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2011年1月27日木曜日

ガンバロウ

今年の成人式。青年会が成人を迎えた人たちに、20年前の出来事を綴ったパンフレットをプレゼントしてくれました。20年前のニュースが載せられていました。イタリアワールドカップ、バブル崩壊、日本人初の宇宙飛行士、湾岸戦争とドイツ統合など、いろいろな出来事があったのですが、その最後の行に「ご住職、プロテストに合格」とあり驚きました。そんなん、調べて載せてくれているんだ、妙深寺青年会。恥ずかし。 そう、もう20年前のことです。しかし、最近、感じることがあります。

大学在学中、マイナーなスポーツではありましたが、全日本のシリーズチャンピオンになることが出来ました。忘れられないのは琵琶湖での最終戦。全日本選手権ですが、この大会まで年間のタイトルは2位。ほぼ年間チャンピオンは決まっていました。しかし、一年間戦ってきたのですから、どうしても勝ちたい。そんな気持ちを抱いて、レースに出ました。しかし、スタートしてみると、やはり私は2位。周回数は約10周。周回を重ねてもなかなか抜くことが出来ません。体力も限界で、ずっと、後塵というか、引き波を受けながら2位に付けていました。
琵琶湖には魔物がいます。周回を重ねていくと琵琶湖の湖面は三角波が出て走りにくい。辛い。疲れた。もうダメだ。足がつり、腰は鉄板を入れたように動かなくなります。当時、右肩が脱けてしまう癖があって、その怪我を抱えてレースに出ていました。「もうダメかな」「二位でもいいかな」。そんな気持ちになっていました。
でも、その時、見えたのです。先頭を走る選手が、腰を伸ばす姿が。「あいつも、疲れている。負けてたまるか」と思いました。一瞬のことだったと思いますが、最終回の最終コーナーで、フラフラっと空いた内側をすり抜けて、ギリギリのところで1位になり、年間のポイントも逆転し、総合の1位となりました。フリースタイルでも年間チャンピオンになることが出来ました。
そうして、プロになってから、何か目標を見失いました。先住にプロテスト合格を報告した時、こちらを振り向くこともなく、「お前は、たかがジェットのプロか。俺は人間のプロだ。悔しかったらなってみろ」と言われました。庫裡の二階、階段の上の左側の部屋でした。忘れられません。そう、「プロ選手か、すごいな」と言って欲しかったのですが、こんな返答でした。
最近感じることというのは、私は、こうしてプロになり、いろいろな人と出会ってきました。厳しいビジネスという戦場で、不思議なほど人との縁に恵まれて、今日まで来ました。そして、その当時の方々が、この寒参詣にもお参詣してくださっている。こんな不思議な、こんな有難い、こんな素敵なことがありません。
先日、ある青年に昔からの先輩や仲間を紹介しようと声をかけさせていただき、平日というのにお時間をいただきました。匆匆たるメンバーで、日本の経済やメディア、ファッションや様々な流れを担い、作っておられるすごい方々だと、あらためて痛感しました。その方々が、ご家族と共に、妙深寺にお参詣くださっている。それが、どれほど、ありがたいか。ここまで、つながってきている、ほんとうに、何とも言えない、ありがたさ、あたたかさが、こみ上げてきました。

裏も表もなく、自分のすべてを見てきた、古くからの友人たちがお教化になり、いま、みんなで一緒にご信心、ご奉公できていることこそが、私自身の今日までの人生と信心を証明する、最高最大、うれしいことだと思っています。「教務として」「住職として」の前に、自分の友人たちにご信心をお伝えできるようでなければ、まずそのご信心はニセ物だと思いますから。幼なじみ、小学校時代、中学時代、高校時代、大学時代、スポーツの仲間、ビジネスの中で出会った方々。本当に、いま、みんなに感謝です。恩返ししないと。自分のできることを、精一杯しないと。
本当に、ありがとう。ナガマツ、もっと、頑張ります。

2010年9月5日日曜日

タヒチアンダンス

今日の敬老松風大会、無事に、盛大に終わりました。本当に、ご奉公いただいた皆さま、ありがとうございました。
老若男女が集い、どっちがどっちにしている、ということでもなく、みんなで同じ目線で心から楽しみ、楽しませようとする。それが、この末法の中では、とても大切で。こうした、生き生きした雰囲気、自由で温かい空気を大切に育てたい。
この「空気」を守るのが住職としての私のご奉公なのだと、先住に教えていただいているように思います。そのことを、今の事務局幹部の皆さまは、よくよく分かってくださっているのだと思います。
もちろん、妙深寺の真骨頂である凜とした佛立魂、ご弘通への気迫は、先頭に立って守ってゆきます。おもろーいことも、かたーいことも、きびしーいことも、「生きたお寺」として頑張ります。
さて、今日の敬老松風大会のフィナーレは、愛海ちゃんのタヒチアンダンス。わーい、わーい。すっごーい。すごいプログラムだなー。
 愛海ちゃんは16才。実は、海の時代からの僕の友人、田島のお嬢さまなのです!!タジー、こんな可愛いお嬢さんがいて、幸せ者めー!しかも、タヒチアンダンスって。それはフラとは違うのね。ポリネシアンダンスと同じく情熱的で綺麗なダンスでした。お寺の中で、これ以上の腰の回転はまずいのではないでしょうか(汗)と思うくらい(笑)、プロ並みのダンスでした。事実、タヒチアンダンスの大会にも出場しているようです。すごい、愛海ちゃん。
お父さんの田島くんはジェットスキー時代からの友人。私が仕事をしていた頃、一緒にやろうじゃないかと声をかけ、徹夜などは当たり前の恐ろしい生活を強いました。プロデュースなどと言えば聞こえはいいですが、何でも屋のようなもので、彼は朝から晩まで、馬車馬のように働かされ(笑)、それでも絶対に音を上げず、コツコツと仕事をしてくれました。
田島がいたからこそ成立した仕事がたくさんありました。彼は、今では立派なプロデューサーです。番組からイベント、タレントさんや選手のマネジメントまで幅広く仕事を任せられる、多くの人から信頼される人間になっています。すごいです。うれしいです。
 そんな彼と奥さんの千晶。いろいろなことがあり、今年の初夏から妙深寺にお参詣するようになりました。誰よりも千晶がエライ(笑)!!家族全員で、妙深寺のご信者さんとして、お参詣やご回向を真面目にしていて、僕から見ても感心します。仕事の上では、負担や迷惑もかけた田島が、こうして、いま、またご信心のご縁で結ばれて、ご奉公させていただけるなんて、本当に嬉しいよ。本当に、田島、千晶、ありがとう。
田島と千晶の一人娘・愛海ちゃんが披露してくれたダンス。大会前の度胸試しとしてやってくれたそうですが、よくぞ、やってくれました。いい娘だもんね、愛海ちゃん。思春期バリバリだと思うけど、とても16才とは思えない大人の色気があったなぁ。心配になりました(汗)。愛海、悪い虫が付かないように、ご信心に励みなさい(笑)。
とにかく、愛海の素晴らしいダンスで最高潮に盛り上がり、松風大会はフィナーレを迎えました。こんなに素敵なご奉公を積み重ねてゆくことが大変だけど、本当に、皆さまのおかげです。
ありがとうございます。

