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2022年12月24日土曜日

戦争は終わる。あなたが願えば。

今夜はクリスマスイブ。クリスマスソングといえばこちら。

ジョン・レノンの代表作の一つ、John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choirによる“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”です。

オノ・ヨーコさんご本人が付けた映像はこちらです。衝撃的な映像です。それぞれ確認してご覧ください。

人間の愚かさを痛感しながら過ごす夜です。

「我々が歴史を勉強すると我々が歴史から学んでいないことが分かる」ヘーゲル

「人間が歴史から学んだことは歴史から何も学んでないということだ」チャーチル

極寒のウクライナで震える人びと、戦争と紛争、差別や搾取、理不尽な理由で理不尽に扱われ、過酷な環境に置かれて苦悩している全ての人びとを想い、祈ります。

人間が成長しますように。
人間の価値観が少しでも上昇しますように。
人びとが妄想や幻想から抜け出しますように。
人びとに悟りの光が現れますように。

戦争は終わる。あなたが願えば。

Namu Myo Ho Ren Ge Kyo 

ヨーコさんがこの映像を付けた意味を受け止めましょう。

“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”
https://youtu.be/yN4Uu0OlmTg

2010年12月4日土曜日

佛立祭の映像!!

ブラジルで行われた「佛立祭」の映像が送られてきました。素晴らしいご奉公です。内側ではなく、みんなで外側を向いていて、しかも、ラテンの明るさがあって自然体。

これからのご弘通を考える上で、とても大切だと思います。日本の私たちも、こういう姿勢と明るさでご弘通に臨みたいですね。日本ですると、宗教への偏見や新宗教の奇怪な行動からか上手に受け止めてくれないし、なにか外に出るとしても「悲痛な覚悟」などが前面に出て暗い(笑)。暗くなる。

でも、そうじゃないですね。ブラジルの明るさ、宗教が当たり前に身近にある文化、その中で「仏教」を紹介するという気概。「Buddhismo primordial」とは、「根本の仏教」という意味で、本門佛立宗を標榜するタイトルです。

すごいな。やりましたね。

Monges Primordiais(Kyoujyu Pires) - Festival Primordial - HBS do Brasil

そして、何と言っても歌が良い!!元シンガーソングライターのピレス教樹師が作った歌です。海外青年協力隊でブラジルに渡った雪菜ちゃんが出会い、お教化して、そして得度したご主人。まさに、雪菜ちゃんはすごい。苦しいこともあると思いますが、ご祈願の通りに人生を歩んでいるのだから。

