2007年9月17日月曜日

長松寺でのお教化

 日曜日の午前、横浜地域での教区御講が無事に終了。声がガラガラで、言上している間にセキが出てしまうようで申し訳なかったが、何とかご奉公させていただくことが出来た。ありがたい。

 昨日、青葉教区での御講が終わってから、13時から寺報の編集会議をさせていただいた。寺報は今までも何とか「よっこいしょ」で出していたのだが、今回から広報部の黒崎さんにも加わっていただくこととなった。これは画期的なこと。全部をしていただくことは考えていないし、今まで通り教務部が必死になって編集していくことに変わりはないが、黒崎さんや広報部の方々、第二弘通部の方々がご奉公してくださることが有難い。まずは出来ることを探して、第一歩を踏み出せればと思う。

 そして、会議を途中で退席し、一人で京都へ。御総講ギリギリに長松寺に到着。18時から御総講が奉修され、やはりガラガラの声で申し訳なかった。連休の真ん中の日ということで、残念ながら記録的なお参詣の少なさ。しんみり、という感じだった。いやいや、京都近郊の遠いお寺からのお参詣もあるし、何よりこういう日は「本物」がたくさんお参詣してくれているはず。振り返ってさせていただいた御法門は燃えに燃えた。「お参詣が少ない方が良い」とは言わないが、私の性格上、こういう日の方が気合いが入る。ありがたーい。

 長松寺の御総講と、その後の交流会が終了した後、20時過ぎに横浜妙深寺からわざわざお友だちの力になろうと京都まで来てくださった方とお会いした。大親友のSOSに、いろいろな形でサポートしようと思っておられる毅さん。もちろん、非常に賢明な社会的なサポートやアドバイスをされているのだと思うが、いろいろなことを考えて長松寺にお友だちをお連れした。毅さんにとっては、お寺にお友だちをお連れすることなど、今まではなかったという。はじめてのことだ。

 お話をお聞きして、どれだけ苦しい状況か伝わってくる。ゆっくりとご本人からお話をお聞きした後に私から少しだけご信心のお話をし、そのまま長松寺の本堂で一緒に御題目をお唱えさせていただいた。はじめてのお看経。お唱えの仕方などをお伝えして、とても大きな声で一緒にお唱えいただくことが出来た。

 その後、毅さんにとっては初めてとなるお教化になった。ご本人も手探りながら長松寺にお参詣をし、ご信心していただくこととなった。本当にありがたい。

 毅さんは京都ご出身。古くからの本門佛立講のご信者のご家系だということ。後でお聞きして不思議なことだとつくづく感じたのだが、これもサインだと思うが、ちょうどその日が、大僧正長松日峰上人を「長松御講師」と呼んでおられたほどの強信者であったお祖母さまの祥月ご命日ということ。確かなお導きだと思う。「誰がシナリオを書いているの?すごい」と話していた。孫に当たる毅さんが、祥月ご命日に、誰かを助けたいと長松寺にお連れし、お教化されるとは。完全なる佛立菩薩。ありがたい。

 最近、このようなお話で溢れていて、風邪などをひいていられない。嬉しい。これから、横浜に戻る。

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