2010年4月30日金曜日

穏やかな4月の終わり

日が長くなりましたね。横浜も穏やかな夕方です。

今日は4月の最終日。穏やかな4月の終わりになりました。

明日は10時から月始総講です。併せて日博上人の御祥月法要を営ませていただきます。

5月も頑張りましょう。

ラジさんのスピーチ

昨日は大阪の清風寺をお借りして佛立研究所の公開講演会が開催されました。大変な盛況でした。内容も濃かった。特に、南条時光さまのご奉公についてお聞きするに及ぶと鳥肌が立ちます。ありがとうございました。

昨夜は、約30名の長松寺にご縁のある関西近郊のご信者方が参加されて、ラジ女史とソロモン氏を囲んで語り合いの場が持たれました。知人や友人、今までお寺に来たことのない娘さんたちを誘って参加された方もあり、やはり、こうしたテーマを設けた茶話会が、ご弘通や法灯相続に有効だと感じます。

社会と信心の間、家庭とお寺の間、お助行と御講の間。入り口。血縁や地縁、社縁の深かった昔は、たくさんの機会がとりなしてくれたのだと思いますが、今の時代には、なかなか探さないと機会が見つからない。だから、私たちが、本当に素晴らしい機会を設けたいと思うのです。

それにしても、頭がボーッとしていて、久しぶりのラジ女史の通訳には参りました。早口の英語だから集中力がいります。彼女はインドで生まれて、結婚と共にスリランカに住みました。約30年前のことです。ですから、彼女はシンハラ語は話さない。スリランカで英語を使って生活してきました。今は一年の3分の1をカナダで過ごしています。ま、とにかく彼女の英語は早口で難しい。

しかし、久しぶりに、彼女のご信心に対する思いや、ご弘通にかける思いを聞くことができて、あらためて私も感激しました。

インド出身の自分からみた、本門佛立宗の教えの尊さ、自分の使命、インド哲学、ヒンドゥー、テーラワーダ仏教を学んだ自分は、今後この本門佛立宗の教えや修行の尊さを新しい角度から世界に紹介してゆきたい、と。

そして、何度も言っていました。自分が死を迎えたら、その遺骨を日本に埋葬して欲しいと望んでいる、と。なぜなら、朝夕に、御題目の中で眠り、きっと御題目を信じる家庭に生まれ変わることができるから、と話してくれました。

ありがとう、ラジ。感動しました。

また、長松寺でこうした催しが出来るのは、全て博子さんのおかげ。お手伝いの方々も、横浜からサポートに来たディリーパも、ありがとうございました。

2010年4月29日木曜日

新大阪駅と関空

新大阪駅です。

それにしても、新大阪って、なぜこんなに不便な作りなのか、意味が分からない(笑)。「出口専用」って、なんでやねん。本当に、大阪の人はいい人が多いのに、建物、特に公共施設は、不親切で不便な構造になってる。あまり利用しない人にとっては、本当に不便。グルグル、ウロウロ、歩くことになります。

関空をボロカスに書いたけど、本当にそう思うから。新大阪駅も、もっともっと利用者を考えて、トンチとパンチを利かせて欲しい。新幹線の出入口の場所、おかしい。国鉄感覚なのかな?

関空についてでも書いたが、本当に勝負すべき相手、本当に見据えるべき利用者、顧客などを見てないのか。どっか違うところを見ていると不発続きで結局売り飛ばされてる公共施設みたいになる。あまりにもったいないし、というか不便。

シンガポール並みにデザイナーズビルディングが多い大阪。外側じゃなくて大阪の顔である関空や新大阪も、もっと中身に目を向けて欲しいです。

佛立は、トンチとパンチ、センスを磨く。

岩崎パパのこと

 最近、何度も岩崎パパの夢を見ていた。きっと、それは今日が岩崎パパが亡くなってから100日の法要を勤めることになっていたからだと思う。
 とにかく、いくつになっても天真爛漫な、そのスタイル、生き様そのままに、あっという間に逝ってしまった。たくさんの思い出を、たくさんの人の心に残して、岩崎さんは逝ってしまった。
 今日、朝早くなってしまったけど、無事に勤めさせていただけた。あまり哀しんでると、叱られそうだから。「住職、休まなきゃダメだよ」という声が聞こえてくる。ありがとう。でも、さみしいよ。
 先住と一緒に、ゆっくりと娑婆を見ててください。楽しませます。ありがとうございます。

