2025年7月18日金曜日

135年目の祥月ご命日












昨夜は幕末維新の仏教改革者・佛立開導日扇聖人の135年目の祥月ご命日。135年前の朝、出発をされた麩屋町の長松寺で夜のご祥月法要を勤めさせていただきました。


明治23年(1890)7月17日、開導聖人はご遷化になられました。仏陀や日蓮聖人と同じく旅の途中でのご遷化でした。麩屋町通にはひと目でも開導聖人をお見送りしようと夜明け前から教講が集まっていたと伝えられています。


例年は15日でしたが祇園祭の交通規制でお参りがしにくいため、今年から祥月ご命日の奉修となりました。しかし、交通規制の解かれた17日の奉修でしたが、お参詣が少なく残念でした。


昼間の大雨のためか、ご披露が不足していたためか。ずっと学生師も一人の体制でほぼハシャーン清嵐師、京都組の方々が毎回お塔婆洗いをしてくださっています。私も後片付けのご奉公をさせていただくことにしました。


なんというか、国と同じように、失われた30年を40年にしないように、断固たる意識で聖域なき改良、改革をしなくてはならないのかもしれません。135年が経ってこれでは申し訳ないことです。


しかし、数少ないお参詣者の中に、35年間、ご奉公の懸案だったこと、その象徴的な方がお参りくださっていました。そして、淳慧師のお導きで、あらためて御本尊の拝受を願い、ご信心できることとなりました。祥月ご命日のご宝前に言上させていただき、開導聖人もさぞお喜びになられたことと確信しています。感慨無量でした。


「人をたすけ我もたすかる道の外の御法門は学び習ふべからず。(中略)学者ものしりになりて、人にほこりがほする慢気おこりて信心のきっさきはなまり、御利益を顕はし人を助くる道はふみ違へて、現世には火・盗・病・不慮損失の難にあひ、死してはあび地獄に入らんことうたがひなし。此迷ひさかんなるが悪世末法の人機なれば、御弟子旦那はわき見ふらずに如説修行し給ふベし。これより外、別の才覚無益也。」本門悌立宗要義・門外不出抄 第三


ものしりになる、頭でっかちになる、慢心する、上辺や周辺のことばかりして核心を見失い、肝心要のところで迷い、勘違いをし、仲違いをして、バラバラになります。開導聖人が悲しまれ、嘆かれる道です。


自分なりの憂いを抱いてご奉公してきましたが、135年目の開導聖人の祥月ご命日に、とてもありがたい機会を与えていただきました。長い長い、末法悪世のご奉公の道の中で、罪障消滅が出来るかもしれない、ありがたいお導き、真実の現証の御利益だと思います。


厳しい世界、限られた時間。ただ一つの命、たった一度の人生、これからも、本物の佛立信心を目指して、みんなで精進いたしましょう。


開導聖人の御指南に。

「真実の御弟子旦那の中に御弘通に仕ふるに大に分って上中下の三段あり。


或曰。先生御存生中に如説抄の御折伏、随他意なしの御法門講内一同に御定め置なくは、御滅後は思ひ思ひにわかれんこと歎かはしと思ひ励む人々あり。是を上等の信者とす。


次に、さためてしかあるらんなれども我等軸出ていふともかひなしと歎くのみなる。これは中等の信者也。


次にいかにともなれ、其時は其時と、たゞ傍観せるあり。これを下等となす。


○高祖、御一周忌に本迹一致はじまる日向これなり。五老僧、山を出す、門々わかる。一百年餘に門祖本門題目宗下種信行折伏宗御再興。


今又一同に下種宗を、口にはとなへながら皆熟脱宗になれり。爰に本門佛立宗たてり。


清風滅後を思へとも、既に祖師御在世の御時ですらあまり御あらぎなりと、をこつくものあり。われらはやはらかに弘めんとて螢火が日月をわらふが如きもあり。朝夕をしへ給へども臆病にして肝を消して退転せしも多くしてかくしつゝ終に廣宣流布すべき上行菩薩所傳の題目宗也。


上行大士仏勅を蒙らせ給ひ末法を御受取になりたる已上は、おとろへる時分々々には地涌の大士立かはり、入かはりに出世ありて御弘通絶ることなし。弟子となり、師匠となり、旦那となり、無令断絶、疑ひなきこと也。」末代幼稚信要学(扇全12巻318頁)

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