2025年4月26日土曜日

時代に負けず@横浜ラグーン


4月23日、今週も無事に「横浜ラグーン」の放送をさせていただくことが出来ました。


季節の変わり目、体調はいかがでしょうか?かく言う私は少し体調を崩し悪戦苦闘しております。復調に向けて色々と試みております。


今週は時代の激しい荒波を前に、開導聖人からの激励、そして御教歌をご紹介させていただきました。


「世の中、大いにあらたまらんとする也。然るに、人々、時節まけと云てなげく」


世情騒然とする明治13年、多くの人が「時代についていけない」「自分には無理」と嘆いていた頃の御指南です。


御教歌「すればする体を己れ持ながら でけぬと云は心也けり」


現代も数百年に一度の大転換期。心を削られるような厳しさを感じておられる方々も多いと思います。なんとか前を向き、勇気を出して、活路を見出していただきたいと思います。


人生の、目的、目標、方法の設定。限界を決めず、挑戦し、可能性を信じて前進すれば、突破できる、成就できる、ゴールにたどり着く、と教えてくださっています。勇気を出して、という提案でした。


ただ一つの命、たった一度の人生、みんなで励まし合い、健康で、充実した、幸せな日々を送りたいものです。


今週の曲はRANDY VANWARMER「Just When I Needed You Most」とPROCOL HARUM「青い影」、ボーズワードは「道具」でした。


ONAIR DATE 2025/04/23 (Wed)

https://radiko.jp/share/?sid=YFM&t=20250423053000


『こころ仏(ほどけ)る 空飛ぶお坊さんの仏教の言葉47』 

https://amzn.asia/d/8GaTBdD


引き続き皆さまからのお便りをお待ちしています。素朴な疑問、質問、何でも結構です。


番組メールアドレス

lagoon@fmyokohama.jp


下記のサイトから直接FMヨコハマに送ることも出来ます。

是非、お便りください。お待ちしております。

https://www.fmyokohama.co.jp/form/message?p=6504


番組提供

株式会社ティー・エフ・ピー

https://www.tfp.vc


〈 協力 〉

100万人のクラシックライブ

https://1m-cl.com


M&Aベストパートナーズ

https://mabp.co.jp


妙深寺

https://myoshinji.jp/


#横浜ラグーン #ヨコハマラグーン #FMヨコハマ #こころ仏る #心仏る #心ほどける #妙深寺 #長松清潤 #fmyokohama #yokohamalagoon #ボウズワード #仏教 #坊主カフェ #坊主バー #寺カフェ #ボーズバー #ボウズバー #ボーズカフェ #100万人のクラシックライブ #住職 

2025年4月25日金曜日

『こころ仏る』 好評発売中ー🙏


『こころ仏(ほどけ)る』、好評発売中で本当にありがたいです。


雑誌『ハルメク』さまの書籍紹介コーナーでも取り上げてくださるようで、こんなことあり得ません。本当にありがたいです。


とにかくご家族で手に取っていただければありがたいと思っています。


また、お友だちやお知り合いなどにご紹介いただけるとうれしいです。


Amazon

https://amzn.asia/d/8GaTBdD


『こころ仏(ほどけ)る 空飛ぶお坊さんの仏教の言葉47』 長松清潤/著


●発売日:2025年4月2日(水)※一部、発売日が異なる地域がございます

●定価:1,800円

●発行:東京ニュース通信社

●発売:講談社


聞き慣れた言葉が実は仏教用語だった! 由来を知れば仏教が身近に。本来の意味を通して「空飛ぶお坊さん」があなたに捧げる人生の知恵。


横浜・京都・スリランカの3つの寺院の住職を務め、国際的な仏教活動で世界を飛び回る「空飛ぶお坊さん」長松清潤氏。彼がDJを務めるFMヨコハマの番組「YOKOHAMA LAGOON」内の人気コーナー「ボーズワード」が待望の書籍化!