これから朝参詣

今日、世間はお休みの日ですから、朝参詣は8時から。これからです。

横浜は晴れ。

2010年4月28日水曜日

2010年4月27日火曜日

全て無事に

全て無事に終了いたしました。本当に、たくさんのご参列、ご奉公、ありがとうございました。

明日から、また御恩をお返しできるように、ご奉公させていただきます。

ありがとうございます。

たくさんの思い

昨日のお通夜は、思いがけず、妙深寺のたくさんのご信者の皆さまが参列くださり、本当に、ありがたく、感謝しております。

奉修の後、ご挨拶をさせていただき、それを涙を流して聞いてくださっているご信者の方々の御姿を見て、なんと温かい、尊い方々なのだろうと、我が身の幸せを思いました。

本当に、ありがとうございます。階段の壁に、お義母さんの写真を貼りました。たくさんの思いをいただいて、たくさんの思いを込めて、見送りたいと思います。

ありがとうございます。

2010年4月26日月曜日

ありがとうございます

無事に、義母のお通夜を勤めさせていただきました。本当に、ありがとうございます。

喪主

私が喪主でした(汗)。考えてみたら。

お義母さんのお通夜

みなさんのお手伝いをいただいて、何とかお義母さんをお見送りすることができそうです。

大川家の告別式が終わり、午後から納棺のご奉公をさせていただきました。全て家族や寺内のみなさん、特に瓜生さんのご奉公で、お着替えから何から何まで、丁寧に、していただきました。

まさに、いつも言っているように、映画になったりアカデミー賞で注目されたりする前から、いや、もっともっと昔から、本門佛立宗の教務さんやご信者さんは「おくりびと」でした。利害抜きで、まごころでお見送りさせていただきます。

今夜、これから庫裡でお通夜を勤めさせていただきます。お通夜や告別式について、ブログを読んだご信者さんから問い合わせをいただきました。お心遣い、ありがとうございます(涙)。

しかし、過分なお気遣いは心苦しいばかりです。ご信者のみなさんと一緒にご信心やご奉公が出来ていたわけではありません。新入信者さんです。妻すら、まともにご奉公できていないのですから、過分なお気遣いは無用です。お香典等もお預かりするわけにはいきません。果報を通り越します。申し訳ありませんが、一人からでもお預かりしてしまうと変ですから、今夜も、全面的にお香典等はお包みいただきませんようにお願いいたします。一切お受けしないこととさせていただきました。申し訳ありません。

庫裡の御宝前をお借りして、細々と、しかし、あたたかく、見送ってあげたいと思います。

もちろん、境内地でお声をかけていただいたり、お話ししてくださったり、こ信者の皆さんと、たくさんのご縁もありますから、参列いただき、御題目をお供えし、お焼香していただければ、本当に有難いです。手狭で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

今朝は

今朝はこれから大川家の告別式です。

2010年4月25日日曜日

住職継承式

素晴らしい晴天の下、鎌倉顕証寺の門祖会、併せて住職継承式が奉修されました。鎌倉という日蓮門下の聖なる場所、お祖師さまが、まさに現証を顕された龍之口のある場所で、新しい時代のご弘通が開始されます。ありがとうございました。

いま、会場を早めに失礼して、18時から97才で帰寂された妙深寺の大功労者・大川ノブさまのお通夜を勤めさせていただきます。

自宅では、お義母さんの枕経の準備をしてくれているようです。有難い。

七里ヶ浜

七里ヶ浜、見事なお天気です。

海、いいですね。涙が出ます。

安らかに

今朝、8時32分、安らかに旅立ちました。

これ以上ないほどの、安らかな臨終でした。

お義母さんは私が本堂から戻るのを待ってくれていたかのようでした。

苦しい夜でした。辛かったと思います。私は改良服のまま枕辺に行き、すぐに御題目を唱え、「愛しているよ、ママ。ありがとう。」と言いました。その間、わすが1〜2分。その言葉を聞いて、安らかに息を引き取りました。

