2007年9月28日金曜日

スリランカの方との交流会

 ご奉公が詰まっており、ニュースも見れていないのでミャンマーで起きている悲劇について書けない。追って書きたいと思う。
 清顕師が10月1日に来日するスリランカのご信者さんについて神奈川布教区の管内寺院に案内文を作ってくれた。実は、昨日の夜から横浜・妙深寺の教務室は大変なことになっていた。今朝が寺報の出稿期限だったので、信仰師と清従師を中心に教務室は朝まで徹夜の作業が続いていた。私は昨夜巻頭言の原稿を書き終えることが出来たのだが、彼らは数多くのご信者さんの声をテープから起こし、体裁を整えてゆく。10時前、無事に出稿できたとのこと。10月号も世界最高の寺報になったと自負している。
 そんな状況の中、いま信仰師は役中テキストを作っているというし、清顕もスリランカ信徒交流会のご案内を作ってくれたというわけである。ここに簡単に掲載してみたい。
=============================
スリランカ信徒交流会のお知らせ
 ありがとうございます。為法為宗の御奉公の段、随喜申し上げます。
 この度、10月1日から11日の日程で、スリランカ本門佛立宗よりアベイ氏とガマゲ氏の二人の信徒が本山の高祖会に合わせて来日されます。
 10月1日~4日まで縁あって横浜妙深寺で宿泊されることとなり、今、大変御弘通に勢いのあるスリランカ信徒と交流する場を設け、互いの信心増進の場とさせていただきたく、以下の日程で交流会を予定致しております。
 以前、管内寺院より「海外信徒が来日し、交流する機会があれば、是非とも管内寺院に声を掛けてほしい」とのご意見をいただきましたので、大変日程が迫っている中ですが、神奈川布教区管内寺院にご連絡差し上げた次第でございます。
 ご都合がつく方は是非ともご参加いただければ有り難いと思います。
・ スリランカ信徒交流会
10月2日(火) 12:30~14:00 妙深寺境内地
(10:00~ 月始総講)

参加される方はご供養の関係がございますので、お手数ですが、
妙深寺 兼子清顕までご連絡下さいませ。
ありがとうございます。
=============================
 以上のようなご案内文。共にグランデ・ファミリアで世界と交流した神奈川布教区の方々には、ご都合がつけば参加していただきたい。

2007年9月27日木曜日

パリからの便り

 パリから嬉しい便りが届いた。

 ブラジルの高崎御導師がご信者さまと共にパリを訪問され、何と妙深寺の美穂さんのお宅にお助行に行ってくださったというのである。何と何と、有難いことだろう。

 地球は狭い。狭くなった。ブラジルの高崎御導師はモジ・ダスクールゼスの隆昌寺のご住職。何度かここにも書いたが、私がはじめてお会いしたのは11才の時。優しくて、格好の良い御導師である。今年の2月にブラジルでもお会いした。ニヒルな笑顔、ジョークのおもしろさ。

 コレイア御導師にパリにお助行に行っていただいたのは4月の初旬だっただろうか。その御縁が結ばれて、こうした展開になった。きっと、素晴らしい出会いだったに違いない。そう、パリからの便りには美穂さんの暖かい気持ちが伝わってくるから、素晴らしい出会いとなったことは疑いない。ありがたい。

 美穂さんからのメールをご紹介したいと思う。

=============================

ご住職様

 ありがとうございます。
 大変ご無沙汰しておりますが、その後お変わりありませんか?
 本日は素敵なご報告をさせていただく為にメールを致しました。

 実はブラジルのコレイア師のお計らいで、パリを訪問中のブラジルの高崎お導師と奥様とご信者さん3人が昨日我家にいらっしゃいました。

 高崎お導師から22日(土)にお電話をいただき、24日(月)にはお帰りになるとの事でしたので、何とちょうど日本のお彼岸にあたる昨日23日(日)朝に皆さんで我家にいらしていただき父の回向をしていただきました!不思議なくらいありがたい仏縁だと思いました。ちょうど日曜でしたので子供達も同席することが出来ました!

 高崎お導師をはじめ奥様、ご信者の方々もとても優しい方々で素敵な出会い、ご回向になりました。

 皆さん遠くからパリに観光でいらしていたのに貴重なお時間を私共の為にさいていただきましたこと感謝しても仕切れません。
 又、今回の素敵なご縁を作っていただいたコレイア師にも大変感謝しております。皆さんのお陰でますますブラジルが近くなりました。

 これらの出会いも全てご法様からいただいたご利益のお陰だと思いあらためて感謝している次第です。

 ありがとうございました。

 美穂

PS:記念のお写真をお送りいたします。

=============================

 暖かい気持ちが文面からひしひしと伝わってくる。私からも簡単だが返信を出させていただいた。
=============================
美穂さま、

 ありがとうございます。
 本当に素晴らしいです。感動です。地球はせまくなりました。しかも、お彼岸の日なんて。なんていう有難いことでしょう。

 もちろん、突然の訪問だったようですから、美穂さんも大変だったかもしれませんが。

 高崎御導師は、私が11才の時にブラジルでお会いした御導師で、本当に優しい、素敵な方です。その方に、妙深寺の局長の姪御さんのお助行をいただけるとは、何とも有難く、嬉しいことです。

 地球はせまくなりました。いつか、世界中のどこに行ってもご信者さん、佛立家族に出会えるようになるといいなぁ。
 ありがとうございます。

 オーストラリアでは猛烈な干ばつで死者まで出ているようです。フランスの気候は大丈夫でしょうか?
ご家族のご健康とご多幸を心より祈念しております。

 ありがとうございます。

清潤拝、

=============================
 本当に、世界中のどこに行っても佛立家族がいる時代が、すぐそこに来ている。待っているのではなく、ご奉公させていただいて、そんな素敵な世界にしたい。
 いま、福岡御導師もイタリアでご奉公されている。建國寺の清優師やご信者方もイタリアにお参詣される予定で、きっと素晴らしいご奉公、出会いになると思う。良誓師はもちろんだが、ローマの麻樹ちゃんも準備ご奉公で忙しいと思う。ありがたい。

2007年9月26日水曜日

嬉しくて嬉しくて仕方ない

 嬉しくて嬉しくて仕方がない。

 何が嬉しいかというと、毎日の全ての出来事が嬉しい。ひろし君と、ずっとそうした話をしていた。もちろん、イライラすることもあり、仕事でも課題は山積していたり、困ったことも起こるし、実際に今でもそうだ。しかし、「うれしい」のだ。「ありがたい」のだ。それが私たちのご信心ではないか。

 占いなど、人々が列を為して、まさに「群がっている」ということも聞く。細木さんの本も売れているらしいし、京都にも彼女の豪邸があるようで「すごいなぁ」と思う。

 しかし、そこは「欲望」の世界。前回も書いたが経営者などが霊能者を頼るのも、全て「欲望」の世界。ひろし君も昔はそうしたものが好きだったという。しかし、本門佛立宗のご信心、本当の仏教に出会って、全てが変わった、生きている風景が変わった、眼に飛び込んでくるもの、耳に聞くものの質が変わったという。本当にそうだ。そうなのだ。

 欲を無くせというのではない。しかし、霊能者や占い師を信じ、通っている間は、きっと苦しみが増していくだろうなぁと思う。降りられないシーソーゲーム。結局、足が地についていない苦しさ。実際には、何も自分で判断できなくなり、「人生を奪われる」と言っても過言ではないのだから。依存心の根底には、エゴがあり、欲望があるのだ。

 私は、パチンコが嫌いなのと同じくらい占いが嫌い。テレビなどで占いが出てくる度にチャンネルを変える。「お前に言われたくない」と思う。何があったって構わない、良い日も悪い日もあるのは知ってる。それ以上に、それを含めて、ブレない、曲がらないものが腹の奥にある。一喜一憂したくない、ずっと誰かの幸せを自分の生きるエネルギーに変えていきたい。綺麗ごとのように聞こえるかも知れないが、これが自分の実感なのだから仕方ない。

 とはいえ、自分は日本一の大馬鹿だと思うし、エゴもあるし、ダメなのを知ってる。来世は人間に生まれてこられるか分からないほどのアホ。人を傷つけたこともあるし、今でも傷つけているかもしれない。愚かすぎて、わがまま過ぎて、自己嫌悪になることもある。

 でも、ご信心に出会えて、ご信心をいただいて、本当に幸せなのだ。ありがたいのだ。それだけ、それだけ書かせてもらいたい。ありがたいのです。毎日が嬉しくて嬉しくて仕方ないのだ。ひろし君と、そんな話をしていた。

2007年9月23日日曜日

『お葬式、0円』

 先日、13日の月始総講で御宝前に言上させていただいたのだが、妙深寺の古くからのご信者さんから大きな御有志をお預かりした。私は何と言葉にしていいか分からなかった。金額の大小ではない。その「志」に心から随喜させていただいた。
 14年前、先住のお怪我と現証の御利益。それは、妙深寺がいただいた御宝前からの最高のサインであり、目の前で御題目の御力を見せていただいた「現証の御利益」に違いないと痛感した。
 2年後の1995年、私はその出来事をまとめ、「佛立魂」という本を出版させていただいた。この本は、今でも多くの方にお問い合わせをいただいている。多くの方の傍らで信行ご奉公の一助としていただいていると勝手に想像している。本当に有難いことだと思っている。
 その「佛立魂」の執筆と出版に至った経緯。それが、実は先に書いた方の奥さまからお受けした御有志だった。当時、私は臨港教区という地域の受持講師だった。その臨港教区の中でご奉公させていただいていた寒参詣の折、本堂の地下から上がる階段の途中で、その奥さまからお声を掛けられたのだった。
「御講師、先住の事故。私たちはすぐ忘れちゃうでしょ。だから、書いてください。本にして出してください」
 手に握らされたのは、本のような厚さの半紙に包まれたものだった。奥さまのお話を聞くと、数千冊の本を簡単に出版できるほどの金額、御有志。私は、階段の途中で呆然としながら、今まで持ったこともないお札の束を握りながら立ちつくした。
 私は知っていた。受持講師として、いつもお宅に伺い、御講やお助行をさせていただいていたので、その方のお宅の佇まい、お暮らしぶりをしっていた。質素というか、小さな家の中で大切に暮らしておられるご主人と奥さま。当時、奥さまは63才、ご主人は66才だったと思う。ご長男とご長女は独立されてそれぞれ遠くに住んでおられ、随分前からお二人で暮らしておられた。本当に質素だったが、とても暖かく、優しく、幸せそうで、教区の方々を集めて楽しいお食事会をしたり、私も何度も呼んでいただいてみんなで楽しく過ごさせていただいていた。
 その奥さまからの御有志をお預かりしなかったら、あの「佛立魂」は執筆も出版もできなかったと思う。結果、私たち妙深寺の教講がいただいた現証の御利益は、記憶の底に埋もれてしまっていたかも知れない。大広間から上がる奥の階段で立ちすくんでから、「何とか御志を形にしなければ」と奮起することができた。
 当時、私は文章力など全くなかった。何度もブログに書いてきたが、スポーツばっかりしてきて頭の回転もすごぶる悪かった。そんな私が、御志を受けた以上どうしてもさせていただかなければならないと思った、思えたのである。
 ワープロを使いながら、見よう見まねで文字を打ち込み始めた。遅々として進まず、頭を抱えて何日間も何週間も過ぎてしまうこともあった。しかし、いずれにしても、その奥さまのお声、お心、御有志がなかったら、私は自分が動いていたかどうか自信がない。きっと、出来ていないと思う。私にとって、私を成長させてくれた、かけがえの無い出来事だった。私を外護し、育ててくださったことを、私は一生忘れない、と自分の心に決めて今まできた。
 そのご主人、既に80歳を前にした方から、妙深寺に建財ご有志として200万円、これから始まるエレベーターの設置のためのご有志として100万円をお預かりしたのだった。ご夫妻の質素なご生活を知っているから、この「ご有志」がどれだけの「思い」がひしひしと感じる。いや、先住時代から「御法さまへのご有志は、1円でも何千万円でも同じ心でお預かりするものだ」と教えていただいているから、金額の大小ではないのは充分に承知している。ただ、このご有志が、どれほど私にとって重たかったか分かっていただけるだろうか。このご夫妻がいなければ「佛立魂」という本はなかったし、今の私はなかったと言ってもいいほどなのだ。今でも文章力はないが、それでも書けるようにはなった。ご夫妻の思いがなかったら、スポーツばかりしていた私には、思いを深く掘り下げて、文字にする術など身につかなかっただろう。
 13日の朝、お祖師さまの御総講に於いて御宝前に言上させていただいた。万感、胸に迫る。御法さま、どうかこの方々の気持ちをお受けください、と。妙深寺の本堂や様々な建物、イスや境内地にある木々や石ころも、何かを売って建てたり、購入したりしたものではない。全てご信者さまの思い、ご有志、み仏の教えによるもの。そしてまた、こうして質素な生活を送るご夫妻から、妙深寺という法城を護るための「思い」をお預かりした。本当に、何とも言葉にできない。
 いくら包んだら何のサービスがあるとか、御利益があるとかという新興宗教が言うようなものはない。仏道修行に於ける「布施行」「喜捨」は、全て「志」なのだ。真実の仏教、本門佛立宗であるから、「葬式代」「戒名料」などと、その時だけの功徳を求め、それで「良し」とするものではない。日々に信行し、功徳を積む。ご信心の発露として、功徳を積ませていただき、御法さまをお守りし、自分が少しでもお役に立とうとする「心」が「ご有志」なのだ。
 そうしたことを形にして、いつか「お葬式、0円」を実現したい。ソフトバンクの携帯電話の宣伝や生命保険のようにはなりたくないが、日々にこれだけの功徳を積んでおられる方は、お葬式で何か特別なご有志をしていただかなくとも良いと思える。本門佛立宗のご信心、本当の仏教は、葬式で金をかければ良いというものではないのだから。
 大邸宅に住みながら孤独の中で悶々としている人々もいる。質素で小さなお宅ながら、喜びと感謝の中で暮らされている方々もいる。その違いは、やはり「ご信心」だと思う。老夫妻の息子さんは、今や事務局の中でご奉公くだされており、ご長女も部の中でお参詣やご奉公に気張ってくださっている。何よりの幸せ、ありがたいことだと思う。
 まとまりがないが、書かせていただいた。

