押し花から平和を考える
杉野宣雄
終戦80年特別展示にあたり、日本を代表する押し花作家・杉野宣雄先生に特別なご協力を仰ぎました。
押し花は草花の命をそっと手にとって紙片に閉じ込めた「時間の結晶」です。ガラスの下に広がる花弁や葉脈の繊細さと美しい色彩。儚く土に戻るはずの花を永遠へと橋渡しする営みは、無常のなかに永遠を見出す人間の「祈り」と言うことも出来ます。
そして、押し花は境界を溶かします。国や人種や言語を越えて、人びとは草花を愛し、その美しさに魅せられ、儚さに胸打たれるのです。傷ついた大地に咲く花も、遠い異国で摘まれた草花も、作品の中では等しく風を感じさせ、やわらかな平和の輪郭を描きます。
ここに、戦時下にあるウクライナ、そしてイスラエルの押し花作家の作品を展示いたします。増幅し、連鎖する憎悪の中、その足元でも草木は根を張り、花を咲かせ、葉を茂らせ、実を結んでいます。
焼き場に立つ少年の足元にも、目の前に広がる瓦礫のすき間にも、夏草は確かに芽吹き、焼け跡を覆う緑は静かに命を継ぎました。同じようにそれぞれの国には心豊かな人びとが暮らしています。草花を愛でる感性には敵味方の区別はありません。作品を通じて「人間」としての心の豊かさに目を向けていただきたいと思います。
そして、壁面ガラスケースには杉野宣雄先生による終戦80年特別作品を展示しています。青い睡蓮とクレマチスを用いた「慶花」。この宇宙の普遍性を示す曼荼羅のような作品です。
さらに「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教〜」展に寄せて特別な作品を作っていただきました。タイトルは「如実知見」。地下で絡み合う根を一枚の菩提樹の葉に束ね、その上に白蓮を配しています。仏陀のまなざしを思わせる白蓮は、「三界をありのままに見る」という法華経の教えを沈黙する草木が語りかけています。
無常と永遠。自然と人間。
花を愛する心に国境も民族、敵も味方もありません。戦争も全く必要ない。認知戦やバイアスに翻弄され、因果を忘れて争うことは愚かなことです。
花弁の薄片に宿る色彩の中に、人間が再び平和の種を蒔き、その根が広がってゆくという、新たな時代の希望を見つけたいものです。
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう――この理(ことわり)を他の人々は知らない。しかし、この理を知る人があるならば、争いは静まる。」『ダンマパダ』第1章〈双句品〉第6偈
「恐れてはならないところに恐れを抱き、恐れねばならないところに恐れを見ない者──かれらは邪見にとらわれ、苦しみの道へと赴く。」『ダンマパダ』22章〈地獄品〉第317偈
「ちりしはな(散花)、をちしこのみ(落果実)もさきむすぶ、などかは人の返らざるらむ。」日蓮聖人 / 妙心尼御前御返事
「独り仏法は無辺の鳥獣草木にいたるまで済度すべし。何ぞ況や有縁の衆生に於ておや。」海援隊 / 閑愁録
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