2007年12月10日月曜日

はやて君、和長さん、

 週末の日曜日、朝から新幹線に乗って長野に向かった。日曜日の東京駅は各地からの観光客でごった返していた。

 お寺を出て約3時間で長野駅のホーム。早い!今日は平成19年度を締めくくる御講席。石田さんのお宅にはたくさんのご信者さんがお参詣くださっていた。そのお参詣者の中に、この数ヶ月、ずっと御祈願させていただいてきたご家族がいた。

 生後11ヶ月の岡田はやて君。はやて君は長野でご奉公してくださっている岡田さんの三番目のお孫さん。以前から息子さんやお嫁さん、2人のお孫さんたちとお会いしていた。幸せそうなご家族、立派な息子さん、素直で綺麗なお嫁さん、そして活発な二人のお孫さん。そして、今年の1月、はやて君が誕生。私は7月にはじめてはやて君に会った。

 今年の秋、深恭師からの報告で、そのはやて君が数日間の高熱にうなされ、非常に危険な状態であると知った。入院、検査。そして、御祈願がはじまった。40度の高熱が続き、両手のひら、両足の裏側まで皮膚がめくれてしまったという。原因不明の病気、ただ血管の病気であると言われた。同時に肝臓にもダメージを受けていて、その数値次第とのこと。

 いつも書いていることだが、私たちは医者でも何でもないし、まして家族でもない。ただ、こうした出来事があった際に、同じご信心をしている者同士で「ご祈願」をさせていただく。祈りの力を信じ、御題目の御力を信じ、必ず、はやて君や看病しているご家族に届き、支えられる、と。

 教区の方々をはじめ、妙深寺の朝のお参詣とお助行でも、すぐさま「はやて君」への御祈願が始まった。これが「菩薩の誓い」をしている妙深寺の連係プレーで、お助行の輪、心のネットワークが困っているご家族をサポートしようと動き出してくれる。

 私も毎朝はやて君の「当病平癒、検査結果良好」の御祈願を続けさせていただいた。本当にご家族の献身的な看病と、もちろん岡田さんのお祖父さんはじめ、みんなのお助行と御祈願によって、お医者さまが言っておられたことよりも早く退院、そして元気に御講席にお参詣してくれた。ありがたい。

 そして、何よりも有難いことは、この「はやて君」の突然の病気を通じて、家族がもっともっと一つになり、二人の兄弟もお母さんをサポートしようと賢くなり、もっと言えば、ご信心にも御法さまにもご両親の心が向いたということだ。そう考えれば、「はやて君」は、ご家族にとっての「菩薩」なのである。見方を変えれば、ご家族のために身を挺して何かを教えてくれたことになる。私たちはそう受け取るのである。

 だから、「病は成仏の仲人」という教えがある。「菩薩の病は大悲より起こる」とも「衆生病む故に菩薩また病む」と教えていただくのである。

 それにしても、苦しかったのは「はやて君」だ。小さな身体で治療や検査によく耐えた。お注射や点滴をする時に、どうしてもお医者さんたちがはやて君を押さえる。赤ちゃんにとっては身体を抑え込まれるなんて、大変な苦痛だ。それ以来、ちょっと対人恐怖症のようになってしまったと奥さんが言っておられた。

 しかし、この日は素晴らしい笑顔でだっこさせてくれた。元気も元気、何でも食べる。原因不明といわれた病気は、おそらく「川崎病」であるとのころ。確かに川崎病の原因は特定されていない。感染性の病とも言われている。しかし、いずれにしても、川崎病であったら、妙深寺の執事長の次女、私の幼なじみでもあるはるのちゃんも川崎病と言われた。はるのちゃんは、川崎病であったことなど微塵も分からない。完治して、現在は元気はつらつの2人の子どものお母さんになっている。全く問題ない。当然だが、はやて君も必ず御利益をいただける。ありがたい。御講席の最後には、「お父さんは女の子が欲しいでしょうね。じゃぁ、4人目に挑戦だー」と笑って話をしていたほど。有難いことだ。本当に、ご信心を教えてくださるための出来事であったようにも思える。

