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2022年12月24日土曜日

戦争は終わる。あなたが願えば。

今夜はクリスマスイブ。クリスマスソングといえばこちら。

ジョン・レノンの代表作の一つ、John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choirによる“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”です。

オノ・ヨーコさんご本人が付けた映像はこちらです。衝撃的な映像です。それぞれ確認してご覧ください。

人間の愚かさを痛感しながら過ごす夜です。

「我々が歴史を勉強すると我々が歴史から学んでいないことが分かる」ヘーゲル

「人間が歴史から学んだことは歴史から何も学んでないということだ」チャーチル

極寒のウクライナで震える人びと、戦争と紛争、差別や搾取、理不尽な理由で理不尽に扱われ、過酷な環境に置かれて苦悩している全ての人びとを想い、祈ります。

人間が成長しますように。
人間の価値観が少しでも上昇しますように。
人びとが妄想や幻想から抜け出しますように。
人びとに悟りの光が現れますように。

戦争は終わる。あなたが願えば。

Namu Myo Ho Ren Ge Kyo 

ヨーコさんがこの映像を付けた意味を受け止めましょう。

“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”
https://youtu.be/yN4Uu0OlmTg

2010年11月13日土曜日

『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』

愛する人を憎む人生なんて意味がない。
そうだろ、母さん。
何としても時間を作って、観に行きたい映画なんて、そうあるものではありませんが、これは観たい(涙)。
BEATLES結成直前までの多感な時期のジョン・レノンを、二人の母親と共に描いた映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(原題は『Nowhere Boy』)。
5歳のときから両親と離れ、伯父と伯母に育てられたレノン。彼の後半生に決定的な影響を与えた愛、哀しみ、別れ。
この映画の主題歌は、「マザー」。この時点で、涙が出てきます(涙)。ジョンの、母を呼ぶ叫び声が、聴こえて(涙)。
愛は痛みを伴います。みんな器用ではないし、むしろ不器用だから。
しかし、痛みは、強さや優しさを生み出します。痛みを恐れて愛することを止めてはいけない。愛することからしか、生まれない、学べない、何かがあります。
解決できなかったのは、愛を求め過ぎていたからか。愛することを取り戻した時、彼は決定的な孤独から
解放されたのか。
終わるまでには、観に行きたいです。映画館で、ジョンの声や歌を聴いて、ボロ泣きしたいと思います。変かもしれないが、この分野だけは許していただきたいです。僕にとって自分のミッションや方向と、一体のものだから。
と、パソコン画面の小さな文字を視すぎてチカチカした目を休めるつもりが、もう5時半。
閑話休題。時間がない(汗)。

2010年10月3日日曜日

人生の勝利 (補足)

先日、ジョン・レノン・ミュージアムの帰りに書かせていただいた記事「人生の勝利」に、コメントをいただきました。返信が遅くなって、申し訳ありません。

「一晩、わるいアタマで考えてみましたが、人生に勝ち負けは、やはりないとおもいます。迷いは、むしろ勝ち負けがあるという錯誤から生まれるようにおもえます。それは小生ら信者のみならず、誓願得度した教務さんとて同じではありませんか。もうすこしわかりやすく説いてください。納得がゆくかもしれません。」

すいません、分かりにくくて。もう少しだけ、書かせていただきたいと思います。

ジョン・レノン・ミュージアムの最後の部屋に、彼の言葉を集めたボードがありました。その中に、「人生の勝利がなんであるかが分かった」という意味のことが書かれており、私は、仏の教え、ご信心をさせていただいている者として、心から共感し、そしてブログに掲載しました。

すなわち、「人生の勝利が何であるか、知らなければならない。それが分かった者は迷いから解放される」と書きました。とても重要なことだと思います。

勝ち負けがない世界が仏陀の世界であるというのはそのとおりで、それを娑婆世界に当てはめても綺麗なのですが、実際に凡夫の私たちが生きているのは、生存競争をはじめとする相対の世界。外界に於いても内面に於いても、相対の中にいて、優先順位を決めて、何事かを為すという選択に迫られます。

佛の教えを学ぶのに「相待妙」「絶対妙」という筋があります。相待(相対)して絶対の妙を知ります。また、絶対の妙から相待の世界に下りてゆきます。相待から絶対、絶対から相対。教弥実位弥下。

悟りの世界とは「涅槃(ニルヴァーナ)」であり、そこには争いはない、勝ち負けもない、というのは間違いではないけれど、どこか厭世的な小乗仏教、禅宗的な世捨て人の世界で、法華経本門の教えではないように思います。

娑婆に入り、娑婆の衆生を寂光へ 帰すは仏の使なりけり。

法華経本門の御法門では、常に、この娑婆が勝負、この娑婆の泥の中に飛び込んで、泥を厭わずに純白の蓮華の花を咲かせようとしますから、菩薩は凡夫と同じ姿をし、同じ生活をしているはずです。

競争の世界で生きてきて、社会的な風潮もあり、内面的な葛藤もあり、優先順位に迷って生きてきた者が、何が最も大切な生き方かに気づいた。それこそが、最も人間にとって尊い生き方だと気づいた、世間の「勝者」とは全く違うが、それこそが本当の意味の勝者である、と。

