一年前の今頃、ブラジルを走っていました。
大切な同志を見送り、ご家族やブラジルの皆さんのお力になれればと、松本御導師と共にブラジルへ向かいました。
あれから、一年が過ぎたのですね。
フェレイラ伯是師、オリベイラ教正師、モライス教竜師。
遠く離れているからかもしれないけれど、まだ生きていて、揺るぎない信念で変わらずにご奉公くださっているように感じます。
みんな、僕よりも年下だった。
僕よりも素晴らしい教務だったと思う。
毎日、毎月、毎年、僕はまだ生きているんだな、生かしていただいているんだな、と思っています。
あんまり長くいられなそうだし。
そう、一年前の、真夏のブラジルを思い出します。
あの暑さ。
藤本御導師が亡くなり、旭が亡くなり、3人の優秀な同志が亡くなり、ふと立ち止まればあまりにも突然の別ればかりで涙が出てきます。
喪失感はずっと消えない。
なぜなら、僕たちは本当に大切な人を失ったのだから。
しかし、だからこそ、しっかり生きなければ、しっかりご奉公しなければ。
命をカンナで削るような生き方をしているのは、わざわざ無理をしているのではなくて、精一杯生きたいから。
死にたいわけでは決してなく、生きたい。
自分が気づかせていただいた道を一歩でも前に進み、自分に見えた風景を多くの方々と見たい。
まだまだ、やらなきゃいけないこと、やれることが山ほどある。
気休めや、ファンタジーではなく、本当に命が続いてゆくというなら、生き様で行き先が変わることを知らなければ。
生きている間しか運命は変えられない。
生きている間しか功徳は積めない。
気休めやファンタジーは通用しない。
今年最後の教区御講では、厳しい御教歌を選ばせていただきました。
「しにしなに 親のみもとにかへれるか かへられぬかはわれにたづねよ」
生きている間しか功徳は積めない。
生きている間しか運命は変えられない。
二年前のネパール、一年前のブラジル。
魂に刻まれた出来事を外して僕の人生なんかない。
理解できっこない。
そんなとこに僕はいない。
何とか、一年生きてこれました。
横浜妙深寺、京都長松寺、長野本晨寺、本当にありがとうございます。
京都佛立ミュージアム、ありがとうございます。
来年も通常のご奉公の合間を縫って、2月はインド、3月、4月、5月は毎月スリランカです。
来年を通じて、インド、ネパール、スリランカを結び、人や場所の絆を深めて、今まで全くなかったネットワークを築いてゆきます。
時間はないけれど、巨大な砂嵐が来る前に、せめて基盤だけは整えておきたい。
そう、一年前はブラジルにいました。
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