 そして、私はそのまま長野から深恭師の車で40分ほど走り、和長さんのお宅にお助行に行かせていただいた。和長さんは、8月~9月にかけて検査を受け、末期の食道癌と診断された。私は、和長さんの体調の変化を春頃から感じていて、だからその状態を聞いた時には本当に悔しかった。

 駅までお迎えに来てくれた和長さんに、何度も病院に行くことを勧めた。どうしても「咳」が気になっていたのだ。次の時に、御講席後のご供養の際に、むせるようにして立ち上がられた。その時には、本当に病院に精密検査に行ってくれるようにお願いした。和長さんのお仕事は「船乗り」だったのだ。海の男、病院は大嫌いなのだろう。それでも、行ってくれて、そして、病名が分かった。

 本人もよく知っておられるので、ここに書かせていただくが、診断されたステージは「Ⅰ」でも「Ⅱ」でも「Ⅲ」でも「Ⅳ」でもなく、「Ⅳ」の上の「b」であった。ご本人も奥さまの音美さんも愕然としたと思うが、私たちも本当に愕然とした。しかし、その後で、「いや、そんなことでへこたれていても仕方がない」と思い直し、深恭師のお助行もあって、ご家族は全員が前向きに、特に根性の座った和長さんが一番前向きだった。

 9月19日、私は最初の治療を行うために入院していた和長さんをお見舞いした。病院の玄関に音美さんが迎えてくださった。病室のベッドの上に和長さんが座っておられた。病状を説明した紙がベッドの上のテーブルに置かれていて、進行性の癌であることと、ステージについても読ませていただいた。

 「やるしかない」。和長さんは、淡々としておられた。首には放射線治療用のサインがマジックで書かれていた。そう、そこから治療がスタートしたのだ。帰り際、抱き合って、少しだけ泣いた。

 そして、11月。和長さんは元気に御講席にお参詣、そして体験談の発表。てっきり、お助行していた全員がげっそりと痩せて元気のない和長さんを想像していたのだが、元気に、それは見事に、治療の経過報告と、お助行してくださる皆さんへの感謝の言葉、そしてこれからのことを話してくださった。隣で岡田さんが泣いていた。

 その御講席の後でも、和長さんのお宅にお助行に寄せていただいた。また、新しい治療が始まるということだったし、何としてもお宅で御題目をお唱えさせていただきたいと思って。1本のお線香、お看経させていただいて、記念写真をパチリ。何か、一番私が緊張しているようだ。顔がこわばってる。

 12月の御講には和長さんはお参詣出来なかったのだが、日曜日だったのでサプライズお助行。突如現れた僕たちにビックリ。ごめんなさい、和長さん。元気な和長さんは玄関先で灯油を移し替えていたのだが、「ビックリしてこぼしちゃった」と言っておられた。ごめーん、灯油高くなってるのに~(笑)。

 でも、本当に元気そうで有難かった。「髪の毛が薬で抜けてきたー」って言っておられたけど、元気元気。一緒に1本のお看経、元気に出来たもんね。ありがたい。

 そう、この時、お看経を終えて携帯電話を見ると京都からメール。「自分で命を絶ちたいと予告メールが入ったので、大至急連絡下さい」と。なんのことだが分からなかったのだが、和長さんとお話しする間もなく、そのまま電話させていただいた。いま、命を絶とうとしている人の方を優先。もしかすると、一刻一秒を争うかも知れないし。それにしても、癌という恐ろしい病気と闘う人を応援するご奉公もあれば、自分から命を絶ちたいという人を押し止めるご奉公もある。それが同時にあるというのは何とも複雑だ。

 そのお電話が終わると、もう新幹線の時間。全く和長さんとお話しできなかった。この自殺の予告メールの件については淳慧師にご奉公していただいて、完全対応。すぐに、その方の家まで飛んでくれた。ありがたい。すごい、地球防衛軍は。

 そして、玄関先で写真を撮るのを忘れていたので、素敵な和長さんと音美さんご夫婦をパチリと写した。元気そう。帽子、似合うよ、和長さん。

 慌ただしいご奉公で申し訳ない。ブログの更新もままならぬ。

 でも、本当に有難かった。これからもご祈願を続けます。頑張ろうね、和長さん、音美さん。

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