2010年3月31日水曜日

吏絵ちゃんの差し入れ

ようやく寝ます。

吏絵ちゃんの差し入れ、手作りケーキをいただきました。本当に美味しかったです(涙)。

励まされました。ありがとうございます。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

無事に24時間のお看経が終了しました。加行者名簿に名前を書いてくださった方だけで55名。本当に、ありがたかったです(涙)。

スリランカの32名も、全て完璧。京都新聞は明日の朝刊に掲載されます。中外日報は週末とのこと。

ありがとうございました。

2010年3月30日火曜日

ご遷化の意味

 これから、本山の御宝前に於いて24時間のお看経をさせていただきます。前回は、とにかく一人で、本山の御宝前に向かわせていただきたいという思いで、必死でした。

 藤本御導師のご遷化から、もうすぐ百ヶ日忌を迎えようとしています。すでに、良風寺は西村日要上人が御住職としてご就任・ご奉公をくだされており、良風寺の皆さまも、この想像を絶する哀しみの中で、それを何とかご信心で乗り越ええようと、ご奉公くだされておられます。藤本家のご家族はもちろん、こうしてご奉公くださっている方々のお気持ち、そのご信心を察すると、涙が出るというか、心の中で血が噴き出すような思いがします。未だに、何とも言葉には出来ません。

 私は、佛立教務として、良風寺のご信者の皆さま、藤本家の皆さまには、お懺悔の気持ちでいます。なぜか。
 今回の事件、加害者を含め、それは事件として、いろいろな事実があり、いろいろな見解があると思います。それぞれ検察や警察、病院関係者、家族やその他の関係者など、具体的な事象があり、それらを総合して、一般的な事件としての結果が導き出されることと思います。それについては、私はしばらく置きたいと思います。

 事件性とか心神喪失とか、そこではなく、もっと大きな意味で、なぜ、藤本御導師はご遷化されねばならなかったのか、という一点を、御宝前にお尋ねする時、今回の出来事の意味を深く感じて、藤本家や良風寺の皆さまに、お懺悔の気持ちが湧いてくるのです。はっきりと、分かります。はっきりと、見えます。
 もし、本門佛立宗の教務で、今回の藤本御導師のご遷化を、目の前の「因果」でしか捉えることができないとしたら、本当に情けないことだと思います。これを、もし、「たまたま~」とか「不幸にも~」などとお茶を濁すような話で終えるとすれば、その人は、佛立教務ではないのではないか、とすら思います。
 真実の仏教が常に教えているように、仏教に偶然はありません。全てが必然です。本門佛立宗のご信心は常に現証の御利益がある、と断言する以上、「これは御利益だが、あれが偶然である」ということはあり得ない。つまり、そんな曖昧なことはない。
 では、藤本御導師のご遷化は、如何なることか、如何に受け止めればよいのか、という問いが発せられる。
 藤本御導師は、ブラジル団参の際、お寺に出てこなくなったという人の話を聞いて、真夜中までお助行に出られました。海外での団参中に、です。サンパウロのご信者さんで、古くから知っておられる方とはいえ、お折伏をされるために夜の観光やプログラムなどをキャンセルして、ご奉公に出られました。そんなご奉公をされる御方です。
 藤本淳悦御導師です。あれほど、常にお看経に徹せられ、ご信者さんが苦しい、痛い、つらい、と言えば、すぐに飛び出して、その方の手を取り、一緒に涙を流してご奉公される、お師匠さまへのお給仕にも徹し、ご弘通の実を上げられている御住職(残念ながらこうした御導師は少ないと思います)、明るく、宗会でも常に前向きにご意見をされる御導師でした。
 中途半端なご奉公をされていた御方がご遷化をされたのではなく、こうしたご奉公をされていた藤本御導師がご遷化された。ご信心やご弘通ご奉公で、愚癡のような話を教務がしていると、「しんき臭い話をするな!」と藤本御導師は叱られたといいます。
 ですから、今回のご遷化は、ご弘通が衰退すると危惧されている中、本当に厳しい、御宝前からの宗門全体に及ぶ御折伏、藤本御導師の命懸けの御折伏であると思うのです。
 ブラジルの淳省師と恭子さんから、藤本御導師がブラジルでご奉公されていた当時のお写真を送っていただきました。涙があふれていきました。ここに、掲載させていただきました。
 藤本御導師の妙深寺での御法門。
 「それでは御題目を唱えている人はみんな菩薩かというと、残念ながらそうではない。御題目を唱えても、明けても暮れても自分のお願いごとだけの人はまだ菩薩ではない。そこを切り替えて、「あの人が良くなるように」、「元気になるように」、「あの人が入信をして、御題目を唱えて、みんなが幸せになれるように」という風に、ご祈願を切り替えてこそ、如来の使い「菩薩」ということになるんですね」
 「ですから、仲のいいもの同士だけの信心で終わってはダメです。その殻を打ち破って、この御題目の素晴らしさをまだ知らない人にお勧めさせていただく、菩薩行に励んでこそ、真実の佛立菩薩ということができるのです。」
 「特に今年は、立正安国論上奏七五〇年のご正当です。この十六日に上奏なさった。なぜお祖師さまは、立正安国論を上奏なさったか、それは、鎌倉時代という時代は、天変地異、大地震、台風、水害、疫病! 死体は道にゴロゴロ転がっていた、そんな時代。さらには他国侵逼の難。蒙古が攻めてくる。今の時代と同じだと思いません? 符合しているわけです。天変地異。大地震。環境破壊。我々人間による勝手な行いによって、今、地球が怒ってるんですね。疫病…新型インフルエンザ。そして、他国侵逼の難。ミサイルや核問題。みんな鎌倉時代と同じ姿が現れているんです。
 それはなぜか。残念ながら、せっかくお祖師さまや開導聖人から頂いたこの御題目のご信心が低迷してる。ご弘通が、全国各寺院だんだん低迷しております。信心が曲がれば、家庭も社会も曲がるんです。だからここでお互いが、お祖師さまがどんな思いで立正安国論を上奏なさったのか、しっかりと受け止めさせていただいて、そして信心を改良させていただいて、みんなが佛立菩薩となって、一寸先は真っ暗な暗闇の世界に、妙法の灯火を持たず、迷い、悩み、苦しんでいる方々に妙法の灯火を持たせてあげる、教化折伏のご奉公に精進させていただきましょう。」
 これから、藤本御導師のご遷化の意味をかみしめながら、御宝前にお尋ねしながら、御題目をお唱えさせていただきたいと思っています。御宝前の御意、その深い御意を、どこまで感じさせていただけているか、御本意に叶うご奉公ができるかどうか、御宝前に、お伺いします。藤本淳悦御導師の、御意を、その御弟子の一人のように、しっかりと受け継ぎたいのです。

