2007年5月31日木曜日

つかの間の家族サービス

 ご奉公の合間を縫って、家族サービス。
 たくさんの方にご心配をいただくのだが、ちゃんとサービスしているのだった。
 今日は、夕方から東京の六本木で人と会わなければならないので、ご奉公の合間を縫って夕方に息子だけ連れてサカタのタネに行ってきた。彼はカブトムシが買いたかったようだが、今日の目的は違う。
「ちがうでしょ」
と何度も諭して、ようやく分かってくれたようだが、最後の最後に「ねぇ、カブトムシはぁ?」と。さすが、我が子、私に似てしつこい(いや、粘り強い!)。でも、有難い(笑)。

出世間 入世間

憲史くん、

ありがとうございます。
出家することを祈念します。ありがとうございます。

あのね、本当の仏教では、「出家」は坊主のための教えじゃないんだ。普通の人に対しても「真実出家の論」という教えがあって、憲史も知っていると思うけど、開導聖人の御教歌に「ころも着て かしらまろめて 人だます 寺住のもの 僧と思な」とあって、衣を着ても、頭を短く切っても、本当の出家とは認めない。
逆に、心の問題なのだけれど、社会で生きていて、普通の、一般の人であっても、「目覚めて、道を求める人、求め続けると決心(決定:けつじょう)した人」を「出家」というのでした。

読んで字の如くなのだけれど、「家から出る」というのは「普通の人たちが心惹かれる事象・価値観から出て、真実の道を歩む」ということであり、「在家(出家していない一般の人のことを指す言葉)」というのは出家の意味に対して「そこに至らない人」。出家していても世間の物事に心を惹かれている人もあって、在家でも出家している人もいます。その大切さを、私たち佛立宗の教講は噛みしめなければならないのです。
法華経の教えは、「出世間法」と言って、「世間の物事から出る、逃れる法」であると説かれているのでした。

そしてね、私たちは、ご信心の功徳で「出世間」する。そうした上で「入世間」する。世間にもう一度交わる、混じる。その中で、蓮華のように生きていくということです。泥の中でも純白の花を咲かす。泥から出て、綺麗な池を求めるのではなくてね。

御仏の最初の御法門が「四諦」の御法門であったように、御仏は「諦め(あきらめ)」、昔は「諦」という言葉は「あきらめ」ではなく「明らかにする」という意味があったのだが、それが人間にとって大前提として必要だと説かれた。
それが、世間で言う「四苦八苦」の御法門だった。
最初の4つは、「生老病死」。人間誰もが抱えている苦しみ。
生きること(生まれること)の苦しみ、老いていく苦しみ、病に遭う苦しみ、そして誰もが死を迎える苦しみ。これから逃れられる人はいない、誰もがこの苦しみを抱えながら生きていかなければならない。

そして、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」。

「愛別離苦」は、愛する人と別れる苦しみ。愛していても永遠には一緒に居られない。
「怨憎会苦」は、怨みや憎しみで出会わなければならない苦しみ。
「求不得苦」は、求めても得られない、欲しいものが手に入らない苦しみ。
「五陰盛苦」は、「五陰」という肉体、感情、理性、思考などが盛んで、物心両面の執着からの苦しみ。存在自体の苦しみ。

特に、この「愛別離苦」は、無常の世界で生きている限り、つきまとうから。

憲史くん、御祈願、ありがとう。
でも、確かに憲史くんの御題目は届いているから。そして、彼の祈願は、また色々なことを教えてくれた。このメールのように。
頭は丸めなくてもいいけれど、みんなで「出世間」して「入世間」しよう。同じ世界に生きていても、視界が変わるから。

ありがとうございます。

清潤拝、

「チャンティング」 憲史くんのメール

 憲史くんからメールが来た。
 マッシミリアーノ・レッシさんが亡くなったことについて。憲史くんはヴァネッサとメールのやりとりをしてくれていたのだ。
 とても大切なので、ここに貼り付ける。(本人の確認無し。いいよな、憲史!)

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ご住職さま、

有難うございます。
最初、起きて彼女のメールを見た時に、すごい衝撃を受けました。
毎日治りますように、とお祈りしてた人が初めて亡くなりました。
彼女とメールした時には、彼の様態はどう?って聞いたら、ここ数日はわからないから弟に聞いてみるね、という返事が来たので、待っていたらいきなりあのニュースが飛び込んで気ました。。。

お坊さんは僕には無理だなあと思いました。死とかって普通みんな日常の中では見て見ない振りする部分じゃないですか。でも、ここではダイレクトに接する。ご信者さんの様態が変化して、その度に
一喜一憂しそうな僕は、向いてないかもしれません。。。って、出家する訳じゃないんですが...

チャンティングをしてさしあげるだけです。。。
有難うございます。

憲史
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素直なコメントに頭が下がる。

ただ、私から返信のメールをしたので、次に掲載する。

妙深寺に「鶴」が舞い降りた!!

 今日は忙しいのだ。一ヶ月の中でもとびきりに。
 明日は6月1日、月始総講、協議会、そして教務会。そのための準備ご奉公で御法門を添削したり、役中テキストの原稿を書き、そして印刷し、夜は東京まで行かなければならない。

 早速、原稿を書き始めようとした途端、局長室に深要師が飛び込んできた。
「ご住職~!鶴、鶴、鶴がぁ~、妙深寺に鶴が来たぁ~」
 もう、びっくり仰天。デジタルカメラを持って部屋を飛び出した。

 境内地には朝参詣を終えたご信者さんが池を囲んでいる。
「これは、まさか、あの(?)深要師の言葉とはいえ、本当に鶴が妙深寺に舞い降りたのか!」
と、何の奇瑞かと思いつつ、池の方に走っていった。

 その間も、深要師は僕の隣で、
「でっかいですよ~、でっかい。ありゃ、間違いない、鶴だ!」
と言っている。ますます、確信を深め、ワクワクしてきた。
「いた、うぉー、鶴だ!」
「あれぇ?なんか形が違うぞ???」

「なんだよぉー、深要師ぃー、ちがうよぉー」
となった。
 しかし、見事な「鷺(サギ)」である。大きさからすると、「青鷺(青サギ)」であろう。妙深寺の池の鯉を狙ってきているらしい。

 鶴ではなかったとはいえ、大きなサギには目を見張った。ご信者さんの多くもデジカメや携帯電話を持って写真を撮ろうと身構えていた。
 思わぬ珍客に池の鯉は迷惑だったろうが、僕たちは心が和んだ。

 彼(彼女?)は、ゆっくりと私たちを見渡して、朝ご飯をあきらめたようだ。
 大きな羽根を広げて池から飛び立っていった。翼を広げると2メートル近くになりそうである。

 妙深寺は横浜の真ん中にあるから、サギが訪れるのも珍しい。戸塚や大船、青葉などの方には動物も鳥もたくさんいるのだが、妙深寺では稀なことだった。

 だから、私たちは妙深寺の森に薫化会(子どもたちの会)と一緒に小鳥のための小さなお家を作った。岩崎さんが森の木の上に設置してくれて、木々に目をこらすと小屋があるのが見えるはず。そして、鳥たちの声がいつにも増して聞こえるようになった。朝、本堂に行く間、鳥たちの声に耳を傾けるようにしている(アー、アーというカラスの声の方が大きいが。トホホ)

 池から飛び立ったサギは、大きな翼を広げて、丘の向こうに行ってしまった。

おかとうのお取り替え

 明日は6月1日。
 朝参詣後の御宝前お給仕にあわせて、妙深寺が護持する高祖日蓮大菩薩ご尊像の「おかとう」のお取り替えをさせていただいた。

「おかとう」とは、お祖師さまのお首からお巻きしているもので、真冬は「羽二重」、「一重」、初夏は「絽」、真夏は「紗」にお取り替えさせていただく。生きてましますとお給仕をするからこそ、ますます「ご威光」が増すとのご信心でご奉公をさせていただく。
 特に、妙深寺本堂に護持させていただいている御尊像は、私・住職のみでお給仕申し上げる。また、お給仕後は、お給仕中に「知らず計らず」の御不敬を御懺悔させていただき、さらにご威光を増していただけるようにと、御本尊にお願い申し上げる。

 お祖師さまは「丁蘭」という方を孝の手本とし、開目抄に、
「丁蘭は母の形をきざめり。此等は孝の手本なり」
とお諭しになった。その丁蘭は、15才の時に母を失い、母の姿を木像に刻んで生ける母の如くに仕えた。蘭の妻はそれを妬み、馬鹿にして、ある夜、母の木像の顔に火を放った。たちまち、木像の母の顔は恐ろしい傷を蒙った。2日後、妻の頭髪は鋸で切ったように抜け落ちた。
 丁蘭は大いに哀しみ、妻を説諭して3年もの間、拝伏させたという。それによって木像の傷が消え、元の姿に戻ったというのだ。

 蘭が母の木像に対して、ただの木像ではなく生ける母として仕えたことにより母の木像もまた生身の証を現した。孝の至誠の表れとして、時の王は「太中大夫」という官職を授けたという。

 私たちは、お祖師さまへのお給仕を大切に努めさせていただかなければならない。
 先住のお怪我の際、先住が負われた頭の傷と同じ位置に、お祖師さまの「おつむ」も割れていたことを思い出す。不思議なことだが、これが信心である。

日歓上人

 昨夜は信仰師と清康師によって、新しい形での役中テキストが作られていた。まだまだ模索段階だが、一般のご信者さんよりも一歩二歩とご信心を進められた菩薩行を志すご信者(「お役中さん」「役中」とお呼びする)さんが読まれるもの。読みやすく、分かりやすく、ご奉公しやすいものになるように改訂させていただこうと思っている。その第一号が明日6月1日に出される。

 昨日は乗泉寺世田谷別院での佛立第8世講有・日歓上人の祥月ご命日法要が営まれた。

 この世田谷別院は、晩年の日歓上人がお過ごしになった場所であり、妙深寺初代ご住職の日博上人は日歓上人から「誰が何と言おうと正深が一番好きじゃ」と言われていたとのことで、何度も何度も通われた場所。日博上人はいつも日歓上人に教えていただいた一言一言の御指南を書いたノートを持たれていたという。
 そのことを思い返しながら、お参詣させていただいた。

 明治2年(1869年)5月2日、京都市の田中家に御生まれになり、明治の中頃にご信心に出会い、随喜してお教化に気張られ、明治27年に4世日教上人のお姿に随喜して得度を決意された。日歓上人は2世日聞上人にご剃髪を受け、僧名を清歓といただかれた。4世のお弟子として大津佛立寺でご修行され、東京に戻られてからは浅草清雄寺にてご奉公。明治34年、東京乗泉寺住職に就任。本門佛立宗の関東一円のご弘通の中核として、現証に次ぐ現証によってご奉公され「日本第一の弘通家」と称された。乗泉寺門末百ヶ寺建立の基礎を作られれ、昭和19年5月30日、御歳76歳で御遷化。
 日歓上人は、乗泉寺でご奉公されるようになった時、3つの決意と誓願をされたという。
 「私は日本国中、誰にも負けないように御弘通させていただこう」
 「私は日本国中、誰にも負けないようにたくさんお看経をさせていただこう」
 「私は大尊師(開導聖人)の御教えのとおりに、信心で通させていただこう」
というものであった。その誓願のとおりに日歓上人はご弘通ご奉公に挺身され、数多くのご信者に現証の御利益を感得させ、乗泉寺は大発展を遂げた。御弟子も130人近くまでお育てになった。
 御唱導は横谷御導師だったが、不思議なことに御法門の中で日博上人の「コーヒーの壺」に触れていただいた。
 横谷御導師は、昭和18年に得度をさせていただいた時、最晩年の日歓上人にご挨拶をするために、この世田谷別院を訪れたという。床に伏されていたが、起き上がってくださり、御法門を頂戴した。

 その時の御法門は、第2世日聞上人のお示しになった御歌であった。
「為す業(わざ)は末(すえ)をたのしみつとむべし ゆめにも見るな今の苦楽を」
と教えていただいたという。
 善因善果、悪因悪果。いましっかりと生きていれば、必ず未来が良くなる。人間は今の苦楽、今の出来事に一喜一憂してなすべきことを為せない、果たすべきことを果たせない、幸せの種まきができない。ゆめゆめ、そのような生き方をしてはいけない、と教えていただいた、と。

 有難い御指南、御法門であった。
 日歓上人の足下にも及ばぬが、何とか「今の苦楽」に一喜一憂せず、いま自分に出来る善き種まきをさせていただきたいと思う。

2007年5月30日水曜日

Yayaさんからのメール

 哀しい知らせだったが、ご信心で結ばれた方々の暖かい心を教えてもらった。
 先ほど、帰山するとメールが届いていた。Yayaさんから。
 早速ヴァネッサにメールを送り、Yayaさんからのメッセージを伝えた。
 とても暖かいメールなので、掲載させていただこうと思う。
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長松御住職、

 ありがとうございます。
 今朝起きたときにLecciさんのことが妙に気になっていました。亡くなってしまったと聞いて残念です。
でも彼が残してくれたメッセージや想いが、Vanessaさんや弟さんの今後の人生、そして何よりも御信心に遺響してくれると信じます。 ご冥福をお祈りいたします。
 ところでお忙しいところ本当に申し訳ございません。下のメッセージをVanessaさんに転送していただけますか?私は直接彼女を知らないのですが、きっと心を痛めていると思い、何かメッセージを送らずにはいられませんでした。
 お手数をお掛けし、本当にすみません。宜しくお願いいたします。
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Dear Vanessa,

Please allow me to offer my sincere condolences on Mr. Lecci's death. I heard about his illness from Seijun-shi, and had been praying for him since then. It's sad that we all have to face someone's death through our lives, but I hope his thoughts and messages reflect well on your life as well as your feith in future.