2007年9月20日木曜日

お見舞い、

 昨日、ある方の病院に行かせていただいた。食道癌の末期、ステージはⅠでもⅡでもⅢでもⅣでもなく、さらにその上のステージ。71才になられるが、元船乗りで海の男。もの静かだが、とても親しみやすく、私は大好きな方だった。
 ほんの数年前に船から降りられた。そして、最近のことだが御講参詣などをしてくださるようになり、御講席ではお迎えのご奉公もしてくださるようになっていた。4月の御講。駅までお迎えに来てくださった際、その方がコンコンされている咳が気になり、至急病院に行ってくださいとお話をした。
 6月、また駅までお迎えに来てくださった。「病院に行ってくれましたか?」と聞くと、「いや、町医者には行きました」と仰っていたので、「大きなところで見に行ってもらいたい」とお話しした。御講席でご供養をいただいている時、私がお席主の方とお話をしている横で、咳をしてむせておられたのが気になった。お見送りをいただいたのだが、やはり病院に行ってくださいとお話しして別れた。
 8月末だっただろうか、9月に入ってからだろうか。深恭師から突然の報告があり、上記のように末期の進行性食道癌とのこと。やりきれなくなった。しかし、へこたれていても仕方がない。早速、御祈願を始めさせていただいた。
 昨日、御講席の帰りに病院に寄らせていただいた。奥さまが玄関で待っていてくださり、二人で病室へ。ベッドの上に座って待っていてくださった。見たところ、病人とは思えないほど元気な様子だ。しかし、声は枯れていて、喉にはマジックで線が引かれていた。
 悲壮な雰囲気など全くない。聞くと、『佛立魂』を病室で読み返したという。そして、「勇気をもらっています。がんばります」と仰った。ベッドの上には診断書。「ここまで告知して良いのか」と思うほど、全てを本人に説明している。ステージ、治療法、、、、。
 冗談を交えて笑いながら、身体は病気になっても、心だけは決して負けることの無いようにとお話しする。決して諦めず、お供水をいただき、御題目をいただき、御法さまのお導きとお見守りといただけるように、と。
 最後は抱き合いながら背中をさすり、御題目をお唱えして二人で泣いた。御祈願に気張らせていただこう。ご本人も、ご家族も、みんなが御祈願をされている。
 一人で駅まで送っていただいて、電車まで時間があったのでコーヒーを飲んだ。そこでも泣けてきた。私は弱い。信心も弱い。御法さまにお縋りするしかないと分かっているのに、あまりの無常、そして何より病室にいるみんなの思いに心が締め付けられる。
 もっと重篤な方のお見舞いにも何度も行かせていただいてきた。それは私の使命でもある。その方の人生を締めくくる最期の言葉が、私への「ありがとうございます」だったということも何度かあった。意識の朦朧とする死の直前の病室。末期癌の方の足をさすり、御題目をお唱えする病室の中。ご家族と一緒に過ごす、重たい空気。その全てが私たちのご奉公であり、私たちの責務だと思う。しかし、このようなご奉公の後は、心が動かなくなるほどになる。そう、そうした時にこそ、御題目、お看経しかない。
 必ず御法さまの御力がいただける。200才まで生きる人間はいないが、御題目にお縋りした時、必ず『何かが起こる』。それこそ『現証の御利益』である。絶対に、戦う前から諦めることはしない。

2007年9月18日火曜日

宗教と政治 ラスプーチン

 安倍氏が辞任した。連日の報道が示しているように、日本は緊急事態を迎えていると言って良いだろう。

 平穏でいられることが日本という国や国民の資質の素晴らしさかもしれないが、平和ボケだとすると、この後がコワイ。(福田さんか麻生さんかということではなく、近々すごい独裁者が日本に生まれるかもしれないという意味。それは本当に恐ろしいこと。その予兆は十分にある)

 実際、国家の危機だろう。首相が所信表明を行った直後に突如として辞任を表明するとは。連日、自民党の次期総裁選についての報道やゴシップ的な話題は流されているが、この「タイミング」に「なぜ」という事実関係は曖昧なままなようだ。官房長官は健康問題を示唆し、事実安倍氏は入院したままだ。

 私は、政局や政策ではない面から、彼や、政治というもの、そして宗教、信仰を考えてみたいと思う。なぜなら、すでに一部の報道にあるように、安倍氏の信仰していたという人や団体、それに関連する不透明な人脈についてが見え隠れしているからである。

 お祖師さまは、
「佛法やうやく転倒しければ世間も又濁乱せり。佛法は体のごとし、世間はかげ(影)のごとし。体曲れば影なゝめなり」
とお諭しになられている。

 佛法、御仏の法、教えが正しく継承されず、逆に誤謬されてゆけば世間も濁り乱れていくとの教え。心と体の健康が密接に関係しているように、人類の心に正しい佛法をいただけば世界も世間も良くなるはず。佛法こそ身体であり、世間(社会)が影であるとすれば、佛法が曲がれば世間も曲がっていく。正しい信仰がなければ正しい世の治め方も、治まり方もないではないか、という。

 だからこそ、お祖師さまは立正安国論を幕府に上奏され、まずは国政を担う方々も含めて正しい佛法、正しい信仰を持つべきであるとお折伏をされた。それが無ければブレてしまう、曲がってしまう、壊れてしまうのではないか、と。

 週刊文春の9月20日号、9月13日に発売されたものを読むと、スクープとして上杉隆氏による『「錯乱」安倍晋三首相の「四人の神」』という記事が掲載されている。安倍氏の辞任会見が12日の14時からであったから、このゲラが官邸に廻って安部氏は辞任を決断したとも思える。そんなショッキングなタイトルと内容だった(そもそも、週刊誌の内容は発売前に様々なルートで関係各所を巡る。そこで様々なルートを通じて押さえられる記事や内容もある)。

 辞任会見当日、週刊文春は既に販売ルートに乗って全国に配布された後であったろう。だから、このまま発売され、今日の時点でも辞任前の誌面と内容のままだ。激動の一週間を過ぎているので、いま読み返すと「いつの話?」という遠い過去のような気分になってしまう。既に各メディアは次期総裁選で一色なのだから。既に、テレビや週刊誌も安倍氏にフォーカスしていない。(意図的かどうかはともかく)

 政治家と宗教団体は切っても切れない縁だそうだが、この記事ではあらためて有名政治家と宗教団体との関係を書き連ねている。吉田茂がカトリック教徒であり、マッカーサーの占領政策と相まって重用されたのは有名な話であり、事実ピウス12世は彼を信頼し、後にバチカンは吉田茂氏を表彰までした。カトリックの日本布教に大いに貢献したとしたのである。現在、総裁選に出馬している麻生氏は、吉田氏の孫であるから当然カトリック教徒。洗礼名は「フランチェスコ」である。

 吉田茂氏のことは出ていないが、上杉氏の誌面では、今ではカルト視されている統一教会の大会に岸信介氏や安倍晋太郎氏が出席していたことや、「角福戦争」と呼ばれた頃には、旧田中派に創価学会、福田赳夫氏側に立正佼成会、真如苑、霊友会などが付いたことなども紹介されている。驚いたのは、「新生佛教教団」についても詳細に書き、石原伸晃氏などの名前を挙げているのだから、これを書いた上杉氏は大丈夫かしらと心配してしまう。

 特定の宗教・信仰を持っていたと断定的に言わないまでも、タイトルからも分かるとおり安倍晋三氏の信仰について書かれている。アロマが好きで、入浴時にキャンドルをたいているので有名な安倍氏だが、宗教団体に関係する「水」を常飲していたという。これは、このインターネットで検索すると膨大にサイトが出てくる「慧光塾」、ライブドア事件やヒューザー小島氏関連の偽装建築事件の人脈にまで通じてしまう日本政財界の暗部、宗教とも何ともつかない教祖・光永氏の主宰していた「慧光塾」と、その主宰者・光永氏の長男が経営する会社から取り寄せた「水」だという。

 文中には、憔悴しきった安倍首相が、「この水じゃなくちゃダメなんだ!」とペットボトルを抱きかかえたと書かれている。私にはそれが事実であるかは分からない。しかし、日本国首相、安倍氏が傾倒する宗教や信仰については、既に何度も建築構造偽装の事件やライブドアの野口氏が自殺した事件からゴシップのように書かれてきたが、私は宗教者として興味を抱かずにはいられない。その刑事的なことや政治的な人脈についてではなく、「人間の弱さ」や神秘主義に傾倒する「人々」や「団体」、その人の「信仰」についてである。私は、しっかりと佛立佛教の見地から判断し、コメントしていかなければならないと思う。とはいえ、事実関係を知るには限りがあるのだが。

 光永という慧光塾の教祖(創始者の松田憲妙然り)は、きっと神懸かり(?)な能力を持っていたか、宗教的なセンスを持っていたのだろう。私はオウム事件の教祖・麻原氏(本名:松本)すら、教団発足当初は普通の人間からすると退化して失ってしまった能力や感性、「宗教的なセンス」を持っていたはずだと思っている。本門佛立宗、というか本当の仏教からすれば、こうした「能力」は大して驚くことではない。ブッダの弟子、モッガラーナは「神通力第一」といわれていた。しかし、ブッダは最終的にはモッガラーナのその「能力」を止め、正しい方法による修養を説かれた。そうした「迷い」から抜け出ることが大事なのだが、事実として普通の人間が失った感覚を持った者がいてもおかしくない。

 しかし、本門佛立宗では、言い方は悪いがこうした能力を「狐狸のたぐい」と言って切り捨てることもある。正しい仏法がなければ、キツネや狸のように霊性が強いといわれる動物と同じ程度のもので、本来の仏教からすれば信じるに値しないと言うのだ。事実、本門佛立宗の歴史上には、いわゆる霊感の強い僧侶や尼さん、ご信者もいたが、「その能力がなくなること、見えなくなることが現証の御利益である」というのが正道であった。私の家系もそういうお折伏を開導聖人からいただいたと伝え聞いている。