 もちろん、ご病気の方々、いま、御利益をいただいてほしい方々のご祈願も、させていただきながら、お看経に入らせていただきたいと思います。

有り、難い、ですね。

残念ながら、お通夜や葬儀のご奉公で、京都まで駆け付けてくださると言っておられた方々から無念のご連絡。仕方ないです。大切なご奉公です。

とにかく、つながっていますから、大丈夫。横浜でも、九州でも、香港でもシンガポールでもお看経があがり、五次元時空間の窓のような、御本尊でつながります。

ミランダさんやディリーパくんたちが、真夜中から朝までお看経に加わるとのことで、ありがたいです。

私は、お助行している方々の名前を書いて、お看経させていただきます。

京都を囲む山々、特に北側の山は雪化粧をしてくれています。4月を迎えようとしているのに、こんなこと、やはり滅多にないことです。有り、難い、ですね。

班長さんへの手紙 (3月 役中テキスト)

 ありがとうございます。
 3月1日は私の誕生日。京都の南座の裏にある病院で生まれたそうです。開導聖人のご息女・長松品尾さまの祥月ご命日とのことで、母はこの日を選んで生んでくれたのでしょうか。一つ年を重ねて、なお一層自分の使命を感じて、全身全霊でのご奉公に励みたいと思っております。
 本年で先住がご遷化になってちょうど10年です。先住をはじめ、妙深寺の先師上人を思い返し、門祖会での大テーマでもあった「妙深寺信徒の誇り、喜び」を痛感します。過去二代のご住職方は、まさに命懸けで、この「生きたお寺」を護持し、発展させてくださいました。共にご奉公をされてきた御講師方、ご信者さま方も同様です。
 門祖会で放映したビデオに思わず涙があふれました。妙深寺の歴史、日博上人のご奉公、先住のお元気な姿、常に妙深寺にある笑顔。あたたかさ、やさしさ、真心。このビデオ、是非お配りしたいと思います。
 「このお寺でよかった」と、一人でも多くの人に感じていただけるように、今の住職も御講師もご信者方も、菩薩の誓いの実践をさせていただかなければなりません。重いバトンです。この重たいバトンを落とさず、しっかりと次の世代にも受け継いでゆきたい。
 二月の教区御講の御法門を決して忘れないようにしてください。
御教歌、
「いまゝでの やうなことではこのころの やうな御利益なんのあろかい」
 ご信心とは、御宝前に真っ直ぐ向き合うことから始まります。決して自分で作った「ローカルルール」に流されてはいけない。素直正直が何より大切だと教えていただいているのに、実際には自分なりの考え方で受けたり、受け流したりしています。
 「今までのやり方ではダメ」という御教歌です。「今までどおりだったら、最近顕れているすごい御利益はなかったはずだ」と改良の大切さを教えていただきました。
 お看経が上手にできない方も多いです。「今まで通り、自分の唱え方はこれ」ではなく、正しい唱え方への改良に挑戦しましょう。声の出し方、息継ぎ、目線、姿勢など、改良点はたくさんあります。長時間お看経していても疲れず、気持ちのいいお看経ができるようになるまで、改良しましょう。
 何度もご披露していますが、本堂の前の方に座る方が少ないのはなぜでしょう?「座る場所」が決まっているのですか?
 とにかく、前の方に座ること。「自分の座る場所はここ」という、これも勝手な決め事が「ローカルルール」です。そこを改良しましょう。
 私は、病床の日博上人が、妙深寺の次期住職となる20代前半の先住日爽上人に宛てたお手紙を、生涯座右に置いてご奉公させていただきたいと思っています。素晴らしい教えです。再度、ご紹介いたします。