これ以上のタイミングはない。本当に怖いほどです。これ以上の臨終はありません。本当に有難いと思います。幸せだったと思います。

いま、鎌倉に向かっています。ご奉公です。とにかく、ありがとうございました。

危険な状態

実は、いま自宅で療養してもらってきた義理の母が危険な状態にあります。本人たっての希望で、入院せず、家族みんなの中で病気療養していました。

ここ数日で危険な状態へと急速に移行し、みんなで御題目をお唱えしながら看病しています。義理の母は、本年に入ってから入信しました。自分が死んだら私に葬儀をしてもらいたいと言っています。御題目で送って欲しいと言っています。

妻や母は毎晩数時間ごとに容体を確認して眠れぬ夜を過ごしています。家の中はこんな状態です。

どんなことになろうとも、何とか、精一杯の看病をさせてもらいたいと思っています。

2010年4月24日土曜日

シンガポールから

シンガポールの齋藤さん、そして、ジェッドも、教区御講の願主としてご奉公されています。

インターネットを使った、特別形式の御講も奉修させていただいていますが、こうして教区御講の願主としてもご奉公くださっています。先月から願主名簿に名前が掲載され、本日も言上させていただきました。

7月の開導会にジェッドがお参詣してくれます。有難いです。

御講願主とお教化

帰り道です。無事、3席の御講が奉修されました。

一席目について書いたので二席目や三席目についても書かなければなりません。本当に、有難い御講ばかりで、ご弘通の勢いが嬉しいです。

12時の御講席でも、新たな常御講の願主として2名の方、新たにご信心される方が2名と言上があがりました。

14時からの御講でも新しい常講願主の方が2名、お教化された方が1名と言上させていただきました。

数値や人数はともかく、純粋なご信心で、有難いという気持ちで、前向きにご奉公くださっていることが嬉しいです。

勢い、雰囲気、大切です。すごいです。ありがとうございます。

スピーチ

欧米人に比べて日本人は自宅にお客さまをお迎えする習慣が少ないかもしれません。一般的にも、それではつまらないし、もったいないと思います。

自分の住んでいる場所を、一時でも、一日でも、清浄なる場所とすることが大切だと教えていただきます。それが御講。自宅に御導師をお迎えし、お参詣の方々を迎え、自宅を「法の説かれる清浄なる功徳の場所」にします。だからこそ、諸天善神までも集い、その家やそこに住む家族を守ってくださる。

風水やら方位方角やら水場の位置を気にするよりも、御本尊を奉安し、御講を一発奉修した方がいい(一発って、変な表現ですが)。それこそ、一発で悪い流れは立ち消えます。

お寺参詣も有難い。しかし、いつも暮らしている家を清浄化することは、幸せになるために欠かせません。御講を奉修すれば、一発です(笑)。

妙深寺の御講では、御法門の後はご信者さん方が次々とスピーチをしてくれます。みんな、最初は嫌がったり、照れたりしていたけど、最近は僕よりスピーチが上手。有難いです。

写真は、ご信者さんのマンションから見た京浜急行の線路と車庫、スピーチをする佐南さんとひろし君です。すごい。

御講願主19名、教化3人

勢いがすごい。止まらない。

一席目で、新しく御講の常講願主になられた発願者の方々が、なんと19名!お教化も3人。

有難いです。本当に、19名って、すごいです。

晴れた

久しぶりに晴れましたね。今朝は門祖総講でした。

いま、御講に向かっています。10時、12時、14時と、横浜市内をぐるぐるします。

2010年4月23日金曜日

フルマークス

すごい、ワカ。

いま、フルマークスという友人の会社に寄らせてもらいました。この前から港北インターの近くにある彼の会社兼倉庫に寄らないかと声を掛けてくれていて、今日、外の用事を済ませてからワカのオフィスに行きました。

