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2011年3月7日月曜日

妙清師のご遷化

昨夜、妙清師が寂光に帰られました。最後まで、佛立教務として御法門くださり、訪れる教務からご信者の皆さま、介護やヘルパーさんの方々にまで、御教歌と御指南を説かれました。ご遷化直前、まるで、寝食を忘れた清和会のお給仕に感謝を述べられるかのように、千延の顔をさすり、引き寄せて両手を握りしめ、ご挨拶されました。御題目の響く中、妙清師は今生でのご奉公を終えられました。
妙清師の生々世々のお師匠さま・日博上人は、その辞世の句で次のように表白されています。
「命をば 妙法華経に奉り カンナをかけてやりし日もあり」
「ワッハッハよきも悪しきも今生は まずはこれまであとは来世で」
まずは、これまで。あとは、来世で。その教えでしたね。哀しいけど、それがお師匠さまのお姿でしたね。妙清師。もう、いいんだもんね、妙清師。がんばらなくても。大丈夫。泣いちゃだめかな、俺は。でも、涙が止まらないよ、妙清師。
まずはこれまで、あとは来世で。
ご高齢となって思うようにならぬ身体のご苦労を、教務夫人の会である清和会のみんなが一生懸命その手足になってお給仕してくれていたことは何度も書きました。本当に、妙深寺と妙深寺の教務を陰で支えている世界一の清和会。妙清師も感謝しておられるに違いない。
いま、妙清師は、重たい身体を離れられました。如説修行抄の第六段にある如く、お迎えの刹女らと共に霊山のゆるやかな坂を駆け上がっておられる。ラージギルの澄んだ空気を思い切り胸に入れ、老病から解き放たれてその足取りは軽く、群れなす菩薩方の列をかき分けて、お師匠・日博上人と先住日爽上人の、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、待つ場所へ、と、心躍らせて、身体を前に傾けて、向かっておられることと思います。御導師方も、スッと立ち上がって、妙清師が迷わぬように、見えるように、容易に見つけることができるようにと思って待っておられます。
涙が、止めどなく、流れます。
ご報告が、山のようにありますね。どうか、ゆっくりと、安らかに、お師匠さまの下でしばしの休息を。そして、速やかに、また妙深寺に戻ってきていただき、共にご弘通ご奉公に励ませていただきたい。まずはこれまで、あとは来世で。
妙清師のご遷化に当たって、その枕元に約50年前の大御本尊をお掛けいたしました。日博上人から「小磯孝子」への授与。天井からお掛けしても畳に付いてしまうほどの大きな御本尊さまです。

妙深寺教務部の掟。日博上人はかねて「臨終条令」を作り、額に納めて教務室に掲げさせていました。
「臨終条令。
一、部屋を清淨にすること。
一、三箇之中の御本尊を奉安し、梵気をみなぎらせること。
一、臨終者は御本尊にむかい、右脇を下に安楽に臥せよ。
一、信仰の師友が御本尊の側に列座し、家族親戚は反対側の後方より御本尊にむかう。
一、聖にして清淨なる中に遺言すべきはすること。
一、臨終者は信仰の師友に今生の高誼を感謝し、家族親戚に深厚の因縁を感謝し生々世々の誓願を表白すること。
一、口唱唱題の中に安祥として臨終すること。
吾等は右条令をわれと服膺し、信者にも教導することを誓願します。以上。」
妙清師はご遷化に際してこの実践し難い条令を身を以て行じ、教務道の有終を見事に美しく飾られた。そして、私にとって、妙深寺の行事日程を一つも変更せずにお見送りのご奉公をさせていただくのは、この日程ありませんでした。本当に、申し訳ない。妙清師、見事過ぎます。
お通夜は明日8日18時、告別式は明後日9日11時。有縁の方々に於かれては共に唱題のほど、よろしくお願いいたします。

2011年1月21日金曜日

ヤカン信心から水の信心へ

昨日の教区御講は、大先輩ご信者さんの小松嘉秋ご夫妻のお宅で奉修されました。

ご主人の嘉秋さんは87才。ご高齢ではありますが、ご信心が強く、本当にお元気です。身体でコツコツと実践してこられたご信心は、今でもご夫妻の人生を支え、輝かせ続けています。

ご高齢ながら、ふと気づくと誰も見ていない本堂裏の階段で、法城護持のお掃除をしてくださっています。一人で重たい掃除機を持ち、一段一段、丁寧に掃除機を当てられていて。そのご奉公の姿勢には、本当に頭が下がります。

今回の教区御講では、護持御本尊をお迎えになられてから50年を経過した御礼御講を併修させていただきました。昭和30年代、結婚したばかりの小松さん夫妻に、久子さんのお母さまが護持御本尊と御尊像をお迎えするようにお話されたそうです。ご主人はまだ何も分からなかったそうですが、その教えを素直にお受けしました。また、御講師方にご指導をいただきながら部長のお役を受けて、電電公社に勤めながら、帰宅したらすぐにお助行などのご奉公に出掛ける毎日。手探りながら、部長としてご弘通の最前線に立たれてご奉公くださったとのこと。

昭和30年代、乗泉寺で行われた日博上人のブラジル帰国報告会にお参詣され、直接そのご講演を聴かれた小松さんご夫妻。横浜に転居されて妙深寺の所属となり、ご主人は妙深寺の中央連合の連合長として、奥さまは永年上星川教区の名教区長としてご奉公くださいました。

人生には様々な日がありますが、今日まで、こうして健康で、心豊かに、ご夫婦共に過ごされてきたことを感謝したスピーチ。本当に、尊い。90才を目前にして、生涯通じてご信心をされてきた方が、「御法さま、ご信心のお陰です。ありがとうございます。」と仰せなのは、私のような若造の言葉と比べものにならないほど重たく、確かな響きを持っております。

本当に、お手本です。現在、上星川教区では黒崎さんの行動力によって「男助行」が盛んになりつつありますが、この中で往年のご奉公を為されてきた小松さんの教えや経験が輝いていると聞きました。後継の男性諸氏にとって、とても貴重なお話なのだそうです。黒崎さんや桑原さんがそう言ってくれるのを意気に感じて、また小松さんもご奉公の使命を感じてくださっている。有難い、功徳の循環です。

開導聖人は「信心用心抄」という御指南書に、次のようにご信心の仕方の間違い、悪い癖をご指摘です。

『「薬罐(やかん)信心」飛びたつように沸けども、冷えること早き信心を云ふ。
「雇はれ信心」御講も教化も一向にかまはぬ。雇はれ賃だけもらへばよしの信心を云ふ。
「居候信心」これ、教化する心なく、只御法にやしなはれて居るのみの信心。但し教化はでけずとも勧むる心あるは居候にあらず。
「中風(昔の脳卒中)信心」信心しびれ。幾度御利益をうけても其の時ばかりの信心を云ふ。
「高なぐれ信心」我よしの慢心。法門も知り顔して、売らず買はずの信心を云ふ。
「猫かん信心」有志参詣もだんだん後さがりの、猫に紙袋のようの信心を云ふ。
「め◇ら信心」相方かまはずの折伏、人を腹立たせ信心さますを云ふ。
「徳利信心」我が信心の腹は大きけれど、人に勧むる口小さき信心。二乗に近し。
「ぶう竹信心」声は大きく信者らしけれど、それ程に役だたぬ信者なり。
「ミミズ信心」折伏せざればのろのろと出るが、折伏すればびっくりして引っ込む。ミミズの如し。
右十条信者の悪癖。これをのがれて教化を心がけ、御法を敬ひ骨惜しみなく信行如才なき人、貴賎老若賢愚にかかはらず、必ず成仏す。誡むべし。』

お祖師さまは、南条時光さまに宛てられたお手紙で、次のように御妙判くだされています。

「抑今の時法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり、或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつ(燃立)ばかりをもへども、とほ(遠)ざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申はいつもたい(退)せず信ずる也。此はいかなる時もつね(常)はたい(退)せずとわ(問)せ給ば、水のごとく信ぜさせ給へる歟。たうとし(貴)たうとし。」

とうとうと流れる、ゆるぎない、絶え間ない、大河のような「水の信心」を目指したいものです。

2011年1月1日土曜日

『ここに、仏教があります』

世は混乱の闇の中にあります。暗中模索(あんちゅうもさく)、疑心暗鬼(ぎしんあんき)。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)して、真と偽、正義と不正義を雑乱させています。このままでいいと思っている人はいないのですから、何とか、世の闇、心の闇から抜け出さなければなりません。

明治維新後の日本は大きく二つの時代に分けることが出来ます。一つは一八六八年の明治維新から昭和二十年(一九四五年)の敗戦までの七十七年間です。そして、もう一つは敗戦から平成二十三年(二〇一一年)の今に至るまでの七十年弱の期間です。この二つの時代を踏まえて、日本や日本人を捉え直さなければ次の時代の扉は開かないと思います。
前者は、明治維新後に誕生した国家神道の時代でした。そして、後者は連合国によって再出発した戦後の日本です。それは、戦中の全体主義によって傷ついた人々が復興を遂げてゆく時代でした。
ここで近代思想史を詳述しようとは思いません。しかし、二つの時代の特徴が、今の日本や日本人を作り出しました。