 「人のためになり、皆が喜んで受け入れてくれる、自分の務めも成就するという事は、そんな簡単なものではない。しかし、それを成し行けば「いざ」という時の発言力、説得力、指導力となって功徳が積め、ご奉公が出来るようにするには、情理を尽くし、事にあたって熟慮し、読みを深くしてやらなければ一歩も進歩は出来ない者である。まだ、若いからいいが。どうか、努力してくれ。
 正しいことをして、誤解をされ、悪口を言われ、不運に陥って、それで当たり前であるとの心構えを養ってもらいたい。
 そして、千に一つ、万に一つでも、これこそ佛立信仰の『これ道である』との堅い信念に到達したことであったならば、断断固として実行するようになって貰いたい。勉強してください」
 勉強します。如説修行の覚悟、佛立魂とは、ここです。ここに、到達したい。ご信心、人生の目標です。






2010年3月29日月曜日

本当に、広く、伝える、ということ、

 これだけ一生懸命スリランカの方々の来日のためにご奉公していただいて、本当に、横浜でも、名古屋でも、京都でも、神戸でも、感謝、感謝です。
 こうしたご奉公が、最大限ご弘通に結びつくように、日本のご信者の皆さまにも喜んでいただけるように、そして、実際にご弘通の糧になるようにするにはどうしたらいいか。そうした願いを叶えるのが、本当の「広報」というものです。
 妙深寺の弘通部門・広報部の参与である清従師が、一生懸命各新聞社などと連絡を取ってくださり、スリランカの32名のご信者さんが本山宥清寺にお参詣する31日の朝、京都新聞社や中外日報社さまが、わざわざ取材に来てくださることになりました。本当に、ありがたいです。
 佛立新聞の橋口編集長も来てくださいますし、少しでも彼らの来日がプラスの要素をもたらすようになればと思います。この、ギリギリのスケジュールの中、本当に、よくぞ調整をしてくれました。ありがたい。「出版」「印刷」ではなく、本当の「広報」とは、こういうことだなぁと思います。
 とにかく、まだテレビ局にもお知らせしているようです。すごいことです。頑張って、取材に来ていただきたいなぁ。
 彼らはNAITAからの難民支援の御礼状も持って日本に来ています。本門佛立宗(HBS)が、甚大な被害を出したスマトラ沖地震・津波の災害においても、おぞましい内戦の惨禍の直後でも、常にスリランカの人々を支援してきたという真実と、その結果、結びつきです。ありがたいですね。
 これは、是非ニュースとして広く一般メディアにも取り上げていただきたいです。仏教を掲げつつ単なる観光寺院になっている京都のお寺や、数多ある新宗教とも違う、今も生きてお祖師さま(日蓮聖人)の教えを受け継ぐ本門佛立宗を取り上げて、世の中の多くの人々に知らせていただきたいものです。難民キャンプからの、声を、届けたいです。
 ありがとうございます。

生まれてはじめての雪

雪だし、寒いし、スリランカの32名は大変だ、と思っていたのですが、御殿場で雪に遭遇したそうで、生まれてはじめての雪に、みんな大感激しているとのこと。

ありがたいです(涙)。よかった。

今夜は建國寺さまがご用意してくださったホテルに泊まらせていただく予定です。本当に、急なことなのに、石川御導師がご快諾してくださり、涙か出ました。「こんなことしかできないけど、任せてください」というお言葉を聞いた時には。

明日の朝は、名古屋の建國寺さまに朝参詣させていただきます。スリランカのミランダさんやディリーパくんは、清優師や建信師と再会です。

とにかく、付き添いのご奉公の清顕師も大変だと思うけど、頑張って。

京都で待ちます。あ、いま、スリランカから電話。ダヌシカ、「母親が行ってるから、どうかよろしくお願いします」って。任せてください。精一杯、ご奉公させていただくから。

突然の弾丸ツアーだから、まいってるけど、とにかく精一杯やります。

ありがとうございます。

雪やわ

あかん、雪や!

