと、自信と誇りをもって、大いに胸をはって、信行に精進したいものです。

ありがとうございます。

2022年8月12日金曜日

11年前の映像。東日本大震災支援活動_妙深寺

11年前の、2011年5月11日にアップしたYouTubeの映像。今朝、この映像がスマホの画面に出てきました。ありがたいです。

ずーっと同じ気持ちで、同じように、同じことをしているんだなーと思いますー。

生きている間は、とことん精一杯、毎日生き切って行きたいです。死んでから、ゆっくり休ませていただこうと思っています。

2022年8月8日月曜日

10年分の感謝を込めて




































ついに、山を越えました。


昨日、京都佛立ミュージアムの10周年記念イベントを開催させていただき、本当に、無事に、盛大に、終わることが出来ました。本当に、本当に、ありがたいです。ありがとうございます。


10周年を記念する御礼動画、ご覧いただければと思います。お祝いに華を添えてくれたのは京都最古の花街である上七軒の舞妓さん、芸妓さん。小野山淳鷲師の幼い頃からのご近所づきあいから、お声をかけ、駆けつけてくださいてました。本当に、ありがたいです。


篠笛、能管、和太鼓奏者、立石雷さんの演奏、お話、素晴らしかったです。繊細な篠笛の音色から、優しい声色の解説、そして鳥肌の立つような和太鼓。本当に、身体も、心も、震えました。


そして、塩澤文男先生との対談。簡単に「仏縁」と言いますが、それはそれは深い、あまりにも妙不可思議なご縁が重なって、今日、こうして、ここにいることに感謝いたしました。


本当みたいなウソがまかり通る世の中で、ウソのような本当の話をたくさんお聞き出来たこと。大歓喜、大感謝でした。ありがとうございます。


どうか、今後とも、京都佛立ミュージアムをよろしくお願い申し上げます。


これまで一緒にご奉公してきてくれた全てのスタッフ、ボランティア、メンバーに、心の奥底から大感謝です。


ゼロから、あり得ないほど大変な壁を、一緒にみんなで乗り越えて、ここまで来ることが出来ました。


なんか、これからの10年を思ったら、ちょっと想像もつかなすぎて、また気が遠くなるけれど、生き生きとした本来の仏教をお伝えするために、これからもバトンをつなぎ、受け継ぎながら、ご奉公させていただきたいと思います。


本当に、ありがとうございました。

ありがとうございます。

2022年8月7日日曜日

京都佛立ミュージアム10周年 記念御礼映像


今から10年前、2012年7月、「生きた仏教を伝えるミュージアム」として、京都佛立ミュージアムは誕生いたしました。年代物の仏像や絵巻物をお見せするミュージアムではなく、仏教本来の目的である「生きる指針」や「人として生まれた意味」、今を生きる人びとに身近な、今なお躍動し続ける仏教をお伝えしてきました。

これまで多くの方々に足をお運びいただき、ありがたくも開館10周年の記念日を迎えることが出来ました。心より感謝申し上げます。

「千年の都 京都北野の地で 生きた仏教に出会う」をテーマに誕生した当館は、歴史上の人物や時事的な課題、問題など、興味深いテーマを「仏教」の視点からスポットを当て、アプローチを重ねて参りました。
「坂本龍馬」
「宮沢賢治」
「長松清風」
「日蓮聖人」
南アメリカの逸話「ハチドリのひとしずく」、
原爆の惨禍を訴える「ヒロシマ・アピールズポスター」
焼き場に立つ少年を紹介した「トランクの中の日本」
アメリカ第四十五代副大統領 アル・ゴア氏の著書「不都合な真実」
持続可能な開発目標「SDGs」
日本と関わりの深い「ブラジル」や「スリランカ」など、この十年で大小二十六もの企画展を開催。

他にも
生涯学習支援プログラム「テラコヤスコラ」
毎月二十五日には「ほんもんさんアート市」
地域の皆さんに活用いただける「レンタルスペース」
普段着で聴ける「100万人のクラシックライブ」
今を生きる人々に、躍動する仏教を感じていただくべく、運営してまいりました。

