2022年4月19日火曜日

坂本龍馬を批判する人びと




















ウソもつき続ければ本当になりますか?


『坂本龍馬の伝説はウソだらけ 「幕末に大活躍」は間違いだった』

https://business.nikkei.com/atcl/plus/00031/031800006/


さも分かっているような言い方で坂本龍馬や海援隊を否定する。そこには悪意というか「嫉妬」を感じます。劣等感が先入観となり、先入観は歴史観を歪める。小説と真説の違いを指摘している彼自身に矛盾を感じます。


私の『仏教徒 坂本龍馬』は門外漢の書いた歴史エッセイのようなものですが、だからこそ第一章から心がけたのは「客観的な資料による龍馬の評価」でした。


暗殺後、龍馬や海援隊は全く評価されていなかった。それを明治2年5月13日の時点で、幕末維新の仏教改革者・長松清風は海援隊蔵版『閑愁録』を手にして彼らを絶賛した。この事実、この史実に基づいて、知られざる幕末史に迫りました。


歴史家・作家の加来耕三は書く。


「例えば「薩長同盟」。龍馬は、憎み合っていた敵同士の薩摩と長州が手を組んだ薩長同盟において、実際には重要な役割は担っていないのです。」


「いがみあっていた両藩の仲をとりもつために龍馬が奔走し、交渉が進まない中で「西郷さん、なんとかしてくれよ」と頼んで、西郷が「分かった」と応じるような場面が登場するのは小説の世界。しかしこれは、歴史学の視点からは完全に間違っています。そもそも西郷はあの当時、流刑地となっていた島から薩摩に戻ったばかりで、藩の決定権など、ありませんでした。」


何でこんなことが書けるのでしょうか?私には意味や意図が全く分かりません。


では、宮内庁書陵部に所蔵されている『薩長同盟六ヶ条』はどうなるのでしょう?その裏に朱色の筆で書かれている坂本龍馬直筆の一文はどう解釈するのでしょうか?


京都佛立ミュージアムの展示では宮内庁書陵部からデータをいただき、あえて鏡を用いて『薩長同盟六ヶ条』の両面が見れるように工夫して展示しました。


表には6か条にわたる盟約が記されており、その裏側に坂本龍馬が立会人として盟約を保証する直筆の一文が朱墨で記されています。


「表に御記被成候六条は小西両氏及老兄龍等も御同席にて談論せし所にて毛も相違無之候。後来といへども決して変り候事無之は神明の知る所に御座候

丙寅

二月五日 坂本龍」


これを現代語に訳すと下記になります。


「表にお書きになっている六ヶ条は、小松帯刀師、西郷隆盛氏、両名と、あなた(桂小五郎)や龍馬(坂本龍馬)等も同席して意見を述べ合ったもので、いささかも違いはありません。今後も決して(書かれていることに)そむくような事がないことは天地神明もご存知の所です。

慶応二年(丙寅)

二月五日 坂本龍馬」


小説やマンガの「竜馬」と実際の「坂本龍馬」に相違があることなど誰でも容易に想像できます。だからといって「実際には重要な役割は担っていない」「大政奉還でも、龍馬は何もしていません」などと断言するのは異常です。


売れることを必須とする商業文筆家だからこういう書き方をしているのかもしれませんが、司馬小説や司馬史観を否定して、逆に自身も歴史を歪曲しているのではないでしょうか。


「大政奉還でも、龍馬は何もしていません。」「龍馬のオリジナリティーはどこにもありません。」という一文に悪意や嫉妬、一方的な敵愾心や歪んだ執念を感じます。


ただ、彼はこんな無茶苦茶なことを書いた後で、「歴史学においては、何をしたかではなく、何をしようとしたのかが重要です。龍馬について、むしろ目を向けなければいけないのは、彼が持っていた可能性と目指していた未来のほうだ、と私は考えています。」と記しています。


そして、さっきまで「師の勝海舟や佐久間象山、あるいは横井小楠から教わったことを、まとめただけの話です。龍馬のオリジナリティーはどこにもありません。」と言っていたのに、「明治維新において、龍馬は「第三の道」を考えていました。」「「万機公論に決すべし」という議会制民主主義のような世界です。それこそが、坂本龍馬がそもそも狙った世界だったように思います。」となります。


いったい何が言いたいのかと突っ込みたくなりますが、早々に「晩年の龍馬はかわいそうでした。」と締めくくる。この記事はなんだったのでしょう。


最後の一文は下記です。


「龍馬から学ぶべき点は、第三の道にこだわり続けて、あくまで戦争を回避して、話し合いで物事を解決しようということに一生懸命になっていたことです。龍馬がオリジナルで考えた世界がどういうもので、本当にその世界が成立したらどうだったのか。明治維新で何が起きる可能性があったのかを考えるべきだと思います。歴史に学ぶためには小説の世界ばかりを追いかけてはいけません。」


分かったような、分からないような。


小説と歴史、歴史と小説。そこに差異があるのは中国の古典や司馬遷の『史記』をはじめとして当たり前のことです。海援隊の出版物を考究すれば、こんな話は書けません。


本当に、こうした文章は読むだけ無駄、いや読んで損をする文章ではないでしょうか。


仏教で言う「悪知識」というものを振り撒いているように思います。議論にならないし、議論したくない、時間の無駄です。


「菩薩は悪象等に於いては心に恐怖すること無く、悪知識に於いては怖畏の心を生ず。悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る。」涅槃経


日蓮聖人の「星名五郎太郎殿御返事」には次のようにあります。


「仏の曰く、悪象等に於いては畏るる心なかれ。悪知識に於いては畏るる心をなせ。何をもっての故に、悪象はただ身をやぶり心を破らず、悪知識は二つ共に破る故に。この悪象等はただ一身をやぶる。悪知識は無量の身、無量の心(意)をやぶる。悪象はただ不浄の臭き身をやぶる。悪知識は浄身および浄心をやぶる。悪象はただ肉身をやぶる。悪知識は法身をやぶる。悪象のために殺されては三悪に至らず。悪知識のために殺されたるは必ず三悪に至る。この悪象はただ身の為のあだ也。悪知識は善法の為にあだ也と。」


凶暴な象を恐れるよりも、悪い知識を恐れる。あまりにも残念な情報が溢れている世の中では、難しいことですが、自己と対決し、自己を発見し、自覚して、自由に、自然に、自分で、生きましょう。


徒然なるままに、しかし真面目に書きました。

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