もう本当に死にそうでした。緊張で、胸がドキドキして、張り裂けそうになりながら、お出迎えしました。
だって、アリゾナからわざわざラリーが会いに来てくれたんです。しかも、待ち合わせの場所を素敵なところにしようと聞いたのですが、僕たちのいるロサンゼルス組親会場まで来てくれると言うのです。
ラリー。ジェットスキーの世界で神と呼ばれる人。1987年大学1年生の僕は彼が表紙になっている雑誌を河田が持ってきてくれて、このスポーツを始めることにしました。まさかその後ラリーと会えるなんて微塵も思っていませんでした。
映画「彼女が水着に着替えたら」では、織田裕二さんと原田知世さんが走るボートを追いかけて、新木場の撮影現場で巨大な丸太を前田さんが飛び、ラリーが潜り、僕が避ける(笑)というシーンを撮影しました。
ヒロミさんのテレビ朝日の特別番組「トランス・ミシシッピー」ではミネソタからメキシコ湾まで3779kmをジェットスキーで走りました。
動くお寺の原型となったエアストリームはラリーが改造して日本に送ってくれたものです。今は陸前高田の被災地にあります。現在の動くお寺は第2号ということになります。
ラリー・リッペンクローガー。僕は彼が到着する2時間前からソワソワして、親会場を綺麗に掃除したり、玄関のマットを変えたり、小さなゴミを拾ったり、少年のようになっていました。だって、本当に偉大な人なのです。
彼はジェットスキーの世界チャンピオンであり、その業界では神のような存在であり、俳優やスタントマン、映画プロデューサーとして大活躍してきました。映画『ウォーター・ワールド』や『ダイハード』『ポリスアカデミー』、大人気テレビドラマの『ブレイキング・バッド』(Breaking Bad)にも出演しているレジェンド中のレジェンドです。
わざわざ奥さんと共にロサンゼルス組親会場まで来てくださって、震えるほど感動しました。「セレビリティが座るようなイスもないんです」と言っても、全く気にしないと言ってくれて、さらに感服、感動しました。
約2時間、昔話から最近の出来事までじっくり語り合うことが出来ました。約20年ぶりの再会なのです。娘さんのミランダともフェイスタイムで顔を見て話ができました。ミシシッピでは本当に仲良く楽しい時間を過ごしました。彼女も3人のお子さんがいます。
奥さまが興味を持ってくださり、仏教やご信心についてもお話できました。あり得ないことです。ここからサクラメントまで走るということで、さらに、さらに、恐縮しました。サクラメントはサンフランシスコの北東にあり、7時間ほどかかります。途中で泊まりながら向かうとのことで少し安心しました。
ラリーとポーラさんが帰ってからも、手が震えていました。僕にとってそれほど大きな存在です。初めて手にしたジェットスキーの本の表紙の人、19才で初めてお会いしたスーパースター、前田さんのマンションの1階にあった和田町のマクドナルドの思い出を振り返れば、今でも僕などが簡単にお会いできる人ではないと思っています。
ラリーから「日本人は絶対に持っていない」というハリウッドなどで大活躍する「Brand X Stunts」の20周年の記念コインをいただきました。彼らは映画やテレビドラマ、コマーシャル、イベントで活躍するトップスタントマンの伝説的なチームです。一生の宝物にします。
本当に、今生人界、人生、たまらないです。こんな日が来るなんて、こんなことが起こるなんて、あり得ない一日でした。これ以上ないほど素敵な先輩方にかわいがっていただいて、どれだけ幸せか、忘れてはならないと肝に銘じます。恩返しできるように、もっと真剣に生きなければならないと思いました。
今回のアメリカ出張、ロサンゼルスの最終日に、このロサンゼルス組親会場にレジェンドをお迎えすることが出来ました。本当に心から感謝しています。
あと4時間ほどしたら、空港に向かいます。まだ胸がドキドキしているから眠れません。午前4時半出発、搭乗は6時過ぎ。そしてシアトルに向かいます。大切な大切なお助行に向かいます。
これ以上ない最幸のクライマックス。
心から、心から、ありがとうございます。
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