狂気の中で生まれる宗教や信仰があるように、多くの場合、思想とは、ある種の緊張状態、反逆や反骨の中から誕生します。

二つの時代の誕生には、壮絶な産みの苦しみが伴いました。前者には日本人同士の殺し合い、暗殺の連鎖、戊辰(ぼしん)戦争がありました。後者では凄惨(せいさん)極まりない世界大戦、全国民が決定的な災禍を味わった敗戦がありました。これら壮絶な出来事を数行で語り尽くすには、失われた命が重すぎて出来ません。しかし、この二つの時代の思想は、誕生の経緯に決定的な影響を受けて成立しています。

明治維新は、その内実は「尊皇(そんのう)攘夷(じょうい)」という、ある種の「宗教」を原動力とした革命でした。それは維新後の政策を見れば明らかです。

この「尊皇攘夷」という思想は、「宋(そう)」という特殊な事情を抱えた中国の王朝に誕生した学問体系で、後には朱子学(しゅしがく)となって江戸幕府の正学となりました。宋は、女真族(じょしんぞく)の侵略とそれに内通する家臣らによって危機的な状況に陥り、臣下の道義を説く大義名分(たいぎめいぶん)論、尊皇(そんのう)論や攘夷(じょうい)論を発展させました。「夷(い)」とは「女真族」を指していました。

日本は天平飛鳥(てんぴょうあすか)の時代から独特の精神思想文化を培っていました。しかし、この朱子学は鎌倉幕府が誕生した頃に来日し、その底流で生き続け、江戸期には国学と結びついて日本の思想を一変させます。「神仏(しんぶつ)」は「神儒(しんじゅ)」となり、「国学(こくがく)」は「神道(しんとう)」となってゆきました。過激に変容した思想は、幕末期の人々が信奉するものとなりました。
明治新政府は、頑迷な「攘夷」については早々に破棄しましたが、残された「尊皇」「神道」については国家として実現してゆきます。

 「木曾路(きそじ)はすべて山の中である」

この書き出しで有名な島崎藤村の「夜明け前」は、父をモデルとした小説で、信州木曾の馬籠宿(まごめじゅく)を舞台に、尊皇攘夷にかけた主人公、青山半蔵(あおやまはんぞう)の希望と絶望が描かれています。
半蔵は平田(ひらた)篤胤(あつたね)が唱えた国学を学び、今こそ日本人は日本古来の価値観を取り戻し、日本の自然に根ざした生活をすべきである、と王政復古に夢を懸けます。しかし、明治の世に翻弄され、家族からも周囲からも孤立し、最後には政府にも幻滅し、牢の中で狂死します。その不幸は言語を絶します。

半蔵が信じた平田篤胤の国学は、儒教や仏教と習合した当時の神道を批判し、独善的で排他的な復古神道を唱えました。膨大な著書の多くは、実際は奇っ怪(き  かい)で、滑稽(こっけい)な内容ですが、江戸末期の飽和した社会の中、ついに人々が信奉する思想にまでなってしまいました。極端な思想は後期水戸学と合体し、庶民層にまで爆発的な普及を遂げ、倒幕の原動力となりました。

慶応四年三月、復古神道は神仏判然(はんぜん)(分離)令として政府の政策となり、日本史上類を見ない廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という破壊運動に発展。この短期間に、日本の国宝級の文化財の約半数が破壊されたといいます。

維新を主導した薩摩では、藩主島津家の菩提寺までが廃寺となり、鹿児島から仏教寺院は一掃され、土佐藩でも高知市内の寺院を壊滅させました。これが行われたのは明治元年から僅か数年のことです。

 坂本龍馬を持ち上げて明治維新を美化しようとしても、実際には龍馬とは思想も宗教も異なる面々が乱暴に宗教国家を作り上げた、というのが明治維新の真相です。

平田派国学という完全に偏った復古神道を政策化したのは、権力の座に就いた岩倉具視(いわくらともみ)等の背後に取り憑いた薩摩諏訪神社の神職・井上石見(いのうえいわみ)、大国隆正(おおくにたかまさ)や福羽美静(ふくばびせい)、岩倉邸に仮寓(かぐう)した祐筆の国学者・玉松操(たままつみさを)、余生を岩倉邸で過ごした日吉大社の祠司・樹下茂国(じゅげしげくに)などで、最高権力者と共に「神国・日本」の国づくりに腐心しました。

幕府の下、権力に取り込まれて腐敗していた仏教僧にも非があり、屈辱を味わってきた神職の怒りの背景にも多くの理由がありました。しかし、日本の不幸は、こうして始まってしまった国家神道政策が、危険な遺伝子となって人々の心の中にくすぶり、最終的には全国民を地獄のような戦火の中に導いたことです。

明治の闇に光を当てなければ、日本人の未来も世界も見えません。
平田(ひらた)篤胤(あつたね)は、本居宣長(もとおりのりなが)の弟子を自称しましたが、生前の彼は宣長に会ったこともありません。ただ、夢の中で師弟の契りを交わしたと妄想を強弁しました。種々雑多な宗教や学問の断片から独善の著書を重ね、ついに狂気の心酔者らは日本を偏狭な方向に導いたのです。日本の不幸は倒錯者を信じたことから始まりました。今の教祖にも似た者がいます。
開導聖人の国学の師である城戸(きど)千楯(ちたて)は宣長(のりなが)の直弟子で、平田批判の急先鋒でした。開導聖人(かいどうしょうにん)はこの城戸(きど)門下四百人の中から選ばれて千草(ちぐさ)家での講義を勤められたほどでした。徹頭徹尾、平田派国学と異なるお立場にありました。

開導聖人や坂本龍馬らが唱えた仏教による日本の平穏は、維新後の七十七年間は公に語られることがなく、むしろ隠されていました。

そして、敗戦後の日本は、全体主義に辟易(へきえき)した国民の多くが宗教を怖れ、共産主義に惹かれ、資本主義に没頭して、その心は今なお漂流したままとなっています。

二つの時代に呪縛され、多くの人が本当の日本人の誇りを知りません。天下の乱れも心の乱れも、仏教によって取り除くべきです。ここに、仏教があります。いま、生きたお寺が仏教を再興します。