如説修行抄の「法王の一人は無勢なり。今に至りて軍やむ事なし」とあるのも、末法の娑婆世界で泥を厭わずに生きる本化の菩薩方の姿勢かと思います。
もちろん、ジョン・レノンが、そんなことを言っているとは思っていません(笑)。しかし、私は今までも「人間の本業」とか「損益分岐点」と言って書いてきたのは、このこと、こうした感覚、凡夫の私たちでも到達する「分岐点」があるということだった、この「人生の勝利」も全く同じことを言っている、と思いました。

そして、ここに書いたとおり、損益分岐点を迎えた人、競争の終わらない人間世界だけれど真の勝利とは何かが分かった人は、そもそも、もう、ただの「損得」や、仰せのような低いレベルでの「勝ち負け」にこだわらず、本当の価値(勝ち)に気づいて、そこに立脚して生きるので、迷いがなくなる。

そういう意味で書きました。まだ、言葉が足りないかもしれません。申し訳ありません。

ありがとうございます。

2010年9月30日木曜日

人生の勝利

人生の勝利とは何か。知らなければなりません。
それが分かったなら、全ての迷いが無くなるのです。

ジョン・レノン・ミュージアム

途中下車をしました。申し訳ないですが、数時間だけ行きたかった場所へ。
今日、ちょうど閉館するジョン・レノン・ミュージアム。あまりに忙しくて、ずっと来れなかった。
最終日に、こうして、ピッタリと、ミュージアムの横を通り過ぎるなんて。これは必然、これはサインだ、と(笑)。そして、新幹線を飛び降りたのでした。
一人で並んでいます。

2010年5月2日日曜日

Think different. 本気で信じる人

 アップルのCMのコピーを載せましたが、少し違っているようですね。申し訳ない。ずっとずっと前から、ずっと頭の中に残っている素敵な言葉なのに、間違っていては申し訳ない。

 それは、本当は、こんな言葉です。

「自分が世界を変えられると、
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから」

  そう、もう古いCMだから、観たことのない人たちもいるでしょう。是非、観ておいて欲しいですね。忘れちゃいけません、こういう気持ち、こういう姿勢。ずっと、少年のように、若年寄りみたいなことを言わないで、本気で信じましょう。世界は、もっと良くなる。僕たち次第。

 便利になりました。You Tube。ありがたい世の中ですね。Macからはじまり、i Podやi Phoneやi Padと、完全に世界を一新してきたアップル。創業者のジョブズについては、そのスピーチを紹介したのですが。今回は、有名な「Think different」というCMを紹介します。