久しぶりに、元気になりました。さすが、ブラジル。



2009年12月24日木曜日

クリスマスイブの待合室

 今日は、朝参詣が終わった後、すぐに横須賀まで走りました。目の前に横須賀港が広がると、巨大な潜水艦が3隻停泊していました。いつもよりも1隻多い。年末だからなのか、大きな艦船がたくさん並んでいました。あ、世間はクリスマスイブだからかな。
 今日、横須賀に来たのは病院に行って診察を受けるため。定期的にチェックしなければならない部分があるのですが、忙しさにかまけて3年ぶりになってしまいました。これじゃまずい、と思い、いろいろなことも重なっていますし、予定を探して、今日の診察となりました。
 診ていただくのは先住(父)も診ていただいていた先生で、もう10年以上お世話になっています。いろいろなことがあり、私は心の底から信頼しています。本当に、素晴らしい先生です。
 先住の闘病の際、うちひしがれる私たち家族に対して、懇切丁寧に対応してくださいました。私のご奉公、先生の朝から晩まで患者に向き合う姿、手術の日には10時間近く執刀することあれば、外来で何十人もの人と向き合う、入院中の方々の回診をされる、そんなすごい医師、先生の姿に学ばせていただいている部分があります。
 いつも突然のお願い。勝手な時間になってしまいました。予約してくださった瓜生さん、そして藤田さん、ありがとうございます。
 昔、意識不明の父の看病をしていた頃のこと。床擦れを防ぐクッションを買いに行きました。そうしたグッズが高島屋にあるということで、病院から横浜駅に行ったのです。
 重苦しい病室から一転して、賑やかな高島屋の店内。その一角にある小さなお店。その小さな店内で介護用品を探している私たち。数人、同じように看病に疲れておられるような方々がおられました。賑やかな世の中とのギャップが痛切に感じられて、何故か涙が浮かびました。あの時のこと、その情景、気持ち、忘れられません。いや、忘れないようにしています。
 今日、病院でよかった。仏教徒である私には何の関係もありませんが、世の中は「クリスマスイブ」という賑やかな日だから。だからこそ、病院に行けて良かった。クリスマスイブ、そういう日にも、ここには病気で苦しむ人がいて、それを見守るご家族がいる。体調が悪かったり、病気を抱えていたり、不安だったり、元気がなかったり、心が晴れないであろう多くの方々と一緒に、待ち合い室に並んで座れて、よかったです。
 私は、ジョン・レノンが好きです。彼の才能、曲や声が好きなのは当然のことですが、それ以上に、彼の考え方や生き方に共感しますし、感銘を受けています。
 「レノン・レジェンド」というDVDがあります。オノ・ヨーコさんが映像・監修をされたものですが、この中に、ジョン・レノンのクリスマスソングである「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が収録されています。これが、猛烈な、痛烈な、辛辣な、哀しいほどの皮肉に満ちていて、はじめて観た時、僕は涙が出て仕方がありませんでした。
 その、曲の、綺麗な旋律が流れる直前、彼女と彼は、自分の子どもたちの名前をささやきます。そして、ジョン・レノンのクリスマスソングが始まる。
 しかし、そのクリスマスソングの映像は、冒頭から、キラキラと輝くクリスマスツリーや電飾などを映すのではなく、足を地雷によって吹き飛ばされた少年、戦闘に巻き込まれ、誤爆(そんなものは最初からないと思っていますが。確信的爆撃以外に何があるでしょう)され、死にかけた子どもたち、憎しみに燃えた少年たちの瞳、そのベッドの傍らで途方にくれる父親、民族衣装を着た老人が毛布に包まれ足だけ見えている赤ちゃんの死体を抱きながら震えながらむせび泣いている映像、死体、涙、喧嘩、兵隊、子ども、赤ちゃん、爆弾、硝煙、死体、死体、兵士、埋葬、涙、戦地、別れ、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、戦車、人間、人間、人間…、涙、涙、涙、死体、少年兵、貧困、飢餓、子ども、子ども、と続きます。
 世の中、こんなに浮かれてるのに、クリスマスだとか、正月だとか、それらを祝っているのに、一向に愚かな戦争は終わらないじゃないか、なにがクリスマスだ、なにが正月だ、傷ついている子どもたちを見よ、嘆き悲しんでいる家族を見よ、苦悩する人々を見よ、これでもか、これでもか、これでもか、と、目を背けたくなるような映像が続くのでした。私には、これが彼らによる一流の皮肉、メッセージだと思います。
 誰もが、多くの戦争や紛争が宗教によって引き起こされてきたことを知っています。中でも、私は、イエスが「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは、敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして、 自分の家族の者が敵となる。」と、その聖書の中で明言しているとおり、多くの愚かな紛争が旧約聖書を起源とするユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教によって引き起こされてきたと考えています。
 この聖書の言葉でも明らかなように、特にイエスによって創始されたキリスト教によって、植民地支配や民族間、宗教間の争いが助長されてきたと考えていますし、それは歴史的な、時事的な面でも、事実だと思います。なんといっても、「私が家族に平和をもたらしに来たと思うな。私は家族に争いをもたらしに来た」ということを言っているのですから。
 だからこそ、この曲と、この歌詞、この映像の、何と皮肉に満ちたことか。明らかに、強く、世界に、多くの人々に、何を祝ってるのか、何をやってるのか、何をやらなければならないのか、と再考を促しています。私は、そういう意図があると確信しています。それを考えずに、「メリークリスマス」などと言って乾杯しているのは、愚かの極みではないでしょうか。それで大丈夫でしょうか。おかしくないでしょうか。
 「正しい信を持たないかぎり、この世界が抱えている問題は解決しない。穏やかな、平和な日々が訪れることはない」。これが答えです。仏教の帰結するところ。これが結論です。立正安国論で説き明かされた御意です。「平和ではなく剣をもたらすためにきた」というイエス。その誕生を祝って、今夜はクリスマスをするのですか?是非、このリンクから、あなたも映像を観てもらいたい。もちろん、「メリークリスマス」と曲の中には出てきますが、その深い意図を、考えてみていただきたい。
 私は、今日や明日という「クリスマス」という期間や日を、「仏教再考の日」にしてはどうかと思っています。これを言うと笑う人がいますが、冗談じゃないんです(笑)。「仏教最高の日」でも「仏教再興の日」でも良いのですが、とにかく、今一度、キリスト教と、その宗教、今の世界、紛争、命、人類、人間というようなことを考え、そして、仏教の教えるところを考えていただきたい、仏教の尊さを考えていただきたい、仏教こそ、人類の宝であることを考えていただきたいのです。そういう日に、してはいただけないでしょうか。やはり、冗談に聞こえるかな(汗)。
 自分の病院の後、待ち合わせをして別の病院にお見舞いに行ってきました。やはり、重苦しい病室の中でしたが、意識が混濁しておられる方の手を握り、ご家族と一緒に御題目をお唱えしていると、苦しみも哀しみも、一つになって溶け出し、幸せや喜びに代わっていくのを感じます。最大の不幸も、幸せへと変わる。そうでなければなりません。
 そして、横浜に戻りました。夕方の空の色が、あまりにも綺麗だったので、写真を撮りました。本当に、地球は美しいです。かけがえのない、美しさ、尊さです。ここに、住まわせていただいて、本当にありがたいと思います。私たちの愚かさで、壊すことのないようにしてゆきたいものです。
 本当に、日々に感謝。美しい空、星、人々に、感謝です。
 ありがとうございます。では、PCでも携帯電話でも最近は観れるようになってきましたので、ジョンの曲をお聴きいただきたい。お坊さんが、クリスマスソングを勧めるのは変?謗法?いや、だからこそ、菩薩の誓いを、ご弘通の使命を、噛みしめていただきたい。