お知らせ パート4 「24時間のお看経 準備について」

 今日は、佛立研究所と佛立教育専門学校の共催として、第19回 研究発表大会が開催されています。京都、ムチャクチャに寒いです。
 開催を前にして本山宥清寺の本堂で一座のお看経をさせていただきました。もう、寒くて寒くて、びっくりしました。やはり、御法さまは厳しいですね。こうでなければなりません。そんな、生やさしいことでは信心の改良なんて出来ません。
 1月よりも寒いのではないかという京都です。
 30日、教員研修会が終わってから、そのまま24時間のお看経をはじめさせていただこうと思っています。何度も問い合わせをいただきますが、たぶん15時くらいだと思います。
 このお看経は「主催」も何もありません。翌日朝の朝参詣にはスリランカ信徒32名がお参詣する予定ですし、思い出に残るご奉公があります。しかし、このお看経は自発的なものですから、それぞれ個々に準備をしてきていただきたいと思います。私の母も、横浜から来てくれるそうで、「24時間は無理だけど、とにかく、本山で一緒にお看経させてもらいます」と言ってくれていました(涙)。ありがとうございます。
 服装についてですが、私は白衣に改良服、略五条でお看経させていただこうと思っています。略五条は、前回の24時間のお看経の時に、特に御染筆いただいた藤本御導師の院号「為・如説院日修上人」とお認めいただいたものであります。
 さらに、防寒対策としてフリース生地の膝掛け、ダウンジャケットなどを前回同様に用意しようと思っています。座椅子なども、2種類持って行くつもりです。これも、前回と同様です。
 拍子木は、夜中は控えなければならないかもしれませんが、私は父・先住がご自身で名前を刻まれている拍子木を、前回と同様に持ってきました。ちなみに、「拍子木の正しい叩き方」は4時間くらいが限界だということに前回気づきました。最終的には「ドラえもん叩き」しか出来なくなります。両手をグーで握ってしか、拍子木も持てなくなり、叩けなくなります。
 それと、2リットルのペットボトルを2本くらいご自分でお持ちになるといいと思います。いちいち本堂のお供水場まで立って行くより持参したペットボトルでいただきます。
 食事についてですが、3食分持ってきていただくのが一番いいと思います。当たり前のことですが、誰も用意していません。私は、前回おにぎり、サンドイッチ、ウィダーインゼリー(現薫師が差し入れてくれました)、お弁当(博子さんが差し入れてくれました)を持っており、そちらをいただきながらお看経させていただきました。藤本御導師はゼリーを飲みながら、ずっとお看経されていたということです。とても見習うことは出来ませんが、参考にしてください。
 明日から明後日は、本当に寒いです。防寒対策だけ、しっかりとされてください。格好は、どうでもいいと思います。京都の天気予報ですが、30日は最低気温が0度、31日は3度、となっています。寒いですね。
 とにかく、お看経しかありません。いろいろなことがあります。でも、お看経しかありません。その他は、全て自分の勝手な解釈、ローカルルールではないか、と思うこともあります。とにかく、お看経をさせていただくしかない。
 御教歌「唱ふるが信心なればとなへずに ありがたがるは信心でなし」
 一人でも多くの方と一緒に、お看経させていただれけば有難いです。ありがとうございます。

姜師、チカちゃん、結婚パーティー

 昨日、妙深寺の境内地に於いて、姜御導師と睦子(ちかこ)さんの結婚パーティーが開催されました。この記事を書かないと、次に行けないので、次から次でパンク状態ですが、少し写真を載せておきたいと思います。
 とにかく、心配された雨も降ることなく、境内地で開催することができました。寒さは厳しかったのですが、参加者もご奉公者も、お二人を心からお祝いしようという気持ちで、みんなで11時から14時近くまで、大いに盛り上がりました。
 特に、前日13時間も練習していたY先生のプログラムは、会場をゆるがすほどの大爆笑を誘いました。今後、妙深寺の定番キャラクターとして数々の行事に登場することは間違いなし。ありがたいです。お二人が心から笑ってくださっていました。Y先生は海外部長ですから、ちょっと変わった海外弘通の支援活動だと思います(笑)。ありがたい。
 今回のパーティーは、本当に、「ここまで出来るの?」というくらい、清和会はご供養作り、弘通部の各部門や青年会も力を合わせてご奉公を作り上げてくださいました。前日の300人分のご供養作り、連日のシナリオ作り、リハーサル、ダンスの練習など、本当にありがとうございました。
 もう、スリランカのご信者が成田に到着しました。すいません、すぐ次です。私は京都で中央教員研修会です。明日は15時から24時間のお看経。続きます。よろしくお願いいたします。
 ありがとうございます。

