2025年7月5日土曜日

「押し花から平和を考える」 杉野宣雄








押し花から平和を考える

杉野宣雄


終戦80年特別展示にあたり、日本を代表する押し花作家・杉野宣雄先生に特別なご協力を仰ぎました。


押し花は草花の命をそっと手にとって紙片に閉じ込めた「時間の結晶」です。ガラスの下に広がる花弁や葉脈の繊細さと美しい色彩。儚く土に戻るはずの花を永遠へと橋渡しする営みは、無常のなかに永遠を見出す人間の「祈り」と言うことも出来ます。


そして、押し花は境界を溶かします。国や人種や言語を越えて、人びとは草花を愛し、その美しさに魅せられ、儚さに胸打たれるのです。傷ついた大地に咲く花も、遠い異国で摘まれた草花も、作品の中では等しく風を感じさせ、やわらかな平和の輪郭を描きます。


ここに、戦時下にあるウクライナ、そしてイスラエルの押し花作家の作品を展示いたします。増幅し、連鎖する憎悪の中、その足元でも草木は根を張り、花を咲かせ、葉を茂らせ、実を結んでいます。


焼き場に立つ少年の足元にも、目の前に広がる瓦礫のすき間にも、夏草は確かに芽吹き、焼け跡を覆う緑は静かに命を継ぎました。同じようにそれぞれの国には心豊かな人びとが暮らしています。草花を愛でる感性には敵味方の区別はありません。作品を通じて「人間」としての心の豊かさに目を向けていただきたいと思います。


そして、壁面ガラスケースには杉野宣雄先生による終戦80年特別作品を展示しています。青い睡蓮とクレマチスを用いた「慶花」。この宇宙の普遍性を示す曼荼羅のような作品です。


さらに「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教〜」展に寄せて特別な作品を作っていただきました。タイトルは「如実知見」。地下で絡み合う根を一枚の菩提樹の葉に束ね、その上に白蓮を配しています。仏陀のまなざしを思わせる白蓮は、「三界をありのままに見る」という法華経の教えを沈黙する草木が語りかけています。


無常と永遠。自然と人間。


花を愛する心に国境も民族、敵も味方もありません。戦争も全く必要ない。認知戦やバイアスに翻弄され、因果を忘れて争うことは愚かなことです。


花弁の薄片に宿る色彩の中に、人間が再び平和の種を蒔き、その根が広がってゆくという、新たな時代の希望を見つけたいものです。


「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう――この理(ことわり)を他の人々は知らない。しかし、この理を知る人があるならば、争いは静まる。」『ダンマパダ』第1章〈双句品〉第6偈


「恐れてはならないところに恐れを抱き、恐れねばならないところに恐れを見ない者──かれらは邪見にとらわれ、苦しみの道へと赴く。」『ダンマパダ』22章〈地獄品〉第317偈


「ちりしはな(散花)、をちしこのみ(落果実)もさきむすぶ、などかは人の返らざるらむ。」日蓮聖人 / 妙心尼御前御返事


「独り仏法は無辺の鳥獣草木にいたるまで済度すべし。何ぞ況や有縁の衆生に於ておや。」海援隊 / 閑愁録

0 件のコメント:

135年目の祥月ご命日

昨夜は幕末維新の仏教改革者・佛立開導日扇聖人の135年目の祥月ご命日。135年前の朝、出発をされた麩屋町の長松寺で夜のご祥月法要を勤めさせていただきました。 明治23年(1890)7月17日、開導聖人はご遷化になられました。仏陀や日蓮聖人と同じく旅の途中でのご遷化でした。麩屋町通...