宗教は人間の恐れや欲望、政治的な意図によって生まれ、利用されてきた。
仏教は人間が生み出した宗教から離れようと試みるものだった。
いつしか仏教も人間によって変節を余儀なくされたが、ここにあるのはプリモーディアルな仏教である。
近い将来、その意味を知る人が数えきれないほど生まれるのが見える。世界の至るところに。
人間の恐れや、欲望、支配欲、権力欲、名誉欲、政治的な野望や野心から生まれた、それによって変節した宗教は終わる。
それがどれだけ空虚なものか誰もが知るからだ。
いや、幻を信じ、夢の中にいることを選ぶ人たちもいるだろう。目覚めるよりも誰かに支配されることを望む人もいる。
それでも佛立仏教は自由と自然を説く。人間に生まれた以上、愚かさと可能性を与えられている。誰もが、仏にもなれるし、鬼にも、修羅にも、なれるのだ。それが万物の霊長たる人間に与えられた選択肢であり、愚かさと可能性なのだ。
あらゆるものは止まっていない。油断をすれば息絶える。変質する。
発酵か、腐敗か。事物は必ずこの2つをたどる。組織や宗教も同じだ。
このことが見えてくると、この世界のあらゆる事象が理解できる。ほとんどの出来事は問題ではなく課題であり、必然として現出している。
チェンジリーダーがいようといなかろうと、世界は進化と変化を繰り返す。
瞬きするような人間の一生だから、その人が発酵に寄与しているのか、腐敗に一役買ったのか、多くは分からないし気づかない。
目を覚ますと世界はキラキラと輝き出す。
それが本当の仏教だ。
美しい京都の朝と夜。
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