2009年4月7日火曜日

山際素男氏への追悼

 山際素男氏が3月19日午前11時18分、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなったと報道で知った。享年79歳。惜しい方を亡くしてしまったと、惜別の思いを抱く。
 私は氏の著作の多くに触れてきた。中村元氏とは違う、生のインド、インド社会と文化を、圧倒的な知識と洞察力で日本に紹介くださった。氏の功績で、日本人は幻想的な天竺から現実的なインドへ意識が昇華したと思う。
 著書「不可触民-もうひとつのインド」、訳書「アンベードカルの生涯」「ブッタとそのダンマ」などは、インド憲法の父、ドクター・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar)を私が理解するために欠かせなかった。賛否両論あるとはいえ、不可触民階級出身だったアンベードカル博士は、近代インドにおける仏教革新運動の原動力となった人物である。
 彼は、かの世界から尊敬を集めるガンジーと真っ正面から対峙した。インドが抱える本当の問題、ガンジーが立ち入れなかった(立ち入ったが、それは不十分だった)インドの暗部・最深部・病巣、アンタッチャブル(アウト・オブ・カースト、不可触民)は「ヒンドゥー」という「宗教文化」によって派生し、数千年もの間、決して顧みられることのなかった虐げられた人々がいたことを訴えた。
 彼は、ヒンドゥーという宗教から、インドが生んだ唯一無比の存在・ブッダの教えに帰入しなければ真のインドの平和、人々の真の幸福も得られないと断言した。そして、30万人を超す民衆と共に、竜樹菩薩(ナーガルジュナ)が活躍されたというインド中央部の都市ナーグプルに於いて仏教への改宗式を行った。
 私が、アンベードカル博士の理解を深めるために山際氏の著書や訳書は不可欠だった。仏教学者としてではなく、インドという古代からアジアの中枢であった地域社会と文化を広く理解し、「マハーバーラタ」などヒンドゥーの深部まで造詣のあった山際氏の見解は、非常に重かった。「仏教」の価値、ブッダの説かれた「平和」と「平等」の意義を、深く理解するサポートをしてくださったような感覚でいる。
 実際、ぜひアンベードカル博士の生涯を日米印の三ヵ国で製作してもらいたいなぁ、とひろし君に話していた。何度も言うが、近代インドの仏教刷新運動やアンベードカルの説いた仏教については賛否がある。他の日本の仏教界でも良いように取り上げては利用されてしまっている。ただ、アンベードカル博士の実像を、その生涯を、黒人差別よりも根深い差別と戦う闘士、新興国として注目されるインドの憲法を書き上げた偉人、かのガンジーと対峙した政治家として実物大に描いていただきたい、と。
 そして、その生涯を描くことによって、真のインドの姿、インドの抱える問題と課題、インドの未来、真の平和とは何か、真の平等とは何か、そして仏教とは何か、真実の仏教をも示唆し、描いていただきたいと話していた。もし、その映画を作るとすれば、日本で山際氏以上のアドバイザーはいなかっただろう。ぜひ、ご指導をいただきたいと思っていたのだが。もう、それも叶わない。
 映画を作るなど、自分の夢について語り、その夢の中に登場する山際氏が亡くなったことで惜別の思いを抱いているのはおかしく思うかもしれないが、それでもいい。ダライ・ラマ氏と面会する前にも、氏の訳書を読みあさった。本当に、惜しい方を亡くした。本当に、感謝している。残念でならない。

2008年12月15日月曜日

在日ブラジル人の方々を守る

 昨日の土曜日、みなとみらいにあるJICA横浜に於いて、日本人ブラジル移民100周年・ブラジル人日本移民20周年記念シンポジウムがあり、その第二日目に行われた「在日ブラジル人と仕事・生活・健康・教育・宗教・言語問題等の解決支援策」に参加させていただいた。
 妙深寺にとって、こうした行事に参加することは初めての試みとなるが、ブラジルへの日系移民100周年の最後を締めくくるために、ご奉公させていただくことになった。第二弘通部、特に海外部の方々の尽力によって、在日ブラジル人をサポートするNPO法人ABCジャパンさまとの素晴らしい関係が実った。
 それにしても、こうした施設や機関が活躍してくださっていることは有難い。海外移住資料館など今年のブラジルと日本の歴史的意義を分かりやすく教えてくれている。私たちは、ブラジルへの日系移民を創始した本門佛立宗の信徒・水野氏と、第一回の移民船に唯一乗船した茨木日水上人の後輩として、こうした機会に参加して、是非その存在と、今後の活動支援をしていきたいと考えている。
 私は、この場で30分程度お話をさせていただいた。本門佛立宗と南米・ブラジルとの関係。南米・ブラジルに仏教をもたらした本門佛立宗の紹介、茨木日水上人のご奉公についてご紹介した。苦難が伴うに違いない移民に当たり、正しい信仰の力が必要だと考えた水野氏。そして、その思いのとおり、仏教の使命を体して渡伯し、宗派を越えて人々を支え、尊敬されるまでにご奉公された日水上人。現在、日系ブラジル人が150万人を越え、日本に在住する日系ブラジル人が30万人を越える中で、今もう一度、私たちの果たすべき役割は何か。
 お話の中で、重ねて法華経の教え、御題目の教えについてお話をし、現在貧困や差別と戦う在日ブラジル人の方々にとっても心の柱となり、苦難を乗り越える信仰であることをお話させていただいた。同時に、具体的なサポートについても今後一緒に考えてゆきたい、と。
 ただ、私たち本門佛立宗は、単なる既成仏教団体でもなく、新興宗教群にも数えられない。その活動も葬式や法事で生計を立てるものでもなく、新興宗教や新々宗教のように政治的な活動もせず、広報活動にも長けていない。私たちはそれを真ん中の仏教、あるべき宗教や仏教の形だと思っているが、つまりは政治力も資金力もないということ。そういう意味で、資金力のあるキリスト教系の団体や新興宗教などとも違って、頼りない部分もあるかも知れない。しかし、だからこそ、まごころで、支援に取り組みたい、と。
 NPO法人・ABCジャパンさんが企画された今回のシンポジウムの目的は、記念すべき年だからこそ日本に住む日系ブラジル人の実状を理解し、その上で彼らへの支援活動をより充実させるべきだというもの。日本人移住者がブラジルに渡ってから100年。ブラジルへ移住した日本人は約25万人、現在日系人とされるブラジル人は約150万人。これらの日系人は正直、勤勉かつ子弟の教育に熱心との高い評価を受け、ブラジルの発展に貢献したとして、100周年記念は日系社会のみならず、ブラジル社会全体から「ブラジル自身のお祝い」として暖かい心のこもった祝福を受けている。
 その一方、日本には20年前から日系ブラジル人の流入が始まり、在日ブラジル人約32万の人々に取っては、出稼ぎから定住化する方向に入り、日本社会の構成要素の一部分として融合し、日常生活において近隣の人々と良き隣人として付き合っていかねばならない現状がある。在日ブラジル人は、社会保障、健康保険、教育、信仰、言語の問題に直面しており、厳しい勤労と生活条件の中で、自らと子弟の健康・教育・宗教・夢を維持・両立することは容易ではない。在日ブラジル人の子弟の将来を考えるならこれらの問題をおろそかにして、記念すべき本年を終わることは出来ない。
 特に、この金融危機の中で、まず最初に雇用を失っているのは海外から出稼ぎに来ている非正規雇用の方々であり、中でも日系ブラジル人は相当数に上り、この年末も困窮の中にある。現実、職を失い、住む場所を失うといわれる方が約2万人もおられる。家族を含めれば、数万人規模の方々が苦しんでおられる。私たちは、特別なご縁がある以上、こうした方々に対する関心を持ち、日本人に限られる緊急支援対策や雇用の確保、即時解雇の禁止などを彼ら外国人労働者にまで広げて考える必要がある。
 いずれにしても、昨日のシンポジウムはとても有意義なもので、これからのご奉公の一つの柱となることは間違いない。