当館は高名な学者や研究者によって運営されているのではなく、実際に悩み苦しむ人びとに寄り添い、その声を聞くことを使命とする僧侶らによって企画・制作・運営され、展示や解説、様々な広報活動なども彼らによって行われています。

これまで命を削るほどの情熱を傾けて京都佛立ミュージアムの運営をしてまいりましたが、気が付けば10年。

足を運んでくださった全てのご来館者の方々、そしてそれぞれの企画展にご協力、ご賛同くださった皆様、当館のロゴタイトルをデザインしてくださった日本を代表するグラフィックデザイナー・浅葉克己先生、岩手県花巻市・林風舎の宮澤和樹さま、当館にビデオメッセージを送ってくださったアル・ゴア元米国副大統領、仏教思想研究家・植木雅俊先生、100万人のクラシックライブ代表・蓑田秀策さま、クミコ・オダネルさま、編集者・大原哲夫先生、弁護士・河合弘之先生、文化人類学者・中牧ひろちか先生、歴史研究家・小美濃清明(きよはる)先生、映画監督・喜多一郎さま、画家・塩澤文男先生、歌手の白井貴子さま、歌舞伎俳優・中村橋吾さま、挙げれば切りもございませんが、ほんもんさんアート市やテラコヤスコラの講師の皆さま、クラシックライブ演奏者の皆さま、皆々様のおかげで今日を迎えることができました。
本当に、ありがとうございました。

開館以来、当館エントランスの上から私たちを見守ってきた幕末維新の仏教改革者「長松清風」は、形骸化した仏教に警鐘を鳴らし、今、そこに生きる、悩み、迷う人びとの心に寄り添い、仏教の復興、生きた仏教の再興を求め、「仏教ルネサンス」とも言うべき改革を行いました。

戦争、感染症、気候危機、環境問題から差別や格差、若年層の自殺。

現代は幕末に匹敵する、またはそれ以上の大混乱期を迎えています。

私たち京都佛立ミュージアムは、生きた仏教を体現した清風のように、その志と情熱を受け継ぎ、これからも多くの方々と共に、心豊かな世界への扉を開き、その階段を上ってゆきたいと願っております。

どうか、今後とも京都佛立ミュージアムをよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

2022年7月18日月曜日

「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教」イタリア展 開催ご協力の御礼

ありがとうございます。
京都佛立ミュージアム「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教」イタリア展、こうして開催できましたのはご理解とご協力をいただいた方々のおかげです。
心の奥底から深く御礼申し上げます。
本当に、本当に、ありがとうございます。
言葉にならない感謝を、しっかりと胸に刻んで、私たちにできる限界を超えて、さらに精進いたします。

イタリア初開催
ABSOLUTE PEACE
京都佛立ミュージアム「トランクの中の日本~戦争、平和、そして仏教~
NAGASAKI BEYOND」
寄付者

・蓑田秀策様
100万人のクラシックライブ 代表理事

・森崎孝様
株式会社三菱総合研究所(MRI)取締役会長

・塚本隆史様
みずほフィナンシャルグループ 名誉顧問

・平野英治様
年金積立金管理運用独立行政法人経営委員長

・丹呉泰健様
日本たばこ産業(JT)会長

・片岡祐介様
100万人のクラシックライブ 役員

・中村橋吾様
歌舞伎俳優

・長松清潤様
京都佛立ミュージアム館長

本当に、本当に、ありがとうございます。

どうか引き続きよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

長松清潤拝、

2022年6月25日土曜日

紙芝居「ぶつりゅうだましい」(字幕Versionアップ版)


【紙芝居「ぶつりゅうだましい」(字幕Versionアップ版)】

妙深寺では平成5年4月3日、先代のご住職が数メートルのがけ下に自転車で落下するという事故がありました。49日後目を覚まされ、さらに2か月後見事退院され妙深寺に戻られるまでの壮絶な出来事を、子供たちが「ぶつりゅうだましい(佛立魂)」として紙芝居にしてまとめてくれました。

2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ(再掲)

