佛立魂の4月は、平成5年(1993)4月3日に起こった先住のお怪我、現証の御利益についてお話をしてきました。
来年は『佛立魂』出版30周年。絶対に風化させたり、昔話にするわけにはいきません。まだあの出来事の本当の意味も伝えきれていないし、改良も為されていないのだから。
「空飛ぶお坊さん」の原点は、この出来事です。ご住職は、全員の前で、わざわざ瀕死の状態となって、生きた仏教を教えてくださいました。御題目の力、お助行の力、佛立魂。
桜満開の妙深寺の境内。賑やかな準備ご奉公の中でご住職の乗った自転車がノーブレーキで坂を下り柵に激突、6メートル下に頭から転落。頭蓋骨骨折、脳挫傷、頭蓋底骨折、脳内浮腫、脳内は血液で溢れ、鼻からは透明の髄液が流れ出し、前頭葉と後頭葉に損傷。脳圧を下げるために頭蓋骨を開けたいが脳幹近くにも損傷があって不可能。自発呼吸は停止、気管切開をして人工呼吸器でなんとか生きている状態となった大事件でした。
私たちはお助行を開始しました。御題目を止めたら病室のご住職が死んでしまう!24時間、交代でお看経、お助行を続けました。
49日間、ご住職は意識不明でした。一進一退、いろいろな日がありましたが、必死にお助行を続けて49日目、妙深寺のある神奈川県横浜市神奈川区に震度4の地震が発生しました。そして、ご住職は目を覚まされたのです。
先住が地震とともに目覚めたことは何度も御法門してきたとおりです。なんと、気象庁のデータベースで調べたところ、1993年5月21日の地震の情報がデータベースに残されていました。
すべてが符合します。あの出来事が絵空事でも、思い込みでも、でっちあげの神話でもない、真実だったことを、知っていただきたいです。
下記がリンクです。誰でも見れます。
https://www.data.jma.go.jp/eqdb/data/shindo/index.html#19930521113637
午前11時36分37秒〜38秒、震源は茨城県南部、深さ61キロ、マグニチュード5.4でした。この地震の不思議なところは震源の近くの揺れが遠隔地より小さいことです。すぐ近くの石岡市柿岡や熊谷市桜町は震度3であるのに対して、宇都宮市明保野町や東京都千代田区大手町、さらに最も遠くの横浜市中区山手町が震度4になっていたことです。
たしかに、その時の報道では「中区」などよりも「神奈川区」が震度4となっていたはずです。まさに、横浜市神奈川区三ツ沢上町にある妙深寺が震度4の地震で揺れたのでした。
『佛立魂』の164ページにある箇所をご覧ください。
このページの書き出しと照らし合わせてください。
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五月二十一日。その日、わたしは病院から戻り、朝のお看経を終え庫裡に戻りました。少しの間、台所で話をして、何時頃だったか定かではありませんが、姉の部屋に行って、ベッドに横たわりました。
ウトウトとしたその時、「グラクラッ」
と部屋全体が揺れたのです。それは、大変な揺れ方でした。
「あっ。地震だ」
ととっさに跳ね起きて、辺りを見回しましたが真っ暗で何も見えません。実は雨戸を閉めていたのです。おそらく震度四ぐらいの地憲でしょう。物が落ちてくるという程の事はありませんでしたが、大きなものでした。
「ガラン、ガラン、ガラン」
と、部屋のすぐ隣にある玄関の鐘がなり、ドカドカと泉洋師が入って来て、「この地震が、凶と出るか、吉と出るか。現証が出るぞ」
と、大声で話しています。
「地霊が起きた」
「大地が揺れた」
そうです。確かに法華経にも、
「六種震動」
と説かれ、大切な御法門の前には、必ず諸々の奇瑞が現われるといいます。地震は、ご信心上重要な要素が含まれているのです。
逆に、法蓮抄というお祖師さまの御妙判には、
「法華経を弘通する行者を、王臣人民之を怨む間。法華経の座にて守護せんと誓ひをなせる、地神いかりをなして身を震い、天神身より光を出して此国をおどす。」
と仰せであり、それを泉洋師は、
「凶」
「吉」
と言ったんだと思います。現実にこの地震は、横浜と東京のみが震度四という局地的なものだったのです。妙不可思議の極みです。
泉洋師がその言葉を発した直後、私も台所に行き、
「病院は大丈夫かなぁ。点滴とか倒れてないかなぁ。」
と声を掛け、話をしていた途中に、突然、電話のベルが鳴ったのです。
「ちょっと病院に来て!御住職が凄いの!何でも分かるの!」
と千延が叫んでいると言います。母が応対に出たので、自分も訳が分からなかったのですが、病院へ向けて走ることにしました。何が起きたか把握できない。御住職の何が凄いのか。考える余裕さえない。とにかく病院へ、母と興奮しながら向かいました。
病室。通い慣れた病室。いく晩ここで過ごしたことでしょう。この扉を何度開いたのだろう。ある時は泣きながら、ある時は心配そうに、何度も絶望感に打ち拉がれてこの扉を開き、御住職の傍らでうな垂れていたことでしょうか。
その時のことを、私は一生忘れません。
「一生忘れない」
という言葉が本当に多い文章ですが、一生忘れ得ぬことが多く起きたのですから仕方がありません。一生を決定づけること、信心の根本を教えて下されたことが山ほどあったのです。ご容赦して頂きたい。
病室はやけに明るかった。周りにいる者は興奮しているし、喜びに打ち震えて泣き崩れていました。私は恐る恐る御住職の側に行って言葉を掛けました。
「おとうちゃま。分かる?清潤だよ。延博だよ。分かる?」
その時、期待と不安で、私の眼は既に涙でいっぱいでした。即座に、
「うん。ありがとう」
という意思表示をする。何の反応も示さなかった父が、いま確かに返答しているのです。これが信じられるでしょうか。考えられるでしょうか。
人間の意識や、脳の構造がどうなっているのか、私は専門家ではありませんから分かりませんが、こんな事が起きるのでしょうか。御住職は確かに「自我」を取り戻され、言葉を理解され、人を認識し、返事をしている。これを奇跡と言わずに、何を奇跡と言うのか。これを御利益と言わずに何を御利益と言うのか。
これが、私たちの勝ち得た御利益なのだ。
「祈り祈りて」
諦めずに祈り続けた結果なのだ、と泣きに泣き、泣きに泣きました。嬉しくて、嬉しくて、泣きに泣けたのです。
「ああ。ああ。御住職。おとうちゃま。分かるんだね。分かるんだね」
と何度も泣きながら声を掛けました。
返事をしてくれる、最愛の父、御住職が戻ってこられたのです。生き返った。
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絶対に昔話にしてはいけないと思っています。事実、真実、ウソのような本当の出来事です。
私のルーツ、あり得ない出来事、佛立魂です。
この著書の冒頭は「法華経」の御文が記してあります。
「我 諸の衆生を見れば 苦海に没在せり。
故に 為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ
其の心 恋慕するに因って すなわち出でて為に法を説く
神通力 是の如し」 妙法蓮華経 如来寿量品 第十六
久遠の本仏、そして上行菩薩、お祖師さま、先師聖人が、お約束のとおりに出現し、現証を顕してくださったことを、忘れることはできません。それは大いなるサインであり、私の人生を決定的に変えました。
震源は、菅生沼の北西、茨城県坂東市岩井3162−3にある八坂公園あたりだと思われます。いつか行ってみたいと思います。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。
長松清潤拝、
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