2013年11月30日土曜日

「宮沢賢治 × 仏教」ライブ配信

宮澤和樹氏によるテラコヤスコラ「宮沢賢治 × 仏教」を、15時よりライブ配信いたします。

http://www.ustream.tv/channel/HBSjapan

いよいよ今日です!宮澤和樹氏によるテラコヤスコラ「宮沢賢治 × 仏教」!

いよいよ今日です!

宮澤和樹氏によるテラコヤスコラ「宮沢賢治 ×  仏教」!

15時からです。京都佛立ミュージアムにお越しください。

お待ちしていますー!

2013年11月29日金曜日

アイソン

太陽さん、すごいなー。命を与えもすれば、奪いもする。シシ神さまみたい。

今朝も、アイソンさんを探しに行ったのだけど、溶けて無くなってしまったって。太陽さん、すごい。

でも、ぐるぐる、ぐるぐる、遠い旅を続けてきて、太陽の近くまで来れてよかったねー。それだけで、いいやん。

宇宙少年としては、この数日間、ワクワクしながら夜空を見上げることができて、アイソンさんに感謝でした。

僕の宝物の一つ。1969年2月8日午前1時頃、メキシコ北部チワワ州アエンデ村に落下してきた巨大な2トンもあった隕石の欠片。炭素系コンドロイトという成分で、これは太陽や太陽系が生まれる前の宇宙を伝える地球外からきた物質です。約46億年前の記憶。地球上には全くない、遥か昔の宇宙から届いたものなんです。ワクワク。

不思議ですね。彗星や隕石が宇宙の歴史を教えてくれます。

僕たちは、このとてつもなく巨大な宇宙の中で生まれました。

隕石母天体上で溶解や分化を経験していないコンドライトであろうと、母天体上で溶解と分化を経験している非コンドライトであろうと、宇宙誕生の時、約137億年前には、一つであったはずであること。

あらゆる物質は、ひとまず質量を持つものだけに限定しても、137億年前には一つでした。ということは、宇宙に存在している物質には、137億年の歴史があり、因果があるということです。

遥か彼方の、アンドロメダ銀河の端の、小さな星の上に転がっている小さな石とも、長い旅を続けてきた流れ星とも、今回自分の身体になってくれた、質量を持つ物質とも、全部つながっていたなんて、これこそロマンだと思うのです。

信には信の響き、謗には謗の響き、137億年の因果には、プラスよりマイナス、調和や協調より争いや分裂の方が多かったかもしれないけど、今回は人間で、しかも仏教徒だから、これに気づけた、これを変えれる。

ロマンだな。アイソンさん、ありがとうー。

2013年11月28日木曜日

フィリピンご奉公3日目

毎日のご祈願、ありがとうございます。3日目、兼子清顕師から報告メールが届きました。

無事にご奉公くださり、目的を精一杯に果たして、帰ってきてくれそうです。

下記、転載させていただきます。

ありがとうございます。清顕です。

パナイ島での支援活動最終日となる今日は6時にホテルを出発し、前日と同様、活動拠点であるサラ地区のマニパヨバランガイへ向かいました。

パナイ島現地信徒の近隣にPurification S. Gustilo memorial elementary schoolという小学校があります。その小学校の屋外多目的ステージの屋根が台風被害のため壊れてしまい、その支援の要請がありました。また隣の幼稚園にも被害があり、今回の活動の中で支援することになり、本日9時よりその義捐金の贈呈式が行われました。

贈呈式に先立ち、教室の中に御本尊をお祀りし、小学校の先生と生徒が集まって、現地僧侶のアバヨン彰橋師の導師のもと、皆で小学校、幼稚園はもちろん、フィリピン全土の台風被害からの復興を御祈願させていただきました。

一座の法要の後、河野彰国師よりご挨拶があり、黒柳ジャネット姉がタガログ語で通訳をしました。河野彰国師は台風被害からの復興を心から願っていますと涙ながらにご挨拶されました。

バランガイの首長と小学校の校長代理から御礼のご挨拶があり、日本からの支援に涙されていました。

その後、校庭の廃材撤去と柵の簡単な修繕をさせていただきました。

今、パナイ島からマニラに戻り、ホテルへ向かってます。

清顕、拝

Blowin' In The Wind

今朝、アイソン彗星が見たくて、夜が明ける前に、一人で屋上に上りました。

ここ数日、風が強かったから、大気は澄んでいたけれど、アイソン彗星が見えるはずの、東の空の地平線には、低い雲がかかっていて、空が白み始めるまで眺めていましたが、残念ながら見つけることは出来ませんでした。