2010年7月19日月曜日

彩雲。空からのプレゼント

 どうですか?すごいでしょ?ほんとに、すごい(涙)。
 こんなことが起きるんだぁ(涙)。こんな風に、サインをくださるんだ。
だから、ご信心はすごいと思います。昨日、お参詣できなかった方は、本当にもったいないと思います。
 仏教に偶然はありません。一日ずれてもおかしいこと、1分、1秒ずれていたら「出会えなかった」ことが、ピタッ、ピタッと目の前に示される。出会う、見える、気づく。
 ご信心やお寺から離れたり、全く疎遠になったり、別の世界で生きてきたという人は、忘れてしまったり、自分の都合のいいようにしか受け止められなくて、アンテナが傾き、周波数が偏り、サインがサインではなくなってしまう。別の次元の、別の誘惑、世界からの、悪いサインばかりを受けたりします。
 でも、昨日の、昨日横浜で起きたサインは、全国のニュースでも流れて、本当に、これが特別なことだったのだと、教えてくれました。御法さま、すごいです(涙)。本当に、ありがとうございます(涙)。覚悟して、挑んでよかった(涙)。
 先ほど、直子さんからのメールで、昨日聞いたニュースが、横浜と川崎の空の上のことだったと知りました。空と雲が大好き。だから、空の上で起きた出来事が、本当に、うれしい。
昨夜、妙深寺の開導会が奉修された夜、このニュースをご覧になった方も多いと思います。
 朝日新聞には、次のような記事。
 <いいことあるかな? 虹色「彩雲」、横浜や川崎で観測>
 「赤、黄、緑、青と色づいた彩雲(さいうん)が18日昼、横浜市や川崎市で観測された。「虹のような雲を見た」と気象庁に問い合わせが相次いだ。同庁によると、晴れて薄い雲がかかったとき、雲を構成する氷の粒に太陽光があたり、虹のように色づいて見えることがある。年に何度か、全国で見られるという。彩雲は「よいことの前触れ」とも言われる。川崎に住む池田さんはマンション3階のベランダで見た。「最近、いいことがないからね。宝くじでも当たるといいな」
 Twitterでも、すごい話題になっていたようです。僕は今の今まで知らなくて、本当に驚きました。本当に、きれい。美しい。すごい。涙が出ます。すごいことです。
 世間では彩雲は「吉兆のしるし」というらしいのですが、ご信心の筋からしたらおかしい表現です。でも、確かに、こんな空を見せていただいたら、うれしくなります。特別な気持ちがします。御法さまからの、天からの、お褒めをいただいているように思います。
 今朝も書きましたが、晴れでも雨でも構わないと思っています。ご弘通が進まない、人助けができていないのに、天気だけ晴れなんて、笑止千万ですから。そんな「サイン(?)」いりません。もし、間違っていることがあったら、ビシッとお折伏をいただいて、どしゃ降りをください、と思います。
 設定のハードルが低すぎる。本来、私たちの使命は、もっともっと大きいはずです。小さな、低いハードルで、一喜一憂するべきじゃない。
 しかし、一昨日と昨日、開導会を奉修させていただいて、晴天で、清々しい涼風が吹いていて、「あぁ、有難かった」と思っていたところに、さらに、この美しい空。あまりにも、美しい。見てください、この空を。信じられない。
 末法は、三毒強盛で当たり前なんです。疑って当たり前なんです。迷って当然なんです。嫌になって、恨んで、憎んで、苛立って、当然なんです。でも、それを、何とか、何とか引き戻そう、諦めないで、戻ってきて、大丈夫、ここにいる、と言い続ける、働きかけ続けるんです。
 真実の仏教、本門佛立宗のご信心は、「リアクション」の宗教ではないんです、「リアクション」で信心するんじゃないんです。
 リアクションという、何かを「受けて」、「だったら、こうします」「こうしてくれたから、こうしようかな」というものではないんです。
 リアクションでは、幸せになれない。不幸の原因、イライラの原因は、あなたの人生が、全部リアクションになってしまっているからではないか。
 「リアクション」ではなく、「アクション」が大事なんです。どう生きるか、なぜ生きなければならないか、それに気づき、それを実践するのが、真実の仏教の教えです。
 真実の仏教・本門佛立宗の教えは、実践と体験の教えです。
 「できるか」「できないか」ではなく、「するか」「しないか」です。
 離れたら、見えなくなる。携帯電話でも、基地局から離れてしまえば、つながらない。どんなに頑張っても、電波の飛んでるところに、自分がいるか、いないか、です。離れては、いけない。
 この開導会。特別の思いで迎えました。一年間前は、藤本御導師に勤めていただいたのですから(涙)。僕にとって、それは特別なことです。重たいバトンを、落としそうになりながら、必死で持ちこたえて、半年。
 藤本御導師は、この開導会をお勤めいただいてから半年後にご遷化になりました。平成21年12月31日のことでした。それから約半年。必死で重たいバトンを落とさないように、ブルブル震えていたように思います。
 部屋の隅で、体育座りをして、泣いているような気持ちでした。それほど、重たかったです、バトンが。藤本御導師がご遷化されて(涙)。御導師は、佛立教務の本懐を遂げられた。それ以外にはありません。
 この彩雲を見て、涙が出ました。ご宝前、御法さま、先師上人、先住、藤本御導師、ありがとうございます、おられるのですね、お見守り、お導きくださっているのですね、ありがとうございます、ありがとうございます、と涙が出ます。そうは、思いませんでしょうか?地球上で、こんなに綺麗な光景があるでしょうか?なぜ、この日に?なぜ、ここに?
 私は、とても嬉しいです、本当に、嬉しいです、御導師(涙)。
 開導会で、第一座から第三座まで、奉修御導師にお願い申し上げ、口語体で言上していただいた御文。私たちは、こうしてご宝前に、思いを届けようとしていました。
 その思いの、一分が届いて、こんなに綺麗な空と雲、色と光を、見せてくださったように思います。以下、どうか読んでいただきたいです。
 「御宝前に謹んでご祈願を言上いたします。
 開導聖人ご遷化より120年目となる本日、妙深寺はその大恩にお報いする為、御題目口唱の一座を奉修いたします。
 私たちのお唱えする御題目の声が世界中に広がり、人々が、生まれてきた意味、生きなければならない理由、価値ある生き方、生きる力に気づき、苦しみ、悩み、迷い、苛立ちの淵から離れて、誰もが菩薩の歩みを進められますように。
 そして、世界が真実、平和で穏やかになりますように。
 どうか、私たちをお見守り、お導きくださいますようお願い申し上げます。
 また、御宝前に、礼儀を正して言上いたします。
 妙深寺の先代、長松清凉ご住職のご遷化より10年に当たり、今日まで妙深寺が迷うことなくご奉公させていただけた御礼を、その御霊前に言上いたします。有難う御座います。
 さらには、平成21年12月31日に、菩薩行の最中にご遷化、人助けの菩薩行に命を捧げられた藤本淳悦御導師、私たち妙深寺一同は、一年前の開導会のご奉修とご教導を生涯忘れず、永遠に伝えてゆくことをお誓いいたします。
 松風院日爽上人、如説院日修上人、どうか自受法楽にして仏果荘厳なされんことを。
 経云 若親近法師即得菩薩道随順是師学得見恒沙仏。
 南無妙法蓮華経。
 重ねて、地球全体、世界中に、上行所伝の御題目が広まりますように。私たち一同、お折伏、お教化のご奉公に精進できますように。
 本門八品所顕 上行所伝 本因下種の南無妙法蓮華経」
 御法さま、お祖師さま、門祖聖人、開導聖人、先師先聖、殊には、先住日爽上人、藤本御導師、天空におられる先勲の皆さま、本当にありがとうございます。御本意にかなうように、精一杯、全身全霊で、ご奉公させていただきいたいと思います。
 新しい幕が開いたように思います。ジェッドが、開いてくれそうです。すごい感得と決定をしていました。昨夕、奉修後に彼と話をして、本当に驚いていました。新しい夜明けです。
 そんな日に、ぴったりの空、光景を、御法さまがプレゼントしてくださいました。そして、横浜の私たちに見せてくださると共に、全国の皆さまへも報じてくださいました。
 本当に、ありがとうございます。忘れません、決して。ここから、素晴らしいことが、地球に、世界に、日本に起こりますように。いや、起こします。人々が、幸せになりますように。
 どうか、お見守り、お導きくださいますように。

 共に、ご奉公くださった全ての方々、お参詣の皆さま、奉修御導師はじめ、ご出座をいただいた御導師、御講師方、本当に、ありがとうございます。

 ありがとうございます。

2010年7月5日月曜日

妙深寺報 7月号

 妙深寺報の7月号が発刊されています。

 実は、今月号から待望のカラーとなりました(涙)。本当に、カラーだと臨場感がグッと上がって、ご信者さん一人一人の体験談などがさらに身近に感じられます。すごい。

 妙深寺報は、ずっと妙深寺のご信者さんで印刷所をされている永田さんにお願いしてきました。それはそれは、いつもギリギリまで原稿を待ってくださったり、わがままを聞いてくださったり、迷惑をお掛けしてきました。

 今回、待望のカラー化を実現するに当たり、この寺報だけ永田さんを離れることになりました(涙)。本当に、今日まで寺報を刊行し続けて来られた功労者のお一人として、永田さんは外せません。本当に、ありがとうございました。

 とにかく、今月からカラーです。10年前の平成12年6月14日、妙深寺の先代、長松清凉ご住職・松風院日爽上人はご遷化になられました。以来、若い住職と共に所属教務員、ご信者一同は一体となって、何とか先代のお徳を汚さず、妙深寺の良き伝統を守り伝えてゆこうと、ご奉公に邁進してまいりました。

 世代交代の難しさ、お役中の高齢化などの課題もありましたが、師匠・鈴江日原上人のご教導をいただき、初代日博上人から受け継ぐ、海外弘通に積極的に取り組むお寺、ご信者さんが主役、ご信者さんの笑顔が溢れるお寺、お助行が盛んなお寺、感動ある御講が奉修されるお寺、を目指して、まさに一丸となってご奉公を進めてまいりました。

 この妙深寺の毎月のご奉公を、しっかり記録してゆこう、広くご披露してゆこう、それを教化や法灯相続の一助としていただこう、信行増進の糧としていただこう、御利益をいただく人が増えるように頑張って出版してゆこう、と、この10年間、妙深寺報の充実に取り組んできたのでした。
 約7年前、鈴江御導師から「これを全国のお寺のお配りしなさい」とお言葉をいただきましたが、ためらいと怖れが出て、お言葉に従うことが出来ませんでした。しかし、この度、いろいろな角度から改良させていただき、全面カラー印刷へと刷新することになり、これを契機に全国の御導師、御講師、お役中方にご笑納いただければ幸いと考えました。
 これからも、信心改良を重ねて、ご弘通ご奉公に全身全霊で取り組み、尊い佛立信心の輪を広げてゆきたいと考えております。さらに、みんなで妙深寺報の充実に邁進します。

 裏表紙も、気合いが入っています。これ、広報部長の黒崎さんの、まさにプロのご奉公です(涙)。僕はボケた顔をしていますが(汗)。とにかく、開導会のポスター、チラシ、すごいですね。一人でも多く、お参詣を。
 ありがとうございます。

2010年6月24日木曜日

末法の弘通、ここにあり 『お助行』

お助行こそ、悪世末法のご弘通の方法、ご弘通の要諦、コツ、ツボ、である、と。

「信要組長澤の日 堅信組 又柴田氏に此傅を語る 大に喜ぶ。

御看経助行には新教化の人をつれて行こと御弘通の利あり。
病者に我御利生を語る。我又御利生を見て信心増進す。われもあのやうに御苦労になりたることをわすれず。必ず御利生あり。末法の弘通こゝにあり。
助行にはつれてあるけよ新教化  現証を見て信心をます」(扇全18巻302頁:御看経助行にはの事)

本件について、石岡日養上人が、「日本第一の弘通家」と称されたお師匠さま・日歓上人のご教示を後世に伝えてくださっている。

「日歓上人は、大の弘通家でおありなされました。御弘通の器となれ、御弘通をせよ、御弘通の御奉公を忘れてはいけない、と。
信心で押倒せ、佛立は信心で人を助ける宗旨や、解にづってはいけない。教務の信心は信者の信心に負けてはいけない、御看経をたくさん頂け、キットお教化は出来る。お看経が減るとエゝ事がない、と。御自身、朝の中に一万遍のお看経をお上げになり、殊に晩年は十時間のお看経を頂かれた。