2007年5月15日火曜日

アンベードカル博士のこと

 私たちにとってインドは三度目となった。平成18年は佛立開講150年ご正当年。私たちは福岡御導師を筆頭として、この記念すべき年に3度目となるインドへ上行所伝の御題目をお伝えしようと弘通行を実施したのである。
 インドへのご弘通は、インド出身の佛立信徒であるラジ女史の尽力に負うところが大きい。2度目の弘通行を終えて、彼女はいち早く次なる構想を描いていた。故国インドに上行所伝の御題目を流布することは極めて難しい。現在インドの仏教徒は11億の人口の1%しかおらず、ヒンドゥーとイスラムの対立は激化しており、原理主義的な傾向もある。御題目を聞かせ唱えさせる機会を設け、重ねて会合を持つことは勿論、様々な角度から次なるご弘通の一手を考えていた。それが、このダライ・ラマ師とのセッションであった。

 2度目のインドへの渡航も有意義この上ないものだった。それはアメリカを横断した時に訪れた公民権運動のルーツ、キング牧師に多大な影響を与えたガンジーの足跡を追い、彼と特に協調し、最終的には対峙したアンタッチャブル(不可触民)の指導者、インド憲法の父・アンベードカル博士の足跡を辿り、彼の信奉者たちとセッションを持てたからである。

 アンベードカル博士とは、数千年来ヒンドゥー文化の中で忌避されてきたアウト・オブ・カースト、つまり手を触れることも、見ることさえ毛嫌いされてきたアンタッチャブル出身であり、初代インド法務大臣、最後には50万人と共に仏教に改宗をした偉大な人物である。実は50年前、彼が出席した世界仏教徒会議に本門佛立宗の代表団は彼との邂逅を果たしていた。その50年後、彼がアンタッチャブルと忌避されてきた人々、50万人と共に仏教に改宗したナーグプルを私たちは訪れ、彼の弟子たちと共にチャンティング・セッションを持ったのであった。

 そして、その一年後。インドの地で、今やインドの1%の仏教徒が認識するマハー・ボディー・ソサエティーと、インドに亡命しているチベット仏教界の最高指導者とのセッションが実現するとは、この上ないことだと思えた。
 アンベードカル博士のことを語り出したら、この章は終わらない。またの機会にゆっくりと、仏教を再認識するために、書いてゆきたいと思う。



 

2007年5月13日日曜日

絶望からの歩み、

この場所で歴史が確かに動いて、全世界が嘆き、悲しみ、挫折や絶望の中から明日への希望をつないだのだということを教えてくれる写真が飾ってあった。
実際には、この直後にブラック・パワーのカーマイケルが「白いアメリカはキング博士を殺した。我々に宣戦布告をしたのだ。銃を取れ」と言い、全米100都市以上で暴動が起きた。死者46人、負傷者3500人、逮捕者1万人を超えたという。また、公民権運動はキング牧師の暗殺の直前にほぼ達成の粋を迎えていたという意見もある。彼が黒人問題だけではなく人種を越えてアメリカ社会の底辺にいる人々を救うために「貧者の行進」を計画したことから人々が離れていったという説もある。たしかに、アメリカの人々は幻滅を味わっていたのかもしれない。精神も良心も疲れ切っていて、非暴力抵抗運動は理想的過ぎると敬遠されるようになり、冷めた空気や諦め、そしてより過激な活動家が頭角を現していた。以後、多くの時間を費やして、キングの夢の欠片は実現に近づいてきた。キングの死は、多くの人にとってアメリカ社会を検証する指標となった。

私は11才で最初に米国を訪れた。その後、何度となく米国を訪れ、旅をして、白人・黒人問わずに友人と交流してきた。その頃の私には、米国の公民権運動は教科書の1ページに過ぎなかった。仕事をしている時、マーケティング会議に米国から出席するお偉いさんは黒人の方で、心から尊敬していたし、実際に頭を下げていた。
しかし、そう。こうした社会が築かれ、根付いてきたのは、こうした運動が、ほんの数十年前まで続いてこそ実現したのだ、と。米国のカラードと呼ばれる人たちは、この日の「絶望」から、「絶望」を「希望」に変えて、歩み始めたのだから。
いや、実際には実現していない。いまはまだ見せかけの平等なのかもしれない。プロパガンダの一部を見て、遠くの私たちは「平等」と感じているだけかもしれない。中途半端な見識ではこうした活動家に叱責を受けそうだ。第一、キングの見ていた夢は、黒人のためだけの運動ではなかった。文字通り、あらゆる人間の「公民権」へと昇華していたのだから。
しかし、こうして学ばせていただいてよかった。御回向が出来て有難かった。二度と忘れない。この場所から感じたこと。
これを糧にして、人間社会の在るべき姿、ブッダの説かれた「人間」ということ、その尊さ、価値に思いをはせたい。本来、難しいことなどないのだ。カラードの一人として、そう思う。

最後の演説を刻んだ扉

キング牧師の最後の演説の言葉を刻んだ博物館の前の扉。めにするもの全てが、人権について考えさせられる場所だった。そして、玄関ホールにも大きなモニュメントが置かれてた。

