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2011年12月21日水曜日

平成23年度 高祖会 御法門

平成23年度 妙深寺 高祖会 メインテーマ「生きる」
第二座 御法門 サブテーマ「ひとつ」

御教歌

「我祖師の めぐみは此世 ばかりかは のち世かけての お慈悲なりけり」

 本年を締めくくる高祖会、第二座を奉修させていただきました。昨日は秋山御住職をお迎えし、第一座を奉修いただきました。被災された現地から、福田さんもお参詣くださり、大変貴重なお話を伺わせていただくことができました。約500名という本当にたくさんのお参詣をいただき、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。千年に一度と言われる大震災が起きた年の高祖会ですから、一生に一回という思いで締めくくっていただけたらありがたいと思います。

 それでは、御教歌を拝見させていただきます。

 御教歌に、「我祖師の めぐみは此世 ばかりかは のち世かけての お慈悲なりけり」

 佛立開導日扇聖人が『十巻抄』という最も重要な御指南書にお示しくだされた御教歌でございます。

 本年は色々なことがございました。しかし私たちは、今、生きている。生かされている。このめぐみ、この大慈大悲、優しさ、温かさを、片時も忘れず、人を生かす、人を救う、支え、助ける、佛立菩薩として生きることが大切とお示しの御教歌でございます。

 11月8日は、旧暦でお祖師さまの祥月ご命日でした。言うまでもなく、お祖師さまは、上行菩薩としてこの世に御題目をお届けくださったお方であります。この御題目は、どのような人種、どのような言語、どのような知識、学問のレベルや年齢であろうと関係なく、必ず現証の御利益を顕す、マントラ、万能のお薬、妙不可思議の御力を持つものです。

 この歴史上、数え切れないほど多くの人が、この御題目によって救われ、妙不可思議の御利益を目の当たりにしてきました。私自身も、絶体絶命の先住(父)の怪我、家族が絶望のどん底に落ちたところから、御題目で救っていただいた。他にも数え切れない不思議な現証を拝見させていただき、今でも、毎月の妙深寺報にも、たくさんの人がその不思議を感じておられる。もはや、疑う余地はないわけです。

 ダメなものがダメでなくなる。とにかく御題目、ここに極まる。誰であろうと、この「御題目をお唱えする」という味わいを知っていただければ、それで必ず今日の高祖会のテーマである「生きる」ということの本当の意味が分かっていただけると思います。

 今も言上させていただきましたが、お看経などのとき、私たちはお祖師さまのお名前をお呼びするときに、「高祖日蓮大菩薩、大慈大悲大恩報謝」と言上いたします。この「大慈大悲」とは、「すべての人の苦悩を取り除き、すべての人々に幸せを与える」というのが「大慈大悲」の意味です。

 お祖師さまは、この御題目によって、このご信心によって、私たち一人ひとりが抱えている苦しみや悩み、それが病気の問題であろうと人間関係やお金の問題であろうと、それを取り除き、マイナスの方向からプラスの方向に向かわせよう。しかも、このわずかな一生だけではなく、私たちが今生きている「一生」が終わった後、死後、来世まで、「苦しみを取り除き、楽を与える」という覚悟でご奉公くださったのであります。

 それを、改めてこのことを思い出してみなさいと、御教歌にお詠みくださっている。

 このお祖師さまの、大きな、大きなご恩に、少しでも報いたい、ご恩返しをさせていただきたいと思い励むことを「大恩報謝」と言います。つまり、これが「大慈大悲大恩報謝」という言葉の意味です。

 冒頭に申しましたとおり、私たちは、いま、生きています。しかし、人間の赤ん坊を思えば分かるとおり、たとえ無事に産まれても、誰かのお世話にならなければ、私たちは数日で死んでしまう。生き続けることはできない。

 つまり、「生まれた」は「生きる」とイコールではない。誰かのおかげでやっと「生き延びた」「生きられるようになった」ということになります。

 しかし、このことを、私たちは忘れてしまう。生きていることが、さも当然の、当たり前のことのようになってしまう。「生かされてきた」「生かされている」ということを忘れてしまう。「自分で勝手に育ってきた」と思うようになってしまう。これほどの間違い、過ちはありません。

 千年に一度という大震災で、今なお多くの方が行方不明のままの状態、約2万人の方々が、瞬時に命を奪われ、家族を失った恐ろしい出来事を通じて、改めて、こうしたおごった気持ちの間違いに気づくべきであるということを、突きつけられています。「生きる」ということ。

 昨日の秋山御住職のお話でも、とにかく自分も被災したが「生かされた」と思った。そして「だからこそ、生き残った自分がしなければならない」と思った。「誰かがやるだろう。しかし、僕はその誰かになりたい」と仰っておられました。

 陸前高田の「うごく七夕まつり」を実現した福田さんも、「仲間もたくさん死んでしまいました。でも、生き残った僕たちが子どもたちの笑顔のために、何かしなきゃいけないんだと思ったんです」とお話をくださいました。

 そうした秋山御住職や福田さんがお話しくださったように、「生かされている」が、「生きる」となる。本当の「生きる」とは、他の人の命まで「生かす」ということ。それで初めて「生きる」なんだ、と。「生かされている」がなければ「生きる」ではない。せっかく生きているのに、自分一人のことばかり考え、誰かの命を「生かす」、誰かのために生きるということを忘れていれば、死んでいるのと同じになってしまう。

 末法悪世に生まれた、欲深く、嫉妬深く、勘違いしやすい凡夫は、ここに気付かなければなりません。ここが分からないと、一生「生きる」が分からない。一生「生きられない」「生きていない」ことになる。

 ですから、私たちはこうした出来事から学び、また、お祖師さまの大慈大悲を感じて、生き改める、生き直す、ということが大事。

 ひな鳥は巣の中で鳴きながら親鳥が運んでくる餌を待ち、その餌を食べて成長します。そして、成長すれば、今度は自分がひな鳥のために餌を運び、命を養う側に立ちます。

 赤ん坊として生まれて来てから、みんなのお世話で生かされてきた、生きている私たち、生き残った私たちがすべきことは何か。ここを考えなければ、震災後の支援活動も、御題目に出会った者の本当の「生き方」も、分かりません。苦しみも取り除かれず、幸せにもなれない。

 生かされた者は、それに感謝して、誰かのための「生きる」を始めよう。御題目による現証の御利益を見た者は、今度は誰かを救うために、菩薩として「生きる」を始めていただきたい。

「我祖師の めぐみは此世 ばかりかは のち世かけての お慈悲なりけり」

 お祖師さまは、苦しみや迷いに直面する私たちの命を、「生かす」ためにご奉公くださいました。この一生だけではなく、その死後まで「生かす」ため。

 「仏教が霊魂の存在を否定した」とか、「ブッダは死後の世界を認めなかった」とか、「仏教は哲学である」とか、「仏教はただ人間の心の平穏を得るための方法を教えただけである」という近代仏教学の提唱は、根本的な大間違いです。中村元氏や司馬遼太郎氏などは、「中論」や「唯識論」が過激に進めた反実体論だけを取り上げ、それでいて唯物論的世界観や自然科学の手法に影響されて仏教を規定してしまった。彼らは仏陀が霊魂や死後の世界を無いと説いたと考え、それが新しい仏教理解、それが高度成長期のインテリの、最先端の考え方だと思ってしまった。これは実に不幸なことでした。少なくとも私はそう思います。

 最も古い経典の一つ、ブッダの肉声が納められていると言われているスッタニパータには、次のようにあります。

「何者の業も滅びる事はない。それは必ず戻ってきて業を作った本人がその報いを受ける。愚者は罪を犯して来世にあってはその身に苦しみを受ける」

「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなし、おろそかにしてはならない」

 「有る」「無し」を論じるよりも、ここに厳然と存在する因果の道理を見据えなければなりません。

 現世と来世を救う教えが仏教であり、仏道であり、お祖師さまのなされた大慈大悲のご奉公であり、現実、上行所伝の御題目は現証の御利益によって多くの人々の苦悩を取り除き、思いも寄らない幸せを与えてくださっています。来世が救われるかどうか、死後の世界があるかどうか。それは、今を見れば分かります。大慈大悲の尊いみ教え、揺るぎないただ一つの真理、真実です。

 お祖師さまは法蓮抄という御妙判に、「近き現証を引いて遠き信を取るべし」と、お諭しくだされています。いま、人々が救われていくのを見れば分かるはずだ、と。

 世の中には、「つぶやき」が溢れています。「つぶやき」のことを「ツイート」と呼ぶそうで、実は私も「ツイッター」というものをやっています。しかし、「つぶやき」で世の中がよくなると思いますか?

