2008年1月31日木曜日

自爆テロの黒煙

 私たちが到着したのは25日の朝。空港までシャンタさんが迎えに出てくれていた。
 朝のコロンボ空港は、夜到着するよりも雰囲気が良い。最初にスリランカを訪れた時は0時を回っていて、ちょっと怖かった。薄暗い中を歩いて、デコボコの広場に停まっているバスまで荷物を持って歩いたのを覚えている。ちょっと怖かった。
 今では、そういう意味での「怖さ」はない。しかし、現実に、内戦が激化しており、政府軍はLTTEの拠点へ空爆や侵攻を続けており、LTTE側も不定期にテロ攻撃を繰り返している。
 シャンタさんの車に乗ってコロンボ市内に向かう。出発前に聞いたニュース、16日に起きた自爆テロで26名の方が亡くなったことなどをシャンタさんに聞いた。すると、すぐに現在の情勢を細かく報告してくれていた。停戦監視団に対する不満、ノルウェーからの和平案を悪用するLTTEという多くのスリランカ人の感想を聞く。なるほど、そういう風に受け取っておられるのか。
 LTTEは、明らかに孤立し、もはや政治的集団とは言い難い。孤立しているにも関わらず、停戦期間を悪用して、さらに子どもや女性を洗脳教育し、テロ攻撃の道具としている、と。そうしたことに直面して、停戦合意は破棄された。現在のスリランカ政府は相当の覚悟をもって対処しているとのこと。ただし、テロ攻撃はコロンボ市内やスリランカ各地に飛び火している。
 何と、この到着した日、その車内で驚くべきことを耳にした。私たちが泊まるメイン・センターの、ほんの数百メートルの路上で爆弾テロがあり、17名の方が亡くなったというのである。シャンタさんは自動車を運転しており、爆発直後、黒煙があがるのも眼にしたという。話を聞きながらゾクッとした。
 ちょうどこの日はワーキング・デーで、市内は一日中渋滞していた。その際、私たちの車がバスと並ぶ。スリランカでの自爆テロは一般人が利用するバスを標的にすることが多い。清顕と、実際にテロが行われたらどう対処できるものだろう、と話し合った。冗談ではない。
 私たちの到着する前日、「天空の城・ラピュタ」という記事で紹介した「アヌラダープラ」でも同様のテロと思われる事件があったという。24日、一般市民17人が銃で撃たれ殺害されているのが見つかったという。警察当局は反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)による犯行と見ている。現場付近では昨年12月にも、路線バスがLTTEによって爆破され農民ら少なくとも15人が死亡していた。
 しかし、今回のスリランカご奉公でもコロンボを中心に、南部のゴールから中北部のケーグルまで走り回ったが、振り返ってみるといつもと同じように安全そのものだったと思う。シャンタさんも、自爆テロを目の当たりにするという体験をしながら、「今年の4月までに、間違いなくスリランカは安全になります。10月のスリランカHBS10周年のご奉公までにはスリランカ全土が安全になるはずです」と仰った。私もそう思うし、そう御祈願している。
 私たちは10周年の記念法要に、日本からの団参を計画している。是非、多くの方がスリランカを訪れ、現地のご信者とふれあい、交流していただきたいと思っている。そして、スリランカ各地の自然の魅力、食事の美味しさにも触れてもらいたい。「コワイ」と思って躊躇してもらいたくないなぁ。きっと、10月までには安全になります。必ず。

班長さん、ありがとうございます

『班長さん、ありがとうございます』
            平成20年2月1日

 ありがとうございます。

 今年の寒参詣は大変な盛り上がりです。毎日のように新しい方との出会いがあり、活気に溢れています。

 新たに寒参詣に挑戦し、励まれている方。寺報でも紹介されますが、戸塚教区の佐藤さんご一家は、片道二時間をものともせず、進之介君を筆頭に寒参詣に励まれました。つい先日お教化になった上山さんも座間から寒参詣に励んでおられ、感激します。「寒参詣」という佛立宗ならではの修行は、率先して取り組んでこそ喜びが溢れます。「寒参詣にお参りして」と頼み事のような言い方ではなく、こうした方々の喜びの声を、お参詣の喜びや功徳を知らない方に届けたいものです。

 寒参詣は、裏方で支えてくださる方々がいればこそご奉公できています。泊まりのご奉公、朝一番のご供養作り、みのり会のご奉公があればこそ、一ヶ月もの長い間も滞りなく美味しいご供養が頂戴できます。特に、今回の寒参詣から最も厳しいご奉公である一ヶ月間の参詣受付に新たな方々がたくさん参加、出仕してくれています。これも有難いことです。こうしたこともあり、昨年に比して、また大きく延べ参詣数も伸びました。

 どのようなご奉公でも、「分かっているだろう」と思ってご披露するのではなく、「もう一度、意味を知っていただこう」と丁寧に説明することが大切だと感じます。

 昨年末、何度かお正月に御宝前にお供えする「御供米」のご披露をしましたところ、前年に比して50名近くの方が御供米のご奉納をくださったとのこと。このお米は寒参詣に炊かせていただくのですが、ほぼ後半まで御供米だけで買い足すことなく使わせていただけたと、みのり会の幹事長、波多野さんが喜んで報告してくれました。功徳を積んでくださる方が増えるということは、本当に嬉しいことです。最終的に約60キロほど買い足したそうですから、まだまだ御供米の奉納もお勧め出来ます。

 今月は門祖会。お参詣にも、ご奉公にも、功徳の積める大チャンスです。いつもとは違うご奉公を心掛けましょう。「工夫」をする中にこそ「功徳」があると思います。そう、「いつものとおり」させていただくということも大切ですが、そうした思いは得てして「惰性」に流されてしまいます。「いつもの人」に「いつもと同じように」と考え、ご奉公する中に、ほんの少しでも工夫して、より有意義なご奉公になるよう、信心が前に進むよう、喜びが溢れるように、話し方、勧め方、内容を変えてみましょう。すぐに手応えが感じられ、有難くなります。

 今回の門祖会は、イタリアのご奉公から帰ってきた直後の奉修となります。鮮度の高いご利益談、体験談を、「世界に広がる佛立信心」「時代が求める仏教・佛立宗」という角度から、どのような人にも伝わるように分かりやすく御法門させていただきたいと思います。いつも申しますように、特に、「お寺に対して斜に構えている人」「ご信心に批判的な息子さん、娘さん」にこそお参詣していただきたいと思います。

 2月号の寺報には、続々とお教化のお話が掲載されています。本当に有難い限りで、自分のためだけではなく、他の人のためを思うご信心の真髄を実践しておられます。「有難い」と口で言う人はたくさんいます。しかし、本当に心から「有難い」と思える人は少ないものです。あるいは、心に思い、「有難い」と感じる人は多くても、実際の行動に移して生きている人は稀なのです。

 行動こそがご信心。修行こそご信心です。喜んで二月のご奉公に励みましょう。

2008年1月30日水曜日

シンガポールで原稿を書く


 シンガポールに到着して、夜はゆっくり眠れるかと思ったら、妙深寺の清従師からメール。明日の朝までに原稿を上げてください、という内容だった。
 あー、そうだ、なるほど、清従師たちに「ブログの文章を添削して、作り上げてくれるかぁ」なんて甘いお願いをしていたのだが、やっぱり厳しい。「お時間があればご住職に調整をお願いしたいのですが」と、やわらか~く「自分でしっかりと原稿を作ってください」と言われたのと同じ。
 そのままホテルの部屋で机に向かい、3時まで原稿を書く。清顕は、隣のソファーで頭をガックンガックンとさせながら、時々起きて身体をパシパシと叩いたり、バスタオルで身体を拭き始める。彼は眠いのだ。「おい、ねー、寝ろよ」と言っても、「大丈夫です!」と言って寝ない。そして、そのまま身体をグラングランと揺らせながら、ウトウトしてる。
 妙深寺の教務室でも先輩教務が徹夜している。目の前で住職が徹夜しているのに眠れないということか。いや、でも何とか出来あがって良かった。ギリギリ。
 ありがたい。このペースをシンガポールでしたから、日本に到着してからも身体の調子がいい。逆に、あそこで「グタッ」と倒れるように休んでしまうと身体が動かなくなる。
 よかった。ありがたい。ありがとう。