もう、感動しました。知り合ったのは10年以上前ですが、着実にビジネスを拡げていて、家族のような社員さんが40名規模にもなっているって。やはり、最高にいかした、素敵な男です。

昔、大きな大きな大会を開催しました。冬のスポーツ業界もとても複雑な事情があり、画期的で独創的な大会を開催するには、大変高い壁がいくつもあった。

そこに、ワカがいました。彼しかいないと、勝手に思いました。最終的には、たくさんの迷惑をかけたかもしれないのですが、ワカは、やり遂げてくれました。いつもの、さわやかな笑顔と共に。

最高の男です。だって、今日もいっぱいプレゼントをくれました。ムチャクチャ格好いい服やバック(涙)。ありがとう、ワカ。大切にする。

次はお寺で。

目を開いてほしい

目を開いて欲しい。あなたはまだ目を閉じたまま。見えてない。分かってない。

そのままじゃだめだ。そのままじゃもったいない。孤独、さみしい。空虚、むなしい。

ごまかし、ごまかし、なんとかこなしてるだけ。このゲームは途中で降りられない。でも、ずっと降りる場所を探してる。

ファンデーションのように、本当のことを、真実を、正直な気持ちを、塗って、覆って、隠している。早く自然になりたい。いや自然体なんて、いつが自然体だった?自然体の自分、忘れたかも。世界や宇宙の自然な状態、知らないかも。

頑張ってバランスを取ってる。いやバランスを取ってると思いこませてる。蓄積と発散。緊張と解放。

ストレスを重ねて、ストレスに耐えて数10万を手にする。そして、ストレスを理由に、エステやマッサージや整体、サプリや化粧品や飲み物、食べ物、酒代や散財。手にした以上に毎月消えていく。これからも、きっと、こういうサイクルの人生。

なんのために。楽しいことも、つらいことも、人生にはいろいろあるけど、では、結局みんな何のために、この貴重な生命とかけがえのない時間を使っているの?考えない方がいい?見えたら落ち込むから、見ない方がいい?また、誤魔化す?音楽でも聴くか!どっか出かけるか!

いや、それが、生きるという問題から目を背けていつということです。それが、逃げてるということ。

一度くらい、確かなガイドさんと一緒に、自分の人生のトンネルの中に探険に行ったらいい。

一人じゃ怖い。変なガイドでは迷って出られなくなる。だけど、生きているのに、自分の人生なのに、まだ一度も自分の人生を見たことがないという人がたくさんいる。もったいない。見えてない。

生まれてから何十年も経つのに、今回のこの顔や身体を何十年も使っているのに、分からないことや使えていないこと、メンテナンスしていない部分ばかりです。何十年も自分の身体で、洗ったことがない場所があるなんて、恥ずかしいし、情けない。同じです。

とにかく、目を開いて欲しい。きっと、御仏は、そう思っておられます。祖師は「開目抄」を著されて、タイトルのように「目を開きなさい」と仰せになりました。

一度、ゆっくり話を聞かせてください。メールでもかまわないから。自分の人生だから。一度、ガイドさんと一緒に、目を開いて、ゆっくり見てみた方がいい。

2010年4月22日木曜日

ムチャ振り

寒暖の差、激し過ぎます(涙)。東京駅に着いても、むちゃくちゃ寒いです。これじゃ体調悪くする人が多いのも当たり前ですね。

今日の御講でも、涙ながらのお話がありました。京都で他寺院の御講の様子をお聞きすると、あまり涙ながらのお話にはならないらしい。妙深寺では毎回のように心に染みる話があり、寺報で紹介したいのでブログでは避けているほどです。とにかく、温かく、真剣で、時には厳しく、というのが本物の御講です。マンネリは禁物。

