2025年1月2日木曜日

歓喜踊躍の一年に
















「歓喜踊躍の一年に」住職 清潤

妙深寺報 2025年1月号


他人のことは目に見えても自分の姿は見えません。専用のビデオカメラが自分の言動を追いかけているなら後でチェックできますが、現実的ではありません。鏡の前では顔も表情も取り繕ってしまうのでなかなか自分で普段の、本当の姿は見えないものです。


「人の振り見て我が振り直せ」とは大切な教えです。他人の行動の良し悪しを論じるより他人の行動の良い部分は見習い、悪い部分は改めるという謙虚で積極的な姿勢が大切です。


「人に七癖我が身に八癖」という諺は他人の癖を七つ見つけたら自分には八つ癖があると気づくべきという意味です。「人こそ人の鏡」ですから、しっかりと他人の姿を見て、自分の表情や言動、立ち居振る舞いに気を配り、改良と成長を心がけることが大切です。


これらはお祖師さま・日蓮聖人の教えであり、法華経の精神です。お祖師さまの凄さや素晴らしさはご存知のとおりだと思います。


日蓮聖人のスタンスはハッキリしています。仏教は机上の空論ではない、世捨て人のものでもない、仏教はライフスタイルそのもの、仏教は人間の所作振る舞い、アクションを何とかするためにある。仏道を修行して人間の行動や言動が変わらなければ仏教ではない。


有名な御妙判があります。


「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(崇峻天皇御書)


お釈迦さまがこの世に出現された本当の目的は人間の行動、所作振る舞いを何とかするためだったとお示しになっておられます。


次のような御妙判もあります。


「人の身の五尺、六尺のたましひも、一尺の面にあらはれ、一尺のかほのたましひも、一寸の眼の内におさまり候」(妙法尼御前御返事)


150センチから180センチほどの身体を持つ人間も、その魂は30センチほどの顔に現れる。さらにその顔に現れた魂もわずか3センチの眼の中に収まっている、というお言葉です。恐るべき洞察、真理を述べておられます。鎌倉の世に「目は口ほどに物を言う」という諺があったのでしょうか。


このお言葉を残された日蓮聖人の立ち居振る舞い、お顔の表情、御眼、瞳の光、どれほど尊いものだったでしょう。ご自身の言動、所作振る舞いに、自信や自覚がなければ発せられないお言葉です。その人の立ち居振る舞い、話し方、座り方、歩き方、食べ方、取り方、渡し方、唱え方からご奉公の仕方、見ていればその人がどんな人か、どんなご信心か、どんなレベルか、どのような心でいるか分かります。その人物の所作振る舞い、行動を見れば、助かるか、助からないか、救われるのか、救われないのか、幸せになれるのか、なれないのか、分かってしまうものなのです。


頭の中でもなく、心ですらなく、表情が、立ち居振る舞い、言動が、より良いものでなければ修行していることにもならないし、幸せになることも、お役に立つことも、御本意にかなうことも、御利益をいただくこともできないのです。


行儀がいいだけではダメです。もう少しレベルが高く、もう少し実は簡単なお話です。真面目ではないのに真面目そうな顔をしたり、わざと厳かな顔をしたりする人がいますが御宝前には好かれません。裏も表も、本音も建前も、打算も計算もなく、御宝前にお褒めいただけるのは「歓喜踊躍」「心大歓喜」という随喜のご信心です。溢れんばかりの随喜が最も大切な所作、人間のアクションです。


法華経は感謝と感激の経典です。


「諸の疑惑なく心に大歓喜を生じて自ら当に作仏すべしと知れ」(方便品)


「心大に歓喜し踊躍すること無量なり」(譬喩品)


「我等今日仏の音教を聞いて歓喜踊躍して未曾有なることを得たり」(信解品)


法華経の本門八品を締めくくる嘱累品第二十二の最後の言葉も「歓喜」で結ばれています。


「仏の所説を聞きたてまつりて、皆大いに歓喜す」 (嘱累品)


お祖師さま・日蓮聖人は、

「所詮信と随喜とは心同じきなり。随喜するは信心なり。信心するは随喜なり」(御講聞書)

ともお諭しです。


ここまで来ると、私たちの心の中にどれだけ感謝と感動、歓喜や感激があるかどうかという話になります。


やらされている感がにじみ出ている人もいます。イヤイヤやっていることも周りから見れば分かるものです。感謝していたら、感動していたら、随喜していたなら、その顔にはならない、その行動はとらない、その目はしない、その言葉は出ない。周りから見れば、すぐに分かります。所作の中の、随喜の有無が指標なのです。


古法華(ふるぼっけ)になってはいけません。随喜を失った人のことを古法華と言います。実際には感謝や感動を持ち続けることは難しいものです。だから修行なのです。挑戦です。


開導聖人の御指南

「うれしさ身にも心にもあまりてを(お)き處(どころ)なし。歓喜踊躍(かんぎゆやく)これなり。捨身決定して励むべき也」


本門佛立宗の開導聖人は生涯を通じて感激を失わず、ウブな心を持ち続けられたお師匠さまでした。私たちが見習うべきはここです。


「御利益は初心に限る。清風も此初心こそ御師匠なれ」


御題目の力によって、新しい年を感謝と感動、歓喜と感激の年にしましょう。それがご信心です。つらいこと、苦しいこと、寂しいことがあっても、お寺に参詣して、必死で御題目をお唱えすれば必ず乗り越えられます。


「笑う門には福来る」


いつも笑顔で、笑っている人には、幸せが訪れます。


「和気財を成す」


「和気」とは楽しくて仲が良さそうな雰囲気のこと。楽しくて仲が良さそうな雰囲気の所には自然と運気がやってくる。だから「財を成す」です。お金が入ってきます、お金が貯まります。うまく行っていない時でも雰囲気が良くなるように心掛けると徐々に運気は回復します。うまくいっていないから暗くなる、元気がなくなる、イライラする、暗い顔をしているようでは悪い運命から逃れられません。御題目があるのに勿体ないです。


御題目があるからこそ、ご信心があればこそ、笑顔でいられます。笑顔こそご信心。感謝と感動こそご信心です。忘れてはいけません。


裏も表も、本音や建前もなく、心から随喜が溢れるように御題目を唱えて唱えて唱え重ねて、強く、明るく、楽しく、朗らかに、今年を最幸の年にいたしましょう。

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