2008年1月29日火曜日

スリランカの刑務所

 成田行きのトランジットまで時間があるので、少しだけ今回のスリランカご奉公のトピックスを紹介したいと思う。
 今回、特に大きなご奉公として、週末の土曜日と日曜日に集中してしまったが、ゴール市での御講ミーティングとカルタラに近いベルワラ市に出来た新しいHBSセンターで大御本尊の奉安式を土曜日に奉修し、日曜日の午前にメイン・センターでの御総講、午後にコロンボの異なるセンター建設の起工式と御講を奉修させていただいた。それぞれ、たくさんのお参詣をいただき、大変に有難かった。
 月曜日、つまり昨日だが、私たちはラトゥナプラの刑務所を訪れた。ウィージェセケラ氏がご信心をお勧めしている方が刑務所の所長さんで、私もよく知っている上座部仏教の僧侶・チャンダララットゥナさんが管轄している地域の刑務所ということで、一度HBSの僧侶に来てもらって囚人たちに話をきかせてもらいたいということだった。現地に着くと、巨大な壁が目の前にそびえたち、こちらに迫ってきて、ちょっとだけ緊張。
 このご奉公は、連絡をもらっていたし、スケジュールにも書かれていた。しかし、いつものように、頭の中でいくら考えても仕方がないので、スリランカの刑務所がどんな雰囲気なのか余り想像をしないで当日になってしまった。スピーチも2~3つ用意していたが、どんなお話をするかは当日決めようと思っていた。コロンボから車で2時間。刑務所が近づいてきてようやくイメージが湧いてきたのに、現地に着いて想像を遙かに超えたものであると分かった。ありがたい。
 刑務所の前で所長さんやチャンダララットゥナさんが出迎えてくれて挨拶を交わすと、すぐに刑務所の壁の中へ。2重の鉄格子があっという間に開かれて、広場のようになっている場所に導かれた。さすが、チャンダララットゥナさんは堂に入ったもので、平然と歩いていく。僕もそれにつられて平然と歩いていく。いや、平然と歩いていく「ふり」をしていく。だって、向こう側に、ダダダーッと囚人の方々(?)が並んでおられる。遠巻きに、遠巻きに、壁を背にして、「どんなのが来るんだ?」と思っているのだろうか、とにかく遠巻きに私を見ていた。
 鵜の目鷹の目の中を、ゆっくりと歩いていく。もう、頼みの綱のウィージェセケラ氏もどこにいるのか分からない。ただ、チャンダララットゥナさんと一緒に、人垣の向こう側にあるテントに向かった。「ツーン」とした、表現のしようがない「におい」が鼻を突く。これだけの人数が1ヵ所に暮らしているのだから、そうした生活臭なのか、あるいは下水か、何らかの汚物か分からないが、今までに体験したことのない臭い。いや、体験できて、ありがたい。
 テントは人垣の向こう側にあるので、当然ながら囚人の方々の間を通り抜ける。「暴動でも起きたらどうするんだろうな」と思いながら、警備もなく歩いていく。近づくと、ボロボロのシャツやズボンを着ている囚人たち。眼がギラギラしていて、壊れかけのペットボトルを一人一人がぶら下げている。きっと水を飲むために使う携帯品の一つなのだろう。刑務所の中には病院の棟もあった。確かに、足の無い方、異様なコブが出来てしまっている方、皮膚が溶けてハンセン病を患っておられるような方もいる。
 所長に「この刑務所にはどのような犯罪をした人が収監されているのですか?」と聞くと、フランケンシュタインのような(すいません)屈強な所長は、「殺人、強盗、レイプなど、なんでも」とあっさり。なるほど。分かりました。
 目の前からグルッと囚人がテントを取り囲む。ビデオを撮ってあるので、ものすごい映像だと思う。さすがに少しだけドキドキした。司会者からご紹介をいただき、所長のウェルカム・スピーチ、続いてチャンダララットゥナさんがお話をした。それに耳を傾ける。いや、傾けている「ふり」をする。というのは、所長は少しだけ英語で話をしてくれたから分かるが、チャンダララットゥナさんは完全にシンハラ語だから何を言っているのか分からないのだ。
 チャンダララットゥナさんは上座部仏教の僧侶だが、そもそも上座部仏教には「宗派感覚」があまりない。「同じ仏教徒」という考えの中で、「本門佛立宗は素晴らしい。御題目を広めよう」と協力をし続けてくれている。来日直後に私に連絡をくれて、横浜にも京都にも訪問していただいた。昨年の夏はシンガポールでも会っていた。彼は福岡御導師の御法門を何度も何度も聴聞しているから、本門佛立宗にも、その教えにも非常に詳しい。
 シンハラ語で何を言っているか分からないスピーチの中でも、「メー(「えー」という意味)、ヨコハマ」「セイジュン・ナガマツ」とか「マハヤナ(大乗仏教という意味)」とか「サッダルマ・プンダリーキャ(法華経)~!!」とか「ホンモンブツリュウシュウ、キエラ(意味不明)」とか「ナムミョウホウレンゲキョウ」という言葉を使って、声を張り上げて話をしてくれている。ウィージェセケラさんに聞くと、チャンダララットゥナさんから私の紹介と、法華経、本門佛立宗、御題目について説明してくれているという。ありがたい。
 私のスピーチは、難しい話を一切しないことにした。開口一番、「なぁ、みなさん、日本のお坊さんなんて、見たこと無いでしょう?」と、ざっくばらんに話しかけてウケを狙った。完全に外れた。シーン。はい、分かりました。失敗。
 それでもめげず、彼らにも分かるように、自分の運命と闘うこと、その為に自力では非常におぼつかないこと、負けそうになってしまうこと、そういう弱い私たちのために、ブッダが教えてくれたこと、残してくださった教えがあることをお話しした。法華経の中でブッダはヴィシシュタ・チャーリトラに「ダルマ」「マントラ」を「末法」という世界にデリバリーするように命じられた。「末法(Mappo era)」というのは今の世界のことで、そこで苦しみ、迷う人々のために、ヴィシシュタ・チャーリトラは極東(ファーイースト)の日本という国に、「日蓮」という人として生まれた。そして、法華経の中で約束されていたとおり、ブッダから預かった「マントラ」を届けてくれた。それを「ナムミョウホウレンゲキョウ」という、と。みんなも、希望を捨ててはいけない、負けてはいけない、御題目をお唱えして、カルマを変えなさい、変えられるから、変えましょう、難しくない、自分を励まし、自分の心に力がもらえる、御題目をお唱えしよう、と説かせていただいた。本当にシンプルな、誰にでも出来る修行なのだ。ありがたい。
 この御題目を唱え(チャント・リサイト)して、自分のカルマを変えていく、変えていけるというのが、法華経の教えだ、とお話した後、私の体験談をいくつか紹介し、実際に御題目口唱の練習をする。
「はい、南無」「ナム」、「そう、妙」「ミョウ」~。そして、囚人の人たちの大合唱。大御本尊を、申し訳ないが、ご弘通のために、囚人たちの前に、いつも持って行っている「三脚」を一気に立てて奉安させていただき、「さぁ、お唱えしましょう」と言う。驚くべきことに、ほとんどの囚人が唱えていた。背中から御題目の響き、バイブレーションが伝わってくる。ありがたい、これが末法相応の修行、上行所伝の御題目を流布し、誰もが御利益をいただけるという所以であると思う。すぐに、ピタッと一つになる。誰もが出来る。ほんの数分の練習によって。そして、その修行は奥が深い。
 取り急いで書いてしまったが、この後のご挨拶は本当に「ビビッた」。この御題目口唱を以てセッションを終了したのだが、直後に数百人の囚人がテントの前の私に一気に駆け寄ってきて、スリランカ式のご挨拶、つまり土下座をして頭を下げ、僧侶の足に触れる(実際に触れる人は少ないが)。その向かってき方が、その前で入れ替わり立ち替わりしてくれるのが、鬼気迫るもので、本当に驚いた。私は余程のことがないかぎり驚かないのだが、ゾクゾクっとしてしまった。この状況を正確に伝えようとするなら、言い方は悪いが、鯉がえさを食べるためにジャバジャバとなっているような勢い、だったのだ。正直、少しだけ怖かった。
 しかし、一人一人の目を見つめることにした。みんな、やはり、いつものように、微笑みを返してくれる。そう、みんなも、自分の運命や、自分自身を呪っているかもしれないが、まだ諦めたわけではないのだ。何とか戦おうとしている、何とか立ち直ろうとしているはずだ。そこにブッダの教えがリーチできなくてどうするか。御題目を知り、彼らは、自分の運命に、状況に、何とか立ち向かおうとしてくれたのではないか。
 実際に、何人かの囚人がウィージェセケラさんをつかまえて、次の会合はないのか、今日の教えのテキストはないのか等々、質問を受けていた。私にも、英語で話しかけてくる囚人もいた。「ナムミョウホウレンゲキョウ、アイ・ネバー・フォゲット(南無妙法蓮華経、私は絶対に忘れないよ)」と言ってくれた。有難い。少しでも役に立てたのかしら。日本から来て、まさら刑務所で講演するとは思っていなかったが、それでも「人間」に「光」を届けるのが私たちの使命だから、与えられたご奉公にベストを尽くす。それが佛立教務道であり、私たちの生き甲斐だから。そこに全身全霊を傾けないでどうするか。
 最後に、みんなと一緒に記念写真を撮った。半分も入っていないが。ちょっと顔がこわばっているかな?それでも、ありがた~い。

やっと、つながった

 先ほど、シンガポールまで帰ってきた。
 スリランカではメイン・センターに宿泊していた。ホテル代として使う分を御有志に出来るということで、前々回からシャンタ・ペレラさんのご家族と一緒に過ごしている。
 そのメインセンターではインターネットが繋がらない。シャンタさんのPCからダイヤルアップでインターネットにアクセスすることは出来るのだが、日本語入力が出来ない。しかも、朝一番からご奉公に出発して深夜に帰ってくるという日本以上に忙しいスケジュールなのでメールを読む気力も残らない。
 写真は巨大なシンガポール空港のEコンコース。ハブ空港として位置づけられているメガ・ターミナルだけあって、ありとあらゆる人種が、怒濤のように流れ、行き交っている。この人たちを眺めているだけで、勉強になるし、刺激になる。そう、人を見つめることは、宗教家にとって欠かせないことだと思う。一人一人に、人生があり、物語があるんだなぁ、と深~く感じるのである。
 シンガポールに到着して、ようやくPCを開き、インターネットにアクセス。メールが約2000通、ジャンクメールが多いが、それでも200通は大切なメールだ。読んで返信しなければならない。
 その中で、もう前になると思うが、嬉しい報告があった。松本現薫師からのメールだが、増永一志くんが本山・宥清寺の寒参詣にお参詣されたということだった。有難い!嬉しい。
 以下、そのメールを添付してみる。一部、個人名なので変更させていただいた。
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 本山のご信者さまからメールをいただきました。ありがたいと思い転送させていただきました。スリランカご奉公、お気をつけて行ってらっしゃいませ。ご祈願させていただきながらお帰りを待ってます。以下本文です。
 ありがとうございます
 おはようございます。
 一志君が本山の寒参詣にお参詣されてました!!!。
 驚きました。ありがたくて、ありがたくて…。
 お腹を逆Tの字に切っているので、少しひきつったような感じがするとのことでしたが、とても明るく元気そうな笑顔でした。
 うれしくて、うれしくて、つい一志君の手を握っちゃいました(反省)。
 とりいそぎ。ご連絡でした。
 ありがとうございます
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 菩薩の輪が広がっているようで、本当に有難い!
 こういう、嬉しい報告メールばっかりだと、ありがたいなぁ~。

2008年1月24日木曜日

天空の城 「ラピュタ」

 「天空の城・ラピュタ」という宮崎駿さんの映画は、印象深く、いつまでも忘れられない名作だ。

 その、まさに「天空の城」がスリランカの世界遺産、「聖地・アヌラダープラ」にあり、昨年の2月に大きなセッションを行うために私たちはその場所を訪れた。福岡御導師、私と、この聖地に記念の植樹をさせていただき、御導師の御唱導の下で大法要を営んだ。その模様はテレビ局によってスリランカ全土に放映され、大変な反響を呼んだ。夕方から夕闇へ、巨大なダゴバ(塔・ストゥーパ)に茂る木々や修復工事用の鉄柵を大きな猿たちが飛び回り、さらに幻想的な雰囲気を醸し出していた。こういう雰囲気を見てしまうから、スリランカへのご奉公はワクワクする。

 スリランカという国に対する知識が少ない方もいるので、もう一度書いておきたい。スリランカは、世界地図で見るとインド大陸の右下に浮かぶ、涙の形をした島である。この島には紀元前から文明が栄えていた。もちろん、インド大陸の影響を色濃く受けて栄えた文明で、特に仏教成立後はその受け皿として、インドで仏教が衰亡していった後もスリランカは時間を止めたかのように仏教文化を内包して残してきたといわれている。

 そのスリランカの中北部に位置するアヌラダープラは、スリランカの遺跡を代表する一つ。ここが最初にスリランカの首都になったのは紀元前380年。その後、何度か遷都が行われたが、結局すぐにアヌラダープラに戻され、ほぼ1000年間に渡ってスリランカの首都であったという。

 ゴータマ・シッダッタ(ブッダ)が覚りを開いた菩提樹から、挿し木によって育てられた二代目の菩提樹が、現在も健康な状態で生きている(と伝えられている。極めて信憑性が高い)。この木は記録が残っている世界最古の木であるとされる。福岡御導師と共に私たちはこの「Sri Maha Bodhi」 と呼ばれる木に触れさせてもらった。そして、その葉までいただいたのだが、なかなか感激する。

 スリランカに仏教が伝えられたのは紀元前247年。当時、仏教を伝えた僧はアヌラダープラから北東に17キロメートル離れたミヒンタレ(Mihintale)の丘に暮らしたという。

 アヌラダープラには人工の湖または池が散在している。一つの湖の側で、本門佛立宗のご信者さんがコテージというかホテル&レストランを経営している。そこでもお助行させていただいた。海外設備がこれほど整うということは、ローマと比しても非常に興味深い。人工の湖、そして水路、である。