それでも、改良服の上に、帽子とマフラーを重ねて、久しぶりに望遠鏡から月を眺めて、クレーターが浮かぶ月の海を見ていたら、気持ちがスッとしました。

宇宙人を探すより、宇宙人であることを考えた方が、ワクワクするもので、よほど価値があります。

最近、ボブ・ディランの曲を聴いていて、特に「Girl from North country」や「Blowin' In The Wind」を聴いていると、何とも心地いい。

邦題「風に吹かれて」を聴いていて、しっくりした和訳がないので、真夜中に訳してみました。

聴いてみてくださいー。

ボブ・ディラン
風に吹かれて
Blowin' In The Wind
1963 "Free Wheelin'

どれだけ歩けばいいのか
男と呼ばれるために
いくつの海を渡れば
白い鳩は砂の上で眠れるだろう
そう、どれだけ弾丸が飛び交えば
それは永遠に禁止されるというのか

答えは、友よ、風に吹かれて
答えは風に吹かれて

どれだけ歳月を重ねたら
山は海となるのだろう
そう、どれだけの歳月に耐えれば
人間に自由は許される
そう、どれだけ顔を背けたら
偽りを見ずに済むというのか

答えは、友よ、風に吹かれて
答えは風に吹かれて

どれだけ空を見上げたら
本当の空は見えるのか
そう、どれだけの耳があれば
人々の悲鳴が聞こえるというのか
そう、どれだけ多くの人が死んで
あまりに多くの人が死んでいると分かるのか

答えは、友よ、風に吹かれて
答えは風に吹かれて

 

2013年11月27日水曜日

フィリピンご奉公2日目

フィリピンでのご奉公、2日目の報告をいただきました。

下記、転載させていただきます。

御住職
教務部のみなさま

ありがとうございます。清顕です。

今日は朝7時30分にホテルを出発し、今回支援の主たる活動となる支援物資の配布を行いました。

フィリピンにはバランガイという自治組織があり、私たちが拠点にしているバランガイであるマニパヨ地区には131世帯があり、近隣のバランガイを入れると約500世帯となります。

今回は遠妙寺のお講師方と現地のバランガイのリーダーたちが綿密に打合せをし、相手のニーズに応え、不公平にならないよう配慮された支援が展開されました。

遠妙寺のお講師方がお米1トンやニーズのある日用品を現地で調達し、昨日のうちにみんなで袋詰めをし、拠点となる131世帯はチームを作り、分担をして、一軒一軒廻って支援物資をお渡ししました。残りの約370件には配給場所のホールへ来ていただき、一人一人手渡しさせていただきました。

配布するお宅へ廻っていると海岸沿いではありませんが、台風の豪雨で人間の首のすぐ下まで水が浸水したり、家が全壊し、跡形もないお宅もありました。ほかにも半壊している家屋や大木の倒壊がいたるところにあり、それによって怪我をしたり、家屋が壊れたりしていました。

お渡しする時に、これは日本の本門佛立宗からの支援です、一緒に南無妙法蓮華経と唱えて下さい、この言葉は仏陀への感謝の言葉であり、災害からの復興、みんなの幸せを願う言葉ですとお伝えし、共に御題目を一唱させていただきました。

私たちが現地の人とすれ違うと「サンキュー」のかわりに「ナムミョウホウレンゲキョウ」と挨拶してくれたりしました。村の所々で御題目が聞こえておりました。

私たちが活動した地域よりさらに北部では被害も深刻で、ひとつの小さな島は丸ごと流され、多くの犠牲者が出たということでした。このパナイもそうですが、政府は情報を収集しきれず、やはり支援は行き届いてない状態です。

明日はマニパヨ地区の被災された小学校で、できることは限られますが、支援活動をさせていただきます。

清信師と小原くんも物資の配布や撮影など、元気に活躍してくれております。

ネット環境の関係で写真は後ほどアップします。

ありがとうございます。

清顕、拝

2013年11月26日火曜日

フィリピン報告

ありがたいです。清顕師からフィリピンの活動報告がきましたのでご披露させていただきます。

フィリピンのパナイ島にて台風30号ハイエンの被災支援活動の1日目が終わりました。

東日本大震災の時もそうでしたが、被災した地域とほとんど被災してない地域の差が激しく、首都のマニラも、被災地であるパナイ島でも中心地のイロイロシティーは普段通りの風景で、現地信徒のいる北部が被災地域となっております。現地信徒がいる地域よりさらに北部へいくとさらに被害が大きいということでした。