良くなるはずがありません。むしろ、きっと悪くなる。ブログというものもありますが、いい加減な情報が溢れかえっています。スピリチュアル系のブームは、今や物体から知識に変わってきています。昔はヘンテコな石やブレスレットやネックレスを買って、着けたり、部屋に置いておいたりするだけだったのですが、今は違う。インターネットに氾濫する偏った理論の迷路に入り込んでいる人が多いのです。本当の意味の「セクト」が乱立している。宗教とも理学療法ともつかない。民間療法や勝手理論です。今やオウム真理教と変わらない、雑多な思想を組み合わせた「信仰」が、ネットの中に溢れています。

 本当に恐ろしい時代になります。恐ろしい人生になります。これでは宇宙だ、地球だ、人類だと言っていても、平和など来るわけがない。普遍的じゃない。その人にも穏やかな人生が来るわけがない。それが分からない。分からないで、入って行ってしまう。哀しいことであり、恐ろしいことです。

 今日の第二座は、サブテーマに「ひとつ」と題しましたが、これは「お祖師さまとひとつになりなさい」ということです。それこそが、幸せのサイクルに入る秘訣、極意です。エセ科学、エセ心理学やセクトに入り込むのでも、「生かされている」ことを忘れて一生を過ごすのでもなく、ここで「ひとつ」になること。

 お祖師さまの大慈大悲の中で「ひとつ」になり、御題目をいただいていた「ひな鳥」から成長して、今度は自分がひな鳥を生かし、育てようと、菩薩の生き方に励む。これが極意を身につけた人です。かならず、この方は幸せのサイクルの中に入っていきます。

 今のご自分の状況をよく考えてください。幸せのサイクルに入ると、本当に不思議といい縁に恵まれます。そして、一日の中にいいことがたくさん見つかるようになります。トラブル、災いから逃れさせていただく。不思議に家庭も円満で、仕事もうまく回っていく。

 しかし、この逆がある。不幸のサイクルです。いま言ったことを、すべて逆にしてみれば分かります。悪い縁ばかり来る。いい縁が来ない。一日を振り返っても、いいことがない。悪いことばっかり。だから夜はイライラする。虚しくなる。孤独だ。ネットや何かで紛らわす。災難に遭う。家庭の中がゴタゴタ、ガタガタする。仕事がうまくいかない、良いところまでいって、必ず大きな壁が出てくる。

 それは、この極意、「ひとつ」になってないからなんです。大慈大悲とひとつになっていない。まだ、「生きる」が分からない、「生きる」ができていないからだと教えていただくのです。

 仏教は、お祖師さまがいなければ、正しく理解できず、何をしていいのかも分からなかった。お祖師さまの存在を認めなければ、仏教の知識をいくら使っても、つなぎ合わせても、普遍的な真理を得ることはできない。幸せになることはないし、苦しみから逃れることもできないのです。

 社会が行き詰まり、大自然の悲鳴、あるいは恫喝、あるいは痙攣が人間を苦しめるような事態の中で、私たちは、御仏の、お祖師さまの教えてくださった「生きる」ということ、つまり「私たちは生かされている」「生きるとは他のために生きること」に、素直に立ち戻って、再スタート、再生をすべきなのです。

 今、毎日お参詣をされている新谷さん、車イスに乗られながら、毎朝毎朝お参詣を続けておられます。本当に頭が下がります。

 また、今、黒崎さんと一緒に、境内地の掃除を毎日のように一生懸命してくれている岩本龍二君。龍二君は先住と同じように、交通事故で脳挫傷、頭蓋骨骨折で、何ヶ月も意識不明だった。そのころ、まだお母さんはご信者さんではなかったが、同じ職場で働いていた板倉さんを頼ってお寺に来た。そして話をして、何とか御利益をいただいてほしいということで、ご信心をすることになった。そして、岩本さんの入信の言上を先住が上げられたその日に、龍二君の意識が目覚めた。大変な御利益を頂かれました。それから15年以上が経ち、色々なことがあり、最近、また本当に苦しいことがあって、そこから、今、もう一度、生き直そうとしてお寺の清掃ご奉公に励まれています。もう一度原点に立ち戻って、あのとき、本当は死んでいたかもしれない命を助けていただいたじゃないか、と気付いてくれた。先日、彼はご信者さんの前で「僕はあのとき御法さまに生かされたんだ」と言ってくれた。本当に涙が出ました。

 どうか、私たちは、いま、生きています。それは生かされているということです。この貴重な命を無駄にすることなく、生きる、生きていく、生かしていくために、片時もその御恩を忘れず、お祖師さまとひとつになって、その大慈大悲の一分でもお返しできるように、人を生かす、人をも救う、佛立菩薩としてご信心、ご奉公させていただくことが大切と、お教えいただく御教歌でございます。

2010年7月31日土曜日

7月の締めくくり

 今日は7月の最終日。

 本当に、いろいろなことがあった、いろいろな現象を体験し、現証の御利益を感得した1ヶ月でした。

 7月の1日は、昔から「障礙憑き」と呼ばれてご奉公されてきた壮絶なお助行で幕が開けました。厳しくも現証あらたかな今月のご奉公の前途を予感しつつ、教務会も途中で切り上げて、それぞれのご奉公、お助行に走り出しました。

 その7月が今日で終わります。明日から、8月。

 障礙憑きと考えられるお助行も、壮絶な夜通しのお助行によって2日には加行者全員が体験したこともないような現証の御利益を見せていただきました。

 教務部全員、教務の家内、家族、青年会、弘通部の方々が夜を徹したお助行に参加してくださっていたのですから、このご奉公そのものが尊い御法さまからの課題、御利益だったのだと思います。全員が、御法さまのすごさ、御題目の御力、お助行の大切さを感得したと思います。

とはいえ、「悪魔ー、天使ー、魔王ー!」と叫び、「ナガマツー!!」と私の名を叫んで暴れ回る、叫び回る、飛び回る姿を思い返すと、御利益をいただけるという確信も、お助行中はなかったように思います。ただただ、必死でした。翌日の夕方、隣で泣きながら御礼を言う本人を見て、私も泣きました。
 佛立信心は、凡慮の及ばざる現証の御利益が現れる、だからこそ、「できるか」「できないか」ではなく、「するか」「しないか」になると思うのです。私ですら、お助行中は「大丈夫だろうか」という迷いも生まれます。だからこそ、「お縋りするしかない」と素直に御法さまの前で初心に返れるのです。
 開導会の彩雲。これは、永遠に忘れられません。もちろん、気象現象としては珍しくないのかもしれませんが、この日、このタイミングというのは間違いなく御法さまからのサインです。疑義を抱く余地もない。小賢しい人は人間の大切な感性を失っているから分からない。
 御法さまからのご褒美。真っ直ぐな、まごころに、天は反応してくださいます。余念なく、一心にご祈願やご奉公をされている方だけが見る特別な世界があります。特別な現象(現証の御利益)があります。まさに、この彩雲もまた、妙深寺の全員が見せていただき、感得することができました。有難いことです。

 だから、どうしたらいいでしょう。私は、この彩雲は、私たちのご信心を喚起してくださるものだと思います。如何なる困難にも負けてはならぬ、くじけるな、というサインだと信じています。喜んでいるばかりではダメで、これで浮かれているのは佛立信心ではないはず。

 お祖師さまの「瑞相御書」という御妙判には、

「夫天変は衆人をおどろかし、地夭は諸人を動す。佛、法華経を説かんとし給う時、五瑞六瑞を現じ給ふ。(乃至)人の悦多多なれば天に吉瑞を現し、地に帝釈の動あり。人の悪心盛なれば天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随て天変の大小あり。」
とあり、そのようにお諭しになられた上で、やはり、末法は善き瑞相よりも悪い心による悪しき瑞相が多く、それを察知して菩薩行に精進するのが真のご奉公であるとお示しになられています。
 御法さまは、近くにいてくださる。それを、あらためて、はっきりと教えていただいた、気づかせていただいた。お助行や、開導会のご奉公、こうした彩雲によって。
 しかし、だからこそ、その果報に甘えるのではなく、自分の罪障や悪い業、末法悪世のご弘通に立ち向かわなければなりません。それが、この「サイン」の意味、ここが「正念場」、ここからが「本番」と教えていただいているように思います。
 「売り家と唐様で書く三代目」という川柳。言い得て妙です。
 財を築いた初代のご苦労も知らないで、勝手なことばかりしている三代目。財産を全て食いつぶして家を売りに出す。その札の文字は当時流行の唐様で書いてある、と。これは、本当にやらなければならないことをせず、それを疎かにして遊芸に溺れていた、余計なことばかり考えて、していた、ということを皮肉っぽく詠んでいます。
 私も、この川柳を胸に銘記してご奉公に当たらなければなりません。子どもたちにも、このことだけを教えておきたいです。雑学ではなく要学。実験と体験のご信心が佛立であること。頭で考え、机上の空論で悦に入らず、ご奉公の実践を重ねてゆくこと。
 とにかく、こうした7月の現証を忘れずに、佛立信心を初心の原点に立ち返らせて、自己流を廃して、決して慢心しないように、自屈、上慢、二乗心に注意して、負けん気と根気と慈悲で、精進してゆくように。
 夏期参詣は、8月13日まで続きます。明日、8月1日は、「虹の日」です。妙深寺は、「虹」「虹」と言ってきたから「彩雲」が出たのかな(笑)?一人でも多くお参詣ください。

2010年7月23日金曜日

平成22年度 妙深寺 開導会 国際交流会ビデオ

ビデオ「H22年 開導会 国際交流会ビデオ」

H22年開導会の国際交流会で上映された各国紹介のビデオです。
※こちらはパスワードは必要ありません。(4分29秒)




平成22年度 妙深寺 開導会 オープニングビデオ

ビデオ「H22年 開導会 オープニングビデオ」
H22年開導会のオープニングビデオです。
※閲覧するにはユーザー名とパスワードの入力が必要です。(3分42秒)

