ラベル 本門佛立宗 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 本門佛立宗 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年7月17日金曜日

『開導聖人伝 〜開導聖人のご遺言〜』から20年

『開導聖人伝 〜開導聖人のご遺言〜』 2006年。パシフィコ横浜国立大ホールで開催された佛立開講150年記念大会「グランデ・ファミリア」に於いて上演された演劇『開導聖人伝 〜開導聖人のご遺言〜』。 主演:相模原妙現寺 鈴江昭薫ご住職。第二世講有日聞上人(現喜):兼子清顕師。第三世講有日随上人(弁了):岩澤清従師 俳優として早稲田大学の演劇部の方々や本門佛立宗神奈川布教区の有志メンバーが出演しました。 脚本:高木貴子 原作・監修:野崎淳慧師。 物語は『ご遷化略記』など史実に基づいております。 "The Biography of Kaido Shonin: The Last Testament of the Buddhist Reformer" In 2006, we held "Grande Familia," a commemorative convention marking the 150th anniversary of the founding of Honmon Butsuryu Shu (HBS), at the National Convention Hall of Yokohama. This video presents the performance staged during that event, titled "The Biography of Kaido Shonin: The Last Testament of the Buddhist Reformer." Starring: Kaido Nissen Shonin, Seifu Nagamatsu : Rev. Shokun Suzue (Chief Priest of Myogen-ji Temple, Sagamihara) 2nd Koyu Nichimon Shonin / Genki : Rev. Seiken Kaneko 3rd Koyu Nichizui Shonin / Benryo : Rev. Seijyu Iwasawa The cast included members of the Waseda University theater club and members of the Honmon Butsuryu Shu Kanagawa District. Script : Takako Takagi Original Story and Supervision : Rev. June Nozaki The story is based on historical records, such as the "Gosenge Ryakki (A Brief Record of the Passing days)".

 

2025年6月1日日曜日

【教区御講 御法門】「引き寄せの法則」ではなく「押し出しの法則」


御教歌「人にさせせぬをとくかとおもひしに おのが果報をへらす損あり」
開化要談(九)・扇全13巻226頁
陰徳の事・扇全17巻274頁

先住の口癖
「我身をくだりて人を立て、徳は人にゆづりて苦労は我に引うくるやうにするを、本因妙と申し候。」
法華経本門のご信心、本門佛立宗の教えの根幹、妙深寺のご信心の指針です。

人にさせない。人にもらわない。
自分がする。自分が与える。

「引く信心」から「押す信心」へ変えなければならない。
あなたはどちらでしょうか?
幸せは「引き寄せる」のではなく「押し出す」ことで得られる。
幸せは、押し出して、その反動で戻ってくるもの。
本門佛立宗のご信心は「引き寄せの法則」ではなく「押し出しの法則」なんです。

先ほどの御指南を丁寧に見ていきますと、
「我身をくだりて人を立て、徳は人にゆづりて苦労は我に引うくるやうにするを、本因妙と申し候。
此修行の心得は、ヨコヅチを中につりたるやうなるものにて、向ふへおせば、こなたへ来る。御さとりなさるべく候。」(現世安穏祈願成就抄・佛立聖典四四九)

幸せは重たい振り子のようなもの。引っ張っていようとすれば大変な力がいるし、少しでも力を抜けばあっという間にあっちへ行ってしまう。

プラスとマイナス。マイナスとプラス。
どちらを先に選ぶか。そのように問いかけておられます。
因果の道理は、「先に与える」「先に苦労する」「先に払う」「先に押し出す」からプラスになるということ。
「先にもらう」「先に楽する」「ボーッと待っている」では絶対に幸せにならない。

今日は、別にお参詣しないわけでも、ご奉公しないわけでもない。そういう私たちに、「そのご信心は、しっかり罪障消滅できるご信心、菩薩行のご信心になっていますか?」ということを問う御法門です。

ご信心はあっという間に落ちてゆく。同じように本門佛立宗のご信心をしていても、あっという間に間違った、功徳の薄い、他の信仰と変わらない、自分さえ良ければいいという考え方、まったく開導聖人の御指南と違うやり方、いじわるさ、ずるさになる。
そこをシビアに見つめ直さないと、ドドーっとご信心は落ちて、いつの間にか形だけのご信心、間違ったご信心になってしまうと注意されてる。

「人にさせせぬをとくかとおもひしに おのが果報をへらす損あり」

人にさせて、自分はしない。
それで得をしたと思う。それで儲けたと思う。やったー、助かった、ラッキー!
しかし、自分の果報を減らす、自分の功徳を減らす、時間を潰す、台無しにする。
そんなことばかりではないか。
これは、方程式が間違ってしまうので、そうなっても気づかない。
いつしか、そうやって過ごしていても、何も不思議じゃない、当たり前になる。

