2007年12月8日土曜日

John Winston Ono Lennon

 今日は彼の祥月命日。そう、1980年12月8日に逝ってしまったJohn Winston Ono Lennonの。

 実は、最近毎年オノ・ヨーコさんが提唱してライブが開催されている。今年は12月8日の命日に開催されることになった。この「Dream Power ジョン・レノンスーパー・ライヴ」は、ジョンが歌った音楽を中心に、ジョンが残したメッセージ、愛と平和のスピリットを受け継ぎ、それを次の世代に伝えていこうとするイベント。コンサートの売上は、アジア、アフリカの子どもたちの学校建設資金になるという。

 そう、このブログでも何度か書いてきたが、私はジョンが大好きだ。といっても、私からするとジョンは何世代も前の人。だから、実は最初彼の音楽に惹かれたというよりも、最初から違う角度から彼に惹かれていったのだった。

 ラジオやテレビで彼の曲を何度か耳にしていて、どこか心に残っていた。先輩に教えてもらって聞いたこともあった。しかし、それはそれで、そのままに終わっていた。幼かった自分にとって、ビートルズもイーグルスも、いやモンキーズも、大した違いがあるように思えなかった。しかも、英語力が全くなかったのだから、歌詞の意味も分からなくて、日本の歌の方が親しめた。そういう音楽センスしか持ち合わせていなかったのだ。

 ところが、ある時「どんな人だったのだろう」と、ふと彼について調べたくなったことがあった。そして、自分なりに色々な本を読み、彼のメッセージや生き様、彼が目指した平和、宗教に向き合う姿勢、宗教(宗教のもたらす弊害)への批判と希望について知るようになって、「何てスゴイ人だったのだろう」と感銘したのだ。

 今日は、その彼の祥月命日。Yaccoさんはジョンの映画のチケットを2枚もプレゼントしてくれた。ありがやい。Yaccoさんもジョンを心から敬愛している。明日はヨーコさんが舞台挨拶するステージにも行くそうである。

 その映画は、「PEACE BED ~アメリカ vs ジョン・レノン~ 」というもので、彼の端的なメッセージ「もし変えようと思うなら。本当に変えようと思うなら。世界は変えられる。」とチケットに寄せられている。もう、今なお語り継がれる彼の表現者としての強いメッセージは、羨ましい気持ちすらする。是非、横浜か京都で時間をつくって観に行きたい。

 2005年、私はロスからアメリカを横断してニューヨークにたどり着いた。そして、真っ先にセントラルパークの西側にあるダゴダハウスを訪れた。1980年12月8日に、ジョンが凶弾に倒れた場所である。私たちは、このアメリカ横断の途中で、キング牧師の暗殺されたロレイン・モーテルを訪れ、JFKの暗殺されたダラスを訪れ、ワシントンではJFKの墓地にも寄った。暗殺という恐ろしい凶行が、何ものにも代え難い命を奪い、人類がより良く変革を遂げてゆく可能性まで奪ってしまうことを思い知った。

 ガンジーは、悪しき者は必ず負けると語った。真実は負けたことがないと言うのだ。彼の身近にいる者が反論した。「何を言うんです。歴史を振り返れば、邪な人間や勢力が勝っているではないですか」と。すると、ガンジーは答えたという。「そのようにお前たちが言っていることを聞いても、悪が負けているという証明だ。悪は、必ず悪であることを世に知られ、真実は必ず真実であること知られる」

 時間軸をもっと永くすれば、真実は勝ち、悪は負けるということだろうか。そう、ガンジーの言葉というよりも、ブッダが示した世の見方、生き方である。

 愚かな人間の恐ろしい凶行によって、人類の可能性を引き出せるような、尊い「存在」が失われても、それで尊い存在が悪しき存在や力に負けたということではない。それで全てが終わりということでは決してないものだ。

 結局、真実の道を歩もうと、他の者を思いやり、平和を希求し、恐れもせずに努力して生きてゆくという「生き様」があれば、その「生き様」は永遠に「生き続ける」ということだろう。本当の命は死なない、いや実はさらに輝きを増すのだ。

 開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひに あらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌にお示しくださっている。真実は真実。必ず顕れる、との姿勢が大切。ブレていては仕方がない。

 ジョンのことを語っていると朝が来る。明日は朝から新線に乗って移動しなければならない。ジョンの祥月命日に、一言だけのつもりが、少し書きすぎた。


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ダコタハウスから数ブロック離れた所に“カフェ・ラ・フォーチュナ”という小さなカフェがあるのですが、行った事ありますか?そこは生前のJohnとYokoのお気に入りの場所だったそうで、そこで二人はよく何時間も話しをしていたそうです。本当に同士のようだったんでしょうね。息子が可愛くて仕方なかった彼が、ある夜、Yokoと二人で食事をしていて、“(息子が)寝てしまう前に顔を見たいから早く帰ろう”と早々にレストランを引き揚げて帰宅したところを殺されてしまうなんて、いったい誰が想像したでしょう。それまで自分の為に生きてきた彼が、ようやく人のために生きることに喜びを感じ始めてきた矢先の出来事。
12月8日はお釈迦様の成道の日ともされていますね。何というか・・・ある種のメッセージのようなものを感じます。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...