パナイ島の空港で遠妙寺の河野 彰国師らと合流し、2時間ほど北部へ移動し、現地信徒が5軒いる被災地域へと着きました。

この地域では屋根が飛んだり、電柱や大木が倒れたりという被害でした。

比較的頑丈な家屋へみなで避難しており、御本尊がお祀りされており、最初に一座のお看経をいただき、信徒を含む現地の方々へ自己紹介をしました。

そして、妙深寺からお預かりした義捐金をお渡し致しました。

今日は朝から作業が始まり、台風によって倒された木々や竹などを人海戦術で撤去をしました。

また今回の支援のメインともなる近隣地域への支援物資配布の準備をしました。これは本門佛立宗からというメッセージをいれたお米と日用生活品の入った袋を教務を含めたチームを組み、配布するものです。実際の配布は明日の予定となります。

午後は現地のご信者さんのお宅3軒のお助行に廻りました。アバヨン彰橋師の導師のもと、タガログ語の言上でお助行させていただきました。

先ほどホテルへ到着し、これから遠妙寺のお講師、黒柳さんとともに夕食となります。

また、明日ご報告させていただきます。

ありがとうございます。

清顕、拝

大渋滞ー

今朝は遠方の御講席。行きは2時間ぴったり。帰りは果たして何時間かかるでしょうかー。

15時から神奈川布教区の住職会。来年度の弘通方針などを検討いただきます。

いつもながら、大渋滞ー。

2013年11月25日月曜日

御題目に包まれて

今朝、清顕師と清信師、そして秋から妙深寺の近くに引っ越してきた旭くんが、フィリピンに向けて出発しました。遠妙寺さまの支援活動のお手伝いさせていただきたいと願い出た志願兵のような3人。有難いです。

清顕師は本山でアバヨン師と同期生、清信師は8月に黒柳師とご一緒したご縁があるとのこと。旭くんにとっても、貴重な経験になると思います。

自分のことを願ったり、祈ったりするのが「信仰」だと思っていたけれど、人を助けることが「信心」なんだ、と分かる機会になればいいな。つくづく、自分の人生の細々としたことが、吹っ飛ぶくらい、スケールの大きい、有難いご信心、み仏の御本意です。

夕方フィリピンに着いた彼らですが、明日は朝4時40分のマニラ発のフライトでパナイ島まで向かうとのこと。朝2時30分にホテルを出発するそうです。すごいスケジュールですが、限られた時間の中での支援活動ですから当然です。

東日本大震災の支援活動。絶対に先方に迷惑にならないように、細心の注意を払いました。支援期間中の自分の飲食はもちろん、持って行ったものは自分の糞尿ですら持って帰るとか、厳しい妙深寺のルールを決めて現地に向かいました。

本当に、大事なことだから。善意だけでは通用しない世界があります。現地の、被災者のために用意された食品を食べ尽くす支援者、帰りのガソリンが無いと言って騒ぐのもおかしい。日本人だって、あの時ガソリンを奪い合って殴り合いの喧嘩をしていたのです。

清顕師や清信師が見てきたこと、体験したことを、また妙深寺全体で勉強させていただきます。

特筆すべきは、神港教区の高島さんです。実は、高島さんはスマトラ沖大地震が発生した直後、妙深寺まで多額の義捐金をお持ちくださいました。その義捐金を福岡御導師にお渡しし、妙深寺はスリランカに対して迅速な支援活動を始めることが出来ました。

今回も、また高島さんから多額の義捐金をお預かりしました。ご自身も転居をはじめ、いろいろなことがあると拝察しているのですが、本当に、高い意識を持ち続けておられます。さすが、ご信心とともに、社会福祉の世界で生きてこられた思想や哲学が表れているのだと思います。

藤本御導師の妙深寺での御法門の内容、海援隊の『閑愁録』の内容、天下の乱れは仏法の乱れによるということ。現在の状況を考えると、これからは天変地異に追いついていけないかもしれませんが、できることは精一杯させていただくべきだと信じます。妙深寺では3人の無事を願って、朝から夜までお助行しています。

そんな自分は、またまた情けないことにオーバーヒートで、今朝病院に行ってきました。唾を飲み込むだけで喉が痛く、熱はないので大丈夫だと思っていたのですが、ギブアップしました。

カルテに1ヶ月前の記述が。ダメだなぁ。先生も半ば呆れておられました。養生をせずに薬を飲む愚か者。

それでも、今日は10時間を超す手術を受けられる方がいて、ご面会や会議を挟みながら、13時過ぎから22時まで、本堂でお助行させていただくことが出来ました。有難かった。