本書では、普段何気なく使っている言葉が実は仏教由来であることを解説し、その背景にある仏教の教えを日常生活に活かすヒントとして紹介しています。


著者は、京都生まれ横浜育ちの僧侶であり、元プロジェットスキーヤーという異色の経歴の持ち主。「仏教はロックでポップだ!」と語り、仏教が決して難しく古臭いものではなく、むしろ現代社会を生きる私たちにとって役立つ「心の科学」であり、「心の薬」だと説きます。


仏教は特別な人のためのものではなく、誰もが生かせるものなのです。本書を通じ、仏教がより身近な存在となり、自分らしく自由に生きるための知恵を得ることができるはず。ふだん仏教に馴染みのない人にも、ぜひ手に取ってほしい1冊です。


本書の内容

第1章 人生の章 人のために生きましょう

出世・我利我利(がりがり)・学生・卑怯(ひきょう)・性欲・絶対・風呂


第2章 感謝の章 挨拶は、ありがとう

微妙・遊戯・人間・悲願・寿命・根気・断末魔・我他・やぶ医者


第3章 修行の章 人生はトレーニングです

覚悟・退屈・有頂天・無垢(むく)・律儀・意識・食堂・所詮・アバター・退治・しょっちゅう・快楽・うやむや・悪魔・だらしない・正念場・ふしだら・馬鹿・油断


第4章 解放の章 自由に生きましょう

自然・自由・安心・勝利・変化・うろうろ・食欲・葛藤・肉眼・不思議・どっこいしょ・楊枝(ようじ)


【著者紹介】

長松 清潤 (ながまつ せいじゅん)

1969年生まれ。京都市出身。1981年に得度。現在、横浜妙深寺・京都長松寺・スリランカ大白蓮寺の3カ寺の住職。長野本晨寺前住職。本門佛立宗インド教区長。京都佛立ミュージアム館長。財団法人佛立仏教会代表理事。財団法人100万人のクラシックライブ理事。全日本仏教会・第35-36期国際交流審議会委員長。日蓮聖人門下連合会理事。坂本龍馬についての造詣も深く、渋谷龍馬会特別顧問や横浜龍馬会顧問もつとめ、著書に『仏教徒 坂本龍馬』(講談社)がある。1989年には、ジェットスキー440㏄スーパーストック/アマチュアフリースタイルで全日本チャンピオンに。2019年より、FMヨコハマのラジオ番組「YOKOHAMA LAGOON」パーソナリティー。僧侶として、少しでも世の中の役に立てるよう国境を越えて走り回る。

2025年4月22日火曜日

教皇フランシスコの訃報に接し






 2025年4月21日、第266代ローマ教皇・フランシスコの訃報が全世界を駆け巡り、多くの哀悼の言葉が寄せられています。


キリスト者でない者も教皇フランシスコの質素で献身的な生涯には敬意を抱きます。


南北アメリカ大陸から初めてローマ教皇となった彼は、当初から難しい時代と状況に直面しながら教会を変えようと実際に力を尽くしました。


「組織として傷ついていても表に出て病人を助ける教会か、引きこもっている教会か、そのどちらを選ばなくてはならないとしたら、私は前者を選ぶ。」


2018年の正月、教皇フランシスコが「焼き場に立つ少年」の写真を全世界に配布するように指示をしたという報道が飛び込んできました。


10年前、終戦70年、京都佛立ミュージアムは「トランクの中の日本 〜戦争、平和、そして仏教展〜」を開催し、この際、伊東満所顕彰会の方々が「焼き場に立つ少年」を中心とした『トランクの中の日本』やミュージアムのパンフレット、私の名刺などを、教皇フランシスコに届けてくださいました。


相次ぐ戦争や紛争を前に、様々な活動を続ける中で、「焼き場に立つ少年」が教皇の心を動かした一助となったとしたなら、有難いことだと思ってきました。


つくづく、私たちは時代の岐路に立っているのだと思います。


いま、ここに生きている、私たち全員が、世界や人類の在り方について、責任を持っているのだと思います。特別な地位にあるとか、力があるとかないとか、関係ありません。


何もしたくない気持ち、あきらめの心、無関心、自分だけで精一杯という心境、それどころじゃないという状況、疲れている体と心、なるべくイヤなものを見ない、近づかない、かかわらないという風潮、あると思います。でも、なんとかしないと、なんともならない世界です。


一人の宗教家、教皇フランシスコが残した言葉。


「戦争ですべてが失われます。すべてがです。戦争に勝利はありません。あるのは敗北だけです。戦争は人間性の破壊です。」2022年3月23日 水曜恒例の一般謁見


「教会における女性は、司教や司祭よりも重要な存在です」

(2013年6月28日 / ローマへの機中での取材)