1968年4月4日、午後6時

1968年4月4日、午後6時、黄昏のこのモーテルのバルコニーで、キング牧師は凶弾に倒れた。今でもコロンバイン高校やバージニア大学での銃乱射無差別殺人事件が起こり、銃社会アメリカの暗部について報じられているが、9.11のテロと同じように恐ろしい政治的なテロ、暗殺などが立て続けに起こっていた1960年代。
彼の前日の演説。それは、あらゆる宗教の枠を超えて、宗教者がある高みに到達した時に発せられる言葉だと思う。

「前途に困難な日々が待ってます。でも、もうどうでもよいのです。私は山の頂上に登ってきたのだから。 私も長生きがしたい。長生きするのも悪くないが、今の私にはどうでもいい。神の意志を実現したいだけです。神は私が山に登るのを許され、私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。」

もちろん、仏教徒として異論はある。「神の意志」あるいは「約束の地」「ひとつの民」など、キリスト教の教えが、そもそも選民思想を持ち、苦しむ原因、DNAを持っていたのではないか、と。そう言いたくなる箇所もある。しかし、ここで言うべきではないだろうと思った。彼は偉大な宗教家、活動家であったと思うし、人々のために大きな壁を、信仰を力に変えて実現に導いた人なのだから、と。
「神の再臨の栄光」が何だったのかは分からない。現実、彼に寄り添った者たちはキング牧師のこの夜の行動を細かく記録しているから、それに関連したことなのだろうか。しかし、それも俗っぽくてここで述べることでもない。

とにかく、このバルコニーを部屋の内側から眺めて、その場所に向かって御題目をお唱えさせていただいた。

ロレイン・モーテルの博物館

ロレイン・モーテルの博物館ではマルコム・Xの写真や展示があった。二人の公民権活動家は同じ時代を駆け抜けた。一人は牧師の息子であり、一人はイスラム教に改宗した。そして、この記念館の最後のドアの正面には、キング牧師が最も敬愛したガンジーのコーナーがある。この中を歩いていて、そうした点と点が一つになっていくのを感じた。社会的にも、こうした活動の研究や比較は始まったばかり。ただ、仏教的に、マニュフェスト・デステニーを奉ずるキリスト教国家・アメリカの黒人差別と戦った二人の生涯・道のりについて、しっかりと見つめてみたいと思う。一人はキリスト教の中でそれを乗り越え(特に「愛」の概念によって)、一人は完全にキリスト教からイスラムへと改宗した。もちろん、一般的にはキング牧師の方に人気は集中しそうだが、私はインドを旅しつつインド憲法の父・アンベードカル博士がヒンドゥーのカーストと戦ったことを想った。ガンジーがヒンドゥー教徒としてカーストを克服しようと試みたのに対して、アンベードカル博士はヒンドゥーから仏教へと改宗しなえければ真の人間平等、自然界との融和は果たされないとした。そうしたことと比較して、これを考えてみたいのだ。そうすべきだと思うのだ。こうした比較は研究の途上と言ったが、「キング牧師とマルコムX (新書)」上坂 昇氏の著作がある。また、日本基督教団出版局のもので少々偏っている感もあるが「夢か悪夢か・キング牧師とマルコムX」という本もある。どちらにしても、仏教的な見地から暗い歴史を振り返って、人類の糧としたいのだが。

2005年5月14日土曜日

バス・ボイコット運動

公民権運動の、大きな発端となった事件、そしてキング牧師が公民権運動の指導者となる事件が、モントゴメリーで起きた「バス・ボイコット事件」でした。その当時のバスが、博物館の中に置いてありました。

1950年代の南部では、未だ公共機関のバスの座席は、白人用と黒人用にはっきりと区別されていました。モントゴメリーの市バスでは、36席のうち、全部の10席は白人専用で、たとえ後部が満席で前部に空席があっても、黒人が白人用の席に座ることは許されませんでした。さらに、白人席が満席の場合、黒人が席を譲らなければならないと決められていました。
この不条理な規則に立ち向かったのが、42才の黒人女性ローザ・パークス。デパートに勤めていた彼女は、1955年12月1日、仕事を終えて帰宅するために乗ったバスで、白人席のすぐ後ろに座りました。その途中、運転手が立っている白人を見つけ、運転席から同じ列の黒人3人と共に席を立つように命じました。ところが、これを拒否した彼女たちは、ついに逮捕されてしまったのでした。
ローザはすぐに釈放されましたが、当時のNAACP(全米黒人地位向上協会)は裁判にあわせてバスのボイコットを計画します。当時、これだけ不平等の条件だったにもかかわらず、モントゴメリーのバス利用者の3分の2が黒人でした。そのバス・ボイコットを成功させるために、デクスター・アベニュー・バプティスト教会に協力が依頼され、その指導者となったのが、その前年に牧師に着任したばかりの、弱冠26才のキング牧師だったのでした。

ローザさんは90才で、いまも健在とのこと。彼女は、この事件で仕事を失い、いやがらせも続いて引っ越しを余儀なくされましたが、公民権運動の英雄の一人として今も人権活動家の人々から尊敬されているということです。

このバスの中には、彼女を模した人形があります。そして、私たちが収録をしていると、次々と黒人の女学生が乗ってきて、彼女たちとの写真会になってしまったのでした。

博物館の中で

博物館の中に入る前に、4~5台の大型バスが停まっていました。私たちはモーテルの前でラジオの収録をしていると、そのバスからたくさんの学生たちが降りてきました。彼らは校外学習のために、きっとこの博物館の見学に来たのでしょう。あっという間に囲まれてしまいました。
しばらくすると、あることに気づきました。学生たちは黒人と白人、様々な人種の子どもたちが一緒にバスから降りてきて、私たちもそれを当たり前だと思っていたのですが、目の前に集まってみると、ピタッと白人のグループ、黒人のグループに分かれてしまったのでした。私たちは西海岸のアメリカは良く知っていて、そこでの学生たちやよくある青春映画で描かれるようなアメリカの学生たちは知っているのですが、南部の学生たちと接するのははじめて。ここは、人種差別の愚かな歴史を刻んだ博物館であり、そこから人種差別が撤廃され、アメリカは様々な努力を尽くして年を重ねてきたのですが、目の前のこの学生たちを見ていると、やはりその傷の深さ、解決しようと努力していても、まだ至らない「壁」のようなものを感じました。
その後、この博物館の中に入りましたが、そこでも子供たちは別々に廻っていきます。その内容は強烈なものです。それを、白人の子、黒人の子、双方に学ばせることで、いつかきっと人種差別の愚かな「壁」も取り払われていくでしょう。