なるべくお寺には行かないで、なるべく交通費は使わないで、なるべくゆっくり寝て、なるべくご奉公に時間と手間をかけないで、楽をして、楽な道を選んでしまう。
「今日もオンラインにしておこうかな」
「今年はあの人に任せておいて、自分はいいわ」

何度かさせていただいていますが、星野鈴江さんのご信心のお話、ご奉公のお話。
どうしても、頭から離れないエピソード。

同じ時間を使う、同じように体を使う、もらう、もらわない。
どちらを選ぶか。

本門佛立宗のお寺でなければ、こうした教えがなければ、「お金をもらって当たり前」「送り迎えがあって当たり前」になります。
いつの間にか、お寺にいる人、大きな法要の準備ご奉公でも、全部が業者さんがやる、職員さんがやる、そこに檀家さんはいない、そこにご信者さんはいない、という話。
いつの間にか、そうなってしまうんです。
お寺の中が、職員さんだけになってしまって、「ご信者さん」は全員お客さんになる。お客さん気分です。お客さまは神様です。仏様よりも偉い。
これでは全く修行になりません。仏教ではありません。因果の道理から外れてる。

「人にさせせぬをとくかとおもひしに おのが果報をへらす損あり」

「我身をくだりて人を立て、徳は人にゆづりて苦労は我に引うくるやうにするを、本因妙と申し候。」

本当の幸せは、菩薩心から生まれる、菩薩行でいただける。
「幸せよ、こっちに来い、こっちに来い」と思って、「よいしょ、よいしょ」と引いても、腕はプルプル、力が必要で疲れるばかり。
やっとのことで引き寄せても、少しでも気を抜いたら、あっという間に反対側に逃げてしまう。なかなか幸せは来てくれない。

ご信心していても、ご祈願は全部自分のため、自分の家族のため。それ以外は、できません、しません、面倒です、忙しいんです、年なんです、と。まったく、人のために動いていない。振り子を押してない。こっちにばかり引きよせようとしてる。それじゃダメ。

どんな時に人のために動けたか、それが大事なんです。菩薩を育てる。これはお寺の人材が足りないからというだけじゃないです。正しい佛立信心はそこにある。そこが本当の佛立信心。

どうか、今日お参詣の皆さん、この御教歌の御意をいただいて、徹底的に、本門佛立宗の本物のご信心を身につけましょう。
「引く信心」から「押す信心」へ。もらう信心ではなく、押し出す信心、動き出す信心。
後戻りせず、いい負を取り、身を削り、心を尽くし、ご奉公する。
人にもらわない。
自分が与える。
今日も功徳を積んでゆく。
凡夫転倒を乗り越えて、積功累徳、本物のご信心をさせていただくことが大切と教えていただく御教歌です。

故に、御教歌に。「人にさせせぬをとくかとおもひしに おのが果報をへらす損あり」

2025年5月23日金曜日

【生きるために死を考える】命を輝かせるために意識すべきこと【5月佛立倶楽部】

長松清潤の仏教チャンネル。オープンから1ヶ月が過ぎました。

ラジオと同じく、仏教ルネサンスに向けてご奉公を進めています。

ショート動画、佛立倶楽部御講の法話、これからは視聴者の方々のご質問にお答えしてゆくQ&Aもアップしてゆく予定ですー。

ひとまず、5月の佛立倶楽部御講では「生きるために死を考える」がテーマで、切り抜き動画を見ていると「少し暗かったかなー」と反省するのですが、それでも「この命、この人生を最大化する」ためには避けて通れない大切なテーマだと思って取り上げさせていただきました。

御法門とは違う、ラジオとも違うので、お時間のある時にご覧いただければ嬉しいです。

下記はメモですので、参考になればと思います。

御教歌
「しなぬ人 一人もなし心得よ 臨終の事 大事也けり」

< 日蓮聖人/ 妙法尼御前御返事 >
「夫以れば日蓮幼少の時より佛法を学び候しが、念願すらく人の寿命は無常也。出る気は入る気を待事なし、風の前の露尚譬にあらず。かしこき(賢)もはかなき(愚)も、老たるも若きも定め無き習也。されば先臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師、人師の書釈あらあらかんがへあつめ(勘集)て此を明鏡として、一切の諸人の死する時と、並に臨終の後とに引向へてみ(見)候へば、すこしもくもりなし。此人は地獄に堕給ふ、乃至人天とはみ(見)へて候を、世間の人人、或は師匠、父母等の臨終の相をかくし(隠)て、西方浄土往生とのみ申候。」