スリランカ到着

あと2時間で、成田空港にスリランカから32名が到着します。

大型バスに乗って清顕師が迎えに行きます。一行は、そのまま、名古屋に向かいます。全国的に寒いから、かわいそう。

よろしくお願いします。

2010年3月28日日曜日

マサの結婚式

 昨日の土曜日は、後輩のマサと遙さんの結婚式。週末はどれも外せないご奉公ばかりですが、何とか調整をお願いして、マサの披露宴に出させてもらいました。彼らしい、あたたかく、楽しい結婚式となり、本当に出席できてよかったです。
 何としても出席しなければならないと思ったのは、一ヶ月前のマサから連絡が「ナガマツさん、主賓でお願いしますよ!!あいさつも、よろしくお願いします!」っという、何とも強引なリクエストがあったのです(汗)。おいおい、ちょっと待て、俺が主賓で挨拶っておかしいよ、と言ったのですが、バンクーバー五輪があったり、彼の仕事も忙しく、私も同じく忙しく、ついにその電話一本を交わしただけで、当日を迎えました。本当に、困ったものです(汗)。
 いま、彼は「OAKLEY(オークリー)」という世界的なアイウェア(サングラスやゴーグル)やスポーツツールを供給するブランドで仕事をしています。日本を代表し、世界の舞台で活躍するスポーツ選手たち、アスリートからアーティストまでをサポートし、世界を股にかけて活躍しているのが彼です。
 その彼が、運命の素晴らしい女性と出会い、結婚を決意。お会いしてみて、本当に彼女は魅力的で、明るくて、美しい女性だと確信し、そして安心しました。マサ、本当によかったなぁ。
 それにしても、今や世界で活躍するマサの結婚式の主賓が、お寺のお坊さんってどうなのよ?本当に、打ち合わせもせず当日になってしまって。電車に乗ってから後悔しました。
 披露宴会場で受付をすると、やっぱり、そうなってる。周りにはオークリーの偉い方々、お世話になっている方々、彼女の関係のレッドブルの偉い方々、前職である放送局関係のプロデューサーやディレクターがずらっとおられて、その会場のひな壇の一番前の席に、「本門佛立宗 妙深寺 住職 長松~」と書いてある。参りました。宗門関係で前の方に座らされるのより、こういうのは参ります。
 媒酌人のいない中の披露宴。冒頭にマサからの御礼の挨拶があり、その次が私の番(汗)。なんでやねん(笑)。ま、こうなったら仕方ない。参列している方々は、今の日本の、イケテル、ファッショナブルな、格好いい男女が集まっておられるわけですが、もう、仕方ないです。マサが決めたことです。受けて立つしかない。腹を決めて、ご挨拶をさせていただきました。
 「すいません、何で坊主が最初に出てくるんだろうって思いますよね。別にマサくんが新興宗教に入ってるとか、そんなんじゃないから(笑)」と前置き。地方ならいざ知らず、東京の結婚式でお坊さんは主賓というのは、本当に珍しいのです(汗)。とにかく、新郎との関係や彼の人となりについてお話ししました。
 マサと出会ったのは、今から13年前、彼が19才の時でした。当時、私は社会に出て、無我夢中で仕事をしていました。その頃、タレントのヒロミさんと共にミシシッピ川の源流からメキシコ湾まで6000キロを縦断するという無謀な計画を立てました。駒沢のカフェで話していた夢のような挑戦でしたが、正月の特別番組として放送されることが決まり、ロケは敢行される運びとなりました。しかし、簡単に長期の海外ロケに行けるメンバーはいません。
 まず、私は本人の意志とは全く関係なく、当時大学生だった清水清康師(得度前は「ヤス」)をミシシッピへ連れて行くことを決めました(笑)。そして、そのヤスに「パスポートを持っていて、1ヶ月アメリカに行ける、根性のある奴を探してこい!」と言いました。本当に、すいません、暴君みたいですね(汗)。いつも、ヤス、可哀想でした。
 そして、ヤスが高校時代のサッカー部の仲間の一人、当時「夜の接客業(笑)」を生業としていたマサを連れてきたのです。元気の良さそうな現代っ子だけど、サッカーしていたから根性はあるだろう、目が綺麗、という印象で、「よし、こいつでいこう!というか、他がいない、お前、行けるか、行け、行こう!」ということで、ヤスとマサは約1ヶ月、地獄のようなミシシッピ・ロケを経験したのでした。
 朝から晩までミシシッピ川の源流、ミネソタ州のベミディジ湖から川を下り続ける。途方もない計画で、ヒロミさんもスタッフもギリギリの状態での挑戦。ヤスとマサは陸上をサポートしながら移動してゆくのですが、休む時間はなし。真夜中にモーテルに入り、スタッフのウェットスーツを洗い、それを干し、乾かす、しかし、乾く暇もなく朝が来て、出発。毎日寝る時間は1時間か2時間か。そんな恐ろしい生活でした。