今日も、お二人とはじめての出会い。ゆかりさんのご主人、そして岡田さんのお友だち。御法門の前に岡田教区長から「えー、今日、お教化になるかどうかは、ご住職のこれからの御法門次第ということで(笑)。では、御法門をお願いします(笑)」って、そんな無茶な(涙)。

でも、そんなムチャクチャな振りが有難い。この無茶振りに応えるために日頃の修行があります。ご信者さんは教務を信頼すればこそ、ムチャ振りするわけですから(汗)。

いつも、なにかお膳立てされた中でばかりご奉公していると、いざという時に使い物にならない。刀も研いでなければ切れなくなりますからね。ああ、ムチャクチャな前振り、ありがとうございますってお礼を言わなきゃ。住職を信ずればこそでしょう(冷汗)。

とにかく、頑張りました。毎回御講は真剣勝負。だからこそ、佛立の命という。

寒い。8度です。

真田家もびっくり。上田駅の温度計は8度を表示。桜も終わったのに大雪で10センチの積雪もあったとか。地震も多いし地球がおかしい。

名物の信州そば

名物の信州そばをいただきました(涙)。御講の前に、お迎えの石田さんや篠原さん、奥野さんに連れてきていただきました。美味しかったぁ。本当に、有難いです。上田のやぐら亭。

長野県上田市

東海道新幹線から長野新幹線へと乗り継ぎ、長野県上田市での御講に向かいます。いま新横浜駅を出発しました。

今日は渡辺さんのお宅に伺います。ご主人はお亡くなりになられましたが、船乗りをしていた海の男で、忘れられない、大好きな方でした。奥さまも、お嬢さまも、ご家族でしっかりご信心を受け継いでくださっています。

今日は楽しみです。ありがとうございます。

長野へ

今日は長野へのご奉公です。もう少しで出発します。

心身共に力が戻りました。本当に有難いです。

2010年4月21日水曜日

2010年4月20日火曜日

潮干狩り

日曜日に、横浜の妙深寺では薫化会が潮干狩りに。

我が家の次男坊も潮干狩りに連れていっていただいたようです。普段は全く外で遊んであげていないから、本当に喜んでいたと思います。

朋美ちゃんから、葉月ちゃんと一緒の写真を送っていただきました。

ありがとうございます。

2010年4月19日月曜日

清顕師と

清顕師と麩屋町に帰ります。

清顕師は、青年会の指導者や担当者の全国会議に参加するため。私は海外弘通特別委員会でした。

2010年4月17日土曜日

弱った身体に。有難い。

明日は本山宥清寺の門祖会です。妙深寺から27名ほどのお参詣団が京都入りしてくださっています。

今夜は20名が麩屋町の長松寺に泊まらせていただくことになっています。私も、まだフラフラしていますが、京都までたどり着けました。有難い。

さらに有難くて元気が身体中によみがえってきたのは、西川さんご夫妻とお話したから。

香港からわざわざ面談に来てくださり、京都でお会いすることが出来ました。

香港にお助行させていただいた、あの日から、オフィスも変わり、仕事もまわりだし、心身共に新しいサイクルになった、有難いってお話をくださり、これから未来に向けたお話をさせていただきました。

弱った身体には、ご弘通の話が一番の薬です。ありがとうございます(涙)。

やり直し

久しぶりに歩いたら股間が痛い(笑)。ガクガクしています。こんなにヤワなはずではないのに。久しぶりに充電が無くなりました。

本当に、ご奉公が頓挫して、申し訳ありませんでした。反省しきりです。

一からやり直しです。体力づくり、トレーニングも、またストイックに、やり過ぎないように(汗)、ご奉公がしっかりできるように、頑張ります。

2010年4月15日木曜日

スリランカのお正月

心配いただき、本当に申し訳ありません。ありがとうございます。

やはり、昨日から今日は、本当に健康の有難さを痛感しました。反省ばかりでした。

昨日は、シンハラ人とタミル人が共にお祝いするスリランカのお正月でした。今夜、コロンボのセンターで新年のお看経が行われるということでした。スカイプで、一言だけでも新年の挨拶をしてくれないかということで、重たい身体をひきづってガラスの間まで行き、ディリーパが調整してくれていて、本当に一言ご挨拶させていただきました。