< 仏典 紹介 >
「天にも海にも、山の洞にも、死を逃れられる地はない」『ダンマパタ』128

「愚かな者は『雨季にはここに住み、冬季・夏季にはここに住もう』と言って思いを巡らす。しかるに、死は、そのように思い巡らす者をさらって行く――眠れる村を押し流す洪水のように。」『ダンマパタ』286‑287

「熟した果がいつ落ちるか知れぬように、生まれた者は常に死にさらされる。賢者は世の習いを知り、嘆かない」『スッタニパータ』3.8 Salla‑sutta〈矢の経〉Sn 574‑580

「百年の内に人は死ぬ。たとえ長命でも老いに勝てぬ。死に際して“わがもの”は尽く離れると知り、賢者は執着を離れる」『スッタニパータ』4.6 Jarā‑sutta〈老いの経〉Sn 811‑813

御教歌
「死ぬる時 たのしみのなき人はみな 世にあるをりに 怠たれるなり」

「生きるために死を考える」

行から見る死。
唱えることでコネクトできる。
究極の時間。
「さとり」は、今、ここに、行の中にある。
「南無妙法蓮華経」とは生命であり、永遠への鍵。

御教歌
「一人来て独帰らむ道なるを 妙法五字にともなはるとは」

2025年5月2日金曜日

【5月月始総講】こんな時代だからこそ菩薩行に励もう【長松清潤ご住職】

御教歌「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」

先日、大学生のお子さんを持つお母さまから、大学の校内とか、門の前とかで、宗教の勧誘が活発に行われていて学校側が注意を呼びかけているのだというお話を聞きました。

主に韓国系キリスト教団体だそうです。若い女の子が新入生に近づいていて、サークルの勧誘のように声をかける。韓流ブームもあって、ホロホロっと韓国ドラマの延長線上で話を聞いてしまう。

ついていったら、ほとんどもう終わりです。それまで自分が知らなかったような情報が怒涛のように入ってくる。荒唐無稽なものもあるし、変だと思うのですが、すごい勢いで語られて、聞かされて、話されてくる。

人間は、それぞれが自分の物語を書いているんですね。一生懸命、作ってるんです。その物語、ストーリーが書き換えられてしまう。

気がつけば、「ブレインウォッシュ」という「洗脳」、そして「マインドコントロール」という中に自分自身が取り入れられてしまう。

地方から都会に出て来て、新しい環境にいる孤独な青年たちが、優しい言葉に誘われて今なおそうした恐ろしい宗教に勧誘されているなんて、考えただけでもゾッとします。一歩でも足を踏み入れたら、とんでもないことになります。貴重な人生が台無しです。青春も人生も奪われる。しかし、今日も学校で、街角で、子どもたちが狙われています。

信教の自由と不自由。
「信教の自由」というのは、昔キリスト教の教会権力が圧倒的に強くて、それぞれの人生を縛り付けていた。結婚も、離婚も、教会の許可が必要でした。
王様が離婚したくてカトリック、先日お亡くなりになった教皇の治めるカトリックから独立して作ったのがイギリスの国教会。ヘンリー8世。すごいです。

そんな教会から人間を解放するために生まれた人権、権利を「信教の自由」という。
人間には宗教を選ぶ権利がある。誰でも自分で自分の宗教を選んでいい。
すごく大切だし、いいことのように思えますが、この末法では「大丈夫?」と思う。

特に、最近、カルト宗教が乱立して、陰謀論が渦巻いて、詐欺が横行し、インターネットやスマホが進化する中で、大丈夫でしょうか?
信教の自由によって、人生の不自由になっている人が多くいるのではないか。
むしろ、その宗教によって人生の自由を奪われる不幸な人たちが続出しています。

「だから宗教を信じない」ということとは違います。人間に宗教は不可欠です。特定の宗教はないという人も「無宗教」という宗教に入っているだけ。「スマホ教」という新宗教もあります。自分が教祖になって勝手な解釈を繰り返しているだけで、これも妄想と幻想の中にいるのと同じ、自由と思い込んでいるだけで不自由に見えます。

とにかく、信教の自由だけど、今日も学校で、街角で、子どもたちが狙われています。

御教歌「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」

四月二日、『こころ仏る 空飛ぶお坊さんの仏教の言葉47』を出版することが出来ました。ラジオと同じように、本の力を信じて、お教化や法灯相続にお役立ていただきたいです。何とぞよろしくお願いいたします。 

今回の本では「本門佛立宗」について紹介しています。
本門佛立宗は仏教の再興、法華経や日蓮聖人の教えを復興するために設立されました。本山は日蓮門下京都最古の歴史があり、その宗名は最も由緒がある。
「佛立」とは「仏が立てた教え」という意味で、「人立」とは「後世の人が立てた教え」という意味。つまり、「佛立宗」というのは、同じ仏教でも、添加物のない「本来の仏教」を伝えようとするもの、それを表明、証明しているのが「本門佛立宗」だということ。

