御教歌「すればする体を己れ持ながら でけぬと云は心也けり」佛立要義録(一)49(50ウ)・扇全29巻189頁
御題目をいただいた以上、ご信心にお出値いした以上、幸せになってください。目的を達成してください。目標を達成してください。
自ら限界を決めず、挑戦して、可能性を追求して、成就する。
御題目、ご信心があるから、成就できる。可能になる。不可能はない。
そういうご信心が出来るように、そういう人生を歩めるように、本物の仏教徒、佛立信者の可能性を示し、激励くださる御教歌です。
この御教歌は「経云若持法花経其身甚清浄の事」と題された御指南書に収められています。法華経本門八品、法師功徳品 第19の御文「若し法華経を持たんは其の身甚だ清浄なる」から引用
「六根清浄の功徳」に引き続き「資生業等 皆順正法」の御文。
「諸の所説の法 其の義趣に随って皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん。」
佛立信徒それぞれの生活、営み、人生のことをお示しです。
ご信心をしているのだから、御題目があるのだから、もっと勇気を持って、もっと自信をもって、もっと前向きに、もっと地道に、精進しなさい、挑戦しなさい、努力しなさい、ということです。
この御指南書、御教歌は、明治13年、1880年に書かれた。明治維新から僅か13年。世の中がひっくり返るほどの大変革期だった。
この御指南書の中の、この一文を拝見して、今こそこの御教歌で御法門を説かせていただこうと思いました。
「世の中、大いにあらたまらんとする也。然るに、人々、時節まけと云てなげく」
当時、「世の中についていけない」「なんでこんな世の中なんだ!」と言って、時代に負けた、時代に負けそうな人がたくさんいた。みんな嘆いていた。
そんな人に向かって詠まれたのがこの御教歌なんです。
「すればする体を己れ持ながら でけぬと云は心也けり」
「自分で自分にリミットをかけるな」
「制限をかけるな」
私たちは何でもできる身体を持っている。
どんな風にだって行動できる。
それなのに「できない」と決めつけてしまう。
それは「心の問題」に過ぎない。
世の中の問題じゃない。
限界を作っているのは自分自身だ。
あなたの心だ、ということ。
ましてや、私たちには御題目がある、このご信心がある、不可能なことなんて一切ない。
必ず乗り越えられる。
夢は必ず叶う。
何一つ不可能はない。
信心があれば、なんだって出来るはずだ。
私たちは、何度も、迷います。
人生と言う旅で、道を外れることも、見失うこともあります。
そんな時は、立ち止まって、地図を見直せばいい。
自分が今どこにいるのか、ご信心があれば見つけられる。やり直せる。
御指南書の結びには次のようにあります。
「しかるに不心得の愚人は月給をあらそふ也。月給あらそふものに忠義のものなし。」
「不心得の愚人」とは、道理をわきまえず、目先のことばかり考える人です。
そういう人はお金のため、給料のために仕事をして、そればっかり考えて、仕事の目的や目標を大切にしない。つまらないツバぜり合いやイザコザばかり起こして誠実な働きはない。結局、成功するわけはない、とお示しです。
結局、お金のために働く。悪いことではないけれど、目的が違う。力添えなし。
人生は「目的」と「目標」と「方法」をしっかりと定めること。
グチャグチャにして、前後左右して、ここに迷ってはダメです。
御利益をいただけるか、いただけないかは、すべて、自分次第です。挑戦です。
せっかくですから、勇気のあるご信心をさせていただきましょう。
ご信心で勇気をいただきましょう。
自分に負けるな。
「すればする体を己れ持ながら でけぬと云は心也けり」
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