2008年8月23日土曜日

海外弘通を支えるお寺

 昨日と本日、鈴江御導師の御唱導による特別御講が奉修された。連日の猛暑はどこへやら?両日ともに不思議なほど涼やかな天候で、お参詣しやすい日となった。

 鈴江御導師は一日ごとに別の御教歌をいただいて御法門をお説きくださり、有難く聴聞させていただいた。

 つくづくご奉公の上で感じることだが、心に「師」のいない人ほど不幸な人はいない。正しく仏道修行をさせていただくため、正しいご信心をさせていただくために、師に仕えることは欠かせない。「実に佛になる道は師に仕ふるには過ぎず」とお祖師さまは身延山御書にお諭しになれている。

 結局、自分にとって教えをいただける「師」のいない人は、迷いを深めて右往左往してしまう。ご信心をしていても、迷いを深め、自身の過ちにも気づかない、気づけない人、答えが見えない、見つけられない人は、残念ながら心の中から「師」を失ってしまっている。師を失うことこそが恐ろしいことなのだと思う。そう考えさせていただくにつけても、この特別御講は意義深い。ありがたい。まさに、「師」からの御法門、ご教導であるから。

 御導師の御法門は、後に寺報で詳しく掲載されると思うのでお読みいただきたいと思うが、初日は「御初穂のご信心」を教えていただき、本日は「易行宗」「易しい修行である御題目口唱すら嫌がるとは最も愚かなことである」という点を教えていただいた。それぞれ、深く心に思うところがあり、有難く拝聴させていただいた。お参詣し、御法門聴聞できた人は幸せである。

 私が、特に心に深く感じた御導師のお話は、「海外弘通を支えるお寺、教務、ご信者」という点についてであった。御導師は、海外弘通に力を入れてご奉公していることをお喜びくださった。同時に、長い間お寺を留守にするのであるから、留守を守る妙深寺の御講師やご信者が偉いのだとお褒めくださった。有難いことだ。そして、同時に、ご自身が日博上人の海外弘通に出られている間のご奉公についてお話くださったのである。

 終戦から約10年。日博上人は、時の御講有・梶本日颯上人と共にブラジルへとご奉公に赴かれた。プロペラ機を利用したそのご奉公は、約3ヶ月間にわたった。その3ヶ月もの間、鈴江御導師は横浜妙深寺の留守を守られていた。

 鈴江御導師は仰った。

 「当時の妙深寺では、私たちの御導師が留守の間こそ、お教化のご奉公に気張らせていただこうではないか、と声を掛け合ってご奉公させていただいた。きっと、私たちの御導師は海外で『佛立信心は菩薩行が大事』『人助けのご奉公、お教化にきばらせていただきなさい』とご教導されているであろう。その御導師の本家本元の自坊、我が妙深寺がお教化に気張らせていただかなくてどうするか。これだけお教化のご奉公が出来ております、やっております、と海外におられる御導師にご報告しようではないか。その報告をご覧になって、私たちの御導師は、さらに自信をもって、胸を張って、海外でのご奉公にお気張りになられるはずだ」

 そのような深い深い想いを持ってお留守を守られていたことをお聞きして、本当に本当に有難く、感激させていただいた。これぞ佛立、佛立教務道、お師匠仕え、これぞ海外弘通を支えるお寺のあるべき姿である、と学ばせていただくことが出来た。50年以上前から海外弘通に取り組ませていただいてきた妙深寺の、日博上人の直弟子である鈴江御導師から、このようなお話をお聞きできたことが本当に有難い。ルーツである。ここにあったのだ。お手本とすべき姿勢が。

 海外と国内はひとつなのである。それらは一体となって、良いご信心とご弘通ご奉公の循環が築けるものなのである。そうした関係を築けないのは間違いで、築かなければならない。良い教えをいただいた。

 よく、「うちは田舎だから」「うちは都会だから」「そっちはお寺が大きいから」「小さいから」という声を聞くが、これも間違っている。「寺の大小比べるはアホ」との御指南のとおりだし、そんなことを言っていたら、どうしてスリランカやブラジル、イタリアでのご奉公が出来るであろう。「田舎」といえば、スリランカほどの田舎はないのだから。そこでご弘通が広まっていることを学ばねばならないだけだ。結局、ご信心、情熱、実践が足りないだけだ。