2010年8月14日土曜日

HAYAMA

 今日は妙深寺青年会のサマーセミナーです。
 朝参詣をして、御法門を聴聞して、みんなで葉山に向けて出発します。あ、もう出発したかな?総勢50名で葉山の海へ。大丈夫かな(汗)。
 葉山は、若い頃の思い出がいっぱい詰まった場所です。綺麗な海です。内緒のピーチです。
 今日は、妙深寺の若い子たちからの強いリクエストによって、あの海に出掛けます。青年会のみんなが楽しい時間を過ごして、少しでも信友との絆を深めてもらいたいと思っています。
 実は、私にはもうプロだった時のような体力は残されていません(涙)。先日、ちょっと乗ってみたら現役時代と同じように乗れた気になっていましたが、翌日から足がガクガクしてしまった(汗)。万全を期すために、ビーチにいる若い後輩たちに体験ジェットスキーなど、お任せしたいと思います。海は、時にとても厳しいから、油断できません。
 嬉しいことに、今日は昔からの仲間もサポートに来てくれます。久しぶりに若い頃の友人や先輩にお会いできるかもしれませんし、楽しみです。とにかく、友人たちが、頼りになります。
 ありがとうございます。いってきます。


2010年5月25日火曜日

お久しぶりです(涙)

 今日は、久しぶりのお客さまがお寺に来てくださり、もう、感激、感謝、感謝でした。
 植山さんとは、私が仕事をしている当時にお会いして以来、本当に不思議なご縁でお付き合いをさせていただいております。一緒にテレビ番組を作らせていただいたり、本当に楽しい時間を過ごしてきました。そして、不思議と、その当時だけではなく、こうして今までお付き合いくださっています。もう、私が住職になって10年になろうとしているのに、忘れずにいてくださるだけでも有難い。
 その人間性が魅力です。明るくて、前向きで、不屈の精神力を持ちながら、優しい、思いやりがある。そして、人生を心から楽しんでおられる。
 大尊敬するビジネスマン。伝説的なソニーの井深名誉会長、盛田会長、大賀社長らの直弟子、イギリスのソニーで長らく販売部長としてお仕事をされておられました。そんな植山さんに私がお会いしたのはもう10年以上前ですが、今日お会いしてビックリ。まったく年を取っていない(汗)。65才ということでしたが、信じられないなぁ。元気ハツラツ!でした(笑)。
 先日、お寺に寄りたいというご連絡をいただき、今日はビジネスパートナーの加藤社長とお二人で妙深寺にお参詣くださいました。14時からじっくりと2時間。あっちに行き、こっちに行き、私の話が脱線気味で申し訳なかったのですが、久しぶりに植山さんにお会いした緊張と、優しく、品のある加藤社長とお会いして、調子に乗って話をしてしまいました。すいません(涙)。
 それにしても、植山さんはすごい方なのです。この御縁をいただいたのも、本当に、おはからい、お導きだったと思います。

 嬉しかった思い出は、僕が大好きだったリチャード・ブランソンと会食をさせてもらったことでした。植山さんとお会いする前、私はある本に出会い、その著者であるリチャード・ブランソンという人物に憧れました。屈託のない前向きな明るさ、不屈の精神力、チャレンジ・スピリット、どれもこれも型破りで、おもしろい。今でこそエリザベス女王から「Sir」の称号をもらっていますが、若い頃は全くつかみ所のない、ムチャクチャな若者でした。
 しかし、そんなムチャクチャな彼が、途方もない夢を現実にしてゆく。世界を変えていきます。私は、彼に魅了されて、彼の本を大切にしていました。
 そんな自分が植山氏に出会ったわけですが、その、憧れのリチャード・ブランソンとは大変なお友だちで、私が大切にしていた本、「ヴァージン・僕は世界を変えていく」の翻訳は、何と植山氏がしていたというのです。まさか。信じられませんでした。
 実は、家に帰って、自分の大切にしていた本を見てみました。確かに、本の表紙に翻訳者として植山さんの名前がある。ありゃりゃ、ほんまや、と。
 そして、それ以降も、植山さんはこんな若造にお付き合いくださっていたのですが、ある時、リチャードが日本に来て赤坂で食事をする、一緒に食事をしようよ、とお声をかけていただきました。本当に、こんな機会を与えていただくとは思っていませんでしたから、感激しました。
 それ以降も、いろいろと勉強させていただきました。いつも、植山さんから勉強させていただきました。今日も、勉強させていただきました。生きてこられた年輪が違うのは当然ですが、実際に世界を舞台に活躍してこられた方から学べるなんて、幸せです。
 植山さんには、いつも大切な機会を与えていただき、感謝しか浮かびません。これからも、末永くよろしくお願いいたします。デレデレの写真で恥ずかしいのですが、ブランソンと食事をし、握手をしながら撮った写真は宝物です(涙)。
 宝物のような彼の本に、彼から自筆のサインもいただいて、これもうれしかったなぁ。いつも書いていますが、一人が変われば世界が変わる、を実際に体現したような人の中の一人だから。「僕は世界を変えていく」ですもの、サブタイトルが。今では宇宙旅行の会社をやってるし、すごいです。ヴァージン・ストアでは買い物をしたことがありますが、ヴァージン・アトランティック航空は高級すぎて乗ったことがありません(涙)。
 とにかく、久しぶりにお会いできて、うれしかったです。ありがとうございます。

2009年12月7日月曜日

サルヴァトーレ・クオモ

 眠いです。なかなか、昨日の夜は眠れませんでした。困ったものです。

 12月の御講が半分終了。今日、月曜日からは京都でのご奉公です。ブラジルではサンパウロの日教寺で幹部会が行われているであろうし、スリランカでも福岡御導師と石川建信師が来られる準備で慌ただしくご奉公くださっていると思います。世界各地で、佛立菩薩がご奉公くださっていることが嬉しいですね。

 それはそうと、今月の御講で素敵な歌を聞かせてくれました。神港教区の御講、高島さんからのお話しでした。11月、大阪の良風寺に横浜の妙深寺のご信者さん約40名がお参詣をさせていただきました。まず、京都に入り、国立博物館で開催されていた「日蓮と法華の名宝展」を見学。その後、夜は京都で会食し、大阪の良風寺にお参詣されたのでした。

 実は、高島さんは日曜日にどうしても外せない予定が入っており、良風寺にはお参詣できなかったとのことでした。しかし、日蓮展に行こうと思って新幹線で京都駅に到着したところ、団参の皆さんとお会いしたと。そして、そのまま合流されたとのこと。夕食も一緒に食べていただいたということでしたが、ここで飲まれた白いワインがとても美味しかったと(笑)。そういうことを、ご披露してくださいました。ですから、出来上がった歌が下記のようになったと言っておられました(笑)。

