2007年9月14日金曜日

『笑い過ぎてお腹が痛いわ』

 また、扁桃腺がパンパンに腫れてしまっている。喉の痛みで目が覚める。更新が滞ってしまったが、敬老松風大会についてご報告させてもらいたいと思う。

 今週の御講席で、たくさんのお年を召した方々、この敬老松風大会に参詣・参加された方々からお話をいただいた。嬉しいコメントばかり。一年に一度の大笑い、ご主人を亡くされたばかりの長谷川さん。緑教区の御講でご披露してくださったのだが、『笑い過ぎてお腹が痛かったわ。あんなに笑ったのは久しぶりだったわ』と話してくださった。そして、そのままお腹を押さえて、また笑っておられた。

 上星川教区の御講席でも、その話で盛り上がった。敬老会で久しぶりに河内音頭を踊った、と。笑った、楽しかった、嬉しかった、という声をお聞きして、また一生懸命ご奉公させていただきたいと思うし、何よりご奉公してくださった教養部の方々に対して有難いと思う。ほんとーに、ありがたい。

 喜寿、米寿、卒寿の方々に対して行われたインタビューでは、「ご信心に対する思いと家族へのメッセージ」と題してカメラを回させていただいた。しかし、みなさんには内に秘めた思いがたくさんあって、お話を遮ることも出来ず終了するタイミングをはかることが難しいほどだったという。本当にこの企画でご奉公をしてくださってよかった。私たちは人生の大先輩であるお年寄りの声を、もっとしっかりと受け止め、それを後世に伝えていかなければならないのだから。

 いま、私たちは世代間に大きな壁を作っているように思う。それで良いとしてきた時代、高度成長の風潮などもあったように思うが、お寺は全ての世代が集う場所、そして世代を超えた交流をするのに最適な場所といえる。だからこそ、教養部が旗を振りながら、こうしたご奉公をしてくださった。赤ちゃんから、ムメさんのように93才のお祖母ちゃんまでが元気にお参詣をし、楽しんでくださっている。特にムメさんが元気な声で歌を披露してくれたのだから、スゴイ。93才です。まだまだ頑張れる、僕たち。

 敬老松風大会の当日、午前には「長寿御礼御講」を奉修させていただく。これはお祝いをいただくご本人、一人一人が願主となって今日までの身体健全の御礼を御宝前に言上する。そして、高齢者の方々に御法門をさせていただく。今年は、「何時に死ぬやらしれぬからだして 覚悟なきをば凡夫とぞいふ」との御教歌を拝見し、先日93才の妙清師が私に説いてくださったお話などをご紹介した。

 毎年の長寿御礼御講を振り返ると、さまざまなお話、御法門をさせていただいてきた。イソップ童話のお話をしたり、開導聖人の御教歌、
「楽隠居 せんと思ふは くるしみの 種といふこと 知るがたのしみ」
「寂光で 楽隠居する こゝろなし 娑婆の修行が 真の法楽」
「辞職して 楽隠居する 思ひなし 生々世々の 軍万年」
をいただいて、佛立信者には「隠居しよう」という気持ちは適していない、生涯現役を貫いていただきたいとお話ししたりしてきた。

 特に思い返すのは、進化生物学の長谷川眞理子教授が紹介している「おばあちゃん理論」をお話しした時。この「おばあちゃん理論」というのは、閉経後、つまり生殖して種を残すことの出来なくなった生物が、「人間」ほど長く生きるというのは稀であるということから唱えられている理論。

 簡単に説明してみる。人間にとっての生きる術、身を守る術、「武器」というのは、他の動物のように「牙」や「爪」でなく「智慧」であろう。であるとするならば、閉経後の「人間」、「おばあちゃん」が他の動物と異なって長生きをするのは、若い次の世代、子どもたちに「智慧」を伝えていくためではないかというのである。太古から人間の家族、人間一人一人は、「おばあちゃん」から受け継がれる「智慧」を以てして生きながらえてきたと考えられるというのだ。

 このお話はそうとうのインパクトがあった。ありがたい。「核家族化」などと言われたり、嫁姑の問題もあるだろうか、生物として「お年寄りの教え」が人類の繁栄や生きる術、智慧を媒介してくれていると考えるというのは、とても大切なことだと思う。もちろん、物質文明が誕生してから随分久しいから、「お年寄りの智慧」を取るに足りないと言う人もいるだろうし、実際に偏屈なだけの偏った考えを「智慧」と思いこんでいるお年寄りもいるだろう。しかし、大きな眼で見てみれば、ご信心を後世に受け継いでいくということの大切さを、「おばあちゃん理論」から見つめ直してもらいたいと思うのだ。

 とにかく、そういうお話をしながら、午後は第二部。司会も変装をしてくださっていて、お年寄りを笑わせてくれていた。青年会は恒例となってきた「女装」。いいのー?と思うが、これがコメディーでオモシロイ。真剣に会議をしながら決めるというのだから、青年会はたいしたもんだ。

 しかも、このチャイナ・ドレスの彼女?いや彼は、私が「お兄ちゃん」と呼ぶさっちゃんのお兄さん。今年の春頃に私ははじめて彼にお会いしたと思う。長い間、お兄ちゃんはお寺というかご信心に反発を覚えていて、お参詣することもなかったようだ。春にお会いしてから青年会のみんなの中にとけ込んで、毎週末にはお参詣やご奉公をしてくださるようになった。本当にありがたい。しかし、そのお兄ちゃんがまさかチャイナドレスを着るとは。しかも、そのままバク転してカツラを落としてお年寄りの大爆笑を誘っていた。

 そんなお茶目な出し物ばかりではない。今回はコンクールでも数々のタイトルを受賞している高校生ピアニストの芳之内くんが、なんと演奏してくれたのである。床がグラグラするような悪条件で、ピアノもシンセサイザーのようなものになってしまったが、こころよく演奏してくれた。本当に嬉しかった。何と言っても本当の「演奏」を聞くのだ。贅沢。

 コーラス部による合唱には、涙が出そうになった。「千の風になって」をはじめ数曲を歌っていただいたのだが、やはり特に「千の風になって」が印象に残った。この歌、この歌詞、この想いは、女性の声で聞く方が胸にズーンとくるようだ。綺麗な声で、この歌を聴くと、誰でも何らか感じると思う。ご信心的には御法門の時にお話をさせていただいたこともあるが、今回はコーラスを聴きながら歌の魅力に酔いしれた。

 そして、せんせーと直ちゃんたちが、フルートとピアノによる素晴らしい演奏を見せてくれた。いや~、せんせー、やりますね。インド以来、いやコレイア師たちが妙深寺に来てくれた時に演奏してくれたなぁ。今回は、ほんとーに尊敬しました。直ちゃんの演奏には、個人的に感慨無量。

 最後は教務部によるパフォーマンス。これは、もう書けない。恥ずかしい。写真を載せようか載せまいか迷ったが、こんな変なところも妙深寺だし、載せてしまおう。みんな気さくで、明るく、それでいて、いざという時にはビシッとお折伏をしてくださる御講師方だからね。「右から左に受け流すぅ~」と歌っていたが、清従師はご信者さんの思いは「受け流さなぁ~い~」と歌詞を変えて歌っていたからね。




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帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...