 最初は、相手の苦しみが分かり、言わずとも問題を感じてくれ、何らかの超自然的な感覚によって「お告げ」をしたり、「癒し」を施したりしていたとしても、人間の本性「欲」というのは途方もなく大きなものなのだ。いつしか魅力的な教祖も、強欲で、わがままで、気まぐれな暴君になってしまう。天(?)の声と自分の欲望の声が徐々に混同してゆき、当初の霊的な魅力は消え去り、暴走していく。本人自身が不安を抱くようになり、精神が不安定になり、誰も信じられなくなり、恐怖が心を支配するようになる。麻原氏もそうであったかもしれないし、「お告げ」「癒し」を行う多くの霊能力を持った人というのは、こうした落とし穴にはまってしまう。本人も苦しくなり、信じている信者たちも大いに苦しむことになる。

 本門佛立宗の教務は、当然ながら「安っぽい霊媒師」のようなことを言ってはならないと厳命されている。あくまでも、「道理」「文証」「現証」という三証や、「教」「行」「証」に沿い、師弟共に「凡夫」であることを自覚して、正しい仏道修行に則ってご奉公させていただく。

 だから、「占い」などに代表されるものや、「ジンクス」的なものに迷うことを戒めているし、霊感によるいわゆる「霊視」やイエス(キリスト教の教祖)が行った(新興宗教の教祖の多くはこれが出発点だが)という「癒し」や「手かざし」などは驚くに値しないと考えている。そこに「普遍性」を見出すことは困難で、当然信仰するには値しないと考えている。

 記事によると(あくまでも事実だと私は断定しないが)、安倍首相が7~8年前に虎ノ門病院に入院した際、慧光塾の教祖・光永が20日間ほど毎日、夜中に病院に通って看病したという。当時、安倍晋三氏はガンとの疑いをかけられていた。その後、慶応病院へと移り、再検査をしたところどこにも異常が見つからなかったという。この出来事以来、安倍氏の心に光永氏に対する絶大な信頼(信仰)が生まれたというのだ。

 安倍晋三氏の母、つまり安倍晋太郎氏の妻の洋子夫人は、慧光塾を創設したという女性霊能力者である松田憲妙とも親交があったという。後に光永仁義(ひとよし)氏が慧光塾を継承することになるが、この安倍晋太郎氏がガンで病室にいた際にも、晋太郎氏の信任を受けて光永氏が背中をさすると喜んでいたということだった。その後、一年以上もそうしたことを繰り返したという。

 その後、政界の中枢に光永と慧光塾は入り込んでいく。これらは別のサイトで検索してもらった方が早いだろう。

 こうした話は枚挙に暇がない。池口恵観なる僧侶も政界に深く根を張る僧侶だという。この僧侶は安倍晋三氏との深い親交や、どの程度親しくアドバイスしてきたかなどを公言している。週刊文春の記事によると、彼は取材者に対して「晋三さんはウチの信徒といえば信徒です」と語っている。池口という人が何宗の僧侶か私は知らない(「加持」というから密教系であろうか)が、彼の地元は鹿児島で、月に何度か東京へ出てきて、ホテルニューオータニを舞台に政財界の要人を相手に出張の「ご加持」を行っているという。

 光永は2005年に没している。その死の直前まで、同じくホテルニューオータニを舞台にして、政財界から列を為して訪ねてくる者たちに「お告げ」や「治療」を行っていたという。安倍晋三氏は、光永の没後も、慧光塾の後継者と関係を続けていたという。もちろん、簡単に切れるようなものではない。しかし、こうした団体との関係を持っていることが「政治家の甲斐性」として、一定の距離を保ち、自身でコントロールできているのであれば良い(?)のだが、なかなかそうはならない。

 信仰を持つ態度には、四つのタイプがある。正法正信、正法邪信、邪法正信、邪法邪信。正しい法を正しく信じる人、正しい法を間違って信じる人、間違った法を正しく信じる人、間違った法を間違って信じる人。

 当たり前のことだが、正法正信が最も選択すべき道に決まっている。同時に、「邪法正信」こそ最も哀れであるといえる。

 間違ったものを素直に信じている人。オウムの林被告などが頭に浮かぶ。哀れだけれども、自己の判断で行き着く恐ろしい状況は、教祖を恨んでも、自分を呪っても何も返ってこない。結局は、自分本位のエゴ、ドロドロとした欲望が、霊視や霊感、狂った教祖や偏った霊能者などに走らせていることを知らなければならない。

 つまり、こうした政財界の根底に巣くう病巣とは、「お告げ」に群がったり、「治療」を求めたりする人間の、際限のない『欲望』なのだろう。次から次へと有名な霊能力者が口づてに出てくる。「あの人を紹介して」「あの人に会わせて」とやっている間に、抜けられない「闇」に多くの人が落ちていく。信じられるものがない人や不安の多い時代なのだから仕方がないかも知れないが、多くの人がそのまま自分の人生を奪われ、自分の「選択」を奪われていく。いつの間にか思考は停止したも当然で、冷静な判断は下せなくなる。「欲望」「欲望」「欲望」、、、、。

 安倍晋三氏がそうであったと断言するつもりはないが、政財界に根を下ろした「霊能者」たちの活躍について、心から危惧している。つい、私は20世紀を代表する霊能力者であり、政界にも多大な影響を与えたグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンを思い返す。「ラスプーチン」と言えば、どこかで聞いたことがあると思うが、彼はロシア帝政末期に登場した怪僧、怪物とも評される東方正教会の祈祷師だった。

 1904年、神から啓示を受けたとして突如田舎から大都市・サンクトペテルブルクに出たラスプーチンは、人々に「治療」を施して注目を集めた。帝政末期の混乱期、過渡期にあったロシア。時代の風潮も後押しして、時を置かずに彼は『神の人』と呼ばれるようになった。

 当時、ヨーロッパ全土は空前のオカルトブーム(スピリチュアル・ブーム)の最中にあった。特に、ロシア皇族に嫁いでいたモンテネグロ王の二人の娘、ミリツァとアナスタシヤ(愛称・スタナ)大公妃姉妹は、神秘主義に傾倒しきっていた。次から次に霊能者や自称「神の子」を探して、神秘的な気分を楽しんでいた。その様子は、あの当時の様々な日記に見て取れる。セルビア皇太子(大公妃姉妹の弟)も含めて神秘主義へ傾倒していたことを物語っている。バルカン半島のモンテネグロ。欧州全土をオカルト・ブームが席巻しており、そうした不安が社会不安をさらに煽ってゆくという、第一次世界大戦勃発直前の社会の風潮の一端を知ることが出来る。(私には、こうした間違った信仰や乏しく偏った思想が第一次世界大戦の根底にあると考える。信仰が身体、世間は影なのだから)

 そのような中、大公妃のお目当ての「スゴイ霊能者」としてラスプーチンは発見され、続いて欧州列強の中のロシア、大帝国の皇后・アレクサンドラに紹介された。そこでラスプーチンは、幼くして血友病を患っていた哀れな皇太子、アレクセイの治療をすることになったのである。

 而して、ラスプーチンについての噂は本当だった。とにかく、皇后は、まさに「神の人」としてラスプーチンに絶対の信任を与えるようになる。1905年11月1日には、ロシア皇帝ニコライ2世に謁見し、以後、皇太子の病状が悪化する度に宮廷に呼び出されるようになった。皇帝夫妻は、激動の世界情勢や自国の不穏な空気に不安を重ね、様々な社会的問題や家族の問題を全て解決してくれる「神から遣わされた人」を永らく待ち望んでいた。そこに現れたのが、他ならぬラスプーチンだった。

 ニコライ2世本人の日記には、生々しくラスプーチンの行った「治療(奇跡)」が描写されている。苦しむ我が子、アレクセイのベッドに近づくラスプーチン。そして、彼がアレクセイに近づき、手を当てた瞬間にアレクセイの痛みが和らぎ、スヤスヤと眠りについたことがあったようだ。皇帝夫妻のラスプーチンに対する信頼は頂点に達した。人間とは弱いものだ。その気持ちも分かる。

 ラスプーチンは「皇太子はやがて完全に健康になるだろう、病気を克服して健康になるだろう」と予言・約束した。皇后は、「わたしが心安らぎ、休息できるのは、師よ、あなたがわたしのそばに座り、わたしがあなたの手にキスをして、あなたの幸せに満ちた肩にうっとりと頭をもたせかけるときだけなのです。ああ、そのときはわたしもどんなに気分が楽になることでしょう、、、、」と手紙を書いてラスプーチンに渡すほどになった(この手紙は後に反目した修道士イリオドルが発表して公になった)。

 考えてみていただきたい。恐るべきことに、20世紀に言語を絶する傷跡を残し、戦闘員の戦死者900万人、非戦闘員の死者1,000万人、負傷者2,200万人と推定される第一次世界大戦、あの戦禍の中心にいたニコライ2世と、政治的判断に極めて重要な役割を担った人物であるアレクサンドラ皇后が、一人の霊能者に完全に精神を依存していたのである。それこそ恐ろしいではないか。第二次世界大戦や、その後の不幸な歴史にまで関連する大問題である。

 事実、第一次世界大戦中、ニコライ2世が前線に出て首都を留守するようになると、内政を託されたアレクサンドラ皇后がラスプーチンに全てを相談して人事を動かし、政治を行うようになったのである。ニコライ2世は「私たちの友人(書簡の中ではラスプーチンをこう呼んでいた)」を外して政治的判断することを望んでいたが、皇后は意に介さず、それが絶対的に正しいと思いこんでラスプーチンに全てを聞き、それを皇帝に押しつけた。皇帝は常に彼女の言いなりとなり、最終局面に向けて全ては誤った方向へと突き進む。

 結果的にラスプーチンは暗殺され、皇帝一家も病弱だったアレクセイを含めて銃殺されることになった。こうした神秘主義、誤ったものへの傾倒、特に政治の中枢にいる者たちの迷走は、その人たちだけの没落に止まらず、国家や国民、世界中を巻き込んで恐ろしい状況をもたらすと考えられる。ラスプーチンが死の直前にロシアや皇帝一家の未来を予言したというが、これはシマノヴィチという秘書の創作に違いないとされている。一方、ロシア革命の指導者の一人であるアレクサンドル・ケレンスキーは「ラスプーチンなくしてレーニンなし」と述べていることも付記しておく。

 「ラスプーチン」という姓は古くから蔑称の意味を持っていた。西シベリアでは多く見られた姓のようだが、帝政ロシアを崩壊に導いた「魔人」の名前として、この姓は永らく嫌われ、使われることがなくなった。スターリンの秘書であった「ある人」も、元は「ラスプーチン」という姓であったが、これを嫌って「ラス」を抜き、単に「プーチン」と名乗るようになった。あろうことか、その孫が現在のロシア大統領、ウラジーミル・プーチン、その人である。

 ラスプーチンは突出した能力を持っていたのかもしれない。しかし、それは「狐狸のたぐい」として脇に置いておく宗教的・信仰的素養が必要であった。そうすれば何ら問題は無かった。政治的な混迷や時代の運命は、自ら背負うべきものとして乗り越えれば良かった。乗り越えられないとしても、それは人類の進化や変革と捉えることも出来た。

 子の親ならば悪魔の力を借りても子どもの苦しみを取り除いてもらいたいと思うかも知れない。しかし、それは逆に、結果として愛する我が子の破滅をもたらすばかりではなく、周りを巻き込んで不幸を招くと考えられる。何より「狐狸のたぐい」に運命を左右されていただけだとしたら、何と人類も本人もつまらないだろう。

 世界には、時を待って恐ろしい感性を持った者が出現するのかもしれない。キリスト教のように、それを最初から「悪魔」と断定することは間違っている。「宗教的カリスマ」は街角にもいる。「メシア(救世主)」を待望するようなキリスト教的な教えが、人々を盲目にする素地になっているとも考えられる。

 そうした者に迷わず、本来の「人生」を生き抜くためには正しい信仰が不可欠であろう。ひとたび、このような人物を人生や家庭の中心に据えたら何と不幸だろう。さらに、そうした人物を権力の中枢にいる者たちが重用したら、世界は長い期間その亡霊に悩まされることになる。

 お金も正規の銀行から借り入れる場合と、ヤミ金やサラ金から借り入れるのでは違いがある。後がコワイのはどちらだろうか。200才まで生きる人間はいない。それなのに、結局は、その場、その時の「欲望」によって、誤ったものに力を借りようとして、さらに深い迷いの中に陥っていく。

 正しい信仰、つまり本当の仏教は、こうしたものとは完全に異なる。見える世界、見えない世界の双方を大切にお伝えしながらも、安っぽい霊媒師のような話やお祓いなどはしない。全ては、お祖師さまの教えの下に、上行所伝の御題目をいただいて、自分の口で、身体で、心で感じる、気づくものだから。そうすれば、自分が背負っているカルマは必ず変わる。自ら変えなければならないし、自ら変えられるのである。