 スティーブ・ジョブズ氏は、世界中の誰もが尊敬してやまないリーダーの一人。アップル社の創設者、世界を変えたパーソナルコンピューターの開発者の一人である。

 現代の最前線で生き、時代をリードしてきた彼が語った言葉は、実に説得力があり、世代を超えて人々の心に響くと思う。

 特に、ここに紹介するスピーチは、永らく人々に語り継がれてきたほど感動的なもので、私自身も数年前に友人たちにメールして語り合ったことがある。2005年6月12日に行われた米国スタンフォード大学の卒業式でスティーブ・ジョブス氏が行った祝賀スピーチ。彼自身の人生を率直に振り返る彼のスタンス、飾らない生き方と、そこで気づいた軋轢や反省も含めて、聞く者、読む者を感動させる。

 中高年はもちろん、オタクやアキバ系と言われる人たちも、デジタル世代も、彼の功績には文句はないはずだ。i podの開発者、世界的なムーブメントの立役者。世界初のフルCGのアニメーション映画「トイ・ストーリー」を発表したピクサーを率いた。もうじき6才になる私の長男も「トイ・ストーリー」の大ファンだ。近年における彼の影響力の大きさは桁外れだ。時代をリードするカリスマと言っていいと思う。

 その彼のスピーチ。それは誰の心にも響く内容だ。これから社会に飛び出そうとしている卒業生に語った言葉だから、読む人の心にはやる気や希望が湧いてくる。また、もしいま逆境に陥っている人が聞いたとしても、心に希望が湧いてくるに違いない。

 私は、このスピーチは、人生観、死生観など、非常に仏教的であると感じている。彼自身がスピーチの中で、「自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること」と言っていることからも分かる。時代の最先端をいく起業家・実業家の彼は、西欧的な考え方にとらわれているのではなく、非常に東洋的な考え方を持つ人間だということが分かる。彼のスピーチから、仏教的な「カルマ」「因果」という視座を持っているということを感じる。「信じることの大切さ」「点」と「点」は、結果的に後で必ず報われる、と。

 ただ、「下手が名人のマネをするな」という言葉がある。彼は自分の直感のままに生きろと言っているが、その大前提は責任を果たすことであり、自己満足の、欲の世界に閉じこもるということではない。彼はその生い立ちから、本来的に「不屈の闘志」や「世界をより良く変えていく希望」を持っていたように思える。決して、自己満足の世界で完結せよと言っているのではない。スピーチを紹介する前に、無粋は承知の上で指摘しておきたくなる。仏教では、先述したように三毒の影響を受ける感情のままに生きる危険性を説いているから。「感情」と「サイン」や「直感」は違う。スティーブのように稀なる天才的な人はいいが、「信」のない多くの人は迷いを深めることもあるから。無粋だが、許してほしい。

 私も、いつも「Stay hungry, stay foolish」と、息のある間は生きるべきだと思ってる。変な世間の常識に縛られていることよりも、大切なことがあるから。とにかく、何を感じるかは読む人に任せた方がいい。私は、ここから学ぶことがたくさんあると思う。いつか、彼にも本当の仏教を伝えられたらな。世界中の人が救われるために。宿世の果報ある天才だけではなく。


スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(日本語訳)

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。

 最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが"NO"の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだとしたら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの"The Whole Earth Catalogue"の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

 Stay hungry, stay foolish.