Sincerely,

Yaya
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 地球が、こうして暖かい気持ち、祈り、励ましで包まれ、御題目をお唱えする絆で一つに結ばれていることが有難い。
 ありがとうございます。
 清潤拝、

私からヴァネッサへ

Dear Vanessa,

I’m so sorry.
It is very regrettable for us.

In my temple, a lot of members were starting the rogation for him.
However, I don’t believe that our effort was in vain We did not to no purpose.
We had the edge with him. It is the edge of the Finest Dharma.
I’m sure that the force of fine Dharma has reached him.

I would like to say the reward to you and your brother.
Nam Myoho Renge Kyo,,,,,

And, you must chant Odaimoku at his ceremony.
I will hold small memorial service for his soul.
We pray that by the meritorious power for the fine Dharma. I’m sure that his soul obtain the benefit of fine Dharma.

Nam Myoho Renge Kyo,,,,,,

Yours in the Finest Dharma,

Seijun Nagamatsu,

ヴァネッサからの連絡

 ロンドンのヴァネッサから連絡が来た。残念な知らせだ。
 マッシミリアーノ・レッシ氏が亡くなったという。HIV末期の大変な病状であることは知っていたのだが。彼らは今夜マッシミリアーノ・レッシ氏のためのセレモニーを持つということだ。

 ほんの数日間だったが、御祈願をしてくださった方々にヴァネッサからお礼のメールを紹介したい。
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Dear Friends in the Fine Dharma,

Thank you very much indeed for your prays unfortunately Massimilisno Lecci passed yesterday.
I will hold a ceremony for him tonight in his memory.

Thank you again for your support

Yours Sincerely
Vanessa
Namumyohorengekyo
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以上のようなメールだった。

御祈願をしてくださった方、ありがとうございました。
今生では「正法帰入」できなかったが、彼のために御題目をお唱えしてくださった功徳は、彼に届いたし、今も届いていると信じている。

ありがとうございました。

清潤拝、

2007年5月29日火曜日

明日は世田谷別院へ

 あっという間に一日が終わる。それにしても今日はやはりきつい日だった。10年前などと比べて、体力が落ちていることを感じる。

 明日は世田谷別院において日歓上人の祥月ご命日法要があり、その後に会議がある。
 今日はメールの返信を15通くらいしか出来なかったが、受信したファイルにはこのブログを見ているという嬉しいメールがいくつもあった。嬉しい。誰も読んでくれていないのかもしれないが、何かの足しになればと、あの風邪から暇があったら書き続けているので。

 今日は明日のために早く休ませてもらえると思う。

妙深寺報6月号 出稿前のトラブル

 ようやく少し眠れると思ったのだが、教務室からの連絡で出稿直前トラブル。妙深寺報は寺内のPCでの手作りであり、出稿用のプリントも寺務所の古いコピー機を使っているのだが、先月は文字が少し潰れて出てしまい、今月は数ミリのズレが出る。古いのだから仕方がないが、徹夜明けの機器トラブルは一番ガクッと来る。
 気を取り直してみんなで取りかかった。表紙と裏表紙に出ていた不必要なラインも消すことができたので逆によかった。油断してはいけないなぁ。

 9:30には第二本堂のロビーに入れるドロップ・コーヒーの自動販売機(ヴェンダー)の納入があり、業者の方をお迎えした。新体制の要となる教区長会も始まっている。

 清従師は既に枕経に行ってくれていた。まさに止暇断眠のご奉公だが、健康や運転には気を付けてもらいたい。

 ようやく出稿できた。6月号の表紙を載せてみた。

止暇断眠の教えに、

 1時間ほどの睡眠であったが、熟睡できた。有難い。

 教務室に行くと、ほぼ寺報が完成していた。今月は新たに組織された事務局の発足を中心に、事務局長のコメント、日博上人の訓辞を掲載。巻頭言は「口は幸せの元」と題して書かせていただいた。また、妙深寺報の特徴は、「ご信者の数だけヒーローがいる」を合い言葉にしたご信者一人一人の生の声である。「菩薩の声シリーズ」として今月も6人(家族)の声を掲載させていただいた。毎月、「今までで最高の出来だ」と教務同士で喜んでいるから、私たちは幸せ者である。しかし、朝までの作業はキツイ。

 6:15分。清従が「受持教区の部長さんから連絡がありまして、お亡くなりになったご信者がおられるとのことでした」と私に報告。朝参詣に部長さんがお参詣され、そこで詳しくお話を聞き、そのまま枕経に向かうのだろう。徹夜だったので身体が心配だ。

 それでも、日々にご弘通ご奉公をさせていただいている実感を味わえることは、この上ない喜びである。お看経から離れず、御妙判・御聖教・御指南を身に当てて拝読し、御法門を説かせていただき、御講・お助行のご奉公、何より人に出会ってご奉公できること、御題目を共にお唱えできること、そして一人一人が現証のご利益を感得し、サインを見つけ、一歩一歩、着実に人間としての器を広げ、人のせいにしなくなり、誰かのために祈り、ご奉公できる菩薩・ご弘通の器へとなられていくこと。一つ一つのご奉公の積み重ねでこれが実感できる。これほど嬉しいことはない。

 お祖師さまは富木殿御書に、
「我が門家は夜は眠を断ち、昼は暇を止め之を案ぜよ。一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ。恐恐謹言。八月二十三日 日蓮花押」
とお諭しになられている。

「我が門家」とは、私たちのことである。眠りを断ち、暇を止めて、ご奉公させていただかなければ勿体ない。

 あぁ、有難い(あぁ、眠い)。有難い。

朝焼けの横浜から

 寺報の出稿期限には、いつも徹夜になってしまう。何度も何度も効率よくご奉公しようと話をしているのだが、どうしても明け方まで掛かってしまう。
 巻頭言は何とか書き上げることが出来た。今月も苦労した。文才の無さ、ボキャブラリーの無さに辟易する。教務室はまだ煌々と明かりがついている。表紙や裏表紙のデザインにも余念がない。
 特に、寺報の編集は岩澤清従師のご奉公によるところであり、最後の最後に永田印刷さんにお渡しするまで、責任を持って作業を進めてくれている。きっと、彼が眠るのは明日の10:30過ぎだろう。
 法華経には「五十展転随喜」と説かれ、何より「伝える」ということを大切な修行とする。一瞬の声、そのままでは消えて無くなってしまうのだが、上行所伝の御題目の功徳による信仰体験、経験的事実を一人でも多くの人にお伝えしたい、その思いが寺報編集の原動力になっている。教務諸師が御講にボイスレコーダーを持ち、デジカメを持ち歩いているのは有難い。すでにご信者方も、恥ずかしがらずに自分の思いを語ってくださるようになった。御利益をいただいても人に伝えなかったら「慳貪(けんどん:ケチのこと)」であり、「とっくり信心(徳利の形と同じように下は大きくても口が小さい)」になってしまうのだから。
 その寺報も、読んでくれているのか、読んでくれていないのかは分からない。しかし、相手の反応を見て一喜一憂するのは「ご奉公」ではない。ご奉公は、「させていただく」のである。しかも、こうした「寺報」は今ここに生きている人に対して書き、まとめているだけではなく、未来永劫に残るのだと信じたい。つまり、未来の妙深寺に生きる方々も、いつか読んでくださると信じているのだ。これほど有難いことはないではないか。ご奉公に報われないことなどない。させていただいたご奉公の功徳は、誰がなんと言おうと誰も取れず、火にも焼けず、水にも漂って流されることなどないのだ。
 とはいえ、「教務は前歯」と言われる。お寺の本堂内陣に列する教務とは、お参詣するご信者方から見れば「前歯」。前歯が抜けていたら、普通の人でも恥ずかしいではないか。だから、朝のお参詣には、「自分は前歯だ」と思って張り切って勤めることが大事。徹夜では苦しい。現実的に過密過ぎるご奉公の場合、無理な日もある。明日は編集作業に加わっていなかった教務陣が気張ってくれると思う。
 すでに5:00に近い。少し休ませてもらおうと思う。朝焼けの横浜から。

2007年5月28日月曜日

チカちゃんからのメール

 明日の朝、寺報を出稿しなければならない。
 今夜中に全ての原稿を書き上げ、写真を選定し、校正してから印刷所に出す。いつも永田印刷さんにはご迷惑をお掛けしている。
 先ほど、チカちゃんからメールをもらった。チカちゃんも毎朝開門参詣をされている。本当に頭の下がる純粋な女の子。
 チカちゃんのメールは憲史くんのことについて書いてあった。今朝、彼女は憲史くんと話をしたようだ。そういう結びつきの一つ一つが有難いと思う。
 あまりにも素敵な内容だったので、原稿に追われているものの、以下に貼り付けておこうと思う。
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ご住職、
 ありがとうございます。
(中略)
 ちょうど今朝、開門前に憲史さんと会えたので、その時少しお話できました。憲史さんすごいですね。
 開門参詣を、休みたい・しんどいと思った事は無いって言うんですもん。会社は、そう思うことあるそうですが(笑)。
 本堂に入るのがちょっと遅れて、ご住職が座られた後だった時は、出社するとひろしさんに「今日ねただろー」って言われるそうです。(ご住職からひろしさんへちゃんと連絡が行ってるんですね(笑))
 それで私が「じゃあ早く本堂に入らないと(笑)」と言ったら、憲史さん「自分とご法様と一対一だから」と一言。
 ご住職もひろしさんも関係ない、自分がご法様と向き合う開門参詣なのだと。
 ちょっと感動しちゃいました。
 毎日グラングラン揺れていて(無理もないですが)、うちの親も心配してますが、でもご法様と向き合う中で、色んなことを感じたり学んだりしているんだろうなぁと感じました。
 憲史さんのがんばり、すごく有難いし励まされます。
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 素敵なメール。憲史くんの開門参詣で、また周りの人も励まされ、感じられていることがあるとは。何とも有難いことではないか。
 ちなみに、私はひろし君に連絡(報告)なんてしてないです(笑)。
 それと、憲史くんが「ご住職もひろしさんも関係ない」って、有難いけどちょっと生意気(笑)。
 有難い。

松岡農相自殺の報に接し

 松岡農相が自殺したという報道。月曜日の出勤前、パジャマ姿だったとのこと。このブログでも月曜日の出勤前に男性の自殺が集中していることを書いたが、現職の大臣としては初めての自殺、その報道に非常に驚いた。

 気をつけてもらいたい。テレビやラジオを通じて、こうした悪いカルマが一瞬で多くの人々に伝播するようになってしまった。自殺したい衝動が伝播することは避けなければならない。自ら命を絶つという誘惑に負けてはならない。「自殺の誘惑」が伝播することは許し難い。耐え難い。どうか、そうした方がいたら、「南無妙法蓮華経」とその場でお唱えし、唱え重ねて、その考え・誘惑から逃れてもらいたい。
 この点に関しては、HBSのウェブに体験談として内田さんがご披露してくれているので参照してもらいたい。本人の意志とは無関係に、自殺した方々の思いは強く、「情報」によって自殺の衝動が伝播していくだけではなく、彼らの「思い」が他の人を巻き込んでいくという側面があるということが分かる。
http://www.butsuryushu.or.jp/2004/jp/voice/uchida/uchida1.html

 ただ石原都知事のコメントには閉口した。「何があったか知りませんよ。しかし、死をもって償ったという意味では彼も侍だった」という内容で話していた。相変わらずの軽々しい発言には驚くより情けなくなる。こうした人が一国の首都の知事であり、多くの都民が彼に一票を投じるとは。全く情けない。哀れな人である。

 生きていれば進退窮まる事態はある。レベルこそ違うがお祖師さまも「進退ここに極まれり」と御妙判の何ヶ所にもお書きになられているのだから。進むことも退くこともできないという事態はいろいろあるはずだ。しかし、活路はある。必ずある。私にも、進退極まることはこれから何度もあると思う。

 しかし、御仏の教えに沿えば、「懺悔(仏教では「さんげ」と読む)」「陳露」が挙げられる。「陳露」とは洗いざらいをみんなの前で露わにするということである。キリスト教、特にカトリックでは個室で懺悔(ざんげ)する。しかし、本門佛立宗では「万座(全員の前)」で御懺悔するように教えていただく。
「懺悔せば滅せぬ罪やあるべき。来たらぬ幸いやあるべき」

 難しいことではなく、「南無妙法蓮華経、、、、、」とお唱えして、スタックした船をもう一度浮かび上がらせるために「積み荷」を下ろし、船の吃水を上げなければならないのだろう。座礁した自分を浮かび上がらせるために、何かを捨てていくことしかない。何が捨てられるか。御題目をお唱えし、それが出来れば、「冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみ(見)ず冬の秋とかへれる事を」と御妙判があるように、厳しく辛い冬は春を迎えるのだ。 それが仕事上の問題、金銭の問題、人間関係の問題、病気の問題であるとしても。乗り越えられる。仏教では、それが「春」になることを教えていただく。

御教歌に、
「さんげせば 心の罪や きえぬらん 身におひきつる おも荷おろして」
「懺悔する 心の内の すゝはきに 悪魔のほこり たゝき出されぬ」
「いのりても 懺悔させねば 御利益を あらはすことは かなはざりけり」
とお示しである。

 人気グループ、ZARDのヴォーカルであった方も転落死されたという。散歩中の事故だったということだが、彼女の声を聞いていた同世代の私は愕然とした。彼女が病気であったことも、報道ではじめて知った。ご回向させていただきたく思う。
 
 とにかく、どうか自殺の誘惑・衝動が伝播しないように。それだけを思う。

雲に魅せられて

 私は、安彦志津枝の詩が好きだ。

 安彦さんは、アルバ・ガッタ・ローマ芸術家協会名誉会員で、数多くの詩集を出されている。私は彼女の書いた小説が好きで、その中の一節が忘れられない。

 それは、「雲」である。小説の中に登場する青年は、いつも雲を見ている。雲が好きなのだ。雲の動き、形、色、風、躍動感、清々しさ、寂しさ。
 その青年と少女の物語。「記憶のなかの部屋」を読んで以来、私も彼らのように雲を見るのが好きになってしまった。