 間違った信仰、結局は弱い「人間」を信じているだけでは、迷いを深め、傷を広げ、悪循環を繰り返すだけではないか。

 先日、ある方とお話をしていて、大変勉強になった。その方は、社会的にも大変に尊敬できる方だ。しかし、その方はある大変に有名な霊能者を信奉していたという。霊能者にはじめて会った時、何にも伝えていないのに、次々に不思議なことを言われたという。それ以来、その霊能者を信奉するようになった。様々なことを彼に聞き、献金もし、給仕を重ねたという。

 しかし、ある時に「少し違うぞ」と思い、距離を置いたらしい。ご本人は「その霊能者の近くに深入りし過ぎたからかも知れない」と仰っていたが、その教祖のお金の問題や人間関係で飽き飽きしたのだとう。決別を伝えたその時、別れ際に霊能者から「地獄に堕ちるぞ」と言われ、そしてその時に「もうこの人はダメだ」と思ったという。

 その後が面白かった。そして、その方は「えー、ですから、今では3人の霊能者を用意しております!」と言った。「え?なに?へぇ?」と私。なな、なんと、聞いてみると、「ですから、1人ではおかしなことになりますので、3人の霊能者の方にお聞きして、2人がこっちで1人があっちと言ったら、こっちに行くようにしています」と。思わず笑ってしまったが、なるほど、そういう方もおられるのだなぁ、と感心したのだ。

 いやいや、それは勿体ないですよ、結局は依存していることに変わりが無いではないですか。自分で人生を選択していくということではなくなっています。そんなに外側にレーダーを、しかも3個も用意しなくても良いではないですか。本門佛立宗のご信心をするということは、自分がイージス艦になるようなものです。外付けのレーダーはいらないんです。正しいご信心は、自分の口と身体と心を使って御本尊に御題目をお唱えし、その中で自分自身に『気づき』をいただける、『サイン』を次々に現してくださるから、「なるほど、これはこういう意味だ」「そうか、これはこうだ」と自分でサインをいただき、自分で気づき、自分で選んで人生を進んでいける、それが大事ではないですか、とお話をした。

 今回は色々なことを書いたが、うまく伝えられない。新しく「佛立エクソシスト」というカテゴリーも作ってみた。「エクソシスト」とは「悪魔祓い」という意味であり、映画で有名。本来、本門佛立宗では「悪魔祓い」という概念はない。しかし、近年イタリアではエクソシストが増え続けている。ヨハネ・パウロ・2世も3度エクソシストを行ったという。このカテゴリーで、現代人の間違った「エクソシスト」、霊的な考え方についても、私の経験と本門佛立宗の教えを通じて語っていきたい。なぜなら、こうした霊的なもの、占い、スピリチュアリティーに興味を持つ人が多く、そして迷っている人も多いからだ。

 いずれにしても、信仰は大切だが、変なものは信じない方がいい。特に、政治家や財界の方々。迷うのは分かりますが、みんなのために止めていただきたい。そして、できれば本門佛立宗のご信心をしていただきたい。実践してもらいたい。よほど、良い政治や経営ができると思う。

2007年9月17日月曜日

長松寺でのお教化

 日曜日の午前、横浜地域での教区御講が無事に終了。声がガラガラで、言上している間にセキが出てしまうようで申し訳なかったが、何とかご奉公させていただくことが出来た。ありがたい。

 昨日、青葉教区での御講が終わってから、13時から寺報の編集会議をさせていただいた。寺報は今までも何とか「よっこいしょ」で出していたのだが、今回から広報部の黒崎さんにも加わっていただくこととなった。これは画期的なこと。全部をしていただくことは考えていないし、今まで通り教務部が必死になって編集していくことに変わりはないが、黒崎さんや広報部の方々、第二弘通部の方々がご奉公してくださることが有難い。まずは出来ることを探して、第一歩を踏み出せればと思う。

 そして、会議を途中で退席し、一人で京都へ。御総講ギリギリに長松寺に到着。18時から御総講が奉修され、やはりガラガラの声で申し訳なかった。連休の真ん中の日ということで、残念ながら記録的なお参詣の少なさ。しんみり、という感じだった。いやいや、京都近郊の遠いお寺からのお参詣もあるし、何よりこういう日は「本物」がたくさんお参詣してくれているはず。振り返ってさせていただいた御法門は燃えに燃えた。「お参詣が少ない方が良い」とは言わないが、私の性格上、こういう日の方が気合いが入る。ありがたーい。

 長松寺の御総講と、その後の交流会が終了した後、20時過ぎに横浜妙深寺からわざわざお友だちの力になろうと京都まで来てくださった方とお会いした。大親友のSOSに、いろいろな形でサポートしようと思っておられる毅さん。もちろん、非常に賢明な社会的なサポートやアドバイスをされているのだと思うが、いろいろなことを考えて長松寺にお友だちをお連れした。毅さんにとっては、お寺にお友だちをお連れすることなど、今まではなかったという。はじめてのことだ。

 お話をお聞きして、どれだけ苦しい状況か伝わってくる。ゆっくりとご本人からお話をお聞きした後に私から少しだけご信心のお話をし、そのまま長松寺の本堂で一緒に御題目をお唱えさせていただいた。はじめてのお看経。お唱えの仕方などをお伝えして、とても大きな声で一緒にお唱えいただくことが出来た。

 その後、毅さんにとっては初めてとなるお教化になった。ご本人も手探りながら長松寺にお参詣をし、ご信心していただくこととなった。本当にありがたい。

 毅さんは京都ご出身。古くからの本門佛立講のご信者のご家系だということ。後でお聞きして不思議なことだとつくづく感じたのだが、これもサインだと思うが、ちょうどその日が、大僧正長松日峰上人を「長松御講師」と呼んでおられたほどの強信者であったお祖母さまの祥月ご命日ということ。確かなお導きだと思う。「誰がシナリオを書いているの?すごい」と話していた。孫に当たる毅さんが、祥月ご命日に、誰かを助けたいと長松寺にお連れし、お教化されるとは。完全なる佛立菩薩。ありがたい。

 最近、このようなお話で溢れていて、風邪などをひいていられない。嬉しい。これから、横浜に戻る。

2007年9月14日金曜日

『笑い過ぎてお腹が痛いわ』

 また、扁桃腺がパンパンに腫れてしまっている。喉の痛みで目が覚める。更新が滞ってしまったが、敬老松風大会についてご報告させてもらいたいと思う。

 今週の御講席で、たくさんのお年を召した方々、この敬老松風大会に参詣・参加された方々からお話をいただいた。嬉しいコメントばかり。一年に一度の大笑い、ご主人を亡くされたばかりの長谷川さん。緑教区の御講でご披露してくださったのだが、『笑い過ぎてお腹が痛かったわ。あんなに笑ったのは久しぶりだったわ』と話してくださった。そして、そのままお腹を押さえて、また笑っておられた。

 上星川教区の御講席でも、その話で盛り上がった。敬老会で久しぶりに河内音頭を踊った、と。笑った、楽しかった、嬉しかった、という声をお聞きして、また一生懸命ご奉公させていただきたいと思うし、何よりご奉公してくださった教養部の方々に対して有難いと思う。ほんとーに、ありがたい。

 喜寿、米寿、卒寿の方々に対して行われたインタビューでは、「ご信心に対する思いと家族へのメッセージ」と題してカメラを回させていただいた。しかし、みなさんには内に秘めた思いがたくさんあって、お話を遮ることも出来ず終了するタイミングをはかることが難しいほどだったという。本当にこの企画でご奉公をしてくださってよかった。私たちは人生の大先輩であるお年寄りの声を、もっとしっかりと受け止め、それを後世に伝えていかなければならないのだから。

 いま、私たちは世代間に大きな壁を作っているように思う。それで良いとしてきた時代、高度成長の風潮などもあったように思うが、お寺は全ての世代が集う場所、そして世代を超えた交流をするのに最適な場所といえる。だからこそ、教養部が旗を振りながら、こうしたご奉公をしてくださった。赤ちゃんから、ムメさんのように93才のお祖母ちゃんまでが元気にお参詣をし、楽しんでくださっている。特にムメさんが元気な声で歌を披露してくれたのだから、スゴイ。93才です。まだまだ頑張れる、僕たち。

 敬老松風大会の当日、午前には「長寿御礼御講」を奉修させていただく。これはお祝いをいただくご本人、一人一人が願主となって今日までの身体健全の御礼を御宝前に言上する。そして、高齢者の方々に御法門をさせていただく。今年は、「何時に死ぬやらしれぬからだして 覚悟なきをば凡夫とぞいふ」との御教歌を拝見し、先日93才の妙清師が私に説いてくださったお話などをご紹介した。

 毎年の長寿御礼御講を振り返ると、さまざまなお話、御法門をさせていただいてきた。イソップ童話のお話をしたり、開導聖人の御教歌、
「楽隠居 せんと思ふは くるしみの 種といふこと 知るがたのしみ」
「寂光で 楽隠居する こゝろなし 娑婆の修行が 真の法楽」
「辞職して 楽隠居する 思ひなし 生々世々の 軍万年」
をいただいて、佛立信者には「隠居しよう」という気持ちは適していない、生涯現役を貫いていただきたいとお話ししたりしてきた。

 特に思い返すのは、進化生物学の長谷川眞理子教授が紹介している「おばあちゃん理論」をお話しした時。この「おばあちゃん理論」というのは、閉経後、つまり生殖して種を残すことの出来なくなった生物が、「人間」ほど長く生きるというのは稀であるということから唱えられている理論。

 簡単に説明してみる。人間にとっての生きる術、身を守る術、「武器」というのは、他の動物のように「牙」や「爪」でなく「智慧」であろう。であるとするならば、閉経後の「人間」、「おばあちゃん」が他の動物と異なって長生きをするのは、若い次の世代、子どもたちに「智慧」を伝えていくためではないかというのである。太古から人間の家族、人間一人一人は、「おばあちゃん」から受け継がれる「智慧」を以てして生きながらえてきたと考えられるというのだ。

 このお話はそうとうのインパクトがあった。ありがたい。「核家族化」などと言われたり、嫁姑の問題もあるだろうか、生物として「お年寄りの教え」が人類の繁栄や生きる術、智慧を媒介してくれていると考えるというのは、とても大切なことだと思う。もちろん、物質文明が誕生してから随分久しいから、「お年寄りの智慧」を取るに足りないと言う人もいるだろうし、実際に偏屈なだけの偏った考えを「智慧」と思いこんでいるお年寄りもいるだろう。しかし、大きな眼で見てみれば、ご信心を後世に受け継いでいくということの大切さを、「おばあちゃん理論」から見つめ直してもらいたいと思うのだ。

 とにかく、そういうお話をしながら、午後は第二部。司会も変装をしてくださっていて、お年寄りを笑わせてくれていた。青年会は恒例となってきた「女装」。いいのー?と思うが、これがコメディーでオモシロイ。真剣に会議をしながら決めるというのだから、青年会はたいしたもんだ。

 しかも、このチャイナ・ドレスの彼女?いや彼は、私が「お兄ちゃん」と呼ぶさっちゃんのお兄さん。今年の春頃に私ははじめて彼にお会いしたと思う。長い間、お兄ちゃんはお寺というかご信心に反発を覚えていて、お参詣することもなかったようだ。春にお会いしてから青年会のみんなの中にとけ込んで、毎週末にはお参詣やご奉公をしてくださるようになった。本当にありがたい。しかし、そのお兄ちゃんがまさかチャイナドレスを着るとは。しかも、そのままバク転してカツラを落としてお年寄りの大爆笑を誘っていた。

 そんなお茶目な出し物ばかりではない。今回はコンクールでも数々のタイトルを受賞している高校生ピアニストの芳之内くんが、なんと演奏してくれたのである。床がグラグラするような悪条件で、ピアノもシンセサイザーのようなものになってしまったが、こころよく演奏してくれた。本当に嬉しかった。何と言っても本当の「演奏」を聞くのだ。贅沢。

 コーラス部による合唱には、涙が出そうになった。「千の風になって」をはじめ数曲を歌っていただいたのだが、やはり特に「千の風になって」が印象に残った。この歌、この歌詞、この想いは、女性の声で聞く方が胸にズーンとくるようだ。綺麗な声で、この歌を聴くと、誰でも何らか感じると思う。ご信心的には御法門の時にお話をさせていただいたこともあるが、今回はコーラスを聴きながら歌の魅力に酔いしれた。

 そして、せんせーと直ちゃんたちが、フルートとピアノによる素晴らしい演奏を見せてくれた。いや~、せんせー、やりますね。インド以来、いやコレイア師たちが妙深寺に来てくれた時に演奏してくれたなぁ。今回は、ほんとーに尊敬しました。直ちゃんの演奏には、個人的に感慨無量。

 最後は教務部によるパフォーマンス。これは、もう書けない。恥ずかしい。写真を載せようか載せまいか迷ったが、こんな変なところも妙深寺だし、載せてしまおう。みんな気さくで、明るく、それでいて、いざという時にはビシッとお折伏をしてくださる御講師方だからね。「右から左に受け流すぅ~」と歌っていたが、清従師はご信者さんの思いは「受け流さなぁ~い~」と歌詞を変えて歌っていたからね。




2007年9月11日火曜日

The Gohonzon's Gifts to Me.