恐ろしい差別の実態を表す標識が展示されています。「公共プール 白人のみ」という標識や「公衆便所~白人のみ~」「飲料水←白人 黒人→」などなど。シャワーも分けられていました。こうした展示物が所狭しと並べられています。さらに、最も衝撃を受けたのは、木から吊された黒人の写真などです。こうした展示物を学生たちと一緒に見て回ったのでした。

さらに驚いたことですが、私はこの博物館に改良服とお袈裟をかけて参りました。すると、黒人の子供たちは合掌して頭を下げてゆくのです。本当に、何人も何人もの子供たちに、極めて真面目で、尊敬してくれている姿で、合掌して頭を下げてくれるのでした。有難いことでした。

法は人によって弘まる

仏教徒である私が、何故キング牧師に共感を覚えるかといえば、それはキング牧師がキリスト教的な価値観を超えて、東洋的な価値観、仏教的ともいえる思想で行動したと思えることからです。彼は「兄弟愛」を説いて、聖書によって人種差別を正当化しようとする勢力、暴力によって白人と対決しようとする勢力を説き伏せてきました。彼の伝記には、その両勢力から強い批判や中傷を受け、傷つきながら公民権運動のリーダーとして立ち続けていくキングが見えてきます。キリスト教の「牧師」ではなく、「宗教者」として素晴らしい、学ぶべき点がある、と思うのです。
宗教者が、その宗教を「表現する人」「体現すべき人」であるとすれば、その人の生き方、理想も迷いも全て含めて、宗教者の一生は、全て大きな意味を持っているでしょう。ある意味でキングは、誤解されていた、間違ってきた宗教解釈も、その一身をもって正し、改めよと説いた。その生き様に、やはり強く惹かれます。

私たちには「法は人によって弘まる」という教えがあります。どれだけ素晴らしい「教え」「法」でも、それは「人」を介して伝わり、弘まっていきます。どこまで行っても、この人間界でブッダの法を弘めるのは「人」だと教えられている。だから、御法を手にする「人」は、佛法を体現する者として生きられるように努めなければならないのだ、と。間違った教え、法を信じていても、それに関係する「人」が様々な要因から魅力的であれば広まってしまう可能性があります。逆に、正しい教え、法を信じていても、そこにいる者が教えを体現せずにいればどうか。私は、このキング牧師の生き方を見ていると、真実の仏教・本門佛立宗の僧侶として、「何をしている」「もっと精進せよ」と思えるのでした。

クー・クラックス・クランの白装束

ジーン・ハックマン主演の映画、『ミシシッピバーニング』という映画を覚えていますか。社会的な問題作を描くアランパーカー監督の作品で、1988年に公開されました。実話をもとに製作され、扱っている問題とFBI捜査官に扮したハックマンの迫真の演技が強烈で、一度見るとなかなか忘れられない映画だと思います。
アメリカの病巣、ほんの数十年前に起こっていた人種差別問題。その中心的な存在だったKKK(クー・クラックス・クラン)によって引き起こされた殺人事件を中心に、人種差別が色濃く残るアメリカ深南部の実態と人間の愚かさを描いた映画でした。一般的には「KKK」として知られる「白人至上主義」「反外国人主義」の秘密結社ですが、その名称はギリシア語の「車輪・円」を意味する“クークロス Kuklos”に由来します。また「クラン」とは「クランズマン」=「会員」という意味から来ているようです。

64年、ミシシッピーの小さな町で、3人の公民権運動家の行方不明事件が発生し、そこにFBIの若きエリート捜査官と、たたき上げのベテラン捜査官が捜査に乗り出してゆきます。ところが、住民は彼らに敵意をもった目を向け、KKK団が執拗に捜査を妨害する。困難な状況のもと、思想も捜査方法も正反対の2人は、対立しながらも事件の真相をひとつひとつ暴いていくという映画。あの時代とはどういうものだったのか、当時の南部社会がどうなっていたのか、実にリアルに描かれています。人間の尊厳や誇り、憎しみや悲しみ、怒りについて問いかけてくる社会派サスペンス映画です。
政治家から警察官という公職にある人が、ある種の自信と自覚をもって「人種差別主義」を標榜していたのは何故なのか。単純に「いじめ」のようなことをしていたのではありません。彼らはある種の目的や使命感を持っていました。現代の私たちから見て、「あれでも人間か」と明らかに憤りを覚えるような行為も、白人至上主義の彼らにとっては正当性があり、崇高な使命のためにやっているような感覚を受けます。
この映画をここで取り上げた最大の理由は、捜査に協力するはずの警官が、実はKKKのメンバーであることが判明し、包囲網が犯人に迫ってくる段階で、ここで警官の妻がジーン・ハックマン扮するFBIの捜査官に告白をするシーンがあるのです。彼女は苦しそうにアメリカ南部で人種差別が残り、夫もそれに巻き込まれてしまった理由を語ります。「教育が悪いのよ。子どもの頃から『聖書の創世記9章27節に書いてある』って教え込まれる」、と。人種差別は、南部の敬虔なキリスト教信者たちが最も敬い崇める聖書(バイブル)からきている、というのです。このことを知っていただきたいと思うのでした。

