今日は11月4日に亡くなった小泉博氏の誕生日です。突然の訃報、皆さまにご心痛、ご心労、ご心配をおかけし、申し訳なく思っています。本人に代わり、お詫び申し上げます。
すべて、葬儀の際に歎徳として言上させていただいたとおりですが、今日は彼の誕生日、明日はもう四七日忌ですので、少しだけ振り返ります。
30年前、出会った頃の彼は、男性にも女性にも大人気の敏腕プロデューサーで、キャデラックを乗りまわす昭和を代表する様な業界人でした。
しかし、私が住職となった25年前に、同じく彼も父を亡くし、連絡がありました。「本門佛立宗では仕事として葬儀だけ請け負うことはしない。しっかりと御本尊を護持する人のお願いに応じてはじめてご奉公する」と伝えると「じゃあ、俺は今日からそれをする。よろしく」と言いました。簡単な気持ちだったと思います。
信仰心とは全く無縁で、むしろご信心とはかけ離れた生活をしていた彼が、妙深寺の皆さんと出会い、ふれあい、語り合う中で、「世の中にこんな素晴らしい場所があるのか」「利害損得抜きで、こんなことをやってる人たちがいる」「こんなに素敵な人たちがいる」と感激し、一歩ずつお寺に近づき、信仰の大切さを実感するようになったのです。
あれほど、お父さんのお通夜の夜に僕の頭を叩きながら「ナガマツ、お前、いい声してんじゃねえか。」と言っていた彼が、いつしか私を「ご住職」と呼ぶようになり、お寺の中でたくさんの純粋な方々と触れ合いながら、心を磨くようになってゆきました。
博さんは、人が大好きで、特に子どもが大好きで、動物や虫も大好きで、面倒見が良くて、お助行によく回り、ご奉公に気張るようになったのです。この25年、小泉博さんからかけられた励ましや優しさ、いい思い出を持っておられる方々が大勢います。昨日の御講でも、そのようなお話がありました。ありがたいことです。
お寺の中は、損得勘定を抜きにして、素直に、正直に、誰かのためのご奉公を大切にします。そこには職業や年齢や性別も関係ない「菩薩行」の輪があり、みんなが支え合いながら生きている。自分の生きてきた世界とお寺にある世界との違い。彼が元来持っていた優しい心と合致したのか、彼は水を得た魚のようにご奉公するようになったのです。
しかし、彼の生きていたテレビや映画、イベントの業界、コンテンツのビジネスの世界というのは、企画立案、スポンサー探し、いろいろと大風呂敷を広げて競う丁々発止の厳しい世界です。彼はその世界の中心にいました。その生きている場所、ビジネスの厳しさや難しさ、彼にそれが合っていたのか、今となっては分かりません。むしろ、合っていなかったのだと思います。
葬儀の後、妹さんから聞きました。彼の高校時代の夢は「保父さんになること」「学校を作ること」だったそうです。そんなこと、初めて知りました。高校ですから夢というか本当に向かいたかった道だったのでしょう。確かに、お寺の中での子どもたちへの接し方は突出して上手でした。しかし、彼は全く異なる、虎狼が群をなす業界に飛び込んだのです。
お寺のご奉公で活躍しながら、独立後の彼の仕事は厳しい状況に陥りました。何度もご宝前にお縋りし、その都度ご利益をいただきました。しかし、少し仕事がうまく回ると、以前の癖が出て失敗したり、悪い種をまいてしまう。後悔することが何度もありました。
そして、2年前には何よりも大切なはずの「お寺のご信者さん」からお金を借りていたことが分かりました。家まで飛んで行って厳しくお折伏、指導しました。ご信者さんからお金を借りるということは、み仏やお祖師さま、ご宝前を担保にしたということ、お寺や住職への信頼を利用してお金を借りるということ。これを「謗法」と言います。教えに背くことです。
御教歌
「御利益のわき出る井にくむとても 篭のつるべに水はたまらず」
穴の空いたバケツで水は汲めません。彼の中で何かが壊れてしまって、功徳を積みながら罪障を積む、仏を敬いながら仏に傷をつけていること、泥をぬっていることが分かっていないと、博さんをはじめご家族全員にお話をしました。分かってくださったと思っていました。
ビジネスや、全てを整理して一からやり直すことを提案し、似たような経験から成功をした友人を紹介しました。2年前です。しかし、彼は私の提案を聞けず、まだ一発逆転を夢に見ていたようです。
彼の家族や、葬儀に参列してくださった大勢の仕事仲間の方々も、前向きな話ばかりする彼の実情は知り得なかったと思います。彼は非常に優れたビジネスマンであり、企画者、プロデューサーでしたが、会社の経営者としては未熟だったとしか言いようがありません。いずれにしても彼は間違った結論を出して旅立ちました。悲しく、虚しい、残念な別れとなりました。
しかし、出棺の際、妙深寺の空の上にだけ雲が湧き、パラパラと少し雨が降りました。この空は一緒に米国同時多発テロの現場でお看経した時の空と同じです。そして虹です。「そんな演出、いらんねん」と仕事仲間が涙ながらに教えてくれました。私もそう思います。
京都から参列に来てくださった方々が、全くバラバラに新幹線をとっていたのに、同じ新幹線の、同じ号車の、同じ列の、DとEだったと聞きました。こんな天文学的な奇跡は起こり得ません。まるで博くんから「僕の思い出話でもしながら帰ってください」というような出来事です。信じられないようなことですが、事実なのです。
保父さんになっておけばよかったのに、と思います。最初の頃、6才上の博くんを「インチキプロデューサー」と呼んでいました。性根は治らなかったかもしれませんが、彼がお寺の中でみんなの人生を左右するくらい大切なことを積み重ねたのも事実、現実です。我が強く、言うことを聞かず、間違っていましたが、菩薩行を喜び、その教えに励んだこと、その功徳にすがるしかないです。
高校時代の夢はお寺の中で次々と叶いました。仕事では得られない喜びです。子どもたちの涙を見てください。まるで保父さんです。だからこそ、あれほど喜び、あれほど楽しみ、あれほどみんなのことを想って、ご奉公したのだと思います。妙深寺の保父さんは子どもたちの思い出の中に生きてゆくに違いありません。
功罪相半ばする彼の一生。私も走り続けてきましたが、小泉博を送るというご奉公が、自分にとって大変大きく大切な節目となりました。これをプラスに転じられるよう、今までの生き方ややり方を大きく切り替えて、より良いご奉公を目指したいと考えています。
通称、小泉博。明日、四七日忌です。彼の積み重ねた功徳は、その法号に全て表れています。勲号は本山宥清寺から頂戴したもの。法号も、世間での評価とは別次元の功徳行を積んだ方へ撰ばせていただいた法号です。雨ニモマケズとデクノボー、です。
「ナガマツを支える」とか「ご住職を守る」とか言いながら、いつも泥をぬる、迷惑をかける、いいことしてるようで結果として損害を与える、達人級の愚か者でしたが、彼の蒔いた善なる種は、いつか必ず芽が出ると確信して、ご遺族に寄り添い、彼のご回向を続けます。
妙深寺のみなさま、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
長松清潤拝、
追伸
本件に関しては憔悴したご遺族の心情も慮り、個別のご質問や回答を控えさせていただきます。よろしくお願いいたします。