 湖は農業用や生活用の水として使われた。インドで農業による自然の破壊が進んだ後にスリランカは開発されたためか、インドでの教訓を受けて自然との調和が考えられているという。アヌラダープラが首都であった時期の紀元前に、スリランカの多くの自然地域が保護区として指定され、現代まで引き継がれている。その自然保護区での人間の活動は許されない。仏教は自然と人間の調和を目指した。

 アヌラダープラは、仏教伝来時の首都であったため仏教文化の遺跡が数多く残されている。巨大なダゴバ(ストゥーパ)が散在し、それらはスリランカでは一般的な「半球状(お椀を逆さまにしたような形)」の構造になっていて、石や煉瓦で積み重ねられている。

 最大のストゥーパは、紀元前1世紀に作られたという「アヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)」で、現在でも75メートルの高さがあるが、建築当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり高さは100メートルあったと言われる。それが、ここに掲載した写真のダゴバである。周囲には5000人の僧が生活した僧院があった。

 実は、このダゴバは大乗仏教の総本山であった。このダゴバを建設したワッタガーミニ・アバヤ王は、タミル軍にアヌラダープラを追われて、14年もの流浪生活を余儀なくされた。何とか復権した王が建設したダゴバ、スリランカで最も大きなストゥーパがこれなのである。

 しかし、不幸なことに12世紀には、このダゴバを中心とする大乗仏教の僧侶集団と、マハー・ヴィハーラ寺院を中心としたテーラワーダ仏教(上座部仏教)派の争いが起こり、当時の王であったパラークラマ・バーフ1世は大乗仏教派を弾圧して仏教界を統一した。この時、500名の大乗仏教の僧侶が殺害されたという。そして、この廃墟となった「アヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)」と同様に、大乗仏教もスリランカから姿を消すこととなった。

 いま、スリランカは内紛を抱えている。その内紛の「カルマ」を、こうした仏教内の不幸な歴史を清算することによって転じようという希望がある。そうした願いから、福岡御導師に「アヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)」の前でのセッション開催が要請され、ここで盛大に法要を営んだのであった。

 考えてみると、世界の仏教史にもインパクトを与える事実である。スリランカが大乗仏教の国であったということ。しかも、漠然とした「大乗仏教」ではなく、あるいは「上座部仏教」との対立軸としてある「大乗仏教」ではなく、「二乗作仏」というあらゆる仏教を統合する「ブッダの真意」を説き明かされた「法華経」が、すでに当時のスリランカに伝わっており、それらが発掘されているということにも、HBSのスリランカ信徒たちは興奮している。

 今後、もっともっと研究してゆけば、仏教史の中に於けるスリランカの役割、意義、そして今スリランカで弘まっている法華経の教え、上行菩薩所伝の御題目という「意味」が明らかになると思う。

 前回は「天空の城・ラピュタ」、今回は仏歯寺でのセッションを行う予定である。ブッダの時代から冷凍保存されたような幻想的な寺院の中で、御題目をお唱えできることは大変光栄で意義のあることだと思う。

2008年1月23日水曜日

最近のお教化に思う

 先日来、嬉しいことがある。それは、毎朝のように最近お寺に来られるようになった方とお会いできることだ。

 横浜の妙深寺では、寒参詣中は同じ本堂下の大広間で住職も教務部も朝のご供養(朝食)をいただく。各教区の方々が当番に従って前の晩から泊まり込んでご供養を作ってくださっている。ほとんど、毎朝ご飯とお味噌汁だが、これが格別に美味しい。特別な日には、「芋がゆ」や「揚げ餅」を作ってくださる。これら特別なお料理は婦人会さんが大変なのだが、大人気のメニューで止めるわけにもいかない。朝のご供養は格別の味わいなのである。

 朝、とにかくご供養はご供養場でいただく。その際、普段はなかなかお話しできない方やお目にかかれないご信者さんとお会いできるのである。私の席は出口の近くなので、申し訳ないが通り道なので皆さんがご挨拶をしてくださる。そうなると毎朝ご供養をいただくどころではなく、お箸を運ぼうにもタイミングが取れずにいるのだが、それでも皆さんと言葉を交わすのは嬉しいのである。

 22日の朝、とても嬉しかったのは、ある旅行会社の方がお参詣してくださっており、朝のご供養場で思いがけずお会いしたことだ。これは、本当に嬉しくて、思わず自分の席にも座らずにお声を掛けて、話し込んでしまいたくなった。

 当然ながら、団参(団体で地方にお参詣すること)などで妙深寺は旅行会社にツアー企画と運営をお願いする。いろいろな会社があって、真摯にお付き合いをさせていただいる。どの会社も素晴らしい会社ばかり。その方の所属する会社も、大手の旅行代理店だった。

 秋田への団参の際、若いH君が旅行代理店の担当者として同行してくれていた。私はブッディスト・トランス・アメリカの収録直後で、成田空港から秋田への団参に直接合流するという、いつもながらの「離れ業」をした。成田から東京、東京から仙台、仙台から宿泊地の松島海岸のホテルへ。去年の佐渡団参でも同じだったのだが、H君がホテルの前で待っていてくれて、とても心強かった。有難かった。

 しかし、その時だったと思うが、エレベーターホールでH君と話をした。すると、彼の担当は旅行代理店の中でも団体旅行、特に「宗教団体」が多いそうで、ほぼそっちの分野の担当と言うことで、毎週のように様々な宗教団体の旅行に同行するというのである。「なるほどな」と私は言いつつ、「じゃぁ、信心とか宗教とか、もう見尽くしているんだね」などと言って、彼のような仕事をしている人がご信心するということは非常に難しいだろうなぁと感じていたのだった。

 ところが、である。佐渡の団参も終わって、昨年のこと。瓜生さんがH君にお話をして、そのH君がご信心をするというのである。「まさか~、ほんと~」などと、妙深寺の(インチキ)住職らしいコメントをしていた。「だって、H君、いろんな宗教団体を見ているって言ってたし、仕事が欲しいから、瓜生さんうるさいし、とりあえず信心しますって言っとけばいいかなぁ~」なんて思ったんじゃないの~、と、疑心暗鬼の元ヤンキー住職としては思っていたのである。

 ところが、H君は、私のいやらしい予測とは裏腹に、夏の開導会には「彼女」までお寺に連れてお参詣を果たしたのである。「なに、なに?!え~、本気か?!?」と、その時点になっても、住職の私は素直に信じていなかったのである(笑)。ご信者さんに、「信心は、素直が一番!」って言いながら、私が一番疑り深かったりして(笑)。

 いや、そうして感心していたのだが、12月になってH君が転職することになり、ご挨拶に来られるということで12月の、ちょうど御総講の日に妙深寺にお参詣された。しかも、転職するのだから次なる担当者を連れてこられてご紹介したいということだった。

 私は、普段通りに御総講をお勤めし、御法門を拝見した。そして、その後に、本堂裏の御控之間にてH君と、その時はじめてお会いした次なる担当者とお会いしたのであった。「H君、止めるの?寂しいなぁ。でも、転職先の会社、素敵な会社だね。頑張ってね」と励ました後、ご紹介をいただいたので次なる担当者の方にも、優しいご挨拶のつもりで、「これからもよろしくお願いします。でもね~、妙深寺には違う旅行代理店にも親しい方がいるんですよ~」などと、いやらし~い言い方をしてお二人のご挨拶を、右から左に受け流していた(笑)。そして、ほんの僅かな時間、ご挨拶を受けて私はそのまま年末の全教区からのご挨拶にテンヤワンヤだった。

 しかし、その数日後、H君に連れてこられた新しい担当者のU氏は、お寺に来て、ご信心をさせていただきたいと申し出て、お数珠を求めたのである。瓜生さんと他の団参計画について打ち合わせをする時とのことだったが、その話を聞いた瓜生さんも驚いてしまったという。「いや、ちょっと待って。まずは団参についてお話ししましょう」と言って打ち合わせを最初にして、その話の後でお数珠を求めようと思った経緯などについて聞いたという。

 瓜生さんから「お仕事が欲しいからとか、そういう気持ちでご信心すると言っているんじゃないの?」と私と同じように突っ込まれたが、聞いてみると全く違うという。旅行代理店を退職し、異なる業種へと転職するH君からU氏に対して、「このお寺だけは違う。できたらU氏もお数珠を求めて、信心した方がいい」という話があったというのだ。そして、U氏本人も、一番最初に妙深寺にご挨拶に来た際、偶然に私の御法門を聴聞して大変感銘してくださったとのこと。瓜生さんは早速本堂にお連れして、一緒にお看経をされ、彼の大きな声で、はっきりと唱える姿に感激したという。

 私はといえば、この段階でも、まだ心底は信じられずにいたのである(どこまで疑い深いねん)。「まぁ、そうは言っても、今年の妙深寺は大きな海外団参もあるし、旅行会社の営業の方も大変なんだろうなぁ」「やるなぁ、U氏は。そこまでされるとU氏の会社に心が傾くなぁ(笑)」などと言っていたのである。

 しかしながら、妙深寺では日々に寒参詣がある。その22日の朝、大広間のご供養場でお会いしたのは、一人でご供養をいただかれているU氏だった。1月、瓜生さんの御講席で彼の御本尊拝受願いについて言上させていただき、瓜生さんからもその経緯についてご披露があった。その中で、座間市に住むU氏に、寒参詣に気張りなさいとお話ししていると聞いていた。しかし、座間市から妙深寺までは2時間弱もかかるではないか。とてもじゃないが、ご信心したての、しかもちょっと変わった経緯でご信心するようになった彼には、とても無理ではないか、と思っていたのである。

 ところが、彼は素晴らしい笑顔で、しかも昔からご信心に励んでおられるご信者さんであるかのようにご供養場でご供養を召し上がっているのであった。お声を掛けてみると、やはり座間からのお参詣で、もう何日も続けておられるとのこと。もちろん、会社は横浜にあるから通勤途中ということだが、三ツ沢まで来て、しかもあの心臓破りの「功徳坂(森谷吏絵ちゃん親子が数えたところによると200段ある階段)を上ってお参詣するということは大変なことだ。U氏はそれをしておられた。

 「もう、朝参詣が気持ちよくなってきました。ありがたいです」とU氏。その言葉を聞いて、心から感動した。もはや、旅行会社とか何とか関係ない。ご信心を、しっかりと自分のものとして励んでおられる。そう、ご信心修行というのは遠くにあるものではなく、ごくごく身近にあるものだから。山に登ったり、峰々を歩き回ったり、滝に打たれることも必要ない。日々の生活の中で、出来る。それが本当の仏道修行だ。一時期、一瞬、特別の修行をしたって、そんな功徳はすぐに消えて無くなってしまうのだから。U氏は自分で修行をはじめ、それを我が身のものとしてくださっていた。

 それにしても、先日の光薫寺の団参から、旅行代理店の方が本門佛立宗のご信心に感動し、ご信心をはじめるというケースが続いている。光薫寺の団参に九州から同行していたツアーガイドの方も、妙深寺の本堂で高祖会第一座にお参詣、その後の交流会にも参加していた。参加していたというよりも、最初は柱の陰に立ってツアーガイドとして見守っていようと思っていたようだが、みんなに声をかけられて一緒に交流していたようだ。私もお声をかけて、本門佛立宗のご信心について少しお話しした。「次に会う時は、○○旅行会社の○○さんではなく、光薫寺の○○さんとしてお会いしたいなぁ」などと笑っていた。