 ご清聴ありがとうございました。

2011年4月4日月曜日

無限や永遠に関する仕事 【孫正義氏】

孫正義氏が東日本大震災で被災した地域に個人で100億円の義援・支援金を寄付すると発表した。ソフトバンクも企業として10億円以上を寄付するという。さらに、孫氏は今年から引退するまで個人の報酬をすべて寄付すると発表した。被災された子どもたちが18才になるまでは支援を続けなければならない、長期戦になるのだ、と。
大震災後、政財界人さまざまな人がいろいろなことを言い、いろいろな動きをしてきた。傍観者、評論家、保身に躍起の人、にわか学者、重機や防護服やホウ酸を取り扱う企業に投資する者、関西圏の不動産投資で一儲けしようと企てる資産家。
それらを半ば呆れて眺めていた。
国士がいない。この国には。豊かさを享受するのみで、言葉で遊び、駒を転がすのみで、何も感じなかった。
しかし、その中で、やはり孫氏は次元が違った。金額の大小ではない。孫氏は首尾一貫して人間愛を語り、世の中をよりよく変えるという夢を語り、それを実践してきた。敢えて批判や口汚い言葉を受け止め、それを聞く場所に厭わず立ち続けてきた。そんな孫氏を、私は小僧ながら遠くから尊敬してきた。
今回の大難に当たって、人間性が問われ、新たな人の「つながり」が生まれ、人間が変容していく中で、孫氏はその生命を昇華されたのだと思う。私もまたそのように感じているし、考えている。
人間にとって決定的な問いは、「お前は無限という状況にかかわっているか」である。それが人間にとっての基準となる。無限の重要さを知っている時、人は自分の関心を不毛で無意味な事物に向けることが出来ない。人間は、ただ人生にとって本質的なるものを把握した時にのみ有効な生活を送れる。そして、もし本質的なるものを持っていない時、その人の生涯は台無しになる。
孫氏は次元が違った。同じ時代に生きていることを誇りに思う。世界は捨てたものではなかった。私は、坂本龍馬のことを書いているが、龍馬を敬愛する孫氏は、やはり龍馬と同じように、民の心に寄り添い、同時代人の誰とも異なる次元の理想を抱いて生きていたのだ。志が違う。それが分かり、救われた気持ちだ。
龍馬も、西郷や大久保や桂など次の時代の権力者と肩を並べ、語り合っていたが、その国家観は完全に独立したもので、結局理解されたことはなかった。龍馬以外は、結局小さな「とっくり社会」から抜け出せなかった。龍馬が欠けた新しい国づくりが、龍馬の夢とかけ離れて行われたことを残念に思ってきた。
大震災後、首尾一貫した孫氏の言動を見聞きし、今回このような生涯を賭した発表を聞いて、新しい国や世界が始まるのを実感した。同じ時代に生きていることを、心から嬉しく思えた。
本質的な、無限や永遠に関する仕事を始めた孫氏を、心から誇りに思う。

2011年2月24日木曜日

サバイブ

駆け足になりましたが、予定されていた香港でのご奉公を無事に終えることができました。本当に、有難く思います。
泰輔さんと真裕子さんがご尊像の奉迎されたこと。あれよあれよという間に、今日の日を迎えました。京都の全日空ホテルのロビーでお会いした日、香港から麩屋町に訪ねてくださった日、横浜までお参詣くださった日、思い出します。麩屋町に来てくださった際、「ご信心について、いくつか質問がありまして」と言われた泰輔さん。ご信者さんの息子さんではない泰輔さんは、奥さまのご縁で佛立信心と出会われました。質問を持たれているのは当たり前です。全日空の時も、あの日も、私なりに必死になってお話したように思います。
しかし、あの日から今日まで、真剣にご信心を考えて、大切なことだと思ってくださり、一歩一歩、確実に前に進んできてくださいました。そして、誰よりも、この一年のおはからいを感じてくださっていたと思い、それが有難かったです。
お二人で、一日の中に、お看経の時間を設けて、二人で唱えられる、祈れる、願えることを、素直に大切にしていただきたいです。
ご戒壇を香港にお供するのは、大変な苦労がいったようです。60キロを越す手荷物ですから。大きい。普通の赤外線のセキュリティゲートを通れないのですから、苦労したそうです。でも、なんとか、思いを込めて、しかも、ご主人が運んでくださったのだから、うれしさ百倍。まさに、一家の柱としてご信心的な責務を果たされました。
香港の海を見下ろすリビングに、お戒壇をご安置しました。他にもお部屋があり、聖なる静謐な部屋としてご安置しようかとも思いましたが、ご挨拶したりお看経をしたら閉め切ってしまう部屋ではなく、朝から晩まで、共に拝見できる場所、お看経出来る場所に、ご戒壇をいただきました。御法さまと共にある暮らし。有難いです。
今まで、香港の街でご供養を頂戴しました。また、たくさんお話が出来て、本当によかった。楽しかったです。この厳しい香港で、5年間もの生活。私も勉強になりました。特に、ここにいる若者たちの優秀さについては、私も同感です。4ヶ国語を話せて、苦学の末に大学も飛び級で卒業し、やる気もあり、根性もあるのに、仕事がない、チャンスに恵まれない、という青年たちがいる。日本人は、この苦労というか、この恐ろしいまでの厳しさの中では、きっと生きていけない。戦えない、立ち向かうことも出来ないのではないか、と。
確かに、そうです。甘い。本当に、甘い。世界の過酷な生存競争の中でサバイブする覚悟を、いまの日本の若者たちは持っているでしょうか。「持っている」と言うなら、勝負すべきです。甘いのです。
日本人は、なぜかネガティブなエネルギーを発しやすい。頑張っている人を見るとすぐに「自惚れるな」というようなことを言います。しかし、それは逆です。
「自惚れ」というのは、あなたです。「これで自分はいい。自分は頑張っている」と思うから、成長がない。成長する人は、自分の中で常に勝負していて、満足することがありません。つまり、永遠に、満足できていない。満足しないから、研鑽できる。むしろ、内向きな人が自惚れています。そう、自惚れている人は、必ず足下をすくわれ、自滅してしまう。そうならないように気をつけてください。
青年たちの向上心。負けてはいられません。がんばれ、日本。まず、アジアの中で修行しましょう。このままでは勝ち目はない。「日本が生き残るためには、鎖国するしかありません。」という案にも納得するしかない。このままでは。
明日、朝に香港を出発します。LCCでバンコク、そしてシンガポール。飛ぶかな。