「戦争のために原子力を使用することは犯罪以外の何ものでもない」2019年 / 日本訪問の際


みんなで、「ほんたうのさいはひ」「あらゆるひとのいちばんの幸福」「まことのみんなの幸」に向けて、生きたいものです。


生きて甲斐ある今生人界、命を最大化する旅を続けたいものです。


教皇フランシスコの訃報に接し、哀悼の誠を捧げます。


南無妙法蓮華経

2025年4月21日月曜日

情報社会に立ち向かうための仏教
〜心の健康を保つために〜

「情報社会に立ち向かうための仏教
〜心の健康を保つために〜」
佛立倶楽部御講 / 2024年4月

・心の健康とは何か

・仏教は人類史上初めて「情報リテラシー」を説いた
「菩薩よ、悪象等に於ては心に恐怖すること無れ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に、悪象の若きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」等と云云。此経文の心は後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし。一切の悪縁よりは悪知識ををそるべしとみえたり。」日蓮聖人 『顕謗法抄』 / 昭和定本254-262

・「もし悪友にあえば即ち本心を失う」
 御教歌「人のため善友になれ悪友に なるな本心ともにうしなふ」
 御教歌「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

・心を健康に保つ難しさ。内的要因。外的要因。

・映画『マトリックス』から
 ロバート・ライト教授(進化心理学者)著『なぜ今、仏教なのか(Why Buddhism is True)』
 「赤い薬を飲む」か「青い薬を飲むか」。目覚めるか、幻想のままに生きるか。

・インターネットに溢れる思い込み。認知バイアス。統合失調症。
 信じれば教祖、疑えば病院

・心の棲家について
 
御教歌「おなじよに すむと見ゆれど 信不信 心のすみか常にことなり」

・精神疾患と向き合って
 「鬱」とは心から「信」が消えた状態。「疑い」だけになった状態。
 愛する人から裏切られたとしても、愛することそのものを止めるか?
 仏教の結論は「心に信を取り戻す」「心に信を立てる」

・「信者」という言葉に軽蔑や侮蔑を感じる哀れな時代。
 御教歌「さとれるをさとらずといひさとらざる 信者をさとるといふ宗旨也」

・仏教の結論「信じる」
 六度行─布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧
『大般若経』『般若心経』=
「智慧がなければ、いかなる善行も真実に至らない」
 布施も、持戒も、忍辱も、精進も、禅定も、「智慧」によって導かれなければ単なる“善行”や“修行”で終わり「彼岸(悟り)」に至らない
 「智慧なくして六波羅蜜にあらず」
 日蓮聖人「慧またたえざれば信をもって慧に代う」
 「信は道の元、功徳の母」 
 「信」はあらゆる修行・功徳の根本であり智慧の源泉
 末法悪世、滅後の人びと。「信をもって慧に代える」

・信じるを取り戻す作業
 「信とは行なり。行とは口唱なり。」
 御題目は心の薬
 「口唱」は「心のトリートメント」
 「信心」は「心のプロテクター」
 「御法門」は「心の羅針盤」

・朝夕に「南無妙法蓮華経」と唱えることで心を磨き、守り、保つ。

坂本家十代目・坂本匡弘氏による講演会























坂本家十代目・坂本匡弘さんによる講演会が、予約で満席、立ち見もあり、テレビ局の取材も入って、大盛況のうちに開催されました。


ここまでたどり着くことが出来て、感無量です。夕方、重要文化財に匹敵する第一次資料「長幕海戦図」も京都国立博物館に無事お戻しすることが出来ました。これから「長幕海戦図」については精密複製版の展示、「新国家」書簡は引き続き本物の実物展示です。よろしくお願いいたします。


大学時代、ジェットスキーばかりしていましたが、一人暮らしをしている仲間の部屋に泊まった際、枕元に置いてあった司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を手にしました。数日間、泊まり込んで一気に読みました。自分と年齢の変わらない青年たちの生き様、死に様、思い切り感動しました。