 「京の夜 日蓮展と白ワイン」

 御講席、みんなで和気藹々、楽しく過ごしました。しかし、この「白ワイン」にも不思議な御縁があります。ある日、深要師が団参についてお話になっているのを何気なく聞いていたら、「サルヴァトーレ・クオモ」という言葉が飛び込んできたのです。「え?サルヴァトーレ???」とビックリしました。なんでサルヴァトーレの名前が出てくるんだろう、しかも、あの(笑)、深要師です(笑)。

 「サルヴァトーレ・クオモ」というのはイタリア人のシェフで、全国に、いや中国にもまでイタリアン・レストランを展開している今一番乗っている押しも押されもしない人物です。日本には関東、中部、関西に店舗があり、すごい。そのレストランの名前?人の名前を、まさか深要師の口から聞くとは思っていなかったのです。

 「ねぇ、深要師、いまサルヴァトーレ・クオモと言いましたよね?なに?どうしたの?」と聞くと、「え?あぁ、今度の団参の夕食の場所です。選んでくれたのが、京都の伊勢丹の上にあるそうですね」と答えてくれました。ビックリ、驚き、本当に。

 サルヴァトーレ・クオモ氏とは、私が仕事をしている期間にお会いしました。今では妙深寺のご信者としてお参詣くださっているI氏と番組を制作させていただいている時、イタリアン・レシピのコーナーをしていただいており、一緒に沖縄にも行ったのを思い出します。忘れられないのは、マツモトキヨシのご子息をお連れして大きなイベントの説明を行ったのもサルヴァトーレのレストランでした。社会に出ていた期間の、I氏やひろし君との思い出が詰まっていました。突然、この名前をお寺で聞き、しかも、大切な妙深寺のご信者さんがサルヴァトーレ・クオモに行く、そこで食事をされる、何という御縁だろう、と驚いたのです。

 早速、ひろし君に連絡しました。ひろし君からサルヴァトーレのお店に連絡をしてくださり、そのお店側が好意で用意してくれたのが、高島さんが歌にしてくださった「白ワイン」だったのです。高島さん曰く、「もう美味しくて、美味しくて、今まで飲んだ白ワインの中で、本当にはじめて、こんなに美味しいの飲んだことないっていうくらいでした」とのこと。高島さんはイタリアにも行ったことがある方なのに、こんな風に言ってくれるなんて、本当にうれしいですね。

 御縁は、不思議です。いろいろな方との御縁が、いま生きて、目の前に。ご信者の皆さまにお喜びいただけて、本当に嬉しい。いま、こうした御縁が、私を助けてくれていることに、本当に感謝しています。ありがとうございます。

 そう、ちなみに、高島さんから「ご住職御用達のイタリアン・レストラン」とありましたが、私はこんなに成功してからレストランに行ったことはありません。ましてや、残念ながら京都の伊勢丹にあるレストランなどに行ったことはありませんでした。別の友人の富士山溶岩浴のお店が三条木屋町に開店し、その近くに開店したサルヴァトーレのピザのお店が開店したので、寄らせていただいたことはありますが。

 とにかく、嬉しいです。ひろし君やIさんのおかげです。本当に、素晴らしく美味しかったようで、よかった。つくづく、私は、人生で一番大切なのは「目的」だと思います。ご信心をしている者は、「ご弘通のため」という思いがあれば、どんな仕事でも、不思議な御縁をいただいてゆくと確信しています。一生ものの御縁が、ご弘通を志している者だからこそ、御法さまからのサインをいただいて、道が開けていったり、素晴らしい人と出会えたりする。お仕事をしている「目的」はなにか、よく考えてみる必要があると思います。一度、試しにでも良いので、「ご弘通のため」と考えてみてもらいたいです。突如、サインが現れてくるはずです。

 ありがとうございます。

2009年10月28日水曜日

角煮

 古い友人から電話があり、楽しかった。彼とは高校時代からの仲間で、大学時代もそれ以降もずっと仲間だった。
 時々ブログを見てくれていると聞いて嬉しくなった。励ましてもくれる。そんな、言葉がうれしい。ただ、「お前のは長い(笑)。毎日角煮出されてるようなもんだ(笑)。コラーゲン、もういいよって感じ(笑)」と言われて苦笑い。でも、短くできないんだ(汗)。
 とにかく、友だちはいいな。仲間はいい。あいつらに負けないためにも、頑張らないと。奴らに恥じるような生き方は出来ない。

2009年7月10日金曜日

ありがとうございます。

 クボヨウコさんの御祈願をいただき、ありがとうございます。

 たくさんの方が、こうしてブログに書いただけで御祈願をしていただけることに、心から感謝しています(涙)。妙深寺だけではなく、遠くのお寺の方にまで(涙)。きっと、病床の彼女に届いている。そう確信しています。

 名前を呼び、御題目をお唱えする。このことしかできない状況です。昨日、その連絡があって、急遽お寺に戻り、14時からお看経をさせていただきました。ずっと御題目をお唱えしている中で、元気な頃の姿が頭に浮かびました。昨日は、ヨウコさんのご主人が夢に出てきました。

 僕は、一時期お寺を離れました。どうしても社会で学ばなければならないことがあると感じて、御住職と執事長に無理をお願いをして、なかば強引に、それでも温かく見守っていただいて、お許しを得て社会に出たのです。会社を経営されている方からの言葉。「清潤師、僕たちは社会でギリギリのところで生活している。ご信心、ご信心と言うが、仕事は仕事、信心は信心なんだ」。

 そう言われて、私は圧倒的なショックを受けました。スポーツの世界でプロとなり、いろいろな経験を積んできたと思っていたが、すでにご信者さんと教務さんの間に大きな溝が出来ているのではないかと思ったのでした。いろいろなご利益談を聞いているが、実際には、今はお教務さんはお教務さん、ご信者さんはご信者さんというような、暗黙の溝があるのではないか、と。

 ここで書くようなことではないけれど、私は教務として「信心は社会でこそ活かすもの」ということを証明したくて、御住職にお話しをして、仕事をさせていただくようになりました。先輩を頼り、友人に頼み、横浜駅近くの小さなオフィスで、小さなデスクに向かい、見よう見まねで企画書を書き、少しだけ伸びてきた髪の毛のまま、営業に出掛けたのでした。忘れもしないのは、企画書を書いて、飛び込みでランドマークタワーにあった三菱地所まで営業に行ったこと。途方もないことでした。

 結局、最初こそコンビニのおにぎりを食べ続けていた貧乏生活でしたが、年末にフジテレビの正月特別番組の仕事を取ることが出来て、そこから怒濤のようにお仕事をいただけるようになり、不思議な御縁をいただいて、あっという間に仕事は増え続けました。あらゆる分野の方とお仕事をさせていただくようになり、不思議な御縁に恵まれていたことに今でも毎日感謝しています。本当に、恵まれていました。