師匠によく仕えよ、キット結構になる。○○(おそらく講有だと思うのですが、読み取れませんでした)日教上人に身を以て仕えられ、為に日教上人は、「清歓は来たから安心ぢや」と仰言った由。師匠の御安心の行くように、心を尽し、身を労さる。
不自惜身命、一身を犠牲にして、御弘通遊ばさる。遂に当時の講有第三世日随上人より「日本第一の弘通家」とお賞めの詞を頂戴せらる。
本をよくせよ、もとを忘れるな、本山に尽せ。
弟子の躾けは非常に厳しく、行学、特に行の面に重点を注がれ、「弟子は叱り使い」やと体でご奉公することを教えらる。
信者にはやさしく、親切に信心を教えよ。信心さえ教え込んでおけば、後は仏祖のお計らいにお任せ申す。

信者に物をネダッてはいけない、欲張ってはいけない、情実を作るな。教務は信者の奴隷になってはいけない、折伏が出来なくなる。折伏が出来ず随他意に流れたら御利益が頂けない、御弘通が止まる。

謗法を軽く思ってはいけない、謗法をやかましく教えないと御弘通が止まって了う。
御宝前は叮嚀にお仕え申せ、御給仕をゾンザイにしてはいけない。御願い申せば、御返事こそないけれども、キット叶えて下さる。
御法の為のお金は、御宝前の物であるから大切に監督を厳重にせよ。教務もよく功徳を積ませて頂くように。
御法門は、会席料理の如く、手短かに、要領をつかんで、誰にもわかり易く、今日聴聞して、御利益を頂いて、明日はお礼に来るように拝む。
御助行は、教務が先頭に立って、役中を引っ張って歩く。御助行で信心を鍛え、御講へ詣って信心を整える。新教化のお助行をよくし、御利益を頂いたら、そこからお教化をすることを教えよ。
以上、そうすれば、キット御弘通は出来る。私のはナ、人から聞いた話ではない、皆な自分で、御指南通り実地にやってみて、骨身に染み付いているのだから間違いないからやって御覧、キット御弘通が出来るから、と承りました。
このお言葉は常に我が心の燈明となり、強く鞭打って下さいます。」

私たちのご信心も、鞭打たれる思いです。

清潤拝、

2010年6月6日日曜日

開導聖人エピソード 天皇、三条公、高崎、

コレハ狂哥也

「さむさニハ風雅をすてゝおき巨達 ねなからみるも雪ハゆきなり」國重

「四方の海なみも謐けく治まれる 我君の代ハ濁りなくして」京都府警部 岡信則
  └明治十六年の春

 當世ハかようのことか流行と申てある人かたれり

 詩ハからうた故ニ和國の風俗ニハあハぬやらん これも かのつからの事なりかし 御花押 一等

 去年警部明田ぬしのたのみニて 「草かくれ」のうた 画賛 一紙をおくれり 岡信則ぬしのたのみニて露分 もみのうた 画賛一紙をおくれり

 去年大津多羅尾清車ぬしの引ニて志賀縣々領小手田ぬしへ短冊三葉

 其後予カ書画帖を見せたることあり

 一昨年東京御歌御師匠宅 高崎氏へ歌一葉

 同人いはく 三条公ノ方々予か短冊三四葉アリ外ニ求メ得す 六七首を得て書写せしめ當今門人の手習ノ手本とせりと

 天皇ニ清風か短冊天覧ニ入テ御手習ノ手本トス

 天皇ノ下ハク かバかりむつかしき書ハなしとて宮中御ならひ也 をかしき事也と香谷方へ高崎義正来りてはなしと云々 玉田来て語る云々 玉田いはくオヂサンあまり澤山 さうニおかきなさるなといへり 清風曰「わしハ機嫌次第でゴザルト申たり」

2010年6月5日土曜日

126年目の御総講

遠方からのお参詣に、頭が下がる。

明治17年以来、今年で126年目を迎えた麩屋町長松寺の御総講。受け継いでゆくことの大切さを思う。

明治17(1884)年2月11日、宥清寺の全権をお弟子の現喜師に委ねた開導聖人は、既に借り受けていた麩屋町に居を遷された。

当初は、決して望まれたご転居ではなかった。宗門の僧侶らの誹謗中傷と、講内一部信徒によって起こった紛糾を収束させるためにご決断なされた。明治20年4月には、罪障を起こした信徒らが懺悔状を提出。麩屋町の御宝前には、今でもその時の懺悔状が保管されている。

このように、事実、事態は収束し、この一連の出来事も、仏祖のお計らいなりと感得せられる。結果、佛立講は永久の教訓を得、開導聖人は生涯最重要の晩年に特別の時間を得、佛立教講は最も重要な御指南を頂戴することになった。

麩屋町ご転居から、開導聖人は身延入山後の高祖、勧学院建立後の門祖と同じように、本門佛立講の弟子信徒に対して未来を期した最重要のご教導を開始された。特に、「五五の御指南日」は遅参者の入室を許さず、無断欠席者は即除名という厳しいもので、佛立教学と信行ご奉公の真髄を御指南くださった。

開導聖人は、この年、明治17年からご母堂のご命日である例月4日に御講席を開かれ、ご体調の都合で4日から16日に順延されたがご遷化の前日明治23年7月16日まで御講願主としてのご奉公を為された。

麩屋町の御法宅も、開導聖人の御講席も、今年で126年もの間、開導聖人から長松品尾、長松品尾から長松日峰、長松日峰から長松清凉、さまざまな有縁の方々のご奉公を経て、先住から現在へと、絶やすことのないように護持し、ご奉公させていただいる。昨夜も、例月4日の御総講が奉修された。

今月13日は長松寺の開導会。併せて日聞上人の百回御諱を奉修させていただく。その際、長松寺の沿革と二世日聞上人の生涯最後の御法門をプリントして配布することを予定している。その準備をさせていただきながら、126年目の御総講を、とても感慨深くご奉公させていただいた。

さて、今日は横浜妙深寺の教区御講です。10時半と13時。ありがとうございます。

2010年5月26日水曜日

龍馬伝 「故郷の友よ」

 久しぶりに見応えのあるNHKの大河ドラマ。そう思うのは、ひいき目だろうか。龍馬の魅力、龍馬という青年の群像が持つ魅力は、時代が変わっても色褪せていないことを証明しているように思う。

 それにしても、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、本門佛立宗と縁が深い。毎回、観る度にそれを思う。

 その「龍馬伝」が全国で巻き起こすであろうブームを見越して書いたわけではないが、年頭から「坂本龍馬と本門佛立宗」という記事を書いた。そこでは佛立開導日扇聖人全集に所収されている資料から、龍馬と開導聖人の結びつきをご紹介した。

 龍馬の指示を受けながら「海援隊文士」長岡謙吉が書いた「閑愁録」は、日本の仏教者に宛てた坂本龍馬の公開質問状であった。残念ながら、これを著した直後に龍馬は没した。しかし、この閑愁録を読み、これを極めて高く評価し、これに真っ正面から応えて後世に遺されたのは本門佛立宗の開導、長松清風日扇聖人しかいなかったのである。

 今でこそ龍馬ブームが世を席巻しているが、開導聖人が閑愁録を手にされた当時、坂本龍馬の名も、海援隊の名も、世の人の知るところではなかった。土佐出身者による意図的な挿話かもしれないが、明治37年に始まる日露戦争にて、皇后の枕頭に総髪の志士が立った。その姿を聞いた政府出仕者が、「それは坂本龍馬に違いない」と言い、にわかに注目を集めたという。

 いずれにしても、開導聖人と坂本龍馬には、妙不可思議な符号やご因縁があった。

 まさに、年頭の記事に書いたとおり、今や全国が龍馬ブームに湧いている。サッカー日本代表のワールドカップ出陣にまで、龍馬が駆り出されている。自民党を飛び出した富裕な政治家が自分を龍馬に模したり、青いユニフォームを龍馬に着せてみたりするのを観ていると苦笑してしまう。まぁ、龍馬のことだから、苦笑いをして終わりだろうけれど。

 昨夜、録画しておいた龍馬伝「故郷の友よ」を観た。龍馬の人生が、歴史の渦に巻き込まれて、慌ただしくなっていく。決別した友の別れ、それでも友を思う龍馬。過酷な運命が彼らを襲い始める。演技に泣くのではなく、彼らを襲う運命、決別せざるを得ない人間というものの性を観ていて、涙が出てくる。武市さん!以蔵さん!とこちらも叫びたくなる。

 龍馬の友人に限らず、これ以降、明治維新に至るまで、全国に累々たる若者たちの屍が築かれていく。吉田松陰が「孔孟箚記」に引用した「志士は、溝壑(こうがく)にあるを忘れず、勇士はその元(こうべ)を喪(うしな)うを忘れず」という言葉が現実のものとなっていった。「志士(志ある者)は、義を貫き、使命を果たすためならば、自分の死骸が溝や谷の下に捨てられていることを常に想像し、その覚悟をしておかなければならず、勇士とは自分の首が切り飛ばされて前に転がることを常に想像し、覚悟しておかなければならない。」

 現代人からすれば理解できない死の迎え方、臨み方をする青年たち。彼らは、自ら任じた役割、使命のために、次々に殉じていく。「累々たる屍」になど、誰もがなりたくはない。しかし、彼らは現代人のように、日和見的でも、格好つけでも、自己中心的でもなかった。誰もが、志を持ち、志のために命を懸けて生きていた。