2010年7月19日月曜日

彩雲の出ていた時間は、

 妙深寺の開導会奉修中のお昼過ぎでした。横浜の上空に、美しい彩雲が出ていたということ。

開導聖人ご遷化から120年目、妙深寺の開導会は上空を七色の虹の雲に包まれて輝いていたなんて、永遠に、みんなで語り継いでゆきたいです。

また、この美しい空を見て、ブラジルから届いた写真を思い出しました。

藤本御導師がご奉公されていたことのあるリオデジャネイロの法昌寺に、藤本御導師のご遺骨を納骨させていただいた夕方、その納骨堂の上空が見たこともないほど美しかったと、吉川淳省師の奥さま・恭子さまが写真付きで教えてくれたのでした(涙)。




本当に、あるんです。こういうことが。こんな素敵なサインが。届くのですね、まっすぐな思いは(涙)。

ありがとうございます。

彩雲。空からのプレゼント

 どうですか?すごいでしょ?ほんとに、すごい(涙)。
 こんなことが起きるんだぁ(涙)。こんな風に、サインをくださるんだ。
だから、ご信心はすごいと思います。昨日、お参詣できなかった方は、本当にもったいないと思います。
 仏教に偶然はありません。一日ずれてもおかしいこと、1分、1秒ずれていたら「出会えなかった」ことが、ピタッ、ピタッと目の前に示される。出会う、見える、気づく。
 ご信心やお寺から離れたり、全く疎遠になったり、別の世界で生きてきたという人は、忘れてしまったり、自分の都合のいいようにしか受け止められなくて、アンテナが傾き、周波数が偏り、サインがサインではなくなってしまう。別の次元の、別の誘惑、世界からの、悪いサインばかりを受けたりします。
 でも、昨日の、昨日横浜で起きたサインは、全国のニュースでも流れて、本当に、これが特別なことだったのだと、教えてくれました。御法さま、すごいです(涙)。本当に、ありがとうございます(涙)。覚悟して、挑んでよかった(涙)。
 先ほど、直子さんからのメールで、昨日聞いたニュースが、横浜と川崎の空の上のことだったと知りました。空と雲が大好き。だから、空の上で起きた出来事が、本当に、うれしい。
昨夜、妙深寺の開導会が奉修された夜、このニュースをご覧になった方も多いと思います。
 朝日新聞には、次のような記事。
 <いいことあるかな? 虹色「彩雲」、横浜や川崎で観測>
 「赤、黄、緑、青と色づいた彩雲(さいうん)が18日昼、横浜市や川崎市で観測された。「虹のような雲を見た」と気象庁に問い合わせが相次いだ。同庁によると、晴れて薄い雲がかかったとき、雲を構成する氷の粒に太陽光があたり、虹のように色づいて見えることがある。年に何度か、全国で見られるという。彩雲は「よいことの前触れ」とも言われる。川崎に住む池田さんはマンション3階のベランダで見た。「最近、いいことがないからね。宝くじでも当たるといいな」
 Twitterでも、すごい話題になっていたようです。僕は今の今まで知らなくて、本当に驚きました。本当に、きれい。美しい。すごい。涙が出ます。すごいことです。
 世間では彩雲は「吉兆のしるし」というらしいのですが、ご信心の筋からしたらおかしい表現です。でも、確かに、こんな空を見せていただいたら、うれしくなります。特別な気持ちがします。御法さまからの、天からの、お褒めをいただいているように思います。
 今朝も書きましたが、晴れでも雨でも構わないと思っています。ご弘通が進まない、人助けができていないのに、天気だけ晴れなんて、笑止千万ですから。そんな「サイン(?)」いりません。もし、間違っていることがあったら、ビシッとお折伏をいただいて、どしゃ降りをください、と思います。
 設定のハードルが低すぎる。本来、私たちの使命は、もっともっと大きいはずです。小さな、低いハードルで、一喜一憂するべきじゃない。
 しかし、一昨日と昨日、開導会を奉修させていただいて、晴天で、清々しい涼風が吹いていて、「あぁ、有難かった」と思っていたところに、さらに、この美しい空。あまりにも、美しい。見てください、この空を。信じられない。
 末法は、三毒強盛で当たり前なんです。疑って当たり前なんです。迷って当然なんです。嫌になって、恨んで、憎んで、苛立って、当然なんです。でも、それを、何とか、何とか引き戻そう、諦めないで、戻ってきて、大丈夫、ここにいる、と言い続ける、働きかけ続けるんです。
 真実の仏教、本門佛立宗のご信心は、「リアクション」の宗教ではないんです、「リアクション」で信心するんじゃないんです。
 リアクションという、何かを「受けて」、「だったら、こうします」「こうしてくれたから、こうしようかな」というものではないんです。
 リアクションでは、幸せになれない。不幸の原因、イライラの原因は、あなたの人生が、全部リアクションになってしまっているからではないか。
 「リアクション」ではなく、「アクション」が大事なんです。どう生きるか、なぜ生きなければならないか、それに気づき、それを実践するのが、真実の仏教の教えです。
 真実の仏教・本門佛立宗の教えは、実践と体験の教えです。
 「できるか」「できないか」ではなく、「するか」「しないか」です。
 離れたら、見えなくなる。携帯電話でも、基地局から離れてしまえば、つながらない。どんなに頑張っても、電波の飛んでるところに、自分がいるか、いないか、です。離れては、いけない。
 この開導会。特別の思いで迎えました。一年間前は、藤本御導師に勤めていただいたのですから(涙)。僕にとって、それは特別なことです。重たいバトンを、落としそうになりながら、必死で持ちこたえて、半年。
 藤本御導師は、この開導会をお勤めいただいてから半年後にご遷化になりました。平成21年12月31日のことでした。それから約半年。必死で重たいバトンを落とさないように、ブルブル震えていたように思います。
 部屋の隅で、体育座りをして、泣いているような気持ちでした。それほど、重たかったです、バトンが。藤本御導師がご遷化されて(涙)。御導師は、佛立教務の本懐を遂げられた。それ以外にはありません。
 この彩雲を見て、涙が出ました。ご宝前、御法さま、先師上人、先住、藤本御導師、ありがとうございます、おられるのですね、お見守り、お導きくださっているのですね、ありがとうございます、ありがとうございます、と涙が出ます。そうは、思いませんでしょうか?地球上で、こんなに綺麗な光景があるでしょうか?なぜ、この日に?なぜ、ここに?
 私は、とても嬉しいです、本当に、嬉しいです、御導師(涙)。
 開導会で、第一座から第三座まで、奉修御導師にお願い申し上げ、口語体で言上していただいた御文。私たちは、こうしてご宝前に、思いを届けようとしていました。
 その思いの、一分が届いて、こんなに綺麗な空と雲、色と光を、見せてくださったように思います。以下、どうか読んでいただきたいです。
 「御宝前に謹んでご祈願を言上いたします。
 開導聖人ご遷化より120年目となる本日、妙深寺はその大恩にお報いする為、御題目口唱の一座を奉修いたします。
 私たちのお唱えする御題目の声が世界中に広がり、人々が、生まれてきた意味、生きなければならない理由、価値ある生き方、生きる力に気づき、苦しみ、悩み、迷い、苛立ちの淵から離れて、誰もが菩薩の歩みを進められますように。
 そして、世界が真実、平和で穏やかになりますように。
 どうか、私たちをお見守り、お導きくださいますようお願い申し上げます。
 また、御宝前に、礼儀を正して言上いたします。
 妙深寺の先代、長松清凉ご住職のご遷化より10年に当たり、今日まで妙深寺が迷うことなくご奉公させていただけた御礼を、その御霊前に言上いたします。有難う御座います。
 さらには、平成21年12月31日に、菩薩行の最中にご遷化、人助けの菩薩行に命を捧げられた藤本淳悦御導師、私たち妙深寺一同は、一年前の開導会のご奉修とご教導を生涯忘れず、永遠に伝えてゆくことをお誓いいたします。
 松風院日爽上人、如説院日修上人、どうか自受法楽にして仏果荘厳なされんことを。
 経云 若親近法師即得菩薩道随順是師学得見恒沙仏。
 南無妙法蓮華経。
 重ねて、地球全体、世界中に、上行所伝の御題目が広まりますように。私たち一同、お折伏、お教化のご奉公に精進できますように。
 本門八品所顕 上行所伝 本因下種の南無妙法蓮華経」
 御法さま、お祖師さま、門祖聖人、開導聖人、先師先聖、殊には、先住日爽上人、藤本御導師、天空におられる先勲の皆さま、本当にありがとうございます。御本意にかなうように、精一杯、全身全霊で、ご奉公させていただきいたいと思います。
 新しい幕が開いたように思います。ジェッドが、開いてくれそうです。すごい感得と決定をしていました。昨夕、奉修後に彼と話をして、本当に驚いていました。新しい夜明けです。
 そんな日に、ぴったりの空、光景を、御法さまがプレゼントしてくださいました。そして、横浜の私たちに見せてくださると共に、全国の皆さまへも報じてくださいました。
 本当に、ありがとうございます。忘れません、決して。ここから、素晴らしいことが、地球に、世界に、日本に起こりますように。いや、起こします。人々が、幸せになりますように。
 どうか、お見守り、お導きくださいますように。

 共に、ご奉公くださった全ての方々、お参詣の皆さま、奉修御導師はじめ、ご出座をいただいた御導師、御講師方、本当に、ありがとうございます。

 ありがとうございます。

2010年7月17日土曜日

拍手喝采

ジェッドのスピーチには、本当に感動しました。本堂内は拍手喝采が巻き起こり、教化親の宥華さんまで泣いておられました。ジェッドが、こんな風に思いながらご宝前に向かっていたなんて(涙)、本当に、ありがたいです、と。