 横浜の小さなオフィスにいた頃。コンビニ弁当を食べ続けて、夜は徹夜で仕事をして、何とか仕事を手にしようとしていた時、右も左も分からない馬鹿な坊主に、お弁当を作ってきてくれて励ましてくれたのが和姉。その和姉のお友だちの一人がヨウコさんで、今回の御祈願の連絡をいただいたのも和姉からでした。

 会社が順調に滑り出して、年を経るごとに事業の規模が大きくなっていく中、伊藤忠商事との大きな共同プロジェクトが始まりました。スポーツ専門テレビ局での仕事。そこに至るまで、すでに事業の規模は広がり続けていましたが、決定的な仕事になることは間違いなく、そこに全てを注力しようということになりました。青山にある伊藤忠商事の本社、その二階での仕事がはじまり、翌年には新会社を立ち上げ、新社屋に移転し、遙かに大きな規模で事業を開始することになりました。その前後、前田会長の旧知の久保さん、そして奥さまのヨウコさんが、この事業に加わってくれることになったのです。多くの大切な、そして優秀な方々も、ここで一緒に仕事をすることになりました。

 あの頃の御縁、そこで一緒に時間を過ごし、一緒に仕事をしてくれた方々。ヨウコさんは会社の経理をしてくださっており、本当にいつもやさしい笑顔で迎えてくれました。実際、私は仕事を辞め、お寺に戻った後でも、それは変わらなかった。何かの用事で会社に顔を出すことがあっても、ヨウコさんはいつもと変わらない笑顔で迎えてくれました。そんなことを思い返して、本当に久しぶりに思い返して、ヨウコさんの回復を祈って、お看経をさせていただいていました。

 すいません、いろいろなことを書きましたが、とにかく、いまヨウコさんには生きて欲しい。なんとか、生きて欲しい。御祈願、本当にありがとうございます。よろしくお願います。

2009年6月5日金曜日

夜叉が出る

 子どものことばかりで申し訳ないが、ゆっくり机に座っている時間がなく、あまり考えずにブログに書けることというとそうなってしまうので、お許しいただきたい。
 なにせ、最近は、もし書くとすれば、厳しい言葉を使いたいほど、思うところがある。佛立信心を分かったつもりになっている人の、言葉を聞いたり、見たりすることは、本当に耐え難い。明らかに、開導聖人が大嫌いであろう人が佛立を語る。言いたい放題な様を見ていると、また夜叉が顔を出しかねない。
 ということで、息子の泣き顔。次男は、いつもおでこをぶつけて、たんこぶをつくっている。傷だらけ。長男もそうだ。頭だけで9針と5針、腕を5針と、怪我をしてはお医者さまのお世話になっている。次男も暴れてはどこかにぶつかり、泣く。顔をクシャクシャにして。まぁ、仕方ない。
 いつも思うが、子どもたちが手に負えないのは仕方ない。自分がそうだったのだから。これからが本番だ。今は「ご住職!」などと言っていただいているが、本当に申し訳ないほど素直ではなかった。中学、高校と、母はいつも学校に呼び出されていた。高校時代の大崎の階段。思い出す。私は学校から帰るために大崎駅までの階段を下りていく。母親が下から上がってくる。なにをしに?学校に呼び出されて。へー、よろしく、と。苦労ばかりかけている。今でも。
 こんなことを住職が書いていいのかと思うが、事実なので書く。警察署の4階で待っていた時。ずっと、座らされていて、母親を待っていた。1時間か、2時間後、階段の向こうから母親が上がってきた。階段の踊り場から、こちらに来るまで、頭をペコペコ下げながら「申し訳ありません。申し訳ありません」と言って小走りに。本当に、なんという奴。どうしようもない。
 一緒に家庭裁判所。二人並ぶ。目の前に、裁判官「お父さまのお仕事は?」、私「…」、母「お寺の住職です(涙)(汗)」と。本当に、面目なかった。申し訳なかった。
 こんな人間がスポーツに出会って変わったのだが、それでも、真面目なお坊ちゃまとは程遠い。妙深寺の方々も、よく耐えてきてくださった。だからこそ、どんなところでも物怖じせず、身体を張ってご奉公させていただかなければならないと思っている。しかし、あまりに理不尽で、偉そうで、口先だけで、根性もないのに隠れてコソコソものを言い、人の悪口を言い、愚癡を言い、という姿を見ていると、夜叉が出てくるなぁ。「おい、顔を貸せ」と言いたくなる。ダメな住職だ。信心修行が足りん。そんな未熟な人間です。信心改良、お看経をいただいて、精進します。
 あー、やはり書いてしまった。子どもの話だけをするつもりだったが。

