2013年7月31日水曜日

賢治の納豆

明日から8月ですね。早いものです。明日は6時半から月始総講を奉修させていただきます。

花巻のホテルで朝食に並んでいた納豆。パッケージに賢治や銀河鉄道のイラスト。

ほっこりです。

2013年7月30日火曜日

数年分の父親役

岩手県の2日目。今日も宮沢賢治記念館に伺い、昨日の打ち合わせの結果をご報告し、具体的なお願いをさせていただきました。

京都佛立ミュージアムが行う「宮沢賢治と法華経展 〜雨ニモマケズとデクノボー〜」は、「林風舎」と「宮沢賢治記念館」という権威ある方々や団体の協力を冠して開催させていただくことが出来ます。大変光栄なことで、本当に有難いですー。

朝、子どもたちが清耀師にお願いして、記念館の前に田んぼに連れて行ってもらいました。広い広い田んぼの中でアマガエルを捕まえたいと言うのでした。都会の子ですね。見たことが無かったとのこと。

そして、見事に見つけることが出来ました。アマガエルを捕まえて、頭に乗せて大はしゃぎしていました。

こんな大サービスもあって打ち合わせ中はまたいい子に待ってくれてました。何回か無言で会議室に乱入してきたけれど(汗)、副館長さまが優しくてよかったねー。

打ち合わせ終了後、清耀師はフライトの時間まで取材に向かい、私たちは比較的近い場所にある釣り公園へ子どもを連れてゆきました。長男が大きな鯉を釣り上げて、喜んでいました。満面の笑みを見て、本当に嬉しかった。

数年分の父親役でした。クタクタです。車で走り切れるかー。

僕たちのイーハトーヴ

お話をしていて、涙が浮かびました。来させていただいて、お会いできて、本当によかった。

「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」

宮沢賢治の弟・清六氏のお孫さんに当たられ、林風舎の代表として著書もある宮澤和樹さまにお会いして、お話を聞くことが出来ました。

京都佛立ミュージアムで秋に予定している「宮沢賢治と法華経展 〜雨ニモマケズとデクノボー〜」の企画について宮澤和樹さまにご相談させていただきました。林風舎の、素敵な、不思議な、空間の中で、素晴らしい時間が流れました。

この企画を推進してくれている中心人物・福岡清耀師も岩手県まで来て賢治ゆかりの地を取材してくれました。午後、宮沢賢治記念館の近くにある「注文の多い料理店・山猫軒」で待ち合わせました。清耀師と、長男と次男と私で食事をして、佐藤勝館長にご挨拶して、林風舎にお伺いしました。子どもたちは約2時間、車の中でいい子に待ってくれていました。

和樹さんとお話したこと。賢治がなぜ法華経に惹かれたか。賢治にとっての法華経とは如何なるものであったか。不軽菩薩の後を追う賢治。お祖師さまの生死一大事血脈抄の御文と賢治の法号、提婆達多品に解かれた言葉と賢治の作品の中に表れる同じ文章。法華文学。

私たちの説明を静かにお聞きくださり、聞き終わった後にはわざわざ資料を持ってきてくださってお話いただきました。

難しい話をしていたわけではなく、賢治の、その純粋な精神の、なぜ、あんな風に生きたのか、なぜ、報われないでいい、そう思えたのか、なぜ、生き急いだと思われるくらい、あんな風に、世界中の不幸の責任を背負うかのように、その不幸を無くすため、教師を辞め、貧しい農家の人々に寄り添い、童話によって子どもたちの心、思春期の子どもたちに、思いを届けようとしていたのか。

賢治は、お金持ちのサロンのようになっていた仏教の勉強会に、強い違和感を持っていたんです、と。賢治と、お父さんとの議論。葛藤。

有名なお坊さんが来て、裕福な人たちが集まって熱心に仏教を勉強していた。しかし、すぐそばに、貧しく、苦しんでいる農民がいた。そして、賢治は法華経に出会う。法華経の、実践の教え、菩薩行、行動する菩薩たちの教えに、魅了されたのだと。そこにこそ、真実の仏道がある。そこから、求道の日々が始まりました。