そして、先ほど手術が終わったという連絡がありました。詳細はまだ分かりませんが、取り急ぎ有難いです。

喉が痛く、体もフラフラしていますが、御題目に包まれて、幸せな一日でした。

2013年11月24日日曜日

厳しいからこそ有難い

お天気だけではなく、素晴らしい御会式でした。出座させていただき、本当に有難かったです。

初めての大本寺巡教をいただいて、法深寺の寺号公称15周年を記念した御会式。弘通表彰、お寺を縁の下から支えてきた方々に陰徳表彰をされたり、教化の体験談、新入信の方のお話など、どれも胸が熱くなる、自分の信心を改良しなければならないな、と気づかせていただくお話ばかりでした。

特に、5ヶ月目に法深寺に入信したという佐々木さんのお話は壮絶で、赤裸々で、ご利益、喜び、感激に満ちていて、3度の自殺未遂から、2歳で生き別れたお母さまとの再会、運命を恨んで生きてきたけれど、法深寺に出会い、御法さまにお出会いできた今が、人生で一番幸せ、と断言されていました。

一人きりの人生。寂しい、淋しいと生きてきた。食事も一人でも味気なく過ごしてきた。でも、入信以来、回数券を買って、開門参詣を続け、身体を使ってご奉公させていただいた後のご供養の有難さ。本当に、幸せです、と。

有難いお話でした。お参詣していなければ、お聞きできないお話だもの。佐々木さんのような方が、一人でも多く生まれてゆくようにするのが、ご弘通ご奉公、菩薩行です。そのことを、再確認させていただきました。本当に、ありがとうございます。

大本寺 乗泉寺の川口御導師の御法門では、いつもながらご信心の要点の要点を、ビシッとお示しいただき、また信心を改良させていただくことができます。

御教歌
顔かたち そはいかにせん よき人の
心を習へ うつらざる覧

顔や形は生まれつきだから仕方ない。そこではなく、「よき人」の「心」を見習いなさい。見習えば、顔や形とは違って自分のものに出来る。

では、「よき人」とはどんな人か。それは「これをしたら功徳になる」「それは罪障になる」と、はっきり言える人。

異体同心というのは仲睦まじく堕落することではない。お折伏できる人と出会うことこそが人生の恵み。そう思って、その人の心を習うことが大切なのだ。自分も、いいことはいい、悪いことは悪い、これは功徳になる、それは罪障になると、しっかり言える人になりなさい、と。

本当に、短い時間の中に、佛立信心のエッセンス、要中の要が、グッと詰まっている御法門。長々と聞いても結局世間ずれした話の延長線上で、御教歌が一番分かりやすかった、というものもあります。自身を戒めるばかりですが、本寺の御導師の御法門はいつも尊いお折伏と受け止めさせていただいています。

罪障をそのままにして、御利益がいただけるでしょうか。勝手な生き方をしてきて、自分本位で、ご奉公の足を引っ張るようなことばかりしていて、都合のいい時にだけ「助けてください」「御利益をください」というのは、本当のご信心ではありません。仏教ではない。お稲荷さんの信仰みたいです。そうではない。

謗法や罪障をそのままにしていてはいけない。この恐ろしさを思って、事に向かわなければなりません。

ごまかしは、きかないです。うそぶいていても、やせ我慢していても、御法さまを裏切り、誠意を踏みにじってしまったら、御利益どころではないはずです。

御法門をいただき、厳しいご信心の筋を教え直していただきました。

やっぱり、有難いご信心です。厳しいご信心です。厳しいからこそ、有難いのです。現証の御利益があるのですね。

大和から戻り、そのまま妙深寺の中央機関会議。平成の改新を進める中枢の会議です。70周年の今年も、残すところあとわずか。締めくくりのご奉公です。

どこまで改良できるか。思い切って踏み込んでいます。まだまだ続きます。

御会式日和

穏やかな小春日和。御会式日和。ご奉公日和。素晴らしいお天気ですー。

今日は大本寺 乗泉寺より川口日智上人にお出ましいただき、大和法深寺の高祖会をご唱導いただきます。

Girl from the North Country

Girl from the North Country

Well, if you're travelin' in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine

Well, if you go when the snowflakes storm
When the rivers freeze and summer ends
Please see if she's wearing a coat so warm
To keep her from the howlin' winds

Please see for me if her hair hangs long,
If it rolls and flows all down her breast.
Please see for me if her hair hangs long,
That's the way I remember her best.

