2025年7月4日金曜日

「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教〜」オープニング映像


トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~

オープニング映像ナレーション

 

「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」 

ドイツの哲学者、ヘーゲルは言っています。


第二次世界大戦当時、イギリスの首相であったチャーチルは、

「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」 

と述べています。


こうした先人の言葉に接する時、先の大戦後、果てしなく争いを繰り返す人間の愚かさに身震いするほどの恐怖を覚えます。


フランスの作家、空軍のパイロットでもあったサン=テグジュペリは次のように述べています。


「恐怖の描写をするだけであれば、われわれは正しく戦争に反対することにならない。しかし、生きることの喜びや無駄な死の非情さについて声高く述べるだけでも、同じように正しく戦争に反対することにはならない。数千年以来、母親の涙について語られて来た。だがその言葉も、息子が死ぬことを妨げ得ないことをしっかりと認めなければならない。」


わが子を失った母親たちの涙を見ても、本当のところ、私たちの心には届かず、戦争が無くなることはない、という言葉です。


全身から、力が抜けてゆくようです。


1945年、若き米軍兵士ジョー・オダネルは、ヒロシマ、ナガサキなど、焦土の日本を個人のカメラによって撮影しました。帰国後、彼は戦争の忌まわしい記憶とともに300枚のネガをトランクの中に入れ、封印したのでした。


「生きてゆくために、すべてを忘れてしまいたかった」


しかし、43年後、世界中で絶え間なく続く戦争を目の当たりにする中、彼は日本各地で目撃した悪夢のような情景から逃れられないことを悟り、

「あの体験を語り伝えなければならない。」

と決意し、トランクを開けたのでした。その写真の数々は、後に小学館より『トランクの中の日本』と題して出版されました。

「この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦争直後の日本で出会った人びとの有り様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っている。胸をつかれるような写真を見ていると、私は否応なく、辛かった1945年当時に引き戻されてしまう。そして、私のこの物語を読んでくださった読者の方々には、なぜ、ひとりの男が、終戦直後の日本行脚を忘却の彼方に押しやることができず、ネガをトランクから取り出してまとめたか、その心情を理解していただけると思う。」

 

敵国・日本に敵愾心を燃やしてやってきたオダネル氏は、瓦礫の山と化した日本を歩き、多くの日本人と出会い、レンズを向けてゆくうちに、大きな葛藤を抱えるようになりました。何のために、誰と戦っていたのか。


10年前、私たちは『トランクの中の日本』を世に送り出した編集者・大原哲夫氏を通じて、オダネル家のご許可をいただき、「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」を開催いたしました。彼のファインダーと、心を通じて映し出された、戦争の悲惨さ、焦土と化した日本、事実そこにいた日本人の姿は、見る者の心を力強く動かしました。


特に、「焼き場にて、長崎」と題された写真には、言葉にし得ない絶対的なメッセージがあります。この10年、幼い兄弟の写真はローマ教皇フランシスコをも動かし、私たちは京都をはじめ、サンマリノ共和国、イタリア・リミニ、東京と、写真展の開催を重ねて参りました。


そして本年、終戦80年、この写真展の開催を、最も意義深く、同時に最も虚しく、感じています。


この10年、戦争や紛争は増す一方で、平然と国際法を無視し、他国に侵略し、あるいは攻撃し、報復し、力による現状変更が公然と、至るところで行われ、80年前からして最も核兵器の使用が現実味を帯びていると言われています。


今回の写真展のリリースを読んで、海外からメッセージが届きました。

「悲惨な写真を見るために美術館に行く必要はない。ウクライナで、ガザで、至るところで、私たちは今日も、幼い弟や妹を殺され、無言で死体を運ぶ少年や少女を見ている。」


本当に、そのとおりです。


リミニでは念願だった映画『火垂るの墓』との共同イベントを開催しました。

多くの人が写真や映画に涙し、大変な反響を得ましたが、その後の世界の情勢を考えるとひたすらに虚しくなります。


人は、しばし感傷にひたるだけで、子どもの血や、母親の涙にさえ、教訓を得られないのでしょうか。

戦争は正義と正義のぶつかり合いです。双方が正当な理由を掲げて戦争に至ります。敵と味方、あらゆる人びとが、家族の無事を祈り、それぞれの神仏に祈りつつ、戦い続ける。それが戦争です。


ジョー・オダネル氏の写真展は、ただ感傷にひたるものではありません。敵愾心に燃えてやってきた米兵が、敵と味方の境界を超えて、人間性に目覚めてゆく過程を、追体験していただくものです。

人間が作り出した妄想や幻想のために、尊い命が奪われているとしたら、どれだけ虚しく愚かなことでしょう。

仏教のミュージアムが開催する終戦80年の記念展示は、悲しみや、怒りや、憎しみや、涙を超えて、人間とは何なのか、戦争とは何なのか、では平和とは何なのか、その一分を感じていただくための写真展なのです。


京都佛立ミュージアム「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」


虚しさを感じながら、それでも心を奮い立たせて、開催させていただきます。

 

サン=テグジュペリは、こんな言葉も残しています。

「心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある」


悲惨な敗北を経験した日本人、ヒロシマ・ナガサキのある、世界唯一の被爆国・日本から、今こそ平和のメッセージを発信してゆかなければなりません。


この写真を通じて、無惨な敗戦を迎えた日本や日本人こそ、世界平和の希望であることを、噛みしめていただければと思います。


神も悪魔も、外ではなく、人間の内側にいる。人間は、鬼にもなれば、仏にもなる。

敵と味方を分け隔てているのは、人間が作り出した妄想に過ぎない。


戦争と平和、そして仏教。人間の業や性、その正体を説いた仏教に触れ、世界平和の希望として生きる大切さを感じていただければと思います。

0 件のコメント:

135年目の祥月ご命日

昨夜は幕末維新の仏教改革者・佛立開導日扇聖人の135年目の祥月ご命日。135年前の朝、出発をされた麩屋町の長松寺で夜のご祥月法要を勤めさせていただきました。 明治23年(1890)7月17日、開導聖人はご遷化になられました。仏陀や日蓮聖人と同じく旅の途中でのご遷化でした。麩屋町通...