2007年12月11日火曜日

世紀のダ・ビンチを探せ!

 こんなに嬉しいことは無い。こんなことがあるんだ。すごい、すごいことだなぁ。

 満を持して書かせてもらおう。
 12月4日18時。何が嬉しかったって、田口行弘くんがベルリンからわざわざ京都・麩屋町の長松寺までお参詣してくれた。しかも、完全なる凱旋帰国!もう、嬉しくて嬉しくて、感激した。

 もはや、世界的な芸術家となった田口くんのことを書くのは少々気が引ける。しかし、書かずにはいられないので、一気に書いてしまおうと思う。彼と出会ったのは何年前だっただろう、3年近く前だろうか。お母さんからのご紹介で連絡を取り、お会いしたのが最初だった。

 私は毎月2度ほど京都・長松寺でご奉公させていただく。通常は4日と16日、7月の祇園祭と8月の大文字の時だけが混雑するために15日になっているが、ほとんど欠かさずに京都に帰って18時からの御総講のご奉公に当たる。

 この3年間ほど、大阪から足繁くお参詣してくださるご婦人。優しい笑顔の田口さん。毎月二回、大阪から京都までお参詣に通い続けてくださっている。並大抵のことではない。本当に有難い。

 その田口さんから息子さんを紹介していただいた。いや、「いただいた」というよりも、ご苦労を重ねてきた田口さんが東京で芸術を志して生活している息子さんに、何とか立派になってもらいたい、ご信心も相続してもらいたい、という思いだったと思う。たぶん、長松寺だと思ったが、私は初めて彼に出逢った。行弘くん、東京芸大に通う芸術家の卵だ。

 私は、ご苦労を重ねて行弘君を育ててきたお母さまを見ていたので、芸術家を志すといっても、さぞお母さんにとってはその生き方が不安であろうと感じていた。いつになったらお母さんを支えられるか。そういう息子になれるか。芸術家を目指す者などごまんといる。いくら感性が豊かで、アートやクリエイティブなことが好きでも、そんな若者は数え切れないほどいる。そして、女手一つで行弘君を育ててきたお母さん。うーん、と考えていた。

 だから、最初に会った日、私は彼にお話しした。とにかく、左側の脳で芸術なんてできないのが良く知っているだろう、もっともっと根っこの、右の脳、もっと言ったら心の奥の奥から湧いてくるインスピレーションの世界だ。だからこそ、信心をしっかりして、御題目をお唱えしてくれ、その部分を磨いてくれ、と言った。それが最初の出会いだったと思う。

 それから、メールを交換したりするようになって、彼はベルリンに旅立った。またまたお母さんを不安にするように、彼はドイツのベルリンで生活することにしたのだ。私は、とにかく彼を送り出すことが心配で、朝夕のお看経の時に、「弘通の器となさしめ給え」と言上し、ご祈願するように勧めた。自己満足の芸術家になるのではなく、何とか「人を救えるような芸術家」になってもらいたい、と。そういう思いを持ってくれたら、御法さまがもっともっと行弘君を応援してくれるのではないか、と思ったのだ。

 彼がベルリンに住むようになって、吏絵ちゃんの白血病のご祈願も始まった。私は彼にご祈願してくれるようにお願いをし、彼もベルリンでご祈願してくださるようになった。彼はしっかりとベルリンからご祈願してくれていたと思う。懐中御本尊の御不敬、そして新しい懐中御本尊の拝受など、いろいろなこともあった。大学時代に所属し、ご指導をいただいていた遠妙寺の御導師にお願いして御染筆いただいた懐中御本尊をベルリンで護持して、お看経してくれていたと思う。

 しかし、うだつの上がらない貧乏芸術家。サラエボなどの紛争地域に出掛けて、先鋭的な芸術家の仲間たちと何か活動していることを彼のブログで見たり、ベルリンの街中をビニール袋をかぶって歩いたり。こっちの感覚ではよく分からない「芸術(?)」に戸惑ったりしていたが、それでも彼からのメールに喜んだりしていた。ヨーロッパで活動している間にいただいた御利益などを報告してくれたり。

 2005年6月、フィレンツェに行った際には、ベルリンから駆けつけた。「駆けつけた」と言っても泊まる場所も決めていないし、どうやって行動するかも決めておらず、ただ「合流」。団参の行く先々に彼を連れて行くことにした。もちろん、食事も1セット追加。

 フィレンツェからローマまで連れて行って、最後はカンツォーネのディナーまで一緒にした。裸足でサンダル、麦わら帽子というスタイル。まぁ、変わった奴だったから、妙深寺のご信者さんもビックリしてた。でも、愛されるキャラで、みんなの人気者になっていた。(左の写真は、カンツォーネを歌ってくれるレストランだが、右側でピンク色のTシャツを着ているのが行弘君である)

 その「うだつのあがらない」「貧乏」芸術家の行弘君。お金が無くて日本に帰ってくれないはずだったが、11月末から凱旋帰国。そして、12月4日に長松寺にお参詣してくれた。それは、何と「世紀のダ・ビンチを探せ!国際アートトリエンナーレ2007」というコンクールがあって、その授賞式に出席するとのことだった。しかも、渡航費は主催者が出してくれたって。な、な、なんと、行弘君は、この「世紀のダ・ビンチを探せ!」というコンクールの最高賞であるグランプリを受賞したのであった!