2010年1月10日日曜日

坂本龍馬と本門佛立宗

 ジャン=ポール・サルトルから「二〇世紀で最も完璧な人間」と称され、大好きなジョン・レノンが「世界で一番かっこいい男」と言ったのがチェ・ゲバラ(通称)。フィデル・カストロは「子供たちにどんな人間になって欲しいかといわれれば、私はゲバラのような人間にと答える」と言っている。
 チェ・ゲバラはキューバ革命の英雄だが、地位や名声に見向きもしなかった。アフリカや中南米を転戦し、医師として貧しい人々を診察しながら、虐げられ、苦しむ人々のために戦った。一九六七年十月九日、ボリビアで捕らえられ、処刑された。三十九才だった。
 信念を貫く彼の生き様は、主義や思想の壁を越え、世界中の若者の心を捉えている。人間的な魅力、彼の純粋さ、彼の無欲さ。彼は、人間の可能性を実証してくれた。名もなき若者は、世界を変えた。か弱い人間の憧れの存在となった。
 日本には彼を超える英雄、坂本龍馬がいる。時代も思想も違うが、幕末の革命家として名もなき若者が世界を変えたことには違いない。人間的な魅力、純粋さ、無欲さは日本人の多くを魅了してやまない。
 本年、幕末の志士・坂本龍馬の人生を描いた「龍馬伝」がNHKの大河ドラマとして放送される。今年は全国で龍馬人気に便乗したキャンペーンが展開されるだろう。高知も京都も長崎も、龍馬ツアーで賑わうことになる。
 坂本龍馬。子供の頃は、泣き虫、はなたれ、寝小便。十一才までは落ちこぼれ。十二才で最愛の母を失う。剣術に没頭し、江戸に修行して多くの若者と交流する中で、目覚ましい成長を遂げる。激動の時代、彼は脱藩して志士となり、東奔西走して薩長同盟、大政奉還という偉業に貢献する人物となる。残念ながら、龍馬もまた三十三才の若さで非業の死を遂げた。
 龍馬の生き様や精神性、魅力は、伝説も含めて圧倒的多数の日本人が支持している。今回のドラマで女性ファンも多く生まれることだろう。
 高知で生まれた郷士の次男坊が国を変えると志を立てて、実際に大業を成し遂げた。そんな青年の青春に感動を覚えない者はいない。
 しかし、「龍馬ファン」は多く、商売の道具のように彼の名を使うことはあっても、彼の真意に迫る者や機会は少ない。きっとドラマでも紹介されないであろう彼の真意を探り、憧れているなら憧れているだけの生き方を知り、実践していただきたいと思う。
 坂本龍馬は、生涯を通じて三冊の本を海援隊から出版している。ユニークな一四〇通余りの龍馬の書簡は紹介されることが多いが、推敲を重ね、正式に世に出された三部作、「藩論」「和英通韻以呂波便覧」「閑愁録」が紹介される機会がない。極めて残念なことだ。
 中でも、「閑愁録」は龍馬存命中の慶応三年五月、書記の長岡謙吉に執筆させたもので、開国をし、西欧の文物が流入してくる中で、日本人の「心」が崩壊するのではないかと危機感を表明している。キリスト教などに「狐惑」されてはならぬ、そのためには、「仏教」こそ立ち上がらなければならない、再生しなければならない、僧侶よ、何をしているのだ、と述べている。
 坂本龍馬は、極めて篤い仏教徒だった。この閑愁録には、
「佛法は國家を保護する大活法」
「独り佛法は無辺の鳥獣草木に到るまで済度すべし、何ぞ況や有縁の衆生に於てをや」
「故に、佛法は天竺の佛法とのみ言うべからず。乃(すなわ)ち皇国の佛法なり」と明記されている。
 そこまで述べてから龍馬は幕末日本の仏教界、坊主の堕落を糾弾して、悲憤している。その結びは、
「皇道の衰運に係る是れ実に誰が罪ぞや。是れ実に誰が罪ぞや。此に卑見を録して明識・高徳の指示を待つ。希くは天下満霊の為に、慈悲の法教を垂れよ」
である。坂本龍馬、そして海援隊は、世の宗教者、僧侶たちに公開質問状を叩きつけ、覚醒を促した。しかし、これに応えた僧はなく、閑愁録もいつしか忘れ去られた。
 ただ一人、この龍馬の質問状に応えた方がおられた。その人こそ、佛立開導長松清風日扇聖人である。
 日扇聖人全集の第三巻五一頁と第一六巻一三二頁に「閑愁録」を読み、その文を引用され、所感を述べておられる。しかも、閑愁録の論旨がお祖師さまの立正安国論と符合していると賛辞を送られているのである。
「天下の乱れは、佛法の乱れより起こるの説、宗祖の安国論の御説に合す」扇全三巻五六頁
 恐ろしいまでの符号。坂本龍馬とお祖師さま・立正安国論までが符合し、開導聖人・本門佛立宗と坂本龍馬は、特別の御縁を有する。これは歴史的な事実であり、他の宗教者は誰も見向きもしなかった坂本龍馬と本門佛立宗・開導聖人との御縁なのである。
 天下の乱れ、世の中の混乱は、仏の法の乱れから起こっていると龍馬は言った。それはお祖師さまが立正安国論で説かれた「正しい佛法を信仰しない限り、あなたが抱えている問題も、世の中にある問題も解決しない、この世に平穏な日々が訪れることはない」との教えと同じこと。そこに、龍馬は気づいているではないか、と開導聖人はお示しなのである。龍馬が好きならこれは知らねばならない。
 いま、時代が龍馬を求めているという。混乱と不安、新しい時代の幕開けに当たっては当然である。 しかし、龍馬が求めたのは真実の佛法であり、堕落した僧侶らの覚醒であり、日本人が正しい信仰を取り戻すことだった。単に青春の群像、若者のヒーローではない。
 私たちは、本門佛立宗の僧侶や信徒として、これを誇りに思い、堕落した僧侶や生半可な信徒など許されないことを知るべきである。動乱の幕末、龍馬の公開質問状に応えた本門佛立宗の、開導聖人の弟子であり信者であることを忘れてはならないのである。
 幸福の科学の大川隆法が龍馬の「霊言」と称して本を書いている。愚かの極みだ。精神に病を抱えた教祖が龍馬を語るなど、龍馬自身が聞いたら呆れて激怒するだろう。それを読む者こそ「狐惑」されている。龍馬が糾弾した葬式仏教に甘んじている者も龍馬を知らない。キリスト教の教会で結婚式を挙げ、単に西欧にかぶれて、正しい仏教への正しい信仰を持つことなく、その実践もしない者など、龍馬が認めるはずがない。
 坂本龍馬に憧れる者はいても、彼の本心を知る者は少ない。本門佛立宗の信徒だけが、命を懸けた彼の本懐に応えられる。

2009年12月26日土曜日

世界中が盲目になってしまう

 昨夜、連絡を受けて、驚きました。

 「金スマ」という番組。オノ・ヨーコさんが出ていて、まさに、先日書いた記事の内容と同じことが放送されている、と。そして、同じく紹介した「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」のビデオクリップが全編にわたって放送された、と。素晴らしい機会を与えていただきました。あの、衝撃的な映像が、民放で流されるなんて。すごいことです。

 そうでしたか。よかった。世界が、分裂と対立、中傷や誤解から解放されるよう祈りたい。恐ろしい兵器や銃器が人を殺すのではなく、一人一人の心の中にあるものが人を殺すということを、世界中の人々が気づくように。 