今日、土曜日の開導会、第一座のお参詣は441名のお参詣をいただきました。他寺院からのお参詣を除いたお昼の集計です。また、土曜日のお参詣の記録更新かな。少し、お参詣をいただき過ぎかもしれません(汗)。明日がメインですから、明日お参詣が少ないなんてことのないように、と心配してしまいます。

しかし、120年目の開導聖人の祥月ご命日に開導会を奉修させていただき、大勢のお参詣者と共にご奉公できたことは永遠に忘れません。ありがたいことでした。新しいスタートです。

本堂内は、また何とも言えない温かい空気に包まれました。この空間におられた方には、それだけでしばらくの間、魔も障礙も、近寄ることが出来ないはず。そのくらい、素晴らしい奉修でした。

この第一座では、正宗徒証の授与式も行わせていただきました。今年から正宗徒の増加という誓願を立ててご奉公しております。「正宗徒」とは、いわば「正式な本門佛立宗の信徒」という意味です。御本尊をいただいて3年以上、そして常講願主(年間10ヶ月以上、御講の願主としてご奉公される方)を、正宗徒と申します。わずか半年間で、新たに38名のご家族が正宗徒に認定されました。本当に、ありがたいです。ありがとうございます。

土曜日の第一座は、境内地は、お足の悪い方などのために車が入れるようになっています(日曜日は不可なのです)。境内地は車がびっしりと駐車されていました。ありがたい。

雲ひとつない快晴をいただき、これから佛立国際交流会の準備。18時から開催されます。スコールの心配はなさそうです(涙)。よかった。

準備ご奉公、熱中症を心配しています。みんな、お供水をたくさんいただいて、ご奉公させていただきましょうね。駐車場のご奉公をいただいた皆さまなど、すでに汗だくだと思います。本当に、ありがとうございます。

まだまだ、始まったばかり。明日の今ごろの時間まで、頑張りましょう。

2010年7月5日月曜日

妙深寺報 7月号

 妙深寺報の7月号が発刊されています。

 実は、今月号から待望のカラーとなりました(涙)。本当に、カラーだと臨場感がグッと上がって、ご信者さん一人一人の体験談などがさらに身近に感じられます。すごい。

 妙深寺報は、ずっと妙深寺のご信者さんで印刷所をされている永田さんにお願いしてきました。それはそれは、いつもギリギリまで原稿を待ってくださったり、わがままを聞いてくださったり、迷惑をお掛けしてきました。

 今回、待望のカラー化を実現するに当たり、この寺報だけ永田さんを離れることになりました(涙)。本当に、今日まで寺報を刊行し続けて来られた功労者のお一人として、永田さんは外せません。本当に、ありがとうございました。

 とにかく、今月からカラーです。10年前の平成12年6月14日、妙深寺の先代、長松清凉ご住職・松風院日爽上人はご遷化になられました。以来、若い住職と共に所属教務員、ご信者一同は一体となって、何とか先代のお徳を汚さず、妙深寺の良き伝統を守り伝えてゆこうと、ご奉公に邁進してまいりました。

 世代交代の難しさ、お役中の高齢化などの課題もありましたが、師匠・鈴江日原上人のご教導をいただき、初代日博上人から受け継ぐ、海外弘通に積極的に取り組むお寺、ご信者さんが主役、ご信者さんの笑顔が溢れるお寺、お助行が盛んなお寺、感動ある御講が奉修されるお寺、を目指して、まさに一丸となってご奉公を進めてまいりました。

 この妙深寺の毎月のご奉公を、しっかり記録してゆこう、広くご披露してゆこう、それを教化や法灯相続の一助としていただこう、信行増進の糧としていただこう、御利益をいただく人が増えるように頑張って出版してゆこう、と、この10年間、妙深寺報の充実に取り組んできたのでした。
 約7年前、鈴江御導師から「これを全国のお寺のお配りしなさい」とお言葉をいただきましたが、ためらいと怖れが出て、お言葉に従うことが出来ませんでした。しかし、この度、いろいろな角度から改良させていただき、全面カラー印刷へと刷新することになり、これを契機に全国の御導師、御講師、お役中方にご笑納いただければ幸いと考えました。
 これからも、信心改良を重ねて、ご弘通ご奉公に全身全霊で取り組み、尊い佛立信心の輪を広げてゆきたいと考えております。さらに、みんなで妙深寺報の充実に邁進します。

 裏表紙も、気合いが入っています。これ、広報部長の黒崎さんの、まさにプロのご奉公です(涙)。僕はボケた顔をしていますが(汗)。とにかく、開導会のポスター、チラシ、すごいですね。一人でも多く、お参詣を。
 ありがとうございます。

2010年6月12日土曜日

御題目によって救われた人数

今朝は、6時半から高祖総講を奉修させていただき、併せて先住・松風院日爽上人の祥月ご命日法要を営ませていただきました。
明後日の6月14日で、先住がご遷化になってから、ちょうど10年。本当に、信じられない心境です。10年前、こうしてご奉公できるとは思っていませんでした。いや、私以上に、周りの人たちが心配で心配で仕方なかったはず。まともなご奉公ができるか、自分でも不安でした。よく、お見守りいただいたと、教講の皆さまに感謝の思いでいっぱいです。

今日は、12時まで一万遍口唱会を開催させていただき、約250名の方々とお看経させていただきました。本当に、ありがたい時間でした。何としても、先住の御恩に報いさせていただくため、気持ちを新たにして、ご奉公に励ませていただきます。平成24年6月10日、妙深寺は先住の御13回忌法要を盛大に奉修させていただこうとしています。

その日までに、さらなる信心改良を重ね、ご弘通に励む所存です。
お教化や正宗徒増加など、誓願数もあります。これを、私たちの目標、一つの目安として、その目標としたところに向けてご奉公させていただきましょう。
スポーツでも、普段の生活でも、何の目標もなければ、自分の気分に合わせて、途中で止めてしまう、諦めてしまうものですよね。腕立て伏せや腹筋、始める前に「なんとか20回まで」「30回までガンバロウ!」と決めておくから頑張れます。決めていなければ、無理なところで止めてしまう。これではトレーニングにもダイエットにもなりません。
私が子どもの頃、お風呂で数を数えさせられました。子どもは、身体も温まっていないのに上がろうとします。そうさせないために、父や母は「いーち、にーい、さーん…、」と数を数えなさい、と教えてくれたのでした。
もちろん、私たちは子どもとは違いますが、凡夫というのは菩薩行に対して正反対の反応を示す癖がついていて、理屈は分かっていても出来ない、そうは思っていても身体が動かない、というもの。すごい力で、菩薩行や功徳の積める生き方とは反対の方向に引っ張られます。
だから、こうして、父や母に教えていただいた「目標」を目安にして、ご奉公に気張らせていただきます。
しかし、お教化もお助行も、誓願のための誓願、数を上げるために何かをしている、というのでは本末転倒です。10人のお教化には10人が救われていなければなりません。このことが、大切なのです。そうでないから、教化誓願が成就しても、ご弘通が進まないというケースが出てきます。「教化数=救われた人の数」でなければなりません。
とにかく、こうしたご奉公の基本を見据えて、ご信心の腹に据えて、「妙深寺単独5000人の大法要」を目標として、ご奉公を進めさせていただきたいと思います。
さて、明日は長松寺の開導会、併せて日聞上人の100回御諱を奉修させていただきます。いま、長男を連れて京都に帰っています。新幹線に乗るまでは元気でしたが、今は隣で爆睡しています。

2010年6月6日日曜日

開導聖人エピソード 天皇、三条公、高崎、

コレハ狂哥也

「さむさニハ風雅をすてゝおき巨達 ねなからみるも雪ハゆきなり」國重

「四方の海なみも謐けく治まれる 我君の代ハ濁りなくして」京都府警部 岡信則
  └明治十六年の春

 當世ハかようのことか流行と申てある人かたれり

 詩ハからうた故ニ和國の風俗ニハあハぬやらん これも かのつからの事なりかし 御花押 一等

 去年警部明田ぬしのたのみニて 「草かくれ」のうた 画賛 一紙をおくれり 岡信則ぬしのたのみニて露分 もみのうた 画賛一紙をおくれり

 去年大津多羅尾清車ぬしの引ニて志賀縣々領小手田ぬしへ短冊三葉

 其後予カ書画帖を見せたることあり

 一昨年東京御歌御師匠宅 高崎氏へ歌一葉

 同人いはく 三条公ノ方々予か短冊三四葉アリ外ニ求メ得す 六七首を得て書写せしめ當今門人の手習ノ手本とせりと

 天皇ニ清風か短冊天覧ニ入テ御手習ノ手本トス

 天皇ノ下ハク かバかりむつかしき書ハなしとて宮中御ならひ也 をかしき事也と香谷方へ高崎義正来りてはなしと云々 玉田来て語る云々 玉田いはくオヂサンあまり澤山 さうニおかきなさるなといへり 清風曰「わしハ機嫌次第でゴザルト申たり」