 高祖会から数日後、信翠師から深要師に連絡があって、その方がご信心を始められたと聞いた。すごい、ありがた~い。しかも、ご家族全員で朝参詣に励んでおられるという。どんだけ~、である。

 最初にも書いたとおり、旅行代理店には「団体旅行」などのセクションがあり、その中でも「宗教団体」への営業セクションもあるようである。そこでお仕事をされている方々は、毎週のように様々な宗教団体のツアーに同行する。先週は○×会の本山参り、先々週は△◇宗の団体旅行、などというように、様々な宗教団体のツアーを見ているし、そこに参加する人たちを見ているのである。

 そうやって、たくさんの宗教団体を見続けている人たちが、「この宗旨は違う」「このお寺だけは違う」「ここの住職は違う」「この宗派のご信者さんは素晴らしい」「このご信心だけは、自分もやるべきだと思えた」と言ってくれていることが、どれだけ価値があるか。本当に嬉しい、素晴らしいことではないか。

 一気に書き上げてしまったので、スリランカ前にちょっと疲れてしまった。でも、どうしても書いておきたかった。スリランカへの準備もしなければならないのに。若い人たちも、是非是非自分のこととして、お参詣に励み、修行を実践していただきたい。「受けるは易く、持(たも)つは難し」である。Keep chanting, keep visiting」である。

 あー、ほんとーに、ありがたい。

スリランカの情勢

 スリランカに行って、最初に驚いたのはキリストの教会の多さだった。空港からコロンボ市内に移動する際、飛行機の到着が夜中だったので深夜にワゴンで移動していたのだが、道路の両脇にキリスト教の教会が点在しており、ネオンに照らされた十字架がボヤッと輝いているのである。

 「なるほど、仏教国と聞いていたけれど、キリスト教がこんなに信じられているんだぁ」と、はじめてスリランカを訪れる人であれば思ってしまいそうだ。ところが、そうではない。

 最近、スリランカの仏教団体が福岡御導師を表彰した。御導師曰く「頼んでもへんのに、もらってもーた」であるが、これは「近年最も仏教に貢献した僧侶」としての栄誉ある賞。その受賞理由は3つある。

 第1に、内戦があり危険な地域であったにもかかわらず、平和な国・日本からわざわざスリランカを訪れたこと。

 第2に、しかも、貧しい地域にまで赴いて、ひたむきにブッダの教えを広めようとしていること。

 第3に、津波被害の後は特にそうだが、貧しいスリランカは資本家を通じてキリスト教の教えの神道を許してきてしまい、スリランカの多くの僧侶はそれを食い止めることが出来ずにいたが、何と福岡師はキリスト教カトリックの本家であるイタリアで仏教の布教をしている事実。

 福岡御導師がスリランカの僧侶や団体からこのような称賛を得たことは大変に喜ばしいことであり、御導師のみならず本門佛立宗にとっても大変に意義のあることだ。本当に誇らしいし、名誉なことであると思う。特に、キリスト教に圧されてきたと感じていたスリランカ仏教界が、そこに挑み、そこで活躍する福岡御導師の功績を認め、そこから学ぼうとしていることがすごい。ありがたい。

 スリランカの情勢は、まだまだ不安定。昨年2月、スリランカ大統領との接見が実現したが、同時期にあった独立記念日は大変な警備だった。

 キリスト教の教会と同じくらいスリランカに行って目に付くのは、バリケードと兵士の数である。テロのある国家という不名誉なレッテルを象徴している。しかし、私は明日からスリランカに行くのだが、実際にはそれほどの不安はない。10月、団参の計画をしているので、参加者には不安を抱いてもらいたくない。本当にスリランカは素晴らしい国、光輝く国なのだ。必ずお連れしたいほど、本当に素晴らしい国である。

 明日から、福岡御導師の代行としてご奉公させていただく。御導師がいないのは不安。スリランカも、イタリアも、御導師と別行動の、一人でのご奉公を何度かさせていただいているが、いつも不安だ。修行だと思っているし、何より、御導師と現地のクッションが必要だと感じているし、何とかその役割を果たしたいと思う。

 とにかく、自分の出来ることを精一杯するのみ。命を燃やすこと。私のような者に出来ることは限られているが、精一杯、ただ一隅を照らせればいい。福岡御導師はいつも「失敗を恐れるな。イチローでも3割や!つまり7割は失敗や。ワシは失敗だらけや!」と励ましてくださる。精一杯、頑張ろう。生きて帰ってこよう。

「志」を届ける

 今朝、横浜は雪。境内地にも雪が積もっていた。信仰師が写真を撮って送ってくれた。見るだけで寒々しい。あ~。
 それにしても、温暖化が取り沙汰される中で例年より寒い日が続くとホッと安心してしまうのではないか。いや、それはとんでもないこと。映画「デイ・アフター・トゥモロー」ではないけれど、温暖化による海水温の上昇が海流の異常と重なり、恐ろしい寒気が北半球を襲うという仮説がある。今年はお正月に沖縄でセミが鳴いたり桜が開花したりと、異常が続いているので、これも一喜一憂したり、安易に安心することは出来ないだろう。冷静に、「今の結果を見れば過去にやってきたことが分かる。今やっていることを見れば未来が分かる」という因果の道理に照らして、少し俯瞰的だったり、長期的な視点で未来を予測していくべきだろう。
 短期的な視点に立つと見えなくなることがある。金融市場の混乱も顕著な例だと思う。そろそろ底が見えそうに思うけれど、やはり昨年度から「先送り」を続けてきた問題が今年になって火を噴き、衝撃的な金融不安が世界を襲っている。
 クリスマスには「徳政令」的な発表を行い、先日は16兆円規模の減税を発表したアメリカ政府。さすが、対処療法をさせたらアメリカほど現実的な人たちはいないと思うが、今回の対策は中途半端であるか、そもそも問題の規模が大きすぎて具体的かつ有効な刺激策とはならなかったようだ。それにしても、16兆円規模の減税とは恐れ入る。どんだけ~、である。
 私はといえば、明日からスリランカご奉公。日本の輸出企業には申し訳ないが、海外ご奉公の前に円が強くなるのは少しだけ嬉しい気持ちになってしまう。スリランカやイタリアに御有志をお届けするにしても、円が強ければ現地は喜んでくれるだろう。「志」は両替できないが、海外への御有志の場合、どうしても「為替」という壁があるから。
 1ドルが106円、1ユーロが156円。つい先日までは1ドル120円、1ユーロ170円だったのだから、すごいことだ。重ねて、輸出企業の方には申し訳ないが、嬉しくなってしまう。個人的な感想だが、私は為替取引に介入することは金持ち国家・日本の悪癖だと考えている。米国や欧州では、既に介入を行わない方針であるというのに、日本は輸出企業を守るべく恒常的に介入。これは異常なことで、「実体」の「実力」が分からないまま、1ドル80円台の恐怖から大規模な介入が続いているとしたら日本の実力を削ぐ結果になってしまうとも思う。勝手ながら、長期的に見れば1ドルは105円から110円で落ち着き、1ユーロは130~140円で落ち着いてもらいたいし、その程度が実際なのではないかなぁ。いずれにしても、海外ご奉公前の円高は、御有志をお届けする者としては嬉しい気持ちだ。
 明日、夕方のフライトで日本を発つが、経由地のシンガポールは最高気温は32度、コロンボは30度を超えている。何とも暑いだろう。こちらから着ていくものも考え込んでしまう。飛行機に乗るまでは寒いだろうが、あちらでは8月にシンガポールを訪れた時と全く変わらない猛暑なのだ。身体のサーモスタットが壊れてしまう。それでも、25日8時過ぎにコロンボに到着直後から外回りのご奉公が続く。体調不良などと言っていられない。
 スリランカにご奉公に向かうことをご披露で聞いてくださり、さまざまな協力を申し出てくださる方々がいる。前回、京都を訪れたスリランカの方々に感激して、古くからお数珠をお願いしている老舗の中郷さんから、スリランカの方々にということで100連近くのお数珠をいただいた。無料で、である。本当に有難かった。中郷さんは、長松日峰上人、小千代おばあちゃまの頃からのお付き合いで、長松寺にも毎御総講毎にお参詣くださる。私がご奉公で使わせていただいているお数珠の全ては中郷さんに作っていただいている。その中郷さんからの御有志。大変に貴重なもので、スリランカではこれを頒布して、冥加料をお預かりして、ご弘通の資金に当てることもできる。実際、大変な御有志となる。
 そして、今回、妙深寺の寺田さんより、10個の、手作りのお数珠袋をお預かりした。こうして、スリランカに出張ご奉公に行くというのを聞いて、志のある方々が「何か自分に出来ることはないか」と考えてくださり、それを形にして持ってきてくださる。本当にありがたい。感謝、感謝である。しかも、それは写真の通り、とても日本的で、きっとスリランカの方が喜ぶであろうものばかり。嬉しいなぁ。
 明日、また皆さんの「志」と共にスリランカに向かい、現地でご信心に励む方々に「志」をお届けする。自分の背中に、多くの方の「気持ち」「志」を背負っていること、多くの方々が背中を押してくださっていることを忘れずに、ご奉公させていただこう。
 まさに、中郷さんも寺田さんも、「Think Globally, Act Locally」のお手本である。

