2017年12月30日土曜日

明日は大晦日










いよいよ明日は大晦日、お正月がやってきます。


昨夜は大鏡もちつきの後、妙深寺の教務や家族の納会でした。


副ご住職はご欠席でしたが、総勢38名の納会は近年で一番多く、賑やかでしたー。


年末年始、ずっとご奉公は続きますが、ひとまず締めくくり。


来年も、副ご住職をはじめ、みんなが現証の御利益をいただいて、健康で、素晴らしい、価値ある、ご本意にかなう、妙深寺らしいご奉公が出来ますように、結束を深めました。


ずっとお正月の準備が続きます。


明日は17時から御礼のお看経、23時半から除夜法要。早めに年越しそばをいただかれてください。法要後は頂戴できません。


元旦は11時から新年初総講・祝盃式。


2日目は大本寺・乗泉寺にて祝盃式、信廣総会。


3日は長野本晨寺で新年初総講と祝盃式。


4日の夜は京都長松寺で新年の初総講。


そして、1月6日からは1ヶ月間の寒参詣が始まります。


今日は本堂のお花を活けて、ご宝前をお正月の装いに荘厳させていただきます。


ありがとうございます。

2017年12月29日金曜日

インターナショナル大鏡餅つき




























肋骨がいたーい!


今日の大鏡もちつき、たくさんご奉公いただいて、ありがとうございました。


無事に終了いたしましたー。


子どもたちも多くて、つき手も最大40人くらいいたのではないかな、本当に賑やかにご奉公いただきました。


妙深寺、法深寺、本晨寺、それぞれのご宝前、別院や納骨堂、庫裡や教務のご宝前、新年初総講でお配りする小餅などなど、全て準備することが出来ましたー。


今日は小餅を作ってくれていた子どもたちにもお餅つきを体験してもらって、みんないい思い出になったと思います。


インターナショナルお餅つき大会みたいになっていましたが、本当にみんな頑張りました。


僕は淳慧師とお鏡さんを作らせていただきましたが、この前のマグマアワードの夜に痛めた肋骨が痛かったー(笑)。


とにかく、お正月の準備が無事に進んでゆきます。


来年も、全員にとって素晴らしい年となりますように、しっかりご奉公させていただいています!


ありがとうございます!

2017年12月28日木曜日

西郷どんWalker




西郷どんWalker


明治維新150周年!西郷隆盛など幕末の志士ゆかりの地を巡る秀逸なガイド本に、京都佛立ミュージアムを取り上げていただきました。


2018年は明治維新150周年!注目が集まる西郷隆盛を中心に、幕末の志士ゆかりの地をめぐるガイドブックが完成!九州や京都、東京など、ウォーカー編集部ならではの”使える”情報が満載です。」


「九州ウォーカー」さまの本だと思っていたのですが、NHKの大河ドラマ「西郷どん」にあわせた企画本のようです。


ありがとうございます。

其の後の海援隊士たち






























本当に、優しくて、あたたかい人ばかり。


高知県立歴史民俗資料館、梼原町立歴史民俗資料館、安田まちなみ交流館・和(なごみ)、創造広場アクトランド龍馬歴史館にお伺いしました。


安田まちなみ交流館・和では「志国高知 幕末維新博関連企画 第三弾」として「其の後の海援隊士たち ~龍馬スピリットの行方」という展示をなさっていて、特に長岡謙吉の展示もあると聞き、訪問させていただきました。


フライトまでギリギリで、途中で諦めようかとも思いましたが、いつものとおり「行く」か「行かない」かで迷った時は「行く」です。


なんと、お伺いすると「京都佛立ミュージアム」と言っただけで知っていてくださいました(涙)。感動でしたー!


なぜ知っているのかお聞きすると、「一番最初はブラジルの件で聞きましたー。」とのこと!


一瞬動きが止まりました(笑)。


よくよく聞いてみると、水野龍さんの件で、吹田市立博物館の中牧先生からお聞きになったとのこと。


しかも、野球選手になるために来日したジョナタン君のことでも接点がありました。


まさかの、ブラジルつながり。


どうなってるのー(笑)!


アポなしの突然の訪問だったのですが、高知県立高知城歴史博物館(公益財団法人 土佐山内記念財団)の方もちょうとおられて、大感動。


今回、最初に長岡謙吉の書状を調べていて、高知県立歴史民俗資料館をご紹介くださったのは、高知城歴史博物館の方だったのですー(涙)。


話題も盛り上がり、僕の本『仏教徒 坂本龍馬』についても話をしたり、もう一晩あっても語り尽くせないような話がたくさんあって、本当にありがたかったー。


なんと、こちらでは『閑愁録』を展示くださっているのですー(涙)!