 「義」という字は、「我」を「美」が押し潰している字だという。その意味するところは、「美しく生きるためには我を通さない、我に従わない。」ということだろう。「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」というお祖師さまの御妙判や、「義はつよく~」という御教歌を思い返して、私たち仏教徒、佛立信徒にとっての「義」を考えなければならない。

 それはともかく。どうしても、話が脱線してしまう。難しいことを書くつもりはなかったのだが。

 その大河ドラマ「龍馬伝」が23日に放送した「故郷の友よ」という回を観て、驚いたことがいくつかった。やはり、龍馬を語れば、本門佛立宗との御縁が深くなるのは当たり前。随所随所に、開導聖人の生きておられた時代、ご奉公されていた息吹を感じる。

 まず、放送開始直後6分に出演した薩摩藩士、高崎正風という人物。やはり、ポイントを心得ている。この人物は、極めて、極めて開導聖人のご縁の深い人物なのである。

 長州の久坂玄瑞が朝廷に攘夷継続を嘆願していた背後で、薩摩は過激な攘夷思想と距離を置くよう朝廷に諭していた。場面が切り替わり、薩摩藩士が登場する。それが高崎正風なのである。この時、高崎正風は「左太郎」と呼ばれ、京から長州藩の追い落としを図って八月十八日の政変を成功させ、薩会同盟の立役者となった。幕末は薩摩の京都留守居役として活躍するが、最終的には武力討幕に反対したため藩内で西郷隆盛らと対立。維新直後は不遇だったが、最終的に新政府に出仕し、岩倉使節団に加わって西欧諸国を数ヶ年視察した。

 明治8年から宮中に出仕。御歌掛などを勤めて、明治21年には御歌所初代所長に任命。明治23年、初代國學院の院長となった人物。 不明な点は多々あるが、その高崎正風は、明治23年にご遷化された開導聖人と深い親交を結ばれていたのである。

 最近、インターネット上に開導聖人のことを紹介する記事が増えてきた。誰が書いたのか定かではないが、次のようにな一文があり、そこに高崎正風とのエピソードが紹介されている。

 「長松清風は、書画においては江戸末期の三筆と言われたり、当時の知識層などが掲載された平安人物誌、西京人物誌にその名が掲載されたり、明治天皇の和歌の教師であった高崎正風が清風の詠んだ歌を優れた歌として明治天皇に紹介し、明治天皇から清風の歌を非常に賞賛されていることを知らせる使者が清風の元に使わされており、明治天皇以外にも三条実美などの公家にも清風の短冊を所望する声が多かったという。江戸末期から明治を代表する優れた文化人とも言える。」

 開導聖人の御指南書「三界遊戯抄」には、明治14年の9月中旬、既に明治天皇のお側近くに出仕をしていた高崎正風氏が、わざわざ東京から京都まで来られて開導聖人と面談されたことが明らかにされている。何のために、どのような経緯で。

「草がくれながるゝ水もせかれては 世にありがほに音たてぬめり。
十月五日の朝聞 玉田のはなしに。
天朝に吾草かくれの睿覧にて御手習ひの事 むつかしとて御困云々。
天朝御歌師範 高崎正風 四十才餘 明治十四年九月中旬 東京より来る」

 上記、御指南中にある「玉田」は「ぎょくでん」と読むのだが、「村田玉田」のこと。開導聖人の姉・うた(妙遠)の娘。夫は村田香谷。昨夜、小林信翠師から資料を送ってもらうまで村瀬雙石と村田香谷、村瀬玉田と村田玉田を混同していた。

 開導聖人は、10月5日の朝、この姪である玉田から明治天皇についてのお話を聞いた。それは、数週間前に高崎正風が京都まで来て開導聖人と面談し、開導聖人から御歌と書をいただかれたことに対する明治天皇の反応であった。

 開導聖人と玉田とは叔父と姪の関係。夫となる村田香谷は福岡県備前出身で、皇后陛下の乳母にかわいがられていたという逸話もある。天保の頃に筑前の四大画家と呼ばれた村田東圃の養子で、山水に巧みで、詩書も能くした。開導聖人の生家である大路家の姻戚が皇室や公家と緊密な関係を持っていたことの証左の一つである。

 しかし、いずれにしても、これらの方々と親しくされながら、天朝に出仕していた高崎正風とのご縁、そして明治天皇ともご縁を有しておられたことが分かる。

 幕末の京都、ご維新前後の世情や人の動きには、後世の私たちには未だ見えないことがある。ただ、点と点を結んでゆけば、少なからず開導聖人の生きておられた時代と人々との関係が見えてくる。

 もしや、開導聖人は高崎正風とは幕末から旧知の仲であったかもしれない。「龍馬伝」でも度々出てくる公卿・三条実美についても、先のエピソードにあるとおり短冊を所望されたり、様々なやりとりが行われていたことが明らかになっているからだ。

 司馬遼太郎の「歳月」という小説でも高崎正風は登場する。この小説は、明治新政府の初代司法卿(大臣)となった江藤新平の幕末から維新後を描いたもの。この小説について今は述べないが、ここでも、「幕末」という壮絶な激動期の人間たちの動き、理想と情熱と狂気、その様々な情景を、肌で感じることが出来る。世が変わる時のこと。

 この小説の中で、高崎正風が出てくるシーンは以下のようなものである。この場面は主に鍋島閑叟(備前佐賀藩)を中心に描かれている。閑叟は「葉隠」に代表される保守的な風土の中にいながら進取の気骨を持つ勤勉家。名君として知られていた。

 それは、幕府にとって最後の年となった慶応4年3月18日の夜のこと。

「- 幕府がつぶれたのだ。(乃至)
出かけたのは、祗園「左阿弥」という家である。会同した諸侯は、いま天下をうごかしている新政府側の雄藩の当主ばかりであった。
 薩摩藩のわかい当主である島津忠義、幕末、もっとも劇的な波瀾をくぐりぬけてきた長州毛利家の世子である元徳、芸州広島四十二万六千石の浅野長勲、大名のなかではわかいながら才器できこえた阿波蜂須賀家の世子茂昭などで、閑叟はこのなかでは年がしらであった。
 この座席を世話しているのは薩摩藩公用方の高崎佐太郎(正風)らで、かれらがもっとも苦心したのは上座、下座の席順であり、これはほとんど判じ物といっていいほどにむずかしかった。なにしろ、大名たちが私的に会合するようなことは江戸三百年のあいだなかったことであり、参考にできるような先例がなかった。また、大名の席次というのは江戸城の詰間で公式にはきまっているが、しかし幕府が消滅した以上、過去の秩序である。朝廷からもらっている官位の順にするのも一案であったが、それもこの私的な席では生硬すぎるようにおもわれる。結局、~」

 幕末の前後、高崎正風は京都を舞台としてこのような周旋方をしていた。この頃、若い頃から公家の邸宅で講義をしていた開導聖人と知古になっていても不思議ではなかった。三条家か、あるいは他の公家か。

 また脱線するが、このエピソードには詳細な記述があって面白い。大名が芸者遊びをするのも初めてなら、芸者も大名を見るのは初めて。「無礼講」と言っても双方が固い。酒宴となって年頭の芸者が酔い、「みなさま、お長うございますこと」と言ったという。「長い」とは顔のことで、ここに集まった大名たちは、島津をのぞいて全員顔が短冊のように長かった。

 この冗談を聞いて高崎正風らは青ざめたが、すかさず閑叟が「ここに宇和島がくればわしも丸くなる」と言った。宇和島藩の伊達宗城は「長面候」というあだ名があるほど顔が長かったという。酌の相手は祇園でも三指に入る名妓「静香」と言った。ちなみに、「左阿弥」は今も京都の円山公園近くにある。

 とにもかくにも、文章が長いのはこのブログの悪い癖だと思っていただきたいが、「龍馬伝」に高崎正風が出ていて、本門佛立宗、開導聖人とのご縁を思い返して、感動したのである。

 さらに、今回の龍馬伝 「故郷の友よ」を観ていて、放送開始後18分頃(調べたてしまった)に驚いた。それは、龍馬と饅頭屋・近藤長次郎とが激しく語り合うシーン。その背後で、拍子木の音が鳴り続けていた。すごい、きっと本門の御題目、お看経に違いない。

 「大阪海軍塾(勝塾)」があったといわれている大正区三軒家東など、本門佛立講のご信者方が活躍しておられた地域。時代考証をしてゆけば、この地域、この時刻に、拍子木の音が響き、御題目の声がしていたことは間違いない。映画「三丁目の夕日」など、昭和の下町の夕方も、拍子木の音がどこからともなく聞こえていたはずで、考証を重ねたら本門の御題目、佛立宗のお看経に行き着くはずだ。


 とにかく、こうしたエピソードを見聞きして、私たちのご信心のルーツに誇りを抱いていただきたいと思う。そして、今の自分たちの信心を省みて改良を心がけるべきだと思う。

 下に掲げたのは、長松寺に掲げられている扁額。明治天皇にもお見せいただいた、

「草がくれながるゝ水もせかれては 世にありがほに音たてぬめり」

の書画である。見事としかいいようがない。


 本当に、開導聖人の尊さを、思い知らなければならないと思う。「ある時は敬い、ある時は尻に敷き~」ではダメだ。

2010年3月30日火曜日

ご遷化の意味

 これから、本山の御宝前に於いて24時間のお看経をさせていただきます。前回は、とにかく一人で、本山の御宝前に向かわせていただきたいという思いで、必死でした。

 藤本御導師のご遷化から、もうすぐ百ヶ日忌を迎えようとしています。すでに、良風寺は西村日要上人が御住職としてご就任・ご奉公をくだされており、良風寺の皆さまも、この想像を絶する哀しみの中で、それを何とかご信心で乗り越ええようと、ご奉公くだされておられます。藤本家のご家族はもちろん、こうしてご奉公くださっている方々のお気持ち、そのご信心を察すると、涙が出るというか、心の中で血が噴き出すような思いがします。未だに、何とも言葉には出来ません。