2009年5月23日土曜日

横浜から神戸へ

 三都物語。京都、神戸、大阪。この3つの都市は「三都」と呼ばれて、観光を呼びかけている。
 神戸も港町。横浜も港町。昨日は、午前中は横浜で教区御講のご奉公。初めて伺うお席で、お母さまからのご信心を受け継ぎ、しっかりと御戒壇を建立された方。お孫さんと一緒に「折り鶴」を作ってご供養のお膳に乗せてくださっていた。そのお志が嬉しい。
 御講席から戻り、支度をして京都、大阪へ。大阪から20時過ぎに名古屋。そのまま名古屋に宿泊させていただいて翌日早朝に佛立寺へお参詣。今日は、朝から佛立研究所主催の公開講演会。新潟大学大学院の阿保徹教授に講師をお願いして、健康と免疫、人はなぜ病気になるか、どうすれば病を防げるか、病に打ち克つ方法とは、をお聞きし、私たちのご信心に照らして、学ばせていただこうという講演会を開催させていただいた。多くの方に参加をいただいて、大変盛況だった。
  講演会が終了すると在来線で名古屋駅へ。そこから神戸に向かう。明日は福岡御導師から神戸香風寺の奉修導師のご奉公を仰せつかっており、緊張の中ご奉公をさせていただかなければならぬ。慌ただしいスケジュールであるが、何とか精一杯ご奉公させていただきたい。新型インフルエンザの渦中、妙深寺からも団参者30名が神戸に向かっている。世間は神戸を避けるが、立正安国論上奏750年御正当の年、いろいろある。それに負けてはならぬ。
 一昨日、横浜の港の近くでご奉公だった。神戸の港もいいが、横浜の港で感慨深く、山下公園まで歩いてみた。
 横浜では、いま新型インフルエンザ発生の影響で集客が心配されているが、開港150周年の記念イベントが行われている。その一事業として進められていた「横浜マリンタワー」の改装工事が終わり、23日からの開業を目前に控えている。装い新たなマリンタワーは、外装を銀色とブラウンオリーブのシックな色合いに化粧直し。僕らが見て育った赤と白じゃないけど、まぁ、残ってくれたのだから文句は言うまい。
 このマリンタワーは、1959年(昭和34年)の開港100周年記念事業として建設された。61年にオープンして横浜港の名所の一つとなった。中学生だったか、高校生だったか、僕も上った。友だちと山下公園、マリンタワー、港の見える丘公園で遊んだ。元町は、ちょっと大人の雰囲気で、敷居が高かった。大学に入ってから、元町の裏側でたむろするようになったが。
 このマリンタワーは、みなとみらいが出来てからは観光客が遠のき、入場者が減少した。廃業、取り壊しの声もあったが2007年に横浜市が買い取り、昨年3月から改装を進めていた。きれいになってうれしい。横浜。
 この前、京都で過ごしている時、映画『蒲田行進曲』を観た。もう、大好きな映画。日本最高の映画じゃないかな。懐かしくて、懐かしくて、資料づくりを中断して思わず全部観てしまった。
 銀ちゃん、いいなぁ。やんちゃな頃の自分をフッと思い出す。いや、今でも、時々、あんな理不尽なこと言ってるかも。調子に乗りやすいし、孤独だし。
 ヤス。彼は、もう最高だ。「コレが、コレなもんでぇ。」このセリフは高校時代に流行った。あの田舎に小夏さんを連れて帰るシーン。忘れられない。
 その優しいヤスが結婚して変わっていって、階段落ちを受けることになって部屋で暴れる。理不尽に暴れ続けて、愛する小夏さんを泣かせる。泣かせて、自分も泣いて、ボロボロになって言うセリフ。
 「前はね 平気だったのよ。何言われてもね。ヘラヘラヘラヘラ笑ってやってきたのよ。それが どうしちまったんだろうね 俺・・。・・・お前の事をね…、好きになればなるほどね…、悲しいんだよなぁ、この心が・・・。お前とね、一緒に生きていこうと思えば思うほどね、切ないんだよなぁ、この胸が・・・。お前とね、離れられなくなればなるほどね、苦しいんだよなぁ、身体中が・・・。どうしちまったんだろうね、俺・・・。ほんとに・・・。」
 もう、永遠の名台詞。忘れられない。「わかぁるぅ」と叫び続けていた。変な住職だが、本当に大切な何かを言い得ている。松坂慶子さんも素敵。声が本当に素敵。この蒲田行進曲を観ていると、思わず小夏さんの姿に涙してしまう。
 で、この蒲田行進曲で使われていた曲が、桑田佳祐作詞・作曲の『恋人も濡れる街角』。そう、横浜をテーマにした歌。マリンタワーを見ながら、思わずその曲を口ずさんでいた。「横浜じゃいまぁ~」とか「港の街にぃ~」、「あぁ~、時折雨の降るぅ~、馬車道あたりで待っているぅ~」とか。ありがたい。

2009年4月4日土曜日

夜桜と同窓会

 昨夜、妙深寺の桜の下で、10年ぶりの同窓会。

 30名ちかくの友人たちが、高知や大阪、名古屋からも駆けつけてくれた。本当に、懐かしく、嬉しく、心から良い時間を過ごすことができて、感謝でいっぱいになった。

 ここにも書いたように、ちょうど1ヶ月前、後輩を失った。そして、同じ時期に高校時代の友人を失った。もう、あれから20年も経った。いろいろなことがあり、いろいろなことを抱え、それぞれの人生を歩んでいる。あの頃、いつも一緒にいて、語り合い、笑い、泣き、喧嘩もしたし、ぶつかりあった。スポーツが中心だった。海の仲間だった。バカで愚かなこともたくさんしてきた。

 振り返ると、いろいろなことを思い出す。思い出せる機会をつくっておかなければ、40を越えて、大切なものを失いそうで。とにかく、この10年ぶりの機会に、集まってくれた友人たちに感謝だ。

 若い頃の自分を知っている人間は、どれだけヤンチャだったか知っている。妙深寺で、ナガマツが何をやっているのか、どんな生き方をしているのかを少しでも知ってもらえたら嬉しい、と思った。ESPN時代、interproの頃の先輩や後輩も集まってくれて、もう言うことはない。ありがたかった。仲間は、何物にも代えられない大切なものだと、つくづく感じた。自分の人生の証人たちだから。過去にも責任を持たなければならないし、いま恥ずかしい生き方をしていたら怒られる。

 それにしても、みんな年をとった。集まれば、あの頃と同じように冗談を言い合い、腹の底から笑い、近況を報告し合う。若いつもりで話をしていたが、顔には皺が刻まれている。高知から駆けつけてくれた久くんは、大学時代から僕の友人。女房役のような存在で、自分のたずなを握ってくれていた。いつも一緒にいた。ジェットスキーのプロになって以来のメカニックを勤めてくれていた石崎パパも来てくれた。仲間の名前を挙げたらきりがないが、名古屋から土手鍋を持ってきてくれたヒロコも、小学生のお嬢さん二人と一緒に来てくれたし。軽自動車に鍋を積んで、東名を走ってきたって。すごい。

 大阪からは陶。千葉からサトウ。前田さんも突然駆けつけてくれて、胴上げ。和姉も、行も。タワーレコードのキタガワも当時の曲をCDに焼いてきてくれたし、IBMのジュンくんも、オークリーにいるマサも、ノリさんも、ヒロだって。鎌倉からコウジロウも、山井も。エンザンも山梨から駆けつけてくれた。みんな懐かしかった。ごめん、名前、ちゃんと全員出せるかな。とにかく、30名だもん。

 そして、その中枢にいた、ケイジ、カワダ、正太。相変わらずだな、俺たちは。笑って、笑って、語れたのが嬉しかった。伏見のゲンクン師からも、松戸からも、温かい贈り物が届いた。本当に、なにもかも、ありがたい。

 当時、「オヨヨ・トリオ」として名を馳せた美女軍団も来てくれて、アラフォーなのに相変わらず綺麗でした(汗)。とりあえず、そう言っておかないと怖いので(涙)。とにかく、素晴らしい時間だった。

 これから、もっともっと自分の生き方を貫いて、頑張らなければ。みんなに申し訳ない。友人たちに笑われないように、これからも友人たちに自分の生き方を共感してもらえるように、頑張りたい。