 人間には詩人の心が必要だと思う。それは、草木や花々、空や山や雲、太陽や月や星からメッセージを受け取る人である。目に見える世界、自然科学が教えてくれる世界、要素還元主義の世界に生きながら、見えざる世界、人と人との機微、自然との調和、心の世界を感じ、見る人だと思う。行きすぎれば占星術や心が浮遊して憂鬱なものにもなってしまいそうだが、そうはいっても「詩人の心」「詩的な情緒」は持っていたい。

 今朝は昨日とはうって変わって涼しかった。36.1度の真夏日を大分で記録し、全国でも数ヵ所が5月としては最高温度を記録したという。自然界の悲鳴が聞こえてきそうだが、地球は人間以外の全生命を動員して何とかバランスを取ろうとしてくれているのだろう。今日の清々しさは、きっとそうした地球の努力の結果だろうか。

 安彦さんは苦労を重ねて、しかし明るく活動的な77才の女性。エネルギーが沸々と湧いてくる。妙深寺の中でもご奉公をコツコツと積み重ねてきて、ご信心の面でも衰えることを知らない。昨年もロス団参の途中でバーに居合わせた青年に声をかけ、お教化までされてしまった。頭が下がる。詩人として、全世界で活躍しておられるが、何ら気取ることもない。「ご信心がなかったら、あたしはあっちの世界にいってしまっています」と言われる。あっちの世界とはあっちの世界。精神世界の奥の奥のことだ。その話は別の機会にしよう。

 いずれにしても、詩人の心は欠かせない。今朝、境内地から雲を見て、また清々しい気持ちになったので写真を撮ってみた。みなさんも都会で仕事をされているだろうが、昼休みなどは雲があったら雲を見てもらいたい。雲を見るということは上を見上げることだ。「上を向いて歩こう」ではないが、顔を上げること、空を見上げることは、清々しい気持ちになるために大切なことなのである。

 そして、大地に、自然に、地球に感謝する。「有難い」「ありがとう」「南無妙法蓮華経」と、感謝の心が湧いてくる。そうして、厳しい競争社会の中で生きているのだけれども、バランスが取れると思う。

 今朝も、憲史くんはお参詣を続けている。一日も休んでいない。有難いことだ。少し話をしたいのだが、憲史くんはお参りをして颯爽と帰って行く。いや、「颯爽」ではないかもしれない。母が後ろから見ていると、グラグラグラグラしているそうだ。眠いのだろう。先日は宗歌の時に立ったままガクッとなっていたという。ただ、彼は着実に心を練っていると信じたい。

 雲を見上げてみてください。
〓ナガマツ〓BUDDHIST〓

佛立信心再発見

 八王子・清流寺では、第5支庁の4布教区合同の青年会研修会が開催され、9時に妙深寺を出発し、10:30から同研修会が開催された。清流寺の本堂、その導師座の上には見事な「天蓋(御経に説かれる御供養等が仏陀の上に止まって見えていたことに由来すると言われている)」があり、そのデザインの素晴らしさに目を見張った。
 8つの角を持つ本堂の屋根、天蓋の佛丸(佛立開導日扇聖人によって制定された本門佛立宗のマーク)。天蓋に据えられた32の棒は、ブッダの尊い32相を表しておられるという。その造詣と想像力に感服させていただいた。

 この度は未熟ながら私が講師としてご奉公させていただくことになった。第5支庁には4つの布教区があるとのことだったが、こうして継続して集まり、「研修」を重ねていることは尊い。私たちの所属する第4支庁でも見習わせていただかなければならないと思う。ただ、神奈川布教区では先に紹介した「オレンジ会」が信心面でも社会生活の面でも研修する場になると思っているが。

 今回のテーマは「海外弘通」であり、海外弘通の実情をご存じない方々のために、 昨今ご奉公させていただいている内容をご披露するというものだった。そこで、私なりに福岡御導師に随行してインド・スリランカ・イタリアでご奉公させていただいてきた内容や御導師のお考え、先般のブラジルでのご奉公などをお話しした。
 かなり脱線したが、非常に真剣に耳を傾けてくれた。私の場合、一度のご奉公で何とか真意をお伝えし、この一瞬の出会いで何とかご信心の妙味を感じていただきたいと思って力が入りすぎるのだが、今回もちょっと脱線しつつ、興奮しすぎたのではないかと反省している。とはいえ、ざっくばらんに、気さくに、3時限も10:30から15:30までお話しすることが出来た。
 グランデ・ファミリアのDVDを見ていただき、福岡御導師とダライ・ラマ氏の邂逅DVDも見ていただき、DVDの中にある福岡御導師から直接海外弘通の意図を聞いていただいた。
 私からも海外でのご奉公が、海外に本門佛立宗のご信心をお伝えする、布教しているという側面よりも、実際に国内のご弘通、自坊のご奉公、自分の信心を見つめ直し、改良する機会となることをお伝えした。
 お祖師さまがお諭しくださっているとおり、法華経本門のご信心では「一念信解・初随喜」が最も大事である。理屈や難しいしきたりも醸成されてきたものとして大切だが、上行所伝の御題目を信じ唱えるということ以上に大切なことはない。海外弘通がITを活用して日本人・日系人社会から完全に国際化したというターニング・ポイント、エポック・メイキングだったこの10年の意義を語り、海外弘通というフィルターを通して「佛立信心を再発見」してもらいたいと強調した。

 どこまでお伝えできたかは分からない。車に乗り込んでドッと疲れが出た。清康師に運転をお願いしてよかった。昨夜はいつもながら少ししか睡眠が取れなかったので帰りの車の中で少しだけ眠ってしまった。
 帰山すると清康師は17時からひろし君と待ち合わせをし、失職した方の相談に乗ってくれていた。本堂では青年会御講が奉修されていて、その最後に「リトル・バード」をみんなで見ていた。イラク戦争の実情を知る貴重なDVDである。みんなの心に何が残っただろうか。

2007年5月27日日曜日

土曜日の19時からは補講

 昨夜の補講は、いつも以上に参詣があり、友人を連れてこられる方も多く内容の濃いものとなった。

 私も、出来る限り、ご信心に縁のない方にも分かるように御法門を説かせていただこうと思っている。補講は夜の19時から奉修されており、30分間のお看経と数分のご披露、続いてすぐに御法門。補講全部で約1時間の奉修。東京や埼玉、千葉からもお参詣くださる方がおられ、平日のお参詣がどうしても出来ない壮年層や青年会の方々が参詣される。ブラジルのクリチーバ・如蓮寺では「夜参詣」というものがあり、本堂から溢れるほどのお参詣があった。妙深寺も毎週とはいかないが、月に一度の補講は普段の参詣者とは異なる方々の御法門聴聞であるから貴重な機会となる。

 昨夜の御法門は、
「つとむれば罪障滅しつつしめば 身を起こすべき利益蒙る」
との御教歌をいただいて、社会人にとっても必要不可欠な心得、「つとめること」と「つつしむこと」について説かせていただいた。

 社会で必要な心得であるけれども、ご信心で捉えればもっと深い。

 御法門を聴聞された方から、昨夜も書いたが「メガヒッツ!」と言われたので、とても嬉しかった。ご信心をされ、ご信心を進め、「身を起こすべき」現証のご利益を感得していただきたい。

迷信・邪教的発想にとらわれない

 いま、八王子・清流寺から帰山した。
 朝、書き込みをしてから出かけようと思っていたのだが、時間が全くなくなってしまった。行きも帰りも、あまり渋滞もなく、お計らいだった。17:00に帰山できたのだから、有難い。

 今朝、書き込みをしようと思ったのは、ロータス07さんのブログに書かれた文章に感激したので、その内容を転載しようと思ったのだ。
 ロータス07さんは、ここ数年のご信心だが、その受け取り方、ご信心の進め方に感服している。一言一言が勉強になり、感服する。
 私とはとても親しく、ブログでも紹介していただいた。下記に、文章の内容を添付する。ぜひ、ブログも訪れてみていただきたい。

===============

 佛立宗のご信心をはじめさせていただいて、迷信や邪教的発想にまったくとらわれなくなりました。仏教をはじめて、よりサイエンティフィックになってきたと感じています。 以前は、おれはサイエンスの担い手だなどと自負しつつも、なぜか、仏滅、大安、友引などのお日柄を気にしてました。寝室では「北枕」を避けてました。子どもの命名では、画数の本をみてました。最終的には、そうした占いの類は一切無視して、命名しましたが。

 今では、仏滅でも友引でも、イベントします。一切関係ない。夜は、今は「北枕」で寝ています。寝室の空間の有効利用という点では、それが一番合理的なんです。こどもも、画数などにとらわれず、好きな名前にしたのですが、本当によかったと思っています。易者さんの提案から選ぶだけというのは、寂しいですね。根拠のない迷信から、解放されました。むろん、従来から迷信にまどわされていたわけではないのですが、何となく気にしていたのです。迷信へのそのわずかな配慮も、しなくなりました。気分すっきりです。お題目一本で十分。ほかに、何もいらない。私自身、やっと「明治維新」を迎えたかなという気分です。それまでは、まだ気分は江戸時代だったのです、今思えば。

 それにしても、世の中、占いブーム。占いなんて、当たるはずがない。仮に当たったとして、それがどうしたのか。自分の運命は、お題目のパワーをいただきつつ、自分で切り開くもの。運命に従う必要はないし、運命に従属することはない。運命は自分で変えるもの。佛立宗のご信心をして、迷信や邪教や非合理なしきたり・慣習などから、解放されて、近代的かつ合理的に生きましょう。西欧的近代合理主義の限界を克服するという問題は、むろん別途あるとしても。


現代経済学と仏教を考える―本門佛立宗ファン・サイト
http://blogs.yahoo.co.jp/lotus_sutra_2007/MYBLOG/yblog.html

メガヒッツ!!

 今日ほど多くの方とふれあえると、ご奉公をさせていただけたという実感がある。

 バーには40名以上の参加者がおられ、その場でも多くの方々とお話をすることが出来た。一人一人とゆっくりお話をすることは出来なかったが、特にお話がある方などとはゆっくりと語り合える。有難い。
 既に0:40になるので書けないが、何より嬉しかったのは、ご信者では無い方や、はじめてお寺に参詣されるという方との出会いやふれあい。今日は、そうした方が補講にお参詣され、バーにも寄ってくださっていた。
 何より面白く、嬉しかったのは、直ちゃんがお連れしたお友だち。御法門を聴聞されて感激してくださったということで、御法門終了後に直ちゃんを振り返りながら本堂の中で「メガヒッツ!!」と言ってくれたとのこと。そういう言い方をされたのははじめてだったので、ゲラゲラ笑った。
 心に響いた、有難かった、「御法門、メガヒッツでした!」と。今日は、この言葉を思い浮かべて、笑いながら眠れそうだ。

2007年5月26日土曜日

O君のことを書いておく

 19時から補講、そしてバーだから時間はないが、これも書いておきたい。

 先ほど、少しの時間だったが、O君がお参詣に来ておられた。彼から聞いた内容が素晴らしい、有難いと思ったので、書かせてもらいたいのだ。

 O君は、今日懐中御本尊を護持された、ご信心をされてから数ヶ月も経たない青年。懐中御本尊の御染筆のお願いをして、まだ御染筆が出来ていないというほどお寺にお参詣されるようになってから間もないのがO君なのだ。

 青年といっても30才くらいだろうか。最先端のウェブ・デザイナーである。その彼が、数ヶ月前からお教化をしていただいた方からの勧めで、毎週土曜日に欠かさずお参詣をされるようになった。

 その初めてのお参詣。その時、私は彼と会い、応接間でお話を聞かせてもらった。彼から会社での悩み、自分の内面についてのことをお聞きした。「自分の中の自分。嫌気のさす自分。会社の悪さ。会社が正当に評価してくれない。会社が、友人が、人が、家が」、、、と。それに対してお話をさせてもらった。その時は、お参詣だけは続けるが、私の言葉も上手に伝わらず、「いや、頭では分かるんですが、ちょっとぉ」という程度の反応。ただひたすらに「とりあえず、毎週土曜日にお参りします」ということだった。その時は、「それでも良い。まずお寺に近づくことだ」と私も思って、憲史くんに対しての思いと同じように思っていたのだ。

 今日、お参詣に来たO君。何か清々しい顔をしている。やはり応接間で話を聞かせていただいた。全く違う話をしていたのだが、彼から「あっ、そうだ、名刺をお渡ししていないですね」と。名刺をいただいた。最先端のIT企業である。

 そして、「いや~、8月にマネージャーになっちゃうんですよ」と。
 この前、会社の中のイヤなことばかり聞いていたので、「で、給料も上げてくださいって言ったらどうだ」と心配して聞いてみた。
すると、「いや~、給料もちょっと上げてもらったんですよ」とO君。

 おいおい、ちょっと待て。そりゃなんだ????
 あんなに愚癡と迷いばかりだったのが、ほんの1~2ヶ月のお参詣で、何という変わり様だ。

「なぁ、どういうこと?」と聞くと、「いや、会社の上司に良い人がいまして~、、、。それで、こういう風になりまして~、、、。その方のお陰で~、、、。有難いことに~、、、、」

「これこれ、O君、いま『お陰』とか『有難い』とか言っていたけど、そういうことを全く言わなかった、言えなかったのがお参詣の初日だったよな。覚えてないの?」

「うわっ、あっ、そうですね。いや~、そうだ!ご住職と話をして、頭がクリアになったというか、あの後で会社の上司と話をして、変に考えていたことも無くなっていて、それで自分の間違っていることもだらしなさも全力で改善しますとかって言えて、それでどんどん良くなってきて、こうなっちゃった」

「O君、それがサイン、お計らいというんじゃないのかな?」

「そうそう、うわー、そうだ。実際、考えてみたら、そうだ。ご住職に言われるまで気づかないんだから、本当にダメですね。でも、お寺にお参詣すると、気持ちが良いというか、感謝の気持ちが仕事の中で自然に湧いてきたりして、本当に本当に不思議なんですよ。なんだ、わー、そうだ。これだ」