2010年3月6日土曜日

ソウルでの交流会

 韓国に入った日本のご信者方がソウルで集合しました。せっかくなので、交流会をすることになっており、清風寺と妙深寺合同の交流会を開催。
 この交流会については、事前から企画を練ってくださっており、本当に楽しく、美味しく、有難いご奉公になりました。
 抽選で番号を選び、それぞれ番号に当たった方に一言お話をいただくということになりました。普通、こんな風に突然お願いされたら嫌がるのに、みなさん頑張ってお話くださいました。
 そのお話の内容が、たまたま当たった抽選なのに、それぞれのお寺で最高の人ではないかと思うくらいのお話。不思議です。
 心臓の病と癌から、大変な現証の御利益をいただいているという清風寺の女性。涙を浮かべて、「このご信心がなければ、生きていません、いまここにいません。教化親に教わったのは、この御題目のご信心は本物だということでした。本当に有難いです」とお話くださいました。
 そのほか、篠原さん、奥山さん、小泉さん、神田さんにも加わっていただきました。本当に素晴らしい交流ができました。
 さて、明日は、門祖会、そして結婚式。本当に、素晴らしい一日にしたいと思います。

2010年2月22日月曜日

妙深寺 門祖会 御法門

 門祖日隆大聖人550回御遠諱・先住松風院日爽上人御13回忌 報恩ご奉公 平成22年度 門祖会「信徒大会」が晴天の下、盛大に奉修されました。お参詣、ご奉公をいただいた皆さま、ありがとうございます。心から随喜しております。
 お参詣総数は、現在の集計では妙深寺所属の教区合計1267名、寺内とボーイ・スカウト、ガールスカウトを合わせて1311名、他寺院の合計が13ヶ寺62名でした。総合計1373名とのことでした。重ねて御礼申し上げます。本当に、ありがとうございます。
 各座の冒頭、今回の門祖会のために作られた映像を観ただけで、涙が溢れてきました。第一座の御控之間で、すでにクールな正教師までが涙を浮かべておられ、それを見て私も涙が出てしまいました。導師役と鑒座の二人が泣いていて、このまま奉修できるのだろうかと心配したほどでした。
 とにかく、土曜日から日曜日にかけての門祖会が、無事に終了いたしました。清々しい気持ちです。本当に、これからの3年間のご奉公が、素晴らしい形でスタートできました。皆さまのおかげです。ありがとうございます。
 本日いただいた御教歌。
「ころも着てかしらまろめて人だます 寺住のもの僧と思な」
 お会式で拝見するのは極めて珍しいかもしれませんが、大変に重要な御教歌をいただきました。
 本年に入り、如説修行抄に関する御教歌を拝見して参りました。1月の教区御講、2月の月始総講、教区御講、高祖総講と、続けて拝見させていただき、そして、この門祖会を迎えました。
 御教歌の選定には苦慮しました。「妙深寺信徒の誇り、喜び」とテーマの下、お参詣の方々、本門佛立宗に、妙深寺に所属する方々が、何に、「誇り」と「喜び」を最も感じられるのか、さらに、佛立教講は、何を「誇り」や「喜び」とするべきであるか、熟慮に熟慮を重ねて、第一座から第二座、第三座まで説かせていただく御法門の筋、御教歌を選ばせていただきました。それは、門祖日隆聖人の御意をも、いただいたものでなければなりません。
 開化要談九、日扇聖人全集 第13巻234頁。
御教歌の御題。
「真実の僧の寺にあるは宥清寺斗也。当講内には名ばかりの信者を除くべし。」
 そして、御教歌をお示し。
「ころも着てかしらまろめて人だます 寺住のもの僧と思な」
 御教歌に続いて、以下の御指南が続く。
「在家に養われて、その御礼に地獄へおとす也。
悪知識阿蘭若に住む。末法悪世には三類の強敵多く寺に住めり。人を助けるにはあらで、己たすかる也。無道念の者也。
法の邪正は、寺の大小によらず。利生の有無を以てわかつ。
もし力士を撰ばんには、その形の大小によらざるがごとし。
実語経に云く、山は高きに貴からず。樹あるを以て貴しとす。
出家と在家とは、其の形によらず。人を助けたるを以て出家とす。頭を丸めて、衣着たりとて、人を助けぬをば、出家とせず。在家と云ふべし。
猫の鼠取らぬは形のみにて猫に非ず。
(乃至)
妙楽大師に曰く、弘決第二本十丁。
それ出家をば無為の法と為すと。二死(生死名利)の家を出るをまさに無為と名づく。若しかしらを剃るを以て出家と為すと云わば、これ我人に着する也(我は出家、人は在家と着する也)。故に知りぬ、形服は真の出家に非ず(ニセモノ也、ダマシ也)。文。
門祖隆尊上人御撰。本門弘経抄第十九に云。其の形、在家也と云へども得道の者(信心経力折伏の要義を心得たる者)は僧と為す可き也。縦ひ出家僧形たりとも、未得道の者(如説修行信心折伏経力宗の要義を心得ざる者)は俗衆と名づく可き也。以上。
是れ門祖の御教誡也。御門流の出家在家ともに此の御教へを用ひず、従はざる者は、破門すべき也。
されば当講の代諭、諸組の信徒も同断也。」
 以上の御教歌、前後の御指南をいただいて、妙深寺の平成22年度 門祖会 「門祖日隆聖人550回御遠諱 先住松風院日爽上人御13回忌報恩ご奉公 ~信徒大会~」を奉修させていただきました。遠くからお参詣くださった方々、佐久本さん、本当にありがとうございます。高田さん、本当に感謝いたします。
 特に、悦子さん、ありがとうございました。何より、悦子さまのお参詣を御法さまに感謝いたします。妙深寺の教務全員、ご奉公をしてくださっていたみんなが、悦子さんのお姿、お話をお聞きしただけで、ご信心を改良させていただくことが出来た、と口々に感謝していました。
 ここに、お恥ずかしいのですが、清従師が御法門の動画をアップしてくれているので、掲載させていただきます。同期(同時刻のLIVE中継)のウェブ御法門はいいと思うのですが、こういう形での御法門の配信は、あまりいいことだと思っていなかったのですが(汗)。
 でも、まず、妙深寺に所属されておられる方へ。信徒大会の大切な御法門です。ご奉公部署などで弔問できなかった方は、今一度、ゆっくりと聴聞していただきたいと思います。
 ありがとうございます。







2010年2月20日土曜日

妙深寺信徒の喜び

 今日、平成22年度の妙深寺門祖会が奉修されました。
 お参詣者は442名ということでした。毎回のことですが、第一座のお参詣としては多すぎるほどです。明日も、万難を排して是非ともお参詣いただきたいと思います。
 今回の門祖会も、本当にがんばって準備ご奉公をしてくださいました。今朝、徹夜組が映像を完成してくれました。「今朝」といっても、第一座の開始、数分前に出来上がったということで、DVDに書き出すこともできなかったというタイミング。すごいことです。
 結局、DVDには書き出せなかったので、パソコンとプロジェクターをつなげて、そのまま放映しました。少しパソコンの不具合で映像が停止した部分があり残念でしたが、それでも、ここまで映像をまとめてくれたら、何も言うことはありません。ありがとう(涙)。
 今回の門祖会。本年度から始まった今後3年間のご奉公の開始にあたり、妙深寺に縁のあるご信者全員が集まる「信徒大会」として奉修させていただいています。妙深寺の信徒大会ですから、これまでの歴史を振り返る映像が欲しい。そういう話の中で、今回の映像が制作されました。
 本年度からの妙深寺は、初代ご住職・日博上人のご訓示、そして先住松風院日爽上人の佛立魂をもって誓願とさせていただきました。だからこそ、ここで、私たちが「妙深寺に出会えた」ことの有難さ、尊さを、感じていただきたいと思いました。どうしたら伝わるだろう。独りよがりでもいやだ、一方的でもいやだ。御導師方が素晴らしいだけではない。そこには、たくさんの御講師方、ご信者の皆さま方の心血を注いだご奉公があってこそ、今の妙深寺がある。
 妙深寺に受け継がれ、流れているDNAを、みんなに感じていただければと思い、作られた映像です。私は、奉修の前にお控えの間で観ていて、涙が出て仕方がありませんでした。是非、ご覧ください。ありがとうございます。

2010年2月19日金曜日

源平咲き ~世にも珍しい梅の花~

 今日、準備ご奉公中の、妙深寺の境内地で撮影しました。素晴らしいでしょう。咲き始めました、妙深寺自慢の梅です。

 この梅の名前は聞いていません。ただ、以前も書いたように、妙深寺のご信者さんで有名な植木職人であった山忠さんのおじさんから、「住職、この梅はすごい梅だから、絶対に切っちゃなんねぇよ。大事にすんだよ」と言われたことがあります。

 私は知識もあまりないので、品種も正確な名前も分からないのですが、今朝この写真を撮ってから自分なりに花びらの形状などを見比べてみました。

 「蓮久」かなぁ。「八重松島」かなぁ。分かりません。でも、みなさんもアップで見てください。まだ、満開にはほど遠いのですが、素晴らしく可憐で美しい。「五色梅」とか「思いのまま」「巻立山」「楠玉」という梅もあり、少し似ています。

 いずれにしても、こうした咲き方は、『源平咲(げんぺいざ)き』と言うそうです。昔から日本では大きく二つに分かれて戦う時、「紅白戦」とか「紅白対抗」と言いますが、もともと源氏の旗が「白」、平氏の旗が「赤」だったことからそう呼ばれるようになったそうです。つまり、『源平合戦』なのですね。

 品種改良や接ぎ木を重ねて、こうした咲き方をさせることもできますが、本当に素晴らしいのは、自然に育つ中で、こうした『源平咲き』をする梅の木だそうです。だから、山忠さんは「大事にしろよ」と教えてくれたのですね。