「お葬式仏教」でもなく、過剰にスピリチュアルで、ビジネスライクで、政治的な新宗教でもない。普通の仏教、本来のお寺の集団。このように本に明記しました。

『こころ仏る』では「御題目を唱えて現証の御利益をいただく」という佛立信心の核心までは書き切れていません。あくまでも私たちのスタンス、土台、前提が書いてあります。
しかし、だからこそ、本門佛立宗や妙深寺が分かるはずです。どんな土台があるのか。何を前提として「南無妙法蓮華経」とお唱えしているのか。
本門佛立宗が、妙深寺が、絶対に偏ったカルト宗教でないこと、本物の、正当な、仏教の宗団であることを分かっていただけると思うのです。

怖い宗教が暗躍する中で、一人でも多くの方々に、本物の仏教、生きたお寺を知っていただきたいと願っています。知っていただけると思います。

AIの登場によって、逆に人間の「バグ」が顕著になっています。
人間って、これほど愚かなのか、ということを痛感する。
私は、もう人間のボロ負けだと思っています。
これからは、ありとあらゆる情報をAIに聞くようになるのではないでしょうか。
彼らは冷静で、丁寧で、証拠を集めて、そして優しく教えてくれます。
情報を鵜呑みにすることはできない時代、きっと何でもAIに聞く時代が来る。

人間は、情報に翻弄されて、感情に支配されて、思い込みも激しく、あっちを信じたり、こっちを信じたり、恨んだり、嫉妬したり、エコひいきしたりして、政治も、経済も、仕事も、まともにできない、ということになる。
自動運転になったりして仕事がなくなるんじゃなくて、人間に任せていたらズルいことばかりするから、政治家も、行政も、ありとあらゆる仕事はAIにしてもらいましょう、ということになるんです。
その時、人間は何をするんですか?

恐ろしい時代です。
何度でも言います。仏教は、ずっと言ってきました。
「狂った象より間違った情報を恐れよ」
誰もが狂った情報に囲まれ、見せられ、聞かされ、迫られて、生きています。
気がつけば、変な宗教、変な考え方にどっぷりと使って抜け出せなくなる。

「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」

今、もし、私たちが諦めたり、逃げ出したり、やめたりすれば、終わると思います。

もう一つ、付け加えるとすれば、本門佛立宗は本物で、どう考えても、敵なしです。
お葬式仏教、新興宗教、カルト宗教、そういうものと比べても勝負にすらならない。私たちは本物中の本物の仏教をいただいています。しかし、だからこそ、敵は外にいるのではなく、内側にあります。百獣の王、ライオンなんです。草原に敵はいない。だから、獅子身中の虫。敵は内側にいる。自分の中にある。

私たち、本門佛立宗の教務、ご信者が、習い損じて、欲に溺れて、怠け心にも負けて、ご弘通の意欲を失って、小さな枠に止まっていたら、もう資格がありません。

この御教歌のお書き添えには、私たちが御講席で拝見するお祖師さまの御妙判の一部が記されています。

「怠りの魔軍を責て弘むべしまけてはならぬ祖師の御味方。後生は慥かに申に及ばず浄土参拝の人也。貪欲は諸の苦のたね也といふを信じて常につつしめ。」

尊く、深い御指南。「後生は慥かに申に及ばず」「死んだ後のことは言うまでもなく」と言う意味。「今、ここ」ということ。

お祖師さまの御妙判の全文は、「祈祷抄」と言う有名な御妙判の送り状にあります。

「一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申に及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも可成就也。」最蓮房御返事(祈祷経送状)

「祈祷抄」は佐渡島でお教化になった比叡山の学僧、最蓮房に宛てたものです。最蓮房は身体が弱く、病弱でした。その病弱な最蓮房を気遣って、必ず御祈願は叶う、と言うことをお示しになられたのが祈祷抄です。

「大地はさゝばはづる(外)とも、虚空をばつなぐ者はありとも、潮のみちひ(満干)ぬ事はありとも、日は西より出るとも、法華経の行者の祈のかなはぬ事はあるべからず。」

この送り状に、「山にこもって修行するのがいいか、どうか」と言う質問がある。最蓮房は病気でしたから、そのようにしていいでしょうか?と。
お祖師さまは如説修行抄にあるとおり、「山林に閉じこもって修行するのは摂受であり末法の修行ではない」とお諭しになります。しかし、最蓮房は病気なので、山にこもることを一往は認めて、それでもまた病気が治ったらお教化、お折伏のご奉公に頑張るんだよ、とお示しになられています。
お祖師さまのお慈悲がしみじみと伝わって、ありがたいのです(涙)。