 私は、佛立教務として、良風寺のご信者の皆さま、藤本家の皆さまには、お懺悔の気持ちでいます。なぜか。
 今回の事件、加害者を含め、それは事件として、いろいろな事実があり、いろいろな見解があると思います。それぞれ検察や警察、病院関係者、家族やその他の関係者など、具体的な事象があり、それらを総合して、一般的な事件としての結果が導き出されることと思います。それについては、私はしばらく置きたいと思います。

 事件性とか心神喪失とか、そこではなく、もっと大きな意味で、なぜ、藤本御導師はご遷化されねばならなかったのか、という一点を、御宝前にお尋ねする時、今回の出来事の意味を深く感じて、藤本家や良風寺の皆さまに、お懺悔の気持ちが湧いてくるのです。はっきりと、分かります。はっきりと、見えます。
 もし、本門佛立宗の教務で、今回の藤本御導師のご遷化を、目の前の「因果」でしか捉えることができないとしたら、本当に情けないことだと思います。これを、もし、「たまたま~」とか「不幸にも~」などとお茶を濁すような話で終えるとすれば、その人は、佛立教務ではないのではないか、とすら思います。
 真実の仏教が常に教えているように、仏教に偶然はありません。全てが必然です。本門佛立宗のご信心は常に現証の御利益がある、と断言する以上、「これは御利益だが、あれが偶然である」ということはあり得ない。つまり、そんな曖昧なことはない。
 では、藤本御導師のご遷化は、如何なることか、如何に受け止めればよいのか、という問いが発せられる。
 藤本御導師は、ブラジル団参の際、お寺に出てこなくなったという人の話を聞いて、真夜中までお助行に出られました。海外での団参中に、です。サンパウロのご信者さんで、古くから知っておられる方とはいえ、お折伏をされるために夜の観光やプログラムなどをキャンセルして、ご奉公に出られました。そんなご奉公をされる御方です。
 藤本淳悦御導師です。あれほど、常にお看経に徹せられ、ご信者さんが苦しい、痛い、つらい、と言えば、すぐに飛び出して、その方の手を取り、一緒に涙を流してご奉公される、お師匠さまへのお給仕にも徹し、ご弘通の実を上げられている御住職(残念ながらこうした御導師は少ないと思います)、明るく、宗会でも常に前向きにご意見をされる御導師でした。
 中途半端なご奉公をされていた御方がご遷化をされたのではなく、こうしたご奉公をされていた藤本御導師がご遷化された。ご信心やご弘通ご奉公で、愚癡のような話を教務がしていると、「しんき臭い話をするな!」と藤本御導師は叱られたといいます。
 ですから、今回のご遷化は、ご弘通が衰退すると危惧されている中、本当に厳しい、御宝前からの宗門全体に及ぶ御折伏、藤本御導師の命懸けの御折伏であると思うのです。
 ブラジルの淳省師と恭子さんから、藤本御導師がブラジルでご奉公されていた当時のお写真を送っていただきました。涙があふれていきました。ここに、掲載させていただきました。
 藤本御導師の妙深寺での御法門。
 「それでは御題目を唱えている人はみんな菩薩かというと、残念ながらそうではない。御題目を唱えても、明けても暮れても自分のお願いごとだけの人はまだ菩薩ではない。そこを切り替えて、「あの人が良くなるように」、「元気になるように」、「あの人が入信をして、御題目を唱えて、みんなが幸せになれるように」という風に、ご祈願を切り替えてこそ、如来の使い「菩薩」ということになるんですね」
 「ですから、仲のいいもの同士だけの信心で終わってはダメです。その殻を打ち破って、この御題目の素晴らしさをまだ知らない人にお勧めさせていただく、菩薩行に励んでこそ、真実の佛立菩薩ということができるのです。」
 「特に今年は、立正安国論上奏七五〇年のご正当です。この十六日に上奏なさった。なぜお祖師さまは、立正安国論を上奏なさったか、それは、鎌倉時代という時代は、天変地異、大地震、台風、水害、疫病! 死体は道にゴロゴロ転がっていた、そんな時代。さらには他国侵逼の難。蒙古が攻めてくる。今の時代と同じだと思いません? 符合しているわけです。天変地異。大地震。環境破壊。我々人間による勝手な行いによって、今、地球が怒ってるんですね。疫病…新型インフルエンザ。そして、他国侵逼の難。ミサイルや核問題。みんな鎌倉時代と同じ姿が現れているんです。
 それはなぜか。残念ながら、せっかくお祖師さまや開導聖人から頂いたこの御題目のご信心が低迷してる。ご弘通が、全国各寺院だんだん低迷しております。信心が曲がれば、家庭も社会も曲がるんです。だからここでお互いが、お祖師さまがどんな思いで立正安国論を上奏なさったのか、しっかりと受け止めさせていただいて、そして信心を改良させていただいて、みんなが佛立菩薩となって、一寸先は真っ暗な暗闇の世界に、妙法の灯火を持たず、迷い、悩み、苦しんでいる方々に妙法の灯火を持たせてあげる、教化折伏のご奉公に精進させていただきましょう。」
 これから、藤本御導師のご遷化の意味をかみしめながら、御宝前にお尋ねしながら、御題目をお唱えさせていただきたいと思っています。御宝前の御意、その深い御意を、どこまで感じさせていただけているか、御本意に叶うご奉公ができるかどうか、御宝前に、お伺いします。藤本淳悦御導師の、御意を、その御弟子の一人のように、しっかりと受け継ぎたいのです。

 もちろん、ご病気の方々、いま、御利益をいただいてほしい方々のご祈願も、させていただきながら、お看経に入らせていただきたいと思います。

班長さんへの手紙 (3月 役中テキスト)

 ありがとうございます。
 3月1日は私の誕生日。京都の南座の裏にある病院で生まれたそうです。開導聖人のご息女・長松品尾さまの祥月ご命日とのことで、母はこの日を選んで生んでくれたのでしょうか。一つ年を重ねて、なお一層自分の使命を感じて、全身全霊でのご奉公に励みたいと思っております。
 本年で先住がご遷化になってちょうど10年です。先住をはじめ、妙深寺の先師上人を思い返し、門祖会での大テーマでもあった「妙深寺信徒の誇り、喜び」を痛感します。過去二代のご住職方は、まさに命懸けで、この「生きたお寺」を護持し、発展させてくださいました。共にご奉公をされてきた御講師方、ご信者さま方も同様です。
 門祖会で放映したビデオに思わず涙があふれました。妙深寺の歴史、日博上人のご奉公、先住のお元気な姿、常に妙深寺にある笑顔。あたたかさ、やさしさ、真心。このビデオ、是非お配りしたいと思います。
 「このお寺でよかった」と、一人でも多くの人に感じていただけるように、今の住職も御講師もご信者方も、菩薩の誓いの実践をさせていただかなければなりません。重いバトンです。この重たいバトンを落とさず、しっかりと次の世代にも受け継いでゆきたい。
 二月の教区御講の御法門を決して忘れないようにしてください。
御教歌、
「いまゝでの やうなことではこのころの やうな御利益なんのあろかい」
 ご信心とは、御宝前に真っ直ぐ向き合うことから始まります。決して自分で作った「ローカルルール」に流されてはいけない。素直正直が何より大切だと教えていただいているのに、実際には自分なりの考え方で受けたり、受け流したりしています。
 「今までのやり方ではダメ」という御教歌です。「今までどおりだったら、最近顕れているすごい御利益はなかったはずだ」と改良の大切さを教えていただきました。
 お看経が上手にできない方も多いです。「今まで通り、自分の唱え方はこれ」ではなく、正しい唱え方への改良に挑戦しましょう。声の出し方、息継ぎ、目線、姿勢など、改良点はたくさんあります。長時間お看経していても疲れず、気持ちのいいお看経ができるようになるまで、改良しましょう。
 何度もご披露していますが、本堂の前の方に座る方が少ないのはなぜでしょう?「座る場所」が決まっているのですか?
 とにかく、前の方に座ること。「自分の座る場所はここ」という、これも勝手な決め事が「ローカルルール」です。そこを改良しましょう。
 私は、病床の日博上人が、妙深寺の次期住職となる20代前半の先住日爽上人に宛てたお手紙を、生涯座右に置いてご奉公させていただきたいと思っています。素晴らしい教えです。再度、ご紹介いたします。
 「人のためになり、皆が喜んで受け入れてくれる、自分の務めも成就するという事は、そんな簡単なものではない。しかし、それを成し行けば「いざ」という時の発言力、説得力、指導力となって功徳が積め、ご奉公が出来るようにするには、情理を尽くし、事にあたって熟慮し、読みを深くしてやらなければ一歩も進歩は出来ない者である。まだ、若いからいいが。どうか、努力してくれ。
 正しいことをして、誤解をされ、悪口を言われ、不運に陥って、それで当たり前であるとの心構えを養ってもらいたい。
 そして、千に一つ、万に一つでも、これこそ佛立信仰の『これ道である』との堅い信念に到達したことであったならば、断断固として実行するようになって貰いたい。勉強してください」
 勉強します。如説修行の覚悟、佛立魂とは、ここです。ここに、到達したい。ご信心、人生の目標です。