2008年1月22日火曜日

妙とは蘇生の義なり

 増永一志(ひとし)くんの突然の病気と御祈願については、このブログの1月10日と11日に書いたとおりだった。
 18才の一志くんの肝臓に、こぶし大の腫瘍があって入院したという連絡をいただいたのが12月31日だった。1月4日の初総講では、お母さまから涙ながらにご披露があり、参詣者でそのままお助行をさせていただいた。そのご祈願の輪は京都から全国に広がって、まさに「Chant Globally, Act Locally」の手本のようになっていた。遠くの誰かのために祈り、御題目をお唱えしつつ、自分の住んでいる地域やお寺で活動、活躍する、という佛立の菩薩行。増永くんの症状は、肝臓と胃の間に、他の臓器を圧迫するように腫瘍が出来ており、周りのリンパ節も腫れていることから悪性の疑いが強く、相馬病院から京大の病院へと移送されたほどだったという。
 手術当日、私たち有縁の者が各地でお助行をしてくださった。時間は遅くなったが、結果は大変素晴らしいもので、胃に癒着こそしていたが、うっすらと「膜」のようなものが腫瘍を包んでいて、綺麗に取り除くことができたという。
 16日、一志くんのお兄ちゃんが長松寺にお参詣してくださり、経過についてご披露してくださった。歩行訓練をはじめていること、現在腫瘍を病理検査に出しており、その結果を待っているとのこと。甲状腺にも影があるので、その検査も同時にしていることなどがご披露された。私も、御総講の後でお母さまとお話したのだが、家族で手術後に切り取られた腫瘍を見たが、赤く、でもうっすらと膜があって、何とも不思議だったという。
 とにかく、そうして今日までご祈願が続けられてきた。16日に長松寺でもご披露したが、増永君は辛いかもしれないが、私たちこそ年頭からご祈願させていただけて有難いではないか、と。お正月ボケをする暇もなく、ご祈願、お助行に気張れる。お父様にもお伝えしたのだが、横浜でも早速にご信者方がご祈願を始めてくれているので、何としても現証の御利益を頂戴していただきたい、御利益をいただいた暁に出来れば横浜まで来ていただいて元気な姿を見せてくれたら、こんなに結構なことはない。
 18才の一志くんにとっては、「肝臓癌」かもしれないということよりも、「手術をする」ということの方が不安だったという。お母さまからのお話を聞いて、私などは色々なケースを頭で考えてしまって、悲観的な気持ちになってしまっていた。しかし、そこを御題目口唱、御宝前におすがりしながらご祈願する中で、「妙とは蘇生の義なり」、死んでしまったものでも甦るほど尊い御力があるのが「妙」であるのだ、と言い聞かせていた。
 昨夜、お母さまから横浜に連絡をいただいた。飛び上がるほど嬉しくて、嬉しくて、感激したのだが、病理検査の結果、あの「悪性」と言われて怯えていた「腫瘍」からガン細胞は見つからなかったという。何度も聞き返したのだが、つまり「癌」ではなかったということである。私は、「膜」に包まれていたということで、「癌」であっても転移しないようなお計らいがいただけるのではないか、と期待してご祈願していたのだが、それどころか「癌」ではなかったとのこと。何とも有難い。「妙とは蘇生の義なり」ではないか。
 ご祈願・お助行をしてくださった全ての人が、この一志くんの起死回生ともいえる現証の御利益、何とも有難い展開について、喜びを共有できる。私たちのご信心は、「最大の不幸を最高の幸せに変える」と教えていただく。まさに、そのとおりで、あの日、あの時の、増永家は、家族一同が真っ暗闇の中に落ち込んでいた。涙、涙、涙で、泣いても泣いても涙が涸れないほどの不安と苦しみの中におられたと思う。
 長松寺の御総講で、130名を越すお参詣者の前に立って、涙を溢れさせながら「ご祈願をお願いします。助けてください」と嘆願されたお母さま。いま、どれほど喜び、安堵されていることだろう。「法華経を信ずることは冬の如し。冬は必ず春となる」
 もちろん、まだ病気全快には到らないし、油断は禁物である。しかし、この大きなサインを見逃すことなく、御法の御力を心に刻み込んで、次なるご奉公へと歩を進めたい。
 今回の一志くんのお助行には、吏絵ちゃんや森谷家の方々も参加してくださっていた。みんなからのご祈願をいただき、御法の御力によって助けていただいた家族が、今度は次に苦しんでいる方々のために動き出してくださるのが、また一層に有難い。
 本当に、本当に、ありがたい。

2008年1月21日月曜日

口に任せて、足に任せて

 14日の深夜、一本の電話があった。ある50代の女性からだったが、年末から心身のバランスが崩れていて、自分ではどうしようもないということだった。「死にたい」「死んだ方がマシだ」という気持ちに押されて負けそうになる。一方で、「このまま死んでしまうのではないか」という不安も抱えておられ、身動きが取れない。苦しそうな声、必死に言葉にしているが、その向こう側にある言い表せない苦悩を感じた。

 次の日は教区御講が二席。夕方ならば少し時間が取れる。17時頃にお宅に伺うとお約束した。まずは、お顔を拝見して、そのお宅の御宝前にご挨拶させていただき、状態を見た上でお話をさせていただきたいと考えた。大丈夫、安心して、御題目をお唱えして、明日伺います、とお伝えした。

 今まで、お母さまの勧めでご信心をされてきたものの、それは到底「自分自身の信心」と呼べるものではなかった。御宝前へ向かうことも、自ら御題目をお唱えすることもなかなか出来ず、続かなかったと思う。実際、彼女は社会的に活躍してきた方で、その言動も行動力も人並み以上と言って良いほどだった。だからということではないが、なかなか「ご信心」に気持ちが向かなかったのかも知れない。社会的な成功を手中にしている人は、御仏の教えの尊さを自らブラインドしてしまうことがある。彼女もこれまでは自分から「御題目口唱」という「修行」に向かうことも、続けることも出来なかった。お寺との御縁はあっても、である。

 しかし、今回だけは今までと違う。彼女自身が大きく壁を乗り越えるチャンスではないか。何度か、これまでも同じように精神的に辛い状況になったのを見守ってきたが、今回こそは彼女自身が御宝前に向かっていた。実は、12月から朝夕のお看経をするようになったというのである。しかし、このように辛い状況になった。お看経しているのに、なぜこのような辛い状況になるのか、という問いもあった。

 私は、これまでと違って、あなたがずっと苦しんできた心の病が、御宝前に向き合っている間に起きていることにすら意味があると感じていると伝えた。御宝前に向き合っていない時に同じような症状に陥ってしまったことは何度かあった。しかし、結果的に御題目をお唱えして何とかお計らいをいただこうということにはならなかった。だから、今回こそ、ご信心で御利益をいただき、自分が抱える悪循環を乗り越えるチャンスではないか、と。

 ご自宅でお話をして、そのことをお伝えした。また、せっかくの寒参詣中だから、自宅で一人でお看経するだけではなく、次の日から朝参詣することをお勧めした。お寺でお看経させていただくということは、大勢の人と一緒に御題目が唱えられるということである。一人ではなく、他の人と共にするご信心。一人では続かないことも、多くの方の御力、お助行をいただくことによって続く。是非にとお勧めした。

 16日から私は京都のご奉公となり、彼女がお参詣出来ているか確認することが出来なかった。そして、19日の朝、ご供養場で彼女とお会いした。元気そうで、ご供養を召し上がっている最中だったのだが、本当に感激した。続けてくれていたのだ。お参詣してくれていたのだ。ありがたい。

 お話を聞いてみると、お参詣をするようになってから身体に出ていた痛みも消えてきているという。朝参詣させていただいた後、ご自宅でも4本のお看経をされているという。ありがたい。何とも有難い。

 彼女に限らず、原因の分からない痛みを身体に感じて病院を訪ねる人も多い。自分では自覚症状はないが、身体が悲鳴をあげている。病院を転々としても原因が分からないままで、多くの場合は「自律神経の病気」か「心身症」「うつ病」などと診断されて薬を出されるか、自律神経を整えるエクササイズを教えられるか、である。

 自律神経を整えるエクササイズは、たとえばベッドに横になって、右側から地球の重力を感じる、、、左側から地球の重力を感じる、、、、両足に地球の重力を感じる、、、、、ということを繰り返すものだそうだ。しかし、当たり前だが、仏教的にはもっと良いエクササイズ、「修行法」があるのである。それが、五感を使ったエクササイズ、「御題目口唱」だ。

 御題目口唱は心に働く。「信とは口唱なり」だから、「口に唱える」ということが、心の中の作用である「信」とイコールであると教えていただく。御宝前に向かい、姿勢をただし、眼を開き、御題目をお唱えするということが、どれだけ心と身体にとって有効であり有益か。このような角度から見てみても、分かると思う。

 寒参詣も折り返し地点を過ぎた。厳しい寒さの中のお参詣は厳しい。しかし、だからこそ、ここからが本当の寒参詣であるとも言える。そして、御題目口唱も簡単ではない。ここでポイントがある。それは、「するか」「しないか」ということを、自分の「気持ち」に任せてはいけないということだ。御題目口唱も、「しようかな」「やめとこうかな」ということを頭で考えるのではなく、「口に任せて」唱えなさいと教えていただく。お参詣も同じだ。「行こうかな」「やめとこうかな」と頭で考えるのではなく、「足に任せて」お参詣をしなさい、と教えていただく。だから、彼女には、考えることを止めて、口と足に任せて、実践の「修行」を積み重ねていただきたい。必ず、お計らいがいただけると思う。

2008年1月18日金曜日

スリランカへの出張

 17日の朝、京都は雪が舞っていた。一日中、京都の空は青空が出たり、曇ったり。低い雲がゆっくりと流れており、青空が出ても北の方から小さな粉雪がパラパラ、パラパラ、と舞う。これを「比叡下ろし」というのだろうか、本当の雪と、雪が風に吹き上げられて市中を飛び回っているのか、分からない。私は雲が大好きなので、そんな京都の冬の空を眺めながらご奉公させていただいていた。
 18日の朝は長松寺にて寒参詣、夕方には横浜に向かう。そして明日、土曜日は自坊・妙深寺でのご奉公。京都の出張もあり、寒参詣中ではあるが月末までスリランカへの出張がある。留守がちになっているが、前年に比して圧倒的に寒参詣の参詣数が増加している。喜びの声があちこちで聞こえる妙深寺の寒参詣。ありがたい。老若男女、和気藹々。特に、私も存じ上げない新しい方、ご家族連れがお参詣くださっているのが嬉しい。
 先日、薫化会の餅つきがあったのだが、そこに私がお教化させていただき、ずっとずっと御祈願させていただいてきたご家族が、家族連れで参加してくださっていた。あぁ、嬉しかったなぁ。私は御講席があり参加できなかったのだが、ご家族で薫化会にとけ込み、お餅つきと書き初めにも最後まで参加して楽しんでおられたという。子どもたちだけで50名近くの参加。うわー、これもありがたい。
 スリランカには24日から30日まで出張ご奉公となる。あちらのリーダーの方々が、到着したその日から怒濤のスケジュールを組んでくださっている。今回スリランカに出張するのは、私と清顕師の2人。スマトラ沖地震の際、津波で大変な被害を受けたゴール市でもセッションを行うことになっている。また、刑務所でのセッションや、Kumduni Herathさんの手配でキャンディー地域にも訪問し、セッションを執り行うことになっている。
 実は、昨日17日午前0時、分離独立を求める少数民族タミル人の反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」とスリランカ政府が2002年に結んだ停戦協定が失効した。スリランカ国内に於ける内戦、テロが激化する恐れがある。事実、コロンボ南東部でバスが爆破され、27名が亡くなった。一昨日、16日を以てノルウェーとアイスランドの停戦監視団31人は活動を停止した。政府の軍事行動とテロによる暴力の応酬が拡大する恐れがあり、予断は許さない。
 しかし、かといってご奉公を中断するわけにはいかない。そこに生きるご信者方は、正しい仏教による平和と繁栄、共存を確信している。それこそ「立正安国」の教えであり、正しい教えを立てることによって、国を安んずるというお祖師さまの教え、私たちの希望だ。
 10年前、福岡御導師が最初にスリランカを訪問した時も、内戦が激化していた時だった。まさに、その時だった。お計らいをいただいて、私たちも無事にご奉公させていただきたいと思う。

2008年1月13日日曜日

負けてはならぬ、負けてなるものか

 今年、最初の御講。どのような御法門を説かせていただくべきか、考えながら年を越した。1月4日の長松寺の御総講、そして平成20年正月の妙深寺教区御講。そして、私は最初の御講席に於いて、「負けてはならない」をテーマとして御教歌を選定させていただき、御法門を拝見することとした。

 新年を迎えると各メディアには「今年の大予想」などの記事が目立つようになる。専門家の意見ならまだしも、最近のスピリチュアル・ブームを反映してか占い師や霊能力者の言も並んでいる。情けないことだ。こうした風説だけでスタートを切る人間の弱さ。