「一、御山篭の御志の事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も病者にて御座候上、天下の災、国土の難、強盛に候はん時、我身につみ知候はざらんより外はいかに申候とも、国主信ぜられまじく候へば日蓮尚篭居の志候。まして御分之御事はさこそ候はんずらめ、仮使(他とひ)山谷に篭居候とも御病も平愈して便宜も吉候は者身命を捨て弘通せしめ給ふ可し。
 
一、仰(おお)せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事別紙一巻註し進らせ候。毎日一返闕如無く読誦せらる可く候。日蓮も信じ始候し日より毎日此等の勘文を誦し候て、佛天に祈誓し候によりて種種の大難に遇ふと雖も、法華経の功力釈尊の金言深重なる故に今まで無相違候也。付其法華経の行者は信心に無退転身に無詐親、一切法華経に其身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申に及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。」

開導聖人の御指南に。
「信者は人を助けて法を弘む。」
「宗祖の御本意ここにあり。故に諸大菩薩、諸天善神守らせ給ひて現世安穏也。」

自分のためにも、子どもたちのためにも、世界のためにもみんなで精進致しましょう。 

負けるわけにはいかない。負けてはならない。負けてはダメだ。
そんな強い思いをもって、「お教化させていただきたい」「お教化させていただこう」と励もうではありませんか。
懈怠謗法。ボーッとしていてはダメ、油断してはいけない、怠けていてはいけない。
本当の敵は自分の中にいます。
お祖師さまの弟子、本物のご信者として、「南無妙法蓮華経」の御題目を握りしめて、お教化、お折伏の菩薩行、法灯相続、ご弘通ご奉公に精進することが大事大切とお示しをくださる御教歌です。

故に、御教歌に。「怠りの魔軍を責て弘むべし まけてはならぬ祖師の御味方」

2024年12月4日水曜日

【12月月始総講】喜びのない信心はない【長松清潤ご住職】


御教歌「うれしさを忘れぬ人ぞ世の中の 人にすゝめて法を弘むる」

御教歌「さとれるをさとらずといひさとらざる 信者をさとるといふ宗旨也」

「諸の疑惑なく 心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ」法華経 方便品 第二
「様々な疑惑を持つことなく、心に大歓喜を起こして、自らまさに成仏すると知りなさい」」

植木雅俊先生訳
「だからこそ、世間〔の人々〕の教師であり、保護者であるブッダたちの深い意味が込められた言葉を知って、疑惑を捨て、疑念を取り除くならば、あなたがたは、ブッダとなるであろう 。〔だから〕あなたがたは歓喜を生じなさい。」

「歓喜踊躍(かんぎゆやく)」 妙法蓮華経譬喩品第三

「我等今日 仏の音教を聞いて 歓喜踊躍して 未曾有なることを得たり」

「仏の所説を聞きたてまつりて、皆大いに歓喜す。」法華経 嘱累品 第二十二の結びの御文

妙法蓮華経 五百弟子受記品第八は、その冒頭から「踊躍」という言葉。

「貧人此の珠を見て 其の心大に歓喜し」五百弟子受記品

「御義口伝(おんぎくでん・六老僧 日興上人による日蓮聖人 講義録)」
「此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。」

「御義口伝」 全文
「五百品
・日本国一切衆生
・題目御本尊
・心法色法
・煩悩即菩提生死即涅槃
貪人見此 珠其 心大歓喜
信心ノカタチ
此の文は、始めて我が心、本来の佛なりと知るを即ち大歓喜と名く。所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。」御義口伝・昭和定本2708

同じく「御講聞書(おんこうききがき・六老僧 日向上人による日蓮聖人 講義録)」

「一貧人見此珠其心大歓喜の事。
仰に云く、此の珠とは一乗無価の宝珠なり。貧人とは下根の声聞なり。惣じては一切衆生なり。
所謂、末法に入つて此の珠とは南無妙法蓮華経なり。貧人とは日本国の一切衆生なり。此の題目を信じ奉る者は心大歓喜せり。
されば見宝塔と云ふ見と此の珠とは同じ事なり。所詮此の珠とは我等衆生の一心なり。一念三千なり。此の経に値ひ奉る時、一念三千と開くを珠を見るとは云ふなり。此の珠は広く一切衆生の心法なり。此の珠は法の中にある財用なり。一心に三千具足の財を具足せり。此の珠を方便品にして諸法実相と説き、譬喩品にては大白牛車、三草二木、五百由旬の宝塔、共に皆一珠の妙法蓮華経の宝珠なり。此の経文色心の実相歓喜を説くと見へたり。
見此珠の見は色法なり。其の心大と云ふは心法なり。色心共に歓喜なれば大歓喜と云ふなり。
所詮此の珠と云ふは我等衆生の心法なり。仍て一念三千の宝珠なり。所謂、南無妙法蓮華経なり。」'御講聞書・昭和定本2574

