捨てること、やめること、離れることが、大切だと思い、本泉寺さまでは、そのことを念頭にご奉公させていただきました。
結局、どんどん衰退してゆく世相の中で、価値のある生き方が出来ているのか、つくづく考えなければならないと思うのです。
いっぱい集めて、いっぱい抱えて、いっぱい溜め込んで、それでいいと思っていたり、だから苦しくなったり、変に安心したり、つい油断したり、そういうことが多いと思うのです。
本物の信仰というものは、数多くある人生のアプリの中で、新しいアプリをインストールして、それで便利になる、それで快適になる、それで安心できる、というものではないから。
そういう面もあります。でも、そうではなくて、まずはいらないアプリを見つけたり、それを閉じたり、やめたり、削除したりして、得られるものがあるから。
そういう意味では、本物の信仰はアプリ(アプリケーション)ではなく、OS(オペレーションシステム)なのだと思います。自分を動かしているそのもの、OSをバージョンアップさせること。
20年以上、本泉寺の橋本恒梁ご住職、園美奥さまの挑戦、ご奉公を拝見してきて、本当に頭が下がり、何か少しでも力になれるようなご奉公をさせていただきたいと思ってきました。
今回、8年ぶりに本泉寺さまへ伺い、土曜日は青年層を中心の方々と交流し、日曜日の開導会の奉修、その後は「自由討論」と題したセッションを開催してくださり、何か一つでもプラスになったなら、ありがたいと思います。
もう年もとったし、オワコンというか、長々と面倒なことを言うだけのお教務さんになってしまってるかもしれず、申し訳ないです。
どうしてもお伝えしたかったことは、ただ一つの命、たった一度の人生を、大切にしてほしいということ。
ご信心をみくびらないで。御法さまをなめないで。惑わされないで。ごまかされないで。
ここで改良して、心をリセットして、ご信心を再起動させて欲しい。もしかしたら、大切なことを忘れているかもしれない。もしかしたら、大切な人を忘れているかもしれない。もしかしたら、あの日のこと、あの日の想い、あの日の誓いを、忘れているかもしれない。
かけがえのない人生を、この大チャンスを、失わないために、歩み直してもらいたい。宇宙のどこを探しても、命ほどの宝物はないのだから。時間こそ、「唯一の資産」なのだから。
御教歌
「なげぬべき たからをしみて身と倶に 海にいりしぞ愚かなりける」
投げ捨てるべき価値のないもの、害あるものを宝物のように思って捨てられず、それと共に海の底に沈んでゆく。これほど愚かなことはない。目を覚ませ。
凡夫顛倒を心に刻む。顛倒したまま生きてはダメだ。くだらないもの、害のあるもの、どうでもいいもの、を捨てる、離れる、あきらめる。謗法、罪障、煩悩に振り回される人生から、本当に価値ある、甲斐のある人生を生きる。そのための御題目、ご信心、ご奉公。
「譬ば小船に財を積んで海を渡らんには財と倶に没するが如し。」四信五品抄 / 日蓮聖人
御教句「捨ててこそ 浮かぶ瀬もあり 法の海」
恒潤師が立派な佛立教務としてご奉公くださっていることが何よりも嬉しいです。そのそばで美悠ちゃんが支えてくださっていること、今回も微に入り細に入りお給仕くださっていることに感動しました。
橋本ご住職、園美奥さまのこれまでのご奉公は並大抵のものではありません。佛立寺院を再生、再興するご奉公だったと思います。生きたお寺・本泉寺、躍動し続けるご奉公に、ただただ感動しました。
懐かしい方々も多く、それぞれが現証の御利益をいただいておられて、ご病気からの復活、事故からの回復、人生の様々なトラブルやアクシデントから救われた妙不可思議な御利益、すごいです。その全てに、ご住職や園美さんがおられるから。
厳しい時代ではありますが、どうか、これからも「現代弘通」のお手本として、挑戦し続けていただきたいと思います。そのために私たちこそ「歓喜踊躍」していなければなりません。頭でっかちになったり、茶坊主みたいに行儀や慣例ばかり気にするのは本門佛立ではありませんから。泥くさい挑戦こそ佛立です。
とはいえ、ポンコツな私は夏風邪を引いたようです。超超過密ご奉公でした。麩屋町に近い病院へ行ってきました。コロナやインフルではありませんでしたが、ウイルスにやられたようです。
ご奉公、お参詣いただいた皆さまに心から感謝申し上げます。遠く横浜からも、京都からも、たくさんお参詣いただきました。ありがとうございました。
よりよく生きるために、あきらかにする。人生の解像度を上げる。そして離れる、やめる。とても大切だと思います。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。