 真の仏教徒であれば、狐狸の類にも似た占い師などの意見を聞くことは、迷いを増すだけでメリットは何一つないことを知っている。むしろ、自己暗示による弊害が一年間つきまとうことになるのだから。

 真の仏教徒は、因果の道理で考えて一年のスタートを切れる。仏教の因果は、「今を見てみれば前に何をしていたか分かる、今何をしているか見たらこの先どうなるか分かる」というもの。

 去年までのことを思い浮かべて、「今までの自分、今までの社会、今までの世界がしてきたことを見れば、今が分かる、今年が分かる」ということだし、今年の自分や社会を見据えて、「今の自分、今年の自分、今年の世の中を見ていれば、その先の自分も社会も見える」というものだろう。

 ごく一般的な仏教として平成20年を見るに、「大変な年になるなぁ」というのが感想なのである。なぜか。時限爆弾付きの問題を、すべて先延ばし、先送りにして迎えたのが平成20年だと思えるからだ。余程の覚悟がなければ、到底乗り越えられないのではないかと思う。もちろん、何もなければ良い。ただ、そうだとしても現在の人間がしている行動を、政治的にも経済的にも環境的にも考えると、非常に悲観的にならざるを得ないと思っている。だから、「負けてはならない」をテーマとしたのだ。

 問題を挙げれば切りがないだろう。政治の空転、総選挙、年金の問題は、時限爆弾のように日本社会を揺るがすだろうし、原油と金の高騰と世界的な大恐慌の火種になりうるサブプライム・ローンの問題も、既に導火線は残り少ないと言い切っても良いと思う。外国企業は日本市場から撤退しているし、それに対する対策は付け焼き刃のようなものでしかない。問題の先送りは恒常化していた。

 新潟県で、低所得者が灯油を買えないかもしれないと危惧して一軒当たり5000円の支援金を拠出することが決まったが、原油の高騰は投資家たちが価格を吊り上げているからだと考えられる。石油メジャーの大手は軒並み史上最高益を更新し、投資家たちは価格高騰によって利益を上げている。裏腹に、新潟県に限らず消費者は灯油を控えて寒さに震え、小売店は非常に厳しい経営を迫られている。今後、多くの商品の小売価格が上昇してゆくことが予想されるし、直接家計を圧迫していくと考えられる。

 サブプライム・ローンの問題など、もう実際に「バブルは崩壊」したと言える。損失の実際規模が確定できないということは、10兆円の価値があるとしていたものが、実際にはいくらの価値しかなかったのか確定できないということだ。そのくらい、いわばインチキな価格の吊り上げをしながらカンフル剤を入れ続けて、何とかもたせてきたのがアメリカ市場であり、そこに依存してきた各国の市場ということだと考えられる。そこが「崩壊」した。今は何とか「そうではない」とアナウンスをするしかないだろう。しかし、どこまでそれが通用するのだろう。各市場が防衛策を発動し、各機関が一致して対策を実施しても、余程の「徳政令」でも出さない限り、全世界の市場が危機的な状況を迎えるのではないかと思う。そして、たとえ「徳政令」を出したとしても、それは一時的な対処療法にしかならないと考えられるし、過剰な貸し付けで消費を刺激し、促してきたツケは、自然環境にまで及んで、地球温暖化まで繋がっていると思う。こうした悪循環、降りられないシーソーゲームが、結局は人類を「しっぽを食べて生きる蛇」にしてしまっていると思う。

 そういう時代に突入した、そういう年を迎えたという思いが強い。だから、どうするか、ということに極まる。日本国内も、経済も政治も、もっと身近な生活や人間の精神が危機に瀕しているとして、さて私たちはどうしたらいいのか。

 結論からいえば、もはや安易に構えていたら危ないという警鐘を鳴らすしかないと思う。平成21年、立正安国論750年の上奏を記念する年を迎えるに当たって、このような現象(現証)が表れていると考えられるけれども、それを難しく語る前に、自分や家族を守るために「覚悟」を持たなければ乗り越えられないということを知っていただきたいと思う。

 「ご信心をしているから、御法さまが守ってくださるだろう」「なんとかなるだろう」というのも、一つの「ご信心」「信仰」の形態ではある。そうした「ご信心」があってもいい。否定することはない。

 しかし、世が混迷を増し、末法の様相が深まる昨今、中途半端なご信心前のまま安易に「守って下さる」と思っているようでは御法に傷が付く、結局は油断が生まれ、ご守護もお導きも無いということになりかねない。

 つまり、「信心していると、負けないんでしょ?」「大丈夫ですよね」という他力本願のようなものではなく、「私は、これほど尊い御題目にお出値いしたのだから、負けるわけにはいかない」「お祖師さまの強いご信心前、教えをいただいているのだから、負けるわけにはいかないのだ」という、「佛立信者の覚悟」「菩薩の誓い」までご信心を高めることが大切だと思うのだ。

 御教歌には、「まけん気と根気と慈悲のある人は みのり弘むる器なりけり」とある。仏教であるのに、「負けん気」と冒頭にいただくのは、非常に心強いし、珍しい。私は負けん気ばかりが強かったので、「根気」と「慈悲」の大切さをこの御教歌から教えていただいたが、今年この御教歌を拝見するとしたら、まずは「負けん気」に力点を置いて拝見していただきたい。

 法華経本門のご信心、本門佛立宗の菩薩の誓いの中では、単なる「いい人」は、前に「どうでも」が突いて「どうでも良い人」になってしまうのである。「見かくし、聞きかくし」する人を嫌う。自分だけ善人や良い人ぶって、誰かが間違っていても放っておくような人を、「どうでも良い人」として切る。菩薩行では、「強さ」が必要である。

 つまり、妙深寺では「菩薩の誓い」というご奉公を年頭からお勧めしているが、単なる「優しい人になろう」ということではないことを強調した。「慈悲心」と同時に「負けん気を起こせ」ということを主に説かせていただきたい。無論、3つがバランス良く自分の生き方の柱になることが大事に違いないが。

 ただ、単なる「勝ち負け」を言うなら色々あるだろう。隣の奥さんがバッグを買ったから、あたしも買いたいという勝ち負けでは困る(笑)。会社の上司、同僚、取引先、学校のアイツ、等々、挙げたら切りがないかも知れない。確かに、そこでも健全な競争による中で、勝たなければならないこともあるだろう。人は、それぞれ勝つべき対象が違う。

 しかし、最終的に勝たなければならないのは、自分自身の心。自分自身に違いない。仏教ではそうなのだ。それは、自分の欲深さ、わがままさ、屁理屈を言う癖、偏屈な所、エゴ、短気さ、怠け癖、熱しやすく冷めやすい所、等々。

 だから、別の御教歌には、
「怠りの 魔軍を責て 弘むべし まけてはならぬ 祖師の御味方」
とある。この御教歌では、「自分の怠りの心、自分の心こそが、戦うべき相手だ、誰よりも怖い魔軍だ、負けてはならない、負けるわけにはいかないぞ、お祖師さまの味方である私たちは。私たちが負けてどうするというのか」ということを教えておられる。「負けてはならぬ」「負けるわけにはいかぬ」と教えていただくのだ。有難いことだ。

 自分の弱点に無関心な者が仏に成れる訳など無い。いくら尊い御題目を頂戴していたとしても、自分の弱点を改良しないで良しとするのは、御題目の上にあぐらをかいていると言われても仕方ない。自分のダメな部分、弱い部分を知って、そこを改良・改善するためにご信心があり、御題目がある。

 開導聖人の御指南に、
「常に人に勝れんと思ふ心をやめて、徳の我に足らざる所を、憂い、徳を我が身に積みて、其の徳を以て人に勝つときは、是を至極の勝ちと云う。まけること嫌ひなれば、とくをつめよ」
「信行またしかなり。わが信の足らざるをおもひて、積功累徳して、利益を顕すは至極也」
「利益は口唱の信行より出るもの也」
とお示しになられている。この御指南は、常に拝見し直していただきたいと思う。本当の勝ち、この上ない勝ちはどういうものかをお示しになられている。

 徳を積むことが、勝つことに繋がる。「負けることが嫌だったら徳を積め」と教えていただく。体力をつけるのだ、自分の中に強さを蓄えるのだ、と思って、愚痴を言っても仕方がない、相手を非難していても仕方がない、とにかく功徳を積む、口唱、参詣に気張り、一人でも多くの人の力になろうと思い、行動し、苦しんでいる人や悩んでいる人がいると聞けば駆けつけ、その人のために祈り、ご信心を進め、お教化に努め、育成に努めていく。これが功徳の積み方、これを以て、負けない自分が培える。

 どうか、大波乱の予測される今年。「負けてはならぬ 祖師の御味方」をテーマとして、自己を励まし、自己を磨いていただきたいと思う。

2008年1月12日土曜日

明日は成人式

 明日は妙深寺の第55回成人式。その準備に追われている。成人式には允許状と記念の色紙(今年は工夫を凝らして違う形式の冊子)が送られる。そこに「寿」と書かせていただくのと、允許状に割印と住職印を押す。成人式を迎える本人やご家族を心からお祝いしようと、教養会・教務部で真心のご奉公をさせていただいている。

 今日は、朝から佛立開講記念・弘通発願式だった。4時に起きて準備を開始し、6時30分からお看経、7時30分から事務局長を筆頭に誓願言上、続いて、教区長会、壮年会、婦人会、教務部と続く。

 今年の1月12日で、本門佛立宗は開講152年目を迎えたことになる。その御意を体して、今朝の御法門にも力が入った。有難いこと、この上ない。この誓願式に引き続き、「菩薩の誓い 一万遍口唱会」を開催。そのまま本堂に大勢の方が残り、12時まで熱のこもった御題目口唱を捧げた。一年間の無事ご奉公成就、一人でも多くの人の御力になれるように、菩薩行の実践を誓った。

 御乗台に座らせていただきながら、背中に御題目のバイブレーションをビシビシを感じる。自分の心の迷い、弱さを洗い出されているようにも感じる。進之介くんの御題目の声が透き通っていて、一番気持ちいい。気持ちいいが、少年の菩薩は私たちの鏡でもある。彼から学ばせていただくことも多い。サッカー少年だが、お父さんとお母さんと一緒にいつもお参詣くださり、本堂の一番前に座って大きな声で御題目をお唱えする。本当に彼の御題目は背中を熱くする。

 一万遍口唱会が終わって、14時から神港教区の教区御講。これまた妙深寺一盛り上がっている教区で、お迎えはひろし君。朝からずっとのご奉公。お迎えとは、教区を代表して庫裡まで御導師をお迎えに上がるご奉公なのだが、若い頃からのことを考えると何だか背中がむず痒い。それが「ご住職、お迎えに上がりました」と真面目な顔で言ってくれるのだから、少々照れる。いや、そんなことを言っていてはいけないなぁ。彼のご信心には本当に頭が下がるから。

 教区御講も無事に奉修。いや、「無事に」どころか、感動溢れる御講席とはこのことだ。御講席一席一席が、本当に内容が濃い。それぞれが、自分の一年間の目標、あるいは日頃感じていること、ご信心の体験談、思い、失敗談などを、赤裸々に語ってくれる。語れる雰囲気がある。それを聞きながら、ある人は涙を流し、ある人は反省をし、ある人は信心を改良、増進する。「これぞ御講!」という雰囲気がある。ここまで来るのには時間が掛かったなぁ(涙)。ありがたい。