結局、法華経とは「行ッテ」という教えなのです。それが、法華経なのです。それが、真実の仏教なのです。テーブルの上、サロンの中にはないのです。

宮沢賢治の短い一生。作品に込められた法華経の精神。

『銀河鉄道の夜』に出てくるタイタニックで亡くなった方々のこと、キリスト教のこと、カンパネルラ、あの切符と御本尊。

早すぎる賢治の死。その遺言。

全部、思いが同じで、だからこそ、泣けました。夜、清耀師と話をしていて、また泣けました。

本当に、運転の疲れなんて一気に飛びました。またとない、貴重な一日を、過ごすことができました。和樹さまから、企画展へのご協力をいただきました。本当に、ありがたいです。ありがとうございます。

賢治が見た、賢治に見えていた、イーハトーヴ。

今でも、本門佛立宗の僕たちが見ている、僕たちに見えているイーハトーヴを、伝えたい。今の、ここが、そこであることを。常寂光土。浄仏国土。娑婆即寂光。生まれ変わり、死に変わり、永遠に続く道、続ける命。

本当に、ゼロから出発したミュージアムでしたが、一つ一つ、階段を上らせていただいています。

すべては一つ。そのことを伝えねば。まずはここから。

終わりの始まりだから、始まりの始まりを。

「願わくばこの功徳をもって普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」

2013年7月29日月曜日

河口湖から花巻まで

早いもので今年は7回忌。6年前の8月23日、あの方は亡くなられました。成田空港までご遺体を迎えに行きました。

昨日、あの大切な場所に、追悼の記念碑を建立しました。300キロを超える立派な石柱に、御題目と追悼の言葉と御教句を刻ませていただきました。

昨日、河口湖に集まったみんなと一緒に、追悼碑の開眼法要として一座のお看経をさせていただきました。南無妙法蓮華経と唱える声と拍子木の音が、河口湖の湖畔に響き渡りました。

昨日は千葉教区の教区御講から直接河口湖に行きました。改良服に袴という姿でこの場所にいることが、なぜか自然でした。正太と、恵治と、河田と、水産高校のみんな。有難かったです。

そして、久しぶりにジェットスキーに乗りました。横浜博覧会の海のパビリオンで6ヶ月間デモンストレーションをした仲間です。ちょっとだけフォーメーションをしたのですが、おじさんになりました。技が決まらない。

御講に長男と次男もお参詣して、彼らを連れて河口湖に来ました。彼らも子どもたちと河口湖を満喫していました。そして、そのまま一人で600キロを運転して岩手県花巻市に来ました。やはり、長男と次男を連れて。先ほど清耀師と合流しました。

これから林風舎にお伺いして、宮沢賢治の弟・清六さんのお孫さんにお会いします。

2013年7月27日土曜日

ツリーハウスの完成記念パーティー

ツリーハウスの完成記念ハウスパーティー。感動のエピソード満載でした。ガラスの間を会場として、清和会さんが手作りのお食事を用意くださいました。妙深寺の歴史に残るツリーハウスの建設ご奉公に従事してくださった方々をお招きして、ささやかながら心のこもった慰労のパーティーとなりました。

本当に、このツリーハウスはすごいです。六角形の美しさ。黒崎さんが資材を購入した業者さんや相談した工務店の方をご招待してくれました。「こんなにすごいツリーハウスが素人に作れるなんて信じられません。すごいです。」と言ってくださいました。また、有難い縁が結ばれてゆきます。有難いです。

先日、大きなスイカが寒参詣のご宝前にお盛物としてお供えされました。長野の石田さんと黒崎さんのお兄さんがお供えくださったとのこと。今日の朝参詣では6時半から玄関の前で清和会さんや瓜生さんがそのスイカを切って、お参詣者の方々にお召し上がりいただいていました。これも、とっても有難いことですねー。