2011年1月27日木曜日

ガンバロウ

今年の成人式。青年会が成人を迎えた人たちに、20年前の出来事を綴ったパンフレットをプレゼントしてくれました。20年前のニュースが載せられていました。イタリアワールドカップ、バブル崩壊、日本人初の宇宙飛行士、湾岸戦争とドイツ統合など、いろいろな出来事があったのですが、その最後の行に「ご住職、プロテストに合格」とあり驚きました。そんなん、調べて載せてくれているんだ、妙深寺青年会。恥ずかし。 そう、もう20年前のことです。しかし、最近、感じることがあります。

大学在学中、マイナーなスポーツではありましたが、全日本のシリーズチャンピオンになることが出来ました。忘れられないのは琵琶湖での最終戦。全日本選手権ですが、この大会まで年間のタイトルは2位。ほぼ年間チャンピオンは決まっていました。しかし、一年間戦ってきたのですから、どうしても勝ちたい。そんな気持ちを抱いて、レースに出ました。しかし、スタートしてみると、やはり私は2位。周回数は約10周。周回を重ねてもなかなか抜くことが出来ません。体力も限界で、ずっと、後塵というか、引き波を受けながら2位に付けていました。
琵琶湖には魔物がいます。周回を重ねていくと琵琶湖の湖面は三角波が出て走りにくい。辛い。疲れた。もうダメだ。足がつり、腰は鉄板を入れたように動かなくなります。当時、右肩が脱けてしまう癖があって、その怪我を抱えてレースに出ていました。「もうダメかな」「二位でもいいかな」。そんな気持ちになっていました。
でも、その時、見えたのです。先頭を走る選手が、腰を伸ばす姿が。「あいつも、疲れている。負けてたまるか」と思いました。一瞬のことだったと思いますが、最終回の最終コーナーで、フラフラっと空いた内側をすり抜けて、ギリギリのところで1位になり、年間のポイントも逆転し、総合の1位となりました。フリースタイルでも年間チャンピオンになることが出来ました。
そうして、プロになってから、何か目標を見失いました。先住にプロテスト合格を報告した時、こちらを振り向くこともなく、「お前は、たかがジェットのプロか。俺は人間のプロだ。悔しかったらなってみろ」と言われました。庫裡の二階、階段の上の左側の部屋でした。忘れられません。そう、「プロ選手か、すごいな」と言って欲しかったのですが、こんな返答でした。
最近感じることというのは、私は、こうしてプロになり、いろいろな人と出会ってきました。厳しいビジネスという戦場で、不思議なほど人との縁に恵まれて、今日まで来ました。そして、その当時の方々が、この寒参詣にもお参詣してくださっている。こんな不思議な、こんな有難い、こんな素敵なことがありません。
先日、ある青年に昔からの先輩や仲間を紹介しようと声をかけさせていただき、平日というのにお時間をいただきました。匆匆たるメンバーで、日本の経済やメディア、ファッションや様々な流れを担い、作っておられるすごい方々だと、あらためて痛感しました。その方々が、ご家族と共に、妙深寺にお参詣くださっている。それが、どれほど、ありがたいか。ここまで、つながってきている、ほんとうに、何とも言えない、ありがたさ、あたたかさが、こみ上げてきました。

