2007年12月31日月曜日

お題目ストリート

 ひろし君のお友だちで、11月にご信心を始められ、そこから朝参詣を続けてこられた方がいる。社会的に有名なお方なので実名は載せないが、本当に真摯で素敵な方で、お参詣を続け、御題目をお唱えする姿に、心から随喜していた。
 朝参詣の後、本堂を振り返るとその方がおられる。深々とご挨拶をくださる。ご信心を始められて、ほんの数週間。本当に有難い。
 お忙しい方で、スタジオに入ってお仕事をされている時は、一睡もせずにお寺までお参詣される。職場もお住まいも東京。横浜の妙深寺までお参詣するのには、いつも第三京浜を使われる。そして、その方が命名した第三京浜の別名が、この記事の題名にもさせてもらった「お題目ストリート」という名前なのである。
 そんな言葉に、心から感激していた。その方からのメールには、ご信心に出会えた喜びが満ちていて、「御題目ロード」についても明記されている。ぜひ抜粋したものをご紹介したい。
 「ありがとうございます。出来る限り、朝、自宅から、第三京浜を通りお寺まで、、、私のお題目ストリート、、でお寺に行けるよう日々がんばっています。本当にありがとうございます。真の仏教に出会えた喜びは、本当に、ヒロシに感謝です。そして、御住職、、、感謝しています」
 こんなメールをいただいて、胸が熱くなる。本当にありがたい(涙)。
 12月29日、お餅つきのご奉公があった。その機会に、この方はご長男と実のお母さまをお連れになった。お母さまは神経痛などで苦しんでおられ、「朝念仏・夕題目」ではないが、仏壇に手を合わせているが、仏教的な知識が雑然としていて、「ナムアミダブツ」と唱えたり、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えたり、般若心経を唱えたりしているという。対象も、仏壇の中央には日蓮宗の方からいただいた「仏画」があってそれを拝まれたり、観音像を置いて拝んだりしてきたという。
 普通の方はこのような状態で仕方がないと思う。いろいろな人から良いと言われたことを全て受け入れていくと、そうなってしまう。しかし、どこかの誰かから「仏さまにお願いごとをしてはいけない」と教えられたそうで、仏壇では全くお願い事をしない。神経痛がひどいので、毎日毎晩「早く迎えにきてくれ」ということばかりを思い、憤懣やるかたない気持ちを抱いていたという。
 お参詣をはじめられたその方は、そんなお母さまを心配になって、正しいご信心の仕方をたくさんお話されていたようだ。29日、お餅つきの合間にお会いしてお話をすると、その場で「今日から南無妙法蓮華経のご信心一筋でいかせてください」とお母さま。御本尊の拝受願いをお認めになり、ご奉安のお教化となった。ありがたい。
 何より有難いのは、「お題目ストリート」を駈けてお参詣して下さる、そのお方本人である。既にご信心のお話をたくさんの人にされ、随喜を増しておられる。有難いこと極まりない。
 お母さまの教化親にはひろし君にご奉公していただくこととなった。年末、年の瀬を間近に控えているが、このような嬉しいご奉公が続く。
 今日は、31日。大晦日。今年も終わろうとしている。

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幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...