 どうしてもブログの更新が出来なかった。
 敬老松風大会のレポートもしたい。しかしながら、大盛り上がりで大爆笑の敬老松風大会が15時に終わった直後、15時と17時に面会の方がおられて、あっという間に時間が過ぎ、先週から教区御講が始まっているので朝から夜までご奉公。毎月の御講は、横浜と京都の総計で20席。どうしても更新が出来なかった。
 それでも、昨日いただいたスリランカからのメールを紹介したい。メールからスリランカの宗教や民族事情が分かるし、その国の人々が御題目のご信心をどのように手にし、どのように随喜して下さっているかが分かる。
 私はこの方の甥に当たる方にお会いし、御本尊を授与・奉安させていただいた。ロンドンでインターンとして勉強している息子さんが非常に悪性の大腸炎とお聞きして、そこで御祈願をさせていただいた。御講席でも、彼が自分の息子のことを発表され、それをみんなが聞いてお助行させていただこうということになった。
 その一連の経緯の中で、叔父に当たるこの方も心から随喜し、上行所伝の御題目の御力を感得されたことが分かる。スリランカならではの宗教的事情、感性、そしてそこでの本門佛立宗のご信心と御利益について知ることが出来る。「Gohonson’s Gift to Me」と題された文章を、少しだけ割愛して掲載させていただこう。
=============================
During the long 14/15 January, 06 weekend, I joined my family members to visit some of the ancient sacred sites in and around Anuradhapura. We stayed at a hotel in the outskirts of this sacred city. One evening we were heading back to the hotel, having visited the ruins of an ancient temple. We were about to pass the Sacred Bo Tree, the oldest tree recorded in history, when my daughter received a call on her mobile phone from her cousin, my nephew, who resides in London with his family.

He was almost in tears. He said that he was on his way to the hospital to see his elder son (my grand nephew) a second year medical student, who might have to undergo a major operation .The boy was suffering from an infection of the large bowel with ulcer formation leading to pain, diarrhea and bleeding.

The Consultant who was treating him was doing his utmost to cure the ailment with medicines, without resorting to surgery. Surgery was a more lasting solution, though it could have its own complications, the worst being that the boy would have to have a bag attached to his body in which his body wastes would have been collected and emptied daily in the manner a normal person goes to the toilet for his ablutions. He was young, and in the prime of youth and he would have to live with this condition for the rest of his life. This was unthinkable to us, his elders.

This young boy has been suffering for a few years and his parents, both Senior Doctors, had done everything they could to help the boy. The Consultant had finally said that he has done whatever he could do and that the last resort now was surgery and my grand nephew was referred to the Surgeon, who had arranged for the surgery for the 21st of January,06.

That this boy was admitted to the hospital to undergo the operation took us by complete surprise. At this point in time I did not even know of the Lotus Sutra. Yet, we had to do something. Since we were so close to the Sacred Bo Tree we could worship there - that was the only thing that came to my mind. While searching for a solution in desperation, quite by chance, I met a young Bikkhu (a priest), a student studying for his Masters degree at the Anuradhapura University for Buddhist Studies. The time was about 6.30 pm in the evening. I requested help from him. Having listened to me, he said that he would help me but that he had to be at the temple where he was residing whilst attending the University, to give a Dhamma discourse at 7.30 pm which he had already undertaken.

So we hurriedly got together items that were required to perform a puja (chanting) at the Sacred Bo tree to bless my grand nephew and to request Lord Buddha’s compassion to avert the operation. I was solely dependant on the Bikkhu because he knew, by heart, all the Sutras (Buddhist verses) that had to be chanted. For my part, I knew what Sutras had to be chanted, but had to read them off books, and not chant by memory.

I had to seek the Bikkhu’s help also because it is very important that we conduct ourselves with decorum, piousness and utmost respect when we are in the precincts of the Sacred Bo Tree. We were on a very important mission and everything had to be done very correctly, and the Bikkhu knew what and how things had to be done.

This Sacred Bo Tree was brought to Sri Lanka, from India, when it was yet a sapling by Sanghamitta Therini, daughter of Emperor Asoka the Great of India at the request of the Emperor himself, and is one of the most venerated ,sacred places for Buddhist from all over the World.

On a normal day, there are about 500 to 600 devotees who come to the Sacred Bo Tree to pay obeisance and homage. This day too, there were a similar number of people. When we reached the precincts of the Sacred Bo Tree, those people had already begun to worship. We settled down at a convenient spot and the Bikkhu spear headed our worship. He was so effective that almost all the devotees gathered behind us with their palms held together in veneration (in gassho) and joined us in chanting the various Sutras, led by the Bikkhu. My grand nephew therefore, had and unprecedented crowd, who did not even know who he was, yet who all prayed for him in one voice. To me, this was a miracle.

The Sutras we chanted include the Metta Sutra, Ratana Sutra, Girimananda Suthra, and Bojjhanga Piritha.

Metta Sutra:- The Pali word Metta is a multi-significant term meaning loving kindness, friendliness, goodwill, fellowship, amity, concord, non-violence. It is defined as the strong wish for the welfare and happiness of others. Metta makes one a pure font of well-being and safety for others, just as a mother gives her own life to protect her child. Metta only gives and never wants anything in return.

Ratana Sutra:- This Sutra was delivered in the ancient Indian city of Vishala (presently known as Vaishali and situated in North Bihar) where the Vajjis lived. This city is important because the first People’s Government in the world was established here. Due to a very severe drought, many types of infectious deceases including plague spread across the city, and other calamities resulted. It was to overcome these ill effects that the Samma Sambuddha arranged for the Ratana Sutra to be chanted in the city of Vishala.

Girimananda Suthra:- Ven. Ananda requested help from the Lord Buddha because Ven. Girimananda had become very ill. The Lord Buddha taught the ten contemplations to Ven. Ananda and told him to go and pass them to Ven. Girimananda so that he might be cured - and this was what happened.

Bojjhanga Piritha:- The Lord Buddha visited Ven. Maha Kassapa who was suffering from a painful illness. Finding that the illness was improving, Lord Buddha taught him the seven factors of enlightenment (Bojjhanga). The Ven. Maha Kassapa was delighted in this teaching and was cured. This also occurred when Ven. Maha Moggallana and Ven. Maha Cunda were ill.

When chanting these Sutras, we were essentially recounting the boundless compassion, equanimity and muditha (pleasure in other’s happiness) of Samma Sambuddha. Through the piousness of these Buddha qualities, we sought relief for my grand nephew’s suffering without having to go through the operation.

Having completed our worship I was able to take the Bikkhu back to his resident temple in time for him to conduct the sermon that had been arranged for him.

We returned to Colombo from our trip and continued to worship and pray for my grand nephew daily at the temple situated close to our home, where the procedures are not that stringent as at the Sacred Bo Tree.

By the end of that week my nephew called us again to tell us that the Surgeon had discharged my grand nephew from the hospital on the 20th (the day before the planned surgery) saying that something, which he himself could not understand / explain has happened, and that the urgency of the need for an operation is not there any more. So, my grand nephew was able to go home and he improved in himself slowly and continued his day to day work whilst taking oral medication recommended by the Consultant. Even though the ailment was not as severe, it continued in a somewhat lesser degree on and off. At times, my grand nephew had to go to the toilet several times a day, which was very cumbersome, particularly with his studies in hand. We in Sri Lanka, continued praying for his recovery at the local temple.

As mentioned earlier, the ailment has been going on for quite sometime and during this period my grand nephew had sought refuge in different Dhamma practices like chanting etc. As he had not received relief, it was impossible for his parents to persuade him to continue or to take up any other form of Dhamma practice to alleviate his suffering.

During the period of his illness, his father had come to know of the “Namu myo ho renge kyo” chanting, and even though he did not have a Gohonson, both he and his wife chanted regularly for their son. They, however, did not succeed in their attempts to get my grand nephew to join in the chanting.

My nephew’s mother, residing in Sri Lanka, too fell ill around this time. This necessitated my nephew to visit Sri Lanka frequently. On one of these visits, he asked me if I had heard about the Lotus Sutra and I replied in the negative. That same evening he brought me a book on the subject, written by Dr. Kalyani Miranda, a friend of his. I did not know about its contents nor the author. The book is “Stay in the Light”, ‘Guide to the practice of LOTUS SUTRA, the Dharma for the present era.’ I completed reading the book that afternoon itself. Later, I spoke to Dr.Kalyani Miranda over the phone and obtained her advice regarding chanting the Odaimoku .

From that evening onwards I chanted the Odaimoku instead of the afore mentioned Sutras, every morning and evening without exception. In these chanting sessions, I have always chanted for my grand nephew as well as for others. My grand nephew always received mixed benefits from our chanting. There were the good and the bad days for him; but of course not as serious as wanting to undergo the operation.

The reason for my changing chanting to the Gohonzon was because my nephew told me of a few benefits he had received by chanting. When I chant to the Gohonzon, I plead directly to the Samma Sambuddha for help, whereas in chanting the Sutras, I was making an appeal to the Samma Sambuddha’s boundless Buddha Shakthi and the boundless Compassion seeking relief for my grand nephew on the strength of these boundless Buddha qualities.

Of the others for whom I chanted, one had been suddenly been retrenched as result of his employer loosing business due to problems in the world market. However, after about three months of my chanting he found a job in a company where the business is of a very stable nature. The other person for whom I chanted for, was 54 years old and was to have left his job on reaching 55 years. He was very active and young at heart to retire. In his case too, about three months before he reached 55 years, the management of the company he worked for changed the rules for retirement and now he can continue to work until he is 60 years of age. Although I chanted for his getting an alternative job keeping with his experience and expertise either here in Sri Lanka or Overseas, as the type of job that suits him are very limited in Sri Lanka, he now continues in his old job.

In all these three cases, none of the people affected chanted for themselves.

My nephew came to Sri Lanka in November, 06 due to his mother’s illness. During the last week of that month, Rev. Nagamatsu too visited Sri Lanka on a missionary visit and my nephew was lucky to meet with him. Rev. Nagamatsu himself enshrined the Gohonzon for my nephew and also undertook to include my grand nephew too in his chanting schedule at his Temple in Kyoto. There is an interesting story here too. During the latter half of June, 2007 Rev. Kaneko arrived in Sri Lanka accompanying Rev. Fukuoka on missionary work. Rev. Kaneko is a junior priest practicing under Rev. Nagamatsu. During an informal chat with Rev.Kaneko, I spoke about my grand nephew and his illness. As I spoke, Rev.Kaneko suddenly stopped me and asked me to repeat his name. I kept repeating the name several times and the he exclaimed ‘Ah, that is the name Rev. Nagamatsu repeats during chantings. Now I know’ he exclaimed. This is what H.B.S. is all about. Rev.Nagamatsu has never met my grand nephew. Rev.Nagamatsu lives in Japan and my grand nephew in London. Yet, having learned from my nephew about the latter’s condition, the good Reverand’s compassion for my ailing grand nephew prompted him to chant for his relief.