 有難い。有難い話だが、「こりゃ、O君、最初から言ってるでしょ???」と本人に言いました。

 きっと、教化親さんは「アホ!」と言うでしょう(笑)。

 でも、偉いよ、O君。御法さまが見てくださっているということだ。しかし、順調にお計らいをいただいた時こそ慎重に。御法さまに感謝して、そのことを忘れないように。そうご本人にはお伝えしました。

オレンジ会

 14時から神奈川布教区の「オレンジ会」の会議があった。
 
 名前の由来は、神奈川布教区の佛立開講150年奉讃記念ご奉公だった。「オレンジ」には、「バラバラになったものが一つになる」「元の在るべき姿に戻る」という意味があるとのことで、神奈川布教区はこのオレンジ色をテーマカラーにしてご奉公を進めた。

 そのご奉公が円成し、何とか大会やキャンプを花火のように一過性のものにしないために、今年からのご奉公を考えたのだ。
 その1つが「オレンジ会」。テーマカラーをタイトルにして、150の時にご奉公してくださった方々が今一度集まって、新しい形のご奉公を作り上げようというもの。

 途中で来客があって退席していたのだが、ちょうど会議の終わりに部屋に戻ってみると、神奈川布教区の管内寺院から集まってくださっていたオレンジ会の皆さんが会議を終えようとしていたところだった。
 「どうでしたか?」と聞くと、簡単に今日の会議の内容を教えてくださった。さすがという内容だった。6月30日にはリーダー研修会、8月にはロウタス・セミナーを予定している。これは、絶対にワクワクするような内容になるはず。なぜかというと、僕が出席していなかったから(笑)。みんなで斬新な意見を出し合って、内容の濃い、実りの多い会合となることは間違いない。有難い。

素敵な境内へ ~ご奉公くださる施設部の方々~

 妙深寺境内地を綺麗に、素敵に護持してくださる施設部の方々。今日は晴天で、汗をかきつつ、境内地の草木の剪定をしてくださっていた。有難い。有難い。

 この5月に新たにご奉公に加わってくださった方々が多く、今日はじめて施設部のご奉公に出てくださった方もいる。私たち信者全員の代表として、この妙深寺を護持してくださっているのだから言葉が見つからないくらい有難く思う。

 拝観料や葬式で成り立っているお寺だとしたら業者に頼むのだろうが、本門佛立宗のお寺は違う。みんなで護持する。「ご奉公」で護持させていただく。施設部の方々のご奉公にみんなで感謝しましょう。


 施設部の部長は、右の写真の刑部さん。まん丸に、綺麗な剪定を施してくださっていた。

 ありがとうございます。

境内の駐車場は満タンだった


 土曜日の午後、妙深寺の境内はご回向へのお参詣者、会議やご奉公の方々の車で溢れていた。
 境内地の本堂前と上下の駐車場で30台ちょっとしか駐車できない。今後はさらに車社会になるのだから、対策も講じることが必要になるだろう。
 しかし、駐車場がいっぱいになっていることは、本音では嬉しいもの。お参詣者の方を見たら、少しでも声をかけ、御縁を結んでいきたいと思う。当たり前だが、ご信心のお話をたくさんしたい。

エレベーター設置会議

 午前中はエレベーター設置のための会議。
 妙深寺の本堂は昭和47年8月31日に竣工した。以来、35年が経過している。まさに歴代全ご信者の浄念の結晶として建立された御法さまのお住まいになる「法城(ほうじょう)」であるから、我が家以上に思いを込めて、今の全ご信者で護持させていただかなければならない。
 35年の間、教講(教務さんとご信者さん)一同で大切に維持管理してきた。今までもこれからも、日々の清掃ご奉公に気張らせていただくことは勿論、妙深寺の事務局としては防災管理・耐震構造などの精査・検査、建物の営繕・修復を実施していかなければならないだろう。

 教えていただいたところによると、建築費用というのは建物を維持・管理・修繕していく総額の26%に過ぎないという。その後、時間が経過していく中で約3倍(74%)の費用がかかってくることになる。妙深寺の場合、35年であるから大変な金額になる。

 しかも、妙深寺の境内地には、第二本堂、教養会館や庫裡、教務住宅があり、それらの全てを護持していかなければならない。

 日博上人は横浜駅近くの岡野町に、住宅を改築改築して妙深寺の本堂とし、護持されていた。晩年、三ツ沢への新本堂建立計画を持っておられた。しかし、新本堂を見ることはなく、昭和42年5月4日に御遷化された。
 日博上人は常々「お寺はいつでも建つ」と仰っておられたという。岡野町の本堂はご信者が多くなるたびに増築を重ねて、本堂内は柱だらけだったという。ただ、お寺に集うご信者方が、ご信心によってご利益をたくさん感得されれば、自然に喜びに溢れたご信者さんが生まれる。だから、悪循環の人生から抜け出して現証のご利益をいただけるように、教務には「いかに功徳を積んでいただくか」「いかに罪障を消滅していただくか」「いかにご利益をいただいてもらうか」を常に考えてご奉公せよと教えられた。それが実践できていれば、「お寺なんていつでも建てられる」と仰っておられたのだろう。

  その日博上人の夢を引き継ぎ、先代のご住職は岡野町から三ツ沢への移転計画を推進し、新本堂を建立された。教講一体となって、新本堂建立に向かってご奉公を推進し、新本堂の建設、続いて教養会館、庫裡・教務住宅、第二本堂の建設と大和法深寺・新本堂建立という偉業を成し遂げられたのであった。

 私はといえば、そうした先師、先亡教務、先方の功労者、ご信者方の浄念の結晶である「妙深寺」を護持していかねばならぬ立場である。しかも、時を追う毎に建立された建設物は年をとってくる。
 だから、私は決意している。私の人生はリフォーム人生(笑)。もう一度、「お寺はいつでも建つ」という思いで修復と営繕を細々とやりながら、御法さまとご信者さんを結び、教務部も一丸となって現証ご利益を一人でも多くの人に感得していただけるようにご奉公させていただこう、と。きっと、次のご住職が古くなり危険にもなった建物についてお考えになり、また新本堂の建立などを考えてくださるのではないか。それまで、そういう一大ご奉公が出来るように、喜びに溢れたご信者方をたくさんお育てしておかなければならないと思うのだ。

 今日のエレベーター設置会議は、非常に勉強になった。また、お年寄りのためのエレベーターも、つぎはぎにはなるけれど、どうやら本堂に付きそうである。これでお年寄りがお参詣しやすい、お参詣する気持ちになれば有難い。

 みんなのお寺を護持し、発展させるために、柴山局長が真剣に考えてくださっているのも有難い。

ユキノシタ

 妙深寺の境内には小さな、さまざまな花が咲いている。

 この花の名前は「ユキノシタ」。私も黒崎さんに教えていただくまでは知らなかった。妙深寺の法城護持をしてくださる方々は、新設された施設部で10名以上が森や池、境内地の草木などを丁寧に剪定してくださっているのだが、中でも黒崎さんは細かく配慮をしてくださっていて、小さな小さな季節の花を、そっと育ててくださっている。

 黒崎(とし子)さんは、地域で子どもたちのために「食育教室」もされていて、共働きのご家庭で、一人でしかご飯を食べられない子どもたちを集め、お食事を作ったり、食べたり、食べながらマナーを教えたり、心と心のふれあいで丁寧に子どもと触れあっている。我が家の子どもも、昨日はとし子さんにお世話になって、ウォーター・ペインティングを勉強させてもらっていた。まさに、「情操教育」のなんたるかを教えていただいている。

 子どもたちと丁寧に触れあうように、草木と会話するかのように育てているとし子さん。境内地の小さな石の間を見てみると、「ユキノシタ」のように素晴らしい花を見つけることが出来るのも、とし子さんのお陰なのだ。

 昨日の雨から一転して快晴となった今日。今日は施設部の方々が全員出仕してくださり、境内地を丁寧に剪定してくださる予定だ。既に何人かの方々がお参詣されている。有難い。森に「妙深寺」の大きな看板も立ててくれるという。

 子どもたちもお参詣しているので、受付のロビーから子どもたちの遊んでいる声が聞こえている。

2007年5月25日金曜日

ロンドンからのメール

 そう、このことをお伝えしたい。
 ロンドンのヴァネッサからメールが来た。彼女も昨年の10月に妙深寺にお参詣してくれて、京都の長松寺にも10日ちかく滞在していた。彼女はHBSのユナイテッド・キングダムを一人で背負っていると自負していて、いつも応援したいと思っている。

 そのヴァネッサからのメールによると、彼女の弟の大親友がHIVに罹患しており、病状がとても悪いとのこと。弟からの知らせに、心から哀しくなったということでSOSのメールが来た。

 その人に何とか御題目を、ご信心をお伝えしようとしており、その方のために日本のHBSのメンバーにも御祈願していただきたいと言うことだった。「もちろん、させていただくよ」と伝えたら、何度も何度も感謝の言葉を書いた返事が来た。

 彼の名前は「マッシミリアーノ・レッシ」という。どうか、「正法帰入・当病平癒」の御祈願をさせていただき、ヴァネッサがご奉公成就できるように応援してあげてもらいたい。

雨に唄えば

 久しぶりの雨も気持ちが良いもの。雨になると、父が好きだった 「雨に唄えば」のジーン・ケリーを思い出す。雨が降っていると憂鬱な気持ちになるものだが、その人の気持ち次第で雨すら気持ちの良いものに変わるのだと教えられた。小学生の頃、雨は外で遊べなくなるし、その頃はテレビ・ゲームもなかったのだから憤然としていたのだが、この映画を観てそういう考え方も変わったように思う。

 そう、50年以上も前の映画だが、父の影響もあって「ローマの休日」や「雨に唄えば」は小学生くらいから観せられた記憶がある。ちなみに、先住は「ローマの休日」を20回以上も映画館に通って観たのだと自慢げに語っていた。

 雨が降るたびに夏が近づいてくるだろう。妙深寺の庫裡の玄関にある小さな手水鉢(ちょうずばち:つくばい)に小さな白いメダカを入れてくれた。妙深寺は近所ではすっかり消えてしまった自然に囲まれているのだが、残念ながら夏は蚊が多い。その蚊が出ないようにと、メダカを入れたわけである。小さなメダカだが、入れてみると毎朝ご挨拶をしたくなる。不思議なものだ。

 日曜日に講演する内容もほぼ出来上がり、明日は午前中は本堂エレベーター設置のための打ち合わせと、午後は補講にバー。この組み合わせも妙深寺ならではかもしれない。若い教務が若い方々と企画してはじめた「バー・ロウタス」。お寺でバーとは、何とも風変わりだが、何とか忙しい方々と交流をはかろうと企画・運営されている。
 胸襟を開いて、ざっくばらんに、教務とご信者さんが語らう。もちろん、教務とご信者さんという関係だけではなく、このバーを通じて同世代のご信者さん同士が親しくなったり、特に社会人の方が多く、交流を深めてくれている。

 最近はご信者さんが友人を連れてくるようになった。何とも不思議な会合だが、「出会い」が全て。「縁」が全てで、この「縁」がなくなったらご弘通できないのだから、有難いと思っている。

日曜日の講義について

 日曜日は第5支庁の布教区青年会の方々に海外弘通についてお話しする予定になっている。ずっと先のことだと思っていたのだが、今週末となった。時間がない。

 御総講は無事に終了し、御本尊御修復のことなどで終了後は関係の方々とご相談し、教区の方々は教区事務のご奉公、私はご信者さんとお話をさせていただいていた。

 いま、そのまま局長室で日曜日の講演内容を作り、プロジェクターとDVDなどの機材を確認していた。確認している最中に、これまでに作らせていただいてきたDVDを見返していた。つくづく、今日までの有難いご奉公を振り返った。駆け足ではあったが、得たものはかけがえのないほど大きい。

 インド・ビハール州ラージギルの霊鷲山で行われた「インド開教御講」の模様をまとめたDVD、「佛法西漸の奇跡」。遠い過去のように感じるが、あのご奉公は忘れられない。

 その約一年前、これも一人でイスラエル・パレスチナに行った。その模様もDVDにまとめており、「人類の心の闇」への旅として編集した。

 高祖立教開宗七五〇年のご奉公では、妙深寺で「次の時代へ~私たちに出来ること~」というビデオを作らせていただいた。13分ではあったが、妙深寺として今後の方向を見据えたものとして貴重なビデオである。

 その他に、グランデ・ファミリアではオープニング、スリランカ津波支援活動の報告、イタリア、ブラジル、エンディングと、DVDがまとめられている。その後の海外でのご奉公と合わせて見返してみると、本当に感慨深い。

 そして、最後はやはりダライ・ラマ師とのセッション、今回の「インド渡航紀」である。日曜日には、私のまとまりのないお話よりも、こうしたDVDを見ていただいて、実際に海外の方々の口から出る言葉、海外弘通の現場での空気を感じていただき、それが国内各寺院のご弘通、参加者一人一人のご信心・ご奉公に資すれば有難いと思う。

今朝は御総講

 今朝は門祖日隆聖人の御総講。6:30の奉修である。
 雲が多い。予報では9:00過ぎから雨になるとのこと。取水制限まで出ているから、雨も有難い。降ってもらわなければならない時には降ってもらった方が良い。御総講中は雨にならないと思うが。

 御教歌に「道遠く 雨降時の 参詣は 信心つよき しるし也けり」

 スリランカのお助行について載せさせてもらったが、裏話もたくさんある。たとえば、服装は「作務衣」を着させてもらっているが、これは薄い木綿で出来ているのだが、暑さが30度ちかくだからご奉公しているとビチョビチョになってしまう。
 