 しかし、高校を出たばかりのマサは、面白い、人間が良い、根性もある、しかし、チャラチャラしていて、大事な時にハズす(汗)。ロケ中、何度か大きなトラブルもあり、スタッフが凍り付くような出来事もありました。その模様が少し番組でも紹介されたくらい(汗)。マサの苦難の人生の幕開けです。本人が、一番ワケが分からなかったと思います。アメリカにロケに連れてこられて、想像とは全く違う、恐ろしく過酷な毎日で、しかも、今までの人生で経験したことのない厳しさ、毎日叱られ、怒鳴られ…。何が何だか分からなかったのではないでしょうか。
 最後の最後、ゴールした後のニューオリンズの食事会、日本から伊代さんも駆けつけて、温かく和やかな雰囲気となりました。夢が実現して、疲れも吹っ飛びました。しかし、その打ち上げでも、マサがちょっとテンションが上がりすぎて、またトラブルへ(涙)。ニューオリンズの街角で、私はマサを数発殴り…と、そんな出来事がありました。
 日本に帰国してから、マサは私の会社で働くようになりました。そこから、また伝説的な下積みの日々、修行の日々が始まりました。グァムからサイパンをジェットスキーで渡るという番組が決定し、そのロケハンに行く岩城滉一さんと前田さんに、マサだけを付けることになったり。若いから当たり前ですが、様々なトラブルが発生。叱咤激励の日々。彼の20代がスタートしました。
 ある時の岩城さんの大阪でのお仕事があり、不安ながらもマサを一人で付けることに。不安的中。岩城さんはグリーン車、マサは自由席。マサは新大阪で降りるのを乗り過ごしてしまい、大パニックに(笑)。まぁ、そんな恐ろしいことを繰り返して、何とか生き延びて(笑)、成長して、年月を重ねてゆきました。
 特に、私の社会人時代最後の仕事では、大活躍してくれました。180名以上のウィンタースポーツのトップアスリートを全世界から招聘して、苗場スキー場で行われた大会でした。スノーボードのハーフパイプ、冬季オリンピック2大会連続で金メダルを獲っているショーン・ホワイトは、この大会でデビュー。ホテルの中をウロウロしていたかわいい少年でした。とにかく、この大会でも、ヤスとマサは、いい加減な私を支えて、頑張ってくれていました。
 彼は情熱的で、何事にも常に一生懸命。ドジなところもありますが、とにかく、やさしい。とにかく、人に対して思いやりを持っていて、誰からも愛されます。実は、スポーツのプロ選手たちを扱うドキュメンタリー番組の制作やマネジメントをする世界では、これはとても大切なことです。しかも、ずっと地道に仕事をしてきて、失敗をして怒られて、それでも耐えて頑張ってきました。ムチャな上司や先輩たちの下で(汗)。それが、強い。
 しばらしくて私の会社からスポーツ専門チャンネル「スポーツアイ・ESPN(当時)」で仕事をしてもらうことになり、実際に番組やイベントの責任者として活躍するようになり、私がいなくなった後はプロデューサーとしても活躍し、そして現在のOAKLEYに転職。
 とにかく、19才のあの時から、こういう人生になっていったという、そのきっかけに、今は住職となっている長松がいたということで、結婚式の挨拶を頼まれたというわけでした。参列した方々には不可解だったかもしれません。でも、私自身、久しぶりにマサの現在の仕事ぶり、あの頃からの成長ぶりを知って、本当に、嬉しかったです。本当に、もったいないことでした。ありがとう、おめでと、マサ。自分で言い切ったように、はるかさんを世界一幸せにして。
 OAKLEYは、世界有数のアイウェアブランド。マサは先日のバンクーバー・オリンピックでも、日本の選手たちをサポートしていたそうです。スポンサーとして現地に入り、特に、スノーボード日本代表の國母和宏選手や工藤洸平選手の周りで、今回の騒動もあって、彼らの精神的なサポートをしていたそうです。偉い、マサ。
 今回の心温まる披露宴には、特別にビデオ・メッセージが寄せられていました。本当に、すごいアスリートやアーティストがお祝いの声を寄せてくれていました。冒頭に、ボストン・レッドソックスの松坂投手がマサの結婚を祝福し、歌手のAIさんが「Story」という曲をマサとはるかさんのために歌詞を変えて歌ってくれて(涙)、締めは宮里藍さんからのメッセージ。ありがたいですね。
 とにかく、マサの結婚式、こちらが感動しました。よくぞ、ここまで。みんなから愛されて、うれしいな、ありがたいな、マサ。
 不思議だな、人生は。こんな風になること、19才のマサを思い返したら、想像もつかない。でも、確かにミシシッピからはじまったんだな。
 幸せになってください、はるかちゃんを、幸せにしてください。新婚の二人の住まいに御本尊がご奉安されることなり、それが何より嬉しい。お前のような後輩、たくさんの友だちが、やっぱり、宝物、自分の存在価値、生きてきた証明。ありがたいよ。
 ありがとう。おめでとう、マサ。