 どんだけー!である。もう、信じられなかった。感激した。これまでのことを思い出したし、何よりお母さんの顔、嬉しそうな顔、もう最高だった。

 このコンクール、大阪芸術大学が主催しているのだが、名前がスゴイ。「ダ・ヴィンチを探せ!」って。レオナルド・ダ・ヴィンチは知っての通りルネッサンスの巨匠で、絵画から彫刻、建築や自然科学、音楽にまで通じた大天才。 「万能の人」「普遍人」とも呼ばれている。(私としては、ダ・ヴィンチが1年だけ仕えたチェザーレ・ボルジア、その父の法王アレッサンドロ6世、彼らと交渉したフィレンツェの役人・マキアヴェッリ、アレッサンドロ6世と対峙した説教師サボナローラ等々、『ダ・ヴィンチ』を聞いただけで興奮してしまう)

 その題名の通り、この「世紀のダ・ヴィンチを探せ!」という企画は、世界規模で作品を公募し、「世紀のダ・ヴィンチを探そう」とする国際アートトリエンナーレとのこと。志が大きい。すごい。ホームページを見てみると、『表現とメディアが急激に変化し、 様々な表現領域が複雑に交差する中で、今世紀の芸術はどこへいくのでしょうか。伝統と革新の対立と融合、地域間の葛藤と共生、そうした問題をあたらしい表現活動はどのように解決し、再生していくのでしょうか。この公募展を契機に、この会場、大阪から新しい世紀の「ルネッサンス」が期待されます。 「世紀のダ・ヴィンチ」、 それはあなたです』と書いてある。

 おいおい、その『ダ・ヴィンチ』のグランプリに行弘君が選ばれたなんて。いや、選んでくださったなんて。すっごーい。すっごーい。すっごーい。

 もうね、感激で泣けますわ。しかも、長松寺で行弘君、僕に封筒を出した。「なんやこれ?」とお預かりすると、「海外弘通御有志 行弘」って。もう、どんだけー!や。余りにもひもじそうでお小遣いを渡したこともあったし、フィレンツェではあれだけ食わして、「こりゃ、永遠に返ってこんな」と思っていたのに、まさかこんなに早く(涙)。しかも、この封筒、分厚い。「おう、おい、これ500円札か?」って思わず冗談でまぎらわした。ありがたい。ありがたいではないか。

 人は成長する。どんな時でも、御法さまを信じて、自分の道を歩んで努力すれば、「冬は必ず春となる」だ。いつも目先のことばっかりを見て、それで人を判断していると何も得られない。受け入れて、信じて、待って、祈って、願っていると、こういう日が来るんだなぁと思って。嬉しい、嬉しいなぁ。

 もう、「世界のタグチ」になっちゃった。NHKにも取材されて、お昼前にテレビに出てた。新聞にも紹介されていたし、これからが勝負ではあるけれど、彼のキャリアの一つとして輝くだろう。

 世界的に活躍しているYukihiro Taguchiの公式ブログサイト「dirmission」は英語のみになっているが、日本語のブログ「spazieren」もあるので紹介しておく。応援してあげてもらいたい。

 最後に、今回受賞した作品がYou Tubeに出ているので、ここに貼り付けようと思う。私は、最高に、素晴らしい作品だと思う。今まで彼の作品は、何をどう見てもさっぱりわからなかったが、今回の作品は本当に見れば見るほど色々なことを考えさせられた。「時間」と「空間」、「人」「場」「縁」「刹那」、、、、、。


 それと、もう一つ。ウッシッシということを。(ちょっと今、上の作品が見れないようだ。12秒くらいで映像が止まってしまう。残念)

 実は、イタリアで一緒に過ごしていた時、「おい、お前さ、タダでご飯とか食べてるんだから、フィレンツェの街とかをデッサンしてよ。それをもらって帰るから」と言った。彼は真面目だから、フィレンツェの街並を「さすが東京芸大!」と思わずうなるくらい素敵な鉛筆によるデッサンを何枚か描いてくれたのだ。

 僕は、それを持っているのである。ヘヘヘ。彼がこのままホンマに「ダ・ヴィンチ」になってくれたら、このデッサンは高く売れるやろ~な~(笑)。これで本堂建てられるかな(笑)。ピカソでも、駆け出しの頃の作品でも高く売れるもんなぁ~(笑)。

 いやいや、まだまだ。これからが芸術家としての本番。このコンクールなんて、本人も言っているし、彼のブログにもあるが、一つの通過点にしか過ぎない。彼の中では、本当に大した意味を持っていないのかもしれない。もっと大きなものを見ている。

 そう、それでいい。「弘通の器」になることが大事。最高に大きな「夢」を持って、それに向かって頑張ってもらいたい。お母さん孝行も忘れずに。ベルリンに行っている間は、月に二回、僕がお母さんに会って元気づけようと思う。心配するな。

 だから、頑張れよ。Keep chanting!!

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