同じく法華経に示された十四誹謗の一つに「顰蹙(ひんじゅく)」ある。意味は「しかめっ面
」=「正法正師を見て顔をしかめて非難する」。

「感動」の反対。「顰蹙」あるいは「無関心」を装うこと。
これらは「謗法」「罪障」

「うれしさ身にも心にもあまりてをき慮なし。歓喜踊躍これなり。捨身決定して励むべき也」扇全5巻400頁

「悌立講の初心の題目の行者此義趣を心腑に染付て、歓喜踊躍して今生人界の思出と口唱すべき也」扇全14巻394頁

「口唱にあらでは利益蒙りがたく、歓喜にあらざれば信者と申ものになし。われと。わかでに。今度の成仏のなるや、ならずは、知らるる也。」4/179扇全4巻179頁

「障未除者爲怨の事」扇全16巻126頁には明確にお示し。

「関目抄(三二オ)
妙楽云。障り未だ除かざる者を怨と為し、聞く事を喜ばざる者を嫉と名づく。
自ら喜び難き。これ罪障也。
睡眠、退屈、懈怠等、皆サハリ也。
弘法の為に身を働かし心を用ふること喜ばれざる者、これ未徐者也。」

「この障りを除きて
喜んで説き
喜んで聞き
喜んで口唱読誦する者
喜んで法筵をもうけ
喜んで供養し
喜んで人を誘引して参詣し
喜んで供養を受け、する者
法華経の持者、弟子、旦那の菩薩也。
この怨嫉を除き
人の怨嫉を責めずんば
何ぞこれを菩薩と言わん。
何ぞこれを佛子と言わん。
何ぞ供養を受けることを得んや。
人身を得、大法にあい
喜ばざるは
これを信者、行者と云ふべきや。
何ぞ成仏することを得ん。
もとより成仏を願はぬ者也。」
扇全十六巻一二六頁

御仏の、法華経の御法門をよろこんで聴聞できない者は仏法を怨み、嫉む者である。自分の背負っている罪障が深いからこそ、喜べないのだ。
気をつけなさい、罪障に負けていてはいけない、御利益もいただけない、と。

この妙楽大姉の御指南は、ご信心前を計る尺度です。
つまり「喜び」「随喜」「感謝」「感動」の有無が、本物か、ニセモノかの指標。

日蓮聖人の御妙判。
「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。」崇峻天皇御書・昭定一三九七頁

お祖師さまのこの御妙判の御意をいただけば、その人の表情や言葉や所作振舞に「喜び」「感謝」「感動」が表れているか、いないか、という点こそ大事。
それが、本物か、偽物かを判断する指標。
すでに、あなたの顔に、言葉に、行動に、現れているのです。

この「喜びの有無を、自分の生活やご奉公に当てて省みてみる。食事をする、食事を作る、会社に行く、仕事をする、お参詣する、お給仕する、法城護持をする、その生活の場面、場面に、喜びがあるか、ないか。

開導聖人は、
「自ラ喜ビ難キ。コレ罪障ナリ」
「喜んで聞かざるは仇」
とお示しです。

喜びが無いということは仏道修行をしている仲間のようで実は反対側にいる「敵」のようなものだということです。

感動のない、元気のない、笑顔のない者は「未除者」「謗法と罪障にやられている者」ですから、三類の強敵、「俗衆増上慢」「道門増上慢」「僭聖増上慢」であると心得ましょう。

ニセモノにならないように修行してください。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。

2024年8月24日土曜日

Especial da Estadia do Nagamatsu Odoshi | Agosto 2024 | Budismo Primordial


ブラジルHBSが今回のブラジルでのご奉公をビデオにまとめてくださいました。短い期間のご奉公で恥ずかしいですが、本当にありがたいです。

濃密な時間でした。あまりにも。
本当に、ありがたいご奉公の機会を与えていただきました。

今生人界のブラジル、大切に拝見します。
よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

2024年4月5日金曜日

ブラジルの佛立仏教徒 2024年3月のご奉公レポート


ブラジルの佛立仏教徒、2024年3月のご奉公レポート。

生き生きとした素晴らしいご奉公に胸が高鳴ります。

是非とも見習わせていただきましょう。

生きた仏教、ここにあり、です。

ありがとうございます。

2023年11月8日水曜日

ネパール世界遺産 パシュパティナート


パシュパティナート、バシュバテイナタ(Pashupatinath)は、カトマンズにあるシヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院。バグマティ川の川岸に建ち、1979年世界遺産に登録された「カトマンズ盆地」を構成する一つ。