11時からは樋口家の一周忌法要を、13時からは原正雄さんの十三回忌の法要を勤めさせていただきました。それぞれ妙深寺に無くてはならない存在だった方々で、身の引き締まる思いでした。12年前の夏期参詣、大口駅近くの病院にお見舞いに行き、原さんへ最期のご挨拶をしたのを鮮明に覚えています。昭和20年代、原さんは20代後半か30代前半の若さで妙深寺の事務局長になられました。すべてが若かったのですねー。今の三ツ沢に移転できたのも、原さんの大きな功績の一つでした。

15時からはツリーハウスの運営会議でした。新たに生まれた妙深寺の宝物・ツリーハウスを、どれだけ安全に、子どもたちの健やかな成長のために運営できるか、詳細に議論しました。事務局長、教務部、教養会代表、薫化会代表、青年会代表、壮年会代表、施設部も寺務所も、財団からも弘通部門からも出席していただいて、ご弘通に資する、そして教養会の発展に資するツリーハウスであるために、真剣で、活発な議論が行われました。

遊びは、子どもの成長にとって欠かせません。遊びの中から、好奇心や豊かな感性、感情、様々な経験を得て成長してゆきます。しかし、当然ながら、そこには思わぬリクスがついて回ります。ですから、大人としては「リスクとハザード」をしっかりと事前に見極めて、対処してゆかなければなりません。そういう会議が15時からの会議でした。

そして、17時から慰労の完成記念パーティ−。手作りの、気さくな仲間の打ち上げです。それでも、それぞれがスピーチを行い、心から感動しました。ご都合により参加いただけない方もおられました。申し訳ありません。

手作りって、本当にいいですね。お金では買えない価値があります。

本当に、ありがとうございます。

2013年7月26日金曜日

息子の不軽行

アメリカ大使館。無事に用事が済みましたー。

今日のような日は、溜まりに溜まった事務を一気に片付けなければなりません。それでも、デスクを整理していると、次から次にやらなければならないことに気がついて、すぐ作業がスタックしてしまう。困ったものです。

25日、京都佛立ミュージアムは91名の来館者をいただきました。ボランティアの方々、そして現薫師に感謝です。街頭に立って、道行く人に声をかけ、辻説法のようにご奉公くださいました。本当に、有難いです。

25日は「北野の天神さん」と言って、北野天満宮に屋台が並び、たくさんの人が訪れます。ほとんどお参りなどせず、縁日のような感覚で北野に来る人たちばかりなので、この機会に「生きた仏教」を伝えようと頑張ってくれたのでした。

京都に帰っていた息子も下種結縁のご奉公をしてくれたそうです。11才で不軽行のデビューとなりました。現薫師、博子さん、ありがとうございます(涙)。本人は自覚していなくても、積極的に道行く人に声をかけ、ミュージアムのチラシを配って、ご奉公してくれました。昨日、戻って来て、「僕、英語で誘ったんだよ」「頑張ったよ」と報告してくれました。有難いです。

不軽行というのは、市井に出なければ出来ません。人混みの、いわゆる謗法の人たちが渦巻く中に飛び込んでご奉公するものです。お祖師さまは謗法の怖さを教えられると同時に、きれいな池を望んでいたら、蓮の花は取れないよ、と教えられました。飛び込む勇気が必要です。