大学卒業と同時に本山に入らせていただき、本門佛立宗の僧侶の専門学校で学ぶようになりました。膨大な図書に学ぶ中、特に幕末維新の仏教改革者・佛立開導日扇聖人の全集約40巻という書物の中に何と「海援隊」という文字があるのを発見し、驚愕しました。


日扇聖人全集3巻53頁に、「海援隊 文司 筆記」とあります。しかも、この龍馬存命中に出版された海援隊の公式出版物『閑愁録』を開導聖人が称賛されている。「高祖(日蓮聖人)の立正安国論の御説と同じだ」とまで絶賛している。しかも、明治2年5月13日の時点で。あり得ないことです。


溢れるほど龍馬の書籍は出版されていますが、こうした事実を丁寧に研究し、発表したものはありませんでした。孤独の中で執筆を続け、13年前の2012年に講談社さまから『仏教徒 坂本龍馬』を出版させていただきました。


『仏教徒 坂本龍馬』を出版した後、小美濃清明先生をはじめとする龍馬研究家の方々とお会いする機会が増えました。小美濃先生には大変お力添え、ご後援をいただきました。本を褒めてくださったことが、どれだけ励みになったか分かりません。


そして、小美濃先生にご紹介いただいたのが、坂本家九代目、匡弘さんのお父さまである坂本登さまでした。登さんは本当にあたたかい御方で龍馬の功績を守るための活動をなさっていました。


そして、困難な時代に坂本家の十代目として活動を受け継がれた坂本匡弘さんとお会いすることが出来ました。同年代の匡弘さんとお会いしながら、いつか京都佛立ミュージアムで企画展を開催したい、その時には是非ともご協力いただきたい、とお願いしていました。


こうして、京都佛立ミュージアムとして何度目かの龍馬展、そして開導聖人とのご縁を紹介する機会に、絶大なるご協力をいただくことが出来ました。感謝してもしきれません。本当に、ありがたく思っています。


渋谷龍馬会、横浜龍馬会、麻布龍馬会をはじめ、京都龍馬会や全国、全世界の龍馬会の方々とお会いすることが出来、本当にありがたく思っています。京都龍馬会の赤尾理事長さまともお会いできて、しかも不思議なご縁があったことも分かり、これからご一緒できることを楽しみにしております。


昨日は本山宥清寺の門祖会も奉修され、本当にありがたい機会となりました。ただ一つの命、たった一度の人生、一日一日を大切に、今生人界のご奉公、毎日が幸せの種まき、毎日が最幸のクライマックスのように感じて、ありがたく思っています。純粋な気持ちによる種まきだけが、大切なのだと思います。


ありがとうございます。

2025年4月20日日曜日

本日は「真説・坂本龍馬展」 スペシャルイベントです

本日は本山宥清寺の門祖会です。あわせて14時から京都佛立ミュージアムで坂本家十代目・坂本匡弘さんによる講演会が開催されます。

すでに予約で満席となっていますが、立ち見であれば参加可能です。テレビ局の取材も入る予定です。大変にありがたいです。

よろしくお願いいたします。

「真説・坂本龍馬展」オープニング映像

 2017年1月、龍馬が京都で暗殺される5日前、慶応3年(1867)11月10日に書いた書簡が発見されました。この書簡には龍馬自身の直筆で初めて「新国家」という言葉が記されていました。歴史的に極めて重要な意味を持つ書簡です。
 なぜか。
 今の時代がそうであるように、誰もが幕府の老朽化した政治システムの刷新を求めていました。有名無実の役職、機能不全の官僚主義、硬直化した序列、長く続いたヒエラルキーに国家としての活力が奪われ、大衆の不満は頂点に達しようとしていました。同時に、覇権主義の列強諸国は政治的、経済的、軍事的圧力を強め、人びとは幕府の政権担当能力に決定的な不信を募らせました。類推や憶測による陰謀論や流言蜚語が飛び交い、血で血を洗う幕末の大混乱が訪れました。
 佐幕と勤王、開国と攘夷。多くの若者が立ち上がり、それぞれが対立し、激突してゆきます。「天誅」と呼ばれた暗殺も横行し、生麦事件に端を発した薩英戦争、長州と列強四国との間に起きた下関戦争、二度にわたる幕府の長州征討戦争もありました。
 多くの血を流しながら、ついに幕府は政権を朝廷に返上、日本は新しい国として歩み始める時を迎えたのです。
 しかし、この時、大半の志士はもとより、革命勢力の中心にある西南雄藩、薩長土肥のリーダーたちでさえ、新しい国・日本をどのような国にすべきか、具体的なビジョンは持っていませんでした。彼らは、藩という枠の中から幕府と対峙し、腐敗した幕府を倒すことに没頭し、権力闘争のみに腐心していました。新国家の構想よりも先に、権力奪取とその掌握のみが目的化していたのです。