 「目には目を、では、世界中の人が盲目になってしまう(ビデオクリップの最後に紹介されるマハトマ・ガンジーの言葉)」

2009年12月24日木曜日

クリスマスイブの待合室

 今日は、朝参詣が終わった後、すぐに横須賀まで走りました。目の前に横須賀港が広がると、巨大な潜水艦が3隻停泊していました。いつもよりも1隻多い。年末だからなのか、大きな艦船がたくさん並んでいました。あ、世間はクリスマスイブだからかな。
 今日、横須賀に来たのは病院に行って診察を受けるため。定期的にチェックしなければならない部分があるのですが、忙しさにかまけて3年ぶりになってしまいました。これじゃまずい、と思い、いろいろなことも重なっていますし、予定を探して、今日の診察となりました。
 診ていただくのは先住(父)も診ていただいていた先生で、もう10年以上お世話になっています。いろいろなことがあり、私は心の底から信頼しています。本当に、素晴らしい先生です。
 先住の闘病の際、うちひしがれる私たち家族に対して、懇切丁寧に対応してくださいました。私のご奉公、先生の朝から晩まで患者に向き合う姿、手術の日には10時間近く執刀することあれば、外来で何十人もの人と向き合う、入院中の方々の回診をされる、そんなすごい医師、先生の姿に学ばせていただいている部分があります。
 いつも突然のお願い。勝手な時間になってしまいました。予約してくださった瓜生さん、そして藤田さん、ありがとうございます。
 昔、意識不明の父の看病をしていた頃のこと。床擦れを防ぐクッションを買いに行きました。そうしたグッズが高島屋にあるということで、病院から横浜駅に行ったのです。
 重苦しい病室から一転して、賑やかな高島屋の店内。その一角にある小さなお店。その小さな店内で介護用品を探している私たち。数人、同じように看病に疲れておられるような方々がおられました。賑やかな世の中とのギャップが痛切に感じられて、何故か涙が浮かびました。あの時のこと、その情景、気持ち、忘れられません。いや、忘れないようにしています。
 今日、病院でよかった。仏教徒である私には何の関係もありませんが、世の中は「クリスマスイブ」という賑やかな日だから。だからこそ、病院に行けて良かった。クリスマスイブ、そういう日にも、ここには病気で苦しむ人がいて、それを見守るご家族がいる。体調が悪かったり、病気を抱えていたり、不安だったり、元気がなかったり、心が晴れないであろう多くの方々と一緒に、待ち合い室に並んで座れて、よかったです。
 私は、ジョン・レノンが好きです。彼の才能、曲や声が好きなのは当然のことですが、それ以上に、彼の考え方や生き方に共感しますし、感銘を受けています。
 「レノン・レジェンド」というDVDがあります。オノ・ヨーコさんが映像・監修をされたものですが、この中に、ジョン・レノンのクリスマスソングである「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が収録されています。これが、猛烈な、痛烈な、辛辣な、哀しいほどの皮肉に満ちていて、はじめて観た時、僕は涙が出て仕方がありませんでした。
 その、曲の、綺麗な旋律が流れる直前、彼女と彼は、自分の子どもたちの名前をささやきます。そして、ジョン・レノンのクリスマスソングが始まる。
 しかし、そのクリスマスソングの映像は、冒頭から、キラキラと輝くクリスマスツリーや電飾などを映すのではなく、足を地雷によって吹き飛ばされた少年、戦闘に巻き込まれ、誤爆(そんなものは最初からないと思っていますが。確信的爆撃以外に何があるでしょう)され、死にかけた子どもたち、憎しみに燃えた少年たちの瞳、そのベッドの傍らで途方にくれる父親、民族衣装を着た老人が毛布に包まれ足だけ見えている赤ちゃんの死体を抱きながら震えながらむせび泣いている映像、死体、涙、喧嘩、兵隊、子ども、赤ちゃん、爆弾、硝煙、死体、死体、兵士、埋葬、涙、戦地、別れ、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、戦車、人間、人間、人間…、涙、涙、涙、死体、少年兵、貧困、飢餓、子ども、子ども、と続きます。
 世の中、こんなに浮かれてるのに、クリスマスだとか、正月だとか、それらを祝っているのに、一向に愚かな戦争は終わらないじゃないか、なにがクリスマスだ、なにが正月だ、傷ついている子どもたちを見よ、嘆き悲しんでいる家族を見よ、苦悩する人々を見よ、これでもか、これでもか、これでもか、と、目を背けたくなるような映像が続くのでした。私には、これが彼らによる一流の皮肉、メッセージだと思います。
 誰もが、多くの戦争や紛争が宗教によって引き起こされてきたことを知っています。中でも、私は、イエスが「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは、敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして、 自分の家族の者が敵となる。」と、その聖書の中で明言しているとおり、多くの愚かな紛争が旧約聖書を起源とするユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教によって引き起こされてきたと考えています。
 この聖書の言葉でも明らかなように、特にイエスによって創始されたキリスト教によって、植民地支配や民族間、宗教間の争いが助長されてきたと考えていますし、それは歴史的な、時事的な面でも、事実だと思います。なんといっても、「私が家族に平和をもたらしに来たと思うな。私は家族に争いをもたらしに来た」ということを言っているのですから。
 だからこそ、この曲と、この歌詞、この映像の、何と皮肉に満ちたことか。明らかに、強く、世界に、多くの人々に、何を祝ってるのか、何をやってるのか、何をやらなければならないのか、と再考を促しています。私は、そういう意図があると確信しています。それを考えずに、「メリークリスマス」などと言って乾杯しているのは、愚かの極みではないでしょうか。それで大丈夫でしょうか。おかしくないでしょうか。
 「正しい信を持たないかぎり、この世界が抱えている問題は解決しない。穏やかな、平和な日々が訪れることはない」。これが答えです。仏教の帰結するところ。これが結論です。立正安国論で説き明かされた御意です。「平和ではなく剣をもたらすためにきた」というイエス。その誕生を祝って、今夜はクリスマスをするのですか?是非、このリンクから、あなたも映像を観てもらいたい。もちろん、「メリークリスマス」と曲の中には出てきますが、その深い意図を、考えてみていただきたい。
 私は、今日や明日という「クリスマス」という期間や日を、「仏教再考の日」にしてはどうかと思っています。これを言うと笑う人がいますが、冗談じゃないんです(笑)。「仏教最高の日」でも「仏教再興の日」でも良いのですが、とにかく、今一度、キリスト教と、その宗教、今の世界、紛争、命、人類、人間というようなことを考え、そして、仏教の教えるところを考えていただきたい、仏教の尊さを考えていただきたい、仏教こそ、人類の宝であることを考えていただきたいのです。そういう日に、してはいただけないでしょうか。やはり、冗談に聞こえるかな(汗)。
 自分の病院の後、待ち合わせをして別の病院にお見舞いに行ってきました。やはり、重苦しい病室の中でしたが、意識が混濁しておられる方の手を握り、ご家族と一緒に御題目をお唱えしていると、苦しみも哀しみも、一つになって溶け出し、幸せや喜びに代わっていくのを感じます。最大の不幸も、幸せへと変わる。そうでなければなりません。
 そして、横浜に戻りました。夕方の空の色が、あまりにも綺麗だったので、写真を撮りました。本当に、地球は美しいです。かけがえのない、美しさ、尊さです。ここに、住まわせていただいて、本当にありがたいと思います。私たちの愚かさで、壊すことのないようにしてゆきたいものです。
 本当に、日々に感謝。美しい空、星、人々に、感謝です。
 ありがとうございます。では、PCでも携帯電話でも最近は観れるようになってきましたので、ジョンの曲をお聴きいただきたい。お坊さんが、クリスマスソングを勧めるのは変?謗法?いや、だからこそ、菩薩の誓いを、ご弘通の使命を、噛みしめていただきたい。