もっと、誇りや喜びを抱いて、ご奉公すべきですね。自信喪失?内弁慶?そういう誇りが、忘れられているように思います。

本当に、息子にとっても、いい機会をいただくことができました。ありがとうございます。

2013年7月24日水曜日

ミックス定食とプルトニウムの湯気

福島第一原発3号機。数時間で死亡するほど高い線量の湯気。

http://goo.gl/DFHWYL

「東京電力は二十三日、福島第一原発3号機の原子炉建屋五階で湯気が発生した場所の周辺で、最大毎時二一七〇ミリシーベルトを計測したと発表した。人が数時間もいれば確実に死亡する高い線量。3号機はこれまでも放射線量が高く、事故収束作業の足を引っ張ってきたが、あらためて汚染度のひどさが明らかになった。
 3号機原子炉建屋五階では十八と二十三の両日、格納容器の上部と機器貯蔵プール境目付近で、湯気の発生が確認された。
 東電は、クレーンで建屋上部から線量計をつるし、湯気の発生場所近くの二十五カ所で放射線量を計測。毎時一三七〜二一七〇ミリシーベルトを計測した。湯気が出た直近の場所では五六二ミリシーベルトだった。
 東電は、湯気の原因を、雨水が熱を持った格納容器のふたに触れて蒸発したとみているが、原子力規制委員会が詳細な調査を指示していた。
 3号機ではこれまで、格納容器近くの床で毎時四七八〇ミリシーベルトを計測するなど現場の高線量が作業の障壁となっている。
 水素爆発による建屋上部のがれきはほぼ片付けられたが、最上階の五階に近づくほど線量が高い状態。作業員は放射線を遮る重いタングステン板入りのベストを装備して作業に当たる。それでも一人が現場で作業できる時間はわずかしかない。」(東京新聞)

ミックス定食の参議院選挙が終わった。人間の欲、未来より今、他人より自分、イビツなプライド、正常性バイアス、そんなものが入り交じって、原発の再稼働と輸出を進める自民党が圧勝した。民主党の罪の大きさを、深く、強く、感じた参院選だった。乱立し、バラバラなままの野党を尻目に、自民党と公明党が大勝したこと。何とも言えない。みんな、本当のところ、どう思っているのだろう。

総論賛成、各論反対の参議院選挙。上手にそういうミックス定食を参議院選挙。

The plan is agreed in general, but its details are yet to be agreed.

どこを各論として、どこを総論としたか。原発は、ディテイルか。

この国に住みたくない。この国に住ませたくない。あと8年したら、みんな気づくことになる。

そんな言葉を聞く。本当に、悲しい。

吉田所長は、本当に死んでしまった。誰よりも早く。間違いなく、日本の、みんなの危機を救った英雄のはずなのに。事故当事者、数多い責任者の一人として、誰よりも早い死。

2011年11月に入院、12年7月には脳出血、そして食道がんで亡くなった。本当に、そうなのか疑いたくなる。吉田所長の原発事故後の被曝線量は公表されている数値で約70ミリシーベルト。被爆限度(5年間)の範囲内とのこと。「食道がんは発症まで5年以上かかるとされ、病気との関係はない。」との発表だけど、にわかに信じがたい。

「水素爆発では現場にいた全員が死んでもおかしくない状態だった、地獄みたいな状態だった」

「危険を顧みずに何度も現場に向かう部下の姿は、地面から菩薩が湧いてくるイメージだった」

吉田所長の「地面から菩薩が湧いてくる」って、地涌の菩薩のイメージではないのかな。本当に、悲しい。

福島第一原発の3号機はプルサーマル、つまりプルトニウムの含まれたMOX燃料を使っている。その格納容器の上部から出ている湯気。

参院選中は雨水が熱せられて蒸発しただけと説明していた。今日、ほんの数時間で人間が死亡する最大2170ミリシーベルトの線量が出ているとの発表。

愚かな話ではないのだろうか。怖い話ではないだろうか。

ミックス定食の中に入っていた「原発再稼働を進め、原発を止めない」という「現実的な選択」をした人たちは、こうしたニュースをどう見ているのだろう。

http://goo.gl/DFHWYL

2013年7月23日火曜日

京都の長男

今日は横浜開港記念会館で修学塾。夕方から照隆寺さまを会場に神奈川布教区の参与会。

長男が博子さんにくっついて京都へ行ってしまいました。現薫師や裕歌ちゃんにお世話になったようです。京都水族館に連れていってもらった写真を送っていただきました。よかったですー。ありがとー。