I'm a-wonderin' if she remembers me at all
Many times I've often prayed
In the darkness of my night
In the brightness of my day

So if you're travelin' in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine

http://youtu.be/AqD6m55mTGU

2013年11月22日金曜日

JFK暗殺から50年

明日から連休だからでしょうか。世の中は大渋滞、車がいっぱいです。

今日も教区御講3席のご奉公です。神奈川県下を、北から南、西へと走りまわりました。

国道1号線は大渋滞ですー。9時半にお寺を出て、戻るのは6時を過ぎるかしら(涙)。

明日も午前は同じく教区御講、14時からは平成25年度 妙深寺の男子信徒御講です。一人でも多くお参詣ください。くんげ会は朝参詣後から野毛山動物園に行くそうです。長男も次男も楽しみにしているようです。

今日からちょうど50年前の1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領(当時)は、テキサス州ダラスを移動中に暗殺されてしまいました。

この恐ろしい出来事は、東西冷戦の枠を超えて世界中の人々に衝撃を与え、この事件の後に生まれた私たちにまで、あの恐ろしい暗殺の瞬間の映像とともに、暴力が、人類の可能性をへし折った大事件として脳裏に焼きついています。

第一次世界大戦と、第二次世界大戦、イスラエル建国、朝鮮戦争、東西冷戦、核開発競争からベトナム戦争。

この世界を地獄に変えた第二次世界大戦。その延長線上に、JFKの暗殺はあり、JFKの暗殺の延長線上に現在があることを痛感します。

2005年、彼が暗殺された場所を訪れました。テキサス教科書倉庫前の道。古い映像の場所。あのオープンカーが走ったその道は、当時と何も変わらずにありました。裏側の線路も。

オズワルドが凶弾を発射したといわれる旧テキサス教科書倉庫の6階。今ではThe Sixth Floor MuseumというJFK暗殺に関する資料館になっています。

また、ワシントンDCにあるアーリントン墓地にも行きました。

暴力が、人間の可能性を奪う歴史。

そのことを、象徴的に、全世界に伝えた出来事。今でも、伝えている出来事。

暴力。謀略。偏狭。狂気。

パワーシフト。アルビン・トフラー。

暴力からお金、お金からインテリジェンスへ、パワーはシフトしているかしら。また、暴力に戻りそうな世の中だけど。

今日は、象徴的なJFKの暗殺から、50年目です。

まだ、着かないよー。

2013年11月21日木曜日

コレイヤ師の誕生日ー!

昨日は京都。今日は横浜。

昨夕、ミュージアムの会議の後で、吹田市立博物館の館長・中牧弘充先生と、映像作家の若林あかね様がご来館くださり、感動のミーティングをさせていただくことができました。

来日中のコレイヤ師からご紹介いただいたのですが、どんなお方で、どんなお話になるのか、当日まで全く分かりませんでした。本人は飛び回っているし、お互いいつも要点しか話さないし。

昨夕、お会い出来て、本当に感激でした。すべてが、つながりました。

中牧先生は宗教人類学者、しかもブラジル研究の第一人者であり、今から22年前、なんと平楽寺書店から発行された『長松日扇とその教団』という出版物に、「ブラジルの本門佛立宗〜茨木日水の記録を中心に〜」と題した論文をご執筆くださったお方でした。

しかも、吹田市立博物館の館長をされているだけではなく、神戸の「海外移住と文化の交流センター」にある移住ミュージアムや、横浜のみなとみらいにある、JICAの横浜海外移住資料館の常設展示も、中牧先生が作られたもので。文学博士。国立民族学博物館・総合研究大学院大学名誉教授。

あまりに、すごい。こんなすごい方を、コレイヤ師、こんな時間に、京都のミュージアムまで来ていただくなんて、あなた、分かってるの、とガタガタしながら机の下で腕をつねったり(笑)。

コレイヤ師は、先生が御牧日解上人に贈呈された本を、御牧日解上人からいただいて大切していたとのこと。また、先生が『長松日扇とその教団』に書いた原稿をポルトガル語に翻訳したこともあるとか。その不思議な御縁。そして、昨夕初対面。

感激でした。本当に、本当に、不思議な御縁をいただき、巡り巡り、辿り辿って、約束の道は続いてゆくのですね。

来年の大型企画展に向けて、中牧先生や若林さまのお力をお借り出来ればと思っております。コレイヤ師にも感謝です。

そして、そして、昨夜の一番の驚きは、何と11月20日の昨日が、コレイヤ師の誕生日だったことですー!うわー、先に言ってよー、パラベンスー!おめでとうー。

一番大切な日に、一緒にお祝い出来て、よかったー!一緒に記念の写真を撮ったのですが、ブログに載せられないくらい、純粋に、楽しそうに笑ってる。どこにも出さず、プリントアウトして部屋に飾りますー。

新幹線から見た見事な富士山。言葉が見つからないほど美しいー。

2013年11月20日水曜日

篠行子さん

次から次に補助エンジンを点火して、連日の教区御講を奉修させていただけたように思います。

なかなかお参詣が難しい平日の御講ですが、月曜日は27名、34名、18名、火曜日は22名、24名と、それぞれ予定を何とかやりくりして、お参詣いただいているのを感じます。本当に、有難いです。