この章、創世記は旧約聖書の冒頭。ご存じの方もいると思いますが、特にこの27節の前後は「ノアの箱船」で有名な物語が書かれた部分です。箱船から出たノアとその家族が農夫になった後、ささいなことからノアが怒りだします。ノアにはセム、ハム、ヤペテという3人の息子がいますが、そのハムはしたことに激怒し、ハムの息子カナンを名指しして、25節「彼は言った。カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」、26節「また言った。セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ」、27節「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。仏教徒の私からすると、この部分だけでも偏った考え方に恐ろしさを感じますが、これを「黒色人種はその特別な堕落の状態が述べられている」として、「カナンの末裔が有色人種である」という見解に発展し、「彼らが我々の奴隷となることは神が定めたのである」という解釈に至るのでした。

私は、このロレイン・モーテルの中に作られた国立公民権博物館で、この中に飾られたKKKの実物のコスチュームを見ました。映画の中でしか見たことのない、あの恐ろしい白装束が飾られ、それを小学生や中高生の黒人と白人の学生たちと共に見て回ったのでした。

2005年5月10日火曜日

あれから、2週間

帰国から、あっという間に時間が経ち、明日で2週間です。秋田にご奉公に行かせていただき、横浜妙深寺に帰山したのは30日の午後2時過ぎでした。そのまま夕方の4時から佛立開講150年奉賛記念大会の会議があり、布教区の管内寺院の有志者にご参集いただきました。この「グランデ・ファミリア」と名付けられた奉賛記念ご奉公は、今後の妙深寺、そして神奈川県下の寺院では最も重要なご奉公と位置づけており、30日の会議では奥山氏が事務局長に就任下さるなど、私にとっては非常に嬉しく、充実した会議となりました。時差ボケで頭がボーっとしていましたが、そんな疲れも飛んでしまうほど嬉しい第一歩でした。
次の日は5月1日。例月のお寺の行事では、最も忙しいのが1日です。月始総講があり、協議会という役中(ご奉公くださる方々)の会議があり、教務会もあります。しかも、5月1日には最近購入を果たした隣接地の地鎮の法要があり、この日も目一杯に充実した日でした。次の日の2日には、これも新しい試みで、妙深寺の近くにある「エンクエントロ」というレストランで、「ともしび法話」という会が催されたのです。これは、それこそ本当の有志の方々、高島さんという素晴らしいパーソナリティーと感性を備えた方がリードして開催にこぎつけたサロンのような試み。普段は固くなり過ぎて、実は住職とは話が出来ていないということで、こうした場所で「ティーパーティー」のような形で、住職を囲んでみよう、と。小さくて、本当に落ち着くレストラン、「エンクエントロ」は「出逢い」という意味だそうで、実は横浜経力寺のご信者さんが経営されているお店。そして、その名前の通りに、当日はご信者さんだけではなく、芸術家から詩人、歌人など、多くの方々が参集されていたのでした。ここでは、妙深寺所属で、ローマ芸術家協会名誉会員の詩人、安彦志津枝姉の詩の朗読会も開催。本当に素敵な会でした。和やかに、暖かく、盛り上がりました。そして、京都のご奉公に上がり、長松寺で御講有猊下の随身をさせていただき、横浜に帰山してから連日教区御講、布教区総会、御総講、神奈川布教区住職会、等々、、、、と。あっという間の、2週間で、今日、今さっき、夕方になって、ようやく落ち着いてPCに向かい、「ブッディスト・トランス・アメリカ」のことを考えられるようになりました。ようやく写真も整理して、見直して。
上のこの写真はグランド・ゼロ。あの時のこと、ご回向のこと、私の気持ち、御題目口唱の御声。それらを思い起こしていました。次の写真は、ロレインモーテル前のストリートにそれとなく置かれたテーブルに、キング牧師の写真が飾られていたもの。非常に印象に残っている風景です。
アメリカでは、何とか御祈願してくださっている方々のためにも、このブログで報告したい、と思って頑張って書いていましたが、読み返してみると誤字脱字ばかり。しかも、内容も単なる旅行記になってしまっていて、ラジオ収録で話をしたご信心的な中身が薄い。これは大変に申し訳ないな、と。運転して、深夜にホテルに着いて、そしてブログに書き込んでいたので、こうなってしまいましたきちんと、続けて書いていこうと思います。TJSラジオでは、5月13日(金)から放送という連絡がきました。ケンジ君が編集作業を続けてくれています。

2005年4月25日月曜日

マーチン・ルーサー・キング・Jr

世に知られるキング牧師は、後に「ダディ・キング」として知られるマーチン・ルーサー・キングの息子です。もう、この時点で、僕はキングに少しだけ共感してしまうのですが、彼は悩みながらも父と同様に牧師としての人生を歩み始めます。そして、本人が望む、望まないに関わらず、キングにしか出来ないような課題、為すべきことが何であるかを知るのでした。
リンカーンが奴隷解放を宣言したにもかかわらず、アメリカの深南部では根強く人種差別が残っており、「ホワイト」と「カラード」と書かれ生活空間すら共有させない風習が残っていたのでした。食堂、トイレ、手を洗う場所、バスの座席に至るまで、まるで白人と黒人はすみ分けをされていたのでした。人間として、同じ権利を持つことが出来なかった、させなかったのでした。当時の黒人には選挙権すら与えられていませんでした。これが、わずか50年前のことです。
モントゴメリー事件という、疲れた初老の女性が、バスの中で腰掛けた白人シートに、運転手が猛烈に恫喝したことから、キング牧師は黒人の権利を獲得する、平等の権利を主張する運動のリーダーへとなっていきます。
彼や、彼とは別の団体も、このアメリカに巣くう病巣を変えるため、「人種隔離廃絶運動」「選挙人登録運動」を推進していきます。しかし、同時に、それを進めるための方法にも、様々な意見が出て、黒人の運動は激流のような流れを、どのように、どの方向に、上手に導いていけるかが、最も大きな問題となったのです。一触即発、過激な方法で「公民権」を獲得しようとする勢力、政府の転覆や社会不安をもっともっと煽ろうとする勢力が次々に現れてゆきました。
その中で、このキング牧師は、黒人や白人勢力の双方からいらだちや罵声を浴びながらも、「非暴力」「無抵抗」という主張を展開し、暴発寸前の黒人感情を、歴史に残る形、永遠に尊敬される運動へと導いていったのです。これは、キング牧師がインドで植民地支配のイギリス帝国と交渉していたマハトマ・ガンジーを敬愛していたことから考え出され、提唱・実行されたのです。
ところが、このキング牧師もまた、マハトマ・ガンジーやJFKと同じように、1968年4月4日、午後6時前後、黄昏のこのモーテルのバルコニーで、右のあごと首を狙撃され、命を落とすことになったのです。

