ラベル ケネディ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ケネディ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年5月2日日曜日

Think different. 本気で信じる人

 アップルのCMのコピーを載せましたが、少し違っているようですね。申し訳ない。ずっとずっと前から、ずっと頭の中に残っている素敵な言葉なのに、間違っていては申し訳ない。

 それは、本当は、こんな言葉です。

「自分が世界を変えられると、
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから」

  そう、もう古いCMだから、観たことのない人たちもいるでしょう。是非、観ておいて欲しいですね。忘れちゃいけません、こういう気持ち、こういう姿勢。ずっと、少年のように、若年寄りみたいなことを言わないで、本気で信じましょう。世界は、もっと良くなる。僕たち次第。

 便利になりました。You Tube。ありがたい世の中ですね。Macからはじまり、i Podやi Phoneやi Padと、完全に世界を一新してきたアップル。創業者のジョブズについては、そのスピーチを紹介したのですが。今回は、有名な「Think different」というCMを紹介します。


2005年4月25日月曜日

マーチン・ルーサー・キング・Jr

世に知られるキング牧師は、後に「ダディ・キング」として知られるマーチン・ルーサー・キングの息子です。もう、この時点で、僕はキングに少しだけ共感してしまうのですが、彼は悩みながらも父と同様に牧師としての人生を歩み始めます。そして、本人が望む、望まないに関わらず、キングにしか出来ないような課題、為すべきことが何であるかを知るのでした。
リンカーンが奴隷解放を宣言したにもかかわらず、アメリカの深南部では根強く人種差別が残っており、「ホワイト」と「カラード」と書かれ生活空間すら共有させない風習が残っていたのでした。食堂、トイレ、手を洗う場所、バスの座席に至るまで、まるで白人と黒人はすみ分けをされていたのでした。人間として、同じ権利を持つことが出来なかった、させなかったのでした。当時の黒人には選挙権すら与えられていませんでした。これが、わずか50年前のことです。
モントゴメリー事件という、疲れた初老の女性が、バスの中で腰掛けた白人シートに、運転手が猛烈に恫喝したことから、キング牧師は黒人の権利を獲得する、平等の権利を主張する運動のリーダーへとなっていきます。
彼や、彼とは別の団体も、このアメリカに巣くう病巣を変えるため、「人種隔離廃絶運動」「選挙人登録運動」を推進していきます。しかし、同時に、それを進めるための方法にも、様々な意見が出て、黒人の運動は激流のような流れを、どのように、どの方向に、上手に導いていけるかが、最も大きな問題となったのです。一触即発、過激な方法で「公民権」を獲得しようとする勢力、政府の転覆や社会不安をもっともっと煽ろうとする勢力が次々に現れてゆきました。
その中で、このキング牧師は、黒人や白人勢力の双方からいらだちや罵声を浴びながらも、「非暴力」「無抵抗」という主張を展開し、暴発寸前の黒人感情を、歴史に残る形、永遠に尊敬される運動へと導いていったのです。これは、キング牧師がインドで植民地支配のイギリス帝国と交渉していたマハトマ・ガンジーを敬愛していたことから考え出され、提唱・実行されたのです。
ところが、このキング牧師もまた、マハトマ・ガンジーやJFKと同じように、1968年4月4日、午後6時前後、黄昏のこのモーテルのバルコニーで、右のあごと首を狙撃され、命を落とすことになったのです。

2005年4月20日水曜日

JOHN FITZGERALD KENNEDY

1960年代初頭、最年少、初のカトリック教徒の合衆国大統領として注目をあびたが、任期中の63年に暗殺され、世界中の驚きと哀悼をうけた。 1917年、マサチューセッツ州ボストンに、銀行家ジョセフ・パトリック・ケネディの次男として生まれる。父はフランクリン・ルーズベルト大統領政権の駐英大使をつとめた。40年にハーバード大学を卒業。第二次世界大戦への準備不足を指摘した卒業論文、「イギリスはなぜ眠っていたか」で注目される。アジア太平洋戦争がはじまると海軍に志願、魚雷艇の艇長となりソロモン沖海戦で撃沈されたが、部下を救助する軍功をたてた。戦後、民主党に入党したケネディは1946年、マサチューセッツ州から下院議員選挙に出馬して当選。52年には上院議員に選出された。53年、ジャクリーン・ブービエと結婚。57年には英雄的政治家の伝記「勇気ある人々」をあらわし、ピュリッツァー賞を受賞した。 1960年の大統領選挙では、リベラル派を代表して立ち、選挙参謀に弟ロバートら、才能ある若い政治家をすえて、指名を獲得。彼らは、大衆や進歩的知識人の関心をよぶニュー・フロンティアをスローガンにかかげるなど、巧みな選挙運動を展開した。共和党大統領候補ニクソン副大統領とのテレビ討論では、防衛・経済問題がとりあげられ、ケネディは落ち着いた若々しい話しぶりで、新指導体制の必要性をうったえ、わずかの差で勝利した。ケネディ大統領の演説は、彼らしく理想に満ちていた。『「この地上に大学ほど美しいものはめったにない」と、ジョン・メイスフィールドはイギリスの大学への賛辞のなかで述べている。そして、この彼の言葉は、今日、ここでもそのまま通用する。彼のこの言葉は、大学の塔や学園の芝生の、ことを言っているのではない。なぜならば、彼の大学賞賛の言葉は、次のような言葉だからである。「無知を憎む人々が、知る事に努め、真理を知っている人が、他の人々の目を開かせようと努力する場所が大学である。」だからこそ私は、無知がしばしばはびこり、真実がごくまれにしか理解されない地上の問題を論じる為に、今日、この場所をえらんだのである。この問題こそ、地上の最も重要な問題、すなはち平和ということである。今日、われわれがそれを使う必要を確実になくすために調達される兵器に毎年費やされている何十億ドルもの支出は、平和を維持する為に絶対に必要である。しかし、破壊することができるだけで、決して創造することのできない、これら遊休兵器の蓄積が、平和確保の唯一の方法でなく、いわんや最も有効な方法ではないことは確かである。』彼の理想は、第二次世界大戦という混迷の時代を乗り越え、新しい世代の台頭を意味していたと思う。人々が模索し続けた末に、新しい未来が訪れようとしていた、その予感の中心にいた人がケネディだったのだろうか。

ネパール被災地でのご回向の動画

ありがとうございます。 昨日、9月5日(土)、ネパール大規模土石流洪水の被災地に、妙深寺ネパール別院の教務、ご信者、総勢46名が入り、ご回向の一座を奉修させていただきました。昨夜23時に写真や動画が届きました。 つくづく涙が出ました。あれほど大変な大災害に、いち早く妙深寺の...