 お助行は朝8:00くらいにホテルを出発して、帰ってくるのは23:00過ぎ。実に長い時間をグルグルとご信者さんと廻ってご奉公する。
 裏話の最たるものは、こういう事情の中でのトイレやお風呂だ。日本では恥ずかしくてご信者さんのお宅でお風呂に入ることなどはない。トイレを借りるのも、御講などではご奉公くださるご信者さんがトイレの外側で待っておられることが多く、恥ずかしくて遠慮することの方が多い。

 ところが、長時間のご奉公である。そんなことを言っていられない。というわけで、ご信者さんのお宅、特に最初の方に紹介した、運転のご奉公をしてくださったペレラさんの家などでお風呂を借りることになる。シャワーを浴びながら、いろいろと考えたものだ。

 トイレだってお借りしなければ15時間以上のご奉公では間に合わない。恥ずかしいなどと言っていられないのだ。

 しかし、こういうご奉公こそ、大事なのだなぁとつくづく思うのだ。

2007年5月24日木曜日

スリランカでのお助行 その2


 スリランカでのお助行についての続き。写真があるので、載せてしまいたい。


 各ご家庭に伺っても初めて伺うような気がしない。ご信心をさせていただいている仲間、家族として、遠い異国で、もちろん面識もないのだが、お役中からの紹介をいただいてあっという間に親しさを感じる。

 みんなで御題目をお唱えし、御宝前に合掌する姿。写真にあるように、あっという間に「佛立家族」になれるのである。

 やはり、偉いのは日本でも海外でも教化親(その人とご信心を結んだ方)やお役中だ。丁寧な説明、包容力や理解力、そして何よりも明るさ。何より誰もが「御利益」をベースにしているから疑いがない。明るい。楽しい。


 私も驚くのは、スリランカの方々の御利益の「速やかさ」である。スリランカの御講が終わると、参詣者が一人一人導師座まで近づいてきてくださって、ご挨拶を受ける。


 その際に、多くの方が「お数珠をもんでください」と頼んでくるのだ。私などがご信者さんのお数珠をもんだところで、すでに御開眼をされているお数珠なのだから御利益があるわけでもないと思うのだが、そのように頼まれる。

 それを見ると次から次へとご信者方が近づいてこられて、一人一人と握手をし、お数珠を手渡されることになってしまうのだ。

 先日、同じように御講の後でお役中から一人の女性を紹介された。


「結婚して、10年間子どもが出来ません、病院で治療をしたがダメなのです、そこで私はこのご信心のことをお話ししました、そして入信したのです」


 私は、彼女と手を取ってご挨拶をし、他のご信者さんと同じように真新しいお数珠を手渡され、同じように御題目をお唱えして彼女に返した。

 次のスリランカ。その時の御講から約3ヶ月経ってから伺ったのだが、彼女が妊娠したという。驚くやら背筋が寒くなるやら、有難さがゾクゾクっとこみ上げてきた。

「彼女は最近妊娠したことが分かったのです。病院で聞いたところ、あの御講の日の前後に妊娠していたのです。素晴らしい御利益です。有難いです。南無妙法蓮華経、、、、」

 こうしたお役中のお言葉、お話をきいていれば、誰もが御題目のご信心のお力を信じて疑わないだろう。もちろん、私の個人的な力などは存在しない。それで御利益が現れ、妊娠したのでもない。スリランカのご信者さんは、純粋無垢に、素直正直に、まさに御法さまに向かい、御題目をお唱えする。少しだけ私たちは知恵がついて、純粋になれないところがあるのだ。その違いなのだと思う。

 この左の女性は、ご主人に先立たれ、子どもも独り立ちして孤独を感じている中で法華経の教えを求め、入信された。
 彼女は、ご主人が亡くなられた後、インドに渡ってメディテーション(瞑想・禅)、ヨガなどの修行をしたという。しかし、何の心の変化もなく、平穏な気持ちも得られなかった。
 しかし、教化親の家に伺って御題目を唱え、ご本尊の無い家の中でも御題目口唱行を続け、この日を待ち望んで、晴れて「ご本尊奉安」となった。感激して涙ぐんでおられた。

 この左の写真は、家ではない。工場なのだ。工場と家が一緒なのだろうか。どちらにしても、ここは工場で、この写真の左側にはミシンが20台くらい並んでいて、ガタガタガタガタと音を立てて小さな子供用の洋服を縫っていた。しかし、小さな工場で、扇風機もなく、室内は40度を超えていたと思う。ご主人は、とっても怖そうな顔をしているが、実はすごく優しいのである。私は、帰り道にも車の中から彼を見つけて手を振った。満面の笑顔で応えてくれた。お助行をした甲斐があった。
 経営も厳しいと思うが、必ず御利益をいただかれると思う。

スリランカでのお助行 その1





 スリランカで最も感激するのは「お助行」である。スリランカ各地を現地のお役中さんと一緒に巡回していく。私にとっては一番の充実したご奉公になり、一人一人、一軒一軒のご信者さん、ご家族とふれあえることが何よりの宝物になる。

 何と言っても発展中のスリランカであるから、古き良き日本のような気持ちがする。裕福なお宅もあれば、家がブロック塀だけの、家の中に入っても土間で、その土間の上にそのままベッドが置かれているようなお宅が多い。

 そのご家庭に、今回の写真のように、ご本尊を奉安(各家庭に安置させていただくご奉公)させていただくご奉公に伺うと、その土間に膝をついて合掌し、涙を流してご本尊をお迎えするご家庭がある。そのご信心に心打たれる。

若い青年たちと交流するのもこうした機会である。スリランカの家庭は今の日本とは違って家族の結びつきが強い。ご家庭に伺うと、必ず家族全員で迎えてくれる。もちろん、家庭生活と信仰が一つに結びついているし、その家庭に御法さま(生きたブッダ)が来られるのだから、家族全員でお迎えすることは彼らにとって至極当然のことなのだ。


 また、私がうれしく思うのは、写真のようにみんなが明るいのである。もちろん、日本と同じように私は楽しくご奉公させていただいているし、「うれしい」という気持ちをみんなでかみしめ合っているからなのだが、「ハイ、チーズ」と写真を撮ろうとすると、必ず素敵な笑顔を見せてくれる。


 このお助行は、2日間にわたってミランダ女史の運転で各地を廻った。そのミランダ女史の運転は、福岡御導師に聞いていただけばよく分かると思うのだが、おちおち寝ている暇も無いほどの素晴らしいものなのだ。


 スリランカの交通事情というのは、インドと同じようにクラクションで話し合いをしているかのように、あちこちで「ピー」「ババー」「プップー」としょっちゅう鳴り響いている。絶対に2台は通れないと確信している細い路地でも、どうどうと突っ込んでいってにらみ合いをし、何とそうこうしているうちにお店の方が屋台を移動したりして通れてしまうのだが、おっそろしい交通事情なのである。私ですら、スリランカやインドでは絶対に運転したくない。


 そのスリランカでミランダ女史は、しゃべり続けながら運転する。時折、それに身振り手振りが加わり、しかも助手席の私(スリランカなどでは一番良い席が助手席なのである。日本のように後ろの席ではないのだ)を見ながら喋る。



 私はというと、足を突っ張って、踏ん張って、目の前に迫ってくるバスやトラックを見ながら、「南無妙法蓮華経、、、、」とつぶやく。そういう状況である。しかし、よく事故も起こさず、ご奉公できているものだ。


 しかも、印象深かったのは、ミランダ女史が私に「素敵な住宅街でしょ」と聞いた時のこと。その場所は私から見ると、うっそうとしたジャングルにしか見えない。バナナの木が茂り、バナナが実り、ココナッツの林があって、全く「住宅」など見えないではないか。「ジャングルじゃない!」と言ったのだが、「???」とミランダ女史は笑うばかり。


 しかし、やはりそこは住宅街だったのだ。ちょっと路地を入ると住宅があり、それも確かにコロンボのように密接していない。自然の中にある家。


 初日、何より感激したのは最後の写真のご家族。この写真は昨年の3月のもので、この日にご本尊を奉安させていただいたのだが、それから昨年の11月と今年の2月に2度ほどスリランカを訪れた。その度に、奉安したご家族が一生懸命にお参詣やご奉公に気張っておられる姿を拝見する。特に、このご家族、この姉妹は、青年会のディリーパ君たちと一緒に頑張ってご奉公してくださっていた。

 有難いことだ。

スリランカの御戒壇

 前の写真で気づかれた方がいるかもしれないが、スリランカで独自に本門佛立宗の御戒壇が作られ始めている。私は、このお助行の途中でその工場に寄らせていただいた。

 いや、工場といっても土手の上の道から降りた壁のない質素な「工房」のような場所なのだが。しかし、近づいて、中に入って驚いた。ご信者さんが見よう見まねで手作りの御戒壇をデザインし、地域に合うように作っておられる。仏丸を丁寧に形作り、金色に塗られていく光景には感動を覚える。ご本尊をお迎えし、御戒壇を求める方が増加の一途をたどっているから、こうした動きになる。草創期のご信者方のエネルギーを肌で感じる。勉強になる。

 制度を整えていく段階ばかりに目を向けていると分からないのだが、無軌道でもご弘通が進展して模索しながら進めていくという段階のスリランカである。お寺が出来た後に生まれた世代や、すでに一定のご信者やご家族がいる段階のご奉公と、ゼロからご信者を生み出す、地域に御題目のご信心を根付かす、という段階が勉強になる。

 日本も、東京も、横浜も、妙深寺も、ブラジルもスリランカも、最初はこうしてご弘通を進めていったのだろうなぁと思うのだ。

スリランカ青年会の御講

 スリランカのコロンボから南に1時間ほど。カルタラという地域にはエカナヤケさんがおられる。そこにはエカナヤケさんの息女(この女の子も妙深寺にお参詣してくださった。女優のような可愛い女の子で)を中心に青年会があり、そこではいつも若者向けの御法門を福岡御導師がしてくださっている。

 昨年の3月は1人で行かせていただいてので、御導師に代わって青年会向けの御法門をさせていただいた。彼らの真剣な姿勢には学ぶ点が多い。この日は、最後にみんなで手話で「ひとつ」という歌を歌った。楽しい思い出である。



24時間口唱会 ~スリランカの青年会~

 午前中には収まらなかったが、門祖総講の御法門が出来た。寺報の原稿は草稿の段階。ここからが毎月苦しむ。お看経をいただかないと、なかなか文章が書けない。「佛立魂」という本を書いた時にもそうだったのだが、元来「ヤンチャ」だったのだから、文才などあろうはずがないのだ。御法さまのお力をいただいて、何とか書くことが出来ている。

 先ほど、スリランカの青年会のことを書いたが、いま本当に頑張ってくれている青年にディリーパ君がいる。この写真は、私が去年の3月にスリランカに行き、一人でお助行に廻っていた時のもの。ペレラさんという右側の男性がお助行中ずっと運転手をしてくださっており、隣の奥さまはいつも美味しい昼食を供してくださるご家族。そのご家庭の教化親がディリーパくんのお父さんで、真ん中の方、アベイ氏。一番左側の方がディリーパ君のお母さん。

 スリランカでは、このディリーパ君のリーダーシップによって24時間口唱会が行われた。実は5月にも行う予定だったのだが、いろいろな事情があって延期した。それにしても、24時間口唱会とは恐れ入った。私も先住のおケガの時のお助行以来させていただいていない。あの時、24時間の御題目口唱をさせていただいたが、永遠のように感じるくらい長い長い時間なのだ。もちろん、青年たちは眠ることもしないで御祈願をし、御題目口唱に徹する。いま、全世界のHBSの青年会で最も熱いのがスリランカの青年会ではないだろうか。

 

スリランカの青年会

 なかなか本題に入れない。アメリカの渡航記もインドのセッションについても、途切れてしまって申し訳ない。今日は午前中は明日6:30からの門祖総講の御法門と寺報の原稿を書くことに費やさなければならない。時間が無く、日々のご奉公に追われていると、アメリカやインドのことを継続的に書けなくなってしまう。

 昨夜、 スリランカのガマゲ君からメールをもらい、返信をした。ガマゲ君はスリランカの青年で妙深寺にもお参詣してくれた。それ以来、スリランカでご奉公があるとお参詣され、いまは学生生活と就職活動で忙しいということだが、一生懸命にご信心に気張っておられる。
 サンジェーワ君という青年も妙深寺にお参詣してくれたが、彼とは同世代で、スリランカという自分の国をよくするためにも、ご信心とご弘通、青年たちが信仰心によって力強く生きていけるようにと活動を続けている。

 今回、メールには添付ファイルがあり、たぶんケーグル地区だと思うが、ヘラスさんの家での御講風景の写真を送ってくれていた。ウィージェセケラ・ジュンコウ師のお看経の姿、御法門を説かれている様子が分かる。有難いことだ。

 信仰に縁の薄い日本では考えられないことかも知れないが、スリランカでは信仰が人々の心や生活と密接に結びついている。切っても切り離せない。

 そして、その信仰を原因として、ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げるLTTEはヒンドゥー教徒であるタミル人と仏教徒であるシンハラ人を分断しようと恐ろしいテロを繰り返している。近年の自爆テロはムスリムよりも、このLTTEのヒンドゥー・ナショナリスト集団が最初だとも言われている。

 その宗教と人々が密接に結びついた国では、国の興隆や人々の生活の向上も、同じように宗教に非常に関係している。人々はそう信じて疑わない。青年や、HBSのリーダーたちが何より感動しているのは、スリランカ人の多くが信仰している小乗仏教の「ネガティブ」な教えではなく、HBSの「ポジティブ」な仏教だという。

 私たちは気づいていないかも知れないが、御題目のご信心は順調な時に驕らず、逆境にも屈しないという、極めて力強い、人生の柱となる教えである。しかし、同じ仏教でも部派仏教(僧侶を中心とした修行から生まれた宗派。一般に小乗仏教と呼ばれる)は、必ずしも一般の人々にとって「実生活」に適用させ、「実生活をより良くする」ということにはならないというのだ。彼らは、そこにあるのは戒律と、人生を消極的に生きるということだと言う。そして、多くの人が敬虔な仏教徒であるにもかかわらず実生活で消極的になり、向上心や慈悲心を持てないのはこうした教えが関係しているのだと、彼らは言う。