2009年12月8日火曜日

ジョン

今日は、ジョンの、亡くなった日でした。それだけです。

2007年12月8日土曜日

John Winston Ono Lennon

 今日は彼の祥月命日。そう、1980年12月8日に逝ってしまったJohn Winston Ono Lennonの。

 実は、最近毎年オノ・ヨーコさんが提唱してライブが開催されている。今年は12月8日の命日に開催されることになった。この「Dream Power ジョン・レノンスーパー・ライヴ」は、ジョンが歌った音楽を中心に、ジョンが残したメッセージ、愛と平和のスピリットを受け継ぎ、それを次の世代に伝えていこうとするイベント。コンサートの売上は、アジア、アフリカの子どもたちの学校建設資金になるという。

 そう、このブログでも何度か書いてきたが、私はジョンが大好きだ。といっても、私からするとジョンは何世代も前の人。だから、実は最初彼の音楽に惹かれたというよりも、最初から違う角度から彼に惹かれていったのだった。

 ラジオやテレビで彼の曲を何度か耳にしていて、どこか心に残っていた。先輩に教えてもらって聞いたこともあった。しかし、それはそれで、そのままに終わっていた。幼かった自分にとって、ビートルズもイーグルスも、いやモンキーズも、大した違いがあるように思えなかった。しかも、英語力が全くなかったのだから、歌詞の意味も分からなくて、日本の歌の方が親しめた。そういう音楽センスしか持ち合わせていなかったのだ。

 ところが、ある時「どんな人だったのだろう」と、ふと彼について調べたくなったことがあった。そして、自分なりに色々な本を読み、彼のメッセージや生き様、彼が目指した平和、宗教に向き合う姿勢、宗教(宗教のもたらす弊害)への批判と希望について知るようになって、「何てスゴイ人だったのだろう」と感銘したのだ。

 今日は、その彼の祥月命日。Yaccoさんはジョンの映画のチケットを2枚もプレゼントしてくれた。ありがやい。Yaccoさんもジョンを心から敬愛している。明日はヨーコさんが舞台挨拶するステージにも行くそうである。

 その映画は、「PEACE BED ~アメリカ vs ジョン・レノン~ 」というもので、彼の端的なメッセージ「もし変えようと思うなら。本当に変えようと思うなら。世界は変えられる。」とチケットに寄せられている。もう、今なお語り継がれる彼の表現者としての強いメッセージは、羨ましい気持ちすらする。是非、横浜か京都で時間をつくって観に行きたい。

 2005年、私はロスからアメリカを横断してニューヨークにたどり着いた。そして、真っ先にセントラルパークの西側にあるダゴダハウスを訪れた。1980年12月8日に、ジョンが凶弾に倒れた場所である。私たちは、このアメリカ横断の途中で、キング牧師の暗殺されたロレイン・モーテルを訪れ、JFKの暗殺されたダラスを訪れ、ワシントンではJFKの墓地にも寄った。暗殺という恐ろしい凶行が、何ものにも代え難い命を奪い、人類がより良く変革を遂げてゆく可能性まで奪ってしまうことを思い知った。

 ガンジーは、悪しき者は必ず負けると語った。真実は負けたことがないと言うのだ。彼の身近にいる者が反論した。「何を言うんです。歴史を振り返れば、邪な人間や勢力が勝っているではないですか」と。すると、ガンジーは答えたという。「そのようにお前たちが言っていることを聞いても、悪が負けているという証明だ。悪は、必ず悪であることを世に知られ、真実は必ず真実であること知られる」