いつか、一晩中ゆっくりと一献酌み交わしながら、幕末談義に花を咲かせたいなー、と思いました。


フライトがギリギリで、ほんの10分くらいの滞在になってしまいましたが、行ってよかった(涙)。


そして、さらに、創造広場アクトランド 龍馬歴史館にも飛び込みましたー。


担当の芝藤さまとご挨拶できて、感動でした。


こちらには京都佛立ミュージアムの『閑愁録』の映像朗読データをお貸ししており、展示してくださっています。


ガイドの方々も丁寧にご紹介くださっているようで、本当にありがたかったです。


館内に入ったら、見事な陳列ケースの前のディスプレイで、私たちのループ映像が流されていました。


自分の声が高知で流れているなんて、不思議でしたー。


2つの歴史資料館で、しっかりと『閑愁録』が展示してあるなんて、以前では考えられないことで、感動だったのです。


本当に、広がり続けていますねー。


四万十川のように、小さな流れが大河になるのですね。


一滴一滴の雫を、大切にしなければ。


爪楊枝のような、小さく細い枝で回していた渦が、大きく、力強く広がって、嬉しかったですー。


これから、もっともっと連携して、進めてゆきたいと思います。


今日は妙深寺の大掃除。


明日は朝から妙深寺の大鏡餅つきです。


誰でもいいので、参加してくださいねー。

2017年12月27日水曜日

四万十川の源流点

























四万十川の源流点まで登ってきました。


滔々と流れる196キロもの大河・四万十川。


梼原町からの帰り道、「源流点」という看板に引き寄せられ、もう次のチャンスはないと思って、ナビから外れて山道を走り上がりました。


雄大な川も、ここが原点、スタートの場所なんだ。


素晴らしい経験となりました。


その前に、高知佛立寺さまから「維新の門」のある梼原町まで走り切り、梼原町立歴史民俗資料館まで行き、ご挨拶しながら展示を拝見いたしました。


「志国(しこく)」の気概を感じる、美しく、工夫の凝らされた展示でした。


また、「維新の門(群像)」には梼原町にゆかりのある6人の志士と、脱藩後にこの町を通り、那須家に宿泊した坂本龍馬、沢村惣之丞の2人を合わせた8人の銅像が建立されています。


龍馬は文久2年(1862)3月24日に高知を出奔し、翌日の25日に梼原に到着しました。


そして、那須俊平、信吾親子の家に宿泊。彼らの道案内で土佐を脱藩したと言われます。


那須俊平は信吾の父。信吾は吉田東洋を斬った一人。


信吾は東洋暗殺後に脱藩し、吉村虎太郎と共に天誅組を組織して挙兵し、闘死しました。享年34才。


吉村虎太郎は信吾が逝った3日後に戦死。享年26才。


辞世の句は「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」。


「土佐一の槍の達人」と言われた信吾の父・俊平は、敢えなく散った信吾の後を追って長州の忠勇隊に入り、58才で禁門の変(蛤御門の変)に参加。奮戦の末戦死したのでした。


那須俊平の彫像を見ているだけで、やはり涙がこぼれます。


明治維新は称賛や美化の対象ではなく研究の対象だと思っています。


また、攘夷か開国か、勤王か佐幕かの二元論的思考の無意味さも痛感しています。


しかし、幕末の様々な群像の中に、まだ若い憂国の志士たちの、生き様と死に様、父や母、愛する人と別れてまで果たそうとした志を想うと、胸が焦げます。


ここに建つ彫像の主、掛橋和泉 享年27才、前田繁馬 享年28才、中平龍之助 享年22才。


決して美化してはいけない。しかし、ただ研究して悦に入っるだけでいいはずがない。


彼らに並ぶほどの、狂気的情熱を、自分は持っているだろうか。


考えながら、帰り道を走っていて、四万十川の源流の看板を見つけました。


7キロ。


源流の碑が建っているところに車を停めて、道なき道を革靴で歩いて25分。


残雪や氷柱を見ながら山道を踏み分け、小さな泉にたどり着きました。


ここが四万十川の源流点。


大きな大きな四万十川の流れも、こんなにも小さな泉から始まるのか。


だーれもいない。だーれともすれ違わない山奥。


その源流点に立って、無始已来、言上、御題目をお唱えさせていただきました。


南無妙法蓮華経ー。


駆け足でしたが、高知佛立寺さまにお参りさせていただき、結局4つのミュージアム・資料館を廻り、それぞれにご挨拶をして、四万十川の源流点にも行くことができて、横浜に戻ってきました。


ありがとうございます。


今夜、京都の大切な方が意識不明になられたと連絡があり、外から戻ってそのままご宝前にあがり母とお看経させていただいていました。


どうか、現証の御利益をお見せくださいますようにー。


南無妙法蓮華経ー。

2017年12月26日火曜日

土佐の高知ぜよ






























土佐の高知ぜよー。


今朝、高知県立歴史民俗資料館さまに伺い、貴重な貴重な「大政奉還建白書 草稿」とその「副署」、そして県外に出ることは初めてという「長岡謙吉書状 伯父 行蔵宛」などをお借りいたしました。


美術移送専門の日通の方々立会いの下、鈴木淳安師にご奉公いただいて、京都佛立ミュージアムまで移送させていただきます。


これらの歴史的に重要な意味を持つ展示品を、京都佛立ミュージアム「維新外伝」に加え、さらに他に類を見ない企画展とさせていただきます。


類推や、限りなく「フェイク」に近い新説が横行する中にあって、地道な研究結果と第一次資料を基とした考証を重ね、それを提示したいと思います。


鈴木淳安師は高知県立歴史民俗資料館の武政館長ともお知り合いで、本当にありがたかったです。


しかも、そのご縁は、ブラジル移民の父・水野龍さんの孫、ジョナタン君の関係でお会いしたというのですから、もはや奇跡というか、御法さまのご采配としか考えられません。


本当の本当に、全てはつながっているのですねー。


石畑学芸員にも細々とお世話になりました。


長宗我部元親の山城であった場所に建つ高知県立歴史民俗資料館。


せっかくですので、山の上に復元された岡豊城跡を登りました。


その後、今や坂本龍馬に最も所縁があると言っても過言ではない、高知佛立寺さまにお参詣させていただきました。


ひっそりと一人でお参りさせていただこうと思っておりましたが、鈴木御導師をはじめ、婦人会の皆さまがお待ちくださっていました。


しっかり髭を剃ってくればよかったー(涙)。


御導師から尊い現証の御利益についてお話をお聞きし、感動いたしました。


本当に、ありがたい。


ありがとうございます!


時間がないので、まだまだ走り回ります!

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...