My nephew and his wife, my wife and I continued to chant for my grand nephew, come what may. However, some time about April 07, my grand nephew decided that he would rather go through the operation, get over with the ailment and adjust his life to the new condition necessitated by the operation, because in his final year of studies and the internship following immediately thereafter, it would be un thinkable for him to ask for leave of absence frequently, as the ailment might demand. This decision of his was also very painful to his parents. My nephew kept us informed of the situation almost on a daily basis. In situations like this we would chant for either longer periods or more than twice a day.

The Consultant saw my grand nephew again on 25th May,07 and said that as he feels alright and there are no adverse symptoms, that he would not want to recommend surgery at that time. The Consultant had reminded the family of the painful experience they had in January, 06 when surgery was decided, but due to some power that it was evaded as my grand nephew dramatically became well.

The Consultant subsequently examined my grand nephew again on 25th July,07 and he said that the bowel was absolutely normal. He, however, said that the problem now is to maintain the bowel like as at present, while decreasing the medication.

My grand nephew’s younger brother joins the parents in chanting the Odaimoku on and off. It is our fervent wish that my grand nephew will cast away his earlier experiences when his prayers were not answered, particularly now when he has manifest evidence of the benefits of Odaimoku chanting, and that he will join the rest of the family in chanting the Odaimoku in the morning and evening for his own protection and making it a way of expressing gratitude to the Samma Sambuddha for his boundless Buddha Shakthi and his boundless Compassion. In fact, at my regular chanting sessions I request the Gohonzon to persuade my grand nephew to do so.

On several occasions, I have chanted for myself and received the benefits I chanted for. One of the requests I have been making everyday, morning and evening, from the Gohonzon is to lead me to a source from which I can learn Rev.Nichiren Diasoning’s explanation of the Lotus Sutra without the distortions that are said to being introduced by different Sects to suit their own ends. I have been also looking at the Internet and quite by chance I came across a bookseller who had some used books for sale at discounted prices. These books could be ordered on-line . But when I placed the order, the response I received was that they could not ship the books to Sri Lanka. I passed all the relevant information to my nephew who very kindly got me the books, all brand new, and they were a gift from him, again a miracle. The books are:-

1.Writings of Nichiren Shonin Doctorine 1. Compiled by Kyotsu Hori and edited by Jay Sakashita
2. - do - 2. - do - George Tanabe Jr.
3. - do - 3. - do - Jay Sakashita
4. - do - 4. - do - - do -
5. Nichiren – Leader of Buddhist Reformation in Japan by J.A. Christensen, Nichiren Buddhist
International Centre.

In the covers of the complete Writings of Nichiren Shonin Volumes 1 thru 4, the authors say that in preparing these volumes, they have been highly selective in that they take into account only writings considered bibliographically authentic i.e. attested to by original manuscripts.

All the Miracles I have described above are The Gohonzon’s Gifts to Me.

2007年9月9日日曜日

真心込めて 敬老松風大会

 今日は朝から暑い。それよりも、妙深寺が熱い!

 朝参詣の折には、今日開催される『敬老松風大会』の盛大開催と、ご高齢の方々が一路平穏に、そして災難もなくご参詣されるようにと御祈願をさせていただいた。

 昨夜は大勢の準備ご奉公の方々に出ていただき、なんと50分で準備が終わったとのこと。今朝もたくさんのご奉公者でご高齢の方々をお迎えしてくださっている。150人以上のご高齢の方々を150人以上のご奉公者がお迎えするのだ。300人を超す敬老松風大会。子どもから大人まで、お年寄りに敬意を表し、真心込めてご奉公してくださっているのが有難い。すごい盛り上がりで、私もビックリ。妙深寺にはエレベーターがないので、お足の悪い方には階段を上がらせてしまって申し訳ない。それでも、本当にたくさんの方々がお参詣下さっている。有難いことだ。それ以上に有難いのは、若い人たち。若い方々がお年寄りをお祝いしようと、大勢お参詣下さっている。これだ、これ。お寺は有難い。

 今年の敬老会から、より工夫を凝らしたご奉公になっている。というのは、「お寺は人生を預かる場」ということをテーマに、いろいろと考えているのである。「LIFE BANK」と呼んでも良いと思うのだが、それこそ生まれたばかりの赤ちゃんから、100才を越えるお年寄りまでが集い、何よりその人生の貴重な場面に全て立ち会うことが出来る。その思い出、その思いを全てお預かりしているのが本門佛立宗の「お寺」だと思うのである。

 だから、今年の敬老松風大会は考えた。お祝いをさせていただく喜寿の方々や、米寿、卒寿の方々からコメントをいただくことにしたのだ。ビデオを用意し、インタビューをして、様々なメッセージをいただく。私は、こうしたお寺でお預かりした「思い」を家族にも届けたいと考えている。こうしたものをお寺がずっと大切に保管していけば、たとえばお亡くなりになった際にご家族に思いを届けたり、メッセージを届けたりすることができる。それこそ、本門佛立宗のお寺ではないか、と。

 それにしても、今日カメラを回してくれたのは、何とスーパープロデューサーのひろし君と現役ディレクターのカメちゃん。幸せだー。こんなにご奉公をしてくださって、感謝感謝です。

 さて、これから様々な出し物です。何よりも楽しみなのは教務部によるスーパー・パフォーマンス。もう、この盛り上がりは異様なほど。なんと、清顕師も清仁師も、衣装まで買いに行ったらしい。清従師などは毎年すごいパフォーマンスをしていて、大人気。今年も気合いが入っている。すっご。「盛り上がり過ぎー!」。

2007年9月8日土曜日

私には夢がある

 夢は大事。夢を持つことは大事だと思う。

 心はコロコロ。海の砂。握ればあるが、少しでも力を抜けばサラサラとこぼれ落ちて無くなってしまう。だから、しっかりと目標を持って、それに向かって努力することが大事だと思う。コロコロと心移りしているだけでは、何事も叶わないし、成就しないと思う。

 だからこそ、夢を持つことはとても大事だと思う。「志」という言葉があるが、この字を見ても分かるとおり、「心」の上に「士」という字が乗っている。まるで「心」が羅針盤を得たようなものだと思う。そのままではどっちに向かうやら分からないのだけれど、何らかの「夢」「目標」を持つことによって、「心」は「志」になるとも思う。それが間違っていれば悪い方向に突き進むことになるが、良い夢や目標であれば風浪・風雨のきつい私たちの人生だが、素晴らしい方向へと導いてくれることになると思う。

 そういう私も、昨年までは夢という夢はなかった。漠然としたものはあったが、公言するようなことはなかった。「世界中の人を救う」とか「死ぬ前に、佛立教務こそ世界で最も素敵な生き方、仕事であると思われるようにする」などという何とも分かりにくいものばかり。小学生の夢か!と恥ずかしいくらい。アホか。(しかし、今でも二つとも心の底では思い続けているのです、、、、。笑わないでぇー)

 しかしながら、昨年の佛立開講150年奉賛ご奉公を終えて、大きな夢を持ちたいと思った。そして、一年が経ち、それが確固たるものになった。それを公言し、若い人をつかまえてはお話しするようになった。そこで、ここでも発表することにした。夢というか、もう決めたので発表したい。

 笑わないでもらいたい。

 私は、佛立開講200年の大法要の奉修導師をすることにした。すでに日程も決定した。2056年7月14日(金)、15日(土)、16日(日)の3日間。場所は、49年後に沈んでいなかったらニューヨークのセントラル・パーク。全世界から30万人を超す菩薩方、本門佛立宗のご信者に参集していただいて、大法要を開催・奉修する。そして、あらゆる人々のために、世界のために御題目をお唱えし、苦悩する人々のために祈り、子どもたちの豊かな未来を願い、人類と自然との絆を取り戻し、あらゆる生命に対して感謝の御題目口唱を行う。

 どう?アホみたい?ばからしい?いや、私は本気なのです。「そこまで生きているはずはない」と思うでしょう。そうです。私もそう思います。たぶん生きていない。でも、この夢を持って、あらゆるご奉公に全身全霊で挑もうと思う。日本はもちろん、世界各国でもご奉公させていただいて、あらゆる方々へブッダの教えを説き、吏絵ちゃんのように苦しむ子どもたちやご家族のために祈りつつ、暖かい心、真実の仏教の輪を広げ、上行所伝の御題目を流布させていただきたい、と。

 ムチャクチャな話ではないでしょう?もう、本気、真面目な話です。しかも、妙深寺の若い教務さんたちは、可哀想に毎日のようにこれを聞かされていたりします。少しづつ、彼らを本気にさせている。

 だから、この本門佛立宗開講200周年奉賛記念大会(Celebration commemoration the 200th anniversary of HBS establishment convention)はきっと開催されると思うのである。もし私が死んでいなくなっていても、彼らが引き継いでくれると思うのだ。そういう意味で、どんどん話をして、志を同じくしてくださる方を集って、夢に近づいていきたい。もちろん、私も出席できるように長生きもしたいと本当に思うようになった(昔は自分で自分に「俺は早死だ!」と暗示をかけていたように思う。これもバカだったと思う)。

 49年後、長男が54才だし、次男は49才。教務ではなくても、ご信者の一人としてご奉公してくれることを期待したい。

教区御講と敬老松風大会

 今日から9月の教区御講が始まる。今日は台風一過にて、快晴の快晴。暑くなりそうだが、空が高く素晴らしい天気になった。ありがたい。
 午後は大和・法深寺にて神奈川布教区の「弘通教養実践会議」が開催され、夕方からは布教区参与会という会議。夜には明日の敬老会の準備ご奉公で、本堂内の会場作りが行われる予定だ。
 昨年のグランデ・ファミリアから、神奈川県下のお寺では、教養会(世代毎に集まるご信者さんの会)を含めて一つになってご奉公を進めさせていただこうとしている。
 特に、薫化(ファミリー)会を中心にして、家族全員でのご信心を奨励し、家族みんなが幸せになるためのご奉公、ご信心を奨励・サポート・展開しようと考えている。
 今月の教区御講は、
「うれしさを 忘れぬ人ぞ 世の中の 人にすすめて 法を弘むる」
との御教歌をいただいて、勉強させていただいた。御法の御意に叶うように、説かせていただきたい。
 敬老松風大会との題をいただいて開催される催しは、妙深寺に所属するご信者の中でも高齢の方々に対し、教養会のみんなで敬老の意を表し、協力して楽しんでいただこうとするもの。午前中は高齢の方々への一座が勤められ、午後には楽しいイベント。高齢の方ご本人の出し物もあり、ボーイスカウトやガールスカウトなど教養会からの出し物などがある。
 中でも、妙深寺名物であり、傑作であるのが、若い教務さんのお笑いショー。もう40年近く前から、この日だけは教務さんが変装したりしてお参詣の方々に楽しんでいただこうというのである。いつもの雰囲気ではなく、まったく目を疑うほど面白く、笑いこける。教務室で、真剣に練習したりする。前回は「ヒロシ」が大変好評だったが、今回は『エンタの仏様』というテーマで「右から左に受け流す」という人や、小島よしおさんのコントをしてくれるのではないだろうか。
 楽しみにしていただきたい。

2007年9月7日金曜日

ルチアーノ・パヴァロッティ

 ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなったと聞いた。私のような者でも、彼の歌声だけは特別だと感じて、クラシックに興味を抱かせてもらった。若い頃、ハリウッドにあるヴァージン・レコードで彼のCDを買い漁ったことを覚えている。

 “キング・オブ・ハイC”と呼ばれた素晴らしい高音域の声。今でも車の中には三大テノールの共演、プラシド・ドミンゴ氏とホセ・カレーラス、そしてルチアーノの友情を感じながら聴けるCDを入れている。なぜなら、この3人の共演には物語があるからだ。

 3人の中の、カレーラスは白血病と闘っていた。彼としてはテノールとしてキャリアの絶頂にある時だった。医師から回復の可能性は10%と宣告を受けた。1987年のことである。全財産を投じた治療でも完全に回復することは出来ず、復活できない。失意の中、白血病患者を支援しているHERMOSA財団の援助を受け、治療・療養の結果、見事に回復し復活を果たした。

 後に、カレーラスはこの団体が政治的・芸術的ライバルであったプラシド・ドミンゴが創設したものであることを知る。ドミンゴは、特にカレーラスを支援するために、この団体を創立したのだった。深く感激したカレーラスは、ドミンゴの演奏会の舞台に上った。そして、ひざまづいて彼に許しを求めたという。ドミンゴはカレーラスを立たせると2人で抱きあい、それから特別な友情が始まったとのことである。1988年、カレーラスは白血病の研究と骨髄提供者の登録の支援事業に財政的支援を行う慈善活動のため「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立した。