 時間軸をもっと永くすれば、真実は勝ち、悪は負けるということだろうか。そう、ガンジーの言葉というよりも、ブッダが示した世の見方、生き方である。

 愚かな人間の恐ろしい凶行によって、人類の可能性を引き出せるような、尊い「存在」が失われても、それで尊い存在が悪しき存在や力に負けたということではない。それで全てが終わりということでは決してないものだ。

 結局、真実の道を歩もうと、他の者を思いやり、平和を希求し、恐れもせずに努力して生きてゆくという「生き様」があれば、その「生き様」は永遠に「生き続ける」ということだろう。本当の命は死なない、いや実はさらに輝きを増すのだ。

 開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひに あらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌にお示しくださっている。真実は真実。必ず顕れる、との姿勢が大切。ブレていては仕方がない。

 ジョンのことを語っていると朝が来る。明日は朝から新線に乗って移動しなければならない。ジョンの祥月命日に、一言だけのつもりが、少し書きすぎた。


2007年7月4日水曜日

Across The Universe ~一念三千~

 今月の寺報の巻頭言には『サイン』について書かせてもらった。
 私が書いている『サイン』とは、日々に実感できるもので、ずっと教えられてきた「それが御利益ですよ」「お計らいね」ということを分かりやすくして使っているに過ぎない。

 開導聖人の御教歌には、
「風吹ば松も物いふ声すなり 祈らば験(しるし) などなかるらん」
とあり、御題目口唱が実際に何らかの「験(しるし)」として現れてくることを教えてくださっている。つまり、私が使う『サイン』とは『験(しるし)』との意である。

 『一念三千』という法華経の教理は、凡慮では完全に理解することが出来ない。「出来ない」というのはお祖師さまが、
「此一念三千も我等一分の慧解もなし」
と仰せであるから、私たちの智慧を駆使しても何ら得るところはない。ただ、その教えていただくところが、「一念」という刹那(一瞬)の中に全宇宙・森羅万象とつながり、ありとあらゆる生命、生命以外であっても、つながる、つながっている、それを感じ、感じられ、働きかけ、働きが返ってくるというブッダの「覚り」、究極の成仏の「理」。

 これを理屈で分かっても分かれないというのが、「我等一分の慧解もなし」で「私たちの智慧や理解が及ばない」「ただ、感じることは出来る」という。

 これは、私たちにとってはとても大切なことで、仏道修行の果てに見える「ブッダとなった状態(成仏)」やプロセス「一念三千」という「教理」は、そのままだったら私たちにとって画に描いた餅のような「理論」のままで終わってしまう。たしかに、「ブッダとなった状態(成仏)」や「プロセス」は分かった、でも僕たちがどうやって?ということの答えがなかった。だから、その「ブッダとなった状態」に至るためには、私たちの才能(果報や罪障のレベル)だったらブッダや聖者と同じように何十年やっても到達できないし、少しも感得も出来ない。

 しかし、その果てしない「宇宙観」「人生観」は御題目をお唱えして、その「一念三千」の「宝珠」である御題目のご信心を得たら、私のような「凡夫」でも「一念」が「三千世界に及ぶ」ということを実感できるようになる。その難しいプロセスを経ずとも、御題目のご信心によってブッダと同じ境涯に至れるのだ。
 お祖師さまが観心本尊抄の中で、
「石中の火、木中の花、信じ難けれども縁に値ふて出生すれば之を信ず。人界所具の佛界は水中の火、火中の水、最も甚だ信じ難し。然りと雖ども、龍火は水より出で、龍水は火より生ず、心得ざれども現証あれば之を用ひよ」
と御妙判されているのは、「現証があったら信じられるであろう」と。開導聖人が「生信互具」と御指南くだされている部分だ。

 難しくなってしまった。つまり、実際の行動に表していかなければ何の意味もなく、『サイン』もない。ただ、実際にやってみると、驚くほど『一念三千』を理解、感得できる、と。Something Greatが、私たちの背を押してくださっていること、Something Greatが私たちを見守ってくださっていること、私たちの無始已来(始まりも分からないくらい昔から)のカルマを良く転じてくださっているということを。罪障を消滅していただき、業が徐々に変わっていっていることを。宇宙・森羅万象と結びついていて、うまくいかないこともあるけれど、『サイン』を感じながら生きていけることを。

 ジョン・レノンの曲に、素晴らしい歌詞の印象的ものがある。調べてみると、彼はこの曲を製作する際、"words are flowing out like endless rain into a paper cup" という一節がまず浮かんだという。そして、しばらく考えた末に一気に書き上げた。

 当時、ジョンは1968年当時、マハリシというヒンドゥーのグルを敬愛しており、そこでアジア的な思想を学び、傾倒していった。曲の中にはヒンドゥーのマントラがあり、「Jai Guru Deva Om…『我らが導師、神に感謝を』」と繰り返される。インド出身のラジ女史に聞くと、オウム事件の時に話題となった「グル」という言葉は「導師」という意味で、インド人であれば誰でも一人の「導師(先生)」を持っている。持っていなかったら逆に変だという。ラジ女史にとっては福岡御導師が「グル」。オウム事件の影響があって、日本人にはなかなか理解しにくいと思うが。