2010年3月22日月曜日

お知らせ パート3 「24時間のお看経 恐るべき日でした」

 スリランカの方々の団参が急遽決まってしまったわけですが、すでに決めていた本山の御宝前での24時間のお看経はさせていただこうと思っています。

 スリランカからの団参者も、ちょうど30日に名古屋から京都に入ってくる予定で、31日の朝、本山にお参詣くださいますから、彼らも合流してくれるそうです。でも、せっかくの京都ですから観光もしてもらおうと思っていますが、今回だけは、僕はそこにはご奉公できない。前から決めていたとおり、お看経させていただきます。

 平成22年3月30日の15時前後から3月31日の15時前後まで、24時間、お看経をさせていただきたいと思います。
 
 以前このブログではご披露させていただきましたが、1月末に24時間のお看経をさせていただいた後、「なぜ教えてくれなかったのか」という声をいただきましたので、もう一度させていただくことにしました。ちょうど、藤本御導師のご命日(49日忌が終わってから初めてのご命日です。2月が28日まででしたので)に当たります。選んだわけではなく、京都でのご奉公があり、日程を調整していて、この日しか取れなかった、と以前も書かせていただきました。

 そして、このスリランカの団参。もう、やっぱりスケジュールはないな、と。この日程だけは移動できません。そのままさせていただこうと思います。

 実は、理由はそれだけではありません。秋田の美奈子ちゃんからメールをいただきました。この日、偶然、いや、スケジュールの調整がつかずに選んだ、この日が、すごい日だったと教えてくれたのでした(汗)。

 ちょっと、僕にとっても、あまりにも衝撃的な事実だったので、そのメールを紹介します。藤本御導師のことについても、触れてくれていて、本当に、ありがたかったです。

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 ありがとうございます。

 小野美奈子です。(秋田に行った汗)

 ブログ、本堂のウェブカメラ、毎日、日々の信心の命綱的になっています。

 いつもありがとうございます。

 先日気付いたんですが、私が通っている応護寺の大曲別院に、藤本御導師の若い頃のお写真が飾られています。ご奉公にいらしたことがあったみたいです。さわやかな、温かい笑顔のお写真です。

 それと、ご住職のブログの恭子さんの撮られたブラジルの納骨堂のお写真、私も涙が出ました。

 実は、大変おこがましい話しなんですが、ご住職が先日、本山で24時間口唱をされた、あの場所、お賽銭箱の脇のあの場所。私もあそこで11月23日に一人でお看経させていただきました。

 あの時、40分間、涙が止まりませんでした。

 本当に、本山の御宝前に救われました。

 本山の御本尊は本物なんですね。もちろん、どのお寺の御本尊も本物だと思っていますが、何て言ったらいいか分かりませんが、次元が違っていますね。

 宇宙の銀河系が収まっているような・・・

 とにかく、ひろ子さんと、山崎さん(御殿場に転勤した、現戸塚教区の)に強く勧められ、

「本山の御宝前は正面に一人で座って、まっすぐお看経すれば、必ず、まっすぐに返って来るから!!」

 そう言われて、本当にその通りだったのに驚きました。

 さてさて、ご住職がお忙しいというのに、本題に入りますね。

 暦のことを調べていたんですが、お釈迦様の御入滅された2月15日と、日蓮聖人の御誕生日である2月16日は・・・

 日本の旧暦で調べると、今年は『3月30日と31日』にあたります。

 即ちもし、日本がまだ太陽暦だったなら・・・・・

 ご住職が今度、24時間口唱に選ばれたその日こそが!!

 『お釈迦様入滅の日と日蓮聖人のお誕生日』なんですよ~!!!

 すごーいい!!

 偶然??

 いえ、必然ですね。

 すごーいい!!!

 私もその日、本山行きたーい!!!

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 こんなことがあるなんて!!本当に、本当に、驚きました。

 有難い、やはり、意味がある、頑張ろう(汗)。何とか、また、御宝前におすがりしたいと思います。24時間、途中で倒れないように、とにかく、お看経、御題目口唱に、何とか、頑張ります。

 ありがとうございます。

2010年3月21日日曜日

本化桜の開花と評議委員会

 無事に春季総回向が奉修されました。本当に、素晴らしい、あたたかい日となりました。ありがとうございます。
 昨夜は、台風のような大嵐でした。私は結局御法門の勉強が朝までかかってしまい、4時過ぎの猛烈な雨と風、そしてカミナリの音を聞いていました。
 ブラインドがあっても、カミナリの閃光がピカッと光り、その後はゴロゴロ、ゴロゴロと続きます。あまりにもすごい閃光で、思わずデータを保存しておかないと落雷でせっかくのデータが消されてしまうのではないかと、ビクビクしながら朝を迎えました。
 ところが、平成22年度の春季総回向が開始される頃には、あの雨と猛烈な風は消えていて、本当に穏やかな春を感じる日となりました。12時の時点で910名のお参詣者との報告がありました。お会式のようです。ありがとうございます。
 午後は13時半から評議委員会を開催させていただきました。妙深寺が、宗教法人法に則って正常に運営されているかを評議していただく会議です。先住時代から「ガラス張り運営」だと評価と安心を得てきましたが、年々不備な点を改善して充実した議論を重ねられるようになってきました。

 社会情勢が圧倒的に変化しています。超少子高齢化、政治の流動化、一億総中流社会と呼ばれた時代から格差社会へ、終身雇用の崩壊と非正規雇用の増加、デフレ経済から超インフレ経済に移行する予兆も、所得の減少、ワーキングプアと呼ばれる人々の増加など、恐ろしい兆候も多々あります。「下り坂社会を生きる」というテーマが、当然のように語られる時代です。頭と発想を、切り替えなければなりません。
 人も、生活も、社会も悪くなっていくという悪循環を断ち切り、この不安定な時代に「法城」を護持し、その使命を果たしてゆくために、ご信者みなさまのご協力をいただいて、ご奉公を進めています。お寺としてのランニングコスト(経費)を削減しつつ、ご弘通のためのご奉公は分厚くする。「そんなことができるの?」と思われるかもしれませんが、確実に出来ます、出来るはずです。
 「御法さまのもの」「尊い御志」という「浄財」は、社会的な背景と自坊のご弘通の状況を冷徹に考えれば考えるほど、さらに貴重極まりないものであることを痛感します。私は、外見は非常に明るく楽観的に見えるかもしれませんが、とても、とてーも、シビアで、ネクラで(笑)、悲観的過ぎる面もあるんです(笑)。
 妙深寺で考えれば、「弘通」という二文字の、「弘」は「弘める人、その機能」と、「通」では「所属する全員にご信心を通わせる人やその機能」が、まだまだご奉公が不十分です。すべて住職に責任があります。機が熟して、次の段階を迎えるまでは、もうしばらくの辛抱だと思っています。それまでは、貝のように、静かに、ご弘通の「人」を、自分の身体を使ってお育てしておきたいと思います。
 つまり、妙深寺は、評議委員会の議題を見ても、予算案や決算書を見ても、ジッとしています。評議委員会の議事録は宗教法人法に則って、神奈川県庁と税務署に報告の義務がありますが、大きな事業がありません。「コピーのリース料が10分の1になりました」「ガソリン代が安くなってよかったです」とか、そういう話。横浜市から隣地を借りて、その代金も予算に入りましたが、同時に地下鉄の看板広告を止めたりして、プラスマイナスゼロ、とか。
 しかし、今回の評議委員会で最も大切なことが2点。それは、インターネット・通信インフラの整備と、将来を見据えたソーシャル・ビジネスへの準備が本格的に始まったということです。
 古い本堂でも、とにかくインターネット・通信環境を充実させて、全世界・全地域・末寺や親会場とのネットワークを敷設できました。遠隔地のご信者さんが御法門聴聞でご信心増進できる環境。妙深寺では毎朝御法門がある。その御法門を、とにかく聴聞していただきたい。お参詣くださる大切さは変わりはありませんが、お年寄りで外出しにくくなっても、遠方で一人でも、さみしい思いはさせない。将来は、病院の枕元でも、PHSさえ用意すれば妙深寺の本堂でお助行している姿が映るはずです。病院でも、さみしい思いはさせない。
 この会議システムを使えば、ご奉公の気持ちがあっても会議に出席できないという人が利用できます。妙深寺の大半の青壮年層の職場は東京。通勤に片道1時間は必要です。会社を定時に退社できる人も少ないご時世で、この会議システムを利用して、東京にいても、会社や自宅でも、ご奉公に出仕できるようになりました。もちろん、身体を使った本番のご奉公では、インターネットでは済まされませんが(汗)。とにかく、ありがたいシステムが完成・完備されました(お寺がボロだけど。とにかく、人づくりのためです)。
 本堂の24時間配信システムと、ガラスの間の会議システムは、どれほど喜ばれているか分かりません。国内だけではなく、シンガポールとも、ずっとつながれる。本当に、感謝されています。その素晴らしい機器とシステム。総工費数百万円もしたのですが、今回、石田さんが、御有志してくださることになり、今日の評議委員会で発表されました(涙)。本当に、なんと申し上げて良いか。言葉が見つかりません。わがままばかりを言って、急がせたり、仕様を変えてくれとか安くしてくれとか、無理なお願いばかりをしていたのに、最後の最後になって、石田さんからの御有志としていただくとは。本当に、言葉がありません。ただ、ひたすら、ありがとうございます。
 もう一つ、将来を見据えたソーシャル・ビジネスへの準備というのは、やはり、この「下り坂社会」の中で、お寺が果たすべき機能、本来お寺にしかできない役割や使命を追及してゆこうというプロジェクトです。特に、「食」や「教育」について考えて、佛立プリンシプルの下で、しっかりと推進してゆきたいと考えています。まだまだ、準備段階ですが、見えてきました。ムハマド・ユヌス氏のように、しっかりと社会の一人一人を見据えて、実現可能で、一回の寄付などで終わらず、半永久的に人々の生きる支えになり得るように、進めてゆきたいです。妙深寺を母胎として、こうした理念を持った人や社会的な動きが飛び立ってゆけばと夢を抱きます。
 ムスリムの発想ではなく、仏教徒がもたらす真のソーシャル・ビジネスの姿が見てみたいと思うのです。
 今は、そういうご奉公。評議委員会でも、最後のご挨拶でこのようなことをお話ししました。これから、さらに社会状況が悪化するかもしれませんし、日本国の経済的な沈下、人々の暮らしの不安定さはますかもしれませんが、だからこそ、「ご信心をしていてよかった」と思えるように、その中心にある妙深寺を護持・発展させてゆきたいと思います。細心の注意を払いつつ。
 本化の桜が咲きました。4月4日まで散らないで。いや、「散りますと花のいふのを聞いて飲め(御教句)」ですね。
 ありがとうございます。