有難いことに、センターはご信者さんでいっぱいでした。スリランカの伝統で、お看経の後で牛乳を薪で煮ていました。

スリランカは、昨年の5月、誰もが長く苦しんできた泥沼の内戦が終わりました。ですから、考えてみれば内戦終決から初めてのお正月です。みんな、どれほど嬉しいか分かりません。しかも、シンハラ人とタミル人が祝うお正月ですから、特別な気持ちだったと思います。

新年、本当におめでとうございます。

ありがとうございます。

一番苦しかったです

40年以上生きていて、今回が一番苦しかったように思います。

扁桃炎を持っているので高い熱が出ること何度もありましたが、今回は本当に、苦しくて、つらくて、痛くて、参りました。身体の節々が痛み、起き上がれない、動かない。うなされなから、いろいろと考えました。

自分の健康管理が悪いのですから愚かな話ですが、それでも、こんなに辛い、身体が重たくて、痛くて、苦しい状況の中で、ご病気の方、抗ガン剤治療をされている方のお身体の状態を我が身に当てて考えていました。普段、健康な自分は、思いやれていないな、まだまだ口だけだ、と反省です。

こんな苦しかった夜はありません。だからこそ、これからは、辛い病気を抱えておられる方、辛い治療に耐えている方々を、さらに心に思い描きながら、お助行、御祈願させていただけると思います。ここで学べなかったら愚かの極みです。

それと、今さらですが、スケジュールと体調の管理を徹底しなければなりません。倒れたりすれば、多くの方にご迷惑をお掛けすることになるのですから。自己満足で突っ走ってもダメですね。

すいません。だいぶ良くなりました。ありがとうございます。

2010年4月14日水曜日

38.5度

出てしまいました。扁桃腺からの熱だから、一気に高い熱が出てしまうのですね。

すいません、寝ます。

扁桃腺

扁桃腺が腫れて痛むので、病院に来ました。やはり、少し修理と調整が必要だったみたいです。

2010年4月13日火曜日

夜の

住職御講です。19時から妙深寺の本堂で奉修されます。あと15分くらい。

それにしても、1ヶ月前も2ヶ月も、はやいですね。1ヶ月前はスリランカにいました。マータラ地区とゴール地区のセンターがオープンしたんですね。早い。時間が経つのは。

3月の海外出張の前から、いや、もっと前からかな、息もつかない感じで、目一杯ご奉公させていただいて、充実感もありますが珍しく少し息があがってるようです。

明日は修学塾で沼津へ。明後日からまた教区御講です。

今夜、夜の住職御講が終われば、少しホッとしよう。ありがとうございます。

横浜新道から新湘南バイパス

午前中の御講から移動しています。横浜市内から移動して新湘南バイパスを通って寒川まで。所要時間は40分くらいです。

戸塚と寒川での御講

今朝、無事に高祖総講が奉修されました。盛りだくさんのスケジュールで、今朝の御総講はお参詣が少なかったように感じました。連日大切な行事が続いてきたからかな。

今朝の御総講、言上している途中で、頭と首と肩が、キューっとつまって、声が出なくなってしまいました。自分でもびっくり!少し体調管理しなければ。肩こりも、怖いですよね。

これから9時半に出発して、今日も戸塚と寒川で御講が奉修されます。

長松家の次男坊

 おでこを負傷した長松家の次男坊。

 鼻にもキズ、頭にもキズ、今度はおでこ。それでも、まったく意に介さず、暴れまくっています。コイツ、ホンマに大丈夫か?