 ジョンは、「本当に良い歌はメロディーがなくても歌詞だけでその価値を見出せる」「それに該当する曲こそがAcross The Universe(アクロス・ザ・ユニバース)だ」と言っていたそうだ。

 私は、私たちが日々感じる『サイン』や御題目によって感得させていただく心境を良く言い表してくれている曲だと勝手に思っている。残念ながらジョンは法華経本門の教えに出会っていなかったので、そのインドの生み出した無上の聖者、ブッダの究極の教えに接することが出来なかった。しかし、その「宇宙観」の片鱗、一端を、彼の歌から感じることが出来るのではないか。

 もちろん、歌詞の中にあるマントラでは宇宙を感じることはできない(事実、最終的にはマハリシにすら信を寄せられなかった)が、その部分を私はUniversal Languageである「Namu Myoho Renge Kyo,,,(ナムミョウホウレンゲキョウ)」と勝手に変えて歌う、聴いている。

 その歌詞は、
Words are flowing out like endless rain into a paper cup,
They slither while they pass, they slip away across the universe
Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my open mind,
Possessing and caressing me.
降りやむことのない雨の中に置かれたコップの中の水のように言葉があふれだしてゆく
それは目の前を通りすぎ 銀河をすりぬけてゆく
ボクの悲しみの心にさざ波をたてて
ボクにとりつきボクを包みこむ

Namu Myoho Renge Kyo,,,

Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.
誰もぼくの世界を変えることはできない 誰にもぼくの世界は変えられない

Images of broken light which dance before me like a million eyes,
That call me on and on across the universe,
Thoughts meander like a restless wind inside a letter box they
Tumble blindly as they make
their way Across the universe

目の前で踊る百万にも見える目のような粉々に飛び散る光のイメージのダンス
それはボクを呼び宇宙を渡ってゆく
でもそれは郵便箱に吹きこむ落ち着きのない風のように
自分の道を盲目的にさまよい宇宙のかなたへ向かう


Namu Myoho Renge Kyo,,,

Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.
ぼくの世界を変えることはできない 誰にも変えられない

Sounds of laughter shades of earth are ringing
Through my open views inviting and inciting me
Limitless undying love which shines around me like a million suns,
it calls me on and on Across the universe

Namu Myoho Renge Kyo,,,

地球の影で笑い声が響き渡り
私の眼を開き、耳を駆り立て、私を誘う
限りのない不滅の愛が私の周りで何百万個の太陽のように輝き
宇宙のかなたから私を呼び続ける

Namu Myoho Renge Kyo,,,

Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.
ぼくの世界を変えることはできない 誰にも変えられない






 世界中には、この曲を好きな人がこんなにいるんだなぁと思った。
 You Tube大丈夫かな?

2007年6月18日月曜日

我が親愛なるジョン・レノン

 私はジョン・レノンが好きだ。いや、好きだを通り越している。今、身体が重たくて仕方がないので、You Tubeでジョンの声を聞き、ビデオを見ていた。

 3年前、アメリカ横断をしていた時、最終目的地のニューヨークで彼が凶弾に倒れた場所を訪れた。セントラルパークに隣接したダゴダアパートの前。私はそこで彼を想いながら御題目をお唱えした。

 私は、彼ほど仏教的である表現者はいないと確信している。それは、「イマジン」の中に宗教を否定した歌詞があるとか、天国もないと言ったとか、彼がインドのヒンドゥー教に傾倒していたとか、「ゴッド」の中でイエスもブッダも信じないと明言しているとか、そういうことでは分からない。ある意味では、宗教が人々の思考を停止させ、人間らしさを奪うこともあるではないか。宗教による選民思想が人種間の軋轢を生み出し、聖地を奪還するために多くの血が流されることもあるではないか。そういう意味では、「イマジン」や「ゴッド」に書かれた歌詞を超えて、私はジョンを理解したいし、理解すべきだと思っている。真の宗教はあらゆる意味で「普遍」でなければならぬのだから。
 彼の生涯をつぶさに見聞きして、私は仏教的というよりも「佛立的」であると思うのだ。

 

 こうした動画がどうして見れるのかは分からない。しかし、私のような者にとっては、You Tubeで見れることは有難いとしか言えない。



 私は、「唯一聞いても良いクリスマス・ソング」と周りにも言っているのだが、彼が皮肉たっぷりで書いた「Happy Xmas (War Is Over)」に込められたメッセージを大切に思っている。
 最近、オノ・ヨーコさんが監修したであろう「レノン・レジェンド」というフィルム(DVD)が発売された。私はそれを買い、とても感動したのだが、その映像までYou Tubeにあるとは。何ということだ。しかし、是非このブログで紹介したいと思ってしまった。
 この「Happy Xmas (War Is Over)」の映像は、ジョンと一体とも言えるヨーコさんが製作されたものだが、かなり衝撃的なシーンもあるので見たくない方は避けた方が良いかもしれない。しかし、世界の現実である。戦争や紛争、テロに翻弄される人々、そして愚かな人類の歴史を振り返ることができる。