妙深寺開導会第一座 長松清潤 御法門

渾身の開導会、妙深寺住職・長松清潤の御法門です。

最近ずっと説かせていただいている、真実の仏教から見た輪廻と転生について御法門をいただいております。

「死して又 々この国に生まれ来て のちにつかへて人をたすけん」

ここが、いま一番大切だと思っているのです。

是非、ご聴聞いただければ有難いです。

ありがとうございます。
妙深寺開導会第一座 長松清潤 御法門



2013年7月22日月曜日

「ツリーハウス完成までのみち」

開導会で放映された「ツリーハウス完成までのみち」です。分かりやすい映像、素晴らしいです。

今年の1月、黒崎さんに無理を承知でツリーハウスの建設をお願いしました。実は、ずっと昔から妙深寺の教養会の夢として抱いていたのがツリーハウスでした。

それを実現してくれたのは黒崎さん。そして、壮年会や教養会のみなさん。黒崎さんたちは、もう家を建てられるのではないかと言って、みんなで感心していました。

こういうビデオが、大事なんですよね。これも、妙深寺ならではの有難いご奉公。随喜は展教することが大事。伝えることに頑張らないともったいないから。


ありがたいですー。


渾身の開導会

昨日、吉田日景御導師のご唱導をいただいて、素晴らしいお天気の下、盛大に開導会を奉修させていただきました。

内容が濃すぎて、書き切れません。いくら書いても、きっとお参詣いただかなければ、分かっていただけないと思うのです。生きたお寺のご奉公、みんなの思いの集大成。

渾身の開導会でした。

ありがとうございます。

2013年7月20日土曜日

夕陽のエレベーター

映画のワンシーンのように、美しい夕陽の中を、近代文明の象徴のようなエレベーターから見ることが出来て、なぜかまた時間や空間を超えて、不思議な驚きや感動をいただきました。

夕陽のエレベーター。好き。

70周年 開導会 第一座


全く暑さを感じない、爽やかな、涼しい風を感じながら、妙深寺創立七十周年・平成の改新・「私と家族と妙深寺」をテーマに開導会第一座を奉修させていただきました。お参詣、誠にありがとうございました。

70年の間には、妙深寺と、日博上人と、先住と、御講師方と、お役中さん、ご信者の皆さま、自分と、家族と、様々な、悲喜こもごも、様々なドラマがあったはずです。今年は、この重みを噛みしめて、ご奉公させていただいております。

お寺には、なかなかいい時には来てもらえません。一般的に考えても、「大学に受かったー!」「子どもが出来たー!」という時に、「よしっ、お寺に行こうー!」とはならない。誰かが亡くなったり、悪いことがあったりした時に、「すいません、お寺さん、よろしくお願いします。」という感じになります。

それでもいいんです。そういう時に、生きたお寺・妙深寺は、日博上人、日爽上人を先頭に、ご家族の様々な問題に立ち向かってゆきました。そうやって立ち向かっていって、そして、みんなで乗り越えて、泣いたり、笑ったりしながら、積み重ねてきた70年間だったはずです。

しかも、哀しい時だけじゃない、日博上人は社会奉仕活動や福祉活動に力を注ぎ、ボーイスカウトを創設。先住日爽上人は着任早々ガールスカウトを創設し、お寺を上げて「運動会」を開催されました。全部、もっともっと、子どもたちのために、ご家族とともに、一緒にできるご信心、生きたお寺・妙深寺であるために行われてきたご奉公でした。それは、「お寺は法事やお墓参りのためにあるんじゃない」「生きている一人ひとりが、家族が、みんなで来るものなんだよ」ということを、表明したご奉公だったと思います。