 だからこそ、HBSの教え、法華経の教えを彼らは私たち以上に生活に密着させて信仰している。いや、そもそも「信仰」は生活から離れようがないから、これも日本人的な言い回しだろう。彼らにとって、法華経の教え、御題目のご信心は、生活を良くし、青年に活力を与え、国を良くし、多くの人々を救うのだと、実感として確信しているのだ。

三ツ沢の丘から

 今朝はデジカメを持って本堂に行かせていただいた。朝の風景をブログに載せてみようと思ったからである。丘の上からの景色、本堂に入り込むクリーム色の光は、何とも言えない清々しさなのである。

 遠くには瑞穂埠頭に誕生した大きな風力発電の風車が見える。臨港地区には高層マンションが次々と出来、林立するようになった。
 今朝も憲史くんはお参詣されていた。ただ、少々疲れていると思う。なぜなら、昨日のメールの送信時間が1:23だったのだ。彼の仕事は激務だし、いまは仕事の面でも憲史くんは正念場だから、仕方がないと思うが、寝不足が重なっていることは間違いないので、健康のことなどを心配している。
 ただ、前にも書いたが、彼は今「仕事のスキルアップ」ではなく、開門参詣を通じて「人間としてのスキル」を上げようとしているのだから、私は彼に何も言うことが出来ない。とにかく、決めたことを貫くことしかない。きっと、この1ヶ月を終えたら「器」が大きくなっているはずだ。
 御法さまのお見守りとお導きを力強く感じるはず。彼がいつも感じてきたサインは、もっと強くなると思うのだ。

2007年5月23日水曜日

息子たち

 息子たちと一緒に写真を撮った。

 長男は4才で7月に5才になる。今年3月に次男が生まれた。私は生まれる直前の2月にスリランカ、ブラジルとイタリアに行っており、6日間しか日本にいなかったので、妻や母に任せっきりとなった。心から申し訳なく思う。
 なかなか子どもたちといる時間もなく、家の中のことは母と妻に任せっきりで本当に可哀想というか、申し訳なく思う。

 ただ、御法さまのお計らいで、長男は弟を大事に面倒見てくれている。お寺の薫化会(子どもたちの会)でもお母さんやお兄ちゃんに囲まれて、スクスクと育ってくれている。有難いことである。

 私は、子どもの頃は自分でも自覚しているがどうしようも無いやんちゃだった。「ヤンチャ」というと聞こえは良いが、そういうレベルではないほどグレていた。曲がっていた。間違っていた。

 学校からの帰り道、校門を出ると母親とすれ違う。なんで母親とすれ違うかというと学校から呼び出されていたからだ。中学校でも傷害事件を起こし、少し大きくなっても学校から呼び出されることが度々あった。こんなことを書いたらいけないのかもしれないが、正直に書かせてもらうと無免許運転で警察に捕まったり、母と一緒に家庭裁判所に行ったこともある。

 裁判所で小さな部屋に入り、その方から「お父さんのお仕事は何ですか?」と聞かれて、母親が顔を真っ赤にして「お寺の住職です」と答えたのを見ていた。その時、本当に申し訳ないと思ったのだが、まだまだ分かっていなかったと思う。そういう、どうしようもない人間、子どもだった。

 そういう人間が、いま住職なのだから申し訳ないのだが、だからこそ謙虚に、いま道を外れているような人にまで心をくだいてご奉公させていただかなければ申し訳ないと思う。

 いま、子どもたちを見ていて、将来真っ直ぐに育ってもらいたいと思うが、そうは簡単にいかないだろう。自分が親に迷惑をかけたのだから、子どもにだけ素直さを求めるのは都合が良すぎると思う。ただ、何とか御法さまにお願い申し上げて、お見守りとお導きがいただけるようにしたい。

 父はいつも教えてくれた。

「御法さまに申し訳ないと思わないのか」
「御法さまはいつもお前をみているんだぞ」

と。お寺の息子に限らず、家庭の中に御法さまがおられること、敬うべき対象があることは絶対に大事だと思う。だからこそ、何とか私は道を外れないでいられたのだと思うし、いま命があるのだと思う。
 親が親の権限で怒っているのではないということを子どもたちに伝えなければならない。そう思う。家の中に仏も神もいないで、怒っても人間は限界があるのではないか。現代のおぞましい事件がそれを象徴していると思う。

 息子たちに、御法さまを中心にした教育、どんなにヤンチャであっても御法さまが見ておられるということを伝えたい。
 

訓辞 ~日博上人 最晩年のお言葉~

訓     辞

 本日茲に宗門一大行事である門祖五百御遠諱を記念し、吾が妙深寺は第二連合より第九連合を、第四連合より第八連合を、第六連合より第七連合の三ヵ連合の分連合を行い、これが式典を挙行するに当り一言訓辞を述べます。

 顧るに、吾が妙深寺は昭和十八年大東亜戦酣であった時、師命を拝し、野納正深、二百戸足らずの信徒を以て布教所を設立し、昭和十九年三月神奈川妙証教会の公認を得て開筵式を挙行致しましたが、昭和二十年五月横浜大空襲の焼夷彈数発を蒙り消火に努力致しましたところ佛天の御加護により焼失を免がれました。又四百戸まで御弘通の成果を挙げましたが一挙に八十戸に減少致しました。

 尓後二ヵ年復興教化に精進して四百五十戸に増加し、本堂、教務室、旧事務室、台所及び離座敷等を増修築致しました。昭和二十二年十一月八日 第十一世講有日颯猊下御親修のもと清光山妙深寺と寺号公称の慶讃大法要を厳修し、参詣二千有余を数えたのであります。そうして、同年十一月三十日には直ちに十教区三十一部の分教区分部の式典を挙行し、昭和二十五年の仏立講有第八世日歓上人の御七回御諱には壇信徒一千を突破、第八世に因んで教務員八名の達成と海外弘通の先駆となって、宗内の一大寺院になろうと誓願し、その悉くを成就して来たのであります。

 今の連合制は昭和二十三年の暮に二連合制をしき、二十四年に第一連合と第二連合の一部をもって、第三連合を分連合しました。現在のお寺附近に保土ヶ谷、戸塚、大和方面を以て第一連合とし、反町、六角橋、小机、港北方面を以て第二連合とし、子安方面より中区、磯子、杉田方面を以て第三連合としたのであります。そして二十五年には三連合より一連合の前里町等の一部を加えて第四連合の分連合をなし、二十六年には一連合より今の第五連合を、二十九年には一連合より今の第六連合を分連合致し、本日又こゝに三ヶ連合の分連合となったものであります。

 此の間教化に、社会事業に尽して幾度か表彰を受け、教務員は十五名を数えた事もありました。南米に巡教して海外布教の約も果たした妙深寺は、今の教務室である隣家の買収、庫裡及び庫裡の裏の家屋二戸の買収より、敷地の購入を第一歩に、大和別院の建立地六百余坪、三ツ沢墓地納骨堂建立地の六百余坪に次いで隣地百坪の購入を成就したのであります。今日教務員は十三名、実動九名、壇徒は一千四十六戸、信徒三百余名、九ヶ連合十八教区六十三部で役中は六百二十三名であります。昨三十七年は宗門の門祖五百回御遠諱前年祭、即ち準備年であり本年は正当の年で大法要と共に記念事業結集の年でありました。明年はこの結集の上に立って、出発々足の年でありますが、吾が妙深寺は宗門のこの大号令を受けて立って、妙深寺の第五百回御遠諱の年とするのであります。

 先ず四月二十七日には吾が師第十五世御講有日晨猊下の御親修にてこの一大法要を奉修させて頂きます。この時 墓苑及び納骨堂の完成慶讃法要をすると共に、何の御礼言上を御願い申し上げ、何を誓願すべきか、今日のこのよき門出に十分考突せん事を望みます。

 思えば隣地の立退きと拡張、大本堂の建立を期する外、大和別院日伯寺の建設、海外弘通の達成再確認、ハワイへの末寺建立を始め、末寺五ヵ寺の設立、教務員二十名増加、所属壇信徒三千戸達成等々の誓願を興して横浜市昭和六十五年三百五十万工業港湾都市建設計画に対応したい存念であります。

 昭和二十二年の寺号公称慶讃法要の折に三宝御宝前で御誓願を申し上げた悉くを達成した過去を想い起し、全山増壇高祖日蓮大聖人の仰せられました
「日は西より出ずるとも、潮の満ち干ぬ事はありとも法華経の行者の祈って祈りの叶わぬ事はあるべからず」
と又
「疑うならば信ぜざれ、信ずるならば疑わざれ」
と又
「昔の月は今の月、昔の功力は今の功力ぞかし」
と仰せられました事を挙々服膺して勇猛精進、獅子奮迅せん事を切望します。

 吾が宗門にも冠たる上に、第四弘通区のいつも陣頭に立つ妙深寺の僧檀、優秀なる教講諸氏、
「今正に是れ時なり」
と本佛の金言であります。

 一天四海皆帰妙法の祖師の金言を身に体して雄渾なる理想のもと、強大なる希望を持って、明るく、朗らかに、そして上品の中にも日蓮魂、佛立根性で何事も信心の腹の中で、御本尊の御前に南無し奉って、御弘通の為には私を捨て、小異をなげうって大同につき、異体同心に協力一致、霊峰富士山のような姿をもって御奉公に精進せられん事を以て訓辞と致します。

 昭和三十八年十二月一日 本門佛立宗 妙深寺
                   権僧正 清照院 日博 印





「唱導」という言葉を軽く見てはならない

 もう午後になる。行かなければならないので最後にしたいのだが。

 もう一つ付け加えて書いておきたいと思う。
 それは、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)が「妙法蓮華経」に於いて、本化上行菩薩以下の方々に対して「唱導の師」と訳し示してくださっていることである。
 私たちは末法の娑婆世界で上行菩薩後身・お祖師さまのお弟子旦那としてご奉公させていただいているが、「舌根斧を生ず」どころか、私たちのご奉公は「唱導」でなければならないのである。まさに「唱え、導く」ことが根本、根本の修行なのである。

 ところが、この点でも改良すべきことが多々あり、見受けられる。
 妙深寺の先住・松風院日爽上人は、殊のほか自分勝手なアクセントを付けた御題目口唱、妙講一座の言上を戒められた。
 たとえば、「ナムミョウホウレンゲキョウ」とお唱え重ねることに於いても、教務ですら「ナンミョ」、、「ホレッンゲッキョ」などと節を変なところに取って唱える者がいるが、そうした者の御題目を聞くと厳しくお折伏された。「唱導の師」の弟子旦那にあるまじきということで、教務として不的確である、と。

 あるいは、無始已来というお唱えしても約1分に過ぎない御文ですら「ホンモンノホンゾン」という部分を、おじさんのカラオケのようにわざとリズムをずらして、本人は格好良いと思っているのか知らないが「ホモッノホンゾン」と唱える輩もいる。アホか!と思うが、いるのである。唱えにくくて仕方がない。全く「唱導の師」のお弟子旦那と名乗るに値しないし、根本的な改良が必要である。
 
 そういう教えを誰からも受けられないのも不幸である。ただし、これは愚癡ではない。聞いたら、若造であるから遠慮はするが即刻本人にお伝えさせていただく。何と言っても、曲がりなりにも「本門佛立宗の教務」なのであるから。
 御題目口唱の声も、「唱導」という言葉を心に刻み込んで、大きく張りのある「声」でのご奉公をさせていただきたい。そうすべきであり、そうでなければ本化門下にふさわしくない。お看経中の声が小さくて、会議やご供養場でだけ声が大きくなるなど、本末転倒も甚だしい。
 本物の教務を目指さなければならない。これは大変な道なのだ。なぜなら、「ニセ物」は「ニセ物」と分かるのが「ニセ物」ではないのだから。本物そっくりのものが「ニセ物」なのだから、「本物」への道は果てしなく、そして険しい。
 まずは「唱えること」を正しく、厳しくさせていただかなければならない。

信心は「つとめること」「つつしむこと」

 ご信心は「つとめること」と「つつしむこと」である。

「つとむれば 罪障滅し つゝしめば 身をおこすべき 利益蒙る」
との御教歌をいただいた。

 「つとめる」とは「続けること」である。
 「つつしむ」とは「好きなことをやめる」ということである。

 罪障の深い私たちだから、自分勝手な癖には「つつしみ」をもたなければならない。
 また、「お寺の土がへっこむくらいお参詣しなさい。そこに御利益がある」との教えをいただいて、そういう功徳の積める生き方を「つとめ」なければならない。

 「御利益に配達なし」

信心は人柄に表れなければならない

 信心は人柄に表れなければならない。

 お祖師さまは
「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。」
とお諭しになられている。この御文を軽率に拝見してはならない。

 先日の妙現寺での川口御導師の御法門は、そのことを教えてくださっていた。

「舌根、斧を生ず」
と言う。

 口は、功徳も積めるが罪障も積む。「口は災いの元」というが、まさにそうである。功徳を積むのも口。罪障を積むのも口。
「舌根」の「根」とは、仏教では「働き」という意味である。舌の働きは、まさに「斧」となって、人を切り、功徳を断ち切る。人を助けるのも口、ダメにするのも口である。
 そして、「信心は人柄に表れる」である。信心をしているのであれば、所作振舞が、言葉が、態度が、御仏の教えに沿って正されなくてはならぬ。

 私は、信心をしているからといって功徳を断ち切っている者は恥ずべきだと思う。住職だろうと、凶夢だろうと、お役中だろうと、佛立宗では「一人の信者」であるから、改良すべき点は山のようにある。私も不完全な人間である。しかし、御法に傷を付けぬように、何とか所作振舞に気をつけようと思う。