 こうした源平咲きは、梅に限ることではありません。桃やツバキ、皐月や白粉花などにもあるようです。少し調べてみると、当たり前のことですが、一本の木は遺伝子が一種類。ですから、一つの木(株)に形も色も同じ花が付くのが普通です。

 しかし、「源平咲き」は赤やピンクの花の木に突然変異で色の違う細胞が混ざって、一本の木に2色の花や斑入りの花が咲きます。一本の植物に、2種類以上の遺伝子のある物を、植物学では「キメラ (chimera)」と呼ぶそうです(「接ぎ木」の雑種も「キメラ」というそうですが、ただの「接ぎ木」を「キメラ」とは呼ばないそうです)。

 キメラ植物は、一代限りで、出来た種を植えても、2種類の色や実がなることは無く、元の色が出るそうです。増やす時は、挿し木や、株分けで苗を作らなければなりません。ですから、妙深寺にあるこの『源平咲きの梅』も、本当に貴重なのですね。

 ちなみに、この「キメラ」という語源は、ギリシャ神話に出てくる怪物の名前にちなみます。頭がライオンで胴がヤギ、尾がヘビという「キマイラ(Χίμαιρα, Chimaira)」から取っているそうです。少し怖い。ギリシャ神話とは、そうしたものですが。

 また、『源平咲き』の梅が、法華経本門の教えをいただく妙深寺の境内地に咲いていることにも感激です。法華経の教えというのは、「右か左か」という二元論を超越した教えです。法華経本門の教えの前では、実は「小乗仏教」も「大乗仏教」もなくなってしまいます。仏教という枠も超えて、世界を、いや宇宙を、一つに結ぶ教えが説き明かされているのが「法華経」の教えです。

 つまり、「源平」も「紅白」も、宇宙法界のDharma(法)、上行所伝の御題目の下で、互いに共生し、見事に、美しく、生まれ、咲き、実れる。源平咲き、本当に見事です。

 とにかく、明日、明後日の妙深寺の門祖会にお参詣していただき、三ツ沢の丘の上に咲く、世にも珍しい梅の花を見ていただきたいと思います。池の近く、池を見て左側にある背の高い梅です。本当に、不思議な気持ちになります。青空であれば、もっともっと気持ちが良くなります。

 もしかすると、満開になるのは、今月末くらいになるかもしれません。百日参詣をはじめて、梅の咲くのを楽しみにしても良いですよね。毎年毎年、あっという間に過ぎてしまいますが、花の成長や開花までの日々を楽しみにして過ごす春なんて、素敵でしょう。

 昔、日本人は、この季節に着物を新調したと言います。そして、新しい着物が来たら、その着物を梅の木に掛けておいたり、わざわざ新しい着物を着て梅の花を見に行ったりしたといいます。そうすると、新しい着物に梅の薫りが移って、それを楽しみにしたのだそうです。すごい感性ですね。「昔の人は鼻がよかったのかもしれません」と正教師も仰っていました。それにしても、日本人の豊かな感性、文化性は、やはりすごいです。

 この春、僕たちも、少しは感性を磨いてみましょう。妙深寺の『源平咲きの梅』で。

2010年2月18日木曜日

『ファイヤー・ファイター』 妙深寺報 2月号

 彼らのことを現代では「消防士」と呼んでいる。今でこそ官僚的なイメージもあるが、厳しい訓練と情熱がなければ続く職業ではない。

 江戸時代は、消防組織や構成員のことを「火消し」と呼んでいた。「武家火消」「町火消」などと分別されるが、彼らはそれぞれ独特の気風と気骨をもって知られていた。危険を顧みず、炎が渦巻く現場に急行する彼らを、人々は畏敬の念で見つめていた。

 この時代、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉が生まれた。「当時の江戸は火事と喧嘩が多かった」と考えるのは早計らしい。ここでいう喧嘩とは街中で起こる小競り合いや侍同士の斬り合いではなく、火事と喧嘩が別の場所で起こっているのでもない。これは、火事場で起こる喧嘩、命懸けの消火活動の中で起こる火消し同士の喧嘩、生命を張った喧嘩のことを謳っているのだという。

 江戸時代の火消しは、昔ながらの武家火消しと新興の町火消しが対抗意識を燃やしていた。火事場では、火事による被害を最小限に抑えるため、消火と延焼の阻止が目的となる。そこには封建社会の身分の違いなど関係ない。武士も町人も関係なく、ただひたすらに「消火」「人命救助」という目的のため、命懸けの働きをするのみ。それが出来なければ、「火消し」の使命は消え失せてしまう。

 大都市である江戸が大火に悩み、享保の改革からついに消防制度は町人に向けられた。組織化された町火消しは、命を張って消火することを誇りとして発展してゆく。反面、古くから存在していた武家火消しにはその気概も使命感もないと反発するようになっていった。

 こうして火事場での喧嘩は歌に謳(うた)われるようになった。それは、封建社会に反発する江戸庶民の声を代弁していたと言える。

 英語圏の人々は、消防士のことを「ファイヤー・ファイター」と呼ぶ。「炎の戦士」とでも訳したらいいだろうか。アメリカンフットボールの選手を彷彿とさせる屈強な巨漢が多く、その誇りの高さと使命感の強さに誰もが敬意を払う。「市民を守る勇敢な戦士たち」が憧れの「ファイヤー・ファイター」たちである。

 火事は何も残らない。残してはくれない。人間は火を扱うことによって他の動物よりも優れた存在になったとされるが、火によって苦しんでもきた。普段は何気なく過ごしているが、消防士、火消し、ファイヤー・ファイターの存在があればこそ安心して暮らせている。

 度重なる火災で全てを失う人々を救うため、すぐ側にいて準備を怠らない。全てを焼き尽くす炎の現場も厭(いと)わない。私たちは、その存在と仕事に敬意を払い、そこにある気骨から学ばせてもらいたい。

 ここに、御仏の言葉がある。

「世界はどこも止まっていない。どの方角も揺れ動いている。私は安住の地を求めたが、すでに死や苦しみにとりつかれていないところはなかった。殺そうと争う人々を見よ。武器をとって打とうと したことから恐怖が起こった」

「全てのものは燃えている。欲望と怒りと愚かさによって」

 御仏の御眼から世界を見れば、いたるところで火災が起きており、人々の身体も心も、炎に焼かれていると見えたに違いない。御仏は、その恐ろしい炎を消そうと、法を説き続けられたに違いない。

 世界が燃えている。人が燃えている。子どもが、若者が、家族が燃えている。争い合い、奪い合い、罵(ののし)り合い、傷つけ合って、燃えている。御仏がそうされたように、人々を焼き尽くす炎の消火活動に従事する者だけが、御仏の教えを受け継ぐ者と呼べるのではないか。

 お祖師さまや、門祖日隆聖人や佛立開導日扇聖人、偉大なる先師上人方は、この炎と戦い、人々を焦がす炎を消火するために、上行所伝の御題目を掲げて、命懸けでご奉公された方々ではなかったか。

 死者の弔いをするのが仏教ではない。生きている人々を火災から救い出すのが仏教であったはずだ。

 平成二十一年十二月三十一日、大阪良風寺の藤本御導師がご奉公の最中に命を落とされた。まさか。驚天動地の出来事に言葉を失った。

 藤本御導師は大晦日という最も忙しい時に、「助けてください」という緊急の電話に躊躇することなく、お助行に出掛けて行かれた。そのお助行先で凶行に遭い、絶命された。耐え難い出来事に、ただただ無念で仕方がなかった。

 藤本御導師は、本山の御宝前で何度も三日四晩の百本祈願をされ、日々これほどお看経される御導師を私は知らない。宗門のご弘通が低迷している昨今、藤本御導師の良風寺は活気に満ちあふれていた。本当に、この時代の中、学ばせていただきたいと、お慕いしていた御導師だった。

 その御導師のご遷化には必ずや深い意味がある。御宝前にお縋りする中で問い続け、それが命懸けのお折伏に違いないと確信するに至った。私たちを救ってくださるためのご遷化であり、地獄の蓋をするためのご遷化に違いない。

「如説院(にょせついん)日(にっ)修(しゅう)上人(しょうにん)」。藤本御導師の院号である。この院号が、全てを教えてくださっている。

「此(これ)等(ら)の人人を如説(にょせつ)修行(しゅぎょう)の人(にん)といはずば、何(いず)くにか如説修行の人を尋(たず)ねん」(如説修行抄)

 お祖師さまは如説修行抄の中でお諭しになられた。もし御導師が如説修行の人でなければ他に誰がいるというのか。誰もいはしない。そこまでのお看経、ご弘通ご奉公ができていると言えるか。そんな教務がいるか、と聞いてみたい。

 藤本御導師のご遷化の報に接し、長女の悦子さまは哀しみを堪えて、

「お父さんの本望だから。教務さんで、ご奉公で死ぬのが」

と言われたという。この言葉だけでも御導師の偉大さを痛感する。

 儀式が上手でも知識が豊富でも、声が良くても上品でも意味がない。火事で役に立たない者など、佛立教務たり得ないのだ。オプションばかりに気を取られて、本道から外れているからご弘通が衰退する。

 泥臭くてもいい。恐ろしい災(わざわい)に命懸けで挑む者、日夜厳しい訓練を怠らず、出動を待ち構えている。その気風や気骨、使命感を抱きながら生きるのが本物の佛立教務のはずだ。