 昨日の夜は、膝の上に乗せて20分ほどお看経しました。これだけヤンチャなのに、しっかり20分、お看経だけはしっかりします。ここだけはエライ。


 なんとか、真っ正面から向き合って、育ててゆきます。

2010年4月12日月曜日

カー、たすけて

 また、小さな命が、近親者によって奪われた。止まることなく続く恐ろしい事件を見聞きしていて、何をしなければならないか頭を抱える。ご奉公の不成就を思い、自分のせいのような気持ちにもなる。そう、子どもたちを守るためにも、正しい信心を一人でも多くの人に届けねば。
 人間のことだ。菩薩にも、鬼にもなるのが人間。わが心を鏡に映す。その術を知らなければ、愛する子を傷つけたり、幼い子どもを感情のはけ口にするような事件は起き続けていく。

 最近の事件で、小さな子どもの身体に100ヶ所以上暴行した痕が見つかったと聞いて、身の毛がよだった。事件として発覚した今、世間の目がその家族にそそがれているが、今も、この社会のどこか、どこかの家の片隅で、泣いている子どもがいると思うと何ともやるせない。地獄だ。
 以前書いた文章を、また読み返していた。だから、また、再掲してみる。
========

 ずっと忘れられず、頭にこびり付いた言葉。山形県で起きた5才の 加藤 翔(しょう)くん殺害・死体遺棄(いき)事件で、翔くんがこの世に残した最後の言葉が「カー(おかあさん)、たすけて」でした。

 韓国の人気ドラマ「冬のソナタ」や小説「世界の中心で愛をさけぶ」などの純愛ストーリーが大ヒットとなる中、人間生活の原点である家族や家庭内の問題は深まる一方です。この矛盾(むじゅん)は何なのでしょう。わが子を愛せない母親や接し方に悩む親。心の通わない関係が夫婦から親子にまで広がっています。特に、幼児虐待という最も恐ろしい事件には顔を背けたくなります。

 秋田県内に住んでいたお母さんと翔くん。周囲から見ると、母子家庭ではあっても、幼稚園の送り迎えも欠かさない、とても暖かい親子だったそうです。ところが、ある時、母親が出会い系サイトで、一人の男性と知り合いました。

 若いお母さんです。寂しさからなのか、すぐに関係は深くなり、一緒に住むことにもなりました。平成15年5月のことです。相手の男性にも子供がいる、自分にも子供がいる。新しい生活は4人でスタートすることになりました。

 先天性の腎臓(じんぞう)病を患(わずら)う翔くんは、尿を漏(も)らしてしまいます。それが気に入らない29才の板垣直樹という男は、厳しく翔くんを叱るようになります。最初はわが子が叩かれたり、殴られたりする姿を見て、母性のある母親ですから、「あぁ」と思い、可哀相(かわいそう)だと思う。ところが、「何でお前は叱らないんだ」と男が激怒するようになる。逆に、翔くんをきつく叱ると誉めてくれる。いつしか、母親としての正常な気持ちは消え、翔くんをきつく叱ることで男が優しくなることから、感覚はマヒしてくる。母性を喪失した彼女は、翔くんを「恋愛の邪魔」と考えはじめた。

 最初は、きつく叩く。そのうちに罰として食事を減らす。食事を水だけにする。強く殴る。何度も殴る。バルコニーに立たせておく。数時間が、1日、2日と増えて、後に3日間バルコニーに放置したこともあった、と。

 パイプ椅子で殴り、アゴの骨を折った翔くん。最後の日は、男と二人で風呂場に連れて行き、やせ細った翔くんに熱湯をかけ、ハサミで皮膚を切り取り、衰弱死(すいじゃくし)させました。

 その翔くんの最期の言葉が、「カー、たすけて」という言葉であったというのです。私は、その言葉を聞いて、涙が出て涙が出て仕方がありませんでした。食事も与えず、恐ろしい顔で自分を殴り、熱湯を浴びせかけて、皮膚を切り取るような母親に、「カー、助けて」「お母さん、助けて」と言いながら死んでいった翔くん。何ということでしょうか。その気持ちを考えると涙が止まりません。