 当時、頼りない、だらしないキャプテンだったが、本当に集まってくれて、ありがとう。

2009年3月24日火曜日

父との朝食

 昔、父と来た。小学生だっただろうか。父と一緒に朝ご飯を食べた。それは、忙しい父と私の思い出の中では画期的なことだった。
 今でも鮮明に覚えている。朝食。
 父との思い出は極めて少ない。普通の家族が羨ましかった。家族で出掛ける。家族で食事する、等々。そんな思い出は、残念ながら少ししかない。いつも父はご奉公で忙しく、家族で仲良く週末を楽しんでいる友だちから話を聞くと、なんて贅沢なんだろうと思ったり、そこまでは思わなくても自分の家庭にはないなぁと思ってみたりしていた。
 父が不在。母も千鶴子叔母さんの介護や祖父母の看護などで家を空けるようになると、いつも待ってくれていたのは妙清師や戸塚のおばあちゃん。ヒコちゃんや樋口さんも夕食を作ってくれたり、洗濯物をたたんだりしてくれていた。子どもの頃、家に帰ると父はいない。そういう雰囲気で、週末はなにをしてたんだろうな。記憶がないわ。
 そんな親子関係だったが、心の底から父を尊敬し、母を愛していた。それは、やはりご信心のお陰。何のために忙しいのか、子どもながらに分かっていたのだと思う。たくさんの方が家に来られて、二階の部屋で父と話をする。お茶を出す母。そして、泣きながら相談をしに来られた方の話を聞く。そんな両親の姿を見て、部屋の中での会話に階段の下で耳をそばだてていた。ある時、相談に来られた人が帰り際に「お父さんみたいになってくださいね。救われました」と言ってくださった。そんな思い出の断片。
 息子と私の関係も同じようなもの。時間はない。世のお父さん方より一緒に遊ぶことも少ないと思う。しかし、今回は、ほんの一晩だけだが、ゆっくり一緒の時間を過ごした。朝、数十年前に父と私が食事をした同じ場所で朝食。息子は何気なく過ごしていたけど、自分と同じように、大きくなって、父を失ってから思い出すかな。少ない父親との時間の中で、「あぁ、あの時、朝ご飯を、オヤジとあそこで、食べたなぁ」、とか。

2009年3月21日土曜日

桜の下で待ってます

 今日はとても暖かかった。
 夕方、桜を見に行くと、一輪、二輪、あれ、あっちも、ほ~、こっちもかぁ、と咲き始めていた。本当に、開花宣言の通り。全速力で桜前線が北上してきたんだなぁ。京都の伏見では、たった一日で満開になってしまった桜もあるというし、これは一大事。前回紹介したワシントンの連邦議会前の桜も開花したとのこと。見ごろは4月1~4日。「桜祭り」では黒人演歌歌手ジェロさんが歌を披露するらしい。
 桜の名所は全国各地にあるが、自分にとっての最高の桜は、この横浜の三ツ沢、妙深寺の「本化桜」だ。これは、はずせないなぁ。いくら開花から満開までが早いからといって、見逃したら大変。朝参詣、夕参詣、特に3日の夜、4日の開導まつりにはお参詣していただかないと。そう、この前のメールで開導聖人のご命日に併せて開導まつりをしています、と書いたら問い合わせがあったのだが、開導聖人のお誕生日は4月1日。ちょっと、分かりにくかったかな。
 実は、3日の夜には20年来の友人が桜の木の下に集まることになった。こんなことははじめて。あまりにも同じ世代の友だちが病気になったり、逝ってしまったりしたものだから、このタイミングで顔を見ておこうという声があり、集まることになった。それも、妙深寺の桜の下で。
 有難い。夜桜を見ながら、昔話をしたい。本当に、楽しみにしている。

2009年3月15日日曜日

次男の誕生日

 昨日は次男の誕生日。
 午前中、御講のご奉公から帰ってきて、午後は神奈川布教区の弘通教養実践会議、14時から面会の方、会議に戻って夕方から夜にかけて神奈川布教区の参与会。夜は、妙深寺青年会の一年に一度の住職御講が日曜日(今日)奉修されるので、その御法門の勉強をさせていただかなければならない。その合間をぬって、次男のケーキカット。
 ケーキは瓜生さんからいただいてしまった。本当に申し訳ない。わざわざ、こんなことまで気を使っていただいて。本当に、申し訳ない。
 次男も長男も、バクバク、モグモグと食べていた。特に次男は甘いものが好きなようで、止まらない。私は甘い物はほとんど食べないので、誰に似たのやら。長男まで美味しそうに食べていた。
 ありがたい一致で、長男は妙深寺の初代ご住職・日博上人のご命日に生まれ、次男は先住の松風院日爽上人のご命日に生まれた。4日と14日。ありがたーい。覚えやすーい(しかし、忘れてた)。
 さらに次男は凶暴化している。いや、凶暴というか、やんちゃというか。近くに寄ってきて何をするのかと思いきや、「パチン」と私の足を叩いて、「ダディ、ぶった!」と自慢げに言う。「な、な、なんだコイツぅ~」と言いたくなる。こりゃ、本当に将来は危ない。
 そう言うと、母が「あら、二人とも、まだまともな方よ。子どもの頃のあなたに比べたらぁ。ねぇ~。それはそれはひどかったんだからぁ」と。騒ぎが止まらず、興奮状態に陥った二人を叱ったりして、母も辟易している時でも、「それでも、あなたの子どもの時に比べたらぁ。まだ良い方よ。あなたなんて、運動会の前に家を飛び出して、はしゃぎまわって、走り回って、郵便ポストの角に頭をぶつけて血だらけになって、それで結局運動会に出られないとか、こんなもんじゃなかったんだからぁ~」と。トホホ。あかん、だめや。こら、話にならん。
 とまぁ、こういう具合でケーキを切り、私はまた書斎に戻りご奉公。気合いの入った御法門を作り続けたのだった。ありがたい。

ミシシッピーでの写真 ビンゴと

 古い写真。
 先日、清康の結婚式の時に、彼が持っていた懐かしい写真を見た。ミシシッピーを源流からメキシコ湾まで走りきった時の写真だ。こんな写真が残っているのを私は知らなかった。あの時、あまりにも忙し過ぎて、写真を撮る暇もなかったし、それを振り返る時間もなかった。思い出は番組に集約されていると思ってきたが、そうではない。そこには出ない、数多くの思い出があった。
 3月3日に世を去ったビンゴが映っている。彼が、こんなにも早く逝ってしまったことが信じられない。写真をボーッと眺めていた。

2009年3月8日日曜日

花粉症って

 ミツザワ村(ほんとは「町」)は花粉がすごいだよ~(涙)。
 花粉症で、もう何にも見えない。聞こえない。考えられない~(涙)、という状況。本当に、こりゃ、参った。信翠師はお供水で治したというし、僕はダメなんだなぁ。今日は、さすがにキタ~、という感じで、御講席3席目が辛かった。御法門中に、ハッハッハッハックショーンって。説得力なーい。
 実は、子どもの頃からアトピーで大変だった。赤ちゃんの頃はもっとアレルギーがあって、大変だった。長松寺の小千代お祖母ちゃんがとても心配してくれていたのを覚えている。なにせ、あまりにもアトピーがひどくて、両腕のひじ、両足の膝の裏に包帯を巻いていたんだから。今からは想像できないと思う。長松寺に行った時が特にひどくて、両手両足に包帯、グチュグチュになってた。お祖母ちゃんが、本当に心配して、御宝前の間で抱っこしてくれていた。その時、やはりお供水をたくさん塗っていただいて、それで良くなった。「この子は京都の水が合う」「産湯だから」とか。そんなことを何度も繰り返した。
 少し大きくなると、それほど悪くなることは少なくなったようだが、それでも顔も、やはり両手の肘、両足の膝の裏はかゆくてかゆくて、ガサガサ。不思議と治ったのは海に入るようになってからだと思う。信翠師のようにお供水で治りました、と言いたいのだが。海水に入るのは、こんなアレルギー体質だから最初は痛くて痛くて、しみた。でも、半年もしない間によくなって、気にすることもなくなってしまった。以来、アトピーは出ていないが、花粉症は相変わらず。
 とにかく、この季節は、朝昼晩、寝ている間も、苦しい。ブログもアップしたいことがたくさんあるけど、書く気力なし。