補助エンジンとはいえ、今月も精一杯のお看経、精一杯の御法門。鍛え方が足りないのか、気合いが入り過ぎなのか、声が枯れましたー。

昨日の第一席目は、篠行子さんの御講でした。いつもニコニコされていて、まさに喜びが身体中から輝いて出ているような方です。お参詣の道すがら、隣に座った方をお教化される篠さん。今年88際になられたはずですが、70代にしか見えませんー。

階段を上がったところに、結婚式の写真が飾ってありました。あまりに素敵だったから、写真を撮らせていただきました。

若い頃、篠さんご夫妻は上大岡で中華料理店をされていたんです。小学校の低学年だったと思いますが、たた一度だけ、父が船釣りに連れていってくれたことがあります。その帰り道に寄ったのが、篠さんのお店でした。あの時は、何も分からなかったのですが。かけがえのない思い出です。

亀久雄お父さんもかっこいい。ほんと、すてきなお写真でした。

行子さんをはじめ、大切な方ばかりです。どうか、どうか、いつまでもお元気でいてくださいー。

2013年11月18日月曜日

今日も

最終の新幹線は苦しい缶詰め。ようやく着いたら0時前。真夜中、ただひたすら、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて。トボトボと一人歩く自分を、10メートルくらい上から眺めている自分。馬鹿な話です。

昨日、11時から七五三、14時から教区御講、18時から夜の住職御講、19時からボーズバー、すべてしっかりご奉公させていただくことができました。ありがとうございます。

今日は10時、12時、14時の3席で教区御講を奉修させていただきます。夜の19時から教幹会です。

今月は高松から始まり、スリランカのご奉公もあって日程がギュッと後半に詰まっています。

部屋の中では一人枯れた木のように体操座りしてボーッとしていますが、今日のご奉公も鋭気に充ち満ちて頑張ります。

よろしくお願いいたします。ありがとうございますー。

2013年11月16日土曜日

イスラエルから10年目

10年前の今日。

つまり、2003年11月16日、僕はエルサレム、パレスチナ、イスラエルに向けて出発しました。

あれから10年。

長かったような、短かったような。

その年の春、イラク戦争が始まりました。テレビでは毎日その様子が流されていました。

戦場で、弱い、女性や子どもたちが犠牲になっているとか、劣化ウラン弾が使われているとか、クラスター爆弾がばら撒かれ、それが地雷のようになって毎日子どもたちの誰かが手足を吹っ飛ばされているとか、そんなことを聞いていました。

そんな時、テレビから、呑気で、能天気な坊主のニュースを見ました。少なくとも、当時の僕は、それが、あまりに仏教の使命を見失った、呑気で、能天気なパフォーマンスに見えて仕方なかった。

イタリアのアッシジの寺に集まった世界中の聖職者が、平和の植樹なるものをしていた映像です。

元々、根性の曲がった私は、それを見て「ふざけるな」と思ったのでした。

日本仏教会だか何だか知りませんが、たった一つのバイブルから生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教が争い続けている現状を見て、バカなことは止めろ、と言える唯一の教えが仏教であるのに、それを言わずに何が世界宗教者会議だ、平和だ、融和だ、利用されているだけじゃないか、と、青い私は思ったのです。

国内を見ても、仏教界を見ても、内側を見ても、全くそんな緊張感や使命感、空気もなく、辟易、幻滅、憤懣やる方ない気持ちになりました。

そして、いつもながら、自分の死に場所を探すような気持ちで、飽和したバブルのおままごとから訣別する気持ちで、イスラエルに向かったのでした。

俗な、阿呆な自分の言葉にすると。

「なめるな」

「佛立魂を見せてやる」

そんな気持ちだったかな。

あれから10年。

やっぱり世界は変わったと思います。

まだまだ足りないし、まだまだ遅いし、悪い方向に向かう力に全くかなわないけど、確実に世界は変わってる。まだまだ、まだまだ、変えてゆけると、阿呆かもしれないけれど、僕は確信しています。

あの場所で感じたこと、言い表せないくらいありました。

動きに動き、必死に生きて、挑戦し、経験し、立ち向かって、ご奉公させていただきたい。そこで体験した全てから、気づき、学び、吸収し、自分の血肉にしたい。

どうせなら最高の生き方をしよう。

どうせなら価値ある生き方をしよう。

どうせなら苦労したっていいんじゃない?