 既に16時を過ぎていた。本当は布教区参与会があり、川崎まで行って出席しなければならなかったのだが、間に合わない。申し訳ないが、清康師と清顕師にお願いすることにした。

 終わってから庫裡に戻り、御宝前にご挨拶。そのまま成人式の準備に取りかかった。汚い字。でも仕方ない。今回は、記念品としてお渡しするこれらの物の中に、生まれた年の新聞記事と妙深寺の出来事が写真付きで掲載されている。ちょうど寿の字が入った冊子の裏側。また、そこに住職から一首の御教歌をと言うことで、開導聖人の「まけん気と根気と慈悲のある人は みのり弘むる器なりけり」との御教歌を寄せさせていただいた。

 これは、私がヤンチャをしていた頃、そう不良していた学生時代。愚かな私は母親と一緒に家庭裁判所にまで行くことになった。

 そんな時、先住が教えてくれた御教歌。「勉強」もしない「勉強机」の上に、先住が書いて置いてくれていた御教歌。それを今回選ばせていただいた。それが「まけん気と根気と慈悲のある人は みのり弘むる器なりけり」という御教歌だった。

 「負けん気だけ強くても、お前は慈悲も根気もないからダメな奴だ」と叱られた。馬鹿な自分には効果はあまりなかったようにおもうが、それでも父の教えを今でも忘れない。こうした教えがあったからこそ、少しはマシになったと思う。その御教歌を、明日成人式を迎える方々にお伝えしたい。

 字は下手だけど、精一杯させていただきました。成人のみなさん、おめでとう。明日ね。

願う所、虚しからず

 1月6日は、特別に忙しく、朝から動き続けていた。

 1月4日は長松寺の御総講、5日に新幹線で横浜に戻り13時から教務会。6日から寒参詣がスタートするので、その準備にも追われた。寒参詣第一日目の御法門は住職である私が担当する。

その6日、大勢のお参詣者と共に寒参詣がスタートした。第一座の御法門が7時から、第二座の御法門が8時から。ご披露等が終わり、寒参詣のご供養をいただくと、あっという間に9時を回る。

 家に戻ってシャワーを浴びて、出掛ける準備をする。その日は13時からの教区御講で千葉まで行かなければならない。10時過ぎには車で出発とのこと。しかし、10時から教養部の会議が入っていた。少々お待たせしてしまったが、着替えてから会議室に顔を出す。ここには、壮年会、婦人会、青年会、薫化会、松風会、ボーイスカウト、ガールスカウトという妙深寺の教養会の代表者の方々が全て揃って下さっている。でも、ちょっとだけ顔を出して、5分程度の熱ーいスピーチをさせていただいて、「ごめーん、行かなきゃー」とペロッと舌を出して言い訳をしながら瓜生さんと野崎さんに後を任せて車に乗り込む。

 車の中でウトウトしながら、12時過ぎには大塚さんのお席に到着した。この日は、お参詣者が今までで一番と言って良いほど多かった。しかも、大塚さんも喜んでおられたが、新しい方々ばかり。中でも渡辺さんの息子さんがお参詣してくれていたことには感激した。実は、彼は大学生であったにもかかわらず、数ヶ月間行方不明で、教区内でお助行とご祈願を続けてこられた。こうしてお参詣していただけるようになったことは、お計らい以外の何ものでもないと思う。その経緯は書ききれないが。

 御講席を勤めさせていただき、お昼のご供養を頂戴してから、そのまま深恭師と車で長野に向かった。和長さんにお別れをするためである。ご自宅でのお別れとのことで、そのままご親戚など内々でお通夜を営まれることとなり、私が導師を勤めさせていただくこととなった。もちろん、和長さんとのお別れ、万難を排してご奉公させていただこうと思い、このようなスケジュールとなった。

 首都高速から関越道、浅間山を見ながら軽井沢を抜けて長野へ。その際、高速道路の左側に見える山々の向こう側に、空に黄金の扇形を描きながら沈もうとする夕陽を見た。余りに綺麗だったので、思わず写真を撮った。和長さんとのお別れの夕べに見た夕陽は、何とも幻想的で、不思議なものだった。

 17時頃、和長さんのお宅に到着した。奥さまの音美さんとお会いするのも今年はじめて。もちろん、和長さんが帰寂されてからはじめてのことだった。労いの言葉を探しながら、お二人のお嬢さまと東京にお住まいの息子さんにご挨拶をした。

 和長さんとの対面。最後にお会いしたのは12月9日だった。今では冷たくなっておられる。布団をめくり、手を握る。そのまま御題目をお唱えしながら数10分間お話をした。もちろん、言葉には出さない会話。

 しばらくして着替えさせていただき、一座をお勤めした。ご供養の席で、息子さんと涙ながらにお話しすることができた。私と同い年とのことだった。なるほど、だから和長さんは私を息子を見るような親しさで見つめて下さっていたのかと思った。息子さんもそのことを感じておられ、横浜のお寺に是非ともお参詣すると約束して下さった。そうだ、それこそご回向の道だと、お話をしていた。

 その夜、間違いなく、その場に和長さんはいてくださった。私たちを見ておられた。久しぶりにそうしたことをはっきりと感じた夜だった。

 一人で駅のホームに立ち、新幹線に乗って東京方面に向かった。東京駅からは東海道線を使って
横浜に向かった。23時過ぎ、妙深寺へ戻った。本日のご奉公のご報告を御宝前に申し上げ、和長さんのご回向を重ねて言上し、就寝した。

 それから数日、嬉しいお話をお聞きした。

 私は、何ともやるせない思いにもなっていたのだが、ずっと和長さんと共にあり、闘病してきたご家族がご信心の有難いことを語ってくれていた。

 和長さんは、本当に最後の最後までお元気だった。夏の診断からは信じられないことだった。余命数ヶ月と言われてからの、食道癌の治療。お嬢さまの友人のお一人に、自分の父親を食道癌で失った方がいたという。その方から同じ食道癌であるとすると、最後の最後まで本人が大変に苦しむということを聞いた。お嬢さま自身も、そのお父さまの葬儀に参列したというが、その亡くなった方のお顔に、苦しさと痛さがにじみ出ていたというのだ。

 しかし、和長さんを見よ。これほど穏やかで、真っ白。布団に横たわる和長さんは、私よりもお坊さん(?)のようで、綺麗な姿。何とも有難いお姿だった。最後の最後まで元気で、インターネットを通じて私の妙深寺本堂でのご挨拶や御法門を聴聞しておられたという。そして、自分のことが語られていることも聞いていたという。本当に、最後の最後まで元気で、12月には百本祈願にも挑戦しようとしていたという。

 そして、家族みんながご信心を相続されるということが、何より有難いではないか。先住は「生き恥かいても死に恥かくな」と仰った。生きている間は誤魔化しもきくが、死んでから自分の顔は直せない。死に顔は自分で化粧できないという訳だ。自分の「死」には一生の行いが表れる。人間200才まで生きるものはいない。必ず死を迎える。信心をしている、していないという違いも、菩薩行をしている、していないという違いも、この「死」に出会って明らかになると思う。そこを「生き恥かいても死に恥かくな」と仰った。

 法華経にあるとおり、「所願不虚」。「願う所、虚しからず」。私たちのご祈願、祈り、御題目は、和長さんに届いていた。それは間違いない。つくづく有難いことだと思う。和長さんのために、ご病気の方のために、祈れたこと、御題目をお唱えできたこと、それが有難い。まさに、佛立信心だと思う。

 和長さんとのご奉公で、またそのことを教えていただいたと思う。

2008年1月11日金曜日

一志くんの手術の結果

 昨日、増永くんの手術が行われた。全国でお助行、ご祈願をしていただき、温かい菩薩の輪が広がっていることを実感。有難かった。
 私も早めにご奉公を切り上げて長松寺に戻った。13時から博子さんがお看経を上げてくださっていた。そこに入らせていただき、一志くんの手術成功の御祈願をさせていただいた。全国の、縁のある方々、こうした話を聞いた方々が御祈願してくださっている。その気持ち、模様を、前回ご紹介した園美さんの掲示板にも詳しく出ている。ありがたい。
 13時開始予定の手術は15時40分まで遅れた。17時終了予定の手術が終わったのは22時近かっただろうか。途中、連絡がないのは丁寧にしてくださっているということだとか、いろいろなことを考えてしまったが、22時近くになって入った終了の連絡では、その結果については分からなかった。
 今朝、現薫師から詳細な報告をいただいた。
 やはり、大きな腫瘍があったということだが、その腫瘍を膜のように包み込まれるようにしてあったので、綺麗に取り除くことが出来ました、ということだった。ありがたい。イタリアのダニエレ師とティッツィアーノ氏のお母さまのお話と似ている。
 今日から歩行訓練も始まるということ。とにかく、「術後経過良好」のお願いを続けさせていただこうと思う。
 取り急ぎ、ご報告まで。

2008年1月10日木曜日

初総講での御祈願

 1月4日18時から、京都麩屋町の長松寺で、平成20年最初の役一総講が奉修された。今年の初総講は大変多くのお参詣をいただいた。有難かった。

 本山宥清寺のお参詣が100名を越え、他寺院のお参詣者が40名を越えていた。ちょっとした御会式のお参詣数で、お正月気分も吹き飛ぶ気持ちがした。ありがたい、みなさんの思いが。

 そして、本泉寺の園美さんの掲示板を見ていただくと分かるのだが、寺尾くんという青年が御礼のお参詣に来てくださった。寺尾くんとお会いしたのは12月16日の長松寺。暗く沈んだ顔をしていた。御総講終了後の懇談の時間、話題を振っても上手に笑えない、不思議な青年だった。

 園美さんからご紹介を受け、話を聞くために長松寺の二階にある部屋にご案内した。20代の青年だが、ご信心をしているわけではない。光薫寺出身のご信者さんの友人で、その方にお寺参詣を勧めていただいたりしてきた。しかし、ご信心はできなかった。

 今年の秋、信じられないような不幸な出来事が彼を襲い、彼は生きる希望を失ったという。私が聞いていても、大変な状況であり、彼が生きる気力を失ってしまったのも理解できるほどだった。しかし、彼の口からそうしたお話を聞いて、結局は死ぬことによる解決など無いことを伝え、この悪い流れを変えることをしなければ自ら命を絶ったとしても問題を先送りにするだけだということを伝えた。

 で、どうする?いや、理屈っぽいんです、信心って言っても、、、、、、。いや、信じられないかもしれないんですよね、という。私は即座に「信じなくても良い」と答えた。こんな状況で、理屈屋で、長々と話をしても結局君は信じられないよ。「はい、全て分かりました。信じられます。信じます」ってなってから、何かが変わると思うか?変わらないし、そんな人いない。もういい、信じなくて良い。

 ただ、君が今、どうしようもない状況だということは分かった。それを何とかしなきゃいけない。だったら、信じなくても良いから、「御題目」をお唱えしてみろ。それは、君自身の心の薬、悪い流れを変える決定的な「動き」、唱え重ねて、唱え重ねてしてみたらいい。大丈夫、絶対に自分で感じられる、その効果、力を。まず、やらなきゃ始まらない、とお話ししたのだ。