2009年3月3日火曜日

岡山へのお見舞い

 3月1日の誕生日の前後、深く、強い「サイン」を感じた。お祝いの言葉、声をいただいたことも大切に心に刻み、特に誕生日の前後に過ごした時間、ご奉公にも、意味を見出している。
 2日、岡山の友人のお見舞いに行った。突然のことだったが、「危篤」という報だった。彼は、一緒にミシシッピーに連れて行き、ミシシッピー川の源流、ミネソタ州のベミディジ湖からニューオリンズを越えてメキシコ湾まで、6000キロ以上を一緒に旅した。ロケの最中、みんな頑張ったけど、彼もスタッフの一員として、そして強烈な個性が集まったチームの後輩として、朝一番から深夜まで走り回っていた。要領のいい男ではなかったけど、多くの人間に愛された。そして、それは良い番組になった。正月の特番だった。今でもみんなの心に残るアメリカ縦断だった。
 そして、昨日は友人と岡山に行った。病室で、涙ながらに彼の手を握り、話しかけた。意識が混濁していて、彼がはっきりと返事をすることはなかったが、私たちの呼びかけに、何度か「はい」「うん」と応えてくれていた。お母さんから聞くと、ずっと、ヒロミさんをはじめ、私たちが来ることを楽しみに待っていてくれたのだという。それが最期の、希望だったのだという。ヒロミさんに声を掛けられ、ヒロミさんと一緒にやってきた男。最期まで、お兄に会いたかったんだな(涙)。
 12月1日に風邪が続くということで病院に行き、風邪薬を飲んでいた。一週間過ぎても症状が治らず、また病院に行ってみると、なんと肺と肝臓に癌が発見された。もう全身にまわっており、脳にも転移しているということだった。あまりにも早かった。短い期間だったが治療も続けた。しかし、あっという間にこんな状態に。私たちも、その話が本当のことなのか、なかなか信じられなかった。いや、本人こそ、どれだけ自分の状況を理解できていたか。
 ベッドの脇で、みんな涙を流した。ヒロミさんが、ミシシッピーのロケ終了後、参加したスタッフ全員に作ってくれた記念のペンダントを、泣きながら、意識を失った彼の首に結んであげた。これも、彼がデザインしたんだ。ヒロミさんは、自分の名前の刻まれたプレートを、彼にかけてあげた。その姿を見て、また涙が。ヒロミさんが名前を呼ぶと、「はい、すいません」と2回答えた。いつも、アイツの返事がそうだった。「はい、すいません」と。私は、迷うなよ、すぐ戻ってこいよ、と伝えて、病室を後にした。手を握り。
 岡山駅で友人たちと別れ、ヒロミさんと正ちゃん、大原かおりさん、私の4人は新幹線で帰ってきた。そして、いま、知らせがあり、彼が逝ったという。若すぎる。39才。後輩の死。誕生日の前後には意味あることが起こる。意味を感じられる。彼のお母さんも言っておられたが、彼の分まで生きなければ。先日来、こんな哀しい別れが続く。
 彼の名前は藤原慎吾。みんな「ビンゴ」と呼んでいた。

2009年2月19日木曜日

梅の花 友人の死

 妙深寺の境内にある梅の木。毎年、寒参詣中に一粒の花が咲き始めたと思ったら、次々に花開いて春の訪れを感じさせてくれる。
 今週末は門祖会が奉修される。今年最初の大会(だいえ)となる。テーマを、「現代に活かす立正安国論」として私が奉修させていただくこととなっている。今年は如何なる年であり、その年を如何にして過ごしていくべきかを、「立正安国論」の御意をいただいて説かせていただきたいと思っている。
 また、準備ご奉公の金曜日だが、明日のみ京都に行かせていただいて、本山宥清寺で奉修される日宥上人の御年回に出座させていただく。お声をお掛けいただくだけでも勿体ない。末座にて御題目をお唱えさせていただき、一分の御報恩をさせていただきたいと思っている。京都でのご奉公が終わったら一刻も早く横浜に戻って門祖会の準備をさせていただかねば。御法門を研鑽する時間がない。
 先週、私の高校時代の友人が急逝したと連絡があった。実は昨夜、通夜があって駆けつけた。また、古くからの友人たちが集まっていた。高校時代の友人。自分の高校時代は、同学年の中でもひときわヤンチャで、本当に振り返ったら恥ずかしくなるくらい騒がしかったと思う。昨日の夜、先に逝ってしまった友人を見送りながら、ほんの少しだけ旧友と会話を交わしたが、それぞれがお互いの顔を見ながら驚いていた。変わったな、変わってないな、と。
 先に逝った友人の高校時代の姿を思い浮かべていた。廊下を走り回る姿。阪神が優勝した時など、大騒ぎしていた。卒業後、一緒にジェットスキーに行ったこともあった。彼は高校の教師になった。高校時代もサッカー部で活躍していたが、教師となってからも少年サッカーの指導者として活躍していたのだろう。焼香に並ぶ私の前に、ユニフォームを着た少年たちが20名以上も神妙な顔で良い子に並んでいた。40才で世を去った友人を思い、彼が残した軌跡を感じて、御題目を唱えさせていただいた。涙を拭きながら、参列者をしっかり見て、ご挨拶していた奥さんが痛ましかった。
 無常だ。一緒に過ごしてきた仲間、お世話になった先輩の病や訃報が、最近特に続いている。年齢のためなのだろうか。いや、そうではない。しっかりと、生きていかなければならないという彼らからのメッセージを大切に受け止めなければならない。遺された友人たちとも、そう話し合っていた。いつ、何があるか、分からない。いま、もう一度会っておこう。話をしておこう、と。同窓会など、ついぞ考えたこともなかったのだが、そういう気持ちになった。
 父が、とにかく友人を大切にせよ、と教えてくれた。しかし、なかなか難しいものだ。ベタベタとくっついて話をすることも上手ではないし、どうしても「久しぶりだな」となってしまう。ごく最近になって、もっと友人のために自分に出来ることがあっただろうと反省している。本当に、大切な友人たちだから。
 昔は、肩を張っていたし、見えていなかったこともあったし、理想に燃えすぎていた。でも、今は、等身大で、ゆっくりと人生を語れる。もっと身近に感じられる。ひろし君が、いつも自分の友人のために尽くしているように、俺も少しは頑張らないと。

