2025年12月31日水曜日

杉本貴子ちゃんの旅立ち

 

月曜日、29日の夕方、杉本貴子さんが旅立ちました。


生まれながらに10万人に一人という病を患い、13回もの手術をし、何度も何度も救急で運ばれたり、入退院を繰り返してきましたが、最後の最後まで人のために功徳を積み重ねて過ごしました。


本当に、すごいことだと思います。倒れた日も、お参りの方が駆けつけて、大家さんにドアを開けてもらい、ギリギリで病院に搬送できました。先住のお怪我の時と同じ新横浜の病院でした。


医師の診断は「脳の大半がダメージを受けている」「すでに意識はない」というものでした。しかし、この3週間、かけがえのない時間をいただきました。週に一度だけ許された面会に兄の洋一くんが行くと、声をかければ目を開き、兄弟で目を合わせ、手を握ると握り返してくれたというのです。


本当に、かけがえない時間。今生人界、かけがえのない時間です。


昨日の午後3時26分、今日の面会が終わったと、洋一くんからLINEをいただきました。今日はよく寝ている状態で、顔色良く落ち着いている状態でした、とありました。


「手は握れたのかな」と思って返信したけれど既読にならず、その後お寺から電話がありました。「貴子ちゃんが急変し、家族は病院へ引き返している」という知らせでした。


翌朝、本堂で洋一さんから皆さんにご披露いただきました。とても穏やかな、安らかな顔で、まるで病気の身体からやっと「解き放たれた」ようだった、と。難病、13回もの手術、数え切れない入退院。いつ、何があっても、おかしくないと言われながら、彼女は常に明るく、謙虚で、人を思いやり、信心修行を貫きました。


大変な病を抱えながら、今年は例年以上にご奉公してくれました。12月7日、ミドルエイジ御講の後、2人きりで話をしました。手を握り合い、肩をさすって、「無理してはいけないよ。貴子ちゃんの言葉一つ、掛け声だけでも大切なご奉公になってる。すごいよ、貴子ちゃん。」と話をしていました。


そして、翌週。もし、あの日、教区御講がなかったら、あのタイミングでご信者さんが家に行ってくださってなかったら、間に合っていなかったら、こうなっていない。そのままお別れだったかも知れない。でも、ギリギリのタイミングで、病院に搬送することが出来ました。そして、お兄さんやご家族とのかけがえのない時間を与えていただきました。


妙深寺は重ねて深い悲しみの中にありますが、僕たちの想いよりも、御法さまの御意、特に、貴子ちゃん本人の命や、心や、身体、これまでの人生のことを想ってあげなければならないと想っています。彼女は功徳を積み重ねて、ここまで生きてきてくれました。ただただ、御礼、ただただ、すごいとしか言いようがないです。ありがとう、ありがとうございます、です。


今年の9月、中村さんの病室へお見舞いに行った時の写真を平石さんが送ってくださいました。本当に素敵な写真、穏やかで、安らかで、全身から慈悲の心が溢れているようです。樋口さんからも素敵なツーショット写真を送っていただきました。妙深寺のみんなと一緒に、功徳にあふれた幸せな時間を過ごしてくれていたことが分かります。


肋骨を2本抜き取るなど、壮絶な治療を重ね、大変な病身でありながら、何度も九死に一生、現証の御利益をいただいて、本物のご信心、素直正直に菩薩行を貫いてくださった杉本貴子ちゃんを、今はしっかりとお見送りしたいと思っています。


今日は大晦日。一年間、大変お世話になりました。心から御礼申し上げます。最後の最後まで油断なく過ごしていただけたらありがたいです。


よいお年をお迎えください。

南無妙法蓮華経

ありがとうございます。

長松清潤拝、

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