どうせなら思い切ってやってみようよ。

最後の最後、開導聖人のように、洒落を効かせながら、差がついたと悔やむ人に「骨の折ようが少し違ったんだよー」と戯けたい。そこ大事ー。

とにかく、幸せで、幸せで、幸せで、幸せで、仕方ない。佛立教務として生きれるなんて、何億回分の幸せを全部使ってしまったようなものだと思います。幸せ過ぎる。

万が一、億が一、京が一、もしそれを知らず、果たせず、甘んじ、使うのみならば、世間の如何なる罪より重いと思います。そのくらいの話。

僕たちの売り物は「仏教」だからね。それで食べてる。それで生きているんだから。世間の人と隔絶した責任はここにある。思い知らなければならない。

だから、10年前、飛び出したのだと思います。「いつも飛び出してるじゃないか!」とお叱りを受けるかもしれませんが、まだ生きてます。その経験も生かして、ご弘通を進めたいと思っています。世界に訴えたいと思っています。

下記。最初に書いた『イスラエル渡航記』です。自分の原点の一つなので、10年目の今日、載せたいと思います。

よろしくお願いします。

ありがとうございますー。

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 宗教乱立の時代、真に世界を、人々を幸福に導く信仰は何か。世界に広まりながらも各地で紛争を繰り返すキリスト教・イスラム教、そしてその母胎であるユダヤ教。

 その対立の原点を探り、仏教徒としての可能性を模索するため、長松清潤師が単身イスラエルへ飛んだ。
(渡航期間:2003/11/16〜22)
http://www.butsuryushu.or.jp/jp/quest/israel/israel01.html

 紛争やテロの相次ぐ世界。

 いわるゆ、21世紀はアメリカ同時多発テロで始まりました。それは、私にとって住職就任式の直前に起きた大事件であり、その後の世界は混迷を深めているように見えます。一連の報復の連鎖に心を痛めると同時に、「仏教」が世界平和のためにできることは何かを、口先の言上ではなく、実践として、行動として考えるようになりました。

 私は世界を席巻しているその対立や不安の一端を自分の肌で感じたいと思っていました。問題の核心に迫ろうと聖書を読み耽り、世界史の中で繰り返された旧約聖書に依拠するユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三大宗教同士の血塗られた対立の原点を探りたいと切望してきました。真実の仏教を信じる一人の宗教者として、「人類の心の闇」を抱える中東パレスチナ、イスラエルに行きたい、と。

 出発の前日まで妻にイスラエルに行くことは伝えられませんでした。一年越しで渡航するチャンスを探し、前の週にはトルコでの最初のテロがあり、断食月のラマダンが終わりに近づいていることもあり、非常に緊張が高まっていましたが、ご奉公の間隙を縫って家族を説得し、皆さまにもご披露せず、わがままを通して単身でイスラエルに向かいました。

 分離フェンスを見なければならない、嘆きの壁に肉薄し、ムスリムやユダヤ教徒、キリスト教徒と話をし、実際に彼等が「聖地」と呼ぶ場所を歩きたい。その念願は全てが叶い、カナンの地、エルサレム、嘆きの壁やアル・アクサー寺院、ゲッセマネ、ゴルゴダ、カナ、ベツレヘム(パレスチナ自治区)、ガリラヤ湖など、駆け足で廻り、多くの友人を作ることもできました。タクシーを3回乗り継ぎ、今のイスラエル政府が急ピッチで建設している分離フェンスを越えてパレスチナ自治区へと入り、そこに隔絶された方々と話をすることも出来ました。

 多くの人が、日本の仏教界、僧侶、坊主というものは堕落していると考えています。事実、形骸化し、使命感も責任感も無く、勿論信仰心も無く、食べる為に稼業としてやっている厚顔無恥の者が多い時世です。その中で私自身も「佛立教務」の存在意義を見つめ直したいと思っていました。紛争の中で、真実の仏教である佛立の使命を考えたいと思いました。 

 私は「信仰する人」を尊敬しています。「信仰」の大切さを知り、恐ろしさを知りながら、どのような宗教であれ、敬虔な「信仰者」は、傲慢で強欲で気まぐれな「ヒト」よりも尊敬に値すると思ってきたからです。

 しかし、オウム事件以来、深くこの点を考えさせられました。あの恐ろしい事件を見聞きしながら、「オウム信者」に対して言い知れぬ悲しさと哀れさを抱きました。彼らは自分の抱える人生の疑問や不安から逃れるために、或いは生きる意味を見出すために、藁をも掴む気持ちでオウム真理教に飛び込んだはずです。しかし、その飛び込んだ先は恐ろしい教義を控えた「宗教」とは似つかぬ狂人の妄想に追従するだけの集団だったのです。