裏も表もなく、自分のすべてを見てきた、古くからの友人たちがお教化になり、いま、みんなで一緒にご信心、ご奉公できていることこそが、私自身の今日までの人生と信心を証明する、最高最大、うれしいことだと思っています。「教務として」「住職として」の前に、自分の友人たちにご信心をお伝えできるようでなければ、まずそのご信心はニセ物だと思いますから。幼なじみ、小学校時代、中学時代、高校時代、大学時代、スポーツの仲間、ビジネスの中で出会った方々。本当に、いま、みんなに感謝です。恩返ししないと。自分のできることを、精一杯しないと。
本当に、ありがとう。ナガマツ、もっと、頑張ります。

2011年1月22日土曜日

ブラジル本門佛立宗 (演劇)"御仏の大慈悲" "Compaixão de Buda"1/5 – 14.11.10

 ブラジルからメールが来ました。

 昨年11月、ブラジル本門佛立宗が開催した「佛立祭」の映像が届きました。特に、この中で上演された「御仏の大慈悲 "Compaixão de Buda"」の映像です。

 メールをくださった吉川淳省師によると、全員サンパウロ日教寺の青年会員だそうです。99%は初めて舞台に立ち、6ヶ月間の練習を重ねて、日教寺体育館満席(1000人)の前で立派に演技を行いました。すごい。

 このYou Tubeへは淳省師のお父さまがアップロードし、日本語の字幕は野崎清翔師が徹夜で付けてくれたそうです。

 素晴らしいですね、ブラジル本門佛立宗。約7年前、佛立研究所からIT活用についての論文を発表させていただきましたが、ほぼ、日本側では進んでいません。ウェブページの活用も、メールや映像配信についても。「開化第一」はどこに?ブラジルに見習いたい。大きさではなく志の問題だと思います。

2011年1月1日土曜日

A New Year’s card From Seijun Nagamatsu 2011

2010年12月21日火曜日

「怠薬」と「断薬」

 心の病について、佛立教務として書きたいと思います。

 私は、統合失調症やうつ病、自律神経失調症の方々へのご奉公を重ねさせていただき、この中で、たくさんのご利益を見て、本人同様に、私も感激し、本当に嬉しく、有難い体験をしてきました。

 ただ、この中で感じたことや体験的にお伝えしていることがあるので、「罪障」や「障礙」というご信心の用語や難しい理論を使わずに、少し書いておきたいと思います。

 特に、今回は、「怠薬」と「断薬」の危険性について書きます。

 こうした心の病気には、お医者さんで様々なお薬が出ます。この「お薬」を飲むということは病気の症状があるということで、出来るならば「お薬」を飲まないようにできれば一番です。お医者さまにも、「薬を出すのが仕事」と「薬を減らすのが仕事」という2つのタイプがおられます。というか、その一方ではなく、その両方を医療の目的とするのが本当のお医者さまです。

 特に、抗うつ剤や安定剤や眠剤は、とてもだるくなるお薬です。病気を持っておられる方でも、このお薬のもたらす作用と精神的な安心感に依存する方と、このお薬を忌み嫌う方に大きく分かれます。これは、どちらも正しくありません。

