妙深寺 役中テキスト 令和7年1月号
「班長さんへの手紙」 住職 清潤
新年あけましておめでとうございます。
ただ一つの命、たった一度の人生、一日一日を大切に過ごした一年。みなさまと共にこの新春を迎えることが出来、心からありがたく、感謝と感激で胸がいっぱいです。
厳しい社会情勢の中、昨年も様々なご奉公に励み、身命財を惜しまず功徳を積んでくださいました。心から随喜しております。
妙深寺の教務、信徒、家族全員が健康で、御法さまのお見守りとお導きをいただき、 幸多く、実り多き一年となりますことを念願、祈念いたします。特に、妙深寺では総祈願に掲げたとおり、「歓喜踊躍(かんぎゆやく)」、「躍りあがり、飛び跳ねるほどの喜び、感激」に満ち溢れた一年にしたいと願っています。
元旦に拝見した御教歌
「妙法に願ひは多しさりながら こゝろをしりてたすけ給へよ」
この御教歌を拝見した理由は、形ばかりのご信心では感謝や感動に溢れた歓喜踊躍の一年にはならないということが分かるからです。
「願いは多いです。願いは多いですが、どうかこの心を知って助けてください、お力添えください、お助けください!」
御教歌の御題は「所願具足心大歓喜文」という法華経の授学無学人記品第九の御文を引かれています。仏陀の側を離れず最も多く御法門を聴聞した阿難尊者の感激の姿です。
「阿難面(まのあた)り仏前に於て、自ら授記及び国土の荘厳(しょうごん)を聞いて所願具足(しょがんぐそく)し、心(こころ)大(おおい)に歓喜して未曾有(みぞう)なることを得たり。」
阿難尊者は自分以上に自分の過去、そして現在、未来までを知ってくださっている御仏に感激しています。自分よりも自分のことを知ってくださっていた仏陀。これほどの感激があるでしょうか。ずっと抱いていた願いが叶い、未だかつてない巨大な喜びが阿難の心の中に生まれたのでした。
ご宝前に座らなければ御法さまにその心を知っていただくことは出来ません。願いがあっても御題目を唱えなければ散り散りになっている心を御法さまに知っていただくことは出来ません。本門佛立宗の修行を実践しなければ現証の御利益はあり得ないです。
今年は今一度みんなでその心をご宝前に向かわせて、御題目をお唱えして、御利益を頂戴しましょう。感謝と感動に満ちた笑顔の一年とするために、御法さまに私たちの心を知っていただくことが大切です。知っていただきましょう。そのためにはお看経です。
知っていただくために心を開く、心を開くためにご宝前に座る、ご宝前に座って一遍でも多く御題目を唱える。南無妙法蓮華経…と、御題目をお唱えし続けながら、「願いはたくさんありますが、どうかこの心を知って助けてください、一番いい道へと導いてください」と祈り続ける。そうすれば、必ず助けていただける、助かる、とお示しになられています。
お祖師さまのお言葉です(御講聞書)。
「所詮信と随喜とは心同じきなり。随喜するは信心なり。信心するは随喜なり」
今年の合格祈願では「動」という字を選びました。「感動」の「動」であり、「行動」の「動」です。心も身体も動かさなければ結果は出ないのです。やるしかないのです。動くしかないのです。動いて、動いて、より良い結果を導き出しましょう。ご信心の「実践」こそが大切です。実践して、感動しましょう。
今年も今生人界の二度とない、かけがえのない一年です。もっと心を開き、もっと心を磨き、もっと心を知っていただいて、未曾有の現証の御利益をいただきましょう。
年頭から寒参詣、成人式、門祖会と、歓喜踊躍して功徳を積ませていただきましょう。