シヴァが滞在したとの言い伝えのあるこの地は、はるか1500年以上も昔から巡礼の地となっており、インド大陸四大シヴァ寺院の一つにも数えられ、近年までヒンドゥー教が国教であったネパールでは最高の聖なる地であり、ネパール国内のみならずインドなど海外からのサドゥや巡礼者が数多く訪問する聖地になっている。
寺が面しているバグマティ川には、隣接した火葬台を複数備える火葬場があり、灰は川に流される。バグマティ川は、ヒンズーの聖地である、インドのバラーナシを流れるガンジス河に通ずる支流にあたるため、その聖なる水で遺体を清めガートで荼毘に付せば母なる大河ガンガーへと戻ってゆくと考えられている。ゆえに、遺灰をこの川に流すのがネパールのヒンズー教徒の願望であり、輪廻転生を信じ墓を作らない習慣のヒンドゥー教徒にとって、この方法が理想的な死の形とされる。バグマティ川の中では火葬が行われている脇で身体を清める者もあれば、洗濯をする女の姿も見受けられる。位の高いものほど上流の火葬台で焼かれる。バグマティ川に架かる橋上は、火葬の最高の見物ポイントになっている。
パシュパティナート寺院はヒンズー教徒以外は立ち入れないが、火葬場は入場料を払えば観光客も立ち入れ撮影も自由である。終日立ち込めるカトマンズの霧は火葬場の煙であるとさえ言われている。魂が天上へ帰る場所にふさわしく、すぐそばの丘に登れば7000 m級のアンナプルナをはじめとするヒマラヤ山脈がはるかに聳え立つ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間が荼毘に付されていく姿を淡々と眺める。多くの説法を聴くよりもこの様子を見つめることで人生観が変わる人が多いともいう。原始仏教教団ではひたすら遺体を眺めるだけという修行があったという。自分の死を当事者として受け止める大事は日蓮聖人の「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」という御法門に通じる。

インドの大河に隣接するバラナシ(ベナレス・ヴァーラーナシー)と異なり、静かに淡々と行われてゆく葬送の儀式。オイルの満たされた遺体の口に点火することにより、魂は天に昇ってゆくと信じられている。遺灰はある意味で乱暴に水量の少ない川に落とされてゆく。その遺灰を惜しみ眺める者はない。

2023年8月25日金曜日

The White Lotus Movie

This is "The White Lotus Movie" produced by the primordial Buddhism, HBS in Sri Lanka.

It was produced for the official announcement ceremony of 'the temple of Great White Lotus', the first HBS temple in Sri Lanka.

We would like to introduce multilingual telops in the near future.

But, just by watching the video, I think you can understand what they are trying to convey.

Namu Myo Ho Ren Ge Kyo,,,,,
Arigatou gozaimasu.

本門佛立宗スリランカ教区・妙深寺コロンボ別院は、寺号公称して清涼山大白蓮寺となりました。

寺号公称法要にあたり、大白蓮寺は素晴らしいショートムービーを制作しました。

今後、多言語のテロップを載せてご紹介したいと思っております。

しかし、映像を観ているだけで、伝えようとしていることはご理解いただけると思います。

よろしくお願いいたします。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。

コレイア清行師 御法門 御教歌 「何事としるもしらぬもひたすらに 唱ふれば妙あらはるゝ法」

妙深寺の誇る海外教務による日本語の御法門です。

日本語で御法門をするということは並大抵のことではありません。妙深寺の国際教務は毎月これを行なっています。

また、妙深寺の国際部では毎月すべて英語による「インターナショナル御講」をコンダクトしています。

さらに一天四海 皆帰妙法の祖願成就を目指して異体同心で精進いたします。

2023年8月21日 朝の御法門

御教歌「何事としるもしらぬもひたすらに 唱ふれば妙あらはるゝ法」

コレイア清行師

2023年2月10日金曜日

ブラジルから届く力に溢れたレポート

ありがとうございます。
ブラジルから届いた2023年1月のレポートムービーです。

各地で素晴らしいご奉公が展開されていて、菩提心が高まるというか、心に力をいただくことができます。

人は、ネガティブに触れればネガティブに、ポジティブに触れればポジティブになるもの。
世は末の世、人も人。
「不屈の精神」と言っても、やはり減速や衰退を余儀なくされることもあります。

そんな時、こうした思い切り前向きなご奉公の姿を見させていただくと、エネルギーが沸々と湧いてくるものです。
ありがたいです。ありがとうございます。

同時に、きっとブラジル社会の現在、日系人社会や仏教コミュニティを物語る一コマとして、貴重な資料にもなるはずですね。

貴重なレポート、毎月ありがとうございます。

ありがとうございます。

2022年11月19日土曜日

Brazil memories 2022

ざっくりまとめてみました🙏
ブラジル🇧🇷
ありがとうございます🙏

Brazil memories 2022.
Arigatou gozaimasu.