 ご信心では、精神的な病気に限りませんが、こうした強いお薬を、できる限り減らして、自分自身に与えられた免疫や大自然の理をもって生きてゆけるようになるのが目標です。御題目という薬と同列に医学的な薬を並べて考えたり、そうした比べ方をして御題目を軽んじたりすることは御利益の妨げです。しかし、「宗教と科学はあざなえる縄の如し」「信仰と医療はあざなえる縄の如し」と言うように、この両方を、丁寧に結んでご奉公させていただかなければなりません。極端から極端は、下手が名人の真似をするようなもので、結果的に現証の御利益も、ご弘通のご奉公も叶いません。
 いずれにしても、まず大事なのは、御題目のお薬をいただくこと。これが大前提で、すべての基本。「信じる」という心の機能を取り戻さないかぎり、心の闇からは抜け出せません。しかも、インチキな「モノ」や「人」を信じても仕方ない。あとで「裏切られた」となれば、さらに以前より心の状態は悪くなり、回復不能になります。だから、「人」でも「理屈」でもなく、「南無妙法蓮華経」という万法具足の御題目を信じることで、まず、心の病気と戦う最低限の準備が整うと考えます。

 その上で、お医者さまからいただいたお薬を飲み、それをお医者さまと相談しながら、症状を見て、しっかりと先生の言うことを聞いて、減らしていくことができれば道は開けてゆきます。そうした病院や先生と出会うことも、大切です。心の病は、身体の癌や重篤な病気と同じくらい、恐ろしい病気です。簡単に済ます、ということは出来ません。

 しかし、問題なのは、「心」に闇を抱えているということは、「疑い」に心が支配されている場合が多く、自分自身で正確に、客観的に判断する能力が、本人から奪われている場合が多いことです。つまり、そのお医者さまが、「いいのか」「悪いのか」を、客観的に判断することが出来ません。そして、多くの場合、自分自身で、「このお医者さんは駄目だ」「分かっていない」と決めてつけてしまいます。もちろん、先ほど書いたように、本当に強い薬を出すだけのお医者さまもいて、違う病院を探した方がいいこともあります。しかし、この病気の場合、本人だけで決められるものではないのです。こうして、次から次へと、「信じられる先生に出会えない」と言い続けて、病院を巡っている方が多くいます。

 お医者さまも、まず、信頼関係を作る努力をされており、その苦心は窺えます。きついことを言わず、理解を深めようと努力してくださいます。しかし、圧倒的に患者さんが多く、本人が転院したり、違う病院に行き始めれば、それ以上は何もできません。こんな風に、悪循環が続いてしまいます。だからこそ、ここで、ご家族や、私たちのようなお寺の住職や教務が寄り添って、ご奉公させていただくことになるのです。

 ご奉公していて一番こわいことに、薬をのむのをサボってしまう「怠薬」と、何らかの理由をつけて意図的に服薬を中止する「断薬」があります。どちらもよくないこと、いけないことで、抗うつ剤等は、自分勝手に止めたり出来るような簡単な薬ではないのです。飲み始めて、数日であれば何とかなりますが、何ヶ月、何年間も飲んでいるなら、なおさら、絶対に途中で、勝手に止めてはいけません。先生の指導を受けながら調整しないと、「薬を減らす」「健康になる」どころか、元に戻ってしまいます。

 一生懸命に治療してある程度まで来ると、多くの人は「よくなったから薬を止めてみたい」と考えます。たしかに、薬が強いですから、飲んだら身体がだるくなるのです。本人が一番知っています。そして、その薬を止めたらシャキッとする。だから勝手に止めてしまう。そして、バラバラ、ドタドタ、ドカン、と来て、元に戻ってしまう。これが「怠薬」や「断薬」の怖さです。

 そういうことを、何度も何度も見てきました。もちろん、お看経とご信心があれば、いつか薬も止められる。でも、薬が止められるほど、固くて、強いご信心を持てたかどうか、教務も本当にチェックしなければならないのです。先ほど書いたように、下手が名人の真似をしてケガをしたら大変です。私は、こうしたご奉公の中で寄り添いながら、本当に、こうした状態から、完全に良くなっていく方々を見てきました。御題目があって、しっかり指導をいただけば、必ずよくなります。勝手にしていたら駄目。

