2025年12月24日水曜日

最終日を前に。「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」

 

終戦80年特別展示「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」が最終日を迎えます。多くの方々にご来館いただき、80年前の戦争から学ぼうとする方々に頭の下がる思いを抱いておりました。


局地的に続く戦争は、実は世界の至るところで進む人間の心の崩壊の表れに思えます。人が人として大切なものを見失い、欲望と恐怖に取り憑かれ、一方的な自己愛を主張すれば衝突は避けられません。


国民の安全と国家の繁栄、安全保障と経済発展。正義の名のもとに繰り返されてきた戦争の真相を見極めなければ、やはり人間は歴史から何も学んでいないことになるでしょう。そうなれば、再び愛する我が子が戦場へ駆り出され、幼い兄弟のような不幸が繰り返されてしまう。今、乾燥した草原に火種が降り注いでいるかのような恐怖を覚えます。


10年前、京都佛立ミュージアムは終戦70年を契機として「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」展を初めて開催いたしました。大きな反響をいただき、京都展、東京展、サンマリノ展、イタリア展、ブラジル展へと、ご縁が広がってゆきました。ローマ教皇・フランシスコとのエピソードは忘れ難い出来事でした。この写真の持つ力を痛感いたしました。


サン=テグジュペリが言っているように、傷ついた少年の姿に涙するだけでは戦争は無くならないし、子どもたちは傷つき、若者の血は流れ、不幸な母が生まれ続けるでしょう。私たちがこの写真展から学ぶべきことは、人間の弱さと強さであり、その本性だと思うのです。


敵愾心に燃えて日本へやってきたオダネル氏が、帰国前に後悔の念を抱いたのはなぜなのか。彼はなぜ多くの写真をトランクに封印したのか。来館者の方々は80年前の彼の足跡を追体験し、彼の心の変化の理由を感じていただけたでしょうか。


憎み合い、殺し合い、悪魔的兵器・原子力爆弾まで使用するに至って戦った敵同士が、終戦からほんの数ヶ月後に一枚の写真に収まっている。そこに笑顔がある。


悲惨な被爆者の写真と、犠牲となった家族や子どもたち、焼き場に立つ少年の写真と、米国人と日本人、人間同士の交流の姿、そのコントラストが浮かび上がります。


肌の色も、言葉も異なる人びとが、同じ人間であったことに気づく瞬間、戦争という最も恐ろしく最も愚かで最も原始的な人間の本性が、妄想と幻想によって生み出されたものであることにも気づくと思うのです。


心の中に修羅がいる。鬼もいる。その恐ろしさ。同時に、心の中に菩薩がいる。仏もいる。この尊さ。人間の愚かさを知り、人間の可能性を信じることが、仏教の説くところです。


確かに、民族に違いがあり、国が違い、歴史が違い、文化が違い、肌の色も、語る言葉も、色々な面で違いはあり、それは極めて重要なことではありますが、それぞれの生命や幸福、それぞれに子どもや家族を愛する気持ちは同じです。


人類を俯瞰した仏陀は、次のような言葉を残しています。


「これらの生類は生まれにもとづく特徴はいろいろと異なっているが、人類はそのように生まれにもとづく特徴がいろいろと異なっているということはない。


髪についても、頭についても、耳についても、眼についても、口についても、鼻についても、唇についても、眉についても、(中略)他の生類の間にあるような、生まれにもとづく特徴(の区別)は(人類のうちには)決して存在しない。


身体を有する(異なる)生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別(差別)は存在しない。言葉によって人間の間で差別が存在すると説かれるのみである。」『スッタニパータ』 第三「大いなる章」九「ヴァーセッタ」


人間として、人間を見る。ただ、それだけでいい。偏った思想や信条、時に宗教でさえ、人間を妄想と幻想の世界に陥れ、恐怖を植え付け、恐ろしく愚かな行動に走らせます。


「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」展は、「焼き場に立つ少年」の写真を中心としてはおりますが、オダネル氏の心の変遷から、戦争と平和と仏教を考えていただく展示でした。人間の弱さを認め、なお人間の可能性を信じたい。重ねてそう願って開催させていただきました。


仏陀は次のような人間の軸を示しています。


「生まれによって賤しくなるのでも、高貴なものとなるのでもない。行いによって賤しくもなり、行ないによって高貴なものともなるのである」 『スッタニパータ』


南米ブラジルに仏教を伝えた本門佛立宗の僧侶・茨木日水上人は弟子への手紙に「平和国家で押し切る事が真の武士道」と記しています。そこには「諍い戦うことが武士道ではありません」とあります。


底が抜けてしまったような社会の中で、それでもヒロシマ・ナガサキのある世界唯一の被爆国、無惨な敗戦を経験した日本と日本人こそ、世界平和の希望であると信じます。


そして、仏教者である私たちは常不軽菩薩のように、人びとを幻惑する謗法こそ最も恐ろしいものと心得、仏法を伝える使命を身に帯びて、市井の中に分け入って、人を信じます、あなたを信じます、あなたを信じたい、あなたを信じさせてくれ、とご奉公してゆかなければならないと思っています。


戦争と平和、そして仏教。人間の業や性、その正体を説いた仏教に触れ、世界平和の希望として生きる大切さを感じていただけたなら、何よりの喜びです。


ご来館いただいたすべての方々、ご協力いただいた関係各位、各団体のみなさまに心より御礼申し上げます。そして何よりこの写真展の開催を支えてくれた京都佛立ミュージアムのスタッフに感謝しております。


どうか来年もよろしくお願い申し上げます。

よいお年をお迎えくださいませ。

ありがとうございます。


令和7年12月24日

京都佛立ミュージアム 館長 長松清潤 拝

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