 本泉寺というお寺は素晴らしいお寺で、ご住職は即座にご信者でない彼を預かり、奥さまの園美さんがお世話をしながら百本祈願を開始。逐一、状況が掲示板に乗っているが、12月30日に寺尾君は百本祈願を終了。満面の笑顔で1月4日の初総講に長松寺までお参詣してくださった。なんということだろう。本当に蘇っている。「もう大丈夫です」と。私は「よかった。本当によかった。御題目の御力だなぁ。いや、油断するなよ」と言い、心から喜んだ。本泉寺のご奉公は、本当にすごいなぁ。

 しかし、一方でこの長松寺でもご披露したが、増永一志(ひとし)君という18才の青年に肝臓癌の疑いがあるとのこと。非常に御縁の深い方で、本山の青年会の方々がお助行に動き出していると聞いた。私たちもお助行させていただこうということで、長松寺で初総講終了後にお助行をさせていただいた。

 最初は青年会の方々だけということだった。そのままお助行をさせていただいて、振り返るとほとんどのお参詣者がそのまま残ってくださっており、100名を越えるお助行になった。大きな声の祈り、御題目が背中を押してくれていたが、これほど多くの方がお助行くださるとは。

 お助行終了後、お母さんから泣きながら病状の説明とお助行の説明があった。ご披露を聞きながら、みんなが自分のことのように感じて、お助行を続けると言ってくださった。実は、今日1月10日、13時から手術が行われる。何としても、手術の成功と検査結果が良好であっていただきたい。お願いします。

2008年1月7日月曜日

祝盃と、京都の陰膳と、

 除夜法要が終わり、31日から新年元旦の朝を迎えると、朝早くから私たち所属教務とお寺に住む家族は庫裡に集まる。
 これは妙深寺で代々為されてきたことで、私も子どもの頃から元旦の庫裡で行われる厳かな行事に自然と並んで座していた。
 例年1月1日の朝、全教務とその家族は庫裡に集まり、新年のお看経をさせていただく。お看経が終わると、そのまま住職は振り返り、皆に新年の挨拶をさせていただく。
 その後、一言も発することなく、本寺から妙深寺に賜った純金の祝盃が静かに住職の前に置かれる。そのまま、まず最初に執事長から住職が祝盃を受ける。その後、住職が全教務、全家族に祝盃を授けていく。
 私も子どもの頃から、元旦はこうするものだと思っていた。すっごい静かな中で、一人一人がご住職の前に進んでいって、ちょこんと座ってご挨拶をする。ご住職が黙ったまま差し出す金杯を、手が震える思いで取って、三度ほど注いでいただいてゆっくりと飲み干す。
 自分が口をつけた金杯を、水受けにひたして、それを拭いてご住職の差し出す台に戻すのも至難のワザで、独特の作法がある。子どもの頃はドキドキして仕方がなかった。ズラッと居並ぶ先輩、お兄ちゃん、お姉ちゃんのしているのを見ながら、自分の順番が来るのを待つ。年齢順だから、子供は一番最後なのだ。
 この元旦だけは、お酒も飲めない子供なのに、先代のご住職からほんの数滴の祝盃を受け、「うぇー」と言いながら舐めていたのを思い出す。今年は、長男もしっかりと座っていて、自分の前に進んできた。私が先代のご住職の祝盃を受けていたように、息子もドキドキしながら自分の順番を待って、私の前に進んできた。そして、ほんの数滴、息子の盃に「お屠蘇」を落として、彼はそれを舐めた。息子も同じリアクションをしていた。「うぇ~、何すんだぁー、まっずーい」って。
 そのまま奥さま方のお給仕をいただきながら元旦の朝食をいただく。11時から「元旦初総講」なので、その前にいただく。その時にいただくのは、お教務さんの奥さまが年末に作ってくれる「おせち料理」だ。ほんの短い時間だがお正月気分を味わせてくれるし、本当に美味しい。ありがたい。年末の忙しい最中に仕込み、料理してくださるので感謝、感謝。
 子どもの頃、京都の長松寺でお正月を過ごしたことがある。大僧正日峰上人と、小千代おばあちゃま、そして千鶴子姉さんもいたと思う。
 京都のお正月は、風情があるというか、「これぞお正月」という雰囲気に満ちている。子供心にもそう思ったものだ。そう、本山には千鶴子姉さんに連れて行ってもらったのだ。本山の除夜法要ほど素晴らしいものはないと思う。
 そして、元旦の長松寺。日峰上人と小千代おばあちゃま。奥の間にズラッと高膳が置かれており、漆塗りの板の上に、数の子やフナの甘露煮がポツンと置かれていた。しかし、そこに座るべき人がいない。
 その時に、おばあちゃまから、「これは清凉さん(父の名前)。これは陰膳ゆうて~」と説明を受けた。横浜に行ってご奉公している父のためにお膳を作って、誰も食べないのにおせち料理が置かれている。おじいちゃまとおばあちゃま、千鶴子姉さんという、ちょっと寂しい長松寺のお正月だったが、お膳だけはズラッと並んでいたのを覚えている。そして、私のお膳も作ってあり、私が横浜で何となく過ごしているお正月でも、こうして「陰膳」が京都で据えられていることを忘れてはいけないと教えてもらった。
 その時、京都で白味噌のお雑煮を食べた。「頭(かしら)いも」がどかーんと乗っている白いお味噌で出来たお雑煮。お餅は焼かずに煮るのだという。いま、妙深寺で過ごすお正月でも、お吸い物のお雑煮と、この京都風の白味噌のお雑煮という二種類を用意している。
 もちろん、私が選ぶのは白味噌のお雑煮だ。本当に美味しい。これだけはお正月から外せない。
 今年も、京都では私の陰膳を据えてくれている。ありがたい。

妙深寺のお正月

 昨夜、長野で渡邊和長さんとお別れをしてきた。見事な、綺麗なお姿で、白く光り輝いていた。ご家族とご親族、みなさまとお会いして、お話をお聞きして、和長さんのお姿を拝見して、言葉が湧いてくる。御題目が湧いて出てくる。

 闘病の中、人間としても、佛立信徒としても、手本となる姿を見せてくださった。お別れをして一人長野新幹線に乗り、横浜に戻る。帰山すると家の中はひっそりとしていた。23時をまわっていた。

 昨日から寒参詣が始まった。これから2月5日まで朝6時30分から8時過ぎまで、大勢の方々が妙深寺にお参詣をされる。朝のご供養(朝食)があるため、前日から各教区の方々が交代で泊まり込んで準備をしてくださる。連日、400名近いお参詣者で溢れる。特に、今年は昨年からの流れもあって、新しい顔ぶれ、若い方々が目立つ。有難いことだ。

 ここまでブログの更新が滞ると、閲覧する気もなくなってしまうだろう。落ち着いてPCの前に座れないのだから、文章も綴れない。これではいけないと、少々早起きをして、溜まっていることを書き込もうと思った。

 妙深寺のお正月。12月31日は23時30分から除夜法要が勤められる。ほんのりと灯る明かりの中、本堂にお参詣して御題目をお唱えしながら年を越す。法要は0時30分まで。写真は境内地で出される年越しそばのテント。青年会の方々が毎年大晦日のご奉公として、全お参詣者に年越しそばをご供養させていただいている。彼らも、年末年始のご奉公だから大変だと思うのだが、きっとお友だちとの約束などを断って、お寺でご奉公してくれているのだと思う。本当にありがたい。

 さらに有難いのは、今年は、この除夜法要が終わった後に、数人の有志の方々が「このまま本堂にいさせてください」と申し出られたことだった。実は、今の妙深寺は、まさに「百本祈願ブーム」と呼んでも良い状態で、もはや20名近くの方々が百本祈願をされている。次から次へと、百本祈願に挑戦されている方からのお話を聞く。お正月休みを利用して百本祈願に挑戦される方も多く、年末年始は大勢の方々が毛布にくるまりながら本堂でお看経されているような状態だった。

 その中でも、この大晦日に、「このまま本堂にいさせてください。この本堂から初日の出を見たいのです」と仰った。そう、妙深寺の本堂は丘の上にあり、ずっと太陽が当たる。もちろん、横浜港から上る朝日は、真っ先に本堂を照らし出し、本堂の中の御宝前を浮かび上がらせる。

 平成20年の初日の出を本堂から見たい、それまでずっと本堂でお看経をさせていただきたい。その思い、願いの素晴らしさに感激した。大晦日の横浜の空は、本当に澄んでいて、たくさんの星が見えていた。清従師がそれを写真に撮ってくれていて、そこにはびっくりするくらい綺麗な星空が映っていた。横浜の空に、これだけの星が出るなんて珍しい。天文少年の血が騒ぐ。本当に普通の年じゃない、平成20年は。

 教養会館の屋上から撮影した写真の中に、綺麗な星々が輝いているのが見えるだろうか。あぁ、なんて綺麗なんだろう。星を眺めていると、言葉に代えられないほど色々なことが思い巡る。ありがたい。

 妙深寺の本堂の中では、3人のご婦人がお看経をし続けておられた。日の出まで5時間以上。御題目をお唱えしながら大晦日から元旦にかけての夜を過ごされていた。特に、高島女史はこの日から百本祈願をはじめられた。元旦だけではなく、結局この日から新年の数日間、ずっとお寺でお看経をし続けておられた。吏絵ちゃんがお参詣してくれた時にも偶然お会いできて、「嬉しいわ」と感激してくださり、吏絵ちゃんにお年玉まで渡してくれた。

 それにしても、百本祈願が流行するお寺というのは有難い。今年は、とにかく「お看経」をたくさんあげさせていただいて、その尊さを実感しようとしている。  
 世界でも、国内でも、政治でも、経済でも、火の付いた問題を先延ばしにして、今年まで持ち越したことが山のようにある。時限爆弾と言っても良い。気を抜いていると大変なことになる。ここまで混乱を控えていると、もはや何事かあったときに「アイツが悪い」「政治家が悪い」「制度が悪い」などと言い始めても始まらない。誰のせいにも出来ない。とにかく、自分自身で、乗り越えなければ、守らなければならない。
 15世日晨上人は「自力では引き分けか、負け」と御指南されている。自力をつけたいが、自力だけでは到底かなわないことがある。だから、ご信心の力を奮い起こし、御法さまの御力を添えていただけるようにさせていただかなければならないと思う。

 だから、今年は、信行の基本、御題目口唱をさせていただきたい。占い師や霊能者に聞くまでもない。因果の道理からしても、今年は、政治的にも経済的にも時限的な問題や混乱が起こり得る年だ。そんな年にあっても、何としても愛する人を守って上げられるように、守れるように、自分を強くしなければならないのだから。

 とにかく、一同で、たくさんの御題目をあげさせていただきたい。

長松寺の庭

ブラジルとのウェブ会議から、京都佛立ミュージアムの運営委員会。 次から次へとご奉公が溢れ出てきて、ありがたいこと極まりないですが、途切れることなくひっきりなしで目が回ります。 海外には9教区。世界同時のコロナ禍。本年予定されていたブラジルとハワイへの特命巡教の件。ブラジル教区・日...