今の政治や経済や社会に問題があることは分かる。
それを指摘することも出来る。批判することもできるし、憤慨することも罵ることもできる。
しかし、では、どういう国にするのか。いったいどういう世界にしたいのか。

龍馬は全く違う風景を見ていました。
彼の心の中には鮮明な「新国家」がありました。
新しく生まれる国は、国民一人ひとりが主役で、差別なく平等、誰もが自由に、人生を選べる、望んだように生きられる、笑って暮らせる国。これこそ龍馬の理想でした。

多くの友の血が流れ、若き命を代償として生まれた「新国家」が、藩閥政治や縁故主義を踏襲し、一部の勢力が権力を独占し、専制政治を行い、汚職が横行し、賄賂に耽溺する国家となったなら、ただ腐敗した政治が別の腐敗した政治に取って代わっただけとなります。
新しく誕生する国をそうさせるわけにはいかない。
人びとが謀計をめぐらせていたその時、龍馬は国づくりに全力を傾けていました。

「真説・坂本龍馬展」
書簡の「新国家」という言葉に込められた深い信念と具体的なビジョン。
龍馬が説きたかった「坂本龍馬の真説」です。
龍馬は議会制民主主義国家をの樹立を目指していました。実は、山内容堂の「大政奉還に関する建白書」も寺内左膳や後藤象二郎による「別紙(副署)」も龍馬の文官・海援隊隊士・長岡謙吉によって起草されたものです。ここには上下両院からなる議会の設置が謳われており、龍馬の「新政府綱領八策」と合致します。龍馬の政体論は彼の死後に刊行された『藩論』に見ることができます。
また、龍馬は国際社会の中で活躍する日本人の姿を求めていました。幕末の日本にはおよそ二百七十の藩があり、それぞれが「国」としての側面も有していました。藩ごとの主従関係や帰属意識もあり、日本人としての意識を持つ人は多くありませんでした。それぞれが会津人、薩摩人、長州人などでした。藩を捨てた脱藩浪士による海援隊は、幕末期にあって独特の国際感覚を持つ日本人たちでした。同時に彼らは「世界の海援隊」として国際社会に打って出る覚悟を持っていました。彼らに続く日本人のために海援隊は初歩的英語教科書も出版しました。
さらに、龍馬存命中の慶応3年5月に刊行された海援隊蔵版『閑愁録』には、仏教によって国民の心を安んずるべきであるという「新国家」の国体論、宗教政策が説かれています。これは仏教が生きとし生けるものへの慈悲や平等思想を抱いていることに由ると考えられます。
 慶応3年11月15日、坂本龍馬は暗殺されます。日本史上、これほどまでに鮮烈な登場と活躍と退場をした人がいたでしょうか。龍馬は、人びとの夢や理想、そしてその時の政治の情勢や人情に従って復活を繰り返しました。だからこそ、逆に近年は龍馬の偉業を疑問視するような言説が世に流布されています。
 様々な資料が坂本龍馬の果たした役割の重要性を示しています。新発見の書簡もその一つでありこの「新国家」の一言にどれだけ重要な意味が含まれているか解題しなければなりません。
 京都佛立ミュージアム「真説・坂本龍馬展」
 今回、坂本家十代目・坂本匡弘氏の全面的な協力を得て、一次資料から坂本龍馬の真意を読み解き、憶測や類推ではない坂本龍馬の「真説」をご紹介します。
 ファクトとフェイクが交錯する世界は数百年に一度の大変革期を迎えています。ここに展示する龍馬の生き様やメッセージが、未来へ向かう私たちの灯火になることを期待しています。
 ありがとうございます。