 いま必要なのは教えを「説く人」ではなく「体現する人」であろう。仏教諸宗の僧侶とは、全く異なる真実の仏教の教えを、机上や紙上ではなく、まず教務の生き様から体現してゆかなければならない。

 末法の「ファイヤー・ファイター」。

 御導師のお折伏を決して忘れない。

今週末は妙深寺の門祖会、信徒大会です

 今週末の20日(土)・21日(日)は、妙深寺の門祖会が奉修されます。平成22年度は、ご奉公が大きく切り替わりました。ご信者の皆さまにも、今年から新しい「総祈願」が配布され、ご宝前にお上げしていただいていると思います。そうしたことを念頭に置いて、この度の門祖会は「信徒大会(しんとたいかい)」と名付けて奉修させていただくこととなっています。

 第一座、第二座、第三座と、住職の私が奉修させていただくことになっております。「信徒大会」ですから、「妙深寺のご信者さん」には何としても全員お参詣いただきたい、そういう思いから「信徒大会」と名付けたのです。是非、万難を排して、お参詣させていただきましょう。

 今月の妙深寺報の2月号は、この門祖会に合わせて発行させていただきました。また、内容がスペシャル・バージョンということもあり、例月他寺院にお送りしているのを控えなければならないと会議で決められました。残念で、申し訳ありませんが、どうかご理解ください。既に妙深寺には置いてありますが、門祖会でお参詣者に配布させていただきます。よろしくお願いいたします。

 2月7日、本山のご宝前でこれから3年間のご奉公の誓願式が行われました。海外は除きますが、全国からご住職や事務局長が顔を揃え、誓願させていただいたのです。この誓願書は、これから3年間、本山のご宝前に桐箱に入れられてお供えされます。3年後、箱を開けさせていただいて、もし内容と全く違う結果、ご奉公が成就していない、ということであれば、舌を抜かれてしまうかも知れません。そのくらいの覚悟で、本山の御法さまにお誓いを立てさせていただきました。

 門祖会で、そのような難しいことを御法門するつもりはありません。しかし、特別の御法門を拝見し、ご信心をさせていただいていることの喜び、意味を感じられるように、頑張って説かせていただきたいと思います。

 これからの3年間のご奉公が円滑に進められますように。他寺院のみなさま、寺報をお配りできず、申し訳ありません。

 ありがとうございます。

2009年11月21日土曜日

日蓮展

 先日、スケジュールの間隙を縫って、京都国立博物館で開催中の日蓮展に行って参りました。もちろん、目的はただ一つ。国宝「立正安国論」を拝見するためであります。
 私たちの感覚ですと少々違和感がありますが、お祖師さま御染筆の大曼荼羅やご消息などが展示されています。「違和感」というのは、本門佛立宗のご信心では、そうしたものはあくまでも「信仰の対象」という感覚があるからだと思います。「生きてまします」といただく御本尊さまや御尊像を、ガラスケースに入れて「展示物」とするのはもったいない、恐れ多い、という感覚があります。どうしても違和感を覚えてしまうのですが、それでも現在は他寺院が護持しておられる門下の貴重な宝物を拝見できる機会はまたとありません。心して、国立博物館を訪ねました。
 国立博物館の中では、メモを取りながら、グルグル、グルグル、会場内を廻りました。やはり、本の中でしか見たことのない宝物が並んでいます。何とか、お祖師さまの息吹、お祖師さま滅後に帝都・京都のご弘通を開始された日像上人の息づかい、日朗上人門下「朗門の九凰」と呼ばれた御弟子方の結束、その決意などを感得させていただこう、と拝見し続けました。
 今回は、「法華の名宝」と題されていますから、京都町衆の中で発展した法華経文化、つまりお祖師さま(日蓮聖人)の教えを信奉する人たちの作品も並んでいます。それはそれで素晴らしいものが多かったと思います。特に「松桜」の大きな画には足が止まりました。松と桜。このコントラストが素晴らしかった。
 しかし、それらとは比べものにならないほどの感動は、当然ながら国宝「立正安国論」です。中山法華経寺に伝来する1269年12月8日にお祖師さま自らが書写された御真筆。750年という御正当の年に、この書を拝見できるとは。感激です。
 もう、顔をガラスにこすりつけるように拝見しました。日蓮展では前半と後半で巻き替えが行われていたので、たしか14紙にあるといわれる「お祖師さまの指紋」は拝見できませんでしたが、それでも、26紙末と27紙の間にある筆のこすり跡、30紙、32紙にある筆跡、左手か、右手に付いた墨がこすれた跡などを、お祖師さまが書写されているお姿を思い浮かべながら拝見することが出来ました。本当に、有難かった。
 そして、この「立正安国論」の御意をいただいて、この国家の元首、天皇陛下がおられる京都へと上行所伝の御題目をお弘めになられようと都入りされたのが日像上人です。1294年4月からお祖師さまの遺命を受けて上洛し、京都の有力民衆の帰依を得てご弘通ご奉公を開始されました。比叡山延暦寺から度重なる讒言や圧迫を受け、1307年から1321年までの間に3度も京都から追放されました。院宣として追放されたのですから、そのご奉公ぶりが分かります。そのたびに許され、ついに1321年に四条櫛笥に妙顕寺を建立されました。1334年、後醍醐天皇からの公認を得ます。国家への諌暁を進められ、ついに天皇からの支持を得られたことには並々ならぬご奉公があってのこと。そのお姿を、京都各寺院に伝わる様々な宝物で感じることが出来ました。
 また、個人的には、「守護国家論」が展示されていたので、足を止めて拝見しました。これは「五条坊門富小路西面と坊門よりは南、富小路よりは西」とお祖師さまが御染筆になった場所を限定しておられるので、なにか頭の中に情景が浮かび、麩屋町の長松寺からとても近所なので、感激したのです。
 私の祖母、長松小千代は、生前私に「わての生家、能勢家は大覚大僧正にお仕えした家系」と言っていました。それが、長松家に嫁ぐ縁だったのではないかと言っていたのですが、日像上人の後を受け継がれたのが、この大覚大僧正で、今回の日蓮展でも「妙顕寺文書」などで、この事跡や経緯を肌で感じることが出来ました。
 また、全く別の視点ですが、天台大師の御影画(張思筆)が展示されていて、そのお姿の中に「三本獣足の脇息」が描かれていて、何故か眼が止まりました。
 実は、洛外にある南真経寺とは御縁があります。洛外としては日蓮門下最古のお寺といわれており、日像上人が京都から追放された時に真言宗のお寺を拠点とされたそうで、それを縁としておられます。由緒寺院ですから境内にはお祖師さまの立像があり、日像上人ゆかりの墓碑などもあります。普段はお墓参りの人がいるかいないか、という淋しいお寺なのですが、今回の日蓮展に多くの宝物を出展されていて、本当に驚きました。洛内最古の門下寺院である宥清寺から宝物が出展されていなかったことには先に挙げたような理由もありますが、少々残念な気持ちになりました。
 いずれにしても、「今、生きたお寺か」という点が大切であり、①正しいお祖師さまの教えを受け継いでいるか、②ご弘通が為されているのか、ということを考えねばなりません。「舎利(御真骨)がある」とか、「宝物がある」ということを、法華経の信仰ではあまり重視しないはずです。なぜなら、法華経の中で御仏ご自身が「舎利を用ひじ」と説き明かされているからです。ここでも、「教」と「行」と「証」が大切なのです。
 日蓮展、実は今日妙深寺のご信者さんも京都国立博物館を訪れているはずです。またと無い機会に資料を整理したかったのですが間に合いませんでした。もちろん、事前に渡した資料を瓜生さんがまとめてくださっていますが、建国寺の石川御導師からいただいた資料などをまとめたかったのです。ですから、今日、こうしてインターネット、携帯電話から私の簡単な感想を載せさせていただいて、拝見する時の一助になればと思いました。
 明日は、大阪・豊中・良風寺の高祖会にお参詣させていただきます。もう、緊張しています。天気も微妙。午後、もう少しで横浜を出ます。しっかりと、ご奉公させていただけるように、御祈願させていただきます。
 それにしても、「朗門の九凰」の覚書には、鳥肌が立ちました。
 ありがとうございます。

2009年11月15日日曜日

見たこともない空の色

 昨日は、本当に素晴らしい高祖会の第一座が奉修された。お参詣者は403名。雨の予報で、温かい風が吹いていたがお参詣の足は重かったと思う。しかし、それでもお参詣くださった方々がたくさんいて、だからこそ晴天のお計らいがいただけたのだと思う。
 昨日の夕方は、今まで見たことがないような夕焼けが空を染めていた。空がオレンジ色に染まっていて、本当に不思議な光景だった。
 慌ただしく部屋の中で奉修御導師のホテルへ向かう準備をしていた最中、カーテンが紅くなっているのに気づいた。窓の外を見てみると、なんとも不思議な空の色。一人で感嘆の声を漏らしてしまうほど、綺麗だった。
 今日、6時半から朝のお看経、7時15分に終了して、15分間で朝食のご供養。7時半からご奉公者一同でお看経。本日一日、無事にご奉公が成就できますようにと御祈願させていただいた。
 空の色も不思議だったが、昨日の朝には地震もあった。いま、ブラジルの斉藤御導師が妙深寺に宿泊しているが、ブラジルには地震がないので本当に驚いたという。鈴木英信師は日本に住んで6ヶ月になるので慣れてきたようだが、この地震の恐ろしさを実感している。「地、皆六種に振動す」。法華経の御経文を思い起こすが、やはり奇瑞であることに違いない。
 立正安国論上奏750年を締めくくる高祖会。特別な高祖会。万難を排して、一人でも多くお参詣くださるように願っている。