2009年2月14日土曜日

お兄の誕生日

 昨日、お兄の誕生日ということで東京に行った。
 21時半からの誕生会で、とても楽しい、嬉しい時間だった。清康の結婚式で、久しぶりに大親友の正太と会い、また久しぶりにお兄の誕生日の会合に参加することになった。こうした昔懐かしい先輩、友人との会合が嬉しい。
 朝から御総講、教区御講2席と立て込んだスケジュールだったが、是非ということで東京に向かった。東京では、正太、そして山根くんと一緒に少し食事をして、お兄の誕生会に。
 お兄とは正月の特番で一緒にミシシッピーを縦断したヒロミさんで、あの時のことから色々なことを含めて、懐かしく思い出し、お兄の誕生日を祝い、有意義な時間を過ごした。また、お兄の誕生日に駆けつけてくれた憲武さんとも久しぶりにお会いして、また有意義な時間になった。
 ブログ用ということで、正太が写真を撮ってくれた。お兄と写真を撮ることなど、今まで10年以上も過ごしているが初めてじゃないかな。少々照れた。お兄は、いまや加圧トレーニングのスタジオを経営されており、とても人気がある。ミシシッピーの番組からは既に11年が過ぎた。お兄の事業が発展していることは本当に嬉しい。ぜひ、「加圧トレーニングスタジオ : Body Conscious KAATSU STUDIO 51,5」のウェブをチェックして欲しい。樫木トレーナーのブログにも誕生日会の模様が詳細に出ている。恥ずかしいが。
 とにかく、久しぶりにお兄にも、正太にも会えて、話が出来て、嬉しかった。トライアスロンをやれよ、ということには自信がないが。憲武さんにも、久しぶりにお会いできて、ご挨拶ができて良かった。
 貴重な一日だった。

2009年2月8日日曜日

清康・綾子の結婚式

 清水清康と兼子綾子ちゃんの結婚式が7日12時30分から妙深寺の本堂に於いて挙行された。相模原妙現寺御高職・鈴江日原上人の御唱導をいただいて、素晴らしい晴天の下に二人は御宝前に結婚の誓いを立てた。
 清康は、私の従兄弟であり、学生時代から妙深寺の庫裡に起居して高校に通い、大学に入ってからは当時社会に出ていた私と一緒に仕事を手伝ってくれた。沖縄ロケ、ミシシッピーの縦断ロケ、その他たくさんの仕事に同行したり。たくさんの時間を過ごして、たくさんのことを教え込んだと思っている。当時の仲間も参集して、大変なお祝いになった。
 彼が佛立教務道を歩み始めたのは先住ご遷化の日。息を引き取られる直前に、横浜市立病院の病室で剃髪得度をした。劇的なスタートであり、その一事だけとっても、死にものぐるいで佛立の菩薩行に励む戦士として、命がけでご奉公させていただかなければならないと本人も思っていると思う。
 彼らは妙深寺の御宝前に夫婦の誓いを立てた。私も事前に相談されていなかったので、内容も順序も知らなかったのだが、素晴らしかった。一つ目が、夫婦二人で人助けの生き方、つまりご弘通ご奉公に精進させていただくということ。二つ目が、一信者として、日々に信心を磨いていくということ。三つ目が夫婦としてお互いに敬いあい、思いやり、よき家庭を作っていくということ。この内容、この順序が素晴らしい。ただの恋愛感情ではない、同じ方向を見て、プライオリティーをしっかり見据えたスタートであることを感じ、本当にありがたかった。
 鈴江御導師からの訓辞は、佛立教務はご弘通の戦士である。とにかく、イヤなことも、腹の立つことも含んで、耐えに耐え、命をかけてご奉公させていただき、生きてゆくもの。まず、そのことを忘れぬように。その上で、そういう戦士の帰ってくる家を、綾子さん、つくってな、笑顔で迎えるだけでいいから、とお話しされた。ありがたい。
 披露宴は16時からだったが、この披露宴も大いに盛り上がった。妙深寺の底力、実力、トンチとパンチ、ウィットとスパイスの効いたお寺であることを、まざまざと見せつける披露宴となった。オープニングの映像も、余興も、出し物も、すべてに於いて妙深寺のイズムを表した。神戸からご多忙の中、福岡御導師も駆けつけてくださり、素晴らしいスピーチをいただいた。大脳生理学の本を読んでみると、恋愛感情は3年しか持たんと書いてある。「3年目の浮気」とは科学的な話。だからこそ、恋愛感情だけで成立している関係は先が見えている。しかし、今日結婚した二人は「同じ方向」を見てスタートした。本当にめでたいと思う、と。素晴らしい内容。万人に感動を与えてくださった。
 古くからの大先輩、友人たちも駆けつけてくださり、素晴らしい時間を過ごした。うれしかった。心から嬉しい時間を過ごすことが出来た。ヤスの先輩とは私の友人で、本当に気心の知れている仲間であり、かわいい後輩もいる。先住が亡くなって9年。友人たちも、いろいろな角度から私を見守ってきてくれた。彼らに、見ていただけただけでも、嬉しい。大きな節目を迎えられた。そういう気持ちになれた。今までの自分の人生を振り返り、有難さがこみ上げてきた。そして、ちょっと俺も人生を見つめ直さないとな、再スタートだな、と思った。

2009年2月1日日曜日

鎌倉の顕証寺にて

 昨日の土曜日は、神奈川布教区の総会で、鎌倉・顕証寺にお参詣、ご奉公させていただいた。
 お祖師さまゆかりの地、鎌倉。江ノ島の見える素敵な場所に建つ顕証寺には久しぶりにお参詣させていただいたのだが、やはり素晴らしい景観と感慨。特に、立正安国論上奏750年の御正当年で、そのご奉公を進めさせていただいているので、ひとしおの思いが湧き起こる。ここは歴史的な場所、ここは事実お祖師さまが生き、ご奉公された場所。お祖師さまが幕府と対峙し、さまざまな出来事が起きたのも、この風景の中なのだから。
 私にとっても思い出深い場所。若い頃の思い出が詰まっている。友人たちのお店もあるし、海から舟で行っていたお蕎麦屋さんや海から見た海岸線。今では波乗りをしている人たちを見ても「寒そうだなぁ」くらいにしか思わなくなってしまったが、それでも何かこみ上げてくるものがある。
 布教区総会では厳しい意見があり、襟を正す思いだった。弘通顧問の鈴木御導師の御法門には、先日の佛立寺での高祖会と同様に深く胸を打たれ、弘通方針の発表時にいただいたご意見にも真摯に考えさせられることがあった。お祖師さまゆかりの地である鎌倉で、顕証寺の御宝前で、このように平成21年がスタートできたことに意味があると思う。
 今日は月始総講と、朝から今の今まで合計5つのご面会をお受けして、お話をお聞きしたり、お看経をさせていただいたりした。嬉しいことに、今日だけでお教化させていただけた方がお二方。お二方ともご信心をとても真っ正面から受け止めてくださっての御本尊拝受となる。ありがたいことだと、つくづく御法さまに御礼させていただきたい。

ネパールの阿部信仰師から

  ネパールでの信仰師のご奉公が続いています。サムンドゥラデヴィの学校訪問と数軒のお助行、道なき道を踏破してのご奉公でした。 広報担当のようなものなのでシェアさせていただきます。ありがたいです。ありがとうございます。