 お助行は、御題目の「怠薬」や「断薬」が起きないようにする最高のご奉公です。こうしたご病気の方に限らず、末法の私たちは全員が病気を抱えているようなもので、御題目の「怠薬」や「断薬」を常に起こしています。お看経も、なかなか一人ではできません。言うまでもなく、お看経は心のお薬です。しかし、やはり、みんな薬は好きじゃない。一人では出来ない。一人ではしない。

 それを、自分の家までお講師やご信者さんが来てくださり、横に座ってお薬を飲ませてくださる。こんなに有難いことはありません。

 御題目やお助行も、病気のお薬も、自分勝手な「怠薬」や「断薬」は、本当によくありません。三毒の病気も、不安も、薬が切れて出てくる、元に戻る。だから、自分で決めて止めてはいけません。飲みにくいかもしれないけど飲んでくださいね、一人で飲めないなら、隣に行って飲めるようにしてあげます。それがお助行。

 そうして、いつか、御題目は「心の薬」「心のサプリメント」だから飲み続けるとしても、副作用の強い科学薬は止められる日が来る。こうした科学薬を止めても、心豊かに、心晴れやかに、生きてる日が来ます。

 そこを目指して、ご奉公させていただきます。それが佛立信心、仏教のメソッドです。

 ここに、仏教があります。

2010年12月14日火曜日

本当の菩薩の声

 先日の教区御講でご披露してくれた千春ちゃんのお話を含めた、正教師の御法門です。

妙深寺のご信者の皆さまにご披露させていただきたいと思います。本当に有難く聴聞させていただきました。



2010年12月4日土曜日

佛立祭の映像!!

ブラジルで行われた「佛立祭」の映像が送られてきました。素晴らしいご奉公です。内側ではなく、みんなで外側を向いていて、しかも、ラテンの明るさがあって自然体。

これからのご弘通を考える上で、とても大切だと思います。日本の私たちも、こういう姿勢と明るさでご弘通に臨みたいですね。日本ですると、宗教への偏見や新宗教の奇怪な行動からか上手に受け止めてくれないし、なにか外に出るとしても「悲痛な覚悟」などが前面に出て暗い(笑)。暗くなる。

でも、そうじゃないですね。ブラジルの明るさ、宗教が当たり前に身近にある文化、その中で「仏教」を紹介するという気概。「Buddhismo primordial」とは、「根本の仏教」という意味で、本門佛立宗を標榜するタイトルです。

すごいな。やりましたね。

Monges Primordiais(Kyoujyu Pires) - Festival Primordial - HBS do Brasil

そして、何と言っても歌が良い!!元シンガーソングライターのピレス教樹師が作った歌です。海外青年協力隊でブラジルに渡った雪菜ちゃんが出会い、お教化して、そして得度したご主人。まさに、雪菜ちゃんはすごい。苦しいこともあると思いますが、ご祈願の通りに人生を歩んでいるのだから。

久しぶりに、元気になりました。さすが、ブラジル。



2010年11月18日木曜日

ブラジルの御講師方と

 
 ブラジルの吉川淳省師の弟さんであるタカシくんからメールを送っていただきました。佛立祭の様子が分かる、たくさんの写真。

 その中に、清翔を見つけました。緊張した顔をしています。みんなに囲まれて、元気にやっているようです。有難いことです。

 ブラジルの御講師方は、元気だし、明るいし、圧倒されて普通だけど、溶け込ませていただいているようで、感謝、感謝。

 今ごろは、蓮徳寺に移動してご奉公しているかと思います。

ネパール被災地でのご回向の動画

ありがとうございます。 昨日、9月5日(土)、ネパール大規模土石流洪水の被災地に、妙深寺ネパール別院の教務、ご信者、総勢46名が入り、ご回向の一座を奉修させていただきました。昨夜23時に写真や動画が届きました。 つくづく涙が出ました。あれほど大変な大災害に、いち早く妙深寺の...