 最近、つくづく思う。手本となるべき教務の御法門聴聞の姿勢が悪い。御導師が御法門を説かれていても、御導師の方を向かず、信者席を眺めるだけの者がいる。信心がないのだ。
 私は「師匠がいない人」を生涯で最も可哀想な人だと思っているのだが、教務であっても師匠がいない人が多い。形は出来るが、しばらく眺めていると、たとえば御法門聴聞の姿勢などで師匠として敬っていないことが多い。ちなみに、私ですら、弟子が御法門を説いている時は、お説きになっておられる方が「師匠」なのである。雪山童子の教えのとおりである。
 
 御法門は「聴聞」という。「聞く」だけであれば、「門」に「耳」である。しかし、「聴く」となれば、「耳」を使い、「目」をこらし、「心」を使わねばならぬ。その姿が御法門聴聞にあるか。その姿の手本を、まず教務が示さねばならぬ。

 ご信者とて同じ。役中たる者は心して所作振舞の改良に心がけなければならない。信心をしているから偉いのではない。信心が所作振舞に表れているから尊いのである。
 口で罪障を積む者。言動・行動で御法に傷を付けているのは、誰あらぬ私たち一人一人であることを肝に銘じなければならない。

 御仏の教えを現代に生きて伝えてくださったのは、お祖師さまである。それは文章で教えてくださったのではない、お祖師さまの生涯を貫かれた「行動」「所作振舞」である。それを体現してくださったのが門祖日隆聖人であり開導聖人であった。開導聖人の後を継いでご奉公させていただいているのが私たちではないか。それは行動、所作振舞で表さなければならない。

 住職の心を教務が受け継ぎ、教えを役中が体現して人々に伝えていく。人々は、その人の背後に教えを見、御仏を見て、お祖師さまを見て、開導聖人や住職を見る。所作振舞が自分勝手で、「舌根斧を生じ」て功徳を断ち切るようなことがあってはならぬ。

 そう教えていただいたと心得ている。

朝のご挨拶

 今朝、昨日の告別式を終えて、小泉さんのご家族がお参詣くださり、ご長男、ご長女、お孫さんまでがお控えの間までお見えになり、丁寧なご挨拶をいただいた。
 多くの参列者が涙した。別れを惜しんでおられた。小泉さんはママさんソフト・ボールの監督をされていた。あの人柄だから、多くの人に慕われていた。それを、お通夜と告別式であらためて感じた。
 1000人のご信者さんがいれば、1000人の老い、病、死に立ち会わなければならないのが私たち教務だ。一人一人に思い出があり、一人一人の人生を真っ正面から見据えていると、居たたまれなくなる気持ちもある。今回は、特にそうしたお別れとなった。
 ただ、ご家族はご信心の功徳を実感して、お父さんをしっかりと見送って下された。何より、お父さまが喜んでおられるだろう。誰にでも、どの家族にも出来るものではない。いまや、両親のお葬式すら面倒だから出したくないという家庭が多いのだ。現実、家族すら引き取らず、役所で火葬にふされてしまったという方々の話は絶えない。そういう時代だ。
 小泉さんは、亡くなられる数日前に、お助行(お見舞いと御祈願をかねてお宅に伺っていた)に行っていた私の姉の手を取り、「なに小泉さん、手を握りたいの(笑)」と言った姉に「いや、起こして」と言われて姉に合掌され、「今度の、ウチの嫁さん、ウチの嫁さんを頼みます。二人をよろしく頼みます」と二度も言われた。最後の最後まで、家族を思う、家族を愛したお父さんだった。はにかむような、照れるような微笑みのお父さんだった。
 お通夜、葬儀の日程は、愛知の立てこもり事件で殉職された林警部のお通夜と告別式に日程が重なった。そのお話も今朝のご挨拶の時に交わした。
 人は死を迎える。その死は三人称から二人称、一人称と迫ってくる。人はそれを選べない。家族が一つになり、本人を死を見据え、家族の祈りと本人の闘病から惜しまれての臨終。別の場所で、くだらない人間の愚かな犯罪によって、しかもいい加減な発砲の犠牲に倒れた素晴らしい人格の青年。何ということだろう。無常の世とは、本来私たちが想像する以上に厳しく、唐突なものなのだろうか。
 私たちが父の闘病を見守っている時、ある友人が「50年後には癌になりたいという人が出てくるかも知れない」と言った。その時は「父も苦しんでいるし、家族もこんなに辛いのに、なぜ」と思った。しかし、無常の世を見据えれば見据えるほど、その意味が少しづつ分かってくる。
 人は死を迎える。その死は自分では選べない。ただ、その無常の中で、私たちは何を家族に伝えられるだろう。残せるだろう。癌は恐ろしい病気だ。私もなりたくはない。本人だって、家族だってそうだ。ただ、林巡査部長の死を見て、私たちは無常の恐ろしさを知る。そう、他の理不尽な死を考えれば、家族が一つになり、御題目で御祈願をいただき、父が家族への愛を表明し、人生、生きること、死ぬこと、愛すること、家族、信仰を教える時間がゆっくりと過ぎていくこの病気を何と捉えたらいいのだろう。
 言葉にならない。ただ、言葉にしなければならない。
 人は、命を輝かすために生きている。
 「病は成仏の仲人」
 「菩薩の病は大悲より起こる」
 「衆生病む故に菩薩また病む」
これらの御仏の教えを、どのように汲み取れるか。
お祖師さまは、次のように御妙判くだされている。
「蓮華と申す花はかゝるいみじき徳ある花にて候へば、佛妙法にたとへ給へり。又人の死る事はやまひにはよらず。当時のゆき、つしま(壱岐対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ。病あれば死べしといふ事不定也。又このやまひは佛の御はからひか。そのゆへは浄名経、涅槃経には、病ある人佛になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候歟。又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそ、おもき病とは佛はいたま(傷)せ給へ。」

憲史くん、ずっとお参詣!!

 憲史くんは、三日坊主どころか、ずっと頑張ってお参詣されている。
 あの青年の、どこにそんな根性が隠されていたのかと思うと、不思議だ。一生の宝物、すごい経験を自分から求めてしていると思う。「自分探しの旅」をし続けている青年とは違う。頑張ってもらいたい。

2007年5月22日火曜日

昨日と今日と、

 横浜・三ツ沢の丘の上にある妙深寺は、窓から横浜港やベイブリッジが見渡せる。朝は特に清々しく、本堂内が港からの光に包まれる。この上なく気持ちの良い空間であると毎朝思う。
 昨日も今日も、座る暇もなく、ブログも書けなかった。今朝も時間がない。

 妙深寺の朝参詣は6:30から7:45まで。7:45からは8:00まで、御法門。私は後ろに下がらせていただいて、こうしてブログを書いている。過去帳などの御染筆(筆で書かせていただくこと)があるとPCに触れることも出来ないが。

 昨日は午後からお通夜の準備であった。妙深寺の通夜告別式は一般信徒の方に至るまで「歎読」を読ませていただくことにしている。その方の御一生を御宝前に言上する。どこで生まれ、どのように生き、どのようにご奉公されたか。昨日はお通夜のご奉公に出かけるギリギリまで掛かって、ご位牌や経帷子の御染筆、歎読の作成をさせていただいていた。
 18:00からの葬儀で帰山が20:00だっただろうか。お通夜では言上中に泣けて泣けて仕方なかった。小泉さんの遺影が微笑んでいて、5年前にはじめてお寺でお会いした時の、はにかむような、苦笑いのような微笑みが思い出されて仕方なかった。
 今朝は、この後9:00に出発して告別式に向かう。まごころを御題目に込めて、ご奉公させていただきたいと思う。

2007年5月21日月曜日

月曜日の朝、

 今朝も憲史くんは開門参詣。偉い!よくぞ、三日坊主にならなかった。
 私たちの心はとても弱いから、1ヶ月のお参詣であれば、やはり3日目、10日目などに大きな疲れというか、やる気がなくなるというか、「なんで俺、こんなことやってるんだ」という気持ちが起こって、続けられなくなることがある。お看経でも、一万遍(4~5時間の御題目口唱)でも1時間半くらいになると大きな壁があるように思う。しかし、どちらもその壁を乗り越えるとバーッと開けていくというか、視界が変わってくる。気持ちがまったく別の次元、清々しいところに行く。

 今日は月曜日だ。お仕事の方(色々な業種の方がおられるから一概には言えないが)は、一週間のお仕事の始まり。そういう月曜日に開門参詣してスタートを切る憲史くん。有難い。
 お仕事に忙しい方々は、週末にお寺にお参詣し、ご奉公くださる。社会で活躍されている方のご奉公だから、非常に内容も濃く、有難い。同時に、私はそういう方が、お仕事をスタートする月曜日にお寺にお参詣されているのを見ると、ことさら安心したり、有難く思う。
 というのは、ご信心がその方にとって生活と密着したものであり、欠かさず御法さまが守ってくださると確信できるからである。もちろん、お参詣をせずとも、お仕事に行かれる前は自宅の御宝前で手を合わせ、お看経をして出られていると思うが。いずれにしても、月曜日の朝参詣は気持ちが良い。お参詣者のお顔を拝見して、とても安堵するし、有難いと思うのだ。

 日本人の自殺はテロとの戦いより激しく、厳しい。一年間でイラク戦争で亡くなった一般市民の方に匹敵する3万5千人の方が日本では自殺している。これはもやは戦争である。爆弾や銃を使わない戦争を日本はしているのと同じである。ビジネスというフィールド、会社や学校、人間同士の戦いで。

 その自殺は統計上月曜日に集中している。男性は月曜日の明け方、女性は月曜日の午後。男性は会社に行くか、行けるか、行かねばならぬかを悩みに悩み、夜が明けることに絶望して自殺する人が多いという。そして、女性は男性よりも強いのか、一度は会社や学校に行ってみる。そして、午前中にいろいろな人や物を見て、やはりダメだと絶望し、午後に自殺してしまうというのだ。

 だからという訳ではないが、宗教者として月曜日の朝のお参詣を、心から有難く思う。

2007年5月20日日曜日

今日の一日、

 今日は素晴らしい晴天の下、妙深寺にとっても大本寺である渋谷乗泉寺のご住職(御高職ともお呼びする)川口日智上人の御唱導で相模原妙現寺の門祖会が奉修された。
 妙深寺には昨年の高祖会に御唱導をいただき、その時にも素晴らしい御法門に感激したご信者が多くおられたが、今日もことのほか有難い御法門で、私も心の底から有難く、またご弘通のエネルギーが沸々と湧いてきた。ありがとうございました。

 妙深寺は、昭和18年に乗泉寺の横浜在住のご信者方が日博上人のご指導の下で独立し、発足(寺号公称)した。日博上人は乗泉寺のご住職で大恩師である日晨上人にお給仕の誠を尽くされ、先住日爽上人が若干27才で住職を継承した時にも日晨上人のご指導をいただきながら現在の姿までご弘通を進めることが出来た。
 今日の御法門は後ほど拝見し直したいと思っている。それほど尊く有難かった。

 また、16:45に妙深寺に帰山したが、17時からは妙深寺開導会の奉修企画会議。若手の面々が、志のこもった充実した開導会となるように結束してご奉公に当たっている。今回も夏の開導会の奉修御導師は福岡御導師。DVDの放映、奉修テーマ、奉修形態を、お参詣されるご信者方のお顔を思い浮かべながら考えに考えた。有難いことである。今年の開導会も盛大に奉修されることと思う。

 19時から横浜駅で会議があり、これも将来の妙深寺の飛躍を期した極めて重要な会議だったのだが、活発な意見交換が為されて、本当に有難かった。つい数分前に帰ってきて、今夜は更新が出来ないかと思ったのだが、何とか書き込めた。これも嬉しい限り。

 様々なご奉公があり、様々な方々がそれぞれの志、御法さまへの思いをもって集まってきてくださっている。何よりそれが有難く、ワクワクする。きっと、誰もが喜べるご奉公をしてくださると思う。
 
 明日は小泉家のお通夜。朝から御祈願をさせていただいて、無事にご奉公が成就できるように気張りたい。
 ありがとうございます。
 

妙現寺の門祖会

 今日は、本寺・渋谷乗泉寺の御導師の御唱導による妙現寺の門祖会にお参詣させていただく。快晴の下の奉修、有難い。
 昨夜は2:00に寝たので、少々眠い。今朝も憲史くんはお参詣されていた。朝、車輌御本尊の紛失につき、御懺悔の面会をお受けした。
 あわただしくお寺を出た。いまは時間調整で入った妙現寺近くのマクドナルド。コーヒーをいただいている。有難い。

2007年5月19日土曜日

クイーンズ・スクエアにて

 今日、クイーンズ・スクエアにて、美穂さんとお会いできた。参加者は局長と美穂さん、ひろし君と武田さん、憲史くん。そして私だった。

 コレイア師がパリで美穂さんのお宅にお助行に行ってくださったことを、美穂さんは心から喜んでおられた。気さくな御導師で、美穂さんのお子さんたちにも分かりやすくご信心のお話をしてくださり、子供たちも理解できたという。英語ではなく、子供たちがスペイン語を大学で学んでいたことから、コレイア師のポルトゲスと子供たちのスパニッシュで交流したとのこと。素晴らしいことではないか。

 フランス語もスペイン語もポルトガル語も、同じラテン語から派生しており、英語とは異なる。実は、英語は言語としてはシンプル過ぎて、日本の情感に溢れた文章、特にお経文などは翻訳しにくい。だから、一度は日本語や中国語からラテン語系に翻訳して、それを英語にした方が細かな情感・ニュアンス・教えを伝えることが出来るというのだ。そういう意味でもコレイア師の存在は大きい。コレイア師はポルトゲスと日本語に堪能で、中国語もサンスクリット語・パーリ語も勉強されていた。