ありがたい

ありがたいです。たくさんの方々にお祝いしていただいて。

始まります

始まります。結婚パーティーです。

2010年3月26日金曜日

さすが、西口歯科医院!

さすが、西口先生!あの、暴れん坊の次男が、静かに治療を受けてます。はじめてなのに!

さっきのラムネ、西口先生に叱られました。お金を出して毒を買ってるようなものですよ、と。親御さんは、子どもが食べたら嬉しいからお菓子でもなんでも食べさせるけど、それがいけないんだよ、と。

パンも、お菓子だと思って、と教えていただきました。そうだなぁ、この子は長男と違ってお菓子の間食ばかりしてる。気をつけて歯磨きもしてないかなぁ。

こんなに小さくて虫歯にするのは、親の責任ですね(汗)。

子どもの虫歯予防は、一に食べ物、二に歯みがき、ですね。

ありがとうございます(涙)。

はじめての歯医者さん

次男坊のお守りをしながら自分の用事を済ませました。途中暴走気味になったので、トーマスの小さなラムネを買いました。気に入って、静かになってよかった。

これから、また次男坊をはじめての歯医者さんに連れて行きます。区役所の健康診断で虫歯が一つあると言われたそうで、なぜか私が連れてゆくことに。

もちろん、西口先生に診ていただきます。

次男、爆睡

どうしてもついてくると言うから次男坊を連れてきたのですが、案の定爆睡しました。

これで、だっこして移動しなければならないのですね。ありがたいです。

免許証

午前中、岩澤家のご回向が無事に終わり、午後から運転免許証のことで二俣川まで来ました。

とはいえ、駐車場がいっぱいで入れません。

準備は続くよ、どこまでも

 姜ご住職とチカ子ちゃんの結婚パーティーの準備。インターネットのメールは本当に便利です。ご奉公をしてくださっている方々のやりとりが拝見できて、ありがたい。
 これは終わった、これはどうなってる、これはいつまで、これはこうしたいけどどうだろう、等々。若い人たちのやりとりに負けず、黒崎さんや藤村さんからのコメントが入ると嬉しくて思わず微笑みます。みんなでお祝いする気持ちがうれしい。
 あれよあれよという間に大がかりな仕掛けになっていて、いつまで準備し続けるつもりなのか、わからないくらい。今日も御回向などがあり、明日の土曜日も結婚式。時間ありません(汗)。
 昨日は、いろいろと考えました。30日からの本山でのお看経に、鈴江師や竹村師がご信者さんと共に参加してくださるという連絡をいただき、うれしくて涙が。お看経しかありません。

2010年3月25日木曜日

ピンク色

朝、門祖総講が終わりました。昨夜、御法門の資料を調べるのに、また3時までかかってしまいました。

拝見すればするほど、深く、もっと深く拝見させていただきたいと思います。時間がいくらあっても足りません(汗)。

境内地が、ピンク色になってきました。桜の開花が本格的になってきましたから、境内がピンク色に染まってゆくのです。

今日はこれから横須賀に向かいます。横須賀の信常寺で、ご奉公させていただきます。

2010年3月24日水曜日

モンスターたち

しゃべり続ける二人。暴れまくる二人。

元気でありがたいけど。プロレスやカンフーの練習相手にされて、痛い。油断できない。突然パンチやキックが飛んでくる。

ありがたい(涙)。

寒いですね

寒いですね。

横浜も一気に寒さが戻りました。桜が咲くのが早すぎたら困るから、いいかな。

冷たい春雨です。

2010年3月23日火曜日

「お知らせ」ばかりで

「お知らせ」ばかりで申し訳ないです。

ただ、スケジュールをみていただいて、どこかで合流できないか、考えてみていただきたいと思います。

28日の結婚パーティーか、24時間のお看経、30日か31日か、31日の本山の朝参詣か、4月3日の横浜での月始総講か、その後の交流会か、夜の観桜会か、チャンスがたくさんあります。

