2026年11月2日月曜日

信州信濃の本晨寺

 
















長野から戻って参りました。用意したご供養が足らなくなるくらい、私から見てもいつもより多くのお参詣があり、ありがたかったです。


毎年お会式のご奉公をさせていただいていますが、必ず新しい試みをしていて、前に進んでいる本晨寺。厳しい時代に違いはありませんが、大切な法城を守ろうとご奉公いただいている皆さまに心から随喜いたします。

放送禁止御法門。先日お見送りさせていただいた栁澤かつ子さんのご一生、ご奉公を振り返らせていただきました。悪世末法ですからYouTubeで流せない歴史と事実がたくさんあります。苦難困難を乗り越えて、本物の佛立信心をさせていただきたいと願うばかりです。


妙深寺は長野本晨寺の初代ご住職・廣瀬日謙上人に大変な御恩がありました。日謙上人は妙深寺初代住職・清水日博上人が得度親、日謙上人に得度を勧めたのは乗泉寺で受持御講師だった日博上人でした。


昭和42年、日博上人が病床に伏すと、日謙上人は長野から横浜まで泊まりがけでお出ましくださり、代行のご奉公をしてくださいました。


その日謙上人からご遺言をお預かりしました。日謙上人は妙深寺の尼僧・小磯妙清師と文通されており、妙清師がずっと寺報をお送りしていたのです。そのようなご縁から100才を越える日謙上人は「自分にもしもの時は長松清潤を頼りなさい」とご遺言され、私にも「たのむ」とお申し付けになられました。


その時は平成16年(2004)1月に訪れました。日謙上人のご遷化。私は35才でした。堤深恭師にご奉公の先頭に立っていただき、困難な道を歩み始めました。


当時は14戸のご信者さまでした。13年後、平成20年(2008)12月10日、妙深寺長野別院の開堂式をさせていただきました。その時、所属の方々は60戸となっていました。


開堂式には、横浜から正教師、柴山局長、瓜生さん、奥山さん、寿美江奥さま、法子奥さまがお参詣くださいました。前夜にはそして石田さんの記念写真があります。積み重ねてきたかけがえのないご奉公、歴史があります。18年前のことです。


そして、平成27年(2015)7月、本山宥清寺のご宝前において本晨寺の住職辞令を拝受。9月、長野本晨寺の住職を交代させていただきました。日謙上人のご遺言をお預かりした時からすれば、想像だにしなかった、あり得ないことでした。


ただ、日謙上人は「功徳は堅牢。火にも焼かれず、水にも漂わない。50年、100年経っても、私は本晨寺のご宝前に帰る」と言っておられました。ですから、そのとおりになったばかりなのです。


そして、10年前、平成28年(2016)12月、妙深寺長野別院の閉堂式を奉修し、その看板をお下げさせていただきました。涙、涙の閉堂式でした。


令和元年(2019)年の夏、堤深恭師が本晨寺のご住職となられました。あれから8年です。


ご住職、ご信者の皆さまが、まさに一つになって、明るく、あたたかく、楽しい本晨寺、「みんなのお寺・本晨寺」と声を掛け合って、ご奉公くださっていて、心からありがたいです。信州信濃の生きたお寺、めざましいご弘通ご奉公に心から感激します。


本晨寺ではずっと「本物の、佛立信心を」をご祈願に掲げてこられました。本物でなければ意味がないという厳しくも頼もしいテーマです。苦難困難を乗り越えてここまで来ました。今年から本晨寺のご奉公に清信師も加わって、新しい風が吹いてきました。ありがたいです。

「経よんで 銭(タメ)をもらふて鉢坊主 あかい衣はちっと不似合」


すごい御教歌です。なかなか拝見しないと思いますが、権威主義化を絶対に許さない開導聖人の佛立魂です。何が本物か、何が佛立か、誰もが考えざるを得ません。


先月末から京都を2往復、長野を2往復、11月11日からネパールのご奉公。さらにご奉公が入ってしまい、4日の長松寺のご奉公は淳慧師に代行していただきます。予定変更が相次ぎ申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。


明日は、博くんの一周忌を奉修させていただきます。あれから一年です。


どれだけ苦しくても、つらくても、真正面から受け止めて、その責任を一身に背負って、生きます。申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。


南無妙法蓮華経

ありがとうございます。

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信州信濃の本晨寺

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