父が亡くなって今年で20年。
忙しかった父と出掛けた記憶はなく、家族で旅行した思い出もありません。
しかし、強烈に、猛烈に、父の生き様というか、信念が、頭から離れず、残っています。
死んでも生き続けるということはこういうことかもしれないですね。
父と比べたら僕は息子たちといろいろな場所へ行き、それなりに多くの時間を一緒に過ごしてきたと思います。
でも、それがどのくらい彼らの心に残るか。それは分からない。
数日前、長男が写真を送ってきてくれました。大人の顔になった息子の写真を見て涙が出そうになりました。自分と父親の関係を重ねるからかな。
50才までにしなければならないこと。しようと思っていたこと。
間に合わなかったことが多く、この1週間はゆっくり、じっくり、振り返ることが出来ました。
住職となってすぐ、ニューヨークで同時多発テロがあり、時代の大転換を覚悟させられました。
アフガニスタンへの侵攻、イラク戦争。複雑に絡み合った宗教と人間の欲望による争い。2003年11月、一人でイスラエルに入国し、ガリラヤ湖、エルサレム、パレスチナ自治区を歩き、仏教者として彼の地を見て、仏教僧として世界の問題に向かおうと思っていました。
あの時、30才を過ぎて少し経った頃でした。妙深寺の皆さまにはいつも御心配をおかけしてきました。
しかし、本化仏教が負う使命を再認識することを肝に銘じてきました。
東日本大震災から激化する自然災害、気候危機。
そして、新型コロナウイルスの感染拡大。
三災七難、盛んに起これり。
で、どうするのか。なにが出来るのか。
南無妙法蓮華経ー。
口唱、折伏、経力、現証。
答えはそこにあるけれど、みんながそこに至るためには人が人として言葉にしなければ、唱えなければ伝わることもない。
法に依りて、人に依らない。しかし、法は人によって弘まる。
出会い、ふれあい、認め合い。受け止めて、伝えて、を繰り返し。
覚悟して、臨みます。
ありがとうございます。
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