ブラジル帰国後の御法門。御教歌「ありがたや 今折伏は はやるなり 旧弊頑固 改良をせよ」

ブラジルから帰国後の御法門。バラフライ・エフェクトについて。因果の道理、因果応報。

ブラジルで感じ、学んだこと、今の日本の私たちに伝えたいこと。

御教歌「ありがたや 今折伏は はやるなり 旧弊頑固 改良をせよ」

日本、頑張りましょうー。妙深寺、頑張りましょうー。

明るく、優しく、楽しい妙深寺に、法華経の御意、大切な「お折伏」を、今一度、流行させましょうー。みんなが、みんな、お折伏を心がけ、実践できたなら、ありがたい。

時代に逆行するかも。今の日本では特に。

多様性。みんなそのままでいい。ほっといてくれ。関係ない。知らない。

でも、それでいいかな。本当に、それでみんなが幸せになれるかな。

「法花経の御心なるぞ信者達 折伏をせよ皆が皆まで」

慈悲の実践、折伏行。
他人事ではなく、自分事へ。

日本ではすたれてしまった面もある。昔は「はやってた」「流行していた」でも、今は。

きっと、なんか疲れたのかな。「折伏」と言いながら自分の思いを押し付けたり、ひたすら尊大に、きつい言い方をしたりされて、嫌な思いをしたとか。

かなしいな、もしすたれてしまったならば。

ギスギスするのではなくて、重箱の隅をつつくようなことでもない、大切なお折伏を、もう一度。

「折伏は人をにくまず高ぶらず あはれむことぞ祖師の御本意」

みんなで、お折伏を喜ぼう、頂戴しよう、させていただこう。

「ありがたや 今折伏は はやるなり 旧弊頑固 改良をせよ」

2022年11月1日火曜日

住職日記 ブラジル巡教編 #04「ブラジル佛立聖地にて」

本門佛立宗ブラジル教区、タピライの佛立聖地からレポート

限られた時間の中で、ご奉公の機会を最大化するために、挑戦しています。

今回、ブログの1日1回以上の更新はもちろんのこと、動画のアップも頑張っています。

どこまでできるか分かりませんが、少しでもブラジル教区のご弘通の雰囲気、ご奉公の実際が伝わるように、努めます。

ありがとうございます。

2022年10月30日日曜日

住職日記 ブラジル巡教編 #02「モジダスクールゼスの隆昌寺」

住職日記 ブラジル巡教編 #02「モジダスクールゼスの隆昌寺」

ありがとうございます。
横浜妙深寺住職 長松清潤は、10月26日よりブラジル巡教のために出張しております。
その模様を住職日記_ブラジル巡教編としてご覧ください。

《妙深寺ホームページ》
https://myoshinji.jp/
《空飛ぶお坊さん 長松清潤チャンネル》
御住職のYoutubeへはこちらから↓
https://www.youtube.com/c/SeijunNagam...

#vlog #長松清潤 #妙深寺 #本門仏立宗 #ブラジル

住職日記 ブラジル巡教編 #01「日教寺建設予定地にて」


ありがとうございます。
横浜妙深寺住職 長松清潤は、10月26日よりブラジル巡教のために出張しております。
その模様を住職日記_ブラジル巡教編としてご覧ください。

《妙深寺ホームページ》
https://myoshinji.jp/
《空飛ぶお坊さん 長松清潤チャンネル》
御住職のYoutubeへはこちらから↓
https://www.youtube.com/c/SeijunNagam...

#vlog #長松清潤 #妙深寺 #本門仏立宗 #ブラジル

2022年10月28日金曜日

2022 ブラジルへの旅

Trip to Brazil.
It’s beginning.
85 year old Suzuki Odoshi has arrived safely in Brazil.
Odoshi is really brave.
And we were warmly welcomed at Nikkyoji in São Paulo.
Namu Myo Ho Ren Ge Kyo,,, 
Arigatou gozaimasu,

ネパールの阿部信仰師から

  ネパールでの信仰師のご奉公が続いています。サムンドゥラデヴィの学校訪問と数軒のお助行、道なき道を踏破してのご奉公でした。 広報担当のようなものなのでシェアさせていただきます。ありがたいです。ありがとうございます。