 このようなエピソードがあり、友情があって、世界の冠たる三大テノール、プラシド・ドミンゴ氏とホセ・カレーラス、そしてルチアーノ・パヴァロッティが加わり、三人の共演が実現したのだった。そして、その中でもパヴァロッティの歌声は他の二人を圧倒するように響いていた。その3人の中で、パヴァロッティが最初に亡くなるとは。世の無常を感じる。「会者定離は娑婆の習い」と。

 グランデ・ファミリアのエンディングを考えていた時、トリノオリンピックの開会式で見事な歌声を披露して、プッチーニ作『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」を歌いあげたルチアーノ・パヴァロッティの姿が目に飛び込んできた。この歌声を元にしてグランデ・ファミリアのエンディングとさせていただいた。地球に響く歌声、人々を一つにする声の響き。彼の歌声を聞くと、長男も「グランデ・ファミリア」と叫んでいた。音楽、歌のインパクトとは、本当にすごい。音楽、歌は、簡単に国境を越え、言語を越え、世代を超えてゆくのだから。

 昨年、膵臓がんの手術を受けたと聞いていたが、残念ながら、昨日2007年9月6日、モデナの自宅にて71才の生涯を閉じた。そういえば、彼は歌う前後によく『合掌』をしていた。あの姿を思い出す。

 せめて彼の霊魂に対して、御題目をお唱えさせていただこうと思う。

小礒妙清師の手

 台風一過。深夜、横浜を巨大な台風が通過した。ものすごい轟音が鳴り響いていた。朝、境内地には木々が散乱していて、それは大変な強風が吹き荒れたことを物語っていた。

 「大風は一度吹いても家がとぶ
  つねの風では 百度吹いても」

 開導聖人の御教歌。改良の大事を教えてくださっている。これほどの台風が来れば、人間の弱さを誰もが痛感し、恐ろしくも思い、何らかの対策が必要であったり、災害に対する準備をするもの。日頃の生活についても考え直すことを迫られる。日頃、何とも思わない「風」であっても、今回のような台風が一度来ただけで何かに気づかされるということがある。その「気づき」の大事をお示しなのであろうか。

 まだ台風は日本を縦断中であるから予断を許さない。特に、東北地方や北海道で農業を営まれている方にとっては気が気ではないだろう。被害が最小限になることを心から祈念して止まない。

 この台風通過について、あるいは災害についての捉え方だが、Yaccoさんのブログに非常に感銘したので、是非ご覧いただきたいと思う。

 妙深寺には、93才になる小礒妙清師という尼さんがおられる。日博上人の御弟子であり、私などは幼い頃から養育していただいて、おしめまで替えていただいていたという。申し訳ない限り。

 その妙清師は、26才の頃、生きることに絶望していたという。そのような様子を見て、妙深寺のご信者さんがご信心をお勧めになった。何の希望も持てなかった小礒女史は、言われるままに岡野町にあった妙深寺を訪れた。

 お参詣の後、妙深寺の玄関を出た時に気づいたこと。それは「空が青い」ということだったとお話ししてくださった。それまで、死のう死のうと考えてきたので、ずっと下ばかりを見て歩いてきた。しかし、妙深寺の本堂で御法さまにはじめてお目にかかり、顔が上がったのだ。そのことだけ、それだけ、他人から見ればそうかもしれないが、絶望の果てに行き着いたお寺で、小礒女史は「空って青いんだなぁ」と感じた。感じたことを60年近く経っても忘れていない。御法さまが助けてくださった、と。

 妙深寺は地下鉄に看板を出したのだが、それは妙深寺の建物の写真を飾るのではなく、妙深寺の本堂から見た「青空」をモチーフとした。それはこの小礒女史、妙清師のエピソードによる。この厳しい世の中で、声に出せない悲鳴を上げながら生きている誰かに、妙深寺にお参詣して「青空」が見えるようになっていただきたいという思いからである。

 その後、妙清師は得度され、日博上人にお給仕を尽くされた。また、死刑囚との交流を続けられて、多くの死刑囚の方々の心の支えとなった。故人となった野村秋介氏が敬愛していたのも妙清師であった。刑務所で教化され、生涯妙清師へ教えを請うておられた。妙深寺の玄関に掛けられている大きな絵は、その野村氏が妙清師を通じて妙深寺に贈呈したものであった。

 ブラジルからメールが来た。コレイア御導師がまた送って下さった。斉藤御導師とコレイア御導師は、今年の春、妙深寺にお参詣してくださった。その時、ブラジルにとって御縁の深い日博上人について様々に物語りした。特に、日博上人亡き後、そのご奉公の詳細を知っておられるのは妙清師である。その妙清師とお二人は、手を握り合いながらお話をされていた。感動的な場面であった。

 コレイア御導師は、ブラジルに於いてポルトガル語の機関誌「Lotus」を発行されている。その表紙に妙清師と握り合った「手」が飾られていた。もちろん、記事の内容についても日博上人のご奉公や、妙清師が語られたことについても掲載してくださったのであった。

 妙清師。昨夜、久しぶりにお話をした。ブラジルからのメールについても、「Lotus」についてもお話しした。高齢のために、眼と耳が非常に悪くなっているのだが、ご信心とその魂は全く衰えていない。世間でいう「尼さん」とは全く違う。本物である。

 「何時に 死ぬやらしれぬ からだして 覚悟なきをば 凡夫とぞいふ」

 昨日、妙清師から私にいただいた開導聖人の御教歌。また「覚悟」とある。そう、「覚悟」がない凡夫のままではいかん。高齢の妙清師から教えていただく御法門は、何より尊い。いつまで経っても、佛立教務としての誇り、自覚、覚悟を忘れていない。もちろん、身体は高齢で衰えてはいる、気力も自分の身体を考えれば衰えるだろう。しかし、「ご信心」だけは全く衰えていない。これが佛立教務道である。

 ブラジルからのメールには、続いてインドでのセッションの写真も表紙を飾っていた。ポルトガル語でコレイア師が開設しているウェブサイト「Budhismo Primordial」についてもご覧いただきたい。現在、HBSの中では最も充実している。

 それにしても、有難い。実は、9月の予定の中で、公式なご奉公、つまり御講席などが無いのは、この6日と7日しかなかった。明日、8日からは御講席もはじまり、週末には敬老松風大会がある。

 こうして、気候の悪い中での御講席にならなくて、本当によかったと胸をなで下ろしているところなのだ。このタイミングが、いつもいつも有難い。

2007年9月6日木曜日

子どもの寝顔

 子どもたちは可愛い。シャンタさんからのメールもあって、子どもたちのことを考えていた。 数日間、家を留守にしていたわけだが、少しの間でも子どもたちは変わる。長男は大人びたことを言うし、次男は既に歩行器に入っている。
 長男は友だちと遊んでいる時にころんだということで、顔にいくつもの擦り傷。長男が2才の頃、私がアメリカに行っている間に、長男は家のベランダから落っこちた。4メートル近くあるのだが、正教師の家の前、植木鉢の上に落ちたらしい。少し擦りむいただけで、精密検査を受けたが何の異常もなかった。植木鉢がパッカリと割れていただけ。本当に助けていただいた。実は、私は帰国するまでこのことを知らなかった。心配をかけると思って、家族が私に隠していた。
 子どもたちに何かあったら、親は自分が傷つくよりも苦しくなる。自分が代わって上げられたらと思う。この気持ちは、あらゆる慈愛の根本にあると思う。この我が子に対する気持ちを、もう少し広げて考えられたら、世界はもっと良くなる。吏絵ちゃんにしても、シャンタさんの息子マダワ君のことにしても、「かわいそう」ではなく、我が子と同じように思って苦悩を共有したい。実際の親の苦しみとは比べものにならないとしても、少しでも共有して、その人のために祈ることが出来たらと思う。
 それにしても、二人とも可愛いなぁ。寝顔をずっと見てしまう。長男は私と寝ている。かー、かわいい。
 ブッダは我が子を「ラーフラ」と名付けたという。「障礙」という意味で解釈されており、「真実の道へ向かう妨げ」という意味に近い。可哀想に、ラーフラ。
 しかし、人間の情愛は、使い方や受け取り方、出し方によっては、単なるエゴや「狂い」となってしまう。「crazy for you」が「あなたに夢中だ」という意味であることはよく知られているが、まさに冷静さを欠いて、進むべき道を進ませてくれない「障り」「障礙」が子どもになってしまう。そうなったら、そうしてしまったら、何とも悲しいではないか。
 開導聖人の御教歌にも、
「妻や子が 娑婆に帰れと とりすがり ゆくにゆかれぬ 寂光の道」
とある。「帰寂」すら、情愛深い家族が取りすがれば、なかなか踏ん切りが付かないものだ。
 ラーフラ。それでもラーフラは、ブッダの側に仕え、出家得度の道を選んだという。「障礙」と言われたことを彼はどう感じていたのだろう。推し量ることはできないが、彼は偉大な父、ブッダの後を追って真実の道を歩み始めた。
 私たちが握りしめているお数珠。このお数珠に関しては様々な教えがあるが、短いふさだけを持ってたらしてみると、御仏の身体そのものであると教えていただく。御頭、両手、お身体、両足。
 それだけではなく、大きな二つの玉が釈迦牟尼仏、多宝仏であるとも教えていただき、それぞれには意味がつけられている。
 その釈迦牟尼仏の玉に、ピタッと寄り添っている小さな玉がある。それを「ラーフラ」と教えていただいたことがある。もちろん、先にも書いたが、お数珠の解釈については色々な言い伝えがあるので一様ではないが、私はいつもこの小さな玉を見つめながら「ラーフラ、ラーフラよ」と思う。ブッダの息子、偉大な父に思いを馳せて、真実の道を歩んだ子、と。
 何を書きたいのか分からなくなった。とにかく、自分のお数珠を眺めて、釈迦牟尼仏に寄り添う小さな玉を眺めていただきたい。
 何度か書いたが、私は息子に良い意味で期待を抱かない。無論、私はブッダでもないし、子どもたちも当然「ラーフラ」その人ではない。しかし、誰にとっても愛する子どもというのは「ラーフラ」的な要素を持っているだろう。情愛に引かれて進むべき道を見失い、立ち止まってしまうようなら、まさに「障礙」だ。障礙にしてしまうことは何よりの罪だろう。それは本当の親の愛ではない。
 ブッダは、自らのエゴによって「障礙」と名付けられた訳ではないだろう。「悉是吾子(悉く是は吾が子である)」とお説きになったブッダは、全ての人を「我が子」と捉えて、その「子」たちを救うために生きられたのだから、たくさんの子の中で一人の子どもだけを「えこひいき」して全員を見捨てるようなことは出来い、出来ないからこそ「障礙」と名付けられたのではないか。
 そして、最終的に「ラーフラ」も父のことを全て理解し、信じて、後を追ったのであるから、これこそ見本であり、ブッダは親の手本であるとも考えられる。
 子どもに媚びてばかりいて、子どもを尊重し過ぎる余り、子どもにとって親は友だちのようなもので、尊敬の念も生まれず、親のようになりたいと思う子どもが減ってきているという。まず、親が何を求めて、何処に進もうとしているのかが大事ではないか。それが正しいのか、間違っているのか、子どもは冷静に見ていると思う。親の生き方が本物であれば、子どもはそれを見つけ出すのではないか。そうブッダとラーフラに教えていただいているように思う。
 それにしても、寝顔を見ていると決意も萎える。かわいい。いや、障礙とするかしないかは、親次第。逆に、親が子どもにとっての「ラーフラ」になることもあるのだから。お互いに心しなければならないはず。
 それと、シャンタさんからのメールを載せ、続いて私の下手な英語の返事を載せておこうと思う。
=============================
Dear Nagamatsu Odoshi,
Recoverd of Madawa
I am so sorry to trouble you. last few days first time in my life I was not in good condition in my life my wife too,Still I believed Namu Myoho Renge Kyo saved my son Madawa,now he is getting better.

Very big thank for everyone who chanted for my son,give my regards to members.

Namu Myoho Renge Kyo

Shantha Perera
=============================
Dear Shantha Perera,

Thank you so much for your mail.
I know your heart. I am father, too.
If my son got like Madawa’s illness or sickness, I would be like yours,,,,,.