 今日の出会いは、明日への希望。何らかの御縁でまたお導きとお見守りをいただき、花が開き、実を結ぶと信じられる。有難い。

 (写真は、パリの美穂さんのお宅で子供たちと歓談するコレイア師)



彩華ちゃんとほのかちゃん、

 今朝、朝参詣終了後、本堂にエレベーターを設置するための会議をさせていただいた。なかなか難しい工事で、耐震構造などの再計算をして、何とか安全に、そしてお年寄りにやさしいお寺を目指したい。

 今日は、続いてこれから局長とひろし君とみなとみらい地区で、フランスのパリから来られている美穂さんにお会いする。ひろし君はパリに出張した時に美穂さんのお宅にお助行に伺うと言ってくれていたのだが、ちょうど日本に帰国しているとのことでひろし君の帰国後に横浜で会おうということになった。

 素晴らしい出会いになると思う。美穂さんは局長の姪っ子さんだ。


 また、朝メールをもらっていて、赤ちゃんの時からお母さんに連れられてお寺にお参詣してくれていた可愛い二人、彩華ちゃんとほのかちゃんの写真を直ちゃんが送ってくれた。  とってもとっても可愛いので、出発の前に貼り付けておこうと思う。

(左側がほのかちゃん。右側が彩華ちゃん)

また、憲史くん開門参詣

 今朝も憲史くんは開門参詣をしていた。6:30には本堂に座っていて、真摯な姿で合掌していた(八王子駅でダッシュをすると横浜線に間に合うらしい。なるほど、遅れた時はダッシュしてないということだな。このダッシュをすると三ツ沢上町の駅に6:00前に着いてしまうらしい)。
 アメリカに永らく住み、英語に堪能なビジネスマンとしての側面がありながら、こうして自分から求めて開門参詣をし、心を練り上げようというわけだ。文武両道の如く、こうした修行ができれば何より強いものを手に入れることになるだろう。「スキルアップ」と今の人は色々な面で技術の向上を目指すが、上辺のテクニックだけで人生は歩めない。手先や目先のスキルアップではなく、生きるためのスキル、『人間』としてのスキルアップには無関心過ぎる。憲史くんは、そういう意味で、自分から目覚め、自分で開門参詣に挑戦している。1時間45分の道のりを毎日毎日お寺にお参詣しながら。
 憲史くんに聞いてみたら、3:50に目覚ましをかけて、4:00に起きているとのこと。そして、家を4:30に出発。朝のごはんを駅で食べ、会社へ。会社の仕事は23:00くらいまであるから、家に帰るのは0:00を回る。正味3時間の睡眠という。
 「大丈夫か?」と聞いたら、「でも、横浜線で寝れるので、、、、」。「昨日、朝参詣から仕事に行ったが、とても集中して良かったです!」という。「夜、会社で武田さんと、今日の御教歌はどういう意味だったとか話し合ってました(笑)」と。すごい。すごすぎる。
 「いや、すごいんですよ。御教歌が、御教歌が、、、その、その時その時に必要な、あぁこれ、俺のためにある歌(ご信心用語を知らないので)だなっていうタイミングで出てくるんですよね。出てくるんですよ、、、。昨日とか、御教歌の話をしていて、僕がいま何が足りないのとか、そういう話をしていたんですよ。でも、今日の御教歌は、『そんな、感心だけしていても、実践しないとダメなんじゃないの』みたいな御教歌で、『理解している人はいても実践している人は少ないよね』っていう歌で、あっ、あっ、なるほどって思っちゃいけないんですよね、そう『なるほど』じゃダメだよっていう御教歌で『なるほど』で終わっちゃダメですよね」だって。信じられない。朝参詣後、しゃべってくれたことをPCで速記した。すごい、こういう言葉を憲史が言えるなんて。これがご信心の功徳。信心で変わっていく憲史のコメント、ここに書いているとリアルだなぁ。有難い。
 あの憲史くんがここまで変わることが、ご信心の凄さ、有難さだ。それを憲史に教えてもらった。心を練れ、憲史!

昨夜、枕辺にて、

 昨日は教幹会が終わった後、小泉さんのお宅に一人で伺った。
 
 御宝前の間に布団を敷き、そこに小泉さんが寝かされておられた。正教師は小泉さんの帰寂の直後からずっとお看経をあげてくださっており、瓜生さんや千延がご家族と共に小泉さんをスーツに着替えさせてくれていた。ワイシャツにスーツ姿の小泉さん。しかし、呼吸は既に止まっておられた。ご家族がご遺体の周りで御題目をお唱えくださっていた。柔らかく、笑っているかのようなお顔。

 今日までの御祈願の御礼と御回向を御宝前に言上させていただき、お線香を上げさせていただいて、小泉さんの近くへ。布団をめくり、先日のお助行の時と同じように手を握り、御題目をお唱えさせていただく。「逝ってしまわれたのか」「遅くなって申し訳なかった」「よく頑張ってくださった」との思いが込み上げる。暫し、御題目をお唱えしながらお顔を見つめ、時間が止まったように感じた。

 奥さまにご挨拶すると、奥さまから「最後の最後に『ご住職が言ったとおりにすれば良いんだよな』と言ったんです。そこまでご住職を尊敬していたんです」と。有難い、有難いが未熟な自分をうらめしく、恥ずかしくも思う。確固たる信心と、自分がこうして臨終を迎えるその瞬間まで帰依してくださるご信心に堪えうる者であろうかと、自責の念も浮かぶ。

「月を持つまでは灯を憑み給ふべし。宝珠のなき処には金銀も宝なり。白烏の恩をば黒烏に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく(疾々)利生をさづけ給へと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなはざるべき」

との御妙判を引き、末法は聖なる僧侶への恩を凡なる僧侶に報ずべしと拝見しても、それで胸を張れるものではない。

「よい事をして懺悔をばしたるかな 今は心にくるしみもなし」

とお示しの御教歌のとおり、どんなに信行ご奉公に気張ったといえども所詮は凡夫。謙虚さと慚愧の念はついて離れず、どのようにご奉公をさせていただいていてもお寺に帰れば御懺悔を言上せよと先住(先代のご住職)に教えていただいた。
 御講から戻っても、教区のご弘通発展を祈願し、所属のご信者とお参詣者の信行増進と御利益感得を祈願し、続けて「ご奉公中、知らず計らずの御不敬、懈怠、謗法を懺悔言上し奉る。懺悔の功徳を以ては、長松清潤、信心改良、謗罪消滅、弘通の器となさしめ給え」と言上するように教えていただいた。

「師弟共に凡夫」
と教えていただく中で、導師としてご信者方のまごころの帰依に堪え、ご奉公成就するためには御題目にお縋りするしかない。理屈でも理論でもない。心から、小泉さんの今生の、知らず計らずの謗罪消滅、寂光参拝の成就を祈念し、お通夜告別式のご奉公成就を期したい。

2007年5月18日金曜日

嬉しい知らせと哀しい知らせ

 千葉から帰ってきた。有難いことに、金曜日はいつも首都高速は混雑するのだが、今日は全く快適な往復で夕方のご奉公に間に合った。有難い。
 御講の間に留守番電話。現薫師からだった。7月15日の本山開導会・青少年の一座で、吏絵ちゃんのご家族が吏絵ちゃんのご病気とご家族の体験についてお話をしていただけるという。これほど感激したことは久しぶりだ。
 吏絵ちゃんとは、いま13才の女の子。一昨年、11才の吏絵ちゃんは体調を崩して病院に行った。部活のテニスのし過ぎで、身体が疲れていて風邪がなかなか治らなかったからだ。しかし、病院で告げられたのは「白血病」というものだった。
 私は、京都の長松寺で本山でご奉公くださっている吏絵ちゃんのお祖父さま(吏絵ちゃんのお母さまのお父さん)、前川さんとお会いした。そして吏絵ちゃんのことをお聞きした。その頃、本山には妙深寺から清水清康師がご奉公しており、学生師をはじめ、お助行を開始してくださった。吏絵ちゃんのお母さまが嫁がれてからご信心をされていなかったということだが、吏絵ちゃんのことや皆さんのお助行もあってご主人の暖かいご理解もあって御本尊を奉安し、お参詣や御祈願をされるようになった。
 私は、この時から今まで、約2年間、朝夕のお看経、妙深寺本堂でのお看経、長松寺の御総講でも言上と御祈願をさせていただいてきた。朝参詣終了後、妙深寺の教区長が病気の方へのお助行をされているが、その中でも御祈願言上をしてくださり、その輪は広がっていった。その御祈願をロスに出張中のひろし君に伝えたところ、ひろし君はホテルのPCの前で泣いてくださり、ロスでも御祈願してくれた。ベルリンに留学している田口くんにも伝えたところベルリンでも御祈願をしてくださり、イギリスのヴァネッサに伝えたらヴァネッサも御祈願してくださるようになり、ブラジルでも吏絵ちゃんへの御祈願をしてくれるようになった。スリランカでは青年会がこれまでに2度、24時間の口唱会を開催しているが、24時間口唱会の直前にも電話で連絡を取り、「これから吏絵ちゃんの御祈願をさせていただきます」と若者たちが言ってくれていた。まさに、地球を一つに結んでくれた吏絵ちゃん。吏絵ちゃんの御祈願。
 その吏絵ちゃんは、厳しい抗ガン剤治療を何度も何度も頑張ってくれた。髪の毛だけではなく、眉毛、いや睫毛までが強い薬によって抜け落ちてしまう厳しい治療だ。それを彼女は乗り越え、これまでずっとずっと頑張ってきた。今でも「定業能転、病気全快、学業成就」と御祈願させていただいている。
 その吏絵ちゃんとお母さまが、本山の御宝前の前で、イジメや自殺の問題など「命を見つめ直そう」という青少年の一座でお話をしてくださるという。何と有難いことだろうか。16日の長松寺の御総講で前川さんとお会いした時にも、「今回のお話は奇跡談のようなものでなく、ご家族のありのまま声をお話していただけたらとありがたいです。そのお話を通して、生きることとは何か、私たちの命とは何かをみんなで噛みしめてもらいたいと思っている」とお伝えした。先ほど、現薫師からの連絡で、お母さまが快くご理解をいただき、ご奉公してくださるとのこと。もう、感謝感激、有難い。6月にもう一度抗ガン剤治療があるとのこと。何としても無事に乗り越えられるように御祈願をさせていただきたい。
 哀しい知らせとは、先日お助行に伺った小泉さんの呼吸が止まったとの連絡。今日は日赤の元看護婦長であった妙深寺の瓜生さんが朝から小泉さんのお宅に詰めてくださっていた。正教師も私の姉も、ずっと小泉さんの家でお助行してくださっていた。約2年間、いろいろな小泉さんの姿が頭に浮かぶ。奥さまのお姿、ご家族のみなさま。さっき、御宝前で小泉さん心肺停止との言上をさせていただいた。その後の連絡を待っている。
 お祖師さまの御妙判、
「生生世世の間ちぎり(契)し夫は大海のいさご(沙)のかずよりもをゝくこそをはしまし候けん。今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこ(夫)よ。そのゆへはをとこのすゝめ(勧)によりて、法華経の行者とならせ給へば佛とをがませ(拝)給べし。いき(生)てをはしき時は生の佛、今は死の佛。生死ともに佛なり、即身成佛と申す大事の法門これなり」
 永遠の時間の中の一瞬。その人生の中で、夫となり妻となり、法華経本門のご信心で結ばれた。一瞬の出会いではあっても、御法の御縁によって永遠のものとなるはず。速やかに娑婆に戻ってきていただいて、また共にご奉公させていただきたいと思う。今生では、わずか数年間のご信心だった。何かご奉公のお役を受けていただきたいと思っていたが、それは叶わなかった。しかし、不思議な魅力のある方で、古くから存じ上げているような、そんな気持ちを抱かせていただいていた。
「出る息は入る息をまたず(御妙判:御妙判とはお祖師さまのお手紙)」
とお諭しいただくのは、このことだろう。私たちこそ、無常の身の上。一日一日のご奉公に懈倦なくさせていただかなければならないと教えて頂く。
「出る息は入る息をまたず、いかなる時節ありてか毎自作是念の悲願をわすれ、いかなる月日ありてか無一不成佛の御経を持たざらん。昨日が今日になり、去年の今年となる事も、是期する処の余命にはあらざるをや。総て過にし方をかぞへて、年のつもるをば知るといへども、今行末にをいて一日片時をも誰か命の数に入るべき。臨終既に今にありとは知りながら、我慢偏執、名聞利養に著して妙法をとなへたてまつらざらん事は、心ざしのほどむげ(無下)にあひ(愛)なし」
「暮れ行く空の雲の色、有明方の月の光までも心をもよほす(催)思ひなり。事にふれ、をり(折)に付けても後世を心にかけ、花の春、雪の朝にも是を思ひ、風さはぎ(戦)村雲まよふ夕にもわするゝひまなかれ」
「春の花の風に随ひ、秋の紅葉の時雨に染る。是皆ながらへぬ世の中のためしなれば、法華経には「世皆不牢固如水沫泡煙」とすゝめたり。「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ、順縁、逆縁の御ことのは既に本懐なれば、暫くも持つ者も又本意にかなひぬ。又本意に叶はば佛の恩を報ずるなり。悲母深重の経文心やすければ、唯我一人の御くるしみもかつがつ(方方)やすみ給ふらん。釈迦一佛の悦び給ふのみならず、諸佛出世の本懐なれば十方三世の諸佛も悦び給ふべし。我即歓喜諸佛亦然と説かせ給へば、佛悦び給ふのみならず神も即ち随喜し給ふなるべし」
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、

映画「[窓] MADO」の上映会にお越しください🙏

10月2日のFMヨコハマ「横浜ラグーン」は先週に引き続き俳優の西村まさ彦さんをお迎えし、映画『[窓] MADO』の麻王監督にも加わっていただいてお話をお聞きしました。 映画『[窓] MADO』は「横浜・副流煙裁判」と呼ばれた一つの出来事をテーマにしています。原告家族「A家」と被...