31日の本山の朝参詣も、すごい雰囲気、光景になることは間違いないので、ワクワクします。24時間のお看経が16時間目を過ぎた頃の私たちと、32名のスリランカ人がいるのですから。

少しお時間をいただいて、スリランカの方々から本山のご信者さんにご利益や体験談を通訳、ご披露できればと思っています。

またとない機会です。よろしくお願いします。

ありがとうございます。

2010年3月22日月曜日

お知らせ パート3 「24時間のお看経 恐るべき日でした」

 スリランカの方々の団参が急遽決まってしまったわけですが、すでに決めていた本山の御宝前での24時間のお看経はさせていただこうと思っています。

 スリランカからの団参者も、ちょうど30日に名古屋から京都に入ってくる予定で、31日の朝、本山にお参詣くださいますから、彼らも合流してくれるそうです。でも、せっかくの京都ですから観光もしてもらおうと思っていますが、今回だけは、僕はそこにはご奉公できない。前から決めていたとおり、お看経させていただきます。

 平成22年3月30日の15時前後から3月31日の15時前後まで、24時間、お看経をさせていただきたいと思います。
 
 以前このブログではご披露させていただきましたが、1月末に24時間のお看経をさせていただいた後、「なぜ教えてくれなかったのか」という声をいただきましたので、もう一度させていただくことにしました。ちょうど、藤本御導師のご命日(49日忌が終わってから初めてのご命日です。2月が28日まででしたので)に当たります。選んだわけではなく、京都でのご奉公があり、日程を調整していて、この日しか取れなかった、と以前も書かせていただきました。

 そして、このスリランカの団参。もう、やっぱりスケジュールはないな、と。この日程だけは移動できません。そのままさせていただこうと思います。

 実は、理由はそれだけではありません。秋田の美奈子ちゃんからメールをいただきました。この日、偶然、いや、スケジュールの調整がつかずに選んだ、この日が、すごい日だったと教えてくれたのでした(汗)。

 ちょっと、僕にとっても、あまりにも衝撃的な事実だったので、そのメールを紹介します。藤本御導師のことについても、触れてくれていて、本当に、ありがたかったです。

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 ありがとうございます。

 小野美奈子です。(秋田に行った汗)

 ブログ、本堂のウェブカメラ、毎日、日々の信心の命綱的になっています。

 いつもありがとうございます。

 先日気付いたんですが、私が通っている応護寺の大曲別院に、藤本御導師の若い頃のお写真が飾られています。ご奉公にいらしたことがあったみたいです。さわやかな、温かい笑顔のお写真です。

 それと、ご住職のブログの恭子さんの撮られたブラジルの納骨堂のお写真、私も涙が出ました。

 実は、大変おこがましい話しなんですが、ご住職が先日、本山で24時間口唱をされた、あの場所、お賽銭箱の脇のあの場所。私もあそこで11月23日に一人でお看経させていただきました。

 あの時、40分間、涙が止まりませんでした。

 本当に、本山の御宝前に救われました。

 本山の御本尊は本物なんですね。もちろん、どのお寺の御本尊も本物だと思っていますが、何て言ったらいいか分かりませんが、次元が違っていますね。

 宇宙の銀河系が収まっているような・・・

 とにかく、ひろ子さんと、山崎さん(御殿場に転勤した、現戸塚教区の)に強く勧められ、

「本山の御宝前は正面に一人で座って、まっすぐお看経すれば、必ず、まっすぐに返って来るから!!」

 そう言われて、本当にその通りだったのに驚きました。

 さてさて、ご住職がお忙しいというのに、本題に入りますね。

 暦のことを調べていたんですが、お釈迦様の御入滅された2月15日と、日蓮聖人の御誕生日である2月16日は・・・

 日本の旧暦で調べると、今年は『3月30日と31日』にあたります。

 即ちもし、日本がまだ太陽暦だったなら・・・・・

 ご住職が今度、24時間口唱に選ばれたその日こそが!!

 『お釈迦様入滅の日と日蓮聖人のお誕生日』なんですよ~!!!

 すごーいい!!

 偶然??

 いえ、必然ですね。

 すごーいい!!!

 私もその日、本山行きたーい!!!

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 こんなことがあるなんて!!本当に、本当に、驚きました。

 有難い、やはり、意味がある、頑張ろう(汗)。何とか、また、御宝前におすがりしたいと思います。24時間、途中で倒れないように、とにかく、お看経、御題目口唱に、何とか、頑張ります。

 ありがとうございます。

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