Yesterday, we held a Oko meeting at Chosho-ji temple in Kyoto.
At that time, we talked about Madawa.
I reported condition of Madawa because everyone have prayed for Madawa long time.
About 88 members attended that meeting.

Can you believe?
That time, Rie Moritani and her family attended there.
Rie recovered from leukemia(blood cancer) by Namu Myoho Renge Kyo with us.
They really appreciated to people who prayed for their daughter.
Gohonzon-sama always help us, and sometime, Gohonzon-sama have trial to our faith.
My father’s accident was like this.
After that, we got more pure faith and I realized my big mission of my life.

I met Rie. That was great great occasion for me.
For 2 years, I prayed for her, but I never seen before, I could not meet her for 2 years.
But I always prayed and think and imaged her and her family’s heat, and prayed for 2 years.
I think that this is the HBS faith, HBS Bodhisattva work.

Rie and Rie’s family came my Yokohama temple at 24th August.
At Oko meeting in my temple, Rie said great warm message for us, and she presented small gift for me.
I got really strong deep emotion at that time.

Many family and kids have many trouble in this world.
We have to help or effort more and more.
Of course, we proposed to HBS faith and chanting for their.
But, before that, we must love, pity and affectionate for that families.
We can do it, because we have the Odaimoku, that is we seem to have the highest medicine.
We can pray for all people and families.
We don’t want to think them to be an only poor.
It is different from "Pity" of the Christianity.
They are us.
They are my son.
They are my Rie.
They are my Madawa.
You are my family.
Suffer and pain of you and your wife were our suffer and our pain.

So, now is over am 3:00. But I cannot sleep yet.
I have to write a letter for other family who have trouble with wife and husband.

Please forgive my bad English.

We never stop to pray for your son.

Keep in touch,

Namu Myoho Renge Kyo,,,

Seijun Nagamatsu,

2007年9月5日水曜日

ブラジルでも、『ありがたーい』

 昨日、ブラジルとのウェブ会議が行われた。いつも書いていることだが、テクノロジーの進化によってブラジルと顔を見ながらこれほど簡単に会議が出来るなんて何と有難いことだろう。ブラジルに仏教を伝えた日水上人の頃は、船で数ヶ月をかけていたのに。私がはじめてブラジルに行った時、今から25年以上前、電話で話をするのも大変だった。高価であったことはもちろん、話をしていても数秒待たないと相手の返事が返ってこない。タイミングがずれてしまって会話が難しかった。
 ウェブ会議でびっくりしたこと。それは『ありがたーい』だった。ブラジルの御導師方、御講師方が、同じように『ありがたーい』と言ってくれていた。うわ~、流行っている。すっご。世界中で「有難い」が口々に語られるようになったら、それこそ「ありがたーい」なぁ。
 みなさま、元気そうでうれしい。来年のブラジル本門佛立宗開教100周年(ブラジル仏教伝来100年)のご奉公成就に向けて皆さん頑張っておられる。会議の中で、このまたとない100年の盛儀に私もご奉公しなければならないという決定があった。もちろん、100年に一度のご奉公、日博上人以来大変なご縁を感じているブラジルのご奉公であるから、それこそ「ありがたーい」。
 しかし、日本からの参詣団は、ほぼ15日間の渡航日程である。その1週間前から準備に来てくれというブラジル側からの発言。海外部はそれを了承。つまり、今年に引き続き20日以上もの間、日本を離れなければならないということになる。妙深寺、大丈夫かなぁ。お彼岸もあるのに、それもご奉公できなくなる。家族も、子どもたちも、僕のことを忘れるのではないかしら。マズイ。遠洋で操業する漁師さんの気分で、理解を求めるしかない。
 しかし、これは本当に日博上人以来の、大切な大切なご奉公。外すわけにはいかない。

2007年9月3日月曜日

如蓮寺の大発展

 ブラジルのコレイア御導師からメールをいただいた。素晴らしい内容で、いつもながら頭が下がる。本当にコレイア師はご弘通を第一にして、身体を張ってご奉公されている。
 本当に、地球の一番遠い場所に、ご弘通ご奉公では絶対に負けたくないと思えるような御導師がいてくれるなんて、私は幸せ者だ。大信友であり、ライバルとも思える。地球を相手に、世界中の人を相手に、たとえ身体が滅びても、壊れても、上行所伝の御題目をお届けしたいと思える同志。コレイア御導師も若い頃はヤンチャだった。ボクサーでもあった。僕も同じようにヤンチャだったし、スポーツばかりしていた。しかし、コレイア御導師は人生を大転換し、誰にも負けないほど仏道修行に励み、勉学にも励まれ、日本人顔負けの日本語力も身につけられている。生きるエネルギーを御法さまに捧げて頑張るしかないとお互いに語り合った。ありがたい。佛立教務道のお手本だと思う。
 今年の2月、ブラジルに行かせていただいた時にコレイア御導師のお寺、クリチーバの如蓮寺にお参詣させていただいた。立派な本堂が建立されているのだが、ご弘通が進展して手狭になったため(本当にお参詣者が本堂からあふれ出ていた)、さらに隣接した建造物を改修して新本堂の建立に踏み出している。
=============================
 ありがとうございます。
 Sri Lankaのご奉公どうでしたか。大変なのにブラジルのこといつもありがとうございます。
 松本お導師ら来られる時までに原稿を出さないといけませんので、毎日書き狂っています(三枚書くのに8時間掛かります)。絶対間に合います。すごく感動しながら一枚一枚づつ書いています。人の素晴らしさに触れることは自分を知ることです。どんなに自分がいたらないか。今日は31日、一日も欠かさず書き続けられたので、もうすぐ100ページに達します。これで三分の一かな。もうすぐ、日教上人がご遷化になるという場面まできています(1912年)。
 今日は田中ご講有の祥月命日、23回忌の。ご本人には一度だけ、昭和58年に紹介されて、頑張れよ、声をかけられたのみで、二度と会うことがありませんででしたが、今日の今こそその大恩を感じている。今日はとり憑かれたい気分です。ものすごく沢山かいておられる。ある角度の7巻にも、いろいろな記事にも。
 如蓮寺は今は工事中である、建物が工事の騒音で揺れている。10月のお会式は、煉瓦造りの壁でもつとめたい。20年来の念願がこの100周年で叶います。このご宝前が完成したことを夢でみました。工事は半分までいったが、お金はもうない。ここからが勝負です。信心です。待ってました。無一文で勝負する気持ちが、日水上人の気持ちを少しでも知る上で役にたちます。
 お教化は徐々に進んでいる。今年分は今年達成させていただきます。今は状態を整えておりますが、もうじき、出稼ぎに、一気にお教化に出かけます。放浪、行脚します。刑務所、乞食、貧乏、金持ち、商売人、泥棒、すべてが相手です。今は待たせておりますが、そう長くありません。ただし、折角なので、今のうちに同志を募っております。
 そのためにあのロケット御本尊を一千個注文しました。立派にできあがりました。あのロケットで、30年前から会っていなかった従兄弟を教化できました。相手から頼んできたのです。はい、わかったと、しばらく、またせたが、忘れるなよといわれた時、あんたが本気であったかどうかをたしかめていただけだと、今の忘れるなよで、わかった。彼が胸にかけていた十字架をはずし、これからは、死ぬまでこれに、このImagen Sagradaに尽くすんだそと、いいな、と共に唱えて、教化が成立。バス一台借りて、家族だけ乗せて、日教寺にお礼参詣し、それから、30年ぶりの家族交流を市内の叔母さんの家でしました。これで大家族が再び、一つになった。先週の日曜日の出来事。コレも100年のご利益。
 今日は、この辺で。また、会議で会いましょう。
***Porto Alegreの方が無事についたそうです。昨日確認の電話をしました。来る15日にお助行二いかせていただきます。橋本師が安心されるため、逐一報告しています。どうか、お元気で。ありがとうございました。Correia.
=============================
 この気迫、この情熱、行動力。本当に頭が下がる。コレイア御導師を目の前にして、あの屈託のない笑顔、一つ一つが深く重たい言葉に、誰もが心を揺さぶられる。心に響かない者はいない。誰でもお教化されてしまうと思う。「あんたのために命を捨てる」と、覚悟した眼が語る。
 いま、コレイア御導師は「日水上人伝」の執筆に取りかかっておられる。そして、明日はブラジルとのウェブ会議。現在、ブラジル全土で100周年のための報恩教化運動が展開されている。
 写真は、ロンドリーナ市内で行われた下種結縁のご奉公。御題目の幟をいただいてご奉公されている。有難い姿だ。

Skypeでのお看経

 いま、私は京都にいる。京都で会議があり、ご奉公させていただいている。実は、昨晩中に京都に入ろうかと思っていた。身体がきついし、0時近くになるとしても長松寺まで行っておいた方が楽なのではないかと考えていた。しかし、昨晩は19時から始まった局長室会が20時過ぎに終わり、バタバタしている間に時間が過ぎて、結局は今朝新幹線に乗り、京都へ。

 熱海の御導師の次女、恭代さまとのご縁は非常に有難く、大切。彼女は英語も堪能に使いこなされ、何よりご信心のことを真剣に考えてくださっている。一度、妙深寺で熱海の御導師に御会式の奉修御導師をお願いした。その前後で奥さまともお話しさせていただいたのだが、この奥さまのご信心が実に素晴らしいもので、私も色々と勉強させていただいた。熱海の山村御導師は私の父、妙深寺の先代のご住職と東京乗泉寺で共に修行されていた。若いお二人の写ったお写真を見せていただいたり、在りし日の父を思い描くことが出来て、とても嬉しかった。とにかく素晴らしいご家族。是非、熱海に行かれる方は妙立寺にお参詣いただきたいと思う。

 恭代さん。御導師と同じくJazzへの造詣が深く、私も何枚かCDをいただいたり、紹介していただいたりした。私の父も音楽が好きで、特にJazzのレコードなどが家に置いてあった。若い頃の興味を持たずに過ごしてしまったのだが、父が逝ってしまった今となっては熱海の御導師や恭代さんにJazzの素晴らしさを教えていただこうと思っている。(今度一緒にBlue Noteに連れて行ってもらう)

 熱海の御導師のご長女、光子さんはオーストラリア人のAlastair氏と結婚されている。このAlastair氏が素晴らしい方で、その人間性、光子さんへの誠心誠意の愛、家族への慈しみ、ご信心への考え方など、本当に格好良い、素敵な「男」なのだ。

 私は何度かお会いしたり、それぞれ御会式に併せて熱海や横浜でお食事をさせていただいたりした。本当に「いい男」!見習いたいなぁ。グランデ・ファミリアにもAlastairご家族で参加してくれたし、二人の子どもたちは私の子どものお友だちになってくれそうである。ありがたい。

 一昨日、そのAlastairから久しぶりにメールがあり、嬉しかったのでどうしてもここに載せさせていただきたい。その内容は、何とSkypeでロンドンのヴァネッサと一緒にお看経したというのだ。スゴイ、凄すぎる。恭代さんからアラスター一家がカナダのトロントに出張中と聞いていたのだが、そこでAlastairはインターネットを通じてご奉公してくれていた。何と有難いことだろう。御題目はスゴイ、本当にユニバース。

 さらに、すごい「サイン」は、メールにもあるが、現在ヴァネッサが住んでいる場所は、以前Alastairがロンドンにいたころに住んでいた場所だという。妙不可思議の極み。すごい、信じられない。一番びっくりしているのはAlastairだ。本当にsmall world。凄すぎる。これは佛立信心の恐ろしいというか、尊いところです。

 ありがたーい。

=============================

Hello,

You seem to be everywhere on the internet! Cool.
We tried chanting the other week with Vanessa in London. We did it by Skype.
I went quite well and we talked for a while and we found a "guzen". She stayed in the same youth hostel I did, when I was in London. small world.
We are in Toronto now but we will be in Australia soon. Hope the new born is not keeping you awake at night!

Arigatou gozaimasu.

Namu.....

体調変化に気をつけてー

この大切な年末に風邪(涙)。昨日は清和会御講、夜は今年最後の教幹会、21時まで2時間の会議でした。終わってから悪寒が来ました。 体調に気をつけてと言っている自分が体調を崩すなんて、申し訳ないです。様子を見ながら過ごします。低空飛行でも何とか飛べていたならありがたいです。 皆さん、...