2025年4月19日土曜日

「情報のカルマ」の時代に生きる






世界は分断というか、分裂の勢いを増してる。それは遠くで起きていることではなくて、それぞれ一人ひとりの身近な人生の中で毎日のように起こり、進行している。


「分断(division)」が何かを境に「別れている」状態であるのに対して「分裂(fragmentation)」は元々一体だったものが内側から崩れてバラバラになっていくイメージ。どんどんバラバラになっている。まさに「分裂の時代」だ。


一つの事件や事象が立場や視点によって真逆の評価を受ける。


・同じ出来事をめぐってまったく逆の評価がされる。


・科学、歴史、倫理、宗教でさえ、合意形成の土台そのものが失われている。


・インターネットによって「情報」ではなく「認知の現実(perceived reality)」が分岐してしまった。


情報の量が増えたことによって「知識」が深まるのではなく、世界の「解釈の座標軸」そのものがズレていっている状況。


本来、科学や宗教は物事を統一的に理解する「真理」への「アプローチ」だった。しかし、現代では「真理」の座は揺らぎ、多くが自分に都合の良い「物語」を信じるようになった。これは「知」の構造が「普遍性」から「相対性」へと大きく移ったことを示す。そして、それが合意なき時代、分裂する世界を生み出している。


世界情勢、気候変動、ウイルス&ワクチン問題、様々な政治や政策など、あらゆる「イシュー(問題・課題・論点)」が、大きく分裂した状態。なぜなら、人びとは同じ世界に住んでいるように見えて、まったく異なるメディア空間で生きているからだ。そして、現代では「事実」そのものではなく、「事実をどう読むか(ナラティブ)」が争点になってしまっている。


かつて存在した権威や研究や解釈すら信用を失い、「この専門家の意見は尊重すべき」「この歴史的事実は否定できない」という「共有された前提(common ground)」すら崩れつつある。こうして合意形成は困難さを増し、粘り強い議論は除外され、分断と対立が顕著になった。


今や人びとは毎日情報の洪水を浴びている。そればかりか進化したアルゴリズムは個々の嗜好や志向にあった都合のいい情報を流すように設計されている。結果、人びとは「事実」ではなく、自分の「認知」を強化してくれる「情報(confirmation bias:確証バイアス)」だけを浴び続けることとなる。


こうして生まれるのが「フィルターバブル(filter bubble)」=「自分と同じ意見の人ばかりの世界」であり、「エコーチェンバー(echo chamber)」=「同じ主張が繰り返されて「事実化」されていく空間」だ。この環境の中に置かれてしまうと、もう同じ現実を見ていても、それぞれがまったく異なる「認知の世界(perceived reality)」を生きることになる。


実に、恐ろしい。現在進行中の、世界を、日本を、私たちを、私を、巻き込んでいる、社会現象。新型コロナウイルスよりも恐ろしい心の健康を蝕むウイルス、環境、状況にある。


御教歌

「おなじよに すむと見ゆれど 信不信 心のすみか 常にことなり」


同じ世界に生きていると思っていても、実際には違うという事実。次元が変わってゆく、次元が違ってゆく。同じ世界に生きているように見えて、生きていない、生きていけない、ということがある。


人間は「縁」によって生まれ、「執着」によって迷い、「分別」によって対立し、「謗法」によって苦を重ねる。


人類は「情報のカルマ」の時代に生きている。今、この瞬間も、地球上のあらゆる人びとが、無限の情報の海の中で呼吸し、何を信じ、何を疑い、何を選ぶべきか、毎日問われ続けている。あらゆるイシューにおいて、「信と不信」、「情報と感情」、「権威と自由」、「真実と物語」のせめぎ合いが行われている。


分裂と対立の中で、「人類の進むべき方向性」そのものが見失われていると感じる。しかし、これまでそうであったように、時に取り返しがつかないほど失敗し、時に恐ろしいほどの代償を払いながらも前進してきたように、近い将来、今回の地球の人類が、価値観をアップデートすると信じたい。

Swallowtail Butterflyと横浜ラグーン

  インフルエンザが猛威を振るっています。コロナ禍の時と同様に、うがい、手洗い、移らないように、移さないように、お気をつけいただければと思います。特に、ご高齢の方々をお守りしたいです。 11月26日の「横浜ラグーン」をお届けいたします。今週は皆さまからのお便りにお答えました。ラジ...