2010年2月22日月曜日

妙深寺 門祖会 御法門

 門祖日隆大聖人550回御遠諱・先住松風院日爽上人御13回忌 報恩ご奉公 平成22年度 門祖会「信徒大会」が晴天の下、盛大に奉修されました。お参詣、ご奉公をいただいた皆さま、ありがとうございます。心から随喜しております。
 お参詣総数は、現在の集計では妙深寺所属の教区合計1267名、寺内とボーイ・スカウト、ガールスカウトを合わせて1311名、他寺院の合計が13ヶ寺62名でした。総合計1373名とのことでした。重ねて御礼申し上げます。本当に、ありがとうございます。
 各座の冒頭、今回の門祖会のために作られた映像を観ただけで、涙が溢れてきました。第一座の御控之間で、すでにクールな正教師までが涙を浮かべておられ、それを見て私も涙が出てしまいました。導師役と鑒座の二人が泣いていて、このまま奉修できるのだろうかと心配したほどでした。
 とにかく、土曜日から日曜日にかけての門祖会が、無事に終了いたしました。清々しい気持ちです。本当に、これからの3年間のご奉公が、素晴らしい形でスタートできました。皆さまのおかげです。ありがとうございます。
 本日いただいた御教歌。
「ころも着てかしらまろめて人だます 寺住のもの僧と思な」
 お会式で拝見するのは極めて珍しいかもしれませんが、大変に重要な御教歌をいただきました。
 本年に入り、如説修行抄に関する御教歌を拝見して参りました。1月の教区御講、2月の月始総講、教区御講、高祖総講と、続けて拝見させていただき、そして、この門祖会を迎えました。
 御教歌の選定には苦慮しました。「妙深寺信徒の誇り、喜び」とテーマの下、お参詣の方々、本門佛立宗に、妙深寺に所属する方々が、何に、「誇り」と「喜び」を最も感じられるのか、さらに、佛立教講は、何を「誇り」や「喜び」とするべきであるか、熟慮に熟慮を重ねて、第一座から第二座、第三座まで説かせていただく御法門の筋、御教歌を選ばせていただきました。それは、門祖日隆聖人の御意をも、いただいたものでなければなりません。
 開化要談九、日扇聖人全集 第13巻234頁。
御教歌の御題。
「真実の僧の寺にあるは宥清寺斗也。当講内には名ばかりの信者を除くべし。」
 そして、御教歌をお示し。
「ころも着てかしらまろめて人だます 寺住のもの僧と思な」
 御教歌に続いて、以下の御指南が続く。
「在家に養われて、その御礼に地獄へおとす也。
悪知識阿蘭若に住む。末法悪世には三類の強敵多く寺に住めり。人を助けるにはあらで、己たすかる也。無道念の者也。
法の邪正は、寺の大小によらず。利生の有無を以てわかつ。
もし力士を撰ばんには、その形の大小によらざるがごとし。
実語経に云く、山は高きに貴からず。樹あるを以て貴しとす。
出家と在家とは、其の形によらず。人を助けたるを以て出家とす。頭を丸めて、衣着たりとて、人を助けぬをば、出家とせず。在家と云ふべし。
猫の鼠取らぬは形のみにて猫に非ず。
(乃至)
妙楽大師に曰く、弘決第二本十丁。
それ出家をば無為の法と為すと。二死(生死名利)の家を出るをまさに無為と名づく。若しかしらを剃るを以て出家と為すと云わば、これ我人に着する也(我は出家、人は在家と着する也)。故に知りぬ、形服は真の出家に非ず(ニセモノ也、ダマシ也)。文。
門祖隆尊上人御撰。本門弘経抄第十九に云。其の形、在家也と云へども得道の者(信心経力折伏の要義を心得たる者)は僧と為す可き也。縦ひ出家僧形たりとも、未得道の者(如説修行信心折伏経力宗の要義を心得ざる者)は俗衆と名づく可き也。以上。
是れ門祖の御教誡也。御門流の出家在家ともに此の御教へを用ひず、従はざる者は、破門すべき也。
されば当講の代諭、諸組の信徒も同断也。」
 以上の御教歌、前後の御指南をいただいて、妙深寺の平成22年度 門祖会 「門祖日隆聖人550回御遠諱 先住松風院日爽上人御13回忌報恩ご奉公 ~信徒大会~」を奉修させていただきました。遠くからお参詣くださった方々、佐久本さん、本当にありがとうございます。高田さん、本当に感謝いたします。
 特に、悦子さん、ありがとうございました。何より、悦子さまのお参詣を御法さまに感謝いたします。妙深寺の教務全員、ご奉公をしてくださっていたみんなが、悦子さんのお姿、お話をお聞きしただけで、ご信心を改良させていただくことが出来た、と口々に感謝していました。
 ここに、お恥ずかしいのですが、清従師が御法門の動画をアップしてくれているので、掲載させていただきます。同期(同時刻のLIVE中継)のウェブ御法門はいいと思うのですが、こういう形での御法門の配信は、あまりいいことだと思っていなかったのですが(汗)。
 でも、まず、妙深寺に所属されておられる方へ。信徒大会の大切な御法門です。ご奉公部署などで弔問できなかった方は、今一度、ゆっくりと聴聞していただきたいと思います。
 ありがとうございます。







2010年2月20日土曜日

妙深寺信徒の喜び

 今日、平成22年度の妙深寺門祖会が奉修されました。
 お参詣者は442名ということでした。毎回のことですが、第一座のお参詣としては多すぎるほどです。明日も、万難を排して是非ともお参詣いただきたいと思います。
 今回の門祖会も、本当にがんばって準備ご奉公をしてくださいました。今朝、徹夜組が映像を完成してくれました。「今朝」といっても、第一座の開始、数分前に出来上がったということで、DVDに書き出すこともできなかったというタイミング。すごいことです。
 結局、DVDには書き出せなかったので、パソコンとプロジェクターをつなげて、そのまま放映しました。少しパソコンの不具合で映像が停止した部分があり残念でしたが、それでも、ここまで映像をまとめてくれたら、何も言うことはありません。ありがとう(涙)。
 今回の門祖会。本年度から始まった今後3年間のご奉公の開始にあたり、妙深寺に縁のあるご信者全員が集まる「信徒大会」として奉修させていただいています。妙深寺の信徒大会ですから、これまでの歴史を振り返る映像が欲しい。そういう話の中で、今回の映像が制作されました。
 本年度からの妙深寺は、初代ご住職・日博上人のご訓示、そして先住松風院日爽上人の佛立魂をもって誓願とさせていただきました。だからこそ、ここで、私たちが「妙深寺に出会えた」ことの有難さ、尊さを、感じていただきたいと思いました。どうしたら伝わるだろう。独りよがりでもいやだ、一方的でもいやだ。御導師方が素晴らしいだけではない。そこには、たくさんの御講師方、ご信者の皆さま方の心血を注いだご奉公があってこそ、今の妙深寺がある。
 妙深寺に受け継がれ、流れているDNAを、みんなに感じていただければと思い、作られた映像です。私は、奉修の前にお控えの間で観ていて、涙が出て仕方がありませんでした。是非、ご覧ください。ありがとうございます。

新しい一週間と勇気

  おはようございます。月曜日となりました。妙深寺境内の紫陽花やツツジが美しいです。 週末の土曜日は5月最後の住職御講、そして100万人のクラシックライブ、ボーズバーでした。リスナーさんご家族の大切なご相談の時間もありました。 日曜日は朝参詣に引き続き2週間後に迫った開導会・先住...