相変わらず景色の良い部屋。御本尊を拝見していると後ろの窓から見下ろせる水面がキラキラとガラスに映って輝いていた。格別のお天気で気持ちが良い。お席主はご家族一同でお参詣、ご奉公くださっており、有難かった。
特に有難いのは、帰りの車の中で届いた彼女からのメールだった。彼女は何度かブログにも書いたが、グランデ・ファミリアで開導聖人伝の脚本を書いていただいた。あの時から、彼女は本当にご信心、ご奉公をくださるようになった。彼女が書いたのは、開導聖人が明治23年7月17日の早暁、麩屋町の法宅をお出ましになる前後の数日間。開導聖人の御遷化直前の物語だった。ご信心に偶然はないから必然だと思うが、誰がはかった訳でもなく佛立開導日扇聖人の祥月ご命日の、ちょうどその日に、彼女のお宅をお席とした御講席が奉修されるとは。ものすごい御縁。ありがたい。
長松寺での祥月ご命日の予修御総講を勤めて帰ってきたばかりだったので、本当にそれはそれは驚いた。開導聖人は、あの前夜、遅くまでご奉公して麩屋町に帰ってこられた現喜師(後の佛立第二世日聞上人)と弁了師(後の佛立第三世日随上人)を迎えられた。お二人とも御師匠のお身体をご心配になり、お側近くでお給仕されようと駆けつけられたのであった。翌日は朝早くから大阪へ下るご奉公に随行されることにもなっておられた。開導聖人は、そんなお二人に奥の部屋で食事をとるように優しいお言葉をかけられ、品尾さまがお二人のお食事のお給仕をされたと記録にある。
お具合がさぞ悪かろうと思っておられたお二人だったが、開導聖人は翌朝一番に起きられてお休みだったお二人の御弟子方を「はよ起きや」と起こされたとも記録にある。法宅前の麩屋町通りには、「もう大尊師(開導聖人)を見られるのは最後になるやもしれぬ」と今生のお別れを惜しむご信者方が集まり、まだ夜も明けきらぬというのに大勢が玄関前に集まってきておられた。開導聖人は、そうした篤信のご信者方に見送られ、一行は数台の人力車に乗り分けて麩屋町通りを下り、伏見の舟場に向かわれたのであった。
そして、御仏やお祖師さまと同様、ご奉公の旅の途中、開導聖人は淀川沿いの守口にてご遷化あそばされたのだった。
その御遷化直前に開導聖人が遺された教え、お伝えになりたかった御姿を、演劇化したものが佛立開講150年の奉讃記念ご奉公として神奈川布教区で行った「グランデ・ファミリア」の「開導聖人伝」だった。その脚本をお寺に泊まり込みながら作ってくれたのが貴子ちゃん。誰にでも出来るご奉公ではないから、本当に有難かった。ドサッと御指南書や「御遷化略記」などの書物を渡して、読解していただくところからはじめた。そういうご奉公があってこそ、この開導聖人の祥月ご命日に御講がピタッと重なったのだろう。
今月の教区御講は「驚す 甲斐こそ無けれ村雀 耳なれぬれば鳴子にぞのる」との御教歌をいただいて、緊張感を持ったご信心をさせていただかなければならぬこと、お互いにお折伏を心掛けて、衰えていく信心前を立て直さなければならぬとの御意をいただいた。「云えば慣れる。云わねば忘れる」との御指南は、凡夫の性をご指摘くださっていて、何とも有難い。何度も重ねていえば「またその話か」と慣れてしまう。慣れるのが情けないと思って、数日、あるいは数ヶ月様子をみようなどと間違っている姿や怠っている姿を見ても言わないでいると「あれ、久しぶり」などと開き直ってしまう。忘れてしまう。そんな凡夫の性をお示しだ。この御意をいただいて、緊張感のあるご信心をしなければもったいない。
また、今月7月16日はお祖師さまが立正安国論を上奏されてから749年目。来年には750年という記念の時を迎える。この立正安国論とは、お祖師さまが末法の世に住む天下万民に対してお折伏くださった御書といえる。日を追う毎に末法は深まっていく。人間の「心」に起因して、人間社会はもちろん、一人一人の心も身体もバランスを失い、自然界もバランスを失っていく。だからこそ、まずは「人」として正しい「仏法」を信仰せねばならぬ、心を正さなければならぬ、と。
人間、人間界、人間圏が自然界や他の生物たちの均衡やバランスを失わせていることは明らかだ。人間の生存に起因して、世界は悪い影響を受けてしまっている。昨今、環境問題や温暖化が取り上げられているが、なかなか具体的な取り組みに進めないのも人間。それではダメだ、と声を荒げても、「云えば慣れる」「云わねば忘れる」という程度で、その取り組みは遅々として進まない。お祖師さまが749年前に諭された正法への回帰と環境問題は同じではなかろうか。
今月の教区御講では、このような御法門を拝見させていただいたのだが、貴子ちゃんの姪にあたるほのかちゃんも、おとなしくお参詣してくれていた。かわいい。一緒にご供養をいただいて、大満足。うれしかった。貴子ちゃんと三人で一緒に写真を撮らせていただいてお席を後にした。
帰りの車の中で、お席主の貴子ちゃんからメールをいただいた。それは嬉しい内容だった。
「本日は遠いところありがとうございました。日扇聖人の祥月御命日に、御講をさせて頂けること、御住職にお会い出来たこと、改めて気づかされることと気を引き締めることを、しっかり受け止めたいと思いました。
わたしは、グランデから、脚本で進めていないから、とにかく脚本家になることを成し遂げたい。でなければ、わたしのグランデはいつまでも本当~に意味のあるものにならない気がする。だってあそこで立ち止まってしまっている自分がいるから。だから日扇聖人に命かけて、頑張ります。
それにはまず、御宝前にしっかり向かうことですよね。いままでのわたしは、何かあるとすぐにふさぎこんだり、逆に腹を立てたり…でもそんなエネルギーが、例え負のエネルギーだとしても湧いてくるなら、御宝前に向かったり、脚本に活かしたり、いくらでもプラスに出来るんだって、ようやく気づいた…遅いけど。結婚してから本当につらいこともあって、今までにない苦しさを初めて経験して、毎日うなされるような日々だったけど、本当にもうそんなの終わりにして自分のプラスにしなきゃなって、強く思う。だから頑張る[力こぶ]」
まだまだ彼女からのメールには紹介したい文章があるのだが、ちょっと添削して本人の許可を得て一部だけ載せさせていただいた。こうして感得してくれる御講、ありがたい。
明日から準備ご奉公。それこそ妙深寺全員で開導聖人の祥月ご命日に併せた大法要を行う「開導会」の準備ご奉公がスタートする。夕方にはコレイア御導師も横浜に到着してくださる。ありがたい。万難を排してお参詣、ご奉公していただきたいと思う。実は、今回は土曜日の夕方に行うトークライブのみ、近隣の新聞に折り込みチラシを入れさせていただき、参加を呼びかけさせていただいた。楽しみな結縁の企画。土曜日は10時から第一座、日曜日9時30分から第二座、11時から第三座。これはご信者さまのみ。
とにかく、開導聖人にお喜びいただけるようなご奉公をさせていただきたい。
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