大真面目に明治維新に切り込む京都佛立ミュージアムの次回展示。
麩屋町から歩いて数分のドトールコーヒーでブツブツ言いながらモノを書いています。
いま、「神道」と「国家神道」の違いについて知る人は多くありません。
混同していると、日本が歩んだ歴史が分からなくなります。
島薗進先生は、著書『国家神道と日本人』(岩波新書)で次のように書いています。
「戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。また、敗戦でそれは解体・消滅したのか。本書では、神社だけではなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う。日本の精神史理解のベースを提示する意欲作。」
長松清風・幕末維新の仏教改革者を訪ねて京都まで来た高崎正風。
その高崎正風が作詞した「紀元節」(作曲:伊沢修二)、「勧学の歌」(作曲:奥好義)、「水漬く屍」(作曲:吉本光義)。
「紀元節」は文部省唱歌として教育現場でずっと歌われ続けてきました。戦前の子どもたちでこの歌を知らない子はいなかったくらい。
「水漬く屍」はあまり有名ではないのですが、帝国海軍礼式歌として軍楽隊が主に靖国神社への参拝、遥拝及び招魂祭で演奏していたといいます。
慰霊祭や遺骨引き渡し式等で演奏される「海ゆかば」や「命を捨てて」よりは知られていませんが。
原歌は「陸奥奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)」と言われています。
神道と国家神道の違い。
どのようにして国家神道が生まれたか。
佛立開導日扇聖人は、こうした激動の時代に生き、高崎正風との親交もあったこと。
高崎正風は坂本龍馬と親交の深かった佐々木高行と共にあり、彼らと共に「天皇親政」を推し進めた人物。
明治国家、大正、そして昭和。終戦があり、高度経済成長があり、バブル崩壊、そして現在。
今だから振り返る明治維新、その150年。
挑戦したいです。
こうして書いている間に、五山の送り火の日に京都を堪能させようと長男とガブリエルを連れて四条川端まで来ましたが、お腹を満腹にしたら帰ってしまいました。
一人で残されるお父さん。
さみしー。
勉強しよ。
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