 「宗教」とは、「何を信じるか」ということに尽きます。何を「本尊」とし、どのような「目的」と「目標」を教え、そこに到達するための方法として、どのような「修行」を提示するか。その全てが、いや根本が誤っているとすると、如何に尊敬に値する敬虔な「信仰者」がいるとしても、逆に「殺人犯」「テロ犯」にしてしまうこともあり、あるいは貴重な「身・命・財」失うことにもなりかねないのです。

 その設問はあらゆる宗教が抱えています。勿論、私たち仏教徒、私たち佛立信徒にも向けられています。そして、特に佛立宗の教務員である私には、明確に答えるべき義務があるのです。

 キリスト教国やイスラム教国に限らず、あらゆる人間に向けた設問、生き方、基本的な考え方には必ず宗教があると言えます。無神論など、今までの宗教を根底にした新しい宗教の枠内です。何を信じ、何を学び、何を守り、何を許されているか。国家の枠を超えて人々を結ぶこの「宗教」が21世紀を理解する上で最も重要な要因だと考えます。

 私は、オウム信者に抱く感慨と同様の設問をあらゆる世界の宗教についても考えます。世界の人々の「心」を結んでいる巨大な「宗教」にも、美辞麗句の裏側に危険なDNAが最も多く含まれていると考えています。だからこそ、私は単一的なストーリーの中から生まれた三大宗教について、大いなる疑義を持つのです。

 世界を覆い尽くすユダヤ教、キリスト教、イスラム教。私が疑義を抱いている三大宗教について、自分の眼で確かめたいことがある、そう考えて一人でイスラエルに向かい、エルサレムの旧市街を、パレスチナの街々を廻りました。

 ある高名な学者は「安政年間こそ、人類史上はじめて世界が一つに結ばれた時である」と述べています。開講の意義は甚深ですが、世界史の中に於ける「仏教再興」の一点も重要な意義を持っていると感じます。

 仏教は、インドで退廃し、中国で隠没し、日本で形骸化して来ました。江戸末期、連綿と受け継がれてきた正法の灯火を、佛立開導日扇聖人は確かに受け取られ、大衆の中にあって真実の仏教として再興されました。その意義は、佛立信徒の中だけに止まるのではなく、日本国内に止まるのでもなく、世界史の、人類史の中で、新時代を切り拓く画期的な出来事だったと考えるのです。

 そこまで大上段に構えずとも、一社会人として世界の平和を考えたり、世界の民族との協調を考えるのであれば、私たちの宗教、彼らの宗教を知るべきだとも考えます。そうした理由が相まって、イスタンブールの最初のテロの後でしたが、意を決して渡航してしまうことにしました。
(妙深寺報 平成16年1月号より)

フラット♭のライブ

今日のほんもんさんアート市には、京都を中心に活動しているフラット♭さんがライブに来てくれました。

この前はKBSホールのライブを成功させ、来年はツアーもあります。すごいですねー。

今日は3回もライブしてくださったんです。相変わらず肌と心を震わす声でした。

下記、サトシくんのブログのURLです。ポンさんの情報もチェックしてもらえたらと思います。

http://s.ameblo.jp/yatw812/

皆さまー、応援してくださいー。

ありがとうございますー。

Have-Fun!!

点描アートの巨匠・Yoshiyuki Taniさんが、京都佛立ミュージアムのために作品を作ってくださいました(涙)。

すてきー、ありがたいー!

アップの画像を見ていただくと分かるのですが、佛丸周辺のディティールに感動します。

ほんもんさんアート市のポスター、最高のセンスですもん!明るくて、誰でも、見ているだけ、身につけているだけで、幸せな気持ちになる不思議なアート。

先生のオンラインショップがあるので、お知らせしますー。

pointiiist Yoshiyuki Tani

オンラインショップ『HAVE-Fun』
http://have-fun2009.ocnk.net/

いらっしゃいませ
Welcome♪♪

主にアクリルで描いた絵(点描絵やベタ絵)と
革・シルバー・オリジナルハンドメイドアクセサリー・小物・雑貨を販売しています。
手作りなので、すべてが一点ものになります。

『絵の個展』には、もうお買い上げいただいた作品もありますが、あくまでも『個展』とゆうstyleで見ていただきたいので、在庫なくても全ての物に在庫1となっておりますm(_ _)m
在庫のあるなしに関しましてはお問い合わせくださいm(_ _)m

Take Back The Smile(´▽`)

ハシャーン清嵐師が来日します!

妙深寺が誇る一騎当千の教務陣の中でも一番力持ちなハシャーン清嵐師が佛立教育専門学校に入学します。 ギリギリとなりましたが入国管理局から在留資格認定証明書が届き、明日スリランカでVISAの手続きをします。 良潤師に聞いたところ査証が下りるタイミングが読めないので、4月1日の来日にな...