 有難い特別御講の奉修後、鈴江御導師は直接羽田空港に向かわれ、そこから北海道のご奉公へと赴かれた。お忙しい身。本当に、お出ましいただいて有難かった。

 また、この特別御講には嬉しいことがたくさんあった。参詣者の前でスピーチをしてくださった方々、特に芽衣ちゃんのことを話してくれた朋美ちゃん。胸をゆさぶられ、多くのご信者が涙されていた。ご信心をはじめられたばかりの方々、佐谷さんも謙志くんもお参詣されていて嬉しかった。そして、佐谷さんのお話。ストレートに、飾ることなく語られた言葉は、すべてが真実で、正直で、心に響いた。有難かった。

 そして、今日、驚くべきことに、またイタリアからのお参詣。なんと、フィレンツェから、あの向後さんがご両親とお友だちと一緒にお参詣くださったのだった。鈴江御導師の随行をして玄関に入らせていただいた時、「イタリアから向後さんがお参詣されています」と言われて一瞬何のことか分からなかったほど思考が停止し、次の瞬間に顔が見えたので「あ~~~~」と声を上げてしまった。ありがたい、本当だ、なんで?大丈夫?どうやって帰ってきたの~????って。

 苦労して、苦労して、フィレンツェで修行している向後さん。お友だちは6月のイタリア団参の際に、イタリア本門佛立宗から参詣者に配っていただいた素晴らしい記念品を彫ってくださった同級生の技師をされているのだという。「ご奉公だから報酬は払えないけどいい?」と言うと、それでも喜んで引き受けてくれたそうで、今回は「あの時のイタリア団参に来ていた人たちのお寺だよ」というと「ぜひお参りしたい」と言ってくれたという。ありがたい。

 伸子さんとご両親と、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。それにしても、妙不可思議なお話で、昨年にお母さまがお寺のお役を受けてから、本当に不思議な御縁をいただいて、一番心配していたお嬢さま、伸子さんについてのお計らいをいただいた、と。ご奉公させていただくようになって、小林御講師のご紹介で福岡御導師にご紹介をいただき、イタリアのフィレンツェに住む伸子さんにフィレンツェのお寺についてお教えした。当時、彼女は子どもの頃こそお祖父さまについてお寺に行っておられたが、大人になってからはそれということもなかった。しかし、純粋な気持ちをずっと保っておられたのであろう。連絡先を教えていただいてから、何度もすれ違い、それでも連絡を取って別院にお参詣することができた。

 フィレンツェの街を自転車で約30分。それほど走らなければ自宅からお寺には行けない。忙しい時間をやりくりして三度もお寺を訪ねたのだが、どうしてもダニエレ・良誓師ともお会いできなかった。ようやく直接連絡を取ることが出来て、お参詣のお約束をした。しかし、何と約束したその前日に熱を出して倒れてしまったのだそうだ。何か、ブッダが覚りを開かれる前に起こる障礙のようだね、と話ながらお聞きしていた。何度も良誓師にメールして、「明日のお参詣は熱が出ているので無理です」と伝えようとした。次の日の朝、まだ熱があり、身体もだるく、やはりメールしようと思ってはいたが、ちょっと頑張ると起き上がれた、また頑張ると立てた、着替えた、ということで、「これは、お参詣できるかも知れない」と決心して、晴れて初めてのお参詣が成就したというのである。

 長々と書いてしまったが、伸子さんは別院のご宝前でお看経をさせていただきながら気づかれた。「あぁ、今日は、お祖父さんの祥月ご命日だ」と。向後家のご信心のルーツであるお祖父さまの祥月ご命日に、何とお孫さんは初めてフィレンツェのお寺にお参詣することができたのである。これこそ、私はまさにご信心の妙味、すごさだと思う。完璧なタイミングなのだ。一日ずれていても、前日でも、翌日でもなく、その日、なのである。

 伸子さんは、「あぁ、お祖父さんが守ってくれた、導いてくれたのだなぁ」と感じたという。本当に、ありがたい。そのとおりだと思う。見えざる世界を、見せてくださる。今年の先住の祥月ご命日にも、私はそのことを痛感した。本当に、ありがたいことだ。

 今日の特別御講、たくさんのことを感じさせていただき、胸が熱くなった。本当に、有難かった。

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