御教歌(令和7年 秋季総回向)
願はくは むすめむすこが親になり 欲のみ深くならずしも哉
愛する我が子の行く末、幸せな人生を歩んでほしいと願う親の心を詠んだ御教歌。
どうか、将来、わが娘、わが息子たちが成長して、親となる日が来ても、末長く家族が幸せで、一族が繁栄してゆくためにも、欲ばかり深く、強くなりませんように。
ご信心を失い、お寺から離れ、大切なことを見失って生きていれば、家族が幸せになれるはずもないのです。
どうか、しっかりと法灯相続をして、ご信心を持ち、先祖に感謝し、ご回向を重ねて、本当の家庭円満、末永く家運長久してゆきますように。
ご信心、法灯相続、先祖回向の大切さを感得させていただく御教歌。
「教えざるは師の失、学ばざるは弟子の失(教えないのは師匠が悪い、親が悪い。学ばないのは弟子が悪い、子どもが悪い)。」
「人なれど畜生よりもおとるあり よく深きもの恩をわするゝ」
親を蔑ろにしてきた子どもが、親になって子どもを育てる。
子どもにとって、これほどの不幸はありません。
人間は人間に育てられないと、人間にはならないのです。
姿形は人間だけど、欲深く、恩を忘れた畜生になってしまって、それが子育てをする。
子どもは、苦しいです。悲しいです。寂しいです。
不思議なものです。
欲というのは、生きるために必要で、幸せになるためにも必要なエネルギー源なのに、逆に人生を台無しにしたり、家族をバラバラにしたり、子どもを苦しめたりする。
「欲を全てなくせ」ということではなくて、「欲深くなるな」「大切なことを忘れるな」ということ。
日本民俗学の父・柳田國男の言葉。
「屢々(しばしば)滅失の危険にさらされる有形の財産よりも、寧(むし)ろかほど迄に親密であった先祖と子孫の者との間の交感を、出来るだけ具体的に知って居る方が、どの位家の永続に役立つか知れない。」
現代語
「たびたび失われる危険にさらされる有形の財産、土地とか、お金とか、建物などよりも、むしろこれほどまでに親密であった先祖と子孫の間の交感、供養やご回向の方法をできるだけ具体的に理解していることの方が、家の永続にどれほど役立つか分からない。」
まさに、私たちは、この一座で、お塔婆を建てて、御題目をお唱えして、お焼香をさせていただいて、先祖と子孫が「交感」=「交わり」「感じてる」=「感応道交」をしている。
「先祖と子孫との交感を、出来るだけ具体的に知っている方が、どのだけ家の永続に役立つか分からない。」
日蓮聖人の御妙判
「いかにも、いかにも、追善供養を心のおよぶほどはげみ給うべし。」
上野殿後家尼御返事
追善回向の大切さを、お祖師さまは重ね重ねてお示しです。また、「功徳回向抄」という別の御妙判には。
「我父母の物をゆづられながら、死人なれば何事のあるべきと思ひて、後生を訪はざれば、悪霊と成り、子々孫々にたたり(崇)をなすと涅槃経と申す経に見えたり。」 功徳回向抄
「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり」忘持経事
頭も手足も、指も口も親からもらっているのに、死んだら関係ないと思って先祖のご回向もしないようであれば、ちょっと怖いですね、「子々孫々に祟りをなす」と涅槃経には書いてあるぞ、気をつけなさい、とお示し。
どうか、将来、わが娘、わが息子たちが成長して、親となる日が来ても、末長く家族が幸せで、一族が繁栄してゆくためにも、欲ばかり深く、強くなりませんように。
ご信心を失い、お寺から離れ、大切なことを見失って生きていれば、家族が幸せになれるはずもないのです。
どうか、しっかりと法灯相続をして、ご信心を持ち、先祖に感謝し、ご回向を重ねて、本当の家庭円満、末永く家運長久してゆきますように。
ご信心、法灯相続、先祖回向の大切さを感得させていただく御教歌です。
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