2009年10月14日水曜日

妙深寺報 10月号

 妙深寺報の10月号。なんか、出るのも遅くなっているがブログへの掲載も忘れてしまっている。こんなに大切なご奉公なのに、アップしないなんていけない。
 今回も最高の出来。月末はギリギリまでスリランカのご奉公だったから、原稿を入れるのも遅くなったり、いろいろなことが重なってしまって、少し遅れてしまった。「無料だから許して」とは言えないな。しっかりしないと。
 内容は、スリランカに渡航する前日の23日に奉修されたお彼岸、秋季総回向での御法門を中心に、9月中の教区御講でお話をいただいたことなどを盛り込んでいる。特に、打ち合わせをしていたわけではないのだが、「教化特集」という内容になっている。
 妙深寺では、今年が「立正安国論上奏750年」であることから、高祖会までに誓願を立ててお教化のご奉公をさせていただこうと励まし合っている。このタイミングでお教化のお話が溢れているというのは有難いことだ。それにしても、各御講席で、このような楽しい会話が交わされていることが嬉しい。
 とはいえ、導師としては、一瞬も気の抜けないご奉公で、その場の空気が沈滞しないように、神経を凛とさせているのだが…。何度もご披露しているが、受持の御講師方はボイスレコーダーとデジタルカメラを携行して御講席の随行。そのお席で語られる会話、お参詣者と住職の会話、「ちょっといい話」などのご披露を録音させていただく。そして、その月の中旬に、御講中に住職がメモしていた内容を整理して報告。取り上げられた方々の声をボイスレコーダーから拾い出し、文字起こしを行っていく。生きた会話、生きた内容を心がけ、その雰囲気をそのままお伝えしたいと思っている。ノンフィクション。ご信心の息吹をお伝えできればと思っている。
 来月の高祖会までの誓願。あと少しで達成。今日、今月の住職が勤める御講席が終了した。その全御講席に弘通部の奥山さんや兼子さん、藤村さにゃ森山君や麻美ちゃんが参詣し、弘通部からのご披露をしてくださった。世間でいうノルマと勘違いしていただきたくないので、そのことを再三弘通部からご披露した上で、こうした機会を得て、お教化のご奉公に気張らせていただけることを嬉しく思い、みんさん、ご信心を一歩進めて、菩薩行の実践をさせていただきましょう、と。有難いことだ。
 私からは少し厳しく。昨年から、お祖師さまが命をかけて提出された立正安国論を学ばせていただいてきた。この文書の提出によって、お祖師さまは数多くの難に遭われたことは周知の通り。はたして、その内容とはどのようなものであったか。もし、一年間もこのことを聞き、学んできて、いまだに「私にはお教化は無理です」「誰かがしてくれるでしょう」と思っている方があるとしたら、これまでの御法門や講義を全く聞いていない、お祖師さまが立正安国論でお伝えになられようとしたことを一分も汲んでいただいていないということになる。混沌とした世界、混乱の続く社会を、どのようにしたらより良き方向に変えていけると仰せになったのか。この末法の社会に翻弄されて生きていく私たちは、どのようにすれば、その荒波を乗り越えていけるのか。御仏の正しい教えに沿って、まず心を正しく立て直すこと。それしかない。この、原点に立ち返り、人々の心に「正しいブッダの法」を届けることによってのみ、自分も、周りも、社会も、あるべき方向、より良き方向に向かっていくとお諭しくだされた。
 この時点。ご正当年の年末も押し迫る中で、このことが分からず、分かっていても実践とはかけ離れたままというのでは仕方ない。同じ信心をしているといっても、残念ながらいろいろある。「日蓮門下」とは言っても、このお祖師さまの御意をいただいて、その一分を汲ませていただいて、世のために、人のために、自分のためにと、ご弘通やお教化のご奉公に日々励んでいる人は少ない。お祖師さまの教えを受け継いでいるはずの寺院。観光寺院のようなになっている日蓮宗の寺院もあるし、祈祷会、降霊会、占いや姓名判断のようなことまでして、密教やヒンドゥーと見分けもつかぬ個人主義の受け皿になっている寺院もあるし、葬祭殿などと名付けた葬儀場の経営や墓地販売にのみ躍起になっている寺院もある。僧侶も、その所属の壇信徒も、お祖師さまの御意を知らないし、教えてもいただいてないのではないか。
 同じ佛立信者とならせていただいても、お客さん気分のままで、このパワフルな御題目さまに寄りかかっているだけではいけない。その御意の一分を汲ませていただいて、生きた仏教を体現し、一人でも多くの人に御題目をお届けさせていただこうと励ませていただきたい。同じ「佛立信者」と言っても、お教化の「気持ち」「心」を持っている人と、持っていない人では、天地雲泥の差が出る。功徳の差、御利益の速やかさ等。このことを知らねばならない。お教化が「出来る」「出来ない」ということを言っているのではないから誤解しないでいただきたい。その気持ちが、「あるのか」「ないのか」ということ。ちなみに、今年、私は奉安教化を2戸させていただいた。愛する友人たちと一緒に、ご信心できることが何よりも嬉しい。
 11月、高祖会までに、お教化の成就を目指す。そのヒントが、今月号の寺報に溢れている。どうか、何度も何度も、細かく拝見していただきたい。熟読していただきたい。
 スリランカの帰り、シンガポールに寄らせていただいた。そこで、素晴らしいご信者である斉藤家にお助行に伺った。奥さまのゆかさんは、本当にお教化の志の篤い方で、何としても応援させていただきたいと思ったからだった。前夜に引き続き、お助行の際にも家事のお手伝いに来ていただいているフィリピン出身のジーナ女史をご紹介いただき、いつも一緒に御題目をお唱えしているということだったので、そのままお看経させていただいた。彼女は不幸な形でお父さんを亡くしており、涙ながらのご回向の一座となった。
 大きな御戒壇。こうした大きな御戒壇をシンガポールにお供されているとは。ありがたかった。高級なコンドミニアムの中にあったお宅なのだが、大きな木琴がある。集合住宅なので「木琴の音は大丈夫ですか?」とお聞きすると、「はい、思いっきりお願いします」と仰る。そこで、小野山師や清顕師も拍子木をいただいて、大きな声でお看経。窓も開けっ放しで、コンドミニアムの中に「カンコンカンコン」という木琴の音と御題目の声がこだましていた。一人でも多くの人に御題目をお聞きいただいて、ご弘通させていただきたいという思い。
 ふと、御戒壇の横にあるデスクに目をやると、そこに妙深寺報が。あぁ、日本から取り寄せていただいて、シンガポールでも読んでくださっているだなぁ、と感激した。もっと眼を近づけてデスクの上を見ると、なんと、蛍光ペンでチェックしたり、線を引いたりしてくれているのである。「あー、感激!」。こんなこと、してくれているなんて、うれしー、飛び上がる思いだった。
 毎月出していると、こんなに丁寧に読んでくれているのか不安になる。雑誌を見るように、パラパラっとめくって、閉じてしまう。あるいは、「また、この人か」「難しいわ」と言って深く読まずに閉じてしまっているのではないかと心配していた。それが、こんなに詳しく、深く、読んでくれていたとは。一行一行、丁寧に組み立てて、書いているこちらとしては、その行間まで読んでくださっているように感じて、本当に嬉しかった。
 壮年会の交流助行の際、長野のご信者さんが、「妙深寺のご信者さんは幸せ過ぎて不幸ですね」と言っておられたと聞いた。もちろん、やさしい言葉を交わしながらなのだが、この言葉を聞いてこられた奥山さんが「本当に、そうだと思います」と仰っておられた。毎月寺報が出て、こんなに近くに妙深寺があってお参詣できる嬉しさを、海外で一人でご信心しておられる方の気持ち、遠方でご奉公されている方の気持ちを考えて、感じて、ご信心させていただかなければもったいないと思う。
 同時に、そのご信者さんはウェブカメラで本堂の朝参詣を見ておられて、「最近、朝参詣者が少ないのではないですか?」と心配しておられたという。幸せなことに馴れすぎて、朝参詣もできないのでは仕方ない。
 とにかく、いろいろと書かせていただいたが、妙深寺報は今月も最高なのである。中身を、じっくり、読み深めていただきたい。

2009年7月23日木曜日

お参詣、1448名でした!

 昨日は19時から京都と横浜を結んで、ウェブ会議。教講推進会議に参加。
 そこで、先日の開導会のお参詣報告をいただいた。妙深寺の地元参詣は1333名。昨年の開導会が1303名だったので、近年では最高のお参詣数をいただいた。本当に、有難い。
 また、他寺院からは12ヶ寺115名のお参詣をいただき(その中で52名が団参者ではなく、随意でお参詣くださったとのこと)、総合計1448名のお参詣となった。ご供養が足りなくなったのも致し方ない。本当に、ありがたいご奉公となった。
 秋の高祖会に向けて、さらに喜びをもってご奉公させていただきたいと思う。

ネパールの阿部信仰師から

  ネパールでの信仰師のご奉公が続いています。サムンドゥラデヴィの学校訪問と数軒のお助行、道なき道を踏破してのご奉公でした。 広報担当のようなものなのでシェアさせていただきます。ありがたいです。ありがとうございます。