そうやって歴史を積み重ねてきました。

そして、今日、70周年の開導会で、ツリーハウスが完成しました。これは、妙深寺70年の集大成のような、「生きたお寺・妙深寺」、「私と家族と妙深寺」の、象徴的なモニュメントだと思います。感激です。感動ですー。

辛い時も、楽しい時も、哀しい時も、嬉しい時も、これからも、私と家族と妙深寺として、みんなでご信心、ご奉公させていただきたいと思います。

お参詣も、本堂めいっぱい。またまた、溢れていました。

御法門に引き続いて、「私と家族と妙深寺」をテーマにして、陶山さんご一家と箕輪さんご一家のお話を、ビデオとインタビューを交えてお話ししてくださいました。本当に、有難いお話でした。私と、家族と、ご信心なのですね。

そして、ツリーハウスの完成セレモニーとして大きな「鍵」をいただきました。建設ご奉公に携わった全ての方々のお名前が書かれています。薫化会のみんなの名前も書いてあります。後ほどツリーハウスの中に飾りますね。サプライズとして、私からご奉公者の方々に感謝状をお手渡しさせていただきました。汚い字の手書きにこだわりました。

さらに、「陸前高田 in サマー」のご披露、ビデオ放映。盛りだくさん、素晴らしい開導会でした。


明日、第二座のご奉公です。10時からの奉修です。一人でも多くお参詣ください。

ありがとうございますー。

ツリーハウスのオープニング!!










朝の気温21度、現在も26度。快晴の横浜。これほど有難いことはないです。

ツリーハウスのオープニングセレモニー、紅白の幕や素敵な飾り付け、打ち上げ花火や爆竹まで用意されて、みんなでお祝いしました。

プロジェクト責任者の黒崎さんと一緒に最後のプレートをツリーハウスの柱に打ち付け、まさに完成の瞬間を迎えました。がっちり、黒木さんと握手しました。

みんなでテープカットをして、子どもたちがくす玉を割ると、中から「妙深寺創立70周年 おめでとう!!」と書かれた紙が出てきて、花火が打ち上がり、爆竹が鳴らされて、、、、。すごいなー!ありがたいなー。

第一号として上まで登らせていただき、上からお餅や飴を蒔くという趣向もさすがです。花咲か爺さんようのようになりました。

子どもたちも次から次へと上ってきてくれて、あまりの素晴らしさに感動していました。だって、ツリーハウスの中には、靴を入れる棚や本棚、ロフトまで作られているのだから。窓もトンチとパンチが効いていて、カッコイイんです。

これぞ、佛立ツリーハウス。世界に2つとない宝物が出来ました。ありがとうございます。

2013年7月19日金曜日

夕方

今日の夕方、美しい地球。すぐ近く、家の周りにある美しい世界。

ついにー、ついにー、ついにー、ツリーハウスが完成しましたー!!!

ついにー、ついにー、ついにー、ツリーハウスが完成しましたー!!!

明日、開導会第一座の前にオープニングセレモニーを開催します。

圧倒的な存在感ですー。

生きたお寺・妙深寺の新たなシンボルとして、70年の歴史に刻まれます(涙)。

体調についてご心配をお掛けして、申し訳ありません。何とかチャージして、頑張ります。本当に、みなさんが頑張ってくださっています。

平成の改新により、土曜日、日曜日、それぞれ一日一座制といたしました。第二本堂に60インチのモニターも設置されました。

それぞれ渾身の一座を奉修させていただきたいと思います。

FRYING DUTCHMAN "humanERROR"

参院選の前だから、もう一度、この曲を聴きたい。




2013年7月18日木曜日

ゼーゼー

ゼーゼーが抜けず、戦線離脱。情けないー。

週末は何より大切な開導会。信心と気合が足らん。反省です。

The movie summary of Sri Lanka HBS activity in 2018.

The movie summary of Sri Lanka HBS activity in 2018. スリランカHBSが制作した2018年の活動をまとめた短編映像です。