 その後、母親は男に指示された場所に遺体を埋めに行きました。彼女は、全国の風俗店を転々としながら男にお金を送り、翔くんの遺体が掘り起こされるのを見て、はじめて我に返ったといいます。刑務所の中で彼女は弁護士に話をしました。翔くんが秋田にいた頃、いつも「ボク、カーと結婚したい」「カー、大好き」と言ってくれていた、と。先月の6月7日に判決が出ました。懲役11年。判決を聞いた彼女は「死刑にして下さい」と泣き崩れたそうです。

 決して、他人事ではありません。別世界の、狂人の話として片づけてはいけないと思うのです。何が大切か、何が大事かということを忘れるのが私たちだからです。自分の心の奥底にも、恐ろしい心、愚かな心が隠れています。それが何をきっかけにして表に出てくるか。性欲か、名誉欲か、金銭欲か、嫉妬(しっと)なのか、恨(うら)みなのか、怒りなのか。正常と異常の境界が見えなくなります。自分の愚かな行為も、すぐに正当化したり、肯定したり出来るから、人間とは恐ろしいのです。

 心を映す鏡を持たず、過信して、肯定して、人のせいにして生きていては、「純愛」が出来てもサルと同じです。サルの方がましです。

 千葉県袖ヶ浦市では、母親から両祖父母、曾祖父まで一家5人が逮捕されるという、極めて残忍な幼児虐待致死事件が起きています。その殺された3才の子供の名前も「翔くん」でした。

 こうした残酷な事件を聞くたびに、豊かになったこの国に生きる一人一人が、「自分」と「家族」の在り方を見つめ直し、崩壊していく人間という存在価値に対して「答え」を模索する必要があると痛感するのです。

 多くの人は、その答えを御仏(みほとけ)の教え以外に求めるでしょう。より具体的で、現実的な捉え方や解決方法があるはずだと考えるのだと思います。小学6年生が起こした同級生カッターナイフ殺人事件と同じように、遠回りしながら社会は核心に触れようとしていないのです。モノにばかり気を取られ、「心」を置き去りにしてメンツや体裁(ていさい)を整えようとしている間は、健全な家庭や家族を生み出すための答えが見えてこないのだと思います。

「慈愛(じあい)」「恩愛(おんあい)」「癡愛(ちあい)」「愛執(あいしゅう)」と、家族を支えるべき「愛」にも色々なカタチがあり様々に変化します。その「愛」を健全に育み、伝える努力が人間には必要で、見失えば苦しみを増すばかりなのです。

 親である者が迷い、大切な心を置き去りにして、忙しさを口実に家族と向き合うこともなく生活をしていれば、近くに住んでいても、心は遠く離れてしまうのでしょう。そこに残るのは、欲と見せかけの形式的な、契約のような、家族という「単位」でしかありません。

 御仏(みほとけ)に縁の深い者であっても、家族の在り方は永遠のテーマです。形式的な信仰の中に健全な家庭を築くためのヒントはありません。生活と御仏の教えを結びつけられない人は、社会の風潮に流されて、家庭の中に歪(ひず)みを抱えるでしょう。そこに気づいて御宝前(ごほうぜん)に近づき、祈り、教えを聞き、菩薩の誓いを立て、行う姿勢が必要なのです。

 哀れな親は、哀れな子供を生み出します。何が哀れかといえば、目先のことに終始している親が、家族で何をして、何処へゆくべきなのかを見失っていることです。遊園地や食事に出掛けても、家族で祈るべき場所を知らない、家族で足を運ぶべき尊い場所がない、家族が揃って尊い教えを聞く場所がない。お参詣もせず、御法門も聞かず、家族の中に一人の菩薩もいなければ、真に健全な家庭への道は遠のき、迷うばかりです。

 「カー、たすけて」という言葉を他人事にすべきではありません。

ハシャーン清嵐師が来日します!

妙深寺が誇る一騎当千の教務陣の中でも一番力持ちなハシャーン清嵐師が佛立教育専門学校に入学します。 ギリギリとなりましたが入国管理局から在留資格認定証明書が届き、明日スリランカでVISAの手続きをします。 良潤師に聞いたところ査証が下りるタイミングが読めないので、4月1日の来日にな...