 私は、これを一般的な「クリスマスソング」とは思っていない。そう思うのは無知すぎるのではないか。
 第一次世界大戦も、従軍した若者たちは「クリスマスまでには帰れる」と希望を抱いて戦地に行った。結局多くの若者たちが故郷に帰ることなく散っていった。
 また、戦争している双方の国の兵士たちが、「神」の名が刻まれたバックルや煙草ケースを支給されて持っていた。神や宗教が、戦争という愚行を助長していることも分かるはずだ。
 戦争が繰り返され、愛すべき子どもたちまでが傷つき、家族が離散する。「そんなことになっているのに、クリスマス」。突き詰めれば、そういう歌だと思う。
 西欧の神。一神教。私にはジョンがキリスト教への宗教心やイエスが生まれたことを賛美する心からこの歌を書いたとは思えない。彼一流(ヨーコさんも)のたっぷりと皮肉と愛、理想と思想と情熱から出た歌詞なのだと思っている。
 そして、私は思う。この歌から「なにがクリスマスですか?何がめでたいの?」というメッセージを感じるのだ。子どもたちに、一般的な年間行事として「クリスマスおめでとう」と言っているけれど、ヨーコさんが製作したであろうレノン・レジェンドのこの歌の映像は、最も激しく恐ろしい。教えるべきことは「War is Over if you want it(キミさえ望めば戦争なんて終わるんだよ)」ということであった。

 仏教は唯一宗教戦争を起こさなかった宗教と言われている。「いや、仏教国である日本も太平洋戦争をしたではないか」と言う人があるかも知れないが、「仏教そのものに戦争を助長・賛美する教えは全くなく、それは完全なる誤解である」と答える。聖書の中のヨシュア記等を読めば、どれだけ「戦い」を助長するDNAがユダヤ教、キリスト教、イスラム教にあるか分かるだろう。いや、ここで書いても仕方がない。
 いつも言っているように、「素敵な宇宙船・地球号」ということは、実は御仏が説かれた法華経本門の教え、お祖師さまの宗教の中にしか無いではないか。あらゆる諸天善神、諸仏、諸宗教を一つに結び、宇宙の在るべき姿を解き明かされ、人種も、地位も、何ら関係なく、「たった一つの乗り物(一仏乗)」の教えであることを御仏自らが明言された教えなのだ。
 そういうことを考えながら、私はジョン・レノンの曲を聴き、その歌詞と対比して御仏やお祖師さまの教え、思想を思い起こし、明日へのご弘通の活力・エネルギーが湧いてくるのだ。単純に「謗法だ」などと切り捨てたくない。

翻訳した歌詞を下に載せてみた。
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(クリスマスおめでとう、キョウコ。クリスマスおめでとう、ジュリアン)

そういうわけでクリスマス、、、
キミらの今年はどうだっただろう
また一年が終わってしまい
新しい年が始まるよ
そういうわけでクリスマス、、、
楽しくやって欲しいんだ
親しい人、愛しい人
お年寄りでも若くても

とても楽しいクリスマス、、、
そして幸せな新年とがくるように
みんなで、一緒に願おうよ
なにも脅えずにすむような

そう今日はクリスマス、、、
負け組にも勝ち組にも
お金持ちでも貧乏でも
この世はすごく変だから
そうせめて楽しいクリスマスを

白人にも黒人にも
黄色人種にもネイチブにも
喧嘩なんか止めようよ

とても楽しいクリスマス、、、
と幸せな新年とがくるように
みんなで、一緒に願おうよ
なにも脅えずにすむような

そういうわけクリスマス、、、
僕らの今年はどうだっただろう
また一年が終わってしまい
新しい年が始まるよ

そういうわけクリスマス、、、
楽しくやって欲しいんだ
親しい人、愛しい人
お年寄りでも若くても

とても楽しいクリスマス、、、
と幸せな新年とがくるように
みんなで、一緒に願おうよ
なにも脅えずにすむような
戦争は終わるんだ
君が望みさえするならば
戦争は終わるんだ
たった今すぐに



 こんなにブログの中に「クリスマス」という言葉を書いたら叱られるだろうか。いや、この「Happy Xmas (War Is Over)」のビデオを見てもらったら分かってくれると信じている。
 他にも好きな曲はたくさんあるのだが、それを書き出したら終わらない。

 常々、私は「裸で立てる人間が一番強い」と思っている。脚色したり、背伸びすることも時には必要なのかも知れないが、結局そんなことを繰り返していたら自分が弱くなってしまう。だから、ありのままの自分を磨くということしかなくなる。自分の愚かさやマイナスも含めて、全てテーブルの上にあげて、素直に過ちや誤りを認め、そこにしっかり足をつけて、その上で為すべきこと、果たすべきこと、夢や理想に向かって必死に生きていけば良いと思う。そういう人間が最も強いのだし、それこそ仏教的な生き方、人生観だと思う。
 私は、ジョンが自分の過去や過ちを含めて、まさに裸で立ち、理想に向けて生きていたことを素晴らしいと思うのだ。

 そして、この「マザー」という曲も、彼が自分の両親への思い、少年の頃の心の傷を歌っていて、私はいつも胸をしめつけられる。





9月2日のFMヨコハマ「横浜ラグーン」

  瞬く間に1週間が経過してしまいました。 ネパールの大規模土石流災害は8月26日の水曜日に発生しました。明日で2週間となります。 私は8月19日の水曜日までネパールにおりました。災害発生の1週間前です。実に、何が起こるか分からない無常の世を痛感いたしました。 この2週間、妙深寺...