暗殺の現場

「ブッディスト・トランス・アメリカ」は、ふと考えてみると「暗殺現場を巡る旅」のようになってしまっている、とディレクターのケンジくんが言っていました。確かに、お坊さんが出ているだけでも難しい番組設定です。その上、旅の内容が重たい場所ばかりで暗い話ばかりしていては仕方がありません。一生懸命に、分かりやすいお話をしよう、楽しくしよう、と思っているのですが難しいものですね。でも、やはりこの旅は、いまや世界の中心ともいえる超大国アメリカの今を、歴史に残る出来事や事件、人や場所で区切って、「仏教的に」どのように見えるかを対話形式で伝えていくのですから、少々シリアスな現場に足を運ばなければならないでしょう。いま、目の前にあるモーテル。花輪の飾られているあのバルコニーで、キング牧師は暗殺されたのでした。

ロレイン・モーテル

言ってしまったら、怒られるかも知れませんが、私はある視点から、キング牧師やマザー・テレサ、そしてマハトマ・ガンジーを尊敬しています。それは、彼らがある理想をもって邁進し、何事にも恐れず、信念を持って生きたことによります。異なる信仰に支えられた人ですら、こんなに素晴らしい人がいるのですから、佛立宗の教務はこれ以上の信念と実際の「行動」が求められているのだ、と。それを、思い知るために、そして宗教を超えて尊敬できる活動家として、このメンフィスではキング牧師の暗殺現場である、「ロレイン・モーテル」を訪れました。

2005年4月22日金曜日

リトルロック・セントラル・ハイスクール

リトルロックでの私の最大の興味は、セントラル高校でした。ここで、壮絶な人種差別問題を語る顕著な一例が示された。その模様は全米に放映され、さらに公民権運動は大きく広がっていったのです。実は、この高校に寄る予定などはなかったのですが、道を間違えてしまいまして、3時間も遠回りをした果てにリトルロックの市街に入ることになったのです。せっかくリトルロックの市街に入るのであれば、「セントラル高校に行きたい」と急遽訪れることにしました。
この「リトルロック」という名前を全米の人々の心に刻んだのは、公民権運動の初期に起きた黒人生徒の公立高校編入をめぐる「リトルロック危機」。その舞台がセントラル高校でした。
アーカンソー州で最も有名な人といえば、ビル・クリントン米国前大統領です。私たちは、アーカンソー川沿いに最近建てられたクリントンセンターを横に見ながら、ダウンタウンから3マイルほどの高校を目指しました。そう、クリントン大統領は、このセントラル高校の卒業生でもあります。

「アメリカで最も美しい」と絶賛されたセントラル高校の校舎。当時のアメリカ社会は奴隷解放令が出ていたとはいえ、特に南部では根強く人種差別が残されており、この美しい高校は事実上「白人のためだけ」の高校となっていました。ダンバー高校という黒人専用の高校もまた開校されましたが、その建設費はセントラル高校の4分の1でした。
1954年、最高裁で「人種分離教育は違憲」という判決が出され、全米黒人地位向上委員会(NAACP)はダンバー校から成績優秀な9人をセントラル高校に転入させる手続きを取ったのです。
黒人の生徒を受け入れることに反対した市民とPTA。その高校に入学することを許された黒人の高校生9人。市民評議会は「彼らの入学を許したら、いずれ我々の子供と結婚する黒人が現れることだろう。異人種間の結婚は病気が懸念される」というものでした。わずか50年前のことですが、この現実に歴史に刻まれている恐ろしい言葉が信じられないくらいです。この男子生徒3人、女子生徒6人の黒人生徒は、数千人規模で集まった反対派が囲む中、プレッシャーと命の危険もかえりみずに登校しました。州知事は州兵を動員して、実力で黒人の生徒の登校を拒否。その後、白人至上主義者とNAACPとのにらみ合いが続き、緊張の度は増すばかりだった、と。その中で勇気ある行動をし、平等に教育を受ける権利を表明した黒人生徒9人は、今でも「リトルロック・ナイン」と呼ばれ尊敬されています。
結局、アイゼンハワー大統領は州知事に指導をしましたが、それも功を奏さないため、1200人の武装兵士を校内に駐留させ、黒人生徒が学校に通えるようにしたのでした。現在、フィリピンがイラク戦争に派遣した兵士の数が200人。それでも撤退を考えているというニュースもありますが、その6倍の兵士が学校に駐留していたのです。アメリカにとって、どれほど大きな「危機」だったか分かります。
テレビを通じて、彼らが多くの群衆に罵られ、押し戻されながら登校する姿が全米に放送されていました。その衝撃が全米中に伝わり、公民権運動はさらに加速していくのでした。今のリトルロック高校の芝生の上からは想像もつきません。過ぎた日の恐ろしい出来事も穏やかな空気に包まれて夢のようです。
この9人の中の1人が卒業する際、かのキング牧師も卒業式に参列し、心からお祝いをしたそうです。

生花か造花か?答えは横浜ラグーン

  9月23日、秋分の日、FMヨコハマ「横浜ラグーン」の放送が出来ました。おかげさまです。ありがとうございます。 今週は番組に届いたお便りにお答えしました。秋田からのお便りも嬉しいです。 職場での人間関係に悩む方、「有能有敵